”のんのん"紀行

A sightseeing course

Easter Island Tour

島内一日観光 Aコース ↓
イースター島唯一の村、1888年に羊牧業者以外の住民は ハンガロア村に
押し込められ、それ以来、住民はハンガロア村以外には住んでいない。
バ イ フ
ビ ナ プ
モアイ倒し(フリモアイ戦争)の激戦地。
アフ(祭壇)のモアイは全て顔を下向き倒されている。

バイフからアカハンガまではアフのオンパレード。
1750年前後にフリモアイが起こった。
イースター島初代王「ホツマツア」が埋葬されているといわれている場所。
ここのモアイもモアイ倒し戦争によって倒された。
モアイの製造工場。イースター島の観光ハイライト。
現在でも約400体近いモアイが置き去りにされたまま。

ここで切り出されたモアイはアフ(祭壇)まで何10キロの道のりを運ばれて
移動した。火口頂上まで約15分程歩いて登る。

クレーターの内側には火山湖が広がり、トトラ葦が茂っている。
湖のまわりには埋もれたモアイ達が、火山湖を見下ろすように建っている。
13~14世紀がモアイ製造の全盛期といわれている。
チリ地震で起きた津波で倒されたモアイ15体が1994年に復元された。
この津波でモアイが内陸部に数百mも流されたが、津波前に撮影した
写真をもとに日本のクレーン企業「タダノ建設」が復元した。

津波の際に傷つけられたモアイや、風雨でひび割れした部分に
特殊接着剤を注射器で挿入し、もとの形に仕上げていく根気のいる
仕事を成し遂げた。
伝説の王「ホツマツア王」上陸の地。「ホツマツア王」は
マルケサス諸島の「ヒヴァの島」からやって来たといわれている。

ここにあるアフナウナウの倒されたモアイの下から1978年に
「モアイの眼」が発見された。「コンティキ号漂流記」
「アクアク」筆者トール・ヘイエルダール氏もこの海岸にキャンプを設置した。



島内半日観光 Bコース ↓
ラノカウ火山
ラノカウ火山湖の直径は1.6Kmもあり、湖面までの深さ200 mもある。
湖の深さは4~11m、湖の周りからはたくさんの岩絵も発見されている。
ラノカウ火山の頂上にある。「鳥人の儀式」が行われたところ。
この儀式は19世紀の終わりまで続いた。240mもある断崖絶壁の上に遺跡がある。

石積みの家が53戸もあり人間1人が入れるほどの入り口が付いている。
儀式の間、神官やロンゴロンゴの語り部たちがこの家で寝起きしていた。

海を見下ろすと三つの島があ並んでいる。
手前から「モツカオカオ」「モツイチ」「モツヌイ」と呼ばれる。
「オロンゴ」の儀式とはこの絶壁から島に渡ってくる海鳥の最初の卵を取って来る儀式。

島民は大気の神「マケマケ」を崇拝し、その化身が鳥人と呼ばれる。
各民族を代表する戦士の従者「ホプマス」は絶壁を滑るおり、鮫が住む海をトトラ葦で
作った浮子を使って泳ぎ渡り、海鳥が来るのを何日も待つ。

従者から卵を受け取った戦士は鳥人と呼ばれ、この鳥人を記念して
岬の突端の岩場にはたくさんの鳥人が彫りこまれている。
ビナプのアフは、ペルーに残るインカア帝国のクッスコ遺跡の石組にそっくり。

手前のアフは857年前後に作られたもので、タハイの遺跡とほぼ同じ時代
のものと考えられる。奥のアフは1500年頃と推定され、
ペルーのインカ文明(1500年)と一致している。



島内半日観光 Cコース ↓
儀式村。1960年ムロイ博士によって復元された。「アフ」(プラットホーム状の祭壇)
の前には広場があり、神官の家の跡や石でできた鶏小屋が見られる。
このアフはモアイの歴史の中期とされる。
イースター島
博 物 館
館内はパネル表示になっており、島民達の生活体系が伺える。
この博物館で見逃せないのが、アナケナで発見された「モアイの眼」である。
白環礁と赤色灰岩でできている。
アナカイ
タンガタ
鳥人の儀式の最後に大宴会が開かれ、数人の生け贄が供された。
こうした食人が行われた洞窟のひとつが、アナカイ・タンガタだ。
海触洞の天井には鳥や鳥人の絵が書かれている。



島内半日観光 Dコース ↓

プナパウ
パカオ(モアイの帽子)の石切り場。10数トンはあるプカオが突然制作を止めて、
投げ棄てたようにゴロゴロと転がっている。

ここで切り取られたプカオは島に点在するアフまで運ばれ、モアイの頭に乗せられた。
ア キ ビ
島一帯に散らばるモアイの中で唯一海を見つめて立っている。
ホツマツアの7人の使者(息子)を祀ったというアフ・アキビ。

建造は10~11世紀と言われている。イースター島のモアイは皆内陸を見ているが、
このモアイ達がなぜか陸を背に向けて、西の海を見つめて立っている。

モアイの眺める方向は春分と秋分の日に太陽が沈む方角であり、ホツマツ王が
来たと言われているマルケサス諸島のヒヴァ島が存在する方角でもある。
アナテパウ
迷路のように延びた、全長800mに及ぶ火山道。
島には天然洞窟があり、戦争の際避難場所や、住居、墓として使用されていた。
テパナウの洞窟は島で最大のもののひとつ。洞窟の閉口部は、風が弱まることから
島内の貧弱な作物栽培を助け、タロ芋やバナナなどが栽培された。





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