ねねみにみず

ねねみにみず

『嗤う伊右衛門』京極夏彦



主人公の二人は非常に魅力的ではありますが、もう少し素直になっていればここまでの悲劇は防げたものを、と同情しきれない部分もありますね。ロミオとジュリエットに通じるものを感じます。特に伊右衛門の行動や心理は不可解な部分がいくつかありますね。

何故伊右衛門は家を解体したのでしょう。まず冒頭から、この人物の病的なまでの外界に対する恐れが蚊帳を使って表現されています。この恐れは、闇に自分が飲み込まれてしまう、自分の中に闇が入り込んでくるという種類のもので、自分のよりどころのなさや小ささに対する不安が読み取れます。

そんな彼が、毅然と自分を持ち続ける岩を愛するのは自然なことだったと思います。岩が生まれ育った家。伊右衛門には、伊右衛門にとっての蚊帳が岩にとっての家であると見えたのでしょうか。では、(箱から湧いた)蛇や鼠を逃がすために家そのものをなくすという行為は、岩を家から解放することに通じるのでしょうか。追い出すのではなく解放する。それを、自分の手でやりたかった伊右衛門。しかし家の喪失は岩そのものの喪失でもあったはずです。それが怖くて、わらった・・・?ここのところはもう少し考える余地がありそうです。

そして究極の悪そのものとして描かれる伊藤喜兵衛。彼の腹の中の泥こそ伊右衛門がおそれている闇そのものであるように見えます。しかし喜兵衛はそれこそが自分を自分たらしめているものだと思っています。だから死ぬときにあのような仕草をしたのでしょう。

章立てもおもしろく、シンメトリな構成になっています。『巷説 百物語』ともリンクしているようですので、それほど短い小説ではないのですが、他の京極作品を読んだ後又読みたい。久しぶりに再読を希望する小説にめぐり合い、非常に嬉しかったのです。

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