第4章:その後 = 生きる尊さ =
≪生きる尊さ≫
キザなタイトルに聞こえるかも知れない。
しかし、私は本気で信じている。
19歳の時、バイクに乗ってダンプカーとぶつかり、周りの人は死んだと思った事故に遭ったこと。
28歳の時、土木作業中トンネルに閉じ込められ、すぐ傍でダイナマイトが掛かり死んだと思ったこと。
思えば若くして両親を失ったこと、極端な視力の衰え。
そして・・・死の直前まで遭遇した数々の出来事。
しかし生きている。
しかし私は生きているのである。
何回も何回も命を落とすような出来事に遭遇しながら・・・。
そして、数々のイジメに逢いながらも・・・。
傷つきながら、そして傷つきながら、心身的にも肉体的にも崩壊寸前にいた。
その意味を理解させてくれる出来事は、煮えきれない人生を歩む私の書籍棚で起きた。
一文との遭遇。
「今まで生きているのは此の事に遭うためである」
との短い一節。
偶然であった。
衝撃を受けた。
今までの人生、これからの人生を深く考えさせらる事となった。
どのような出来事があっても 「今まで生きているのは、この事に遭うためである」
というのである。
ハッとした。
そうか!この事(今遭遇している困難)に巡り遭うために、私は今まで生きていたのか。
私はこの時、☆☆年間の半生を振り返り 「なぜ私にだけ辛いことが・・・?」
という疑問は完全に消え去ったのである。
今まで遭遇した何もかもが現在を生きるためにある。
そして、いま遭遇している事は全部未来を生き抜くために経験させられている。
廻り来る予期せぬ出来事に出遭うために生きる。
否、その事に出遭うために生き続けなければならないのだ。
そう解釈することで ≪生きる≫
という事が全部理解できた。
何も私だけ特別な体験をした訳ではないのだと!
≪あの時死んでいる≫
と思えば、いま生きている事が不思議であり感謝の念でいっぱいである。
私は現在、 ≪今まで生きているのは此の事に遭うためである≫
との決意で、日々廻り来る出来事と向かいあう。
そして、遭遇した様々な経験は 〔辛い出来事〕
ではなく 〔貴重な体験だった〕
と思いを新たにする日々である。
心配された長男は、イジメにもあたっが、障害を見事に乗り越え、はつらつとして毎日を過ごしている。
口蓋破裂など微塵も気にしていない。
生まれたあの時、 「どうしますか?」
という医師の言葉。
≪それは死を意味していた≫
に、首を縦に振っていたらどうなっていたであろうか。
心の傷として一生重くのしかかり、現在の和楽の家庭はあり得なかったであろう。
そら恐ろしい限りである。
「障害は生きるのに多少の不便は伴うが、それは不幸ではない」
と教えてくれたのは長男かも知れない。
私は現在、生きているという事に感謝の念でいっぱいである。
だから、今までの辛かった経験を、全て人のために生かし切る。
そのために全力で生きる。
それが私に与えられた、これからの 私の生き方
だと考えている。
苦しんでいる人や悩んでいる人、不幸にあえぐ人を見ると、居ても立ってもいられなくなってしまう。
力になどなれないと分かっていても、声をかけてしまうのはその精か。
1冊の本と出逢い。
生きる尊さの意味を教えてもらうために今日まで生きてきた。
そうも解釈が出来る。
一時は、私をあざ笑い、苛め抜いた人たちへの報復も考えた。
が、しかし、報復に何の意味があるだろうか。
既に過去の人たちとなっている彼らに何の意味もあるまい。
むしろ私が幸せになっている姿を示す事こそ、彼らに対する最大の ≪平和的報復≫
である。
との考えに至ったのである。
踏まれても踏まれても立ち上がり、夢と希望に胸膨らませ、乗り越えたところにしか真実の幸福はない。
廻り来る人生の山、待ち受ける人生の谷、そして宿命の嵐。
しかし、それらは全部乗り越えるためにある。
と、私は半生を振り返って思うのである。
そして、人は幸せになるために生まれ、幸福になるために生きているのだと!!!
第5章:補 足〔通信制高校(高校で習ったろ?)〕につづく。