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池袋駅の南東東通りの裏手の通りにいつの間にやら一軒のもつ焼き店が開店していました。どこかで見たことのある名だからきっとチェーン店なんだろうなと思って、さほど関心も抱くことなくスルーしていました。今、調べてみたら練馬区を中心に4店舗が存在する程度のようです。だったらどうしてここまで印象に残っていたのか。恐らくは、店名がやけに印象に残っていのだろうか。これを見てまず思い浮かべたのが、ダイダラボッチのことです。でもダイダラボッチをダイダラと省略するってありなの? すぐにWikipediaで調べることにしました。結果として、様々な名称・呼称があるけれど、「ダイダラ」のみの表記は見られません。もしかすると「ダイダラボッチ」と思い込んだのが誤りではなかったかと、今度は「ダイダラ」のみをキーワードに検索すると以下のサイトにヒントがありました。紀州よいとこhttps://myamato.exblog.jp/16521489/ なるほど、「大多羅大明神」に縁がありそうです。でも「大明神」が神様に向けての尊称である以上、それを省略するのは常識的にはあり得ないように思えます。さらに調べると「大多羅」を尊称なしで表記した地名及び駅名がありました。国史跡である大多羅寄宮跡のあった岡山県岡山市東区大多羅町と最寄りの大多羅駅であります。これなら例えばこの地域出身の方が「だいだら」と店名を名付けてもおかしくはなさそうです。と言いたいところですが、この読みは「おおだら」なんですね。何のことはない、店で尋ねればいいだけのことなんでしょうね。 と今更ですが、お邪魔したのは、「やきとん だいだら 南池袋店」でした。東通りの周辺のお店って結構短命なところが多くって、東通りを制覇する勢いのイタリアンをはじめ他業種を展開するグループやうどん店2軒、中華屋さんなどは善戦しているものの夜は客の入っていない店も少なくないのです。駅からちょっと離れているというのも敬遠される理由なんでしょうか。ぼくはこの界隈まで来ると多少は喧騒から遠ざかった気がしてちょっとホッとはするのですが、いかんせん足繁く通いたいと思える酒場が少ない土地柄なのです。って混んでる店はやたらと客の入りがいいみたいで、今では多くの人々が全くもって自分の勘を頼りに酒場を選ぶなんてことは稀になっているのかもしれません。でもこの夜のぼくは、ネットの情報に頼る訳でもなくここを訪れることにしたのです。というのが、たまたま他所で呑んでいて、結構な距離を歩いたので、ちょうど駅に向かいがてらここらを歩いていたらここを思い出したまでなのです。お客さんの入りは半分ほどで開店してそう日が絶たないことを思うとちょっと寂しいかなと。今時ありがちなもつ焼き屋で、この系列にお邪魔したのははじめてですが、結論としては特筆するべき点は何もなかったのです。あっ、そういえば店の人たちが外国の出身者らしい人が多いことは珍しくもなくなりましたが、それよりも若いスタッフばかりなのです。ぼくの視線が届かぬところにベテランスタッフがいたのかもしれませんが、大部分は若い方でした。そういう意味ではこれでよく店が回っていると感心すべきかもしれません。が、この土地柄は余程気張らないと、あっという間に淘汰されることになるので、もう少し奮起してもいいんじゃないかと思った次第です。
2024/05/26
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もう幾度となく取り上げているので駒込については、語るべき言葉はとうに潰えています。駅周辺は閑静なのにこぢんまりはしているものの商店街も充実していてとても便利なのです。ぼくのような地方出身者が上京して初めて過ごすにはとても便利な町に思えるのですが、実際に住もうとするときっと家賃が高額で断念することになっちゃうんでしょうね。東京で一人暮らしを始めた頃には、東京生まれの東京育ちの連中に、その境遇面に非常な嫉妬を感じたものですが、そんな思いも初めだけで今では地方を転々とできた自分の境遇も悪くはなかったものと受け止められるようになりました。でもここ駒込に生まれていたら死ぬまでここで過ごすのも悪くなかったかもなあと思いを巡らすこともあります。ちなみにこの町、飲食店はそう多くはないし、居酒屋よりも食事処が大部分でそれが少しばかり物足りなさでもあるけれど、その分、とても美味しい料理を出してくれる店の割合が高いと思えるのです。まあ美味しさに比例して値段もしっかりとはしているんですが、そりゃまあ仕方がないですかねエ。 大正11年、駒込に創業した「小松庵総本家 駒込本店」に久々にお邪魔しました。その際は板わさで一杯やりつつそばを手繰るといった極めて軽めの呑みをやっただけでしたが、この夜はとにかくひたすらよく呑んだのです。ぼくはそば好きではあるけれど、どんなそばでも好きなので高級そばをことさら持ち上げるつもりはさらさらないのでありますが、やはり食べると値段に見合った価値はある者です。だからといって通ぶったりできる程の知識はないからそばに関してはただただ確かに高級なそばは高級なそばにしかない旨さがあるとだけ呟くことにします。このお店、長い歴史なだけあってのれん分け制度を今に継承しているようです。ただしシステムは、かつての師弟制度から蕎学舎なる「おそばの学校」で学ぶスタイルに切り替わったそうです。直営店は、駒込本店に加えて新宿高島屋店、丸の内オアゾ店、渋谷東急東横店、銀座店、東京スカイツリータウン・ソラマチ店なんかがあるそうで、いずれも小癪な場所に店を構えていますが、のれん分けされたお店はこれとは別なんでしょうか。HPを見ると蕎学舎はかなり立派な施設なので、出身者は左記の数店舗の店主のみではないはずです。そこらへんの情報もちゃんとフォローしておいてほしいなあ。とまあそれはともかく表は都内で久々の大雪となっており、前回に増してお客さんの入りがよろしくありません。というは最初は貸切状態であったのですが、こんな天気でもしばらくすると2組やってこられました。にしてもそば屋って美味しいそばを出す店は酒の肴も実に立派なことが多いです。こちらも頼むのもどれもかしこも美味しいのです。そばの道を歩む者はひたすら求道的にそば打ちを極めようとするものと思いがちですが、そうでもないんだろうか。それとも繊細なそば打ちを身に付けただけの人にとってみると一般的な料理などは余技のうちってことになるのでしょうか。まあ、どちらでも構わないけれど、こういう上位クラスのそば屋ではつまみ一つにも気を抜けぬから大変なことであります。ぼくがふらふら訪れるような店ではないけれど、たまにこういう店でやれるのは実に幸福なことです。
2024/03/10
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前回、「ほとんど呑みに訪れていない町」と書いたということは、訪れたことがあるのかという疑問を持たれた方がいらしたかもしれません。実はあるのです。しかも約10年前と約5年前の2回訪れているようなのです。ようなのですとはまたあやふやなことだと思われるかもしれませんが、実際訪れた記憶がまるでなかったりするのだ、恥ずかしながら。そのどちらかは北池袋駅界隈で呑んだ後に流れで立ち寄っただけなのです。位置関係を考慮するとどうやら今でも現役らしい「居酒屋 助さん」と思われます。わずか5年前のことなのに覚えていないとはねえ。もう一軒が「ことぶき」というお店のようで、今では寒々しくも更地と化しています。メモには住所の記載もないので、当時の記憶の呼び水にしようとGoogleで検索すると食べログに登録されていることが判明しました。しかしすっかりお馴染みの[掲載保留]表記があるのみでコメントすら残っていません。でも住所が残っているのでGoogle Mapで調べてみるとその住所のある場所はどうも更地になってしまったようです。最近知ったGoogle Mapの機能があって過去の様子をプレビューできるのですね。ホントこれ、恥ずかしながら最近まで知らなかったのですね。2020年11月にはすでに更地となっていますが、同年2月にはまだ建物が残っていました。飾り気のない簡素な構えが味わい深いです。 この間のいずれかに閉店をしたってことなんでしょうけど、コロナをきっかけに閉店したのかしらと気になって移動してみるとどうも貼り紙らしきものが見えます。拡大してみます。「東京都道路拡張」により「立ち退きの為本年2月末日にて閉店」ということなのです。現在のプレビューをよくよく見ると「木造住宅密集地域を改善する、命を守るみち」なる看板が設置されています。単なる空き地を「みち」とは何ともお粗末に思えるのですが、現状を「ことぶき」の店主さんはどう思っておられるのでしょうか。 それはともかくとして、とある夜お邪魔したのは「ホルモン・海鮮焼 すえきち」です。夕方5時過ぎに店の前を通るとテレビ画面から漏れ出した灯りが見えますが、営業を始めるといった気配は感じられませんでした。そんな訳で先に書いた「点心」で時間調整したんですが、後ろ髪をひかれつつ店を出たもののやってなかったらどうしようと店の方を見ても営業してる気配はやはり稀薄。でもさっきとどこか違っているようでよくよく見ると袖看板の照明が灯っています。どうやら営業時間となったようです。店内は薄暗くしばし大丈夫なんだろうかってムードでありましたが、こういううらびれ感はぼくにはむしろ心地いいので当然店を出ようなんてことは微塵も思わないのです。カウンターにも卓席にも焼き台も七輪もないので、ゆっくりメニューを眺めて決めればいいことと思い、ホッピーと牛すじ煮込みなどを注文。これがお通しのスパサラとともに実によい味でしかも量もたっぷりなので結局最初に頼んだ品だけで満足してしまいました。我々の後を追うように訪れた初老の客はキープのいいちこを受け取ると猛然と呑みだすのです。恐らく注文せずに当たり前のように出された刺し盛はとんでもないボリュームです。遠目でそこまでじっくりとは眺められなかったのですが、5種類程度は盛り付けられていて、鮪だけでも8切れ近くはあったんじゃないか。しかも大振りに切り身ですよ。こりゃ我々じゃあ2人で掛かっても持て余してしまうんじゃないか。さらに嬉しいのがホッピーのナカの価格です。セットは450円と平均的でありますが、ナカは150円でしかもそこそこの量が注がれています。これは大したお店じゃないか。さすがは板橋区。と書いてはみたけれど実はこちらも豊島区だったりするんですよね。 開店待ちで立ち寄った「点心」前を通ると、カウンターには5名ほどのお客さんが入っておられました。下板橋駅前になくてはならないと感じられている方は少なくなさそうです。それを思うと将来、それも近い将来にも暗澹たる気持ちを抱かざるを得ないのでした。
2024/01/17
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下板橋駅は池袋駅から東武東上線の各駅停車で2駅目と極めて都心からも近いのですが、にも拘わらずほとんど呑みに訪れていない町なのです。こういう近すぎて行ったつもりになって実はほとんど知らない町がまだ残されているんじゃなかろうか、ここ数年で横着さが染み付いたぼくでも近場なら足を運ぶことにさほどの抵抗はありません。ということで下板橋駅にやってきました。来てみて思ったのがこの下板橋駅ってのはJR埼京線の板橋駅から至近なんですよね。距離として500m程度でしょうか。なるほど板橋駅に目が奪われて下板橋駅は霞んでしまっていたのかもしれません。でもこの下板橋的って数奇な運命を辿っていることが知ってる人には良く知られています(当たり前だ)。というのが、当初東上線は大塚辻町を起点とする予定だったのですが、東京市から許可がでなかったため、当駅と川越町駅(現在の川越市駅)間を結ぶ列車として開業したそうなのです。当時の駅舎は板橋区にあったけれど、後に移設されて豊島区なのに下板橋駅という混乱が生じたということです。そんな訳で当初の東武鉄道の目論見はともかくとしてここ下板橋駅は東上線の起点駅であった訳ですが、こう言ってはなんですが、現在の駅や駅周辺の様子を見るととても上りの終着駅とは思えない寂れ方が身につまされるのです。駅前の商店街を歩いても辛うじて肉屋を始め何軒かの古いお店が営業を続けて涙ぐましい検討を讃えたくはありますが、それでももう町は役目を終えようとしているように感じてしまうのです。 さて、そんな古いお店の一軒に中華屋さんもあります。東上線の線路に面してある「点心」です。線路に面しているといっても視界はほぼ駐輪場に阻まれていて、かつては毎日のように乗車していた東上線の車窓から見えなかったとしても不思議ではない気がします。赤いテント看板はピカピカですが、相当な年季のお店と一目で見て取れます。店に入ると真っ直ぐ伸びるカウンターの奥は小上がりになっているようです。そこには高齢のご夫婦が食事をなさっています。カウンターの一番奥の席はそこが指定席となっているかのような大ベテランの老女が餃子とチャーシューでビールをやっています。ベテランに倣って我々も同じ品を注文します(ホントは順番が逆で偶然一緒の注文だったのですけど)。お通しのお新香がジューシーで美味しいです。チャーシューは脂っ気のないみっしり見詰まりのいいロース肉で見掛けよりきっちりと塩気が利いて酒の肴にはバッチリです。でも6枚は独りだといかにも多過ぎるように思えましたが、彼女はきっちり食べ切っていました。餃子はむっちりみっちりと具がパンパンでよくも皮が破けぬものだと思ったらこの川がすごく弾力があって独特な食感なのです。これまた大変結構でした。しかもこれらは平均的なお値段ですが、飯物が相当にお手頃なのです。ラーメン・半チャーハンが650円とかね。これはもう仕事帰りに食事がてらで一杯には最高に嬉しいですね。さすがは板橋区。江戸川区の不動産屋が板橋区に住んだら他区には移れないと評する訳だ。と書いたけれど実はこちらは豊島区だったりするんですよね。追伸 書き終えて知ったのですが、中華屋での呑みの様子を放映する例の番組にこのお店、登場していたのですね。なんか追っかけしてるみたいで気恥ずかしい。うっかり看板を見過ごしましたが生姜焼きがお勧めのようですね。生姜焼きを食べにもう一度行ってみるかな。
2024/01/10
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慣れてしまえばそうでもないことが分かるけれど、立ち呑みってそれこそ若い頃にはかったるいシステムだと思っていました。仕事を終えて疲れているのに立ったまま呑むなんて絶対嫌だと思っていたのです。立ち仕事とはとてもいえぬむしろ明らかにデスクワークをもっぱらとしているのに立ち呑みを嫌がるのはいかにも不健康でありますが、ぼくはガキの頃から歩くのはいくらだって平気だったけど(とはいえせいぜい1日1万歩位でいいかな)、立っている姿勢を維持するのが大いに苦手だったのです。学校の集会なんかが典型ですね。単に立っているというのが苦痛で5分も経たぬうちに上半身が揺れ始めるのです。と書きながら思い出してきたのですが、そうだ、ぼくは立ったままでも眠くなる体質だったのです。授業時間中は喋ってるか読書してるか寝てるかだったじゃないか。今はただ呑むことで感覚がマヒして立っているのが苦痛と感じなくなっているだけなんじゃないだろうか。なんてことを思ったりもするけれど、やっぱり若い頃に戻ったらきっと座って呑みたかったんだろうなあと思うのです。 池袋は呑み屋の総数に対して立ち呑み屋の占める割合が他の都内の繁華街より低いように思うのですが、どうなんでしょうか。そのエビデンスもないのに立ち呑みの少ない理由に埼玉という郊外への起点的な町であるからではないかと推測するのはやはり焦燥に過ぎるのではないか。でもそんな池袋にも近頃新たなお店が登場しました。「立呑み アーニー」です。なんだかねえって店名ですがひとまずそれには触れぬことにします。見てみてシャレオツでしょっていう開放的な雰囲気もぼくが居場所とするには不適格であるように思えますが、一度位は訪れておいても良いと思います。まだ開店祝いの花輪も置かれていて、近頃運に見放されたような気分に陥ることの多いぼくには不釣り合いな印象がもたらされます。ほぼ目一杯に埋まっていますが、店の若い二人が他のお客さんたちを上手にコントロールしてくれて居場所を用意してくれるのです。店の雰囲気はチャラい感じですが、実は案外経験値は高そうです。そんな雰囲気と見合うように価格帯は立ち吞みとしては強気となっています。お客の大半は若い方たちでパッと見には女性の占める割合が男性のそれを上回っているようです。一部おっさんグループも混じっていて、華やいで雰囲気がそうさせるのかそういう連中に限ってやけに声高に盛り上がってオラオラ的オーラをかましていて不愉快極まりないのです。そういう具合だからぱっと見で一人客はぼくだけで孤独感が際立ってくるようです。店の方はそれでも分け隔てない応対で非常に感じがいいのです。玉子春巻きなる一品を頂きましたがこれが実に旨い。周りの客たちは刺身などを食べていたがそちらも実に旨そうであります。これで座れるようならきっとまた来たくなるんだろうけどなあ。でも着席式の店だと収容人数が低下するし、滞在時間の延長などでペイできないかもしれないからこの立ち呑みというシステムは現代に適しているんだろうなあ。若い人たちは忙しいようだからそうは長居しくなってるのかもしれません。
2024/01/08
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池袋の西口方面を歩いていると気持ちが沈んでくるのを感じます。東口側では人混みに圧倒されてウンザリさせられることはあっても気持ちが沈むことは余りないのにどうしたことだろう。ひとつには若い頃に西口(というよりは北口)方面に住んでいて、その頃の暗く鬱屈した日々を思い出さずにはおられないということもありそうです。でもどうもそうした個人的な事情だけがぼくを憂鬱にさせる理由ではなさそうに思うのです。今のぼくが若かったなあと思える時期に過ごした町は池袋だけではなく他にも数か所で暮らしていて、やっぱりどこでだって鬱屈した気持ちを抱いていたのは変わりはないのです。だったらそれらの町を訪れてもやはり気持ちが沈むはずだけれど、ほとんどそうした気分に陥るということはないのです。そりゃまあそれらの町を歩いていてふいに暗い感情が押し寄せてくる場合もあるけれど、なお歩き続けるとすぐにそうした感情は消え失せてしまうのです。池袋西口では、かつても今も変わらず町を歩いている最中は途絶えなく憂鬱がぼくを見舞うのです。その不快な気分を振り払うためという訳ではないけれど、かつては映画館に逃げ込むように駆け込んだものだし、今ではそれが居酒屋に変わっただけのような気がします。一目散に逃げ込み先に身を置きたいから酒場選びにも選り好みする暇などありはしません。「ふくろ」「三福」なんかは店内に入っても池袋の町の空気をわずかに引き摺っているようでやはり憂鬱が継続してしまうので、なるべく避けるようにしています。残された選択肢は少なくて「大門」もしくは「豊田屋」ということになります。 いつの間にか閉店してしまった1号店ですが、2号店とともに「豊田屋 3号店」は元気に営業を続けています。それにしてもこの酒場いつから営業しているんだろう。ぼくがこの町を初めて訪れた時にはすでにあったような気がするし、その頃にはすでに現在とさほど変わらない程度に老朽化していたように思われるから戦後なのは間違いないにしてもヤミ市の解体(西口は昭和37年まで存続したそうです)前後から開店していたのではなかろうか。隣接して系列の店舗があるような酒場(大宮の「いずみや」、新橋の「まこちゃん」など)を見るとヤミ市の残滓に思えます。ともあれ色々と当たってみたけれど、ネット情報だけではその歴史に迫るのは困難なようです。池袋西口商店街や池袋西一番街というキーワードからも調べてみたけれど、正体は明らかになりませんでした。手っ取り早い方法としては店主に直接訪ねるというやり方につきるのですが、最も店主らしい雰囲気だった1号店の不愛想なオヤジは健在なのかすら定かでないし、2号店、3号店は多くの従業員が行き交うもののその中に訳知り風の者などおらず、そもそもとても声を掛けられない程に賑わっているし、忙しそうなのです。確かにこの酒場、以前から繁盛していたけれど、客たちの顔ぶれが明らかに変わってきたように感じられます。当時はオヤジばかりだったのが今では若い連中が増えているし、女性の姿も目に付くようになりました。1号店ではたびたび女性も見掛けましたが、残りの2軒ではほとんど見掛けることはなかったように記憶しています。まあ、かつてもそうしょっちゅう出入りしていたわけではないので、気のせいかもしれませんが。世間には若い女性がこうした酒場に出入りすることに眉をひそめる向きもありますが、ぼくは単純に喜ばしいことと思っています。さて、まあここではなぜかほとんど何を呑んだとか食べたとかいった記憶は残っていません。特別旨くもなく不味くもなく個性があるわけでもないけれど、わいわいと賑やかに呑むにはそんなことは大した問題ではないのかもしれません。今回は焼きそばを食べたことを記憶に留めていますが、きっと次回訪れた時にはやはりそんなことなど忘れているのでしょう。というか実は毎回のように焼きそばを食べていたりして。
2024/01/03
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池袋駅の北口エリアの変貌が著しい。チャイナタウン化が着実に進行しているようです。確かに訪れるたびに以前は見掛けたことのなかったような店舗が増加しているようです。でもまあ漫然と周囲を見渡しながらも呑みたい気持ちに後押しされて気持ちが逸っている限りにおいては、ニュース番組なんかで取り上げられるほどの激変が町を侵食しているとは思えぬのです。実態は驚愕すべき状況となっているのかもしれませんが。でもまあ今回書きたいのはチャイナタウン化の現況などではなく、中華料理店の集中するエリアの一画をなしている平和通りのことなのです。というのは、馴染みがあるといえばあるこの通りによもやこんな立派なサイトがあるなどとは知りもしななかったのです。池袋平和通り商店街https://ikebukuro-heiwadori.jp/江戸時代、このあたりが池袋村と呼ばれていた頃、新宿から板橋宿へ向かう街道がありました。古地図を確認すると、それが今の池袋平和通り商店街だと分かります。当時、道の四つ辻には、行き交う人の安全や街道で行き倒れた方の供養のために石地蔵が置かれていました(現在は重林寺に移設)。また、池袋の森に湧いていた湧水に石橋がかかっていました。このような歴史地理的由来も商店街として発信していきます。 へえ、そう聞くとこの古馴染みの商店街もそれなりの歴史があったんだなあとこれまで物騒なイメージばかりが優先していたこの通りにも愛着がわいてきます。またこの商店街を象徴する施設である池袋の森の来歴を知りいつか訪れてみたいと思うのでした。にしても加盟店舗一覧を眺めているだけでは、この通りが中華料理店に侵食されつつあろう事はとても窺い知ることはできないのでした。「太陽城 池袋」のあった場所には、以前「CAFE MA Maison」がありました。って実は入ったことはなくって、この通りにしてはちょっとシャレた感じの店だなあなんて思っていたけれど、この新しい中華料理店はかつての上品さはすっかり消し飛ばされてとんでもなくデーハーな外観を獲得したのでした。デーハーが昂じるとキッチュさを呈するものでありまして、キッチュな物件を好むぼくとしてはそれだけで入ってみようと思うに足る理由なのであります。店内も外観に負けず劣らずのギンギラ装飾で満たされていて気分までもがギラギラの高揚感に浮き立ってくるのでした。オオバコに7割程度埋まった客の大部分が中国人らしいことも異国情緒を漂わせています。でもこの内装では、中国人が多いといえど果たして中国風の情緒があるかとなるとこれは無国籍であるなあという結論に達するのでした。そんな店では日本語が通じぬ場合もあるようですが、こちらは幸いにも注文に関してはタブレット型タッチパネル式注文システムを採用しているので安心です。こういうオオバコ酒場だから可能と思うと、ぼくのような初心者にとってはありがたい。こういう店で知ったかぶりで闇雲にオーダーして痛い目に遭うのは避けたいですから。セレクションはじっくりと、でも同行者2名がぼくが望むような日本人にはキツそうな品には露骨に忌避感を示すので、思ったような注文はできなかったのが残念でした。こうした店に来るなら食に対して抵抗感の薄い人と来るべきでしたね。まあぼくにしたところで、たまたまヤバイ食べ物に関する本を読んでいるところだったので、日本で食用されることの少ない肉類、魚類、昆虫類などには見境なく食べるというだけの気概はなかったのですが。ところがなんでもないはずの水餃子を食べていると最初はそうでもなかったのが段々と何かいけない臭気を感知したのです。そうなるともういけない。どれを食べても見知らぬ食材からできてるんじゃないかと思えてくるのです。以前は好奇心の赴くままに、ぼくのゲテモノ耐性の範囲内であれば何だって食べてやろうと思っていたけれど、年を取って懐疑的になるとつい食品の安全性を懸念するようになってしまうようです。残り僅かの人生だから何だって食べてみようから、残り僅かの人生だから無茶をせずに過ごそうって気持ちへシフトしつつあるのかもしれません。
2023/12/27
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松平誠著『ヤミ市 幻のガイドブック』に池袋東口の戦後すぐのヤミ市の状況についての記載があります。もっとも、高等師範の学生星野朗が一九四六年に調査した池袋の場合には、東口ヤミ市の店舗二八五軒のうち、呑み屋や甘味屋を除く食べ物屋は、わずか二〇軒しかない。圧倒的に多いのは、やはり呑み屋の一二三軒。甘味屋も一六軒しかない(星野朗・松平誠「池袋『やみ市』の実態」『応用社会学研究』二五号、一九八四年)。 「池袋は、その点渋谷に似て、呑み屋中心のヤミ市だったということができる」と結論付けているように西口も含めて池袋の戦後は呑み屋を中心としたヤミ市から発展を開始したということのようです。東口では文芸坐2やミカド劇場のあるエリア、西口では東武と西口公園に挟まれたエリアに今でも辛うじてヤミ市の残滓を窺うことができます。東口にマーケットが誕生したのは、1946年頃からということですが、その歴史は短命であり、49年頃には閉鎖が始まり、50年代半ばにはほぼ取り壊されてしまったということです。そんなヤミ市の衰退を見守りながら開店したという酒場が今でも営業を続けています。 ジャンボ餃子で知られる「開楽」の創業は1954年ですが、その並びにある「大衆酒蔵 バッカス」は1951年創業と看板に記されています。「開楽」はすっかりモダンな店舗へと様変わりしましたが、「バッカス」は幾度かの改装はあったと思いますが、ぼくがこの酒場を知ってからはそのままの外観を保っていると思われます。でもこれまで10回程度はお邪魔しているはずなのに店内の印象が皆無なのです。なので、表からの見た目が変わっていないことは覚えていても店内のことはまるで覚えていないのだから不思議なものです。前回来て以来5年が経っているようですが、たった5年前の記憶すら思い出せないのは、ここで呑むのが大概それなりに酔っ払ってからやって来ているからということが大きいと思えます。何しろ駅から至近で利便性がいいから、ついあと少し呑みたいって時に利用することになるのでした。そんなだから店内の景色は案外平凡だなあ、値段は安くはないなあとか結構若い客で賑わっているなあ、特段品書きに変わったところはないのだなあといったことをいちいち再確認することになるのです。それでもまあ店の歴史が70年を超えているってことを思うと、やはりそれはかなり凄いことのように思えるから特段語るべきことがなくともまたいつかお邪魔するまで壮健であられることを祈念してしまうのでした。
2023/12/22
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自らそば打ちをする人に時折遭遇します。横着なぼくにしてみるとよくもまあ面倒なことを始めたもんだと感心してしまうのでありますが、一方でそうまでして彼らをそば打ちに駆り立てる理由が不可解に思えるのです。そうまでっていうのは,まずそば打ちするためには相応の道具を用意せねばなりません。その道具もそれなりの収納スペースを要するものだからそれを確保せねばならない。またこれらの課題を克服したとしても旨いそばを打つには当然に新鮮で良質なそば粉や水を調達する必要があるのでしょう。そして風味が消えるまでにはそれを実際に打ってしまわないとならないのだからそれを想像するだけで面倒になります。で、実際にそういう面倒をクリアしてしまう人たちが実際にどの程度の頻度でそばを打つかというと、これは全くの想像でしかないけれど、毎週ってことはないだろう。大概はそば打ちする自分を見せるために客を招く際、せいぜいが月に一度程度のことであろうと推測するのです。一度打ったっきりになってしまう人も少なくないのではないだろうか。たまに客を読んで打ったそばの出来が酷いと気分が萎えて二度とやらなくなるというリスクもあるし、仮に上手くいってもさすがにプロの職人の打ったものよりは見劣りするものだと思えます。それに負けじと研鑽を積むごく限られた人たちが発起して店を構えるようになったりもするんでしょうけど、それはごく少数派であるはずです。ぼくならどうしても美味しい手打ちそばが食べたいとなれば自ら打ったりせず、どこか定評のある蕎麦屋を訪れるのです。 でもまあ本格派の蕎麦店は何にしてもかなりの高額であることが多いし、メインがそばであると思うとそんなには吞めないからどうしても敬遠してしまいます。そばの盛りがごく少量であったとしても結構な高額であることがほとんどでありますので、滅多には訪れない。行くのはあくまでご馳走に慣れることが前提で、加えて呑みはここでは控えて、次なるお店で本腰を入れて呑むことになります。こんなチャンスが到来しました。連れて行ってくれたのは翌日に健診がある知人だったのです。お邪魔したのは、「小松庵総本家 駒込本店」です。その開業は大正11年に遡り、各種の書籍や雑誌などでも紹介されているらしく、レジ台にはそうした雑誌や書籍が並べられています。初めて知ったのですが、村上春樹著『ノルウェイの森』にも登場しているそうなのです。ここ駒込本店をはじめ、銀座、新宿高島屋、丸の内オアゾとソラマチという一等地に店舗を構えているというからなかなか立派なお店のようです。駒込の本店は六義園の手前にあって、通常の蕎麦屋とは一線を画した面構えの店舗となっています。ギャラリーだったりライブスペースとしても用いられているようです。店内もまたゆったりした空間でいかにも高級な雰囲気です。眺めると他のお客たちも小金持ちっぽい数グループがいて、食事というよりは呑みを楽しんでいます。呑みを禁じる知人はすでにそばを目の前にしていました。ぼくには呑んでというので遠慮なく呑ませてもらいます。肴は申し訳ないので板わさのみ。まあこれだけあればそれなりに呑めますから構わないのです。さすがに高級店のカマボコは美味しいものだなあと高級ってイメージがあるだけでも高級に思えるのです。まあ実際に高級でないと高級志向の人は食べに来ないような値段だから、ぼくが美味しいと思ったのは間違いではないはずです。そばもまあ納得の美味しさでありました。これはさすがに日曜そば打ち職人では出せない代物であるはずです。でもどうしてなんだろうなあ、こういう高級そば店ってのはいくら食べても後で物足りなく感じてしまうのです。まだぼくはそば屋呑みができる程に枯れ切れてはいないのですね。
2023/09/29
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ぼくは、子供の頃は日本各地を転々としましたが、大人になって東京で生きていくことを決めてからは、一歩も東京から出ていません。人生の半分以上を東京で過ごしてきたということになります。でも未だに人混みは息苦しさを感じるし、駅名を聞いても路線や立地が曖昧な土地も少なくなくて今でも道に迷うことがあったりします。まあ、似たような境遇かつ同じような感覚の持ち主はいくらでもいそうではありますが、まあそういうことなのです。つまりは、東京で暮らすことはぼくにとって必ずしも快適ではないし、それほどに愛着も抱けていないのです。今、住んでいる町はこれまでそれなりに歩いて見てきた東京の中にあっては、ぼく好みではあるけれどそれですらどことなく居心地の悪い思いをしているのです。叶うことなら、もし仮に定年後に隠居生活を決め込むことができるのであればそうしたいと思わなくはないのです。って書こうと思ったのはこんなことではなくて、都内で愛着を抱けそうな場所のことを書こうと思っていたのでした。でもそれを考え出すとキリがないから今思い付いた場所としては、池袋、というより正確には雑司が谷は静かで田舎っぽくて好きです。あと、その近隣では池袋駅西口の立教大学や自由学園明日館のある西池袋2・3丁目の辺りも良さそうです。駅近の1丁目だとちょっとガヤガヤしてるかな。それと実際に住むのは難しそうですが日比谷界隈もいいですね。ってあり得ないことを書いたのは日比谷で創業したバーが西池袋1丁目に進出していたということを書こうと思ったからなのです。いかにも無理のある筋書きでありました。 1990年に日比谷に創業、現在は四谷、神保町、新宿東口、池袋にも店を構えている「日比谷 Bar 池袋1号店」にお邪魔したのでした。1号店とあるからまだまだ店舗を増やすつもりなのでしょうか。系列のバーも数多く展開しているようです。池袋の人気老舗酒場の「ふくろ」のそばにこのバーはあります。地下へもぐる狭い階段を下るとスタイリッシュとまではいわぬまでも余計な装飾を極力排した端正な空間が広がるのでありました。こういうすっきりした空間ではそこで呑んでいる人たちこそが風景として機能しているのだろうなあ。でも残念ながらぼくは卓席にカウンター席を背にして腰を下ろしていたので、目の前に広がるのはつまらない景色だけとなるのです。それにしてもお客の入りがかなりのもので、ちょうど目前で出ていかれるグループがあったから良かったものの危うく入りそびれるところでした。池袋という町にはオーセンティックなバーがそう多くないからこうした本格的な感じのお店は特に女性たちに好まれるのかもせれません。気になった点を2点。店内に薄っすらと異臭が漂っていたこと。臭いの出所は不明ですが、何かツンとくる臭気が鼻を刺してきました。さらには各カクテルの味が今一つに感じられたこと。特にスイカのカクテルは夏っぽくていいなあなんて呑んでみたけれど、どうも美味しくないのです。ちゃんと味をみて確認しているのだろうか。それとお通しの乾き物がやたら量が多いところです。こんなのいらないからもうちょっと値段を下げてもらいたいなあ。ぼくの印象ではコチラの商品はまずまずおいしいとしてもそれも見合った酒やさーしすには至っていないように思えたのです。
2023/09/20
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西武百貨店、特に池袋西武はこの先どうなってしまうのだろう。そのことが気掛かりで仕方ありません。この文章を書いているのは現時点で身売りをすることはほぼ決定事項で揺るがしえない事実のようです。明日(8/31)には、そごうと西武の連合の労働組合がスト決行を予告しているけれど、その効果は極めて悲観的なものになりそうです。ストなんてのはもともと企業体力があるからこそ成立しうるものであって、もはや組織が見放した部門がいくらストを叫んでみたところで、せいぜいが町で知られた程度のやんちゃなガキが○口組組長に喧嘩を売っているようなもので、いっかな影響を及ぼしはしないのだろうなあ。いずれにせよ時すでに遅し、俎板の鯉にほぼ等しい状況であるように思われます。池袋西武は、聞くところによると新宿伊勢丹、阪急梅田に続く日本で三番目の売上げを誇っているらしいのだが、それにも関わらず閉店の影が忍び寄っているというのは想像以上に百貨店という業態が終焉を迎えつつあることの証左ともいえそうです。ちなみに日本百貨店協会に加盟する百貨店数は1999年に311店舗が存在したが、今年の4月時点で181店舗に減少しているというのだ。百貨店の相次ぐ閉店は、時代の趨勢だから仕方ないと片付けてしまった済む問題ではなく、嘆いてみせたり避難してばかりいるだけじゃなく利用者サイドからのより積極的な利用拡大に向けた働き掛けが必要と思われるのです。などともっともらしいことを書いてみるけれど、百貨店が百貨店である限り、万貨店、億貨店の様相を呈するネット販売でありますが、彼らもまたそれぞれのアイデアを投入し、数多の競合店と生き残りを賭けた熾烈な争いを経ていることを思えば、百貨店側にもそれに劣らぬ創意工夫と覚悟とが求められているのかもしれません。 とそんな池袋西武の飲食店街にある「ブラッスリー ル・リオン(BRASSERIE LE LION)」にやって来ました。百貨店が一つの町と見做す見方がありますが、確かに高級ブランド品店が立ち並ぶフロアーは、各店舗がきっちりと区切られるとともにブランドイメージに沿った外観、内装を施され、各店舗を繋ぐ通路も豪奢な絨毯敷だったりもする訳ですが、他のフロアーは、大概がとても町とは思えぬようなホームセンターなどとさほど変わり映えせぬ退屈な景観に留まっているように思えるのです。例えば地下の食料品フロアーを市場風の景観に改装したりいっそのこと菓子売り場のディスプレイを店単位ではなく、サバランだったりブランデーケーキといった菓子の種類別に陳列するなどして斬新な景観をもたらして欲しいのです。そうした意味では池袋西武の飲食店街のブラッスリーはテラス席もあったりしてそれなりに店舗内の町といったイメージを反映させることに一定程度の成功が認められるのです。残念なことにテラス席からの眺望はスポーツ用品店が広がっているばかりで、物足りないのです。パリの屋外風景をプロジェクターで投影するなどの工夫もあっていいかもしれません。幸いにはここに来るといつも店内に案内されて、ここの内装はこうした日本のビストロのパリっぽい雰囲気にありがちな張りぼて感が希薄なのです。この夜は知人ら4名と訪れましたが、いつもと同様に楽しい時間を過ごすことができました。前菜の盛合わせは少しばかり安っぽく思えますが、豚のパテやリエットでバゲットを摘まみつつ呑むワインはいつもより吸い口よく胃に収まるのでした。ここではコースにプラス千円で牛ほほ肉の赤ワイン煮や牛サーロインステーキに変更ができるのですが、ぼくはブラッスリーであればステーキ、添えるのはサラダも可能ですが、フレンチポテトを選択するのが正解だと信じて疑わないのです。デザートのアイスクリームを添えた桃のタルトまで存分に楽しめました。
2023/09/06
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東京の都心部っていいますが、その正しい定義は分かりませんが、ぼくの印象では山手線の内側と外苑から直径100m前後程度じゃないかなあなんて思っています。それはともかくとして都心っていうから大都会の印象がありますが、(ぼくのぼんやりとした定義の)都心といっても閑静な住宅街も少なくありません。というかむしろ地域によってはオフィス街だったり、公園や皇居なんてもあって夜になると暗い場所も案外少なくないのです。東京は大都会と言われるけれど、案外鳥瞰して夜間に眺めると暗いエリアの方が広いんだろうなあ。まあ、山手線の内側がみっちりとビルで埋まっているなんてのはゾッとしないですけど。雑司が谷もそうした静かなエリアの一つです。まだしも目白通り沿いにはちらほらと夜間も営業している店舗がありますが、遅くまで営業している店は僅かです。そもそも純粋な居酒屋そのものが指折り数える程度しかないのだから外呑み派には厳しい町なのです。でもぼくはこうした砂漠の中のオアシス風なポツン酒場が大好きです。物珍しさということも無論あるけれど、それ以上にどうしてこんな寂しい場所で酒場を始めようと思ったのだろうか、こうした酒場に訪れるのはどういう客たちなのだろうとか想像力が掻き立てられるのが楽しいのです。 この夜お邪魔した「酒菜 ゐとう」はそこまで僻地めいた場所にある訳ではなく、公共交通機関の2駅から至近にあるからある意味ではとても便利な場所柄なのであります。東京メトロ雑司が谷駅と都電荒川線の鬼子母神前電停の2路線からアクセス可能であることがどれ程の利便性の高さとして評価されるかは個々人の判断に委ねるしかないけれど一般的な意味では明らかに好立地であります。この界隈には比較的馴染みがあるから実は強烈な坂道があったり、それを下らないとそこそこの規模のスーパーマーケットもないから住民の方たちはちょっと不便かもしれないなあと思ったりするけれど、ミニスーパーなんかもあるから案外住めば都なのかもしれません。ともあれこのお店の存在は当然以前から知っていたのでありまして、それどころか一度はお邪魔したことがあるんじゃないかとも思っていて、たまに通り掛かると立ち寄ってみようかと思っても入った気がする割にはいい印象がないから結局スルーしてしまったのです。でも最近になってどうも入ったことがなかったよなあと思い過去のメモを調べてみたらやはり訪れていなかったみたいです。確かにこうした小ぢんまりした小奇麗な居酒屋は数少ないこの界隈の居酒屋の特徴かもしれません。さて店内に入ると外観同様にこざっぱりしています。卓席が並んで奥にカウンター席があります。7割がた埋まってますね。カウンター席は常連のベテラン勢揃いで、ちょっと敷居が高いけれど気後れするとカッコ悪いから堂々と空席に着くことにしたのです。皆さん、この界隈の顔馴染みで消防団の人たちだったりが賑やかに盛り上がっています。もっとひっそりしたお店を想定していたのでちょっとびっくり。でも案外こういうの悪くないです。店の雰囲気と同様にお通しも上品です。こういうさり気ないお洒落な肴ってたまには悪くないですね。チキンピザ(?)っていうのがあったから何となく頼んでみるとしばらくして出てきたのは鉄板で焼いた鶏胸肉にトマトソースとチーズがたっぷりといったシロモノでした。正直、家庭の味だなあと想定していたクラウトのピザではなかったことにガッカリしたのですが、食べてみるとこれが悪くないのです。タバスコをバカスカかけて食べてしまいました。居酒屋ではまず頼むことのないワインなど所望してしまいました。なかなか再訪の機会は難しそうですが、ここは一人より二人でお邪魔するのが良さそうだと思いました。
2023/08/14
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大塚のことも書き尽した感があるけれど、初めて大塚を訪れたのは随分昔の事ではあるけれど、都内も各所を巡った割には実際に訪れたのはかなり後になってからの事だったように記憶しています。ぼくの都内巡りはもともとは映画館をハシゴするおまけのようなものだったから当時すでに映画館がなかった大塚には積極的に訪れる理由などなかったからです。初めての頃の印象はほとんど覚えていませんが、ブックオフの入るビルの屋上にバッティングセンターがあるなあと思ったことが朧気に記憶に残っています(といってもどちらかといえば山手線の車窓から眺めた映像が記憶にあるのですが)。聞くところによるとこのバッティングセンター、昭和40(1965)年開業の日本最古のものだったそうです。過去形としたのは去る6月30日に58年の歴史に幕を下ろしたそうで、ぼくの必ずしも長い訳でもない人生においては失われるものの方が多くなってきたようで物悲しい気持ちになります。 とはいえ呑みに行こうって時にそんな気持ちなどさらならないのであって、一目散に酒場へと駆り立てられるのだから、感傷などというものはどこかしら心の弱った際に発露するものでしかないようです。この夜は古馴染みの二人と久々の呑みです。一人が大塚が最寄りということで否も応もなく応じることとなりました。まあ、近頃は大塚に立ち寄ることすら億劫になっていたので、こうしてぼくにとってアクセスしやすい場所に集合することはまずまず歓迎すべきことなのです。でも酒場まで指定されるとは思っていませんでした。まあ、いつもぼくが好き勝手に店を決めるのでたまには言いなりになるのも悪くないかなって思い直したのです。でもよりによって連れてこられたのが「居酒屋 江戸村」とはなあ。角海老のボクシングジムの並びにあって、なぜか通りからわずかに奥まっているので暗い印象でなんだかちょっと危うげな酒場のような思えます。ぼくも随分以前に一度お邪魔していますが、あまりいい印象は抱けなかったように記憶していました。でも実際に訪れてみると店内はきれいだし、かなりのオオバコで結構、賑わっていて、むしろ健全で活気のあるお店でした。陰惨なムードのオオバコ酒場ってのを何度か経験していますが、それはそれで恐怖映画の一部に入り込んだみたいで曰く言い難い魅力があるものですが、今回はグループで来ているからこれ位に賑わっている方がこちらも心置きなく会話に花を咲かせられるというものです。さて、大塚住民がここにわれわれを誘った理由は、単に金欠気味というのが理由でありまして、確かに全般に安価で悪くありません。大塚って駅周辺が呑み屋と食い物屋と風俗店といった欲望の対象ばかりをギュッと詰め込んだような町なのでお手頃かと思いきや実際には案外お値段の張るお店が多いのが実態だと思います。そういう意味では涼しくて広々とした環境でゆったりと呑めるこうしたお店は貴重かもしれません。ってゆったりしすぎて一人の終電時間になってしまいました。結局彼は池袋駅で差し迫っていたトイレにも寄れず東武東上線で慌ただしく帰途に就いたのでした。1時間近くあるけど我慢できたんだろうか。
2023/08/11
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山之口貘に「池袋の店」という短いエッセイがあります。山之口貘といってもご存じのない方が多いかもしれません。沖縄出身の詩人でわずかに4冊の詩集のみ発表して亡くなっています。ぼくは、文学にはとんと感性が鈍いということもあって若い頃には、とにかく理解の及ぶ及ばざるに拘わらずひたすら浴びるように活字と向き合った時期がありました。とりわけ読めなかったのが詩でありまして、当然ながら今でも詩というものの良し悪しがどうにも理解できないのです。ともあれ良し悪しは分からぬにしても好き嫌い程度のことを解する感性は持ち合わせていて当時活字を追うというよりはページをめくることを読むと感じ始めた頃にこの詩人の作品に接しています。正直特別な興味を抱くことなくこれまで過ごしてきたのですが、たまたま目にした「池袋の店」が読んでいてとても親近感を抱いたのです。といってもゆうれい横丁があったことすら知らぬし、泡盛屋の「さんご」や「平田屋」「おもだか」といった酒場も知らない、珈琲店の「小山珈琲店」「スター」「象の子」も同様です。辛うじて西武百貨店、三越、本屋の「芳林堂」、泡盛屋の「おもろ」のみ知っているし、よく利用もしたものですが、今では西武百貨店を残すのみでその存続すら危ういような話も報道されています。山之口は「池袋は、いま、時々刻々に変貌しつつあるのだ」と書き残していますがこれが執筆された1953年から70年の時を経ても池袋は日々変化を被り続けているように思えます。 そんな池袋にあって「うどん処 硯家 本店」は、2000年9月のオープンとのことだから間もなく23年ってことかあ。この地で4半世紀って考えるとなかなかにすごいことのように思えます。けど、ここ開店当初から知ってるけどちっともそんなに長くやってるように思えないなあ。年を取るとともに実感というのが希薄になっているように思えます。何年、何十年振りで知人と再会しても多少は久し振りだなあなんて緩い感慨はあるけれど、切実なまでの感動は得られないような気がします。以前、「あの人に会いたい」なんてテレビ番組があっていつか有名になってあのコと再会してやろうなんて野心を胸に抱くなんてこともあったかもしれないけれど、今となっては付き合いが切れてしまった人は仕方ないと思うし、切れずに付き合いのある人は会ってもちっとも互いに変わっていないなあなんて思ったりするから何だかそれはそれで逆に切ない気持ちになるのです。それはまあどうでもいいことで、ここのお店なんだかちょっと以前と様子が違います。以前と違ってるなあって感じた点は実は入った時点で分かっていて、お客の入りがとても良くなっていたのです。たまたま1卓空いていたから良かったようなものの、危うく入り損ねるところでした。他所ですでに呑んで70歳になろうとするオヤジさんを連れていたので、ここがやってなかったらどうしたものかと途方に暮れたところです。美味しい肴で呑めて最後に軽く〆の品がある店がいいなんてリクエストされて最初に思い浮かんだのがここだったから入れないことを想定しない程度に寄っていたのです。すでにそこそこ呑んでいたので冷奴に油揚げを肴にチビチビとやります。ここは酒類もお手頃でいいんですよね。で早速〆ですが、実はこの時点で結構満腹していて二人でうどんをシェアすることにしたのですが、注文した肉うどん、互いに満腹だなんて弱音を吐いておきながら奪い合うようにして食べてしまったのでした。本場讃岐で修業されたそうですが、讃岐うどんともまたちょっと違った感じのねっとりと口中に絡みつくような麺の食感を久し振りに楽しみました。
2023/08/04
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ひと頃、山手線(に必ずしも限ったことではないけれど)全駅で各駅の近場の酒場をそれなりに納得のできる程度に巡ってこの駅ならこの酒場に行っておけば間違いがない、ってなリストを作ろうと思い立って、コツコツと巡ってみたけれど、当たり前のことであるけれど、優良な酒場があるのは大概の場合、数多くの酒場が寄り集まる地域に偏るのでありまして、酒を呑むことを目的とすることが稀な駅周辺にはどうやっても優良酒場は発生しにくいもののようであることを予想はしていたけれど、しっかりと体験してそれはまあ真理であるなと思うに至るとわざわざそう無理するまでもないかなという結論を出したのでした。でも酒を呑みに行くという目的以外で山手線の普段利用することの稀な駅に降り立つこともあるのです。先日、目白駅に下車したのは駅舎を出て横断歩道を渡った先にある「トラッド 目白」なるショッピングモールの地下にあるクイーンズ伊勢丹で買いたいものがあったからなのです。和菓子好きならきっとご存じであるに違いないとあるお菓子が入荷されることを知ったからなのです。もったぶらずに書きますが谷中岡埜栄泉の浮草がなんとここで入手できるらしいのですね。以前は新宿高島屋の諸国銘菓で確か買えたはずだけれどいつの間にか取り扱いをやめてしまったようです。そんなに好きなら谷中に買いに行けばいいじゃんってなことを言われそうですが、営業時間が9:30~17:00頃までと仕事帰りに寄るには、いかにも厳しい時間帯であります。しかも「現在時短営業中の為14時頃で終了しております。」との記載もあります。月水曜日が定休とのことだから土日祝日にでも行けば良さそうなものですが、近頃の谷中の混雑を思うと日中に近寄ることはできることなら避けておきたいと思っても不思議ではないのです。https://www.yanaka-okanoeisen.jp/ とまあ目白の酒場とは全く関係のない話になってしまったがやっぱり美味しいなあ。この菓子、中毒性があって時折無性に食べたくなるのです。面倒がって最近はめっきり買えず禁断症状が出掛かっていたところにこの入手方法を知ったから即、目白に向かったのです。目白はぼくにとって比較的アクセスしやすい場所だし、何より人混みがないところが魅力なのです。 久し振りの目白吞みに興奮するかというとそういったことは一切なくて、久し振りだから目白唯一(だと思う)の大衆酒場と呼ぶにふさわしい「鳥八」に行ってみるのもいいかな、それともちょっと贅沢して「秋田料理 五城目」もありかななんて思ってみたけれど、結局以前見掛けていた「やきとん en」にお邪魔することにしたのでした。日も暮れかかった目白通りの裏路地にたった一軒煌々とした明かりを灯す様子がなかなか悪くないように思えたのです。ところが店内はほぼ満席でこりゃダメかと思ったらカウンターに一席のみ空きがあり入れてもらうことができました。品書きを眺めると、おやおや目白だからちょっとお高いことは覚悟していたけれど、かなりお高いではないか。まず酒を注文せねばならないが酎ハイが480円とはこうしたもつ焼き店としては、ちょっとどうかななんて思ったりもする。ぼくの想定だと400円を見込んでいたのだ。でも嬉しいことに梅割りがあるではないか。焼酎の水割りやロック、炭酸割りもあるが、これらを注文するのはそれなりに気合を要するのだ。酎ハイをチェーサー代わりに梅割りを呑むことにしよう。店の人にいかにもケチ臭い奴と思われるのが嫌とはいささか小心に過ぎると思わぬでもない。加えてやきとんが150円からとあり、これはその程度取られても仕方なかろうと想定してもいたのだが、お隣の串をチラ見するといかにも小振りであります。しかしやきとん屋に来てやきとん食わぬは道理が通らぬのである。やきとんが出るまでに煮込みなどちょっとしたつまみをもらうべきとも思ったけれど、酒の値段を見てしまうとここで煮込みなど頼むと3杯で済ますつもりが4、5杯となり想定した予算をオーバーしてしまう。やきとんで呑んで2千円以上は払いたくない。計算では酎ハイ1杯、梅割り2杯、やきとん4本でちょうどその程度になるはずだ。ということで4本を厳選して注文。カシラ、タン、シロ、アブラを頼んだと思います。これは旨かったなあ。というか久々にちゃんとしたやきとんを食べた気がします。近いうちに納得価格で納得いくまでやきとんを食べたいと思わせてくれたからこの店に来た価値はありました。にしてもこの界隈の客たちは飲み代に少しも出し惜しみしないのだなあ。というかぼくがケチ過ぎるのだろうなあ。
2023/07/28
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日本でも近頃は国産の米?がじわりじわりと普及を始めているけれど、まだまだアジア各地で食べられている程には一般的な地位を獲得できていないようです。とか書くとさもアジア圏における米麺文化に造詣が深いかのような書きっぷりでありますが、そういったことは毛頭なくって、ぼくの知っているのはビーフン、フォー程度であって、それすらごく稀に食べる程度で馴染みの麺とは成り得ていないのです。どちらも好きではあるのですが、他の麺類に比較すると食べる機会はかなり少ないのが現状であります。その理由を考えてみたのですが、そばやうどんは具材が豊富なものもあるにはあるけれど、基本的に麺とスープないしタレがあれば食べられます。準じてパスタや中華麺もそれなりに具材を加えることが多いけれど、かなり具材を絞ったほとんど麺とソースから成るレシピもあるにはある。でもビーフンやフォーで具ナシってのはどうも思い当たらない気がするのです。実際、ベトナム料理店なんかで食べるフォーとかビーフンってあれこれと具材が入っていることが多いように思われます。いやまあ、たまたまそばが家にないけどどうしても麺料理が食いたいってなって、食糧庫を探ってみたら米麺があったとしたらざるフォーとかかけビーフンを作ってしまうかもしれないし、案外食べてみたら旨かったりするのかもしれません。って書いてるうちに何だかよく分からなくなってきたので唐突に本題に踏み入ることにするのです。 大塚駅北側の「饞嘴巴 台湾無骨香脆鶏柳」にお邪魔しました。なんちゅうか外観はごちゃごちゃといかにも台湾の現地にあっても不思議じゃない構えですが、店内はこれまたもしかするお現地スタイルを踏襲しているのかもしれないけれど、ぼくの目には昭和の終わりごろのオシャレカフェ風のどこかダサ懐かしい印象だったのです。日本人とそう違わないけれど、やはりどこか日本人とは違うことを確信させる恐らくは台湾出身の若者たちがそれなりの人数入っていました。確証もなく現地の人と決めつけてはいるけれど、現地らしき人たちで盛況なお店であれば間違いのない気がします。仮に美味しくなかったとしてもそれは店の味が悪いセではなく自身の味覚と合わなかったことということで自分を納得させられます。この日は昔馴染みと3人で会うことにしていましたが、勤務先が全く別なので三々五々に集まる音にしていました。なので、まずはチキンスティック、ポテトフライに鶏の唐揚げとドリンクが付いて1,100円のセットを頼んでゆっくしと始めることにします。揚げ物はまああり触れた味ですが、でもよく味わうと少しだけエスニックな気もして美味しいですね。ってかまあこういうジャンクなスナック風のさえあればぼくはそれだけで延々と酒を呑めるのです。でも周囲の連中は煮込んだ肉のぶつ切りだったり茹でた肉のぶつ切りだったかに加えて何やら麺類をすすっておるのです。それがいかにも旨そうなのです。なのでつい牛肉入りの麺を頼んだのですが、これがどうやら米麺のようなのです。調べると台湾には幾種類も米麺があるらしくこれはどうやら見た目には、台湾語で「米苔目(米篩目)」(ビータイバッ)というもののようです。これがまた旨いのですねえ。スープや具材の牛肉が旨いのはもちろんのこと、やはり米粉で作ったらしいちょっとむっちりもっちりした麺が実によく合うのです。これは確かにたまに食べたくなる。特に生まれてから馴染んできた現地の人は定期的に食べたくなるだろうなあと思うのです。狭い店舗なのでそうは食べられませんが、もうちょい人数を増やしてもっと色んな種類を食べてみたくなりました。
2023/07/19
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ことさらに酒場に限った話でもないですし、語るのが億劫な位に自明なことでもあるのですが、店というのが人によって成り立っている以上は意気揚々と開店する店もあれば閉店に追い込まれる店もある訳です。前者にはさほど感情が高まることもないけれど、後者の場合には絶望的な悲嘆に暮れてしまったりするのです。ぼくは、人間の誕生がもたらす喜びに対するエモーションの高まりが希薄なのに対して死者への追悼の気持ちが圧倒的に根深く巣食うのです。それは自分が死へと着実に歩を進めているからかと想像してみたけれど、どうやらこの感情の有り様は子供の頃からそう変わっていないように思えます。死だったり失われゆくことへの恐怖に慄いていたわけです。今ではそれを恐怖とは感じなくなりましたが、もっと切実な近い将来の出来事として漠然とした不気味さが頭から離れなくなったりするのです。まあ、かなり俗な考えではありますし、死を語る人の誰一人として死んだことなどないのだから考えたところで無駄なのかもしれませんが、答えなど出しようもない死について思いを馳せざるを得ないのが人間なのかもしれません。なんて不安にも似たような感情をいだくのであればならばいっそのこと失われつつあるものに近寄るのをやめてしまえばいいじゃないか。すっぱりと酒場巡りなどやめてしまえば多少は健康面も財政面も改善するだろうと思わぬでもないけれど、この思い切るというのが案外難しいものなのです。筋トレなどのように始めるのは億劫でもやめるとなると簡単な行為もあります。年末年始位は休もうと自分を甘やかあしてしまいそのままになるなんてことは散々経験しました。逆に酒場巡りと同様に入口の敷居は低くとも出口の扉を開け放つのに難儀することもあります。映画を捨てると決心するのには涙なくしては語れぬ程の未練と葛藤で満たされた逸話がありますが思い出すのも辛いのでそれを詳らかにはせぬことにします。とにかく失われつつあるものに魅せられる感情が変わらないのだから仮に酒場巡りを放棄したところでまた別の何事かに捉われて生きていくことになるのだろうなあ。 などととても読み返す気になれない厭世的な文章を書きましたが、酒を呑めばそんなことは消し飛んでしまうから酒に溺れる人がいるのも分かるというものです。ってまあぼくがそこまで深刻な状況に陥っていると思われちゃうと事実とかけ離れ過ぎてしまうので、ここまでの文章はひとまずご放念いただきたい。駒込駅東口を出てすぐ、アザレア通りを進んですぐの場所に入口が2か所ある焼鳥店があります。いや、つい先達てまであったはずですが、どうしたものかそこは「BAR SPICE17」なるお店に変貌を遂げているのでした。特に気になるお店ってこともなかったのですが、折からの悪天候で散策する気力もなかったので特に同伴者と互いの意思を確認するまでもなく自然とお邪魔することになってしまいました。こうしたカジュアルなタイプのバーというのはぼくが寄り付かないタイプの酒場の典型です。その理由をちょっと考えてみるのですが、恐らくはこうしたお店の客層は若者が主体であるからだと思うのです。どうも偏屈なオヤジであるぼくはより偏屈なジジイたちの方がウマが合うのです。何度でも言いますが、今のぼくは若さなど微塵も羨ましいなどとは思えないのです。店内の造りそのものはかつてと同様で入口もやはり2か所のままですが、所狭しと並ぶ酒瓶などかつての風景とは全く違って見えます。何より違うのが客層がやはり若かったことです。それでも店主はぼくよりもちょっと世代は上なのかなあ、この方の存在が店の雰囲気に多少なりともアダルト要素を添加してくれているようです。おやおや20時まではサワー類はお手頃なのねと早速オーダー。カウンターに腰を下ろすとかつての焼鳥店の印象は薄まってカジュアルなショットバーの光景と変化して感じられます。ドリンクはいつものウーロンハイ(いつもと書きましたがコロナ拡大以降はウーロンハイを呑む機会も格段に減ってしまいました)ではありますが、ミックスナッツなんかをちまちま摘まんで呑む感じはぼくのイメージするところのものです。店主ってかこういう店ではマスターと呼ぶべきか、彼の話によるとここを初めてもう2年(?)になるって話だから、その間何度もここを通過しているのにどれだけ自分の目が節穴だったかを思い知らされるのでした。
2023/06/28
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前回、駒込にはカウンター主体の大人な雰囲気の小料理屋が多いと書きましたが、こういう店って確かに悪くないなあなんて思ったのですが、同じ店でも状況次第では居心地悪く感じられることがあるってことを今回は書こうとお思っているのです。ってまあ特段面白味のある話でもないし、むしろ何度も似たようなことばかり書いてしまって誠に恐縮至極なことです。同じような愚痴ばかりをお聞かせするのは申し訳ないからちょっとばかり蘊蓄を語ってみようと思うのです。このように同じ話を何べんもすることをかつては洗濯話っていったそうなんですね。って物知り顔をしてみせたけれど実のところは正岡容著『明治東京風俗語事典』が元ネタなんですね。でもふと疑問に思ったのが何度も同じ話をすることがどうして洗濯話になるのかってことです。ネット検索してもほとんど理解に繋がる答えが見当たりません。ようやく見つけたのが以下です。weblio辞書https://www.weblio.jp/content/%E6%B4%97%E6%BF%AF%E8%A9%B1「洗濯がくりかえしくりかえしもむのと似ている意。」だって。何か冴えないですね。繰り返しであれば輪廻話でも食事話でも用便話だって構わないじゃないの。この説の出所となったのは、どうも『尾上松緑百物語』辺りかと思われるのですが、https://www.amazon.co.jp/%E5%B0%BE%E4%B8%8A%E6%9D%BE%E7%B7%91%E7%99%BE%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E9%A2%A8%E3%80%85%E9%BD%8B%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%89%E4%BB%A3%E7%9B%AE-%E5%B0%BE%E4%B8%8A%E8%8F%8A%E4%BA%94%E9%83%8E-ebook/dp/B07HDLBPK3上記の記載を読むと「初代松緑が「尾上松緑洗濯話」(文化十(一八一三)年六月・江戸森田座)ろくろ首が評判となり大当たりを取ったときに、楽屋で催した百物語……」と何とも文章の体裁をなしていない記述があるばかりで、確かめようがないのです。いや確かめようはあるけれどそこまでの興味をそそる話ではなさそうです。 とまあ益体もない話をしてしまいましたが、この夜は駒込のアザレア通りの裏手にある通り、ここには数軒の呑み屋が店を構えているのですが、そのうち未訪かつ最近開店したばかりらしい「晩酌 ゆう」にお邪魔することにしました。明るい女性店主が応対してくれます。先客は2名の男女です。先生と呼ばれることを嬉々として受け入れる男性と客あしらいの上手そうな色気のある女性でした。いずれも馴染みの方のようですが、女性客が先に帰ると店主にしきりと語り掛けるのですが、その後若い男女のカップルが来ると今度はその女性にばかり気を遣るのです。いやまあいいんですけどね、あまりにあからさまに女好きってのもどんなもんかと思うのですね。相客(隣り合わせた客のことを昔はこういったようです、って断るまでもないか)次第で店の印象もガラリと変わるものです。さて、一番手頃な焼酎水割りを注文します。お通しはマカロニサラダときのこの煮付け、いかにもちょっぴりですねえ。おつまみメニューは簡単な品ばかりで、はんぺんチーズとチキンナゲット。これまた市販のものを焼いただけのようです。まあ、それはそれでいいですが、思わず原価との差を意識してしまうのです。先般の駅前のお店も簡単な肴の提供が基本となっていましたが、一品一品にしっかりと吟味した食材が提供されるので少々量が少なくてもそれだけで十分に小料理屋の体裁をなしていましたが、こちらはいかにも等閑な印象が拭えませんでした。店主の人柄と店のコンセプトはいいと思うのですが、それに実態が追い付いていないようで、今後の健闘が期待されるところです。
2023/05/08
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吉田健一氏に「飲む場所」っていうエッセイがあります。氏はこの短いエッセイの中で以下のように記しております。-- しかしそれよりも我々にとって欲しいのは、昔並にうまいものを安く食べさせてくれる飲み屋風の、あるいはせいぜい小料理屋風の店である。東京以外の場所ならば、それが既にどこにでもある。そして東京ももう一度そうなったら、その時こそ我々は戦後の闇市の時代が東京でも終ったと考えていい。-- ふうん。氏のお眼鏡に叶う店ができたら東京の闇市の時代が終焉を迎えるんですね。「昔波にうないものを安くたべさせてくれる」とあるけれど、昔ってホントにそれほどうまいものがあって安かったんだろうかという疑問が湧いてくる。「東京以外の場所」であればそうした店はどこにでもあるそうだから、そこまで手広くは足を延ばしてはいないけれどぼくもそれなりに日本各地の飲み屋風だったり小料理屋風の店には赴いているけれど、それらに比して特段に東京のそうした店が劣っているようには思えぬのです。氏の時代より東京の店の質に向上が見られたということでしょうか。それとも当時よりも東京以外の場所の店の質が下がったということでしょうか。もしくはそもそもとしてぼくの知る店が氏の記すところの店とはレベルが違っているということなんだろうか。と、ぼくは吉田氏の文章を愛好する者であるという自負を抱いていますが、時折、文章というよりはその内容で首を傾げざるを得ないようなことがあるのです。この一節にしても最初の文章自体は非常に合点のいくものでありまして、大いに納得のいくところですが、以下については、同意できる内容ではないのです。氏には時折文章の勢いで思っていない放言を記してしまうところがあるように思うのです。そんな場合はいいとこどりだけして、納得できない箇所は素通りしちゃえばいいと思うのです。とまああれこれ書きましたが、駒込には駅の近くにちょっとした小料理屋風の店がちらほらあって、ぼくには予算的に厳しいけれどたまにはいいかななんて思ったりもするのです。そんな一軒にお邪魔しました。 お邪魔したのは駒込駅東口を出てすぐ、アザレア通りの入口にある飲食ビルの1階にある「お蝶」でした。ところで、全く話は変わりますが、この夜はO氏と合流したのですが、駒込駅ってほぼ直線の島式ホームのほぼ両端に改札口がある造りとなっています。アザレア通りに向かうことは決めていたので、待ち合わせ場所として改札口の指定を求められたのですが、北東側の改札になるので北側の改札と答えたのですが、なんと南西側の出口が北口だったんですね。東口はまあ分かるけれど、だったらもう一方は西口が適当じゃないの。位置関係で南口っていうならまだしもさすがに北口ってのは無理があるんじゃないのかなあ。そりゃまあちゃんと調べて答えなかったのが良くないけれど、これはどうにも解せないのです。ってまあそんなことは置いといて早速お店に入ります。カウンターのみのお店で、こういうの昔はカウンター割烹っていったんでしょうかね、近頃とんと見かけなくなりました。駒込にはこういう帰り掛けにちらりと立ち寄って長居せずに呑むようにできたお店がチラホラあるようです。毎度ケチ臭い話で恐縮ですが、こういう店って案外お高かったりするんですよね。今年不漁が続いているというホタルイカがお通しに堕されるとその余談が事実となりそうで思わず怯んでしまうのです。なので肴はお手頃なヘシコとホヤのみにします。しかしですね、これが誤算といっては失礼ですが、とても立派なシロモノであったのです。ホヤは新線そのものでちっともエグ味などなくて一切れでお猪口2杯は吞みたいところです。ヘシコは一切れを5、6回に分けで齧ってその度にお猪口2杯となるから必然的にお銚子が次々に空いてしまうのですね。ケチってみたとしても味の濃いつまみで酒が進んじゃったら意味がないです。しかも生臭かったり不味いなら吞み込むようにして胃に流し込むしかないけれど、これが実に上出来なものだからじっくりと味わってしまうのです。ああ、でもちょっぴりの肴でチビチビと旬の味覚を味わうっていうことが大人な呑み方なのかもね。オヤジさんとお喋りしてみたかったのですが、新入りのねっとりとした雰囲気のお姉さんの相手でそれが叶わなかったのはちょっと残念。でもたまに大人の吞みをしたくなったらまた来てもいいかなあ。
2023/05/05
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世の中ってのは、たかだか個人的な尺度では測れないことが多々あるものなんですね。何を当たり前のことを呟いてみせているんだってツッコミが入りそうですが、日々忙しく余裕のない生活を送っていると自然と視野が狭まってくるもので、若い頃には確かにあったはずの鳥瞰的な視野が失われてきているようです。それって逆なんじゃないの、若い頃ってとにかく一目散で主観のみの流される傾向がありそうなものですが、ぼくはどうもそれって違うんじゃないかなと思いつつあります。老化現象としての目の機能低下と同様に世界の見え方も狭まってきているように思えるのです。って回りくどい話をしているけれど、何のことはない、先日、巣鴨を呑み歩いていたら見落としていた中華料理店にたまたま立ち寄ってみたら、そこそこ繁盛しているけれど、ぼくにはその理由がどうにも解せなかったのであります。でもすでに書いたようにぼくには疑問が残るところだけれど、他のお客さんにとってはぼくが解せないことこそが解せないってこともあり得るだけなのでしょう。 お邪魔したのは「新栄」というお店。店の手前は卓席で結構広いですねえ。それと奥には実際に確認した訳じゃないけれどスーパー銭湯の休憩所のような座敷がありますが、鰻の寝床みたくなっていて奥の客たちは出入りするのに気遣いが必要に思えるのです。あのエリアどうなってるのか今になって気になりだしました。ちょっと足を運んで眺めていたら今更モヤモヤとした気分に陥らずに済んだのにねえ。こういう無駄な後悔が近頃多いように思います。座敷は疲れるので卓席に着きます。その場所にはどこかの企業の面々10数名がいて紫煙をくゆらせてタバコの苦手な人は辟易する程度では済まず、戸を開いた時点でとって返す程のもうもうたる様でしたが、ぼくはさほど気にならないのです。席に着いてホッピーを頼むとすぐに小さなタッパーを3つ、店の奥さんが出してくれます。開いてみるとそれはザーサイ、高菜漬けなんかでこれは酒抜きで食事の実の場合でも各席にサービスされるようです。実のところこれだけあれば酒も呑めちゃうっていう意味ではいい店でありますが、いかにも量販品なのでけして旨いってシロモノではありません。餃子や腸詰なんかも食べましたが可もなく不可もなし。それなのにいつしか座敷に3組、卓席に1組ほどのお客が入っていたからこれはもうぼくには分からない良さがこの店にはあるってことなのでしょう。店の奥さんは愛想もいいけれど、忙しいからお喋りする間柄にはとてもなれそうもないしねえ。ということは、程よく客が入っている、タバコが吸える、大人数でも飛び込みで入れる、サービスの漬物が嬉しい、この辺に集客の理由を見出すしかなさそうです。あら、これならぼくにもやれそうだなあ。ってきっとそれだけじゃないんだろうなあ。
2023/04/17
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日本人(といった書き方をするとあたかも日本は単一民族によって構成されているような印象をもたらしかねぬでしょうか)が好きなのはどこの国の料理なんだろうかと考えることがあります。ぼくが考える位だからきっと少なからぬ人が似たようなことを考えるはずだと調べてみるとやはり続々と検索に引っ掛かりますね。イエローモバイルJAPAN-公式サイト- 「日本人が選ぶ! 日本人の味覚にも合う料理が美味しい国ランキングTOP10!」https://blog.yellowmobile.jp/best-food-to-japanese-taste/ハピ研 「第350回 外国料理好きですか?」https://www.asahigroup-holdings.com/company/research/hapiken/maian/bn/201009/00350/食育博士の辛口レクチャー 「番外 お好きな外国料理は」https://www.mealtime.jp/shokublog/naohashi/2012/01/post-87.html調査方法が国別か料理のカテゴリーかで回答に多少の差異が見られますが、1位が台湾の料理もしくは中華料理、2位がイタリア料理というのは揺るがないようです。どちらも確かに日本では身近な料理となっていて、恐らくは店舗数もこの順位に比例しているもののように感じられます。外食もそうですが、家庭料理として食べられる機会も同様に思われます。しかし、中華料理もしくは台湾料理が店と家で作った料理にどうにも越え難い壁があるように思えるのに対して、イタリア料理はその差は極めて小さい気がするのです。だからぼくがイタリア料理を外食で食べるのはごく限られた機会に限られます。食材を惜しまず使う高級店でもない限りは、通常のイタリア料理店の料理程度であれば自宅でもかなり相応のものが用意できますから(思い込みかもしれない)。 でもまあ家で食べるにはその仕上がりに限界のある料理もあります。例えばちゃんとしたピザが食べたいと思った場合は店に食べに行くことも辞さないのです(近頃は輸入物の冷凍ピザも驚く程に品質が向上していますが)。昔はピザが大好きで機会を見つけては食べていたものですが、今でも好きなことは変わらないけれど、いざ腹が減ったと思ったとしてもピザを思い浮かべることはほとんどなくなってしまいました。だからこの夜に訪れることにしたのはピザを目当てにしてのことではなかったのです。そこと決めるにあたっては、例によって店そのものへの好奇心を優先したのです。「パセリ屋」ってイタリア料理のお店にお邪魔したのですが、ここはテレビなどのメディアへの露出が多く以前何かしらで見ていたという記憶があったのです。当然、店そのものも以前から見知ってはいました。でもきゅたなシュランで取り上げられているとは知らなかったなあ。きたなシュランはきたな旨いお店を取り上げることで知られており、果たして店内には栄誉あるミシュラン像が飾られていたのでした。しかしですね、外観からはちっともきたなくないとは思っていたけれど、店内に入ってもなおちっともきたなくないのです。というかこれまでもそれなりにきたなシュランに登場したお店にお邪魔してはいますが、ボロくはあってもきたないってことはそうはなかったように記憶します。飲食店できたないってのはさすがに放送禁止の対象となるはずです。そしてこちらはきたなくないのは当然としてボロくもないのだから、ぼくの目当ての半分は外れということになります。きたないを目当てにする人はもとよりボロくもないということを承知の上で訪れていただきたい。では旨いかというとけして美味しくないわけじゃなく、ちゃんと普通に美味しくはいただけますが、コストパフォーマンスは必ずしも良くないのであります。あまりあからさまに書くことは控えますが、ハウスワインもちょっといただけなかったなあ。次第に気分が沈みがちになるのを堪えるのは困難だったのです。これ以上続けると余計なことを口にしてしまいそうなので具体的な感想は有耶無耶にさせていただきます。
2023/04/07
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巣鴨という町は、旧中山道に沿って地蔵通り商店街があるなど下町情緒の残る町として紹介されることが少なくないようですが、ぼくの感性では巣鴨に下町の気分を汲み取ることは困難なのです。まあ自分の中で下町というものがどういった意味合いを持っているか確信を持っているわけでもないから、ここでは本来意味するところの山の手と対をなすところの下町でもなく、もっと感覚的な古びた商店街のある町を意味している程度と思っていただければそう遠くないと思うのです。そうした意味合いでぼくには巣鴨が下町という風には捉えにくい町であってそれは多分に町を切り裂くように連なる大きな通り、つまり白山通りの存在が作用しているようです。一般的に大きな通りに面して商店の連なる町は退屈になりがちであります。現代の東京の町がこうした大雑把で味気ないところが多いことは、諸々の事情があることは何となく承知しているつもりです。がそれにしたって巣鴨の場合はメインストリートのバックヤード、裏通りがいかにも活気がないのです。昨日、訪れた町では自分が暮らす様子を夢想すると書いたけれど、もし巣鴨に住む羽目になったら暗澹たる気分に陥りそうです。ってこれまた書きかけで放置プレイ。改めて読み直してみるとそんなに嫌な町なら行かなきゃいいじゃんってツッコミたくなるところですが、いくら内容がスカスカでも書き直すまでの気力がないのです。今回お邪魔したお店は以上の文章で批判的な描き方をしている白山通りに面して立地するお店なのでした。「朝ラーメン・チャーシュー弁当 じゅんや」なんですけど、またもせんべろネットさんの情報を参照させてもらいました。巣鴨はさすがに古い酒場には大概お邪魔しているはずなので、新規オープン店を狙うしかないのでありまして、新しくできたお店の情報はとにかく安さを重視した店に極力お邪魔したいと思っている次第なのです。コツコツと自らが動くことでしか情報を収集できない身にとってとても役に立つ情報をありがとうございます。と簡単に謝辞を述べさせていただきます。でも果たして安けりゃいいのかってことについては、近頃思うところがあるのです。安い酒場の存在を知ると一度は経験してみたいと思ったりしますが、繰り返し訪れることは極めて稀なのです。基本的に安いには安いなりの理由が当然ある訳で、安く楽しく呑んで欲しいなんていうことを本気で思っている店主が極めて少ないものです。そして少なからずの店がもう一度位行ってみようかと再訪すると明らかに値段が上がっていたりするからガッカリものなのです。その点、今回のお店は食事がメインでしかもお弁当のおかずと酒の肴を兼用するという至極合理的で賢明な二毛作、いや三毛作を目論んでいるようだからこれはひょっとすると上手く商売として確立するのではないかという期待を抱かされるのであります。しかしそんな期待が間違いだったかのように店内は閑散としています。いや、最初は数名のお客さんがおられて食事のついでに一杯を召し上がっておられた。その顔に笑顔がないのは一人客だからまあそんなに不自然ではないでしょう。でも彼らが去るとパタリと客足が途絶えてしまいました。ワンオペのお店らしいからそんなに大榮の客がいても捌き切れぬに違いない。その割には表側、置く側には立ち食い/吞みのテーブルも設置されているから混み合うようになれば従業員を雇うつもりなのだろうか。さて焼き鯖だったりナンコツ唐揚げだったりアジフライだったりを頼みましたが、お値段はお手頃で味もまあ悪くはないのでありますが、いかんせん少量なのだ。それは酒の提供も同様で値段は安いが量が少ないから果たしてこれをお得と理解しても良いのだろうか。多様な使い方ができてしかも営業時間が長い(6:30~9:00,11:00~14:00,16:00~22:99)など(中休みはあるけれど)などの意欲的なことは認めることやぶさかでないのです。でも今のままでは食事メインの利用はあっても吞みに使うのは躊躇してしまいそうです。
2023/04/03
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今回訪れたのは居酒屋ではなくバーなのです。関西、いやもっと局所的かな、大阪や神戸の人たちは居酒屋が暖簾を下げる前に営業開始時間の早いバーに立ち寄ってクイと1、2杯を景気づけに呑み干してから居酒屋にハシゴするそうですが(今はそういう人も減ったかも)、都内でバーで呑むとなるとそう気軽に立ち寄るという訳にはいかぬのであります。大阪の人たちは、東京は物価が高いと嗾けてきますが(東京も立ち吞み屋はそうは負けてはいないと思いますが)、実際にはどうだろう。Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ) 「サンボア・グループ11店飲み比べ」https://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/diary/200903290000/ こんなサイトがありました。サイト運営者が断っているようにグラスのサイズや氷の量もあるけれど確かにバーに関しては大阪に分があるようです。でもですね、バーというとつい正統派のオーセンティックバーをぼくなどは想起してしまうのでありますが、もっとカジュアルなバーだって存在するわけです。ガールズが接待してくれるものも含めてそのジャンルはそれなりに多様性もあるし、そもそもがバーの定義ってなんじゃいって問題もあるから今回はそこまで深入りするのは止しておくことにしようかな。 前振りしておいてバーのこと、それも普段はあまり利用することもないカジュアルなタイプのバーにお邪魔しました。「富田屋(TOMITA-YA)」っていう雑居ビルの2階にあるまあどこにでもありそうでいて、普段こうした店をほとんど利用することのないぼくにはあまり思い当たらないタイプのお店です。カジュアルなバーというとアメリカンスタイルのバーを思ってしまうのですが、それともまた違った雰囲気です。オーセンティックバーをぐっとライトにした感じだろうか。で、ここにも先の沖縄居酒屋で遭遇したオッサンが付いてきてしまったのであります。先ほどまでのノリはそのまま引き摺ってきているのでいきなりにやかましいので、他人のフリをしたいが、同行者が一緒に盛り上がっているからそうもいかないのだ。結果、他のお客さんや感じのいいマスターにご不快をお掛けしていると考えたぼくは怒りを爆発させてしまい、マスターに謝りつつも支払いを済ませて帰ることになったのす。他にお客さんがいないなら多少騒ぐのはまあ目をつぶるとしてもさすがにゆったりとしたバータイムをかき乱すのはそれが他の客であっても許せぬし、ましてや自分を含む集団(1名はよく知らんオッサンだけれど)が迷惑を撒き散らす側であるなら看過できぬのだ。そんな迷惑脚なのに若いバーテンダーは顔色一つ変えるでもなく押しつけがましくない程度の笑みを浮かべつつ対応してくれたのだ。ほとんど感想にもなってないけど申し訳ないことでした。お手頃で感じのいいお店でした。 ところで、丸谷才一氏にこんな文章があります。 酒というものがある。そして、男は、酒を飲む男と飲まない男とに二大別することができる。 バーというものがある。そして男は、バーヘゆく男とゆかない男とに二大別することができる。 さらにまた、バーヘ来る男を二大別して、酒を飲むために来る男と女が目あてで来る男とに分けることができる―と、これはあるバーテンが言ったのだが、 ちょっと付け足したい。 酒というものがある。そして、男は、酒を飲む男と飲まない男とに二大別することができる。「酒を飲む男は、酒に強い男と酒に呑まれる男とに二大別することができる。」 バーというものがある。そして男は、バーヘゆく男とゆかない男とに二大別することができる。「バーへゆく男は、バーを愛する男とバーに嫌われる男とに二大別することができる。」 さらにまた、バーヘ来る男を二大別して、酒を飲むために来る男と女が目あてで来る男とに分けることができる「酒を飲むために来る男は、酒で自分の世界に浸れる男と酒で顰蹙を買う男とに分けることができる。」―と、これはあるバーテンが言ったのだが、 ちっ、少しも気が利いてないですね。
2023/03/29
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ぼくはこれまで沖縄には1度っきりしか行けていません。正直なところさほどの興味も抱いていないのです。知人に沖縄好きが2人います。新型コロナの関係で訪れる頻度はかなり減ったようですが、最近になってようやく沖縄行きを再開したようで何に何度も行き来して飽きないものかとと思ったりもしますが、好きで訪れる人に水を差すようなことは慎む程度の弁えは持ち合わせています。彼ら2人に共通しているのが独り身でガタイがいい(っていうか端的にかなりのデブ)であるということです。偏見かもしれないけれど南の国の住民は図体の大きな人が多いような気がします。おっきな人たちに混じり込むと自分が特段にデブじゃないと思えるのが彼らが沖縄に足繁く通う理由なんじゃないかというと失礼なんだろうなあ。毎年ハワイに行くのを恒例にしている人たちが結構いるようですが、そのことごとくがデブかっていうとそんなこともないのであって、先の推測は全く当たらないってことになります。でもまあ南国ののんびりしたムードというのが彼らを強く島に誘うっていうのはありそうなことです。一人は下戸でひたすら食べて海に入るという日々を過ごすようですが、もう一人は酒が好きで現地ではひたすら呑み食いしているようです。しかも毎度行く店は決まっていてそこに入り浸っているというからぼくのような酒場巡りを愉しみにしている者にはますます彼らとは分かり合えないって気がするのです。そういや先般、有名酒場の「おでん東大」で事件が発生したようですが、今はどうなったんでしょうか。気掛かりではありますが、聞くところによると紹介されてからは多くの客が押し寄せてとても沖縄気分でゆったり過ごすといった店ではなくなっていたようなので仮に沖縄に行く機会があったとしても立ち寄る気になったかは怪しいところです。 ぼくが初めて沖縄料理を食べたのは随分昔のことになります。当時は見慣れぬ食材も多くて少し戸惑いながらもすぐに好きになってしまったからぼくと沖縄は実は案外相性は悪くないのかも。その後、沖縄料理店も増えてそこそこ通ったものですし、さらにしばらくするとゴーヤを始めとした食材も随分流通するようになりました。そうなるとぼくはぱったりと沖縄料理店に行く機会が減ってしまったのです。だってねえ、沖縄料理って家庭でも簡単に作れそうだし、作っていたりもしますしね。琉球料理のそれも宮廷料理を提供する「首里天楼」なんていうお店のHPを見ても食材にはちょっと珍しくて入手できなさそうなものもあるけれど、料理そのものはさほど手が込んではいなさそうです。とまああれこれ語ってみたけれど、本当は沖縄料理で呑みたいって気持ちはいつだってあるのですね。だから好きなとこで呑ませてくれるって誘われて巣鴨を彷徨っているうちに「ゆんたく酒場 増富商店」なるお店を見掛けたから店の構えはちっともぼく好みではないけれど、迷わず立ち寄ることにしたのでした。店の若い男女が沖縄の方かどうか伺う余裕はなかったけれど、仮にそうだとしたら沖縄の人らしい体格ではなかったかなあ。とてもスリムで顔立ちも物静かな印象であります。ところが先客1名はとんでもなくやかましいオヤジだったのだ。こちらはぼくが抱いている沖縄(知人)のおっさんととそっくりなのだ。でも知人はここまでやかましくはないぞ。とにかくはた迷惑なことこの上ないのだ。この人は九州ではあるが沖縄の方ではないと必要以上に訴えるのです。だがしかしですね、東京出身の同行者がまた負けず劣らずで騒がしいのだ。この人の本性はこれなんだなと見せつけられた気がします。まあこれはこれで沖縄の酒場っぽいのかもななんてよく知りもしないのに合点をしてみせるけれど、さすがに堪らないし何より店の方に迷惑だ。他に客がいないことだけが幸いでした。正直こんな状態だからそれなりに呑み食いしたはずなのにほとんど覚えていないのだ。ちゃんと美味しかった(ちょっとジャンキーだった気がする)けれど、果たして沖縄料理っぽかったかどうかは定かではない。まったくもう、せっかく美味しい物を食べようとしていたのにねえ。巣鴨に系列のお店もあるらしいから今度はそちらに行ってみようかな。ただし、やかましい人と行くのは止しておこう。
2023/03/27
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「台湾」を出てちょっと行くとこぢんまりした吞み屋街がありますが、どこも混み合っているかやっていないかで見事に空振りました。そういやここんとこやたらと台湾料理と縁があります。特段台湾料理に拘っているわけじゃないけれど、偶然が重なっているだけなのです。って書いてはみたけれどそれ本当なんだろうか。日中関係の悪化に伴って無意識に中国を避けているんじゃないか。そんなつもりはないんですけどね。なんてことを思ったりしながら同行者の毒舌を聞き流すのでありますが、それにしても巣鴨界隈も随分と中華料理店が増えているように思われます。実際にはどうか知らんけれど、いわゆる町中華が淘汰されて本場の中華料理店が続々オープンしているようなのです。中華料理って一口に言っても四川、広東、北京、上海の四台料理なんてのも言われていて、四川料理はいくらか庶民的なお値段で頂ける気もするけれど、広東料理や北京料理、上海料理は高級に感じられます。まあどれも広東家庭料理みたく家庭の二文字を追加すると途端に庶民的な印象をもたらすのですが、四川料理にはさほどの高級感はないからつい安心して四川料理店には足を向けられるのです(ちなみに中国八大料理となると四川、湖南、広東、福建、江蘇、浙江、安徽、山東となってまた印象が異なります)。という前振りだからここは四川料理にお邪魔します。 しかしまあ店名は「巣鴨餃子坊」に関して中華料理との記載があるばかりで中国の何料理であるとかいった記載はないのでけして値段によって店を決めたわけではないと断っておきます。店内はかなりこぢんまりとして窮屈な咳の配置となっています。先客はカップル1組のみ。店は日本語がほとんどダメらしい男性がワンオペで奮闘しておられます。奮闘しているはいいけれど余りにも日本語が通じなさすぎ。そんな場合は指差しで何とかなるものだけれど、メニューの感じを指差してもスマホでQRコードを読み取ってどうのこうのっていう説明をまくし立てられるのだ。またもちょっと癖のあるお店を選んでしまったようだ。餃子を頼んでもそのオーダーが通ったのかがはっきりしないのであります。まあ、ぼくはまだ我慢の限界に至るには円状まで随分と余裕があるけれど、同行者はすでに爆発寸前です。我々に続いて若い中国娘2名が来なければ餃子が来る前に店を出る羽目になっていたかもしれません。ラー油で揚げてさらにトウガラシなどの辛みを付けたナッツが旨いから餃子がなくとも酒は進むのだ。しかも中国娘は将来は変わり果てるかは知る由もないが少なくともとても可愛らしくて愛嬌もあって日本が隙みたいでつまりはとても好感が持てたのであります。同行者の気に入り方はぼくの遥か上をいっていて相手が日本語学校に通い始めたばかりだというのに容赦なく語り掛けるのでありました。それにしても不意に届けられたここの餃子はなかなかのもの。それに腸詰も大層濃厚な風味で抜群であったのです。同行者は中国娘が入ってくる前にオーダーストップすると決めていたけれど、彼女らの頼んでいたスパイスがたっぷりと掛かった揚げ豚みたいなのを見ると前言をすぐにも撤回したそうな表情を浮かべたのだ。無駄な意地を張らないでくれればぼくも久々の四川料理を堪能できたのになあ。ガッカリです。でもまあ今度はすぐに怒り出したりしない我慢強い同行者を伴ってくることにしようかな。って自分の周辺を見渡してもそんな人、見当たらないなあ。
2023/03/22
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近頃はなぜか忙しくてパソコンをいじっている余裕も余りなかったりするのです。でも一体全体どうして忙しいのかが自分でもよく分かっていないのです。ぼくは子供の頃からどちらかといえば早起き体質でありまして、最近は睡眠の質の劣化が著しいけれど、それでも余程疲れているような時じゃない限りは6時前には目を覚まして即行動開始できています。すぐに日課というか日々のノルマを片付けて自由時間の確保を目途に邁進するわけですが、そんなに頑張ってもいつの間にか時計の針は正午を回ってしまうのです。自分で書くのもどうかと思うけれどぼくは案外能率的なつまりは仕事の早いタイプでありますが、それなのに科ほどの時間を要してしまうのはきっと必ずしもやらなくてもいい事をそれと気付かずにやり過ぎているんじゃないかと思うのです。近いうちにそういう無駄を削ぎ落していかねばならぬと思っていますが、時間がないから見直ししている暇がないというジレンマに苛まれる訳で結局事態の改善どころか現状把握すらままらなぬ日々が当分は継続されることになりそうです。って実は愛用のGoogle Mapすら眺めてる暇がないってことを書きたいだけだったんですよね。まあ、こんなだらだらと冗長な文章を書いてる時間があれば地図だって眺められるんですけどね。とか何とか書いていておかしな話をするけれど、以前お邪魔したとあるお店を調べたらそこはお店じゃなくなかっていて建築物って表示されたんですね。漫然と眺める余裕はなくともピンポイントで調べる程度の余裕はあるのだ。それでてっきり閉業したものだと思いつつも通り掛かってみるとあら不思議営業していたのです。「台湾」ってお店がそれなんですが、ここ随分前に鉄玉子が名物料理であるとテレビで放映されていたのを見てお邪魔したことがあったんですね。当時のぼくはそこそこのミーハーだったのだ。で建築物と化しているはずのこちらのお店、何食わぬ顔でごく当たり前に営業していたのであります。どういうこっちゃ。その際に他に何を食べたかなんてことはちっとも覚えていないのですが、鉄玉子ってのが固いけれどさほど美味しくはないと感じたことは覚えています。ちなみに鉄玉子ってのは、現地の台湾では鐵蛋(ティエタン)と呼ばれているようで、醤油、砂糖、五香粉で卵を煮込んでは乾燥を繰り返すというシロモノでありまして、せっかく唯一覚えていた知識を投げ捨てて今回またも食べたのですが、まあ以前感じたほどに不味くはないし、3週間物を食べましたが思ったよりは固くなかったのであります。他に焼きビーフンやチーズ入りの葱油餅なんかを頂いたのです。食べログの評価をアテにしていいかどうかはともかくとして3.48とかなりの高評価を得ているほどには確かに美味しくはないと思うけれど、同行者はその場では旨い旨いを連呼しつつも店を出た途端に酷評を吐き続けるのでした。確かにまあそれ程のものではないけれど、そこまで腐すというのは度を越している気がします。こちらご夫婦でやられていて厨房の旦那さんは日本人らしいのですが、とても寡黙であったのに対して、台湾出身の奥さんは××あるよ、××旨いよとオーダーを応急する猛烈なアタックが確かにハードでそれに辟易したんだと思っておくことにしよう。確かにねえ、他にお客さんもいなかったから通常よりも辺りがキツかったのかもしれません。というわけで2人でビール3本で出てしまったのですが、同行者はよほど不満かつ中華欲求が満たされなかったためか、次なるお店も中華料理店となったのでした。
2023/03/20
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大塚駅の北口を出るとピンク系のお店が立ち並んでいるのが見えます。ピンク系のお店の是非については、ここでは触れぬことにしますが(って、倫理的な問題というのは意図に関わらず誤解を招きやすいものです)、まあ眺めている分には興味深いものです。でも現実にそれら店舗をじっくり眺めようものならかつてとは違って声量は控えめながらも執拗な呼び掛けをされたりするものだからどうしても足早に通り過ぎることになるのでした。こうした歓楽街に紛れた名酒場なんかももしかするとあったりするのかもしれません。例えば仙台の歓楽街の中心である国分町は雑居ビルに風俗店や酒場が入り混じっていることが少なくなくて(とあえて断るのは、独立した雑居ビルでは多様な業態が入り混じっていることはありますが、雑居ビル密集地帯の場合は業態ごとに棲み分けされていることが多いように思われるのです)、怪しげな店舗が立ち並ぶ一角に立派な酒場が紛れ込むなんてことがあるから、酒場巡りを生き甲斐とするのであれば、呼び込みなんかのプレッシャーを遮断し撥ね退ける胆力は常に鍛えておくべきなのだ。こうした玄人後込みの敷居が高い店に入ることを躊躇うような人であれは、予め一杯酒を仕込んでおいて気合を入れたりもするようであるけれど、それはいかにも愚かしく思えるのです。とまあ話がどんどん脱線してしまったので、冒頭の話に戻りますが、こうしたエリアだからぼくもなるべく足早に通り過ぎたいと思ってしまってうっかり見過ごしている酒場があったのです。「もつ焼 三瓢子」がそこです。日本語による会話に若干の難が認められる女性一人でやっておられます。恐らく中国出身の方ではないでしょうか。会話もおぼつかないというのに思い切りがいいよねえ。ってかよく開業まで持ち込めたもんだと感心してしまいます。考えてみれば以前は「もつ焼き 英勇」とかいうお店だったのですが、その頃の店の男女(夫婦?)も中国系の人たちだったと思われますが、かの国の人々には華僑に代表されるようにハングリー精神を糧として世界を股にかけた生き方が精神の奥底に刻み込まれているらしいから、隣国の日本で稼ぐ程度のことは特筆すべき事例とは見做されぬのであろうか。それにしてもカウンター10席程度、4人掛けテーブル3卓程度の店を一人で切り盛りするのは、相当な気力と体力が求められるだろうから大したものであります。今頑張れば将来楽ができるという思考様式はぼくにもあるけれど、その程度には大きな開きがあるようです。酒と肴の品ぞろえはそれなりにひと通り揃っているのに加えて中華風の品も用意があるので十分なラインナップといえましょう。しかも特筆すべきは安心の低価格であるから大変に嬉しいのだ。であるからに品質の良し悪しはここでは要求するのは望み過ぎであろうと思うのです。店の女性に愛想の良さを求めるのもこのハードワークを鑑みるに酷というものでありましょうか。といった訳でごく普通の酒と肴をお安くいただける便利なお店であるとぼくはそれなりの評価をしているのですが、お客の入りが悪いのです。やはり立地が良くないのが原因なんだろうか。
2023/01/20
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池袋駅を東口正面のグリーン大通りに至る出口を基点とする。どこまでが駅舎と判断すべきか迷うところはあるけれど、その出口を出ると明治通りが通っています。明治通りを千歳橋方面に向かって歩き出す。やがて駅の東西を結ぶびっくりガードに到達します。その直前にはもしかすると池袋駅駅舎の最南端かもしれぬ出口があります。明治通りを線路寄りに進むと西武池袋線の西武南口という改札があるのですが、この改札口は7:00~22:30までの時間制限で使用できるようになっています。こちらの改札の利用者はそれほど多くないはずなのにあえて開放する理由があるんだろうかなんて、ほとんど利用したことのないぼくなどは思ってしまうけれど、地元住民や近隣企業の勤め人には重宝されているのでしょう。取って返して明治通り方面に戻ってくるとそこには三省堂書店の出入り口があります。こちらは入場料など利用なので雨天時ばかりでなく比較的空いている抜け道としての利用も可能です。ぼくも三星堂がLIBROだった時代には、ACT-SEIGEI THEATERに映画を見に行く際にはよく抜けさせてもらっていました。その映画館はびっくりガードを渡ってさらに先にあったのですが、劇場はもう20年程以前に居酒屋となり、何度か入れ替わったのちにそのビル自体がとうとう取り壊しになってしまいました。その目と鼻の先に先般の有名焼鳥店があるのですが、この夜にお邪魔したのはさらにその先になります。この界隈まで来ると池袋が繁華街とはとても思えぬような閑静で人通りも疎らなもっぱら住宅が大部分を占めるエリアです。が、最近になって「キッチン 南海」が「大衆ステーキハウス ビリー・ザ・キッド 池袋店」に生まれ変わったのですが、その脇に逸れた細い道が池袋最南端の呑み屋横丁らしき体裁を辛うじて留めているのでした。何せステーキハウスを通り過ぎてすぐ先の地域の住所は南池袋から目白へと変貌するからです。 さて、この池袋フロンティアではあるけれど、さほど風情があるって訳でもない通りには数軒の居酒屋だったり、スナック、バーなんかが立ち並び、中華料理店の「桃源」はBSで放映されている町中華の番組にも登場しています。ここを含めて数軒にぼくもお邪魔していますが、リピートしているのは実は「升三」だけです。実はすごい好きなタイプの居酒屋かというとそうでもないのです。上品で小奇麗なお店を否定するつもりはないけれど、ぼくは今更であるけれどボロい位の方がずっと好きなのです。その点でこのお店は選択肢から漏れそうなものだけど、どうしたものか呑む相手次第で自然とここに足が向かうことがあるのです。いや、正直に告白すると実はここに至るとあるうどん居酒屋で久し振りに呑もうと思っていたのです。つまり旨いものを食いながら呑みたい気分だったのです。たまにはぼくだって旨い肴でじっくりと腰を据えて吞みたい時があるのです。さて、問題は無事に入れるかどうかだが、あれあれあっさりと入れるじゃないか。以前はそこそこお客さんが入っていたんだけどなあ。大丈夫なのかなあ。とこの夜がたまたま空いているだけかもしれないから余計な気を回すべきではないのです。さて、何を呑もうと迷う前にワインが注文されました。いきなりボトルで注文しちゃった以上付き合うべきなのでしょう。ということで外呑みで久々のワインです。自宅では安ワインばかりだからたまにはこういうのもいいだろうかと気持ちを切り替えるのでありましたが、相手の吞みのスタイルをすっかり失念していました。相手の人は古馴染みでありますが、じっくりと呑むのは随分と久し振りのことです。何が言いたいかというと、この人は秋田生まれの酒吞みらしく肴などそこそこにやたらと呑む人なのです。鶏の煮込みなど何品か頂きましたがやはり美味しいですね。でもぼくが食べたかったのは前回頂いた色々な野菜のグリルなのです。カラフルで目でも楽しめる料理でしたが、使われている野菜はそう珍しいものではなかったのに不思議な位に美味しかったのですね。不愛想っぽい職人気質風の主人は相変わらずでしたが、野菜のグリルが食べたいなあという呟きは届いたようで微笑みを浮かべたように見えたのは気のせいでしょうか。また、思いだした頃にお邪魔するのかなあ。
2022/12/28
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何度も書いてきたけれど、加齢とともに忘れっぽくなっています。むしろ色々と忘れてもらいたいことの多い恥多き人生を送ってきましたので、他人から忘れられるのは一向に構わないのです。他人だって等しく加齢するものだから、色々と忘れるのはきっと当たり前のことなのでしょう。でもぼく自身が忘れっぽくなるのはどうにかならないものか。ここで言いたいのは、いつも愚痴っている初訪のつもりが実は以前にもお邪魔していた居酒屋だったとかそういった次元のことではないのです。これまた繰り返しになりますが、忘れてしまっていた酒場であればそれはそれでそこが良かったとすれば何ら支障はない訳です。同じ酒場で何度でも初体験ができるなんてある意味では幸運なことかもしれないからです。ここで問題にしている忘れっぽさとは、例えば親しい間柄の人と記憶を共有しにくくなることです。正直な話、ぼく自身はさほどそのことを苦にしてはいないのですが、相手がやけに物覚えが良かったりすると少なからず話が噛み合わずに難渋することがあります。時にはそれが原因となって口論になったりするのは切ないものです。とにかくあらゆる出来事を忘れられない人は、口論となった原因なんかから辿って類似した過去の嫌な記憶を掬い上げてしまうのです。忘れっぽい人にとってはそうした過去を突きつけられるのは辛いことでありますが、もしかすると忘れられない人の怒りや憤りはそれ以上に辛い事なのかもしれないなどと思ったりもします。ともあれ、目先のことで精いっぱいでただでさえ辛い事の多い人生を過去に囚われ過ぎてしまうのは、ぼくの望むところではないのであります。 とまあ、つまらぬ悩み(当人にとってはそれなりに切実ではあります)を書きましたが、本当のところぼくの希望は忘れたくないこと、忘れてはならないことだけは忘れることのない人生を送りたいということですが、それが可能であれば悩みのかなりの部分が解消できる気もしますが、そうはできない以上、確認のしようがないのです。「大塚バル LOCAL」にお邪魔した際もラブホテルと正対する立地や並びの酒場でかつてこの地にあった酒場に訪れたことをぼんやりとは思い出しましたが、しかしどこかが違って感じられます。店内の席の配置やもしかすると店の方もかつてと同じ人のように思えます。確認すれば済むだけのことですが、旧知の知人2名と一緒だったのでその暇はありませんでした。帰宅後、調べると「呑み処 ぼっち庵」=>「やすらぎ食堂」という変遷を辿っているようでありますし、いずれにもお邪魔しているようですが、今とはかなり違った業態であったように記憶します。千円のお得なセットに誘われてお邪魔しましたが、果たして本当にお得であるかどうかは思案の余地がありそうです。というか思案に暮れるまでもなくドリンク2杯とちょっとした肴1品の価格であるからまあ普通といえば普通かな。普通だけどどうも千円という明瞭な価格は安心感を惹起する効果があるみたいです。ぼくの知人には稀有な下戸が1名いたので、2名分2品の肴が届きました。生ハムとポテサラですが、これを3人でつつくと瞬く間に皿が空きます。でもどちらもちゃんと美味しいから割高感はありません。いやまあ腹も減っていたので追加オーダーしたことを考えると必ずしもお手頃かどうかはやはり微妙なところですが、騒がしい場所から一歩奥まっているせいもあって非常に静かで旧交を温めるには悪くない環境でありました。酒場っていうのは酒が呑めないのは問題外としても、肴よりは円滑なコミュニケーションが取れるということの方が大事な場合も少なくありません。普段独り吞みが基本のぼくには余り縁がないタイプのお店ではありますが、数名でじっくりと腰を落ち着けたい場合には利用するにやぶさかでないのです。次くる時はいつになるのか、その時はどう生まれ変わっているのかちょっと楽しみではあります。
2022/12/23
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池袋からまた一つぼくにとって思い入れのある施設が姿を消そうとしています。いつものようにもったいぶることなく書いてしまいますが、それは池袋西武のことです。池袋三越が2009年に衝撃的に閉店し、今ではヤマダ電機 LABI 日本総本店 池袋になってしまいましたが、かつては閑散としていた店内が今はとても繁盛しているのを見ると時代の要請に臨機に応変したものと評価すべきなのかもしれないけれど、いかにも寂しい事態ではあります。池袋西武もまた今度はヨドバシカメラに取って代わられるとの驚愕の報道が流れました。今後どのような店舗となっていくかは動向を見守るしかないけれど、無傷で済むとは思えないのです。国内の百貨店売上高は伊勢丹新宿本店、阪急本店に次ぐ第3位の百貨店がこの有り様だから国内の数多くある百貨店の命運も風前の灯ということなのでしょうか。ともあれぼくが初めて池袋西武を認知したのは、糸井重里らのキャッチコピー「おいしい生活」、「不思議大好き」などをTV CMが見た頃のことだったと思うのですが、その頃にはすでに日本一の売上高を誇る百貨店として高級ブランドやDCブランドなどのブームをけん引していました。より直接にはセゾン文化と呼ばれた各種文化事業などであり、特に銀座セゾン劇場や渋谷パルコ劇場、東京テアトなど、映画文化の振興には大いに影響され、ぼくの人格形成に果たした役割は少なくなかったはすです。とまあ池袋西武の思い出を書き出すと切りがなくなりますが、現在、その地下にある総菜などを扱う地下1階の食料品売り場にこの夜お邪魔する焼鳥店がテイクアウトのお店として進出しています。そんなこととは知らぬお二人を伴ってそのお店へと急ぐのでした。 向かうのは「炭火焼鳥 母家 本店」,池袋西武が面する明治通りを千歳橋方面にしばらく南下します。 やがて細長いビルが見えてきます。酒樽の上に立って店名を揮毫する襷掛けした男性が描かれるかと思うと魚眼レンズを通したような極端な構図で焼鳥を差し出す焼鳥職人が描かれたりしていてその独特なセンスで描かれた看板画に初めて見た時には少しばかり呆れたのです。しかしその歴史はなかなか古くて1975年9月18日に開店したようです。確かに経年による劣化が認められるビルですからそれなりの歴史があるものと推測されますが、むしろ店内に入るとなるほど年季ある店だと実感できると思うのです。随分前から何度が訪れてはいますが、お値段が本格的な焼鳥店のそれなのでそう度々は来られません。幾度かランチタームにもお邪魔しようと思ったのですが、どうもこの前を通るとその気が失せてしまうのです。ということで実に久々の訪問となりまして、初めての場合とは異なる高揚した気分でした。ぼくとしては極めて珍しいことに予約までしておきましたから。ところが通されたのは想定していた卓席ではなく小上がりでした。こちらの小上がりはかなり窮屈な造りになっているので、卓席希望と告げておくべきでした。まあ、今更嘆いてみても時すでに遅し。まずは生ビールでスタートです。こちらにお邪魔することを決めた時点で多少の散財は覚悟しています。こちらには数年置きに思い出したようにお邪魔していますが、毎度値段に見合った焼鳥かどうかを見定めてやろうなんて野心を抱いて行くわけですが、結局吞み始めるといかにも愚かしくも旨い旨いと食べちゃうことになるのです。こんなに旨い焼鳥は食べたことがない、とまではいかぬまでもやはりどれも満足しました。次にやって来るのは何年後のことだろうか。その時まだこのビルのこのいい雰囲気の店舗は存在するのだろうか。しかしその時には池袋西武の中身は今とは全く異なったものになっていることだけは間違いなく現実のものとなっているのでしょう。
2022/12/21
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ぼくが通ってもいいなあって思う酒場には、いくつかの条件があります。毎晩通える程度の低価格帯であること、通勤経路上にあること、酒場を構成する人たちと程々に良好な人間関係が構築できていること、できれば混むでもなく空くでもないといった程度の客の入りであることといった程度であります。旨い酒や肴などあればいいけれどなくてもそう気にしないですし、店は適度に清潔であればむしろボロの方がいいのです。先に挙げた条件に知ったところでまあ安けりゃ安いに越したことはないけれど、残りの条件がそれで損なわれる位なら激安でなくたって一向に構わない。通勤経路上であれば途中下車した駅から多少歩く程度なら全く苦にはなりません。次の人間関係と最後の混み具合はねえ、これはさすがに自分一人でどうこうなるものではないからまあ多少の我慢や忍耐で乗り切るってところでしょうか。ところが、予期せぬところであと一つ加えておくべきか迷ってしまう条件が生じたのです。というか生じていたのでしばらく通わずに済ましていたのですが、とうとう我慢できずにお邪魔してしまいました。 巣鴨駅そばの「ゆたか食堂」がそこなのです。では一体全体この食堂で呑むことに何の支障があるというのか。こちらにはコロナ前にも何度か、コロナの中休みにも1度お邪魔しています。コロナ前には使い勝手のいい食堂であるなあと思いつつも通おうと思うほどにはのめり込むことはありませんでした。しかしコロナの時代となって一息ついたその隙を縫ってお邪魔した際には、とんでもないセンベロメニューがあって驚愕と同時にこれは通わねばなるまい、こここそがぼくの通うべき酒場であると確かに力強く胸に刻んだのである。そのセットはキンミヤのミニボトルと氷、水(ホッピーだったかな)に加えてたっぷり盛り付けられた肴のプレートで千円だったように思います。この際はO氏(だったかな)と一緒で同氏はもうひとつのセット、同じくたっぷりの肴プレート(先のものと内容が異なる)とこちらはホッピーに好みの量の焼酎をでかいジョッキで2杯もらえるというこれまたすごいセットでありまして、どちらも甲乙つけがたく独りであれば日替わりで頼んでも良さそうに思えたのです。しかしすでにハシゴしているわれわれは次第に急速に酔いが回ることを意識させられたのでした。そうなのですね、お得過ぎて酔っ払い過ぎて翌日辛過ぎて通えないなあと思ってしまったのです。お手頃に二日酔いできるまで呑めるというのは誠に有賀いことではあるのですが、訪れるたびに二日酔いというのもキツいなあと今後通うという計画は無念残念にも頓挫するべきと判断するに至ったのです。たまに来るに留めるがよかろうということでこれだけのインターバルを空けてしまいましたが、今回件のセンベロセットを品書きに探し求めてみたけれどそれらしき貼り紙は見られませんでした。そうかあ、やめてしまったんですね。なくなってみるとそれがひどく悔しく思えるのだから、客って身分なだけで随分とわがままなことです。しかしまあキンミヤミニボトルとホッピーで750円もしくは800円なら御の字であります。しかし不可解なことに客の入りが良くないのです。前回も入りが悪かったのですが、当時まだ感染リスクに対する警戒感が高かったのでそれは分かりますが、随分人々の気持ちが緩くなった今でもこの入りでは幸先はなかなか苦戦しそうに思えるのです。週一度とまではいかぬまでももう調べるしかなないのであります。
2022/12/07
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どうも派手派手しくのぼりを立てたり、広告をしている酒場には入ろうって気持ちが湧かないのです。町外れの暗闇にひっそりと佇んで酒場と知れるのは赤提灯が下がっているっていう程度がぼくの好みであります。そういう酒場であれば無条件に足を踏み入れるのですが、困ったのは未訪問でありつつもその戸を開くにはいかにも魅力に乏しいっていう感じのちっとも情緒のないどこにでもありそうな全く普通のお店の場合であります。普通ってなんじゃいって仰られる方もおられるだろうし、かく言うぼく自身も普通の酒場こそ現在においては貴重なのだといったような何をかいわんやという実際は何事も語っていないような発言をする場合があったりするのでありますが、ともあれここでは店の人の応対の良し悪しや金額のぼったくり具合などを懸念することなく入る程ではないお店としておく。となるとやはり苦境に立たされている家計状況-って程でも幸いないですけどね-にあって気になるのはやはり金額面であるけれど、あまりに大っぴらにされるのも何だか興ざめなんですよね。ぼくの場合は例えば「ビール大瓶 450円(税込))程度の記載があればここはなかなかやるじゃねえかって試したくなるから、衆目に晒すのは最低限の情報で十分なのであります。さらに手頃な値段であるのに店の内側からは酔客のざわめきが一切聞こえず静まり返っていたりした場合はそれはそれで安くて客の入らぬ理由を暴いて見せようという下らぬ挑戦心が沸き起こるのです。 駒込の駅前にも何度か通り過ぎていたけれどどうもマグロアピールが強過ぎて敬遠していた酒場があります。雑居ビルの2階というシチュエーションに臆した訳ではけしてないのでありますが、マグロ=高級という先入観があったことは否定できない事実であります。とかなんとか言ってますけどこの夜はスポンサー氏と一緒であったから特に迷うこともなく店内に突入するのでした。むむむ、マグロ料理を目玉に据えているというにはどうも店内の様子がエキゾチックではないか。土産物の小ぶりな提灯が天井に吊るされている辺りは場末の大衆酒場的な装飾とも思えるけれど、店内が明るく綺麗なせいもあってかどうも居酒屋とは程遠い印象であります。小上がりもあったりするんですけどね。さらにはモンゴルのテントのようなスペースもあったりして、そこだけを眺めるとエスニック料理店のような風情を感じる訳で、とにかく全般にちぐはぐな印象があるのです。でも品書きを眺めるとそこにあるのはいかにもな居酒屋メニューと混とんとした印象にどうもお尻が定まらない気分にさせられるのです。品書きを見ると全般にお手頃な価格帯だから余り文句というか疑問符ばかりを突きつけるというのも気の毒なんだろうけど、どうにも違和感を拭えぬままに呑み進むのです。それと気になったので―正しくは違和感が露骨なモンゴル風テントを視界から排除するために―テント下の席に移動させてもらったのでありますが、ここがとんでもなく窮屈なのです。これは男性には無理があるなあ。2名でも相当に厳しかったのに椅子は4脚置かれているから定員はきっと4名なんだろうけれど、小学生でもなければかなり無理がありそうな席であります。また移動させてもらおうかとも思いましたが、これはこれで稀有な体験と多少の狭苦しさは我慢することにしました。といった次第で居酒屋としてはお手頃で客の入りもぼちぼちで悪くはないのだけれど、どうもリピートする気分にはなれないのでした。 後日違和感の理由を探るためにストリートビューを眺めてみると、なるほどねえ、スリランカレストランと兼業しているのですね。って土日のみ11~15時までの営業なのにスリランカ情緒に押され気味の店内ってやっぱり不自然ではなかろうか。しかも50名は収容店員がありそうだけれど、そこまでの集客はとても見込めそうもないように思うのです。そもそも居酒屋とスリランカレストランが共存すべき合理的な理由もとても思い当たらない。カレー臭の漂う環境でマグロを食べるのもどうかと思うのだ。ととにかく不可思議なお店ということで筆をおくことにします。あっ、一応ですが店の名前はどちらも「十喜蔵」らしいので、店主がスリランカ好きもしくはスリランカカレー好きなんでしょうか。
2022/11/30
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末枯れた佇まいの酒場にはそれだけで好感を寄せてしまうぼくでありますが、近頃はその酒場そのものの景色が素直に楽しめなくなっています。というのがこういう酒場に若者たちが集うようになったからであります。古い酒場には古い人間がやはり似つかわしいと思うのです。無論、古い人間というのは基本的に消え去ることがこの世の定めでありますから、客たちも新陳代謝を余儀なくされるものなのでしょう。だから若者が増えること自体は致し方のない事であるけれど、古い酒場に足を踏み入れるのは、まずは世間の居酒屋の大勢を占めているチェーン系居酒屋などから訓練を積んだ後にしてもらいたいのだ。そこで流儀なりを学べなんてことを言いたいわけではなくてですね、まずは一般的な居酒屋の似合う人物になってから古酒場には訪れて欲しいと思うのです。かつての酒場にはその酒場に相応しい顔ぶれが揃っていたものです。不思議なことに仕事も生活環境も全く違った他人たちが寄り合わされるとその酒場に相応しい顔の群れとして認識されるのです。まあ、ぼくのイメージする古い人間たちっていうのはとにかくいつだって変わらぬ顔ぶれで揃っているから、引き戸を開けて一歩足を踏み入れてまず視認されるのは個々の顔ではなく集合体としての顔の連なりなのです。ところが安心とマンネリを伴うそこに最近は調和を乱す異分子が混じり込んでいるのです。まあ概して古顔たちの連なる様子は無彩色のどんよりしたものであるからたまに『トラック野郎』のマドンナの登場シーンみたくキラキラと輝きを放つ存在が混じってたりするととっても嬉しい気分になるのであります。がしかし大概の場合は調和を乱すだけのトキメキなどとても感じそうにない若いだけの人だったりするわけで、しかもそれが思いの外酒場慣れしていたりして可愛げのないことこの上なかったりするのです。つまりは古酒場には老人と中年が似合うのだからそれ以外の若者には極力ご遠慮願いたいのだ。どうしてもというなら集団でくることだけは避けて、できれば独りで来てもらいたいのであります。 とまあここ「煮込 千成 本店」もかつてとは違ってしまっていましたってことを語りたかっただけなのです。調べるとこちらにお邪魔するのはこれが10年ぶりだということだから随分とご無沙汰をしてしまったものであります。店に入ると熟年女性従業員さんから値踏みをされます。何を基準にして値踏みをしているか分からぬけれど、2階へ上がるよう促されます。上で呑むのと下に通されるのとでどのような差異があるのか。まあ、二階席に上がるのは初めてだからそれはそれでいいのだけれど、どういう基準、どういう判断で2階に通すことにしたのかをぜひ説明して頂きたいのだ。着ている服装やアクセサリーなんかで金銭の有無なりを見極めたのかそれとも単に顔面の肌艶なんかで年齢を読み取ったのか知らぬけれど、客としては余り気分の良いものではないことは確かであります。通された2階には(ぼくの値踏みでは)小金持ち風のオヤジ2人組と若い娘衆を連れたボンボン風あんちゃんグループがいて、われわれ一般的なホントの意味での小金しか持たぬオヤジ2人組が通される理由がますます汲み取れぬのであります。まあいいんだけどね、とちっとも良くない気分のまま座敷に腰を下ろすのだけれど、ぼくは座敷が苦手であります。家庭においてコタツが冬の愉しみであった当時は地べたで食事を摂るのは日常のことであったけれど、コタツを処分して以降は地べたに腰を下ろした姿で飲食することは正月位になってしまいました。ということで、具合のいい座り方やら足の延ばし方を模索しつつ呑むことになる訳でありまして、肴の選択は乱暴にも名物の煮込みともつ焼きを頼みました。久々のここのもつ料理ですが、思った以上に美味しく感じました。当時はさほど感心しなかった気がするんですけどね。とまあそれなりに好ましかったりうっとおしかったりとどっちつかずの感想になってしまいましたが、果たして通いたい酒場かと言われるとちょっと違ったかなあ。次に来るのはまた10年後のことになってしまうのだろうか。
2022/11/23
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個人的な行動範囲内であるから、特段ぼくにとって不便なわけでもないのでありますが、近頃めっきり大塚とは疎遠になっています。でもそれはそれでいいことだとも思っています。というのが,ぼくはどんなに大事なことだって瞬時とは言わんまでも一定の期間が過ぎてしまうと実に多くのことを忘失してしまうのです。これはもはや単に忘れっぽいという域を逸しているのではなかろうかと不安になりもするのですが、一面で一定程度のインターバルを設けることで飽き飽きした町も再活性化し、蘇らせることが可能となるのです。馴染みの酒場は結局一番いいけれど、その一方で初めての酒場もやはりいいものです。さすがに離れしてはいるからよほどでないとドキドキを感じることはありませんが、しばしの間ではあるけれど未知の空間に浸るのは、若干の緊張と期待と興奮のない交ぜとなった稀有な体験であることは今でも感じることがあります。この夜は大塚を訪れて、駅の改札を抜けてみてはてさてどっちに向かおうかと少しだけ迷いました。でもこの夜の気分からも結論は最初から決めていたようにも思えるのです。大塚は駅を中心に四方八方の何処に向かおうとも酒場には事欠かないけれど、ぼくがことに気に入っているのは、かつての花街の面影があるようなないようなの大塚三業通りなのです。この通りの大概の酒場に入っている記憶がありますが見落としがあるかもしれぬし、もしかするとぼくのようにこの通りに静寂を気に入って新たに店を出した方もいるかもしれないという期待もあります。 あれっ,「やきとり 種子島」かあ、こんかお店あったかなあ。あったようななかったようなどうにも記憶が曖昧ですが、すでにぼくの気持ちはここにロックオンされています。なんというかぼくの立地も店の佇まいもぼくの好みのど真ん中なのです。以前はもっとオンボロ物件に目を奪われたものですが、今ではこうした地味だけれど確実に町の風景の一部としてしっくり収まっているようなお店がいとおしく思えるのです。店名が種子島というのも気になるところですが、入店時には気にも留めなかったのです。さて、店内は既視感はあるものの何かが違っています。小上がりにはご年配の女性がおられますが、カウンター内の女性は店が醸す雰囲気よりもずっとお若い方のようにお見受けしました。カウンター席に着いてお話を伺うと小上がりの方がずっとやっていたのを娘さんが手伝うようになったとのことです。古い店をそのお子さんたちが支え合うというのは、別のぼくの通う酒場でも見られる光景ですが、麗しい親子関係ですねえ。ぼくなどはそんなホームドラマのような様子を揶揄したくなるへそ曲がりな性格なのですが、それはきっとどこかで彼女らを羨む気持ちが反転しているのかもしれません。この母娘さんが実に素敵な方たちで彼女たちと交わした会話はいつものぼくらしくなくとてもきれいなものだったと思います。そんな風に気分のいい酒場というのはひねくれ者でさえまともな感性に引き戻してくれる効果があるようです。何を呑もうが、何を摘まもうがもはや大した意味などはないのであります。と記憶どころか写真もないので言い切ってしまうが満更嘘ではないのです。ところが、というかやはりというべきかこちらを訪れたのは実は初めてではなかったのでありまして、忘れている以上は初訪とほぼ同義ではあるけれど、忘れっぽすぎるのはやはりどうにか現在以上に加速せぬように自衛策を講じた方が良さそうであります。だってぼんやりとした既視感こそありつつもこのような素敵な酒場があることをさすがに覚えていないのはかなりヤバいはずなのです。
2022/11/16
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町中華で呑むのは、ぼくにとっては当たり前のことでした(というかぼくにとっては種類を置いてるお店であれば、どんな業態の飲食店であっても一応は酒場と見做しています)。しかし近頃テレビ番組で町中華で呑むという安直企画の番組が人気になって以降のことなのかもしれないけれど。どうも町中華呑みがようやく一般化しつつあるようにも見えます。町中華をやるなら蕎麦屋だっていいんじゃないかと思わなくもないけれど、さすがにちょっとばかり滋味過ぎるかもしれません。あるとすればドライブインとか大衆食堂なんかは見てみたいですね。『トラック野郎』シリーズを見ているとドライブインで大酒をかっくらった挙句に大乱闘となるのがお決まりでしたが、今でも酒類の提供は行われているのでしょうか。ぼくのお邪魔した何軒かではビールと清酒位ではあるけれど確かに呑めたという記憶があります。昔ながらのドライブインが激減する中でなかなか思うように呑みに行けない現状にあってはぜひとも記録に留めておいて欲しいと思うのだ。オートパーラーなんてもの愉快ではありますが、呑めないからセットで放映してくれるのも楽しそうです。また、大衆食堂も呑める飲食店として楽しい物件であります。呑める大衆食堂なんかは酒場放浪記でも取り上げられる機会が稀にあるけれど、もっと紹介(記録)してもらいたい物件です。あまりフォーカスが当たってしまい客が押しかけるという状況はゾッとしませんけど、そこそこの集客効果がみられるようなら店の方のモチベーションの向上にも寄与できるかもしれません。近頃は飲食店に対するマスコミの視線のむけられ方が美味しいだけではなく佇まいや人情など多様化しているように思えるから、マスコミ各社はぜひ出演というか放映されることを渋る店主たちを口説き落とす弁論術を身に付けていただきたいものです。でも食堂?みは今更ぼく如きが騒ぎ立てるまでもなく思った以上に一般に膾炙しているのかもしれないなあ。だって、どうとらえても居酒屋なのにあえて食堂を標榜するお店が結構あるんですね。 駒込の「食堂 じみち」もそんなお店の一軒です。食堂を標榜してはいるもののちっとも食堂っぽくなくて居酒屋に近い印象。でもでは食堂と居酒屋を峻別するのは何なのかと説明を求められても明確に回答する準備もないし、もともとがその差異は曖昧なもののような気もします。強いて挙げても酒のない居酒屋はなくても酒を提供しない食堂はあるといったところか。問題になるのは酒を出してくれる食堂であって、少なからぬ割合で酒の提供があるように思えるから厄介なのです。しかしまあ食堂でもなければ居酒屋に感じる酒を呑む場所という濃厚な空気感も稀薄という曖昧なお店なのです。まあ、カウンター席では地元のおじいちゃんのお一人様が2名定食とともに瓶ビールなど召し上がっていて、スマホをいじるでもなく黙々と呑んでは食べをゆったりとしている姿には食堂らしさを感じてしまうのです。そうか、食堂というのはやはり食いが主体なので酔って騒ぎ立てる客は少ないかも。一人客が多いのもあるかもしれません。と、いかにも初訪のような書き方をしているけれど、実は以前お邪魔しているらしいからその空気感の希薄さは自ずから知られるのです。って単にぼくの記憶力が馬鹿になっているだけかもしれない。さて、品ぞろえは多いような少ないような、それでも酒の肴として事欠かぬ程度には充実していて、滅多に食べることのなくなった鶏の唐揚げを美味しいと感じたけれど、それはここの唐揚げが飛び抜けて旨いとかいうことではなく単に久し振りに食べたいものを見つけたからだったのでしょう。あれこれ食べてあれこれ呑んだけれど、満腹してもどうも満足感が得られない気がするのもここが食堂だったからかもしれません。
2022/11/07
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大塚駅の南口にサンモール大塚商店街があります。ずっと気にもしなかったのですが、近頃になってサンモールってどういう意味なのか気になりだしました。ぼくにとっては、昔住んでいた仙台のサンモール一番町商店街、中野武蔵野館で映画を見るために通った中野サンモール商店街などに馴染みがありますが、小樽にもサンモール一番街があるようですし、広島、千葉県の旭にもショッピングセンターがあったりと商業施設と縁が深いネーミングのように思われます。聖マウロ(Saint-Maur)がフランス語でサンモールと発音されるようですが、これとは直接の関係はなさそうです。恐らくは英語のsunとmallの結合したものと思われ、sunはともかくとして、mallの意味するところは以下の不動産用語が参考になりそうです。LIFULL HOME'S 不動産用語集「モール」https://www.homes.co.jp/words/m5/525000093/ 歩行者専用の商店街といった意味らしく、具体的には複合商業施設のショッピングモールやアウトレットモール、アーケード商店街や地下商店街に付けられることが多いようです。つまりは、利用者の利便性や快適性を目的とした施設であり、sun即ち太陽とは縁遠いように思えます。大塚の場合は屋根のない商店街だからあながち間違いではないのだろうけれど、ごちゃごちゃとした薄暗いイメージと太陽の日差しのイメージとは程遠い事には違いがありません。むしろそうした暗さを払拭するためにあえてサンを冠することにしたのかもしれません。日本語にも「燦燦」という言葉があって、これは太陽が光り輝く様子を意味するとすれば、英語のsunとも発音を共有することになります。サンという響きには人の心を明るくする効果があるのかもしれず、その効果を目論んでのネーミングのようにも思えます。まあ、名前なんてのは付けられた側には何の責任もないし,呼ぶ側もその意味にさして興味がないことがほとんどで、名付けた人だけが大いに拘るといったシロモノのようです。 だから「小金寿司」にもそれなりの謂れがあるに違いないけれど、ぼくなどからすると松戸に小金という住所があるなあとか大金だと欲張り過ぎだから小金持ちになりたいという程度の願望を込めたんじゃないかとかいう程度の想像しか湧かないわけですが、よほど愚劣な名前を付けられた以外にそうも拘るべきものでもないとぼくは考えています。さて、ともあれ、店に入るとどこか雑然と感じられます。ぼくのイメージでは寿司屋ってのは基本的にこざっぱりとしているのですが、ここはむしろぼくにとっての居酒屋に違い感じでちょっと安堵します。でも板前のオヤジさんの眼光は居酒屋の主人たちのそれとはまた違った鋭さを帯びていてひるむのです。しかし、スポンサーもいることだし大船に乗ったつもりでいたのです。取り急ぎウーロンハイで喉を潤すことにするのでした。可もなく不可もない固くも柔らかくもないウーロンハイであります。ウーロンハイの味の評価なんかをしても詮無きことであることは分かっているけれど、実はこの寿司屋では吞み食いに関する評価はこのウーロンハイのみに掛かってくることになったからないがしろにはできぬのです。つまりは注文を先延ばしにしてうっかりと会話に興じてしまったものだからオヤジさんが怒ってしまい、食べないなら帰ってもらっても構わねえよ、なんてことを仰るわけだ。ちょっと沸点が低いっていうか沸点に達するまでが速すぎるような気もするけれど、まあお気持ちは分からぬではないのです。一方でぼくの大事なスポンサー殿はその言い種に激しく憤って言葉もでないのであります。憮然とした表情でじゃあ帰ると言い放つのでありました。これまた別な対応もあったのではないかと思わぬでもないけれど、オヤジたちの激した様子を眺めるのもたまには見物とぼくは部外者面しておっとりと構えるのでした。さて、帰るから勘定をと言うと700円也の金額を告げられる。なるほど、寿司屋としてはお得ではあるけれど、江戸っ子気質風のオヤジが700円を取るんだねえ、これはスポンサーの方が男気があるのか。と思ったらきっちり小銭で支払ってました。どっちもどっちですね。ぼくはまあ客観者の立ち位置で住みましたが、お二人ともご不快な思いであったろうか、くれぐれも引き摺らぬことをご祈念する次第です。まあ、こういう夜もたまにはあるものです。
2022/11/04
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良くも悪くも大塚というのは変化に乏しい町でした。それが最近になって駅周辺が変わり始めました。その変化の仕方は非常にのんびりとしており、ロータリーが広場風に整備されたりしてはいるけれどそれで大塚全体の町並みや行きかう人々に変化が生じたかというとさほど影響を被ってはいないように思われます。それが町の人々にとっていいことなのか残念なことなのかその真意を知る由はないけれど、少なくともぼくにとってはまだしばらくはこのままの大塚であってもらいたいと思うのです。特に駅の南口、サンモール大塚商店街は焦点だったり飲食店だったりは時折入れ替わりがあったりするけれど、それでも依然と変わらないお店がそれなりに営業を続けていたりして頼もしい限りです。商店街といっても一本道の両側に焦点が連なる式の単調な商店街と違って、この商店街は闇市時代の名残なのか、コンパクトながらうねうねと入り組んだ迷宮風の空間となっているのがいかにも愉快なのです。これがさらに立体的に入り組んでいたらなお楽しいに違いありませんが、そこまでを大塚に求めるのは無理があります。 さてそんな商店街の外れ―本来は中心にあったのかもしれませんが―大塚天祖神社の向かいに「味の酒処 ロマーノ」があります。イタリア料理店のような店名はかつて2階で営業していたというイタリア料理店の名残か。今でもメニューにその面影がありますが、店先というか店の前を通り抜けただけだと惣菜店にしか見えませんが、酒処とあるので呑める店であることは分かっていました。けれど、どうもその曖昧な店名に気後れしてしまいこれまで訪れる機会を逃し続けました。でも先般、せんべろのおねえさんが行かれた旨の報告をされていたのに背中を押されて立ち寄ってみることにしました。詳細はせんべろネットさんにお任せすることにして、ぼくの受けた印象はとにかく店の方が驚くほどにフレンドリーなことです。酒と肴の手頃でお得なセット(詳細失念)を頼んだのですが、先のせんべろ情報で150円のドリンクがあることが知っていたし、店内の貼り紙でも確認を済ませていたからそこに記載のなかったいかにも単価の高そうな冷酒をもらうというせこい算段を立てたのですが、そんなケチ臭い魂胆を開けっ広げたままで注文してもニコニコと応じてくれるなんて、なんて太っ腹なんだと嬉しくなったのです。肴はすっごく美味しいとまでは言いませんが、これは本当にお得だから頼まないという選択肢はなさそうです。あちこちの酒場でこうしたセットメニューを見ますが、ここのように日替わりの肴を提供してくれる酒場はそう多くないと思います。これなら毎晩でも通えそうですね。でも残念なのがお客さんの入りが良くないことで、こういうレストラン風のお店が空いていると何だか少し申し訳ない気分に陥るので、もう少し開放的で酒場的な店内になればもっと気兼ねのない酒場になりそうなのになあ。
2022/10/17
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大塚には随分とご無沙汰してしまいました。酒場訪問のメモを探ってみたところ、今年になって初めてどころか昨年もたった1度訪れただけだったようです(先般書いたようにある時期以降の更新データは消えてしまいましたがここ1カ月のことなのでさすがに行っていないことは覚えています)。かつては週一程度は訪れていたことを思うと大塚への不義理が過ぎるように思えます。山手線に乗車して車窓からの風景を眺めると、つい先達てまでは出来上がって久しい町並みが少しも変化する風もなく、変わらぬ町であり続けるのかしらと漫然と思っていたのが、新型コロナの時代に突如として駅前風景がかなえい一新されたのを眺めてはいたのだけれど、だからといって根本の部分、薄暗かったりいかがわしい印象を伴っていることなどは一掃されるには至っていないように感じられるのです。その印象は、久し振りに下車してみても変わるところがありませんでした。多少頑張ってテコ入れしてみせたところで、いかにも駅前だけの張りぼて的な処置にしか思えぬのです。果たして駅前の風景をたまたま車中から確認して駅に降り立とうと思う人がどれほどいるというのか。人がどこそこの町を訪れようとするのはその表っ面を眺めるためではないのであって、多少駅前がうらびれていたとしてもその先に魅力と感じる施設だったり店だったりがあるなら無駄な税金を投じずとも人々は集まるのではないか。むしろ見せかけの綺麗さにまんまと乗せられて駅を下りたもののそのすぐ先にピンサロが目に入れば取って返すってことになるとむしろ逆効果になるのではなかろうか。所詮、町作りを行政や体制側から強引に推し進めたところで、実際に町に住んだり、町から生活の糧を得たりする人々をとっては無駄に思えることが多いようです。万人が納得する事業などありはしないけれど、せめて実際にそこで生きる人々の意見を無にすることはないようにしてもらいたいのです。って実は言い出しっぺは現地の人だったりしてね。いずれであっても少なくとも町を往来する人々の醸す雰囲気は以前とさほど違ったようには思えぬのでした。。 と長々書きましたが、久々の大塚なのに「大塚大酒場」なるホテルの地下のいかにも新しい酒場に入ることにしたのでした。本当は別の酒場を目指したのですが、休みのようで入れず探すのも面倒なので見慣れぬこちらに入ることにしたのです。でもこの「大」の字が繰り返されるいかにも適当なネーミングのこの店を訪れたのは、今けなしたばかりの店名に惹かれたからなのでした。冠の「大塚」はどうだっていいのですが、「大酒場」ってのがとても気に入ったのです。松本零士のお決まりの名付け方ですね。松本氏は何にしたって大きなことは良い事なのです。で大塚の大酒場はどうかといえば、店内は確かにまあオオバコと呼んでいい程度のキャパシティはあるけれど、「大酒場」を称するにはいささか荷が重いように思えるのでした。客も入りもあまりよくないようです。広くて空いてる酒場には、独特の風情を感じるタイプの人間であるけれど、それにしては中途半端に人がいるのは好ましくない。いっその事、客が自分たちだけの方がすっきして愉快であります。そんな入りなのに席を指定されるのもなんかねえ。言い張れば通してもらえるかもしれないが、基本的には店の人の言いなりにならざるを得ないのも気になるところ。メニューを眺めると、ははあ、こちらは中華料理がメインの酒場なのですね。店の従業員たちの何というかやる気のなさと時折向けられる不躾なまでの尖り気味の視線が鬱陶しいのだ。でも値段はかなり手頃でしかも料理もそこそこに美味しいのだから使い方次第では結構重宝しそうなのです。しかもここのどんよりした空気感を撥ね退けてまで訪れる客たちのお目当ては別にあるようで、それはチャーハンだったり焼きそばなどの炭水化物系食品がとんでもないボリュームがあることです。いやまあ、体調を整えさえすればそれなりに頑張れば一人でも食べられなくはないのかもしれないけれど、見た目には二人以上でシェアするのが正解なようです。といった点が大酒場たる所以だったのだとしたら納得なのです。
2022/09/30
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ごくありきたりのおでん屋さんでのんびりとした気分で呑みたいと思うことがあります。年のせいかどうかは分からないけれど、そうであるとは認めたくはありません。今年の夏は記録的な猛暑となっているようだから気力が湧かない言い訳には事欠かないのであります。が、それを理由にしてしまっては、今後温暖化の加速をある程度食い止めることはできても、寒冷化へと変化することはすくなくともぼくが生きているうちには実現しそうもありません。つまり、今後、過ごしやすい夏は期待できないということで、加えて春や秋という季節も失われつつあるわけで、暑さ寒さは彼岸までの諺が過去のものとなって久しい現代にあっては活動的であるには相応の体力、気力が求められるのでした。ぼくなどは体力、気力に不幸にも恵まれなかったので、映画だったり居酒屋だったりを趣味とすることでそれだけは旺盛な好奇心の捌け口としてきましたが、これらの趣味というのは昂じれば昂じたなりの気力、体力が要求されるようになるのだから、ぼくがのんびりと生きるには節度ということを弁える必用がどうもありそうです。何事ものめり込まなければ面白くないけれど、のめり込み過ぎると諸々の弊害も生じるというジレンマを素知らぬ顔でやり過ごす位に達観できればいいのですが。その実践ということでもありませんが、日中の熱気が冷める気配もないとある夜にふらふらと池袋駅に降り立ち、さほど気乗りもしないのに七福神の一神を店名に掲げる酒場へと向かったのです。ぼくにとってそこは安さとそこそこの旨さだけが取り柄なだけの酒場でありまして、むしろとある事情から極力立ち寄りたくないと思っていたのです。だから店の前に佇んで店の様子を眺めていると立ち寄ろうという気持ちが一気に萎えてしまうのです。こういう場合は躊躇せずに飛び込むべきですが、その気力すら失せていたのです。 で、目に留まったのが「味好屋」です。どうということのない居酒屋ですが、池袋駅の東口ではそれなりの老舗と思われます。ここを訪れたのはもう10年以上前のことだったと思います。しばらく振りの酒場というのは気分が高揚するものですね。この酒場の前はたびたび通過しているのですが、単に通り過ぎるだけでは催すことはないのに、いざお邪魔するつもりになるととても興奮するものです。ということでいそいそと店に入るのでありますが、うわあ、10数年前と少しも変わっていませんねえ。これって言葉にすると簡単ですが、とんでもなく大変なことであるはずです。老舗ながらもボロへと転ずることもなくかつての清潔な雰囲気を留めています。空調もきっちり効いていて心地いい環境だなあ。いつもはオンボロ扇風機だけのうだるような暑さの酒場で呑んでいることを思うと別天地に思えます。独りなのでカウンター席の奥に通されます。ここに来るといつもこの席に通されたことを思い出します。お通しが届けられます。ここまでするかと思う程に小さな焼売に見覚えがあります。チューハイとおでんを数個頼みます。真夏のおでんというのも悪くないものです。この席は奥まっていて周囲の様子がちっとも見えないのが難点でありますが、考えようによっては好き勝手に読書もできるから悪くないのだよなあなんてことを思い出しました。はんぺんにちくわぶに厚揚げというどうでもない材料もちまちまと摘まんでいると結構食べ応えがあるように思えるから不思議です。こんなゆったりしたペースで飲酒すればダイエットなど考えなくとも満足できそうです。とまあ、思っていた以上に寛いだひと時を過ごしましたが、次回はまた10年後になるのかなあ。
2022/09/05
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どうも駒込駅っていうのは、山手線の30ある駅の中でも存在感の希薄な、つまり利用数ることの少ない駅であるというのが―国民だか都民だかは知らぬけれど―もっぱらの意見とのことであります。ぼくのように比較的頻繁にこの駅を利用する者にとってみればふうん、そうなんだあというちょっとばかり意外な事実でありまして、駅の近くには観光スポットと呼べそうな施設もあるし、商店街だってそこそこ充実していて、派手さはないけれどのんびり散策するにはとてもいい場所に思えるのです。飲食店というか呑める店もそれなりに揃っていて、軒数はそう多くはないかもしれないけれど、満遍なく多様な業態が揃っていて、贅沢さえ言わなければこの町で完結して過ごすこともできなくはなさそうです。チェーン店風でも他所であまり目にすることのない酒場だったり、以前何度か書きましたが、チェーンであってもなぜか他店は駒込とはまったくかけ離れて立地していたりするなど、とかく駒込は不可思議な土地柄に思えるのです。そんな場所で優勢を占めるのが中華料理店で、和式の町中華や本場風のものばかりでなく焼売や餃子に特化した酒場もあったりとこちらもヴァラエティーがあって、もし中華料理ジャンキーだったら週を日替わりで通うこともできそうなのです。「中国酒菜 好来飯店 駒込店」は見た目には本場風であり実際に従業員の方も中国の方のようなのです。でも不思議なのが、系列店で、同名のお店が食べログでざっと確認すると八丁堀、代々木、神田(2店舗)、大手町に店舗があります。代々木店を別にするといずれも都心部に店舗が偏っています。しかし都心は無論のこと代々木も日中の人出がそれなりに見込めることを考えると日中どころか終日人通りが少ない(多くはない)駒込に出店したことが不可思議に思えるのです。どう考えてもそれ程に集客が見込める土地柄とは思えぬのです。素人見立てに過ぎぬけれど、駒込というのは、住宅地の隙間を縫うように商店なり飲食店が立地するから客層もほぼ地元住民に限定されるのではないか。という想像は満更外れてはいなかったようで、お客の入りは終始まばらでありました。店の方ものんびりした様子を隠す風もなくリラックスした表情を浮かべております。都心部とは比べるべくもないけれど、賃料はけして安くはないと思われるのだけれど、採算は取れるのか余計なお世話ながらも気になってしまうのです。店内の印象は辛うじて中華料理店であると判別できる程度の装飾がある程度でもうちょっと工夫の余地はありそうです。案外世間の人たちはそういったことに無頓着なのかな。そうそう申し訳程度に円卓が1卓置かれていました。ドリンク1杯と料理1品で650円位のセットがあります。よくこれに小鉢が付いて1千円なんてのを見ますが、それよりはずっとお得に思えます。活気の感じられぬ店ではありますが、料理もそこそこ美味しいのですが(ただし料理が全般に熱々ではないのです)、近所でないともう一度訪れたいという気分にしてくれるまでではないですね。なんか中途半端でもったいない感じがしました。
2022/08/31
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7月の下旬だったと思います。たまたま池袋のジュンク堂で所用を済ませてびっくりガード前をウロウロしていたら、このブログにもたびたび姿を見せるO氏と遭遇しました。こうした遭遇ってたまにあるけれど、実はそれってかなり凄い事なんじゃないかな。というのも例えば特定の映画館でしか上映されない映画があったとしたら、同じく映画鑑賞を趣味とする者たちが道端で出会ったとしてもそう驚くべきことではないでしょう。しかしO氏との共通の趣味には映画鑑賞があったけれど、それは今は昔のこと。だから昔は池袋だってどこでだってしじゅう遭遇していました。でも今の共通項は酒場巡り位です。酒場巡りのお目当てエリアとして池袋が急激に魅力を失いつつある現在では、O氏とぼくがバッタリと出くわす機会など極めて珍しいものすごく確率的に低い出来事だったのではないでしょうか。とまあそんな驚きをもって顔を合わせたわけですが、そこで彼の口から語られたことはそうした偶然をも凌駕する驚きをぼくにもたらしたのです。というのがぼくが今の池袋で唯一気に入って通っている酒場がなんと8月一杯をもって閉業するというのであります。なんたる無慈悲なことよ。 典型的な路地裏酒場の「炭火焼 おとみ」は池袋にあって大変に貴重なものであります。この記事がアップされた時点で残すところ3日となりますが、また訪れる機会はあるのだろうか。この夜、ようやく念願かなってかねてから約束していた呑みを終えて帰宅の途に就いていたいたのですが、ふと?み足りなさと同時にこちらの閉業のことが脳裏に浮上してきたのでした。そうなるとやむにやまれぬ気持ちとなってすっかりいい時間になってしまったけれど、立ち寄ることを即決したのです。ほぼいつもの如くお客の姿はありませんでした。閉業までのカウントダウンとなった店内で一人佇む店主の気持ちはぼくなどに計り知れるものではありません。とんでもない悲しみや寂しさを噛み締めておられたと思うのです。炭はおこしていないから焼鳥はフライパンで焼くしかできないと断りがありますが、無論それで全然かまわないのです。今後のわずかな営業日は炭火ではなくフライパンで焼かれることになるのでそこを気にする方はご注意いただきたい。さて、ぼくがこちらにお邪魔する時は大概いつだって気が滅入っているのです。なので、これまでご主人とはそう何度も言葉を交わしてはいなかったのです。でもこの夜は違いましたね。これまでの無言で過ごしてきたことがウソのように、そして喋り損ねてしまった過去を取り戻すかのように実によくお喋りしました。話題は二転三転しましたが、もっとも時間を割いたのが近隣の酒場や飲食店事情です。特に5年前に突如として店を畳んだ某もつ焼店については、近頃になってやはりこれまた唐突に改装を始めたことなどを語り合いましたが、双方ともに行く末を知る訳でもないのに長々と推論を交わし合いました。ちなみに近隣ではそこがこちらの酒場より少し前に開業されたそうです。さらに古参のお店であった「キッチン 南海」については、先頃ステーキハウス「ビリー・ザ・キッド」として生まれ変わったことを嘆き合いました。といった具合にご主人は当のご自身の酒場を閉業するというのに至って平静でありましたが、この程度の関係性では内心までは窺い知ることは叶いません。できればもう一度だけでも訪れることができればいいなあなんて思いつつ、これで池袋で呑むこともさらに少なくなるのだなあと寂しく思うのでした。
2022/08/29
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誰にだって1冊は小説が書けるらしい。この言葉が意味するのは誰にだってそれが輝けかしいものであれ絶望のどん底であれ特別(と本人だけは思っている)な思い出があるはずだからそれを題材とした小説が書けるだろうということだったと思う。まあ、そうかもねなんて思わなくもないけれど、そもそもが小説などというものはその出自からしていかがわしくも自由極まりないものであって、原稿用紙1枚でも本人が小説だと言い募った場合にそれを否定することはできないんじゃなかなあ。しかも思い出などというものは語る相手に応じて語り手自身の意識の有無はお構いなしに自在に変化を遂げるものだから想定する読者を例えば同世代から年少者に置き換えさえすれば幾らだって似て非なる作品を生み出せるはずなのです。だけれどそうやって作品を量産するに至らないのには、恐らく本気で1冊書けばきっと大概の語り手は自身の限界を悟らずにはおられないだろうと思うのです。それを小説だと主張することに恥ずかしさをおぼえるのではないだろうか。自身の来歴などとは一切無縁だと主張する作品があったにしても小説を執筆してそれを公表するなんてのは相当に厚顔無恥な人でもない限りとても耐えられるものではない気がします。と長々と余計なことを述べたのはこの夜向かった池袋三業通りはぼくも若い頃にしばらく暮らした場所で、当時の思い出などを厚顔な小説家たちと同じく披歴してみせることを企図したものの、やはりまだまだぼくは修行が足りぬらしく酒でも呑まないととても書けそうになさそうです。この夜は本来全く別のマジ中華店を訪れるつもりが一向に見つからず記憶に任せて歩いていたら偶然遭遇したのでありました。 お店は「大衆小料理 寿美広」という店名のいかにも池袋の三業通りらしい枯れて物憂げな印象を放つ酒場でありました。そういやぼくが住んでいた頃にもこういう店名を見た覚えがあるなあ。でも入ったことはあったかなあ。仮に入っていたとしても全く覚えがないのでした。扉の前に立つと男性の歌声が響いていました。とにかく一刻も早く呑みたいから多少のやかましさには目をつぶることにしました。この夜は若い頃にそれこそ頻繁にこの界隈で呑んでいた旧知の方と一緒でしたが二人とももう随分前にこの界隈とは縁の薄い場所に越してしまっていたのでした。カウンター席と奥に卓席もあるようです。店の方は年齢不詳のお綺麗な女性でした。寿美広っていかにも芸者さんっぽいのですが、この方はさすがに芸者をされているようなお年ではなさそうです。すると私は早番で本当の女将はこの後やって来るのですよとぼくの心の声が聞こえたかのようなお話をなさっていました。おしぼりを受け取りながらこの近所のお方との問いかけがあって、昔、御嶽神社の近くに住んでいて「青い鳥」ってスナックにもよく通ったなんてお話をしたらマスターのXXさん、時々お越しになるんですよとのこと。確かにさっきその看板を見掛けはしたけれど、今でも元気とは驚きであります。ぼくが若い頃にはもうそれなりのお年だったはずだから今では後期高齢者と呼ばれる年頃なんじゃないかなあ。驚くべきことです。するともしかしてこの若く見える女将代理の方もまた実はとんでもないお年なんじゃないだろうか。酒も肴もごく普通で語るべきことはないのですが、この方に関しては好ましい印象が強くて、あたお喋りしに来ていらしてねと表までお見送りいただけたりして、そんな姿は少なからず花柳界の流儀のように思えたのでした。
2022/08/15
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先般、池袋駅北口がリトル中華街かしてきているということに疑念を呈しました。ずっと前からそうだったじゃんということがその理由でありました。でも、以下の記事を読むと新華僑と呼ばれる中国人たちが20世紀末頃から来日、じわじわと事業を拡大しそれら事業が日の目を見出したのが2010年前後のことのようなのです。日経ビジネス 「池袋北口に広がる“本当の中国” 新華僑がニューチャイナタウンを展開」https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/070400080/ ふうん、ぼくがよく知っていた当時の池袋駅北口とは随分と状況が違っているようです。町や店なんかは当時の雑多な雰囲気とは異なり中国風の意匠や装飾が施されたもしくは全く飾り気のないお店となり、現地に近い印象に近づいているように思えます。当時は相当におっかない土地柄で中華の店に行っても日本語がちっとも通じないこともあったりして、おっかなびっくりと訪れたものでした。そういったアンダーグラウンドなムードというのはむしろ見通しの良くなった(ように思える)現在よりもひと昔前の一歩アブナイ場所に足を踏み入れたら生きて戻れなくなることを覚悟しなくてはならないといった危険と隣り合わせのムードは失せたように感じられます。当時は良くも悪くも今よりずっと多様な人種がせめぎ合っていたように思うのです。 それはともあれ、前回お邪魔した「友誼食府」の階段を下りて2階に向かいます。こちらには「食府書苑」というフードコートがあるらしいのです。先ほどは混雑していて席の確保に苦労したから自然と急ぎ足になります。2階フロアーに入ると、おお、噂に聞いていた通り書籍のほかCDやDVDを取扱う「問聲堂 中文書店」がありますね。この書店の一角をフードコートに改装したらしいのですが、この規模を見ると立場は逆転してしまったようです。書店よりも客席の方が優勢です。しかしその割には空席が目立って少し寂しい感じもします。さて、こちらのシステムは飲み物も食べ物も勘定を済ませてからレシートを持って各販売ブースに持っていくというスタイルとなっていました。各ブースでは呼び出しベルを渡され、ベルが鳴ったら料理が出来た合図。客自らが受け取りに行くというシステムです。最初はちょっと戸惑うけれど、一度やってしまえば割と馴染みやすい。青島ビールを買い込んで、ワンタンと混ぜ麺を注文します。先にも書きましたが、こうした店はついあれこれと食べてみたくなるから本当のお気に入りを見つけるまでは数名でお邪魔するのが良さそうですね。どちらも美味しいと言えば美味しかったけれど、ここじゃなきゃ食べられないってものではないように感じられました。こちら2軒は最初こそ敷居が高いイメージがありましたが、むしろ気軽にやれるという意味では入門編にうってつけと言えそうです。久し振りに本場の中華を口にしてみて思ったほどには刺激がありませんでしたが、これだけで中国を知った気になどなるはずもないのです。まだまだいろんな意味で奥深い店がありそうで、またやってくる楽しみができました。
2022/08/08
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いつの頃からか池袋駅北口周辺の歓楽街がリトル中華街化してきたと言われ出したようです。何度か書いていますが、随分前にぼくは池袋三業通りの近くに5年以上住んでいました。だからこの界隈のことはそれなりに詳しかったという自負があります。とエラそうに語り出しましたが、なんと現在は駅北口という呼称はなくなってしまったらしいのですね。今の表記は池袋西口〔北〕となっているようです。ううむ知らんかった。それはともかくとして、当時から北口(とここでは呼ぶことにします)は十分にリトル中華街であったはずです。「知音食堂」や「永利 本店」には当時何度も訪れたし、24時間年中無休で中華食材を取扱う「陽光城 池袋店」は2002年の開業だったんだなあ。と、今更何を言ってんだいと馬鹿にしつつも中国各地の現地人御用達のフードコートも出来ているということなので、多少の情報をインプットして出掛けてみることにしました。独りだと不安、いやいやあれこれと食べられないのはつまらないのが理由です。世間ではこの北口の中華街で食べさせてくれる料理をガチ中華だかマジ中華だとか読んだりするようだけれどもう少し気の利いた呼び方はないものかと思いますが、まずはそう呼ばれたりする料理をアレコレ頂けるということでマスコミでも知られるお店に向かいたい。この夜は、当時頻繁に呑みに行った知人のK氏を伴って挑むことにしたのでした。 最初にお邪魔したのはかつての北口を出てすぐのビル、大和産業ビルという建物の4階に店を構える「友誼食府」を目指しました。古いビルらしくのろのろと一向に降りてこないエレベーターにじりじりしながらも故障しているわけじゃない。ようやく4階に到達するとそこは場末のフードコートみたいな雰囲気でしかも思った以上に狭いし混雑しているのでした。ところでこちらで呑み食いするには予め知っておいた方がスムーズに運ぶことがあるのでメモしておきます。まず飲み物は予め併設の中華食材を多く扱うスーパー「友誼商店」で買い求めます。これはそのままフードコート内に持ち込めます。混んでいるようなら先に席を確保しておくのがいいかもしれません。フードコートでは品定めをしたら入り口付近でウロウロしている青いTシャツのお兄さんに店舗名(指差しで大丈夫)と値段を告げて金を払うと清算済みを意味するカードを渡されます。各店の人にはそのカードを渡せばOKです。最初はちょっと戸惑うけれど、一度やってしまえば割と馴染みやすいですね。お兄さんは足し算が余り得意じゃなさそうなのでメモを書くとより円滑かもしれませんが、そこまでする必要はなさそうです。さて、酒は、カロリー75%オフの金麦を買い求めました。青島は目の前で冷蔵庫に入れられるところで、本場ではビールは温いと聞き及んでいますがそこまで本場におもねる必要はないでしょう。キリン一番搾りは日本人サラリーマンたちに大量にさらっていっちゃいました。まあ呑めりゃそれで文句はないのです。この後、ハシゴするつもりなので食べ過ぎは禁物と親切に色々説明してくれたオバサマの店で肴は買い求めることにしました。黒米の焼売と鶏の唐揚げです。どちらも強い主張のある味ではなく極めて平凡ではありましたが、今回は視察のつもりなので、刺激的な料理は今後の楽しみとすることにします。とまあ、最初は勝手が分からず迷うこともありますが、そこそこ日本語も通じるので臆せず臨めばどうとでもなります。次にお邪魔するのが楽しみですねえ。スーパーでもあれこれ買い求めたくなりますが、この日は我慢することにしました。
2022/07/22
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繰り返し書いているから、継続して読んでいただけてる方の耳にタコを拵えてしまうかもしれませんが、コロナ禍以降、めっきり決まった酒場で呑むことがめっきり多くなってしまったのです。決まった酒場で呑むのっていうことの安穏としたムードにすっかり身体も心も馴染み切ってしまったんですね。年を取るにつれてその傾向に傾きかけているんですが、ぼくは案外愚直に規則正しい生活っていうのが性格や体質に合っているんだと確信に近いものを抱くようになってきました。決まった時間に起きて出勤し、仕事を終えたらまっしぐらに同じルートを辿っていつもの酒場で決まった量を呑んで帰宅する。シャワーを浴びて軽い呑み直しと食事を終えたら読書などして眠りに就く。これを飽きずに繰り返すことができるようなのです。これは日頃言ってることと逆になりますが、ぼくは思っていた程には飽きっぽくないのかもしれません。というか規則的な生活を送ってこそ発見に繋がるきっかけとなり得るように思うのです。例えば昨日と今日で同じリズムで生活している中でどこかしら違和感があったとして、そこに含まれる微妙な差異の中に思いがけないアイデアの萌芽が潜んでいるかもしれません。なんてまあそこまで自己省察するような余裕も勤勉さも持ち合わせていないのですけどね。 といった次第で通い詰める酒場からそう遠くない駒込で呑む機会もめっきり減っているけれど、先日呑んだ勢いで同行した人が便利だという駒込駅で途中下車。どこだっていいからと駅からも近い「駒っこ」にお邪魔したのでした。何年か前にお邪魔したことがあるようですが、ほぼ覚えがありません。というかその際のこともそうだけれど、この夜のこともかなり記憶が危ういのでした。先述した通り普段はルーティンに沿った生活を送っているのだけれど、たまに深酒してしまうと途端にこうだから改めて規則的な生活の大事さを思い知ることになるのであります。でも人生なんて後悔と自己満足の繰り返しばかりだし、この先も変わらずそれを繰り返すことになるんだろうなあと諦め、自分を納得させるしかないのでしょうか。ともあれ、明瞭に記憶していることもあって、たまたま同行した人の知人男性が地元の方たちと集まって大いに賑やかに盛り上げっていたところに遭遇して、その方は我々の方に移って来てシングルモルトの「イチローズモルト」なるものを振舞ってくれたのでした。性根のせこいぼくは今改めてネットで値段を見てみたらそこそこの値段が付いていますねえ。少なくとも普段自宅で呑むウイスキーよりはずっと高額でありました。といったわけでそれほど語ることはないのですが、店名に相応しく地元の方たちが好んで集うような居酒屋さんでありました。こういう店は今更ではありますが、間違いなく好ましい店なんだろうなあ。そのうち機会を見つけて改めてお邪魔してみようかな。
2022/07/08
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近頃めっきりバーで呑む機会が少なくなっていますが、たまにバーで呑むのっていいんですよね。居酒屋で呑むのは日常からさほど乖離するという感じもないから、訪れたことのない地方都市で呑んだってやはりどこかしらドメスティックなムードから離れられるということはあまりありません。まあ、隣客や店の方がとんでもなく個性的だったり地方色丸出しだったりするとそれはさすがに家庭的とはいえないけれど、そうなるともはや店の雰囲気を楽しむといった状況ではなくなるのですね。それに引き換えバーっていうのはいくつかのヴァリエーションはあるけれど、どこに行っても大概似たり寄ったりなんですね(だけど良し悪しは明瞭に分かれるのでした)。それなのに他の業態では経験できぬ高揚感を味わえるのが気持ちいいのです。高揚感といっても血沸き肉躍るといった爆発的なものではまったくなくってもっとずっと穏やかにふつふつと血流が心地よく欠陥をまさぐって自身の鼓動が繊細に打ち鳴らされるような感じなのです。って何だか全く伝わらないような表現となってしまったけれど、つまりはワクワクドキドキするっていうことなのです。 だから初めてのバーに訪れる時にはその店の扉を開く際にはつい一呼吸の間合いを身体が要求するのでありますが、そこそこに通い慣れたバーの場合はその一呼吸が不要なのが違いといえば違いでしょうか。「BAR Too」はぼくにとっては後者のお店で、今でもここの扉を初めて開いた時のことをありありと思い起こすことができます。このバーの魅力はネットでも多くの方が語り尽しているけれど、とりわけこちらのバーテンダー、ヨーコさんのすごいのはものすごく色んなことを覚えていることです。バーテンダーだから酒の種類や個性を知悉していることはまあ当然といえば当然なんですが、それこそいついつ作ってもらったなんとかいうカクテル、なんていう全く手掛かりのないところからも以前のレシピを引き出してきてくれたりもするのです。ぼくはバーテンダーの良し悪し、ひいてはそのバーの良し悪しってのは、いかに客の記憶を共有していてくれるかに尽きるのではないかと思うのです。だから、各地を転々とするタイプの方もバーテンダーの中にはおられるようだけれど、ぼくはやはり10年ぶり、20年ぶりに訪れてもこちらの顔位は覚えていてくれるような店が好きなのです。もしかするとバーを訪れる際の高揚感というのは過去の記憶を引き出してくれるかもしれないという期待がもたらすものじゃあないんだろうかなどと思ってみたりもするのです。ここでは辛く悲しい気分を引き摺って歩いていた際にヨーコさんに声を掛けていただいて悲嘆にくれた気分を癒してもらった思い出があります。ここを訪れると悲しみや辛い気持ちではなく癒してもらったという記憶がふんわりとした酔いの奥から噴き上がってくるのです。これがバーの高揚感の根柢にあると思うことにします。って実際に日本にどれほどこうしたバーが存在するのかはぼくには未知数なのです。
2022/06/10
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この話を他人にしてもすんなりと信じてもらえないことがあります。酒場について語る時はいつだってケチ臭いことばかり述べている一方で、自宅ではあくなき食への執着を隠そうともしないのだから、セコいだけで本質的には口卑しい奴だと思われることには自覚的なのです。実際にセコいことには自負もあるし、旨い物に対する欲求も人一倍強いことも弁えているのです。しかし、ぼくには決定的に欠如している体質があるのです。というのも油に対しての耐性がかなり低くて、すぐに油酔いしてしまうのです。いやまあ今では大分耐性もできてきたけれど、幼少期は、日本における揚げ物界のナンバー1の座を不動とするであろうとんかつがほとんど食べられなかったのです。仮に厚からず薄からずの標準サイズのロースかつが5つに切られていたとして、その2切れも食べると胸がムカムカとしてその先は一切胃腸が受け付けなくなるのでした。もしぼくがもともととんかつが嫌いだったのであればさほど支障は感じなかったのでありましょうが、むしろ好きだったから無念なのです。食べたいけれど食べられない、それが目の前にぶら下がっていて手を伸ばしさえすれば容易に口にできるにも拘わらず食べられないというのはとんでもない苦悩をぼくにもたらしたのでした。この無念な日々は義務教育を終える頃まで継続しました。1枚をまるまる食べられるようになったのは大学に入学して以降のことだったと思います。堂々と人目を憚るようにせずとも酒を呑めるようになったのがきっかけだったと思っています。つまり、とんかつを酒の肴として食べるようになって初めて1枚まるまる食べられるようになったということなのです。今では実は酒がなくたって1枚食べ切ることも可能と思いはするのだけれど、揚げ物には必ず酒が伴うのが習慣化したのであります。 とまあ今ではとんかつで呑むのは楽しみとなっているのですが、寄る年波による健康への気配りも必要ですので、そう頻繁には実行できません。だからとんかつを肴に呑むのは休日の昼下がり、晩酌のことも想定しているから呑み過ぎない状況にほぼ限られます。近頃とんと無沙汰してしまっていますが、隣接する立ち飲み店にちょくちょくお邪魔していたので東十条にある格安とんかつの名店の店主の息子さんが大塚に店舗を出店していたことは開店当初から知っていました。店名も受け継ぐように「とんかつ 美濃屋」と本店よりもとんかつをメインに据えたお店となっています。開店当時は夕暮れ時に様子を眺めてみても余りお客さんが入っている風には見えませんでしたが、さすがの底力もあって今ではひっきりなしにお客さんが入れ替わっているのを見掛けていました。訪れた時間には昼めし時も過ぎていたから幸いにもすんなりと席に着くことができました。客も引けてきたようなので気兼ねなく酒も頼めそうです。とんかつにはビールというのが定番-佐田啓二の呑みっぷりの良さにはいつも生唾を飲まされたものです-ですが、今のぼくには腹が張ってきつくなるから避けるようにしています。ここの素晴らしいのはとんかつはもちろん、ご飯もとん汁もいずれも熱々ベストなコンディションで提供してもらえることです。ご飯は思わず大盛を頼んでしまいましたが、見掛けによらず本当に大盛で最後はふうふう言いつつ食べ進むことになりましたが何とか完食出来ました。人目がなかったなら―って実際には誰もこちらを見てはいないかもしれなかったけれど―、たっぷりとソースをかけたとんかつとキャベツで酒を堪能してからとん汁に白飯を投入して食べたかったのだけれど、やっぱりそれはまずいかなあ。
2022/03/23
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かつては池袋で呑むのは当たり前でした。映画好きだったぼくにとっては、若い頃から馴染みのある町で映画を見た後にはそのまま池袋で呑むことも多くだったらこの町に住むのが合理的と駅北口をしばらく行った方に暮らしていたこともありました。やがて、好きだった酒場はほとんど跡形もなくなってしまいました。月日の流れのなんと無情なことか。ここで近頃の若者はやたらと懐かしがるなあという話を書き出して収拾が付かなくなったのでここでは触れぬことにします。ともあれ池袋にはぼくが感傷的な気分に浸りたくなるような酒場がどんどん数を減らしています。数少ない残存する回顧気分に浸れる酒場である「うな達」はまだ現存していますが、かつての比較的空いていた頃とは状況が一転してしまい、今では開店直後ですでに空席がほぼないというぼくが回顧気分にどっぷりハマれるような店ではなくなってしまったのでした。閉業により再訪できなくなるのも残念ですが、混み過ぎてしまってそこに存在するのに以前とは違ってしまった酒場というのも無念なものです。多くの名酒場と呼ばれる店が似たような状況に陥っていたり、目前に迫っていたりする訳で、真にそこの常連さんだったりにしてみると苦々しい思いをされているんじゃないでしょうか。いや状況の変化を被った酒場に嫌気がさして足を運ばなくなるようなことも少なくないように思うのです。池袋には古い酒場が少なくなりつつあるのは間違いないのですが、それ以上にハードウェアは従前を維持しつつもソフトウェアの方がかつてと違ってしまったということが多いように思います。でも、何も変わらぬままで回顧的な気分に浸りたいぼくを待っていてくれる酒場が辛うじて一軒残っています。 駅の東口、明治通りを進んだ高層ビルの狭間にひっそりと店を構える「炭火焼 おとみ」がそこです。もうこのブログでも何度か登場しているので語るべきことは特段ありません。この夜は珍しいことに先客が1名おられました。以前ほぼ満席―といってもカウンター5席に2人掛け卓席があるだけですが―だったことがあり驚いたことがありましたが、もしかするとぼくが訪れる際にはいつだってたまたま空いていただけだったのかもしれません。そのお客さんもすぐに勘定を済ませて帰っていかれました。T氏とA氏の3名で訪れたので―グループで来るのは初めてです―一安心です。数少ない品書きから何品かを頼みましたが、今ではそれが何だったか少しも思い出せません。写真を見ても珍しく刺身っぽいのが映り込んではいますが、その向こうはまったく謎です。でもここでは店の雰囲気こそが肴になるという今の池袋では稀有な酒場だと思っています。駅からも適度に離れているからこの静けさが保てているのでしょうし、何より地道に細々とした商売を続けてこられたご主人の存在なしにはこの酒場はあり得ないはずです。もうそれなりに訪れているのだけれど、これまでほとんど注文以外の言葉を交わしたことはありませんから―一度明治通り粗衣にある蕎麦屋の主人と行き会った際に会話に混ぜていただいたことがある程度―、果たしてぼくが思い出したようにお邪魔していることを覚えていてくれるのでしょうか。きっと覚えていてくれてもほっておいてくださっているのだと思います。こんな客との距離をきっちり置いてくれる酒場だからこそ沈んだ気分で一人で呑みたい夜には訪れたくなるのです。いつまでも残ってもらいたいぼくにとって大切な酒場の一軒です。 そうそう余談ですが、すぐそばのかつてアンゲロプロスやアラン・ロブ=グリエなどの傑作をバンバン上映した、かなりやくざな興行スタイルが批判を受けもしたACT-SEIGEI THEATERのビルがとうとう取り壊しになりました。時代がまた去り行くのを感じずにはおられません。
2022/02/11
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池袋で呑むことがすっかり少なくなりました。探せばまだいい酒場もあるんでしょうけど、混み合う町に足を踏み入れる手前の駅中から地上へと突破するだけで気分は滅入ってしまうのです。実際に足を運べば何のこともないことは分かっているのですが、事前に脳内イメージで人いきれにダメージを受ける自分を想像してしまうのです。結果を悪い方に据えて想像を膨らませることは必ずしもネガティブな思考とは思っていないけれど、それも程度問題で度が過ぎると行動を鈍らせる足かせとなりかねません。でもぼくには想像力の歯止めを効かせるブレーキペダルが欠如しているようです。その負の想像力を創作活動に活かすことができればそれなりに需要のある小説なりを執筆もできそうなものですが、想像はあくまでも想像に過ぎずそれを表現する術を持たぬのだから無用の長物でしかないのです。池袋程度の町で杞憂していては行動範囲を狭めるばかりだから余り計画したりせずに思い付きで行動に移す位のフットワークの軽さを是非身に付けたいものです。 久々にS氏とO氏の3人で呑もうということで、行き先を「うな達」に決めたのでした。なんたる不幸なことか、S氏はこれまで2、3度入り損ねているらしいのです。確かに繁盛しているけどぼくは入れなかったことはないんですけどね。時間に余裕のあるS氏が先乗りすることになり6時前にはアタックを掛けたようですが、時すでに遅し、入る余地など少しもなかったのであります。前回お邪魔して随分経っているぼくも必死で駆け付けたものの満席との報告を受けるとすぐに「ずぼら」に向かったのでした。しかしこちらもすでに満席でした。とにかくすぐにも呑みたいとなり、これもダメかなと訪れたのは、「ずぼら」のすぐ側にある「ふくろ 美久仁小路店」でした。あらら、ほとんど空席だし何だかかつての渋い内装がすっかりリニューアルされていますね。せっかくの風情を投げうってしまったから客も逃げたんじゃないの、なんて邪推したけれど、大いに間違いでした。なんたることか2階にも客席ができたんですね。改修前には2階で呑んだことなどなかったんだけどなあ、というかそもそも2階に客席などなかったんじゃないのといった疑問はすぐにどうでも良くなっていそいそと店の方に促されるままに2階席への階段を上がるのでした。遅れてO氏も到着。2階は卓席のみで相当に収容定員があるのにフロアーの担当者が2名だけなので焼酎はボトルで注文します。肴は以前からの定番が揃いますが、種類は減ったような気もします。料理は業務用のエレベーターで下の厨房から送られてくるようです。広々としているので鍋を突っつくお客さんがちらほらおりますが、ああ居酒屋で鍋を食べるなんてしばらくないなあ。この冬の内になんとか鍋で呑みたいなあなんて思うのですが、そうこうせぬうちにまた外で呑めなくなったりするのかなあ。
2022/01/21
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池袋で呑むことがめっきり減りました。というか昔西口側に住んでいた頃には、呑むとばれば池袋でした。わがままと言われようと横着なぼくは近い場所で呑みたいのであります。呑んだら飛んで帰ってベッドに入りたいと思っていたから今のように好んで遠方に赴いて呑むなんてことは思わぬのでした。歳月は流れて引っ越しを終えてしばらくさするとあっさりと池袋で呑むことが減ったのでした。でも酒場巡りを始めてからしばらくは行きたい酒場もそれなりにあったし、何より大好きだった人生横丁も存在していたから思い立つと足を向けたものです。やがて好きな酒場が限定されていることを悟るとまたも足は遠のくばかりでしたが、それでもたまに出掛けると決まった酒場を訪れるのですが、酒場と人が密集する西口側を避けているということでもないのですが東口側ばかりに出向くようになっていたのでした。そんなお気に入りの酒場の一軒に実に久々に訪れることにしたのでした。池袋には不釣り合いに妙にお洒落っぽさをひけらかした南池袋公園のそば、立派な寺の立ち並ぶシアターグリーン通りの脇道にある蕎麦屋で呑むことにしたのでした。ああ、和菓子好きには定評がありすっかり人気店の座を不動のものとしている「すずめや」(看板商品のどら焼きはもちろん美味しいのですが、それ以上に水羊羹に感動。以前はイマイチだった練り切りも近頃大分洗練されてきたように思います。なんてエラソーに評価する。)のお隣であります。 見た目にはちょっと古いけれどまああり触れていると言われるとそれまでの「松楽」であります。昔は2階というか屋根裏が「木ノ声」だったと思うのだけれど、そちらにお邪魔することが多かった。忍者屋敷みたいで楽しかったのですね。話は脱線しますが藤子不二雄A氏のサンコミックス版の『忍者ハットリくん』は忍者屋敷への安孫子氏の憧れが強く反映されていて愉快だったなあ。ともあれ、近頃は1階「松楽」がお気に入りになりました。オープンエアで今の季節はギリギリ快適です。近隣のサラリーマンで繁盛しているのも変わりませんね。この夜は、何代目だかのご主人が我々のことが気になったらしく色々とお喋りさせてもらったのですが、酔っ払っていたから一方的に話し掛けてしまったかも。操業して60年以上経っているそうだからこの界隈のお話を聞かせて貰えばよかったかな。さて、蕎麦屋呑みは大人って感じで常々憧れているのですが、大概の場合ちょっと摘まんで〆に蕎麦などいただくとそこそこのお値段になってしまうものですが、こちらは酒も肴もそこらの居酒屋顔負けのお手頃価格で提供されているから気分だけでも大人になるにはとてもいいお店です。特に肴の種類は豊富で蕎麦屋の域を超えていて誠に頼もしい限りなのです。やはりいいものだなあ。この夜はツレがいたのでしっぽりと物思いに耽りながらやる楽しみは希薄でしたが、今度は一人で遅い時間にお邪魔することにしようかな。あっ、久し振りに2階にお邪魔してもいいかも。そのうち足腰が弱って階段から転げ落ちるかもしれませんしね。
2021/12/08
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