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足を運ぶ毎に表情を変え、それも悪い方、悪い方へと向かいつつあるように思える月島でありますが、先般、久しぶりに来てみてなんだまだ多少なりとは懐かしい風景も残っているじゃないかと思うに至ったのです。だから、少しぼくなりの価値観を重視してガイドブックなどとは縁を切って、路地という路地を隈無く歩いてやろうじゃねえかと鼻息荒く再訪したわけでありますが、最初はガイドブックのいいなりに、次はなんの情報も持たずに臨んでみて、その後は適当な時間を置いておくというのが、良いようです。どんなに好きな町だって飽きてしまうものだし、嫌いな町も日が経ってから訪れると憑き物が落ちたかの様に好ましく感じられることもあるものです。 月島には、酒場を巡りだしてすぐに訪れています。なんと言っても「岸田屋」があるから無視する訳にはいかぬのであります。その後、何度も月島にはやって来ていてその度に一応様子を伺いに行っているのだけれど、その度に絶望的な気分に陥るのです。その理由は言わずもがなでありましょうが、とにかく酒場で呑むのに行列をなすというのがどうにも我慢がならぬのです。これは想像するに「岸田屋」さんもそう思っているに違いないのです、だって呑みたいと思う客に待たせるのってとても不憫な気持ちになるだろうから。だからといって店の方の工夫や努力でどうにかなるものでもなさそうに思えるのです。酒場を巡り始めた方が通おうとする店は大体決まっています。 そんな名酒場「岸田屋」には、開店前まではまだ30分以上もあるにも関わらず早くも行列ができています。未訪であればぼくも列の後尾に着くところですが、あえて列を延ばすのに貢献しようとは思えません。名酒場で加えて大いに愛着のある酒場だから入りたい気持ちはやまやまですが、並んでまでして酒場の開店を待つだけの根性はもう失われてしまいました。世にいう名店の多くが後継ぎ問題に悩まされていると聞きますが、酒場や喫茶という家族経営の割合が高い業態はその傾向がより鮮明な気がします。名店だっていつまでも安泰ではないから、行けるうちに行っておくべきかもしれないとも思うのです。しかしねえ、お向かいにすでに開いていて、しかも楽しげに始めている人の姿を認めたらそちらに気持ちが奪われるのも無理からぬのです。「味久」は、本来はラーメン屋のようですが、酒もそして少なくない種類の肴もあるからどちらが主となる業態かも判然としません。想像するに長年の営業の過程で求められてこうなったのであろうと思われるのは、ラーメンの品書が一枚の模造紙に記されているのに、他の肴は随時増やしていったように継ぎ足しされているからです。そこには季節物もあったりするのですが、王道のまぐろぶつや揚出し豆腐をつい頼んでしまうのです。カウンターには、お客さんが持ち込んだらしい乾き物やらが無造作に置かれており誰でも口にして構わぬという太っ腹な一面もあります。やがてお客さんも増え始め、交々がお気に入りの席を目指します。幸いにもぼくの着いた席はそんな彼らの邪魔になる場所ではなかったようですが、ぼちぼちここを定席とする方も来られるかもしれぬ。次に移ることにします。向いの名酒場には既に第一陣が入店を終えていましたが、そんな入れ替わりを待つ客が早くも列を作っています。 前々から気になってはいたけれど「ひょうきん村」という居酒屋らしからぬ緩い店名でどうにも気になって遠ざけてしまっていた古そうな構えの居酒屋を目指しました。先日改めて眺めてみてやはりこれは一度は来ておくべきと思うに至ったのです。さて、店内は奥に深い作りになっていて、船底天井に店主の店に対する思い入れの深さを感じさせるのです。卓の配置は大きなものが2つあるだけで、おっ込式になっているのが楽しいのです。カップルなんかも多くこの夜は独り客もおらぬので、お隣さんと親しく交流なんてことはそうは余りなさそうですが、独りでも案外気兼ねなくやれるのではないかと思えました。こうした年季ある居酒屋だとついお値段が心配になるものですが、こちらは大丈夫。居酒屋の定番メニューが大概は揃っていますが、いずれもお手頃価格で安心して利用できます。と想像以上に居心地がよくてつい長居してしまいます。月島のお気に入りができました。
2019/10/03
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久し振りに月島に足を向けました。お目当ては近頃散歩のお供として親しませてもらっている梵寿綱という建築家の物件巡りのためです。建築見物というのは楽しいだけでなくて現地までの交通費さえ気にしなければ元手がなくたって楽しめるところで、本当ならお楽しみは老後にとって置きたいところですが、大概のお楽しみというものが気を逸すると後の祭りという事になりかねぬ事はもう散々経験して身に沁みて分かっています。この梵寿綱という建築家の存在は、早稲田や池袋などの何軒かをたまたま知っていたからその成果は知っていたし気にもなっていたけれど、だからといって改めてこれらの物件を設計したのは誰なのかというのをリサーチするだけの意欲はなかったのです。今ではネットでこの日本のガウディなんて評される事もある建築家の情報は多く目にすることができるのです。実に有難いことです。有難いけれど、一方で調べる楽しみを削がれたという口惜しさもなくはないのです。酒場とか喫茶店というのは、調べておくのが効率がいいのは確かですが、ある程度までは歩くことを厭わないのであれば偶然に遭遇するなんてこともなくはない。というか事前の調べから零れ落ちていたお店に鉢合わせしてしまい予定を変更してそちらを優先するなんてことも起こりうるのです。一方で、建築というのは見るからにこの人と判然する場合もありはするけれど、ぶらぶら町を歩いていてこれと認知しうるほどには明瞭な痕跡を呈している訳ではないことが多いのです。梵氏なんてのは、むしろそうしてスティグマを声高に表明しているからまだ分かり易いけれど、建築家として活動を始めた初期の物件にそれを認めることは困難だから、やはり何らかのリサーチは必須のことのようです。 月島には、「カーサ相生」という物件があります。都内各地の町を歩いていてカーサ××や××レジデンスなんて漆喰風の壁面や青の瓦屋根にバルコニーという古いマンションをしょっちゅう見かけますが、こちらはオレンジ柄の壁面デザインと琉球チックなエントランスに個性は認められるものの、まだグロテスクとかドギツいとすら受け取れかねぬ氏の個性はまだまだ影を潜めているようです。しかしそれでも他で目にするカーサシリーズとは全く異質な個性に鈍い興奮を覚えるのでした。 ついでに「みなみ屋」でパンを購入。ちょっと散歩した際に古いパン屋を見掛けるとついつい買い求めてしまいます。こちらのことも知っていたはずですが、きっと以前も今回同様にふらりと立ち寄り、買って帰ったんでしょうね。ストリートビューを見ると、かつてはテント看板があったようです。今回買い求めて店名を確認しようと表に出た際にはすでに無くなっていました。だから、別な店と過って認識してしまったのかもしれません。 さて、本題からは離れてしまいましたが、今回は珍しくもんじゃ焼店にお邪魔しました。もんじゃ通りにあるのはいずこも似たり寄ったりで面白くないから、月島らしい細い路地にある「もんじゃ はざま」に伺うことにしました。外観はちょっといい雰囲気ですが、店内は至ってありふれた様子でした。まあ、もんじゃの店って案外画一的で面白味には欠けるきらいがあるから仕方はないでしょうね。ああ、荒川区のもんじゃは駄菓子屋と一緒だったりして、観光気分で行くならそっちのほうがずっと楽しいかもしれません。ともあれ、久々のもんじゃには少し興奮します。豚肉入りのもんじゃを注文しました。サラリーマン2人組と食いしん坊仲間―というのはもんじゃの焼き初めから粘っこくカメラを向け続けていたからすぐ分かるのだけれど、もんじゃを食べるのは初めてのようです―の2人組がいます。この2組がまあ何とも残念な位に大胆で無知なのでありました。なんと、と驚くこともないのだろうけれど、座席に届けられた材料の盛られたボールをいきなり鉄板にぶちまけてしまうのだから何とも乱暴であります。知らぬなら店の方に聞くが正解と思うのです。タネが鉄板の端に流れ落ち、大量の湯気を上げて店の方が慌ててフォローに駆け付けるのを眺めたのですが、ぼくの顔には少し呆れた表情が浮かんでいたはずです。ぼくはまあそれなりにもんじゃを焼いてきているので上手に仕上げることができました。もんじゃにはやはりビールがよく合うなあ。生理的に受け付けぬ人もいるだろうけれど、このジャンクな感じはやはり悪くない。けれど、けれどですねこの程度の料理とも呼べぬような商品に千円も払うというのはどうかとも思うのですね。やはりこの点でも荒川区のもんじゃに軍配を上げたくなるのでした。
2019/09/25
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京橋の町は、昔はせっせと通い詰めたものです。なにを目当てに訪れたかは、ご想像におまかせすることにしたい、などと書いてしまうといかにももったいぶっているようで、不愉快に感じられる方も居られるかもしれぬから端的にはフィルムセンター目当てだったと言っておくに留めよう。だから大阪の京橋と異なりここ東京の京橋は酒場を目的にやって来るような町ではないのです。いやまあ、若い頃、映画を終えて知人と遭遇―遭遇と書くといかにも稀な事件のような印象を与えかねぬけれど少しも珍しい事ではなかったのだ―したのが、夜の上映のであればほぼお決まりのようにセンター前で落ち合って呑みに向かったものです。そしてセンターの周辺をしばらく彷徨ってみるものの結局は数軒の決まりきった酒場にしけ込むことになるのでした。今でもその魚介を名物にしたチェーン居酒屋や蕎麦がウリの立呑店などが変わらず営業しているようだけれど、少しの感慨もぼくにもたらさぬのはどうしてだろうか。他の町ではそこが例え気に入らぬ町であってすら、訪れてみると所謂ところの懐かしいという感情がじわじわと酒に混じって脳に沁み入るというのに。それはまあ多分、その当時は酒場という存在が単に人が集まって酒が呑めるという場所に過ぎなかったからであると思うのです。そこでは語りこそが全てであって、その夜に出会った面子が揃って語らえる場所があれば良かったのです。いやそこはまあ喫茶店で良かったかと言われるとそんな事もないのであって、やはり行くのは酒場でなければならないのだ。あれから随分と歳月が過ぎ去ったけれど、それ以上は不要だったらしいのです。少なくとも語り合った映画のことは覚えているけれど、店の雰囲気はほとんど覚えがないのです。 さて、思い出話はこのくらいにしておいて、京橋で久々に呑むことになったのです。京橋は、お隣りの銀座や日本橋が日々刻々と町の個性を無くしているようです。空は狭くなり日本中何処にでもありそうな店舗に守られるように老舗が埋まっている。かつては平面上の迷路で迷っていれば良かったのが、今では上下にも探索の視線を遣らねばならぬから、これはこれで迷宮の繁殖に寄与していて、活性化に一躍担っているのかもしれない。でもぼくにはそれは気に入らない。というの坂や階段が増えるの真っ平なのです。坂や階段は上下に空間を拡大するための機能に与してはならぬのだ。専ら鑑賞に耐える対象としてそこにあるべきなのです。ともあれ、あまり馴染みのなかった巨大ビルヂング、いやここはやはり当世風にビルディングと書くべき、無愛想なタワーがへと向かいます。その一階に少しくわざとらしく置かれたテラス席がパリ気分を増幅するとでもいうのか。日本の気候、特に夏場はオープンな環境では食欲など湧くはずもないのだ。ビアガーデンという文化も今後は今以上に冷風機の完備が求められることになるだろう。といった本質とはかけ離れた次元で話を引き伸ばすのには理由がある。料理はまあ特段ケチを付けるつもりはないけれどまあ概して普通であると言っておこう。値段だってまあ場所柄を考慮すればそこそこではないかと思うのだ。これは予想していたことなのだ。だから文句をつけるのは筋違いだということは分かっている。しかし、しかしだよ、いかにも素人くさ過ぎるのだ。特にサービスに対する教育が全く行き届いていない。普段ならそう文句を抜かさぬし、普段でなくてもさほどは気にしないけれど、それなりの値段を取るならせめて席な背後を通り抜ける度にぶつかるのはいかにもお粗密だろう。そのたびに詫びるのだよ、でもその詫びがすぐに繰り返されるとなるとやはり我慢ならぬのはぼくの側に問題があると思うべきなのか。そして、私的に不快なのがインテリアのがインテリアが全般に安っぽ過ぎるのだ。いや、ビストロだもん、そんな気取られても困るけれど、店内に足を踏み入れてすぐにガッカリさせるのは良くないだろう。パリのカフェ風のビストロは、ムードを大事にしているようで肝心なところが全く欠如しているように思えたのです。こういうのを好む方もいるかもしれぬけれど、デートで来るのは消してお勧めできません。これだったらよりシックでハリボテ感の少ない池袋西武のレストラン街の一軒を強く押します。予約不要なのには相応の理由がありそうです。
2019/08/08
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築地で呑むのは贅沢なことだとずっと思っていました。銀座で呑むとか麻布で呑むとか、贅沢な盛り場というのは少なくありませんが、その何処とも違った贅沢感がぼくの足を遠ざけるのでした。自らが自らに対して印象操作を講じているという具を犯していることは分かっているのですが、どうにもこれらの町で呑むことには抵抗があるのです。その抵抗感の源泉に値段の高さがあることを否定するつもりはありませんし、実際に食べログなどの情報を見てみるとぼくが普段呑みに行く町とは格段に値段に開きがあることが分かります。無論、すべてがすべてにおいて高級店であるということもなく、中には庶民的な価格で有名店や老舗店と対抗する気概のある店があることも情報では知っているのですが、ぼくがそれらの町に寄りつけぬのは、必ずしも各店舗への抵抗感だけではないのです。それは上手く表現できないのですが、町そのものだったりその町を往来する人々というのが予めぼくという人間を排除しているような疎外感を放っているのが堪らなく嫌なのです。日頃、酒場での孤独を語ってみせているけれど、その孤独というのは自ら望んでの孤独であり、そもそもそこにある孤独を望んでいるわけじゃないのです。などと出鱈目を語ってしまいましたが、そんなぼくにも築地へと行く機会がとうとう巡って来たのです。ってまあ築地で呑むのが初めてという訳でもないのにもったいぶって見せましたが、やはり築地で独りは嫌なので、知人を連れだって訪れることにしたのです。 まずは築地の酒場の入門編かつ決定版としてよく知られる「季節料理 魚竹」にお邪魔することにしました。どうやら口開けのようです。カウンター席だけの狭いお店ですが、不思議と窮屈な印象はなくてこの店はこの広さこそがベストな空間と感じさせる落ち着いた雰囲気です。太田和彦氏の番組などでも目にした実直そうな親子は控えめな応対ながらそのプロ意識の高さでとても素晴らしい。青菜の煮浸しにジャコを散らしたお通しで初めから清酒を頂くことにしました。肴は名物でもある焼魚の盛合せと肉豆腐にしました。いや、これがびっくりなのです。焼魚などと馬鹿にしては失礼なほどに旨みが乗った肴をいただくと、刺身が魚介の最高の食べ方だと語ってみせるもっともらしい意見など吹き飛ばされてしかるべきと心底思ってしまうのです。もとより魚介は火を通した方が好みのぼくにはその意見を盤石とするに足る心強い味方を手に入れたように思えました。さて、そうこうするうちに客席が埋まってゆくのです。独り客は、いかにも誰かの酒場本で仕入れたに違いない情報をもとに、手早く注文を済ませると電車の時間があるので6時過ぎには勘定を済まさねばならぬなどと、妙な予防線は張って忙しないことこの上ないのです。酒もカールスバーグの瓶を一本切りとは酒呑みとしていかがかと思うのです。次に来た客はグルメ系の編集者だか作家だか知らぬけれど、やけに尊大な振る舞いで不愉快極まりないのだけれど、そんな輩には慣れっこらしき店主らはそんな相手に対しても平静さを保っていて、ああプロというのはこういうものだなあと教えられた気分です。そうしょっちゅうは来れそうもないけれど、誰か好きな知人と築地で呑む機会があればまたぜひお邪魔したいと思いました。 さて、もう一軒行っておこう。あれこれ思い当たる酒場はあるのですが、すぐそばの「鳥芳」の風情についつい引き寄せられてお邪魔することにしました。三和土に木製のカウンター席と卓席が合理的な配置で据えられていて赤い合皮張りの椅子がもうこれぞ焼鳥店という景色を構成しています。これだけでもう堪らない満足感を得ることができています。肴はあらら、5本か7本のセットで注文しなくてはならないのね。知人もまた食の細い方だから持て余しそうだけれど仕方がない。大根おろしにウズラの卵という定番に焼鳥5本、お新香、そして〆のスープというまあ焼鳥店のお馴染みのセットをオーダーすることにしました。肴についてとやかく言うのは面倒ですが、確かに実にちゃんとした焼鳥で美味しくいただきました。そして、最後には食べきれなくて残しそうなのを店のおばちゃんがすぐさま察してくれて、お持ち帰りになりますかと、ラップにホイル、ポリ袋を用意してくれたのは嬉しかった。持帰ったそれは温め直しても旨さの強度は余り衰えることもなく美味しく頂くことができました。さて、ここでも作家系グルメオヤジの集団に遭遇。此奴らはどうしてああも尊大そうなのだろう。まあこちらも酔いが回ってきたのでじきに気にならなくはなったけれど、この現代日本には一体どれだけの作家系グルメオヤジたちが跋扈して、駄文を書き散らしているのだろうか。そしてそれを嬉々として消費してしまう自分にも嫌気が指すのでありました。
2019/07/13
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ふるさとがあるというのは、嬉しいこともあるけれど、鬱陶しい面もあります。ぼくの場合は、親の都合に付き合わされて各地を転々としたということもあり、ここが本当のふるさとであると自信を持って言い切ることはなかなか難しい。でも今ではそんな引っ越し歩いたことがとても自分にとっての財産となっている気がするのです。特に若い頃はふるさとが一つしかなければいじけてしまったかもしれないと思うのです。それは東京という町へのコンプレックスのようなものがふるさとである唯一の町と比較するには都会過ぎて、東京生まれ東京育ちといった人たちに劣っているという、まあ他愛のない劣等感に見舞われていたと思うのです。しかし、東京とは比較にならぬけれど、国内のそこここがふるさとだと思ってみれば、日本には東京だけではなく様々な町があるのだよと自信を持って語ることができてしまうのです。実際には短期間しか住んでいなくたって、住んでいたという事実によりかつて住んだ町はぐっと身近に親しく感じられ、それにより一期一会であったとしても多くの人と知り合えたりもするのだから確実に人生を豊かにしてくれる気がするのです。 東京で田舎を感じようと思えば手っ取り早いのが東京交通会館に出掛けることです。上野なんかが特に東北地方方面の地方出身者の思い出の地なんて語る人もいるけれど、ぼくにとっては有楽町の東京交通会館こそがふるさとの印象を濃密に感じ取れる場所となっています。このビルには日本各地のアンテナショップがあってそうした面で楽しくもあるのですが、広島の銘酒である賀茂鶴を呑ます「銘酒の店 ひろしまや」もまた濃密なふるさと感に浸れる酒場であります。と書くとさもかつて広島の住民であったかのような誤解を与えてしまいますが、ぼくの長くも短くもない人生において広島で暮らしたことはないのであります。それでもこのオールドファッションなビルの地下飲食街で呑むとあたかも地方のどこかの町で呑んでいるような懐かしさがあるのです。常連客から差し入れられた雑魚を女将がテキパキとおろしと合わしてくれたり、やはりこれも差し入れのいわしの丸干しをさっと炙って出してくれたりするとここが東京の中心地であることを忘れさせてくれるのです。もうこうなるとここは広島でもどこでもない地方のどこかの町でしかないのであって、静岡から時折やって来るという大学教員や隠居後の小田原の住民などと話をするとますますここがどこなのか分からなくなってきて、その混乱は酒から銘柄という雑味をも取り去ってしまうような錯覚に陥るのでした。
2018/10/19
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こちらを継続してご覧くださっている方であれば―もっぱら独り言を呟いてばかりで、書き込みが滅多にないこのブログでは常連さんがどの位いるかなど知る由もないのです―、もう耳にタコが出来ていてもおかしくないので、お話を引っ張るつもりなと毛頭ないのでありますが、かつてのぼくは酒には興味はあっても、酒場に関しては安さを最重要視するような、とにかく実用一辺倒な酒場選びをしていました。それは映画を見る事に相当なる情熱と金銭を費やしていたからという言い訳が成り立つ程度の相当であったわけです。もともと行った酒場の事を感想などなしの店名と駅名そして金額のレベルという最低限のメモを取り始めたのも、映画の終わった後に顔見知りの映画マニアたちと酒を浴びるように呑みつつ互いの感想をぶつけ合うための場所を映画館のある町に確保するためであったのです。今晩はここで映画を見るから終わったらウロウロと酒場探しの労を払うまでもなくすぐさまに語り合いたかったのです。なんてことを書くとさも熱い青春時代を送っていたかのようだけれど、そんなことは少しもなかったのであります。って、本旨からどんどん外れていますがつまりは映画のメッカである日比谷や銀座では随分とたくさんの映画を見てきたし、それだけの時間潰しもしてきたのです。だけれど、経済重視のぼくは日比谷で呑もうだなんてことを少しも思わなかったし、実際日比谷とか有楽町エリアは敬遠するをモットーとしたのです。確かにガードした酒場など魅力的に思えるスポットもあるけれど、それは観光資源でしかないと割り切っていたのだ。 だから、「爐端 本店」なんていう炉端焼き店のような店があることなど見てはいても視界から排除してしまっていたんだろうなあ。改めて眺めてその居酒屋然とした立派な構えにすっかり参ってしまった。慌ててネットで調べてみるとどうも結構なお値段だそうな。しかしまあいつかは間違いなくお邪魔するのであれば、今入っておくに越した事はない。なんせいくら人気店であっても唐突に店が無くなることなどそう珍しくはないからです。店内にはお二人の女性がいるばかり。大きめのテーブルも3卓ありますがやはり炉端焼きのお店ならカウンター席にすべきだろうなあ。焼きの担当らしき男性は無表情に腰を下ろしてこちらを見るともなしに観察しているようです。それにしても使えない席が出るほどの大皿がズラリと並べられていて、これでホントに焼物ができるのか。と勿体ぶっても仕方ない。こちらのお店はこの大皿から食べたい品をチョイスして腰を下ろした男性が鍋で温め直してくれるという塩梅で、焼物はないし例の大きなシャモジもないのです。フロアー担当の高齢の方が店の主人のようです。これだけの料理はとても捌けぬだろうと思っていたら、外国人観光客たちが波状的に訪れて帰る頃にはほぼ席が埋まりました。こういう古いいかにも日本風のお店は日本人より外国人が好むということでしょうか。料理は鳥や筍の煮付と豚のケチャップ煮などの煮物が主流です。席の前には巨大オムレツなどもありますが、とにかく一品ごとの量が半端じゃないから頼み過ぎは禁物。非常に美味しいけれど味付も濃い目だし。さて、混み合ってきたのでお暇しましようか。勘定は、そうねえ覚悟しておいて良かったなというものでありました。懐具合のあったかなパトロンがいたら、4名位で訪れて、もっとあれこれ摘んでみたいものです。良くは知らぬけれどどうも日本の外食費は諸外国からみると手頃らしいから、外国人観光客にはそれなりに納得のいくものなのかもしれぬ。今後こうした古い居酒屋が増えるとなると、それはちょっとばかり困った事だな。やはり値段の明示されぬ酒場は普段使いには厳しいです。 それにしても裏路地ではあるけれど、「多る満」などという分かりやすいくらいにぼくの好みのツボを付く店があるとは迂闊にもほどがあるというものです。店内も飾り気なく質素でこれもいいなあ。値段もはっきりして明朗安心だしね。お客さんは他に一組だけとやや寂しい。有楽町ガード下が大改修となり、一掃されつつある今、若者や訳知り顔の中年サラリーマン達がこぞって、そうした生き残り店で満足げに呑んでいるけれど、あれは傍から眺めるのが愉快なのであって、現場に身を置くとさほど面白くないものなのだ。むしろ凡そ日比谷とは思えぬこうした昔風の大衆食堂で呑むほうが貴重なのです。さほど大した肴はない。手頃な単品の肴を組合せてメシと味噌汁などを頼むシステムなのだろうが、試しに定食を想定してみたらうーむ、案外いい値段になるなあ。白身の魚の西京漬などは味がほとんど無かったからメシを掻き込むにはいささか厳しい。でもそれでもこの静謐な空間で燗酒をチビチビやる幸福はガード下ではけして得られぬものです。満足です。
2018/10/12
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東京の中央区や千代田区は都の核としての役割を担っているらしく、江戸の時代から栄えたというし、実際に老舗と呼ばれもするお店も数多いのです。って珍しく知ったような言い方をしていますが、そんな老舗有名店に実際に足を運ぶことは極めて稀なことは、このブログの読者の方なら良く知る事です。実際に行ったら真っ先に報告するだろうから、本当にそうした店とは縁薄い人生を過ごしてきて、そしてこれからもその境遇に劇的な変化が到来する事は期待できぬのです。しかし、その事に大きな不満はありません。いや、少しはあるけれど創業100年を超えるような老舗有名店の多くは、店舗も建て替えられていたりしてぼくにはさほどの魅力は感じられぬのです。老舗の味で江戸の人々の味覚を堪能するというのも風雅な愉しみではあると思うけれど、それが現代人の舌に合うかどうかというと少しばかり不信を抱かざるを得ぬし、例えば牛鍋とかにしたって、かつての牛の肉質や風味が今の飼い慣らされた牛の味と同じものとはとても信じられぬのです。何だか書けば書くほどやっかみが滲み出るようで、情けなく恥ずべき振る舞いに思えてくるので、ならば庶民派の老舗店に足を向けることにしよう。千代田区は無論なこと、中央区にも存外に庶民派老舗店が残されているのだからわが心の渇望を慰めるために出向くことにしたのでした。 「大勝軒」の系譜については、多くのグルメサイトで大概は出典も曖昧なままに詳らかにされているから、興味のある方はそちらを参照頂くとよろしいかと思うのです。茅場町もそうした系譜に連なるお店と聞いたような気がする。いや聞いたではなく、まさに出典も明示されぬいかがわしいといえばこの上ない、そんな情報を頼りに足を運ぶのだからこの文章もあまりアテにならぬのです。そして、そんな不安に駆られるのはもっと甚大な理由があるのです。このブログでは以前、浅草橋の系譜店を報告したと記憶するけれど、そちらはいわゆる町中華というよりは大衆食堂にかなり接近した店の構えと内装だったのであって、ここ茅場町の店舗もそうした伝統に連なると信じて疑わず訪れたのであります。しかし辿り着いて店を眺めてみると、これはどうしたものか、そうした予想をアッサリと覆す残念至極な現実が待ち受けていたのです。いやまあ、老朽化した建物を維持するのを常連となるつもりなど微塵もない事が明らかなぼくのような者がどうこうと述べるのは、不遜極まりないことでそれはどうかと思うけれど失望に暮れたのは事実だからこの事を隠し建てするつもりはありません。しかし、店に入った時はわれわれだけだったのが、じきに近隣のサラリーマン達が2階へと続々吸い込まれるのを見ると、やはり長年愛されてきたお店の実力を見たような気にもなるのです。と褒めてみてすぐに落とすのもどうかと思うけれど、どうも店の方がかの大陸の人達が多いように思われ、加えて料理もいかにもそちら方面のやや粗雑な味わいに感じられたのです。老舗の暖簾を大陸の方に売り渡してしまったのではなかろうかという不穏なことも念頭に去来することをどうにも抑えられなのです。今後、三度の逆々輸入が叶う日が訪れることを期待します。
2018/10/11
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茅場町には、実に多くの立呑み屋があるようです。その何軒かには寄らせてもらっているし、他の何軒かも目撃しています。その経験やら目撃した限りにおいて、この界隈の立呑み屋にはどうも相性が良くないようだとの感想な帰結せざるを得ないのです。別に茅場町の酒場を常用する紳士や淑女たちの事を貶めようなんていう意図はさらさらないし、安く手軽な立呑みという選択肢は大いに正しい選択と共感する。だけれども彼らは少しばかり立呑みを愛しすぎてはいないだろうか。とにかくどこもかしこも繁盛していて、よくぞあの環境で大いに盛り上がったりできるものと感心するくらいなのです。この町には日本の経済を動かしているらしき大きな企業なども多いようで、つまりは日本のエリート層も少なからず跋扈しているなだろうけれど、立呑みに出入りする人たちはさしずめそんなエリート集団から締め出されたような人たちなのだろうかと皮肉にも思うのである。なんてったって彼らは同業他社のライバル達がそっと立ち呑む群衆に紛れ込み聞き耳立てているかもしれぬのに、平気で社外秘ではなかろうかというような話題を繰り広げてみせたりするのです。しかもあえて聞き耳を立てずとも、そんな話など興味すらなく聞きたくもないと思う者にも筒抜けの大声量で喚き散らしていたりもするのだから、茅場町には産業スパイなどの存在すは意義はありはしないのであります。 とまあそんなだから、すがれた―なぎら健壱が好んで用いる言葉なので使ってみました―酒場を好むぼくには茅場町の立呑み屋は敷居が高いのであります。まずは「standing ギョバー 茅場町店」にお邪魔しましたが、ここは珍しくも閑散としていたので、ひと安心です。おまけに店のスタッフは女性中心で可愛いコが多いのも加点すべき要素であります。しかも可愛いけれどすげえ感じの悪い奴らばかりという、とんでもなく倒錯したコンセプトが売りの店というのも案外に遭遇するのだけれど、こちらは普通よりちょいと感じがいいという程よい―つまりは一言二言軽口は叩いてみたりするけれど、それ以上の発展は望めぬことが容易に察せられる頃合の―女のコ達が揃っているのである。火遊びはもう卒業だと考える中高年世代にはお誂え向きで、ここはそんな世代を照準に据えたお店なのではないか。少しばかりアメリカンなくだけたムードも、この世代のオッサンたちであればカッコいいじゃんオレなんていう自己陶酔に浸れそうであります。それはいいなあ、ぜひ行きたいと思われた方も居られるかもしれぬ。しかしそれにはしっかりとカラクリが仕込まれているのです。もったいぶらずとも答えは明らかですが、値段にこのムード代は含まれているのです。それも高いというにはちょいアレだけど少なくとも立呑みの値段ではないなというさじ加減が憎らしい。気持ちだけでも若返りたいという小銭持ちの中高年にはよろしいのではないでしょうか。 一方、「越後十日町そば がんぎ 新川一丁目店」はとんでもない混雑ぶりです。繁盛店ではカウンターに正対せず、斜に構えて並ぶようなお店もあるらしく、それをダックスとか言ったりするようだけれど、ぼくはそんな酒場用語を公然で口にする勇気はありません。良く言えば恥じらい深い性質なのであります。それにしてもこんなに窮屈な思いをしてまで酒を呑むとはご苦労なことだと思うのです。仕事を終えてひと息つきたいところを場所取りに始まり混雑をかき分けての注文やら思い出しただけでうんざりしてしまうような大儀なことをしなくてはならぬ都心のサラリーマンは気の毒に思えるのです。通勤時には満員電車に揺られているだろうに、わざわざ一苦労してまで立呑みで過ごすとは彼らこそホントの呑兵衛、大都会の呑兵衛の鑑であると言えましょう。それにしてもこんな状況下でそばを啜ることが果たして可能なのであろうか。いくらへぎそばが短めに一口サイズに取り分けられていてもなかなかに厄介であろうと思うのです。それとも時間帯で客足が途絶えたりするのだろうか。そんなことは余り期待できなかろうと思いつつ、早々に引き上げたのでした。
2018/09/07
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八丁堀って、たまに時代劇なんか見てると―まあ、実際にはそんな脳天気に時代劇を眺めることなどそうそうないのだけれど―、お白州なんかあったりしてお硬い町のイメージがあるし、今でもそれに近い感じはあります。だからということでもないのだろうけれど、そんなに好んで立ち寄ろうとは思わぬのです。だけどこの界隈は、ご存知の通り数多の駅が乱設されているから、それがハシゴの過程だとそこが八丁堀だなんてことは意識せぬままに呑み歩いていることになるのであります。それは果たして都内の酒場巡りを主たる目的とするこのブログにとって適当な振る舞いであるのだろうか。地図を眺めるのは楽しい行為ではあるけれど、実際に町を歩く際に地図を開くのはなかなかに面倒な作業であります。その面倒を厭わぬ人こそが散歩の達人と呼ばれたりもするのだろうなあ。しかし、ぼくには達人志向などもとより有りはしないのだから、実はちっとも構いはしないのであります。大体において、散歩や酒場ないしは喫茶巡りなどは覗きにも通じるような恥ずかしい趣味なのでありまして、こっそり愉しむべき行いなのではないでしょうか。こうしてブログを書く振る舞いはとうなのだという矛盾は知らぬ振りで通すことにしたい。 さて、駅のそばの路地を歩くと「山海料理 RAKUMI」がありました。まあ、どうということのないお店ではありますが、八丁堀では贅沢を語っては呑み損ないかねぬから気に止まったら入っておくべきです。しかし、そんな不遜な気持ちが筒抜けたのか満席とのことで遠慮するを余儀なくされたのでした。 しかしまあ、こんなこともあるんですね、横断歩道を2度渡って斜向かいのエリアに移動したら同じ店名の立呑み屋らしき「立ち飲み居酒屋 ラクミ(RAKUMI) 入船店」があったのでした。どうしても別にどうしてもこちらにお邪魔したかったということでもないのですが、話のネタにはなりそう。っていうかしっかりもう書いてしまっている。近隣に系列店があることなど別に対して珍しい話ではないんですけどね。さて、こちらもまた大変に賑わっていましたが、開店が早くて待つでもなく入店できました。升盛りの刺身がこちらの名物ということのようで、ならばと注文してみました。刺身はそれなりに好きだし、旨いか不味いか程度は分かると思っているけれど、それが旨いというある一線を越えるとどれも等しく旨いということになってしまうのであって、だからここのようにお手頃に旨い刺身を頂けるというのはとてもありがたいことなのであります。どんな料理にも言えることなのですが、一つの品が大量にあっても余り嬉しくない。美味しいものが品数多くあった方が格段に嬉しいのであります。これは年を取って食が落ちたとかいうことではなくて、幼少期からの食習慣がそうさせるのであります。実家ではとにかく食卓が賑やかでありました。残念なのはそれが必ずしも旨いものではなかったということですが、とにかく今でもちまちまとあれこれ摘むのが至福の時間なのであります。お隣は女性の独り客でしたね。何がきっかけかはすでに忘却の彼方に去りゆきてしまいはてましたが、親しくお喋りなんぞさせていただきました。連絡先を尋ねたり、そのナンパ術をメモしたりしないことにいつだって後になって舌打ちすることになるのですが、つまりはそうした方面に才覚が著しく欠けているということの証左にもなりましょう。ということで、思いがけずも楽しいひと時を送ったのでありますが、詳細は失念したとしか申し上げられぬのが甚だ残念であります。 またも横断歩道を渡って次なる酒場は「お食事処 いち」であります。酒場放浪記に登場したためか、2度にわたって門前払いを食わされているので、入店運の強いO氏を伴って三度目の正直を企てたのであります。さすがに同じ日に三度も顔を覗かせるのは気恥ずかしいのでありまして、物陰にそっと忍んで様子を見守るとあっさり入店を許されているではないか。これは必ずしもぼくの運の悪さに原因を求めるべきではなく、ちょうど一巡目の客の入れ替わりのタイミングであったのだろうけれど、それでもやはり釈然とせぬ気持ちと己の運のなさを嘆くことになるのであります。席に着くと早速に運ばれるのが一口サイズの生ビールです。これって値段に含まれてるんだろうけれど、程よいサイズが好ましい。ビールなどこの程度のサイズで十分なのであります。下手なお通しを出される位ならこの店のように一口ビールを提供して欲しいものであります。さてと品書きを眺めるとこれといった特徴もなくて、まあ万人に受け入れやすいつまりはごくごく普通のお店なのでありまして、都心の酒場らしくサラリーマンたちが席を埋めて、大いに盛り上がっているのであります。喧しくて敵わないけれど、これが都心の普通の居酒屋の現実なのだから、そこはもう大人しく受入れるしかないのでありました。
2018/08/31
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新富町は付き合いの古い町です。古くから付き合っている割にあまり呑んでいないのには理由があります。大体察しては頂けているかもしれませんが、学生時分のぼくは極端な貧乏生活を不本意ながらも余儀なくされてあり、それはまあ映画ばかりを見てバイトすら日雇い仕事にたまに手を出す程度という今時の学生が聞いたらふざけんじゃないよと言いたくもなるであろう不遜で享楽的な日々を過ごしていたのだから、まあある意味では自分勝手に貧乏生活を享受していたのであります。しかし、そんなぼくでも不満はあった。不満などたいうものはどんなに恵まれた人生を謳歌しているかに見える人にもあるものだろうけれど、とにかくぼく程不遇な者など医はしないであろう、いや、さすがにもっとずっと満たされぬ気持ちを抱く者も存在するという現実は弁えていたけれど、とにかくそんな風にいじけた日々を送っていたのであります。何が不満って、好きな酒が自由に呑めもせぬ現状に憤っていたのであって、酒などという嗜好品に金銭を投下できぬからと憤るのは、それだけで贅沢の誹りを免れぬかもしれぬのだ。まあ、それはおいておくとして、とにかくまあいじけた生活を送っていた頃には視界に入らぬものがあるのですね。その一つが酒場で、ぼくは新潟時代に酒呑みの洗礼を受けておるので、当然のように酒には馴染みがあるのであって、酒を呑むことは当時から習慣化しておりました。だから呑めぬ日々は辛い、というか堪らなく寂しいことなのでした。そうした鬱屈した感情が酒場が自然に混じりこむことを無意識に排除したのかもしれぬ。 と、まあいつも以上に饒舌にそして無軌道な語りを披露してしまったけれど、「さくら家」もまた、学生の頃からあったはずなのだけれど、ちっとも視界に浮上することのなかったお店なのであります。というか、自分やはり酒場が好きなんだなと自覚しながらも長くここの事は見過ごしていたのだ。別に路地の裏の裏なんて言うような目立たぬ場所にあるんじゃなし、なぜこれまで見逃していたのか。それを語りだすとまた再現がなくなるので、話しを元に戻すとやはりなかなかの老舗感のある良いお店ではないか。前回だか前々回だかにこの界隈で呑んだ際に見掛けて気に掛けはしたけれどそのまま忘れ去っていたのであります。店内は外観写真が示すように増築しているらしく奥は平板だったと同伴者は語っておりました。手前は少人数向けのつまりはカウンター席になっていてとても感じがよろしいのであります。感じはいいけれど迂闊に頼むと財布が悲鳴を上げそうな雰囲気ではあります。なので控えめに注文して控えめに勘定を済ませたのです。いつも同じ事ばかり語っているけれど、ぼくにとっての酒場巡りの原動力は店の雰囲気に相当程度割かれているわけであります。なので、仮に通されたのが奥の団体席だったら感想はこれよりずっと辛辣辛口になったであろう事は疑いようもないのであります。それから付け足しみたいでさほど情報として役をなしませんが、まあ店の看板商品である焼鳥はまずまずなのでありました。従業員というには貫禄があったのでもしかすると大女将かもしれませんが、とにかく年増の女性が酷くおっちょこちょいで、だけれども憎めないユーモラスであったことが思い出されます。
2018/08/28
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新富町に渋い中華そば屋があると聞きました。東京に地方都市を転々としてようやく辿り着いた当初、田舎者のぼくはそれでも銀座なんかでよく映画を見に通ったものです。人が言うほどにきらびやかな町とも思わなかったし、当時よりあからさまに豪奢なブランドビルが軒を連ねるようになった現在でも、銀座という町の表層に対してはさほど変わらぬ印象だと言い切ってしまうと、だから田舎者はと非難の格好の餌食にされそうではありますが、まごう事のない実感であるのだから非難されようと馬鹿にされようと意見は変わらぬのであります。しかし、その人混みにはすっかり参ってしまうのであって、それは東京暮らしが他の地方都市で過ごした期間の全てを足し合わせたとしても遥かに凌駕するようになった今でも変わらぬもので、それは今後生涯背負う事になるのだろうな。しかし、銀座を外れた新富町辺りまで来ると古いオフィス街となり、いい建物があったりして目にも楽しいし、何より人通りが少なくてようやく颯爽と町を闊歩している気分に浸れるのです。だから映画のハシゴの合間などにこの界隈を散歩する事は少なくなかったのです。がしかし、好きと言っても外観を眺めればそれでそれなりに満足していました。当時は朝昼の食事は余程のことがないと食べなかったし、だからこれから向かう中華そば屋もそんな風景に溶け込んで際立って見えたりはしなかったようなのです。 そこは、「中華そば 萬金」というお店でかつては古いお店も今よりは随分あったけれど、平成も終わらんとする現在は貴重な存在に感じられます。そんな店の構えだけで愛さずにおられぬ店内は外観のイメージをそのままに残しており、素晴しいのひと言しか発せられぬのです。夏のような陽射しが遠慮なく刺しつける店外とは別世界のような暗くヒンヤリとした空気に満たされた店の内側にいると急激に熱し切った体温がクールダウンするようです。なるほど、これならこの店が全盛であったであろう時代に空調設備が一般的でなかったとしてもそれなりに凌げたようにも思えるのです。ここには大量エネルギー消費時代に向けての知恵が隠されているかもしれぬと考えるのは幾分は過大評価になるかもしれません。それにしても古い中華食堂のカウンター席でYシャツの袖を捲り、ビールなどやっている姿はまるで昔嫌になるくらい見てきた撮影所システムの後退期にいくらも撮影された映画の一コマのようです。素敵な店でのひと時というのは時に人を役者気分に引き摺り込むようです。そんな自意識過剰な事を思ったりするのだけれど、目の前にこれぞ紛う事のない中華そばが眼前に据えられるともう我慢ならずに猛然と啜り込むしかないのだ。世の中にどれ程のラーメンがあろうとも、ぼくにとってのラーメンは中華そばと同義であるべきであり、たまには現代風のこってりしたのとか、地方各地に存在するご当地ラーメンなんかに浮気することがあっても、必ず戻ってくる原点で到達点なのです。
2018/05/12
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別に急に水天宮前駅の界隈が好きになった訳ではないけれど、以前まで漠然と抱いていたアウェイ感はここのところ何度か足を運ぶことで払拭されつつはあります。それはこの界隈が日本橋や銀座にも近くて、エリートサラリーマンが跋扈する自分とは縁遠い町という思い込みがあったからに過ぎぬことが分かってきたのです。そりゃまあ実際にそうした人達もいるのでしょうが、そんなに多くはないんじゃないか。考えてみれば表通りにも裏通りにもそこら中に呑み屋があって、それなりに客も入っているのだから落ちこぼれのサラリーマンだって沢山いるはずなのだ。エリートなどという種族は、仕事をバリバリこなして多忙を極めるものであって呑み屋などには仕事上やむを得ない場合くらいしか顔を出さぬはずなのだ。そして健康にも留意するのが彼らの努めであるからして、それなりに健康志向の飲食店をもっぱら利用するのだろう、と思うのだ。ともかくこの町にはぼくらとさして変わらぬ駄目なオヤジが多く蔓延っており、町柄もあるのだろうが案外女子率も高いのが場末の勤め人には目の保養になるのだ。そんな確信を深めてくれる2軒をハシゴしたので報告しておきたいのでした。 まずは「やわらぎ」です。メインの通りの一本裏手にある、入口の分かりにくさがちょっと変わっているけれど、まあごく一般的なお店であります。この夜はO氏と同行しました。彼の職場はこの辺とは離れてはいるけれど比較的アクセスがいいので、いつもは枯れた酒場に行くぞと誘わなければなかなか乗り気にならぬのだが、この夜はあっさりと誘いに乗ってきました。カウンター席もあるけれど、基本的にはテーブル席がメインのまあどうということのない構えです。吉田類氏も訪れているようですねえ。どうしてこの店に入ったのかなあ。品書きを見ると特別な品は何もないけれどハムカツなどの定番の品が手頃な値段―といってもぼくらが普段通う酒場より若干お高くはあります―で提供されています。そんな肴や個々の酒の話題など実はこの店には無用なもののような気がするのです。何よりも琴線に触れてくるのがこの店が振り撒く濃密な懐かしさについてであって、それを語るのがその真価をもっとも上手くお伝えすることに繋がろうかと思うのです。それではこの店の放つ懐かしさは何処からもたらされるのか。それは恐らくは就職して最初の頃に呑み始めた時の店々とどこか近しいという、個人的な体験が浮上するからに違いありません。どこがどう似通っているのか、具体的に述べるにしても記憶が曖昧なのもあってなかなか難儀です。しかし店の造りがどうこういったところが似ているということではなさそうです。店の方なり直接関わり合うことになる方たちが過去に知り合った方たちを思い起こさせるということでもないから、それはきっとお客さんたち皆で作り上げた環境とでもいった蒙昧とした何かが似ているようです。 次にお邪魔した「一(はじめ)」の場合は、記憶への湧き上がり具合は一層顕著なのでありました。店に入った途端に感じる熱気には、帰宅までの残されたわずかな時間を謳歌しつくしてやろうという気迫が含まれているようで、圧倒されました。その一因となるのが入れ込み式のスタイルにもあるのかもしれません。カウンター席は、独り客には他の客に対して気兼ねなくやれるという意味で重宝なスタイルでありますが、入れ込み式の相席になった方々と時折視線を交錯させての緊張感と場合によってはその後に不意に打ち解けて一体感まで獲得できるという感動的な瞬間までも期待できる入れ込み式は、やはり酒場の本流ではないかと思います。王子の「山田屋」や松戸の「鳥孝」-ただし、こちらは1階席で呑むことができた時だけの特権です-なんかを想起すればご理解いただけるのではないか。そういうのが煩わしいと感じる夜はそこに足を向けなければいいだけなのです。この夜は、O氏もいたので嬌声ひしめく中で、われわれも負けじと大きな声で語り合ったものです。この大きな声を出す―というか出さざるを得ない―というのも身体的・精神衛生上にとっても良い効果をもたらすのではなかろうか。ちなみにこちらはとんかつを主力としたとんかつ酒場なのです。揚げたてのとんかつを齧りながら酒を流し込む、久々にワイルドな自分を取り戻した気がします。大きな声で語ることで腹も減り、そうなると焼そばなんかも酒の肴に抜群に合うのであります。われわれはこの夜、とある計画を近く実行に移すことを誓い合い大いに気勢を上げて虎の門駅辺りで別れたのでありますが、翌日のメールにそのことを書いたら、O氏はまったく記憶してなかったのであります。
2018/01/16
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ぼちぼちこの標題にも飽きてきたので、連続物としてはこれで一段落とするつもりなので、もう少しだけお付き合いいただけると幸甚です。で、今回は本来は中華料理店だからあえて取扱に困惑しているのだと書いているだけで、非常に好感を持ったお店なのだからいずれ何としても書く事にはなったと思っています。大体日頃から中華料理店で呑んでいてそれを散々書き散らしてきたのに、今になって詰まらぬエクスキューズを述べてみたところで詮無きことなのは分かっているのです。単に標題の流れに乗っかって過去の未報告のままにしていたお店をこうして俎上に乗せた程度なのであります。 さて、新富町の裏通りに「麺処 帯笑」というラーメン屋があります。サッシ戸のまあ言うなれば安普請の構えでありまして、それだけでもぼくが立ち寄るに十分な誘引力を放っているのであります。しかも店内では明らかに呑んでいるお客さんが少ないのだから、これは見逃す訳にはいかぬのであります。この界隈はオフィス街として、日本の経済発展に寄与した時代もあったようで、今でもオフィスビルが多く立ち並んではいますが、それはいずれもかなら古びてしまっています。都内東部地域に概して言えるように老いさらばえた町という印象です。そこがまあ古いものを愛でる好事家たちの琴線にも触れる訳で、ぼくも仲間に入れられるのは真っ平ゴメンだけれどそや偏向を多分に持ち合わせるのです。ともかく多少古びた店舗もこの町には案外しっくりと収まるのですね。さてさてと店に入るとこれはまあ特段代わり映えせぬラーメン屋であるのですが、店内は普通でもまあ構わぬではないか。さて、この店で特筆すべきはここからなのであります。500円と割高で注文に少しの躊躇も覚えぬ方とは、一緒に呑めぬだろうなあ、とそれともかくそんなセコいぼくには高級な煮込を頼むのであった。いや、肴関係はどうもコチラのお店、強気な価格設定だから他に選択の幅が狭かったというのが正直なところであります。ところがしばらく待たされて出されたその煮込みの旨さたるや思わず絶句するほどなのだ。一目散に我を忘れて掻き込むかというとそんな事はせずに、セコセコと摘んで酒が止まらぬのであります。この旨さはかの居酒屋評論家氏が東京三代煮込と評したそれらより圧倒的に旨いのだ。煮込みがどちらかというと不得手なぼくが言うのだからきっと間違いはないはずです。っていうか、三大なんとかなんてのは言ってしまったもの勝ちに出来ているのであって、それをあれこれ言ってみても仕方のない事で、自らの五感をフル稼働して見出すべきものなのだ。ところでこのお店、実はよく知られたお店だったようで、自家製の麺が個性的で旨いらしいのだ。次は酒は封印してラーメンを食べに来ようかな、ぼくをしてそう思わせるに足るお店なのでした。
2018/01/09
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水天宮前駅は、馴染みのない駅です。何かのついでに行くことがある程度で、この駅を目当てにして行った覚えなどありません。この界隈の酒場もせいぜい「赤垣」に行ったとのメモがありますが、それすら記憶は皆無だから初めてといっても可笑しくないのです。そんな水天宮前を不得手とするぼくがあえて赴くことにしたのには分かり易いことこの上ない理由がありまして、分かり易い位だから面白いエピソードになるはずもないのですが、事実として留めておくことにします。それは先般、八丁堀に行った時のことです。知人の運転する車に同乗させてもらって新大橋通りを八丁堀に向かっていたのです。そろそろ八丁堀駅が迫ったと、なるたけ楽できる降車場所を目を皿のようにして物色していたのです。すると視線の先を特段変わったところはないけれど、しかし木枠の引き戸や紺地の暖簾、薄肌色のテントなどいかにも古くからやっていそうなもつ焼店が過ぎ去ったのでした。そう、気になったのならその場で行っておけばいいのであります。未練というものは、いつだって引き摺ることになることをいい加減弁えておくべきなのだ。しかし、八丁堀ではT氏と待合せていましたし、その約束を破れぬという律義さ=優柔不断が顔を覗かせるのです。その弱さがいずれ取り返しのつかぬ後悔を引き起こす予感に晒されながらも、今回はとりあえずそうした無念さは回避できたのが何よりも幸いでありました。「とん政」の中に入ってまず目に入るのが、デコラ張りの内装です。全面木材感で統一された端正なお店も好きですが、高度成長期の頃を思い起こさせる―実際にはその時代を経験したわけではない、そこまでの年齢ではないのです―機能性を優先したデコラ張りこそがノスタルジーを喚起させられるのでした。シャービックのメロン風味のような淡い黄緑色に少し水色がかった色調が普通なら寒々しく思われる気がするのですが、なぜか温かみに感じられるのはどうしてだろう。デコザ材は継ぎ目がペロンと剥がれていたり、光沢がなくなって褪色が進むといかにも寂れて見えるものですが、こちらは手入れがいいのか大いに客が入ることもなかったのか、清潔感を留めています。この築材の色合いが赤ならそのまま中華料理店なのですが、その印象は間違ってはいなかったようで、隠しメニューとしてラーメンがあるみたい―店の品書きにはなさそうでしたが、ネットではラーメンも提供しているようです―。もうそうは若くはなさそうな物静かな女将さんが独りでやっており、近頃こうした女性一人で長年やっているもつ焼店によく行き当たる気がしますが、そうした店同様にこちらも焼物がとても美味しい。たれも甘いけれどさっぱりした甘さでくどくないから、一度はたれを試されるのがよいかもしれません。それにしても他にお客さんがいないせいか、店は静寂に包まれておりここは独りでしんみりと呑むのが正しかっただろうかと少しばかり残念に思うのです。これでお値段がもう少し控えめならなおいいのになあ。
2018/01/02
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八丁堀といえば、町奉行所の与力だとか同心なんかの組屋敷が密集していた土地らしく、ぼくにとってはテレビドラマの時代劇でよく目にし耳にした町であります。当時、東京がお江戸だった時代には東京は世界でも最高の人口密集地帯だったというから、八丁堀に奉行所を集中させてしまっていいものなのかと子供心に思ったものだけれど、そんな疑問も今に至って解決の目途が立たぬ、というか調べてさえおらぬのだから、いかに己が幼い頃からものぐさであったことが知れるというものです。そんな時代劇の舞台としてしか認識のない町なのにどうしてわざわざ足を運ぶことにしたのか。つい先だってのことだってのに、それすら記憶がままならぬのだ。行きたい酒場があった訳じゃないのは後述するつもりの文章を読んでいただけるとお分かりいただけると思うのです。アッ、今、不意に八丁堀で呑むことにした理由が判明しました。そうそう、この夜はT氏と呑むことにしたのでした。彼は京橋のフィルムセンターで映画を見てから合流するということになったので、京橋辺りじゃこれといった店もないだろうからいっそ八丁堀で落ち合おうという事でした。何ともつまらぬ理由でここからも好んでこの町にやって来たのではないことがお分かりいただけると思うのです。 呆気なく疑問が氷解してしまい拍子抜けですがここから本題に取り組まねばならぬのだなあ。胸が締め付けられるような寂しい夜道を歩いていくとちょっと良さそうな酒場があり、ここにしとくかと決めかけたまさにその時にしばらく途絶えていた車が背後を通り抜けたのでふと振り返ってみるとサッシの戸に暖簾が掛かっただけの粗末な造りの店舗らしきものがあります。よくよく目を凝らすと戸の上に看板らしきものが掲げられているけれど、然とは判読出来ぬのです。でも気持ちはもう決まっていました。道を渡って慌てふためきで戸を引きます。そしてその刹那にここに来たことがあることに思い当たるのです。「食事処 櫻」は、場末酒場を愛する者ならつい立ち寄らずには済まされぬ風情の店なのであります。店内が外観に比して面白みがなかったとしてもそれは結果論でしかないのです。戸を引いて店内が露出するまでの瞬間のトキメキは何物にも変え難い体験なのであります。開け放たれたその先に広がる景色が見知ったものであったとしてもそれが何程の事であろう。むしろこの歳になっても以前と変わらぬ感性を持ち続けていることに喝采を挙げてもけして可笑しくはないのだ。似たような人はいるものだ。お客さんは結構入っている。安くもないし特段旨くもない。たけどこんな酒場を求める人は確かにいるのです。 T氏と無事に合流したぼくは居場所を知らせて到着した際に一軒の酒場に惹かれた後に今しがた出てきた店に強烈に引き寄せられと言うのです。だから次に向かうのは、お向かいの「家庭料理 ふらの」であるのは自明なのです。そこはやはりどうという事のない普通の店なのでした。普通でない店の珍重すべきことはこれもまた自明なのでありますが、普通の店の重要さはこの細やかなブログでも口を酸っぱくして語ってきたものであります。店名を裏切らぬ富良野出身のご主人の寡黙ながら滋味深いさやさきは呑む者を惹き付けて席を立つことを許さず、ついつい呑み過ぎることになるのでした。肴は普通においしいし、酒は特筆すべき事もない。でもひと時なれどわれわれはここで呑む時間を楽しんだのでした。また、うっかりと彷徨いこむことになるのかもしれぬ。だけれど、繰り返しになりますが、ここはあくまでも普通の酒場なのであります。
2017/12/27
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いかにも不器用で不格好な表題を書いてしまいましたが、こうしたキャッチーである事が一定の価値を持つ文章というのがどうしても書けません。手っ取り早いのはそうした書き方に秀でた書き手の書いたものを模倣をする事が近道であることは分かっているのですが、そうまでして器用な表題に拘っていないという方が強いかもしれません。第一、気取ったタイトルとかって物凄く恥ずかしくはないですか。このブログの名前にだって未だに気恥ずかしを感じるのです。それにはとある映画からのパクリである事を明かしていますから一応言い訳が担保できているというように、いつだってカッコ付けるに際しては逃げ道を忘れずに設定しておくのが常なのです。それはまあともかくとして、新富町にやって来ました。この界隈は日本橋にも近いオフィス街でお高く止まった店が多いという偏見を抱きがちですが、実際に足を向けて彷徨ってみると案外に古かったりボロかったりする酒場が紛れ込んでいるのでした。 まずは「フェアリーゴールデン」というワイン系角打ちにお邪魔したのですが、おっさん独りにはちょっとばかりハードルが高かったみたいです。角打ちといってもそこらにあるような町の酒屋さんとはかなり趣を異にしていて、どちらかというとブーランジェリー―けしてパン屋さんではない―のような見栄えでどうもこそばゆいのです。ブーランジェリーなら女性な混じってしまってもサッと品定めして的確に注文と勘定を済ませればそれで事なきを得るけれど、ここは仮初にも角打ちだからそうもいかぬのであります。なので、ワインだってグイッと口中に放り込んで逃げるように立ち去るなんて我ながら初心なものだ。女性が良いと思うけれど、とにかく誰が伴って行くべき店に思われます。少なくともよほどの神経が図太い方以外は。と書きましたが、店内はそんなにスカシタ感じでもないし、値段もしっかりと角打ち価格だし、ぼくにもう少し友人がいたとすれば便利に使えるお店だときっちり好意的な評価も抱いているので、興味のある方はぜひお出掛けを。 次なる酒場は「セレクトショップ タクマ」なる得体の知れぬ店名のお店です。セレクトショップって大方ファッション系のショップで用いられるもので、こういう飲食関係の店ではあまり見かけない気がする。いや、そんなことないか、地方都市とも呼べぬような田舎の駅前にあるようなよろず屋なんかでセレクトショップを呼称する場合が見られるなあ。高度成長期辺りの時代に普及したように思われるけれど、まるで見当違いな気もしなくはない。ともかく辿り着いてみると外観は数世代前のコンビニ風でもあるし、やはり何もない田舎の駅前の食料品を主力商品とするセレクトショップと呼ばしかない店にしか見えぬ気もするのです。それが都心の街角にあるのだからなかなか奇抜な光景です。一歩足を踏み入れると入口付近の二人掛け程度のカウンター席で初老の勤め人と店主らしき方が呑んでいる。こりゃ狭いなあ、果たして入れるのかと思ったのでありますが、勤め人が次なる客と入れ替わりに帰ろうと思っていたのか、スッと切り上げてくれて助かったなあと礼を述べましたが奥にも飲食スペースがありましたね。でもそちらもかなり窮屈そうだし、数名のグループが盛り上がっているから入り込むのは難しそうです。壁の貼り紙で目に止まった肴2品と500mlのビールかチューハイのセットで500円から始めることにしました。ビールは500mは多いからチューハイにしようか、さて肴はと思ったら店主が冷蔵庫に収まる数種の弁当を取り出して、コレがお得だよとしきりに勧める。もとより文句のあろうはずもない。弁当のご飯のスペースをハサミでジョキジョキと切り取るとそのままレンジでチン、漬物だって添え物のレタスだって一切お構いなしでありますが、こういうジャンクな上にもジャンクなの嫌いじゃないのであります。チキンカツの卵とじをメインに焼そばやら謎の煮物なんかが入ってボリュームもたっぷり味付けも濃いから確かにこれがあれば他の肴など要らない。しかし、冷静になってみるとこれってホントにあ得なのかと計算してしまう自分がいるけれど、それは考えぬに越したことはないのだ。出鱈目な店だけど好きだなあ。近くにあれば週に一度は来ちゃうかも。
2017/12/09
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東京駅近辺では実によく呑んだものです。勤務先が近かったとかいうことじゃありません。むしろ勤務先から遥々と列車を乗り継いで行くしかなかったのです。なので本当の目当ては東京駅などではちっともなかったのです。帰宅するのに少しでも都合の良いのが、東京駅だったからわざわざ歩いて、東京駅八重洲口に向かったものです。じゃあ、どこに行っていたか、もう聞き飽きたと言われ事なかれ、京橋のフィルムセンターに通い詰めていたのですね。京橋駅から東京駅までは結構な距離があるので、映画を見終えて知人に会うとお決まりのようにさて、どこで呑もうかねということになるのであります。映画マニアのことを、いや映画狂いの事をフランスではシネフィルと呼ぶらしいのですが、シネフィルというのはとにかく酒を呑むのが好きなのが多い。不健康な映画という趣味にはやはり不健康極まりない酒が付き物です。むしろ映画を終えたあとの飲酒にこそ本来の目的があるのではないかと指摘されても反論の余地がないほどでありました。そんなだから銀座一丁目駅まで来るとあっさり挫折してチェーン系の居酒屋に入ることも少なくなかった。だけれど皆に都合のいい八重洲口ではよく呑んだものです。 それなのに不思議と「酒ぐら 金八」には来ていない気がする。店の構えは伝統的で定番のそしてどこがどうとかうまく説明出来そうにないけれど、いかにも八重洲口にあるに相応しいと感じるのです。そう感じさせてくれる店が次々と店を畳み、町並みをじわじわと一新させているけれど、それでも都心と言われる界隈としてはしぶとく生き延びているものだと思わされます。当時は今のようにメモしている―と言っても店名と日付程度ですが―訳じゃないし、似たような店も少なくなかったから訪れていたのかもしれない。ここは、際立った個性のあることで記憶に残るような店ではさらさらないし、むしろ普遍的であることが現在では個性となっているようです。もしかすると酒を覚えたばかりの居酒屋通いに今まさに嵌まり込まんとする人にとって、印象に残る、そんな風に感じられるのかもしれません。こういう昔ながらの居酒屋は案外お手頃ではありません。センベロとか呼ばれもする安酒場と比べると正直比較にならぬ値段とすら感じられることでしょう。しかも肴は美味いわけじゃないし、酒だってけして良くはないんだな。しかも、独りでちびちびやっていると値段のことを思うと少しも心が休まらぬはずだから、ここはもう団体で行くべきなのです。実際この居酒屋で独りは少しばかり厳しい、というか入れてもらえぬかもしれない。そう、大層混雑しているのである。二軒目にして、肴を最小限しか頼まぬのが正解だと思うが、そう上手く入店が叶うかは運次第であります。この夜は幸いすぐに席を確保できましたが、もしかすると昔はこうして入りそびれてばかりだったんじゃないだろうか。きっとそうなのだろう。そして、憎まれ口をこうして叩いてみたけれど、また忘れた頃に来るのだろうなあ。その時まで壮健たらんと願いたくなるそんな懐かしい居酒屋なのです。
2017/10/14
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昨年の夏には南インド料理がどうとか言って、色々と薀蓄を垂れ流していました。そんな知った風な口を利いていた自分を今では恥じる気持ちがちゃんと芽生えていて、今でも自戒のために燻らせ続けているのです。しかし、今になって振り返ってみると、そういう知ったかぶりをするというのはむしろ活字を増やさんとする健気な律儀さの現れでないかとも思ってみたりするのです。大体、程度の高低はあってもどこも味はそう大きな開きはないのであるし、店の雰囲気だって変化に乏しいこと甚だしいのであります。麹町や東池袋にある日本ではパイオニアの南インド料理店になるとさすがに風格があるけれど、後者は知らぬ間に移転したらしく、かつてのドギツくて怪し気なムードが損なわれていないことを祈るばかりでありますが、ともかく内装などにはさして見るところはない。なので、今回は本場カルカッタ出身の生粋のインド人のU氏を伴って東京駅は八重洲口の有名店の一軒にお邪魔したのでした。(こっから下がいかにもな南インド料理になります。) 懐かしの八重洲ブックセンターの脇の細い通りを進むと程なく「南インド料理 ダクシン 八重洲店」に辿り着きます。階段を降りてみても少しも南インド料理を予感させる芳しいスパイスの香りは漂ってきません。うちの近所の店は近隣にスパイス臭を大盤振舞しているけれど、案外インド料理店から盛大に匂いを放つ店というのは少ない気がします。さて、すでにU氏らは始めているはずです。若干のエスニックテイストをまぶしてはいるけれど内装は、ちょっと洒落たダイニングバーのような様子です。予約を入れていたものの6時から8時までの時間制限があります。やはり大人気のようです。日本ではまだ少数派の南インド料理ファンと鼻の穴をカッ開いて意気盛んに語っていますが、すでに市民権を得ているということか。さて、U氏のセレクションはどうだろうと確認すると、肉料理にバターチキンなどのカレー、そしてナンが大量にオーダーされていました。なんだそりゃ、少しも南インドらしい品がないではないかと思わず苦言を呈したところ、好きなの頼みなよというから、マサラドーサ―豆粉のクレープにジャガイモのポリヤル―野菜の炒め物―をくるんだのに、サンバル―野菜入りの豆のスープ―とココナッツチャツネ―ココナッツ風味のジャムみたいなペースト―を添えたもの―に、サンバルとラッサム―タマリンドという酸味の強い果実のペースト入のスープ、ニンニクと黒胡椒の風味がある―、そしてチャパティというクレープ風のパンを追加しました。これらこそが典型的な南インドの味ではなのだぞ、としたり顔で頼み、U氏も頷いてはいたけれど、他の方には余りインパクトがなかったみたいで、反応は希薄でした。ドーサはU氏が嬉しそうに食べてましたけど。さて、長くなったのでこの店の総括です。確かに旨かった。けれど、味が端正すぎて口に入れるまでに予め想定していたものを超えては来ないのです。視覚と嗅覚が味覚を裏切ることがなくて、その点がややもの足りませんでした。しかし、初めて南インド料理を食べる方には、格好の入門編となりそうです。なんて最後まで偉そうだったなあ。 で、翌日になって自宅でラッサム作っちゃいました。これまでにないくらい上出来だったのは、記憶に新しいうちにスパイスなどの調整ができたからだと思っています。これもたまに外でプロの料理を試す意義ですね。つい、おいしくできたのでチキンカレーやポリヤルなども作ってしまいました。でもインド料理にも難点があって、美味しすぎてつい食べ過ぎてしまって酒が呑めなくなっちゃうんですよね。 ちなみにタイトルにその1としたのは、南インド料理ファンというなら一度入っておくべき(らしい)もう一軒があるからで、だとすればもう行っているかと思わせておいて実はまだ行けておらず、この先の見込みもないのでありました。
2017/09/27
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人形町は、テレビ番組なんかでもよく町歩きやグルメ番組の恰好の取材対象であるらしく、表通りにあるような名店や老舗はすでに出尽くして出涸らしになってしまっている程です。だから愚鈍なテレビ番組では、そうしたフェイク情報に踊らされる素朴な視聴者を相手に、今度は路地裏へと誘導しようとしているようです。しかし、そうした店なんかが路地裏にあるのは、そうせざるを得ない事情があるはずなのです。テレビという薄っぺらなメディアにとってみれば、町の表側であろうと裏側であろうと、それは等しく薄っぺらな画面上に映し出すばかりなのです。そこには聖も俗もなく美醜も貧富も均質なものとなります。そういう意味では、格差がどうのと語られるのが精々の現代日本では、見た目には民主的なメディアなのだろうと思うのです。それが実際には選別と排除を孕んでいるのは当然であるけれど、それを止めだてするつもりもないのです。ともあれそんなマスコミの旺盛かつ数字至上の間隙を縫うようにして、身を隠すように営業を続ける酒場二軒をハシゴしました。 ここは、随分前に訪れたことがあります。酒場に対してまだそれなりの憧憬と希望を抱いていた頃にでも視界に収まったということは、かなりの人々の視界に触れてはいるのだろうと思います。ただでさえ路地の多い人形町にあってもさらに細い通路、背戸道という呼び方があるらしいのですが、家屋の裏側を通用目的に通したような狭幅な道に「一新」はあります。こうした酒場は酒場巡りの初心者としては、見逃せない物件だったようです。今でもかつて訪れているとは気付きもせずにお邪魔してしまう位だから、居酒屋の達人とか呼ばれるような方たちの好む店とは大きく隔たりがあるみたいです。店に入ると薄っすらぼんやりとかつて訪問した際の記憶が立ち上がってきますが、往々にして他店と混同していることがあるので鵜呑みするわけにはまいりません。人形町だからということもないはずですが、お値段は少しお高めな気がします。しかし、テーブル席の地元サラリーマンたちは気にする風もなく呑んでいます。慣れ親しむとこれが当たり前という感じになってしまうのでしょうか。肴の量なんて値段に比して少なすぎるのではなかろうか。まあ、普段から酒場にとって肴などは付け足しに過ぎぬと豪語する者として、あまりしみったれたことは語らぬことにするのがよさそうです。しかし酒に関しては、安くはないけれど非常に濃いので迂闊に高いとは語らぬのが穏当というべきでしょうか。ともかくも風情という意味においては、二度足を運ばされるだけの強度は備えているのは確かです。 一方、次なる「凡木居酒屋」というお店にはそうした情緒はひとかけらもありません。ビルの地下の殺風景さは、あまり類を見ないのであえて特筆するに値すると思われます。逆にこの殺風景な無愛想さが記憶に残るという逆説的な酒場と言えなくもありません。値段に関しては、この界隈としてはかなりの安さといってもあながち言い過ぎではないはずです。その証左に、近隣のサラリーマンたちが大して楽しくもなさそうに会話が盛り上がるでもなく、ノルマ消化のような虚しさで呑み食いするばかりに思われるのです。酒を呑んだサラリーマンの性質の悪さは広く世界にも勇名を馳せているはずですが、ここでは皆が皆、虚ろな表情を浮かべていて、殺伐とした様相を醸しています。安上がりとはいえ、ここで毎晩呑むのは精神衛生上、あまり好ましい結果を生まない気がします。ここで呑むからには徹底的に安さを追求し、その貧乏臭さを極力楽しまなくてはもったいない。ただし、飲み終えても少しの気勢も上がらぬのは、どんよりとした店の気配がもたらすもののように感じられました。
2017/08/11
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人形町には苦手意識があります。苦手と思う理由は単純明快です。場所柄というのもあるに違いないけれど、山手線と隅田川の内側で呑むときは勘定に警戒を要することが多いようです。これはまあかなり大雑把にすぎるかもしれない。まあ、実際にはどこで呑もうが常に勘定への警戒は怠らぬのでありますが、端的には観光地化された町は総じて値段が高くて、例えば銀座や浅草などは同じものを食べたり呑んだりしても格段に値が張るのは、やはりどうも面白くない。安くかつ気分よく呑むことをモットーとするぼくには、どうしてもこの界隈は敬遠したくなるのであります。しかし人形町には、などと書き始めるとこの辺りが庶民的だなんてことを書き出しそうですが、そんなことにはならぬからご安心を。人形町は都内の町ではそれなりに人気のある観光地でありますが、ぼくにはどうしてここがそれほど人気があるかよく分からないのです。たい焼や人形焼、兄弟でやってるパン屋さんやドイツパン屋、その他色んな店も行っているし、どこもまあそれなりだけれど、上には上がある。町並みもそれほど下町っぽいかなあ。でも数年置きに人形町に通うのが倣いになっているようです。好きでもないのに変なことです。 しかし今回は「岩手屋」という明確な目的があります。日が暮れてもまだまだ熱気を帯びた路地の隅に古びた一軒家があります。とりわけ古びている訳ではないのはこの界隈には改めて眺めても古い建物がまだ多く残されている。そういう所がやはり楽しいから足を運んでしまうんだろうなあ。開け放たれた戸の内側にはグルリと客たちの背が連なっており、これはとても入れそうにない。 しかたがないから、お隣の「立呑み 魚平」で時間を調整して改めて覗いてみることにしよう。帰宅後に判明したのですが、この立ち呑みには以前もお邪魔していたようです。それなのにどうしてその時にはお隣の渋い酒場に気づかれずにおれたのか、その謎は今となっては顎しようもないので、その時には店が休みで、休んでいるとそこは商売しているようには見えぬのだろうなという事にしておけば、己の不注意の言い訳にもなるだろう。さて、時間潰しのつもりで立ち寄ったこの立ち呑み、店主には愛想の欠片もないけれど、魚介が充実してるし、それがなかなか旨いから軽く立ち寄るには塩梅が良い。今回はむさいおぢさんのO氏が一緒だったからあまりその恩恵には預からなかったけれど、うら若い魚喰いの女性と一緒なら、残念だなあ「岩手屋」は満席だから、そうだここでしばらく待ってみて、少し時間を置いて出直してみようよと誘ってみる。そして、これでもかと魚介類を注文してどんどん食わせちゃうという作戦である。そしたらきっと、あらコレ美味しいわなんて言ってくれるかもしれない。そしたらもう摘むのはそうはいらないわということになり、とてもお財布に優しいということになるのであります。って、今時の若い奴がそんな風に素直にコチラの思惑通りになってくれるはずもないのであります。恐らくはそんなに頼み過ぎちゃ次にホントに美味しいの食べられなくなるじゃない、なんて説教を垂れられた上にしっかり散財させられるに違いないのであります。さて、われわれも無駄遣いする前にお隣に移ろうかな。 幾らか夜の熱気も収まりつつあるようです。「岩手屋」の戸はいまだ開け放たれたままでお陰で2席空いているのが確認できました。女将さんは困った表情を浮かべておられましたが、常連さんが救いの手を差し伸べてくれて詰めるから入れてあげなよと仰ってくれましたが、ぼくはそのオッサンが隣のキレイな女性と密着したいという下心を見逃さなかったのです。それでもまあなんにしろ入れてもらえたのには助かったと礼を述べさせていただくことにするのだ。さて、ネタケースには魚介が並んでいるけれどもうそれなりに食べているので控え目にすることにしました。何せわれわれは揃ってケチだからであります。L字の質実堅固なオーソドックスな構えがこれぞ居酒屋であると思わず呟きそうになる。いや、相手もいることだし、実際には囁きあったのであるけれど、その位に良い雰囲気なのである。酒場はこれ位にシンプルで良いのである。さて肴では納豆焼というのが気になったが今晩はすでに品切れという。どんなものかと尋ねるがどうも要領を得ない。栃尾揚げ、少しだけ残ってるからそれでも召し上がってと仰るのでとりあえず頂くがどうも釈然としないのでありました。あとで判明したことですが、どうやら栃尾揚げに納豆をサンドしたものらしいのです。そういう事か、ならまあいいや。だいたいぼくはもとより肴などというのもは酒を引き立てる程度に摘むというより突付く程度で構わぬはずなのだ。常連が多くて独りだと少しばかり気兼ねしそうでありましたが、やはりここは良い酒場であることは間違いないのです。
2017/07/21
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永代通りを茅場町と門前仲町をのちょうど真ん中位まで歩いたのだったでしょうか。交通量の多い立派な通りの両脇には真新しいビルが立ち並んでいて、とてもこの通り沿いに古酒場があるなんて思いもよらぬのです。きっとこの大通りの脇道に逸れた小路なんてのがあって案外味わい深い呑み屋街、と言ってもパラパラと2、3軒が残されていたりするのだろうかと、ほんの少し期待に胸をときめかせつつも曲がり時がなかなか到来せぬのです。もう近いはずなのだがなあと視線を少しばかり老朽化が見え始めた、しかしそれでも大きなビルの一階に何たる事、古酒場が収まっているではないか。近寄ってその大きな赤提灯と縄のれんの下がる戸だけ切り取ってみるとここが茅場町であることが嘘のように思えるのです。 そんな限定された範囲のみであるけれど昔のままの佇まいを留めた「京八」、さて店内はどんなものでしょう。これが素晴らしくいい雰囲気なのです。それは曖昧な外観がもたらすそこはかとなく感受される駄目さという先入観による混乱した思い違いなどであるはずはない。そう言い切れるのはなぜかと問い詰められても上手く言い表すことなどできぬのであります。自慢げに語ることではありませんが、渋いなあとかカッコイイなあとかい愚にもつかぬ言葉を呟くしか手立てはないのです。とにかく古い酒場はかくあるべしという見本のようなお店です。煤けた天井や壁の鈍い照り具合や、長く伸びるカウンターや卓席の収まりの良さなどこの眺めさえあれば肴などなんでも良くなってしまう。だから目の前でフツフツと煮えているおでんを適当に見繕っておく。おでんなんぞは何を食べてみたって似たりよったりの味です。いやまあホントのことを言えばおでんにだってピンキリがあります。しかしこのお店でそれを語るのは無粋でしかないように思われるのです。腰も曲がって歩くのも難儀そうな女将に面倒な注文は酷であるとの気持ちもある。目の前には酒も肴も揃ったからあとはのんびり呑むばかり。余りにのんびりしすぎて、女将もその息子もカウンターで椅子に腰掛けて、うつらうつらと船を漕いでいる。そんな駄目さ加減も味ではないか。もしかするとこのビルは彼らの持ちビルでテナント収入で十分やっていけるのではなかろうか。そして居酒屋家業などは暇つぶしに過ぎぬのではないか。きっとそうに違いないと確信する自分がいる、けれどそんなことなどどうだっていい事です。こういう風におおらかに構えられるのも酒場の風情をこそ至上の楽しみと思い込むに至った脳天気な酒呑みの特権なのです。酒が切れると女将を起こしてお代わりを注いでもらう、そんな贅沢な時間をまさか茅場町で味わえるとは、嬉しくてつい女将を起こしてしまうのです。
2017/06/05
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近頃、平日休みがちょいちょいあるのは有り難いなあ。有り難いんだけれど、先立つものがないとくれば、せっかくの平日の休みもままならぬのであります。子供の頃なら小遣い銭がなくってもそれなりに休日らしい一日を堪能したものであります。しかし年を経るにつれ時間の使い方が下手っぴになっているのかもしれない。いやいや、趣味が変わったまでと思いたいのでありますが、ガキの頃なら金が無いなりにこの上なく上手い過ごし方を考えついたはず。いやまあそれは嘘なんだけどね。このネタを考えるたびに思い出すのが銀河鉄道999の珍しいほのぼののんびりしたエピソードです。暇つぶしの下手くそな奴には広大な宇宙を旅する資格はないとかで、鉄郎が時間潰しの天才ぶりを発揮するというものてすが、少なくともぼくには鉄郎の時間潰しじゃ、1時間も耐えられぬと常に思ったものです。メーテルと一緒に入浴した方がよほどの暇潰しになりそうなものなのに。それはともかくとして、まずは潔く諦めるのが大人の振る舞い方に違いないのです。それは重々承知しているのです。だけどまあ少しでも時間があれば無駄にしたくないという余裕のない貧乏性に生まれついたのだからどうにもならない。なのでこのところは気になる店はランチサービスの時間帯を狙うことにしています。とはいうものの居酒屋でランチをやってるのって思ったほど多くないのが難点です。そんな数少ない一軒が新日本橋にあります。「割烹 安兵衛」のことですが、移転したのか改装しただけなのかいかにも日本橋風という格調高い敷居の高い外観です。実は以前も一度移転したばかりの頃にそれとなく偵察しに来ては居るのですが、その時は勇気ある撤退を余儀なくされました。そして次来るのはいつの事になるのだろうと、虎視眈々と機会を伺っていたのでした。何のことはないランチサービスがあったのですね。サービスは昼の2時までやっているとの事なので、ぎりぎりランチタイムを避けたいという気持ちから時間ギリギリに訪れると今しも中休みですよというオーラを隠そうともしません。しかもできる品もおでん程度とのこと。ネットで見てたよりも二割増程度値上げとなっています。まあその程度は織り込み済みでありますが、この早く帰ってくれムードの中で一杯を頼むのはかなり気が引けるものです。だけど、呑みに来ているのに大して食いたくもないおでんで飯だけ食らうというのもあまりにシャクだし、それよりも虚しすぎる。おでんって、確かに実家ではガキの頃、飯のおかずにされたりもしたけど、冷蔵庫を漁れば何かしら副菜になるものがあった。しかし、ここは一口二口分のスパゲティーサラダに数切れのお新香のみときたものだから戦略的に進めるべきであります。そっと遠慮深く頼んだ温めの燗酒を口に運びながら即座に戦略を練り上げました。おでんの厚揚げと出汁を残しとう飯風に掻き込もうという算段です。高級割烹風のカウンター席で斯様に懊悩するとはさすがに店の人も思わぬのではないか。すると店の人たちが賄いを食べ始めてしまいます。だってまだ2時を回ったばかりだよ。これってどうなのかねえ。すっかり嫌気が差したので上品に薄すぎて味気のないとう飯もどきをチラリと残しちゃおうかという考えが脳裏を過るけれど、もったいないからキレイに平らげて店を出たのでした。 お茶すら満足に味わえなかったから久し振りに「coffee shop ポー」に立ち寄ります。この辺りには喫茶店が多いのかいいなあ。でもどこも似た感じの店が多いので、こうしたちょっと古いお店が残っているのはホッと気分を和ませてくれます。
2017/03/30
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東日本橋に古くからやっている酒場があることを知ったのは、ぼくが酒場巡りを始めたきっかけにもなった『続・下町酒場巡礼』で読んで以来のことだからもう随分前に知っていたのに、どうして足を運ばないでいたのでしょうか、我が事ながら疑問です。思い起こしてみるとどうやらこの東日本橋のお店はとっくに潰れてしまったものだと長い事思い込んでしまっていたようなのです。この本の基調となるっている孤独感がもたらす独特な暗さと感傷で綴られる酒場の姿がどうも浮世離れして思われ、実際にはここに登場する多くの酒場に行っているにも関わらず、文章で記された酒場と実際のそれとは乖離して感じられるのです。 でもちゃんと営業は続けられていたようです。しかも店は本に登場するそれとは全くの別物で見違える―いや、見たことがないんでした―、すっかり新しく建て変わってしまっていて正直なところガックリとなります。ここは「江戸政」、焼鳥の立ち呑みです。テープレコーダーのように―という比喩が未だに通用するのはどうしたものか―セットとなっておりますが、ツクネは生か焼きになりますがどちらに致しますかとの問い掛けをされ、迷わず生にしてしまうのが何だかさもしい気がするのは、同じように生を選んだ方に失礼かもしれません。それだけは先払いという強気な値段の酒の中でもお手頃そうな瓶で出されるウイスキーの水割りをぐい呑みサイズのグラスでちびりちびりとツクネを突きつつ頂くのはなかなか悪くない。値段はぼくにはちょいとしたものではあるけれど、それでもそれだけの価値があると言っておくことにします。大体この立地でこの値段は実際悪くはないのかも。でもどことなくよそよそしい冷たさが店に漂っていて、一通りを頂いたらさっさと出ていかなくちゃならないような雰囲気が残念です。でも手頃に旨い焼鳥を食べたくなったらまた来ることがあるかも。神田の「伊勢」も似たようなお店ですけどこちらのほうがより美味しいかな。 ちょっと歩くと「三好弥」がありました。このブログにも時折登場する「三好弥」ですが、もともとは三河出身の長谷川好弥さんという方が大正8年に文京区で洋食店を開業したのが始まりとのこと。そんな由来なのでほとんどの系列店は洋食店としての営業を続けていますがこちらの店舗は、日本食というか家庭料理がメインの大衆食堂風のお店でした。昼間はともかくとして、この時間帯は閑散としていて他にお客は二人だけ。お二人とも店の方とも懇意のようで、このお店がなくなった時の喪失感たるやいかばかりかというくらいに入り浸っているらしいのです。まあそうですよね、こうした個人営業の店だとどうしても常連さんで持ってるようなところがあるし―いや、お客さんもこの店でのひとときに癒やされているはず―、ぼくのような一見客は稀なのかもしれません。こんな東京のど真ん中昔と変わらず商売を続けられていることには感服します。なんて凡庸な感想を浮べながら、ニラ玉と熱燗でひとり和むのでした。
2016/03/12
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このところめっきり近寄ることのなかった京橋にやって来ました。京橋の思い出が否応もなく映画と結びつかざるを得ないのは、シネフィル予科生としては致し方ないことであって、正直大阪の京橋なんかがより豊かな記憶を孕んでいるのとは対照的に町歩きには不向きなように思われて、歯を磨く行為のように単調かつ苦痛でしかなかったのですが、そこに喫茶店や酒場という視点を加味したら突如隠れていた風景が立ち上がるのを見て、これまでの単調さが一転したように新鮮に感じられたのは今は昔のこと。そうした店どもも姿をくらまして久しく、改めて代わり映えのない色彩に彩られてしまい、まるでテレビゲームー今や死語と化している言葉でありますーのロールプレイングゲームと呼ばれるジャンルにおけるダンジョンの味気なさを歯を食いしばり通り抜けるばかりなのでした。そんな町でも古いお店が極まれにあって、ゲームなどにも酒場が設けられていてその辺、ゲーム作家たちも気が利いてると思うのですがーマンガ『ダンジョン飯』というのが、戦力を著しく削ぐことになる食料の携帯を最小限にするために食材ーモンスターーを現地調達せんとするアイデアは実に楽しいもので大いに愉快なのですが、その楽しさはむしろ脳天気なサバイバルマンガの系譜にあるようですー、やはり実際に酒が呑めないとどうしようもない。世の中にはこうしたゲームをしながら酒場に入って本当に酒を呑んじゃう人もいるに違いなくて、将来の酒場はこうしたヴァーチャル空間に追いやられるような危惧が想起されることもあります。 ともあれ、ゲームの中の酒場のように愛嬌のない「Gyo-BAR 京橋店」に入ってみることにしました。どこかで聞いたような店名なのでロールプレイングの主人公よろしく情報収集などしてみることにします。最低限の投資で有益な情報を得るという味気のない会話でありましたが八重洲と茅場町にも店舗があることを聞き出しました。そうか、八重洲店には行ったことがあったな、八重洲の呑み屋街はまだしも風情が有って、こういう日本的な町並み、というか呑み屋街を再現したゲームがあったらやってみてもいいかな、なんてことを思いながらガリハイを呑み干すのです。京橋にももっと立ち呑みあればいいのに、フィルムセンターに通う貧乏シネフィルの需要があるはずてす。
2016/01/30
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なんだか銀座というこのブログでは縁遠い酒場がこのところちらちら姿を見せていますが、取り立てて理由があるわけではありません。もちろんぼくだって銀座にも古くからやっている酒場もあって必ずしも値が張る店ばかりでないことも心得ています。だからと言って銀座にいざ足を向けるのを躊躇うのは若い頃、酒場と関係なしにうんざり通いつめて10数年たった今でも、気持ちの中では食傷気味なことが理由のようです。それでも先日それがどのような番組だったかは定かではありませんが、銀座のコリドー街にあるーそこが本当にコリドー街と呼んでいいのかは自信なしー老舗酒場を見てしまったのでした。酒場を探訪するようになってかも何度となく目にしていた酒場ですがようやくその気になったことが、吉と出るか凶と出るかは行ってみてのお楽しみなのでありました。 その念願のお店とは「銀座 樽平」です。昭和3年創業というから銀座でも最古さんの部類の居酒屋さんではないでしょうか。日頃は酒場という単語を好んで使用するぼくではありますが、こちらのお店は居酒屋と呼ぶのが相応しく感じられます。細い路地に灯が点ってから通りがかると宣伝酒場らしい和建築の温かみが感じられ、ここご銀座であることをしばし忘れそうになります。店に入ると大変な繁盛っぷりで、ぼくに限らず歴史のある店で呑むことを求めるお客さんの多いことを確認できます。こうした居酒屋のよく似合うおぢさんももちろ多いのですが、それ以上に20代と思しき若い人たちの多いこと、しかも女性が多勢を占めるのが意外でした。いつもの顔ぶれ3名はどうにかこうにか端っこの窮屈な席に入ることができました。昔の居酒屋らしい佇まいはもちろんのこと、下手に騒ぎ立てる客などいないことも好感を感じます。名物の玉こんにゃくやらイナゴの佃煮などの珍味などを味わいながら、いつもであれば格別有り難みのあるわけでもないと思ってしまうお燗した 樽平が、どうしてこうもおいしく感じられるのでしょうか。それでもわれわれ三人の視線は、終始上品にお酒を嗜む美女グループへと向いてしまうのは致し方ないところでしょう。 先の店の姿が銀座の本来であると判断するのはやはり早計に過ぎるというものでしょう。ひとたび舞台をガード下方面に移すと途端に酒場と呼ぶのが適当に思われる喧騒が待ち受けるのでした。ただし、あのあけっぴろげなざっくばらんとしたムードにうかうか乗せられる程には若くはありません。この界隈ではお手頃な「車屋」にお邪魔することにします。うっかり知らぬ酒場に入ってしまい、この雰囲気なら安く呑めるだろうと遠慮なくいってしまうと、手痛い仕打ちを受けることになります。その点に関しては、ここ 「車屋」は安心です。銀座の酒場は、どこも繁盛していますがここも当然に例外であるわけもなく大いに繁盛していてようやくのことで入口付近の寒風吹き込む末席を確保できました。この無理矢理席を設けたような疎外された一角案外好きなのです。銀座の酒場につきものの窮屈さがないのが何よりです。しかもオーダーミスがあったのか、サービスで焼鳥なんかを差し入れてくれたりと、どこに幸運が転がっているかわかったものではありません。まあ、ガード下らしい風情に馴染んでしまうとーそれも初めてならともかく、何度も経験していると感慨の持続時間も短くなるものですー、とりわけどうという店ではありませが、それでもお手頃さは大きなメリットです。
2015/01/09
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銀座には、バーがそれこそ綺羅星のごとく数限りなくありますが、身銭を切って呑むしかない以上は、そうそうむやみに足を向けるわけには行きません。なんせ支払いが結構な金額になるので、財力さえあれば名店が数多ひしめくとしても、日参して通い詰めれば制覇てきるに違いありません。ってあれ何を言ってるんだろう酔っ払ってわけの分からぬことを言ってしまったようです。 まあ、そんなことはともかくわれわれ薄給のしがないサラリーマンは、名店などに行けるのはせいぜい念に一度あるかなしやのこと、庶民的なバーとして知られる「ROCK FISH」にでも行ってみることにします。平成14年に開店したというこのお店、各種メディアにて何度となく目にしていたもののそれがまさしくネックとなって行く機会を逸していました。一度は噂に名高い例のハイボールを呑んでみたいものだと思い続けて幾年月、酔っ払っている勢いで寄ってみることにしました。雑居ビルの2階のその店は想像以上にカジュアルでなんだか気が抜けてしまいます。バーは、ちょっと緊張するくらいがちょうどいいと思います。この後会合があるらしく、バーテンダーの方たちの応対もおざなりでちっとも感じが良くなくて、そんなファーストコンタクトの悪い印象もあったせいか、ハイボールもそこらの居酒屋で呑むのとさほど変わらぬように思われたのでした。せっかく銀座で呑むならちょっと無理してでもオーセンティックな店にしておくべきだったでしょうか。
2015/01/05
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久しぶりという割にはちょくちょく登場する京橋ですが、実際のところ以前は週の半分近くを通った町と考えると、随分と縁遠い町となった印象は否めません。まあ、正直なところ今となっては毎日のようにほぼ義務のごとくに日参していた無茶な日々を思えば随分まともになったと思えなくもありませんが、それでも当時の情熱ーと言ってしまうとこそばゆいわけですがーがどういうものだか酒場に向かってしまった以上、国立とはいうものの貧弱極まりないフイルムアーカイブのことなど見なかったことにして早々に酒場を目指すことにしましょう。 で、向かったのは、かつて日本橋三越前のほうでお邪魔したことのあるらしい「びっくりうどん(旧店名:びっくりうどん本舗 」の八丁堀店であって、噂を聞きつけて遅まきながらも駆けつけたはいいものの、恐るべき混雑具合。これまで立ち呑み店でこれほどまでの混雑には立ち会わしたことはないと言っても過言ではないほどです。いかなる理由でかほどに混雑するような事態となるのかはかき分け掻き分け辿り着いた勘定場ですぐにも明らかになるわけですが、その答えは言うまでもないのであえて語らずに済ませることにします。しかしそれにしても中央区という日本の中心地で活躍なさっているものと想像に固くないエリートたちが、こうした酒場ならざる二毛作店でかくも貧欲に欲望を貪っている姿は、微笑をもって受け流すこととしましょうか。これで空いていたらなどという愚かな希望など懐かぬほうがよさそうです。頑張ってる店です、でもぼくはもう少し力を抜いた入りやすい店のほうがよほど心地よいお店と感じられるでしょう。 思わぬ形で中央区のエリートたちへの鬱憤を吐き出したかのような物言いとなりましたが、当然のことながらしがない中小企業のサラリーマンだっているわけであって、そんな方たちは「大虎」にこそ相応しいとの希望を胸にいそいそと店を移るのです。さて、こちらのお店は、さんざん通ったと語ってみせているフィルムセンターの目と鼻の先にあるわけで、映画を見た後にはほぼ決まったように安酒場を求めて主に有楽町や東京駅の八重洲口方面を目指したものです。まさかかほどに近い場所にこれほどまでに枯れた雰囲気の酒場そのものと言ってしまっても、それほど大袈裟ではないお店の存在があったことを知っていたなら、酒場通いーいや通うのは当時から変わっていませんーではなく酒場巡りというライフワークーそれがはたして良かったのか、寿命を縮めるだけとなるのか考えてみたところで答えが出るはずもありませんーとなっていたかもしれません。前置きが長くなりましたが、未だフィルムセンター通いを細々続けるO氏からの情報に従い出向いたのでした。意外にも客は全くおらず店のおばちゃん二人も愛想を向けるでもなく、何やら仕込みなどの作業に追われています。カウンターの奥は店全体が一望できる最高の席です。ほぼもつ焼きしかないこれ以上ないほどにシンプルな品書きは、それでもこれ以上はないほどの贅沢さに感じられます。創業がいつのことか今調べてみる気にはなりませんが長い年月をこれだけで続けてこられたお仕着せがましくない自負を感じさせます。焼き場を担当するおばちゃんはひたすらハードボイルドな表情を崩すことはありませんが、もうひとりのおばちゃんはビールを注いでくれたり、剽軽な身振りや喋りが楽しい愉快な方なのでした。唯一の難は、少々値段がお高いことでしょうが、いずれまた訪れたいお店となったのでした。
2014/12/30
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京橋というと都心でも有数の古い歴史を有する土地という印象があります。加えて高級な老舗店がさり気ない構えであったりして、あああの有名店はここにあったんだな、それにしても名の知られる店にしてはやけにショボいではないかと思わされることもしばしばのこと。画廊なんかも多くて自分にはあまり縁のなさそうな町でありますが実はさにあらず。ひと頃はこの近所に是非とも住みたいものだと本気で願ったものでした。その理由は簡単でそこに日本のフィルムアーカイブであるフィルムセンターがあるからで、月曜以外には、2回、特集次第では3回のフィルムが上映されしかも国立の組織ということもあって500円という廉価にて鑑賞できちゃうのでした。些細な個人的事情により映画からは遠ざかりつつありますが、定年したら近くに住んで、ぶらぶらと出掛けては毎日二回の上映を楽しんだ後に界隈の居酒屋でいっぱい呑むという野望を胸に秘め続けているのでした。 そんな京橋にも古い角打ちがあります。「枡久」は、安政2(1855)年酒屋創業の酒屋さんで、なんだかとんでもない老舗でありますが、実のところは平成22年に移転して、新しい建物となっており老舗らしさはほとんどありません。店内に飾られた数枚の扁額にその歴史を感じるしかなさそうです。角打ちにしては値の付け方にやや疑問もありますが、この界隈で抜群にお手頃に呑むことができる貴重なお店ではあります。定年を迎えるまであってくれることを願います。ただし、閉店時間が早いので映画を見たあとでは厳しいのが難点。
2014/12/19
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ちょっと所用があったので、築地に昼下がりに訪れました。時間までしばらくあるので以前からお邪魔する機会をうかがっていた、渋い喫茶店に寄ってみることにしました。 「レンガ」です。オーソドックスなこれといった個性の感じられないお店ですが、ゆったりとして寛げます。築地界隈の店は、場所柄からは考えられないほどに安い店が多くてー今はなき「ひよ子」がその筆頭でしたー、それを期待してしまいましたが、残念ながら本来予測される価格でありました。 所用が済むと、連れ立って「築地 江戸銀 本店」に向かいました。寿司屋で呑むなんてこと、ぼくには、滅多にない贅沢なので店がいかにも俗な感じなオオバコであっても、文句は言わぬことにしましょう。お待ちかねの刺し身が出できました。ところが見てくれのよいその肴の味のないことと言ったら驚くばかり。どうしてかほどに味気ないのか。何品かある安価メニューを攻めることにします。舞茸天ぷらは油でベトベト、茶碗蒸しは味がなくポン酢を垂らして食べる始末、実は以前も何度か来ていますがここまで酷いと感じたことはなかった。一体どうしたというのだろう。築地の移転が決まってスッカリやる気をなくしたように思われ、憮然として酒をあおってしまい、いつしかヘベレケになっていたのでした。
2014/11/29
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人形町の交差点で随分以前からその存在は認識していたものの時間帯が合わなかったり、同伴者がいたりでなかなか立ち寄る機会が持てなかったとある立ち呑み屋さんにようやく尋ねる機会が到来しました。実のところはO氏と、別の目当ての店に行くつもりが等のお店が移転だか閉店したらしく辺りの、津波に攫われたかのような急激な再開発の凄まじさに唖然としていたらいつしか人形町に辿り着いていて、ふと見上げたらその立ち呑み屋があったという次第に過ぎなかったのです。 「立飲み処 丹羽」というそのお店はそこそこの年季を感じさせてくれ、何よりも女将さんのかなりのご高齢っぷりが店の歴史を物語っています。どこか間の抜けたように広いスペースにぽつぽつ置かれたテーブルには椅子も用意されていて、もはや立ち呑みを標榜するのは無理があります。お客さんは一人もおらずそれも品書きの値段を見ると納得で、いっぱしの居酒屋並みの料金なのでした。早くもO氏とは視線を交わして退却の段取りを画策しますが、女将さんの表情がもたらすプレッシャーからついお替りをお願いすることになります。折角の立地なのですからもうちょっと工夫したらと思うのですが、そうあくせくせずとも生活にはさほど支障がないのでしょうか。だとしたらうらやましいご身分です。
2014/11/22
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都心で早々と仕事を終えられるとなれば勇んで呑みに向かうような性分であるので、時間が5時前と世の店みせが明かりを灯すのにはいささか性急すぎたことはあったにしろ、出張先から近い浜町で呑み始めることにしたのでした。日本橋方面の賑わいからは打って変わって、閑静なー言い換えれば刺激がなくて単調なー町並みが広がるばかりで、ここぞという店もなくいつまでもくよくよ迷っていても埒が明かないと判断、目に留まった食堂を名乗るお店にお邪魔することにしたのでした。 この界隈では、食事処を標榜しても夜は酒場使いされているのに違いないと思っていましたので、呑めないなどという事は考えていません。店内に入ると、外観こそ近頃よく見かけるチェーン系のそれと違った点は見受けられぬものの、店内は昔のだだっ広くて飾り気ない無造作なムードがあって案外居心地良さそうです。「第五食堂 和幸」という店名にある第五の意味するところを考えつつ、隅っこの席を勧められました。まだガラガラなのにその扱いはなんぞやと訝りますが、どうやらこれから全席ー50席以上はありそうー挙げての大宴会が挙行される模様です。そんな訳で、調理担当とフロアー担当の男女2名だけなのでもうてんやわんやと大忙しの様子。こんな状態でもうっかり本日貸し切りの札を出し忘れたからと時間こそ限定ですが、気持ちよく入れてくれたのです。そういう気のよさが食堂ながら宴会に利用される人気の理由なのですね。お得なセットの掲示があったのでオーダーするとおまけまで付けてくれてしかも料理も慌ただしい中で実にちゃんとしてうまいのでした。その中身は写真で推測してください。騒然とした中での呑みは、表の寥寥たる様子と一転活気があって楽しいのですが長居しては申し訳ない、店が盛況なさまを見てみたいと思いながらも早々に席を立ったのでした。 続いてはまあどうという個性の感じられぬそれでも個人経営に違いない小体な様子に好感の持てる、焼き鳥店に入ってみることにします。「串焼 鳥生」というお店でした。狭い店内にはカウンターが伸びて、この界隈の一軒家の居酒屋にありがちな幾分窮屈な造りです。あとに続いたお客さんが二階に通されたので、グループ客はそちらを利用するのでしょう。目付きの鋭い頑固そうな主人は居酒屋主人の一典型として貴重です。こういう昔ながらの居酒屋は界隈では貴重なのでしょう。最初は空席ばかりだった店内はあれよあれよという間にお客さんで一杯になってしまいました。うっかり出遅れると入れないということにもなりかねませんでした。さて、酒と肴は酒場の良心というか、誠意を感じはしますが、飛び抜けて旨いとか量が多いとかいうこともなく、値段は場所柄を考えてもこんなものかなというそこそこ良い値段で致し方ないとは思いつつも、これでは毎晩というわけにはいかないですね。ここに集まる多くの方たちはよほど懐事情に余裕があるようです。
2014/11/19
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銀座や日本橋から程近い八丁堀の町で呑むことになりました。同行したのは、場末好みのO氏です。彼はとにかく休むなことなく日本のみならず世界中を精力的に駆け回っていますが、最も好物なのは、日本の場末ではないかと思っています。そんなわけなので羨ましいことに日本各地の場末を気の向くままに散策していて、いろいろと町や酒場の情報を交換することになるのですが、こんな二人だと呑みに行く酒場も限定されてしまいます。ここ八丁堀にやってきたのは先日訪れた際に一軒の立ち呑み屋が双方にとって間違いなく意中の店であることを直感したからでした。 そのお店は戦後闇市のようなワイルドさがそのままの立ち呑み屋さんでした。店は大変な盛況ぶりでかろうじて立ち位置を確保できるほどです。客は常連ばかりですが、一見を目の敵にする一部の悪質酒場とは違って、必要以上とも取れるほどの大歓待を受けてしまいました。あっ、別にサービスが良かったとかそういう話ではなく、すぐに常連の輪の中に加えてくれる、いや引き摺り込まれてしまうのです。お隣のクエン酸をこよなく愛するお姉さん曰く、なんらの躊躇もなく暖簾をくぐるその姿がかっこいいと仰ってくれました。単に図々しいだけなんですけど、逆にそれが好意的に受け入れられたのかもしれません。威勢がよくて下ネタの好きな東向島から店を移したという御主人の奔放な人柄と思わず感嘆させられる確かな腕が善男善女を惹きつけるのに違いありません。屋号は「鮨まさ」、元は寿司屋なので肴の旨さは立ち呑みとは思えぬほど。でも毎晩こんなに盛り上がってばかりだと通い詰めるにはちょっとばかし疲れそうかも。皆さんに暖かい声を掛けてもらい店を後にします。予定通りO氏も大変なご満悦。 ところが次に向かうべき店にまるで目星が立っていません。街灯の疎らな夜道を彷徨っているといい歳のオッサン二人でも不安を感じる程に暗く静まり返っています。日頃は食堂を避けたがるO氏ではありますが、さすがに暗闇をいつまでもふらつくのはウンザリとしたようです。そんなわけでさほど期待もせずにお邪魔したのは「お食事処 櫻」です。外観からは飲食店であることを示す符丁はごく最低限に留まっており、かろうじて商売をしていることがわかる程度です。いささかの不安は店内の程よい混雑と薄汚いながらも程よく寂れた雰囲気で、打って変わって居心地良い物に変わりました。名前は忘れてしまいましたがなんだかトンデモナイシロモノであるかのようななその品は、なんだか大きな魚のアラをフライにしたものでした。食べるのはちょっと面倒ですが、それくらいの方が酒のアテにはちょうど良いのです。自宅で食べやすく調理された肴を前にするとついつい皿洗いや暖かいうちに食べたいという気持ちが前に出てしまい、ついつい食べ過ぎて呻き苦しむという事になりかねないのでした。2階の便所を借りると、座敷も見えますがこれがまたなんとも言えぬ枯れっぷりでそそられますが、まず使われることがなさそうです。後から入ってきたお客さんは昼も夜もここで過ごされているようです。揚げ物がメインなのにスリムな体型で羨ましい。奥さんと思われた方が客の一人一人に礼を述べつつご帰宅されるのを見て、われわれもぼちぼちと引き上げることにしたのでした。
2014/10/30
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この後、呑む約束があるので手身近に済ませたい場合に立ち呑み屋は本当にありがたい。先日訪れたばかりの小伝馬町でも一軒の古い味のあるお店にお邪魔しましたがまだまだ何軒かの行ってみたい立ち呑みがあるので立ち寄ってみることにしました。 最初の1軒は、「お酒 かくうち」というお店で見たところ新しく綺麗な店舗なので最近開店したばかりのようです。この店、ぼくのこっそり持ち歩いているいずれ行きたいというメモにも記入があって、そこには「かくうち 3号店」とあります。この3号店というのがあまり気に食わないので、どうしてこの店がメモにあるのか自らメモしながらも怪訝な思いがしたものです。そこそこの客が入っています。厨房カウンターそばの止まり木は2名で使うくらいのサイズ。真っ直ぐなカウンターや4人程度でちょうどいいサイズの卓もあって、いろんな場面で使い勝手がありそう。店の方にお酒を頼みながらも肴の品書きがほとんど見当たらない。たこ焼や馬刺の小さなポスターが貼ってありますが隣のオッサンの摘む牛筋の煮込みは濃厚でうまそうだし、正面の兄さんが摘むイカの一夜干や鯨ベーコンもそそられますが、一体どうやって注文するのだ!? 店の方にお聞きするとあっちと指差しますが、何も見えません。まあさほど肴にこだわりもないのでお代わりすると、来店したばかりの客が一目散にぼくの場所からは死角となる方に向かいます。あとを追うと、調理済みの肴がズラリ並んでいました。そうだったのか、今更なのて、安くて旨そうなゲソの煮物をいただきました。おお、なかなかいいじゃない、これだけでサワーの3杯は行けそうです。酒は日本酒の銘柄ものがお得ですが、後は安からず高からず。食い気のある人と一緒なら満足度が高そうです。 さて、次なるお店に移動です。小伝馬町に2店舗、「かくうち」のすぐそばに2号店のある「ちょいと一杯 さかばやし」の1号店に伺います。以前、昼間に見かけていてよさそうな印象がありましたが、実際に入ってみるとこれといった特徴のないごく一般的な立ち呑み屋でした。立ち呑みで風情を求める客などそうはいないでしょうから文句は言いますまい。O氏かちょうど注文待ちしていました。挨拶を視線だけで簡単に交わし、店内を見渡すと日本酒の短冊の品書きやら馬刺のポスターまでさっきの店と多分まるっきり一緒でした。これで合点がいきました。店の名は違っても系列は一緒のようです。店の雰囲気まで違ってるんだから、出すものにも違いを出して欲しいですね。考えることは似ているようでO氏もイカのゲソ煮を取っていたのには、ちょっと愉快になります。小伝馬町の立ち呑みは長居する客も少なく、すっと呑んですっと出ていく方が多いようです。逆に「小伝馬」のような普通の居酒屋となると、だらだら居続けるようです。酒もあまり追加しないで。
2014/10/23
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八丁堀の老舗有名居酒屋に思い切って行ってみることにしました。思い切ってというのは、場所柄もあるのか、テレビなんかでこの店が紹介しているのを見ると小金を持ってる塾年サラリーマンが多くはびこっているようだったからです。小金のない単なるおっさんに過ぎないぼくにはやや敷居が高く感じられるのは致し方ないものとお察しください。 訪れたのは「かく山」です。薄暗い路地にポツンとある古びた構えの店で、都心の情緒といったものを漂わせ、いかにも呑兵衛ごころをそそる訳ですが、構えの古さが価格の廉価に反映されないのもまたこうした風情ある都心の酒場の常であります。気を緩めぬよう店に入ると幸いにもまだそれほどの客は入っていません。入口付近のカウンター席に収まりとりあえずのビールを頼むと品書きをじっと眺めます。黒板には季節のお勧めの品が書き連ねられていますが、ぼくの懐具合ではいささが荷が重い。そんな訳で焼鳥をお願いしたのですが、これが正解。鉄串に刺された肉のサイズはまさにバーベキューのように大振りで、その大きめサイズがもたらすのか、肉はすこしもぱさつかず汁気をたっぷり含んで旨いのでした。このサイズでこの味なら焼鳥としては強気な価格設定にも首肯できます。そうこうするうちに店内はほぼ席が塞がっており、2階にも次々と客が吸い込まれてなるほどこの繁盛にも納得なのでした。
2014/10/18
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今でも現役で営業している喫茶店がそれなりに残っている新富町は、昼間歩き回ることはあっても夜はうら寂しくてあまりやって来ることはありませんでした。昔話になりますが銀座通りの老朽化したビルに一室に映画の16ミリフイルムを貸出する零細企業があって、それだけてはさすがに採算が取れないらしくせいぜいが10名入るかどうかの狭い部屋で、どういう訳だかやけに豪奢なソファで、映画マニアであれば垂涎すること必死のトンデモない珍品が土曜日だけ上映されていて、ぼくもしばしば通ったものですが、その際利用するのが新富町駅でした。ともあれ最初に向かったのは酒場放浪記で見た老朽化したビルにあるというこちらもまた古い居酒屋でした。ちなみにこの夜は、50歳まではほぼ下戸と言ってよかったのに、突如として大虎へと華麗なる変貌を遂げたーさらには冷え切りきっていた夫婦仲がこの変身により一転円満へと結実するとはーK氏が一緒です。 ところが現地に到着しても店の灯りらしきものはまったく視界を捉えず、しばらく眺め歩いてやはりこのビルしか考えられないという、暗がりの中でも目を奪われるビルの一階をその店と認めるしかなさそうです。「居酒屋 北海道」が求めた店で、そのガラス張りの空き店舗をしげと眺めるにつけ、痛恨の念が高まるばかりなのでした。 やむを得ず付近をぶらつくと「焼鳥 さかえや」というこちらもいくらか年季を積んでいそうな一軒の焼き鳥店に行き着きました。この界隈は、町の形成され方が独特で、店舗がひとつのビルや通りに集約されることは少なく、案外多い民家や町工場などに転々としているため、孤立感が高く、それが暗闇に赤提灯という呑兵衛泣かせの哀愁をたたえているようです。競合店を減らすことで、利益を等分しようという地域の飲食業組合辺りの戦略かもしれません。ところで、こちらのお店、入ってみると思ったよりは小奇麗で、改修の手が入っていることは明らかです。それでも穏やかな表情を浮かべる店主夫婦の高齢ぶりは、格別におじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子ではなかったぼくの気持ちも和ませてくれます。焼鳥以外には奴やトマト程度しかなく、その焼鳥もやや火力の弱さを感じますが、それがむしろ夫婦の優しさを感じさせるようです。入口付近のテーブル席にはいくらか喧しいサラリーマンのグループがいますが、奥のカウンターには一人客だけがいて、どなたももう50代にはなっているように見受けられました。言葉は交わさぬものの、一時のおじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子気分に浸っているのかもしれません。 似たような渋い焼鳥屋さんが程近い場所にありました。「鳥福」というお店です。こちらは構えの大きさに比すると、いくらか手狭に思える店内の様子は、さっきの店が合理的な計算に基づいた座席配置をしていたことを思うと、こちらは席が埋まることなど想定していないような座敷を基本としているのは鰻屋でもあるからでしょうか。都心の店というより郊外な町外れのお店という印象です。こちらのご夫婦は旦那の姿は見えませんが、先の店がほんわかしていたためもあり配膳を受け持つ夫人の応対は幾分かドライな感じを受けました。カウンターがいい感じなのでホントはそちらが良かったのですが、訳ありげなカップルがいたので遠慮して座敷に上がります。隣ではオッサングループが8名ほどでほどぼど盛り上がり、こちらもオッサン2人、隠微に盛り上がりました。いろいろ意見はありますが、やはり呑むなら一人か二人というのがぼくの性格には合っているようです。特筆すべき肴があるようではなさそうですが、オッサンの頼んだ川えびの唐揚げは身もむっちりとして持て余すほど。われわれはこれにお新香など2品を持て余すほどなのに、お隣のどう見ても年長のオッサンたちは驚くべき食欲で次々とハードな肴を平らげるのでした。隣の食欲の旺盛さに当てられたわれわれはすごすごと退散します。手作りらしき素敵なコースターを所望すると女将さんは嬉しそうに綺麗なものを選んで手渡してくれたのでした。
2014/10/15
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有楽町っていう町はちょくちょく出掛けるのに何だか呑むって気分にはなかなかならないのです。その気分お分かりいただける方も多いと思います。なぜって高架下などそれなりに味のある店もあるのですが、総じて値段が高いのが一点、その割には旨くもなく、量も少ない、うっかり呑みすぎると大衆酒場にあるまじき勘定書きを突きつけられかねないのです。しかもそんな店であっても客でびっしり埋まっていたりして、ここらの店をありがたがるのなら、10分歩いて新橋で呑めばいいのにと思ったりするものでした。ホントのところは有楽町の客が新橋に流れたらその隙に、ぼくが訪れようという魂胆なのでした。 そんなわけで有楽町嫌いをいつまてもお聞かせするのは心苦しいので早速この日伺ったお店のことを報告です。「泰明庵」は数寄屋橋の裏手、モダンな建築で知られる泰明小学校のすぐ最寄りにあります。屋号から推測できる通り蕎麦屋さんで、日頃のぼくの照準からはそれていますが、こちらは豊富な日本酒とそれに合わせた新鮮な魚介を中心とした酒肴の品揃えの充実ぶりがつとに知られた存在であり、蕎麦屋らしく昼間でもさほどの気兼ねなしに呑めるのが重宝です。とは言ってもその時は空腹が最高潮に達していたため呑みは後回し、先にビールと盛りにて腹ごしらえです。昼下がりと言うには遅い時間でしたがまだ店内はかなりの入りで、2階席に案内されます。ご婦人客が思いの外多いのも不思議な印象です。OLとサラリーマンのグループは当たり構わず助平かつ下品極まる会話に興じ、食事を終えてなお長々と逗留しており誠に目ざわりなのでした。
2014/10/04
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日中こそ喫茶店巡りをメインに据えた散歩で何度となく歩いている小伝馬町ではありますが、現代日本の中心にも据えられる日本橋から目と鼻の先の町とあって恐らくはぼくのような万年金欠族が通えるような酒場があるなんぞ思ってもいなかったのですが、いや~、それはとんでもない勘違いだったようです。実はこの界隈は立ち呑みを中心としたお手頃な酒場にあふれていたのですね。 ともあれ今宵の一軒目を求めて歩き出しました。あまり勝手を知らぬ町なので念のため何軒かを事前にリサーチしておいたのですが、そんな準備など不要だったかもしれません。古いビルのかなりの高さに袖看板が「立呑み処 大ちゃん」という店名を内側から照らし出しています。このシンプルなデザイン、なんとも頼もしい力強さを感じます。入口のサッシ戸や使い込まれた暖簾も歴史を感じさせてくれます。店内も調理場に面したカウンターと壁際にはカウンターから3卓のテーブルが付き出しています。ひとまずトマトハイを注文、トロリとした赤い液体の表面には黒胡椒が振りかけられています。チビリチビリすすり始めると、嬉しいことに小さいながらもサービスの突き出しを頂けます。この日は一口大の豆腐に小松菜の煮浸しが盛られ、ちょこんと辛子が添えられているのがいいですね。野菜不足なので揚げ茄子をいただくと、茄子はスライスされていて食べやすく、しかも大根おろしがたつぷりなのも偉い!これにも柚子胡椒がトッピングされるなど気が利いています。いやあ、いきなりまったく知らない良い立ち呑み屋に出会えました。幸先の良さについ表情を緩めつつ、待合わせ先に急ぐのでした。 待合せたのは小伝馬町の駅から降り立つと恐らくはどの出口からでも目に留まるであろう店名に恥じぬ絶好の立地にある「小伝馬」です。O氏はすでに到着しています。外観は渋いことは渋いのですが格別の風格があるわけでもなく、住宅街にありそうな和食処と居酒屋を兼ねているお店のように思われます。店内に入ると日頃通う酒場とのギャップに一瞬たじろぎます。と言うのは場所柄当たり前と言ってしまえばそれまでですが、すべての客が例外なくサラリーマンなのです。日頃出入りする酒場ではどちらかと言えば背広客は少数派だったりするのですが、一人の例外もないというのはやはりちょっと異様なものです。その異様さの自分もまた構成していることもあまり気持ちよくはありません。とは言いますがそんなことはすぐ慣れてしまい、ギリギリ席が空いていたことに今さらながらにホッと胸を撫で下ろすのでした。さて、周りの客たちはたいへん愉快に呑んでいて、われらも負けじと呑み始めるのでした。酒の値段はそこそこするなあ、グループの彼らはボトルを取ってお得に呑んでいて、これがこの店の一般的な遣り方なんでしょう。カウンター席が僅かなのもやむを得ないところなのでしょうか。カンパチのかま煮は粉を降って揚げているらしくジューシーで味付けもやや辛めの酒の友にはバッチリ。シンコは利用は控えめですがサッパリとしていながら味わい濃厚。日本酒が欲しくなりますが、O氏が酒が残っているらしく、こんばんは日本酒は呑まぬとの宣言にお付き合いしました。なるほどこのお店は確かに良い店、職場が近くて、上司がボトルを切らせず好きに呑んでいいぞと言ってくれるなら常連になってしまうかもなんてことを思いもしたのでした。
2014/09/12
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JRの有楽町駅と新橋駅を結ぶ新幹線の高架下に西銀座JRセンターというのがあって、ここは路地巡りを愛好するものなら知らぬ者はいないであろうメジャースポットです。もちろんぼくもことあるごとにここは歩いていたのですが、飲食店は3軒位しかなさそうで、ここぞという店もなく、夜来ることもほとんどなかったので、この日思い切って昼間ではありますが立ち寄ることにしました。 お邪魔したのは「韓国料理 まだん」です。他にやってる店もないので選択の余地はありません。昼食時間も過ぎていて、ほとんどお客さんもおらず、これなら呑んでも許してもらえそうです。ご飯類や麺類までは食べたくなかったので参鶏湯のセットにします。キムチも小鉢というには立派すぎる量で、しっかり辛味もあってビールが進みます。参鶏湯は身がほぐされているので、鶏肉入りのスープみたいですが味は良かったです。ところで肝心の店の雰囲気は、暗いガード下のムードからは程遠くやはりなんだか詰まらなく思えてしまうのは、まあ身勝手な感想でしかないのでしょう。
2014/09/05
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今日は旅先以外では基本避けている昼呑みのレポートです。毎日が小さな旅をしているなどと日ごろ吹聴していますが極力平日には行きたくない町の銀座界隈、それもちょっと個性的な異国の料理店ということなのであえてこの機会に報告することにしたのでした。 1軒目は、汐留の荒涼たる東京砂漠のそれも地下駐車場の片隅にある「帝里加」というお店にお邪魔したのでした。酒は持ち込みであるとの情報を信じ、地上付近にあるコンビニエンスストアにて酒を調達。奪うように商品を受け取るとその店に急行するのでした。しかし階段を降り始めると、この奇妙な店の立地にすっかりハマってしまいうろつくことしばし。ところが昼下がりですっかり客の引いた店に辿り着く頃には、当初の興奮はどこへやらすっかり興奮も冷めてしまっていました。店内もごくありふれています。立地のユニークさが際立つ店っていうのは大体がそんなものです。チンジャオロースー定食が580円と土地柄から考慮すれば極めてお手頃。事前に酒類は持込みとのことなので、近所のコンビニポプラにて缶チューハイを購入しました。これだけ語ってしまうともはや何も言うことはありません。近隣の方には御値頃だし重宝でしょうが、わざわざ出向くにはちょっと魅力に欠けるかも。写真がこれだけで申し訳ありません。
2014/09/05
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築地に対しては,すし屋ばかりで酒場らしい酒場があまりないという印象があって,実際場外や場内になかなか面白い店があることは知っているものの好き好んで足を運ぶ気にはなりません。それでも今回訪れたのはちょっとした会合があったため。そういう事情もあるので,余程のことがない限り訪れることのない築地のしかも寿司屋に行ってしまったのでした。 時間帯はまだ夕方前と早いにもかかわらずいずこもけっこう混雑していたり,休み時間だったりして,何軒か巡った末に辿り着いたのが「築地 すし好 総本店」です。築地本願寺の脇にあるお店で,見掛けどおりさほど歴史もなく,1984年の開店とのことです。まったくもってつるぴかのお店なので店そのものにはまったく興味が持てません。後は酒と肴を楽しむしかないわけで,そりゃ好きなものを注文できるのでそれなりに旨かったし,腹いっぱいにもなったのですが,人様の財布をあてにして呑むのはさほど楽しいものではありません。いつか寿司屋のカウンターで刺身でも見繕ってもらってひと呑みしてからせいぜい5,6貫ほど握ってもらってから,銀座に場所を移してBARにでも呑みに行くというスマートな大人の飲み方がしてみたいものです。
2014/01/20
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このブログで有楽町や銀座が登場することなどこれまであったでしょうか。まるっきり記憶がないほどに縁のない―といっても夜の銀座にあまり縁がないということで,日中はちょくちょく出向いています。ごくまれではありますが,銀座のバーにもたまには行っています―そんな有楽町でよく知られていながらも,これまで大きくは予算面の絡みから行けずにいた酒場をハシゴしてみたのでした。 まずは昭和21年創業の「新日の基」。有楽町駅のガード下にある数多い居酒屋の代表格。半地下と中2階の2つのフロアーにずらりとテーブルが並んでおり,ほぼすべての席が埋まっています。片寄せあってがこうした酒場の醍醐味とはわかっていてもあんまり窮屈なのもつらいものがあります。アンディさんなる西洋のお方が店長ということで,外国人―特に図体のでかい西洋人が多い―のお客さんが多くてそれはそれでインターナショナルな気分を味わえるのはよしとして,店の窮屈さは一層助長されるようです。しかもこちらは値段が高い割には長っ尻の客が大多数を占めており,回転もあまりよくないようです。中2階はガード下らしく天井の形状がドーム状であり雰囲気は悪くありませんが,騒がしすぎてじっくりと鑑賞するという訳にはいかなさそうです。それでも値段は高いし,くつろげる環境ではないにも関わらずふと気づくと長居してしまっているというのは,ガード下酒場ならではの磁力があるのでしょうか。個人的にはロの字カウンターがある「日の基」が好みでありました。まあ,長年の積み残し店を訪問できたので良しとします。 続いては昭和3年創業の「ルパン」です。すでにかなりいい加減に酔っぱらっていたので,何度か路地を間違えながら行ったり来たりしてなんとかたどり着くことができました。泉鏡花,菊池寛といった錚々たる文豪たちの支援により開店した「ルパン」は,その影響もあって永井荷風,直木三十五,川端康成といった作家たち,藤田嗣治,東郷青児,岡本太郎などの画家,古川緑波,宇野重吉,滝沢修ら俳優たちなどの文化人に愛されてきました。開戦後の一時期は「麺包亭(ぱんてい)」と名乗ったり,休業に追い込まれたり,さらには東京大空襲の余波を受けてしまったりの試練もあったものの,戦後には喫茶店として再開を遂げ,さらに1972年にはビルの建て替えを行ったものの内装はそのままに現在に至っています。文学好きにはお馴染みの写真家・林忠彦による無頼派3人衆(織田作之助,坂口安吾,太宰治)の写真はつとに知られており,ぼくなどもスツールに片膝立ちに腰を掛けて今でも当時そのままのヤチダモ製のカウンターに頬杖をついて写真に納まる太宰の姿に憧れたものです。とさまざまなメディアで紹介されているような事柄を引き写しただけになってしまったのは,酔いに興奮が混じり込んで,なんだかぼんやりとした記憶しかないのでした。覚えているのはマティーニなどのカクテル3杯目まで。ここでは酒の味はあまり期待してはならないと銀座の某名バー(人気シングルモルトウイスキーの名を冠しています)のバーテンダーに伺ったことがあったので,カクテルの味などは頓着しないことにします。同行したM氏(初登場!,重量130Kgを上回る巨漢で女性にめっぽう弱い)は6杯目まで記憶しているものの自宅のある府中を遥かに通り越して八王子だか高尾まで行ってしまったとのこと。ぼくも当然へろへろになって帰宅したわけですが,なぜかマッチ2箱をもらったことだけは鮮明に記憶していて,そのマッチは当然自宅にしまってあるので,片眼鏡にシルクハットにマント姿をいつでも眺めることができるのでした。
2013/11/18
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とある飲み会の帰りに歌舞伎座近くを通りかかりました。今年の3月末に銀座シネパトス1, 2, 3が閉館するという報を耳にし,なんとか劇場に別れを告げたいという気持がくすぶり続けていました。シネパトスには100回近く通い詰めたと思うのですが、劇場反対側にある飲食店には一度も入ったことがなかったので、この機会に立ち寄っておくことにしました。 三原橋地下街は昭和27年に日本初の道路占用施設としての地下街です。公共交通機関と接続していない地下街としても知られ、日本でも新潟市の西堀ローサの愛称で知られている新潟市西堀地下商店街位しか思い浮かびません。西堀ローサが飲食店街を持たないファッションに特化した地下街とくれば、どちらが興味深いかは比較するまでもありません。 今回お邪魔したのは「カレーコーナー 三原」です。かつて親戚関係にあったというもう一軒の「三原」は、同行者によると値段が高いということで今回はパスすることにします。さて、昭和27年創業の老舗というよりはオンボロ感満載のこちらのお店、当然大の好みのタイプで,かねてから来たい来たいと思い続けていたのでようやく念願がかなったということになります。常日頃もかなり賑わっているようですが,シネパトスの閉館により,ますます風前の灯となりつつある三原橋地下街をなんとか原型を留めているうちに訪れたいというレトロ趣味の方たちや酒場好きといった(われわれもここに含まれます)一見客たちが加わることでかなりの活況振りです。10数年振りに訪れたという元常連の姿もあります。店主は調理作業に余念がなく常連さんたちとも特別会話を交わしたりということもありませんが,不思議と店内には和やかな空気が漂っています。店の歴史と雰囲気がそうさせているのかもしれません。それにしてもかつて通い詰めたころどうしてこちらにお邪魔していなかったのかいまさらながら悔やまれます。店のある限り機会を見つけては出向きたいと思うのでした。品書:ビール大:600,ハイボール:400,コロッケ/串カツ/ポテトサラダ:250,くじらベーコン:580,もずく酢:200,〆サバ:400,にら玉:320
2013/05/23
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「魚仁」はもともとは鮮魚店だった頃の屋号とのこと。「明朗屋台」という店名でテント営業していたのが,10年位前からプレハブ小屋で営業するようになって,店名も「魚仁」になったのだとネットの情報からは推測されます。ともあれ安っぽい店で嫌いじゃないのですが,これまで数回トライして入れなかったので,縁がないのかなとほぼ諦めかけていました。これまで何度も通っているのに気付かなかったんですが,お隣は月島の喫茶店の老舗として知られる「ライフ」だったんですね。いやあ,うかつだったなあ,それにしてもよさそうだなあ,入りたいなあ,そこをぐっと堪えてまだまだ空席の目立つ「魚仁」へ入ります。念願叶ったのですでに満足。レモンサワーと鮪アラ大根を。この恐るべきボリュームたるや,これだけでサワー10杯位飲めそうです。知人のS氏と合流。マグロホホ肉刺を追加。これまた大量で量は半分以下でもいいから値段を半額にして欲しいと切に思わずにおられません。というわけで従業員のおねえさんたちの強力なプレッシャーさえ意に介さなければ,実にお得ないいお店でした。品書:生中:400,サワー/酒:300,マグロブツ/マグロホホ肉刺/アジ刺/牛もつ煮込:500,鮪アラ大根:300,ポテトサラダ/ネギマ串焼:300 「健楽」はすぐそばにある中華料理店。なぜかメモにあったので,とりあえず入ってみることにしました。どうってことのない渋いカウンター中心の中華店さんでしたね。値段はやや高めかも。味もそこそこ。軽く飲んでぱっと店を後にしました。品書:ビール大:600,サワー:380,二級酒1合:350,紹興酒1合:450,鳥のから揚:600,餃子:500,春巻:380,ニラ玉:400,ラーメン:480 もんじゃ通りの裏手の細い路地にはちょこちょここじんまりとしたいい雰囲気の居酒屋があります。その一軒「居酒屋 たつや」に入ってみました。男性と女性が2名でやってる。女性が歳上のようなので親子なのだろうか。テーブル5卓程度にカウンター5席ほどの小さなお店でイメージ通りでしたね。けっこうな客の入りで席を譲っていただきました。日本酒ぬる燗をすすりながら枝豆をかじってアスパラと鶏肉の梅和えを待ちます。これがぬる燗にぴったりで丁寧に調理されていたのがうれしかったですね。もう少し安いとうれしいんですけどね。品書:ウーロンハイ:400,酒(1合:400,2合:750),アスパラと鶏肉の梅和:600,豚生姜焼/カキフライ:800 ここでO氏も合流。しばらく歩いたものの月島にめぼしい店がないので,越中島に行ってみることにしました。有名店が目に留まったのでとりあえず入ってみることにしましょう。 「酒亭 初乃」です。ちょっと敷居の高いお店なのでひとりではなかなか入る気になりませんが,3名いたらさほど痛い目に合うこともないでしょう。お膳に盛られたえらく立派なお通しが出されたのでちょっとひるんでしまいます。頼んだ鶏天が待てど暮らせど出てこないので,これ幸いと断って店を後にしました。けっこう高いのに客の入りはすごくよかったなあ。世の人は金がないということらしいのですがどうもそれは嘘のようですね。品書:酒1合:700~,ビール中:650,焼酎:600~,酒盗:500,肝入丸干イカ/焼味噌:650,すっぽんの小鍋仕立:1,350,金目鯛の酒盗焼:1,000 最後は「川越屋」。酒場放浪記に登場したお店だな。明かりは付いているが暖簾が仕舞われています。ダメもとで一杯だけでも飲ませて欲しいとお願いすると、なんのことはない、オヤジさんが怪我をしたとかで焼鳥ができないので、こっそりと営業していたようです。というわけでぜんぜん問題なく通していただきました。テレビで見たときのあばら家風の印象とは違っていたので,近年改装したんでしょうね。ちょっと残念ですが,なかなか渋い印象は変わらず。何を頼んだかはあまり記憶に残っていないけど気持のよいお店でした。昭和50年創業,品書:ビール大:560,焼物:90,玉こんにゃく:100,山かけ:350
2012/08/19
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この日も出張,たまたま知り合い2名が一緒だったので,一杯やろうという話になり,それではと東京テレポートから越中島駅前まで都営バスに揺られたのでした。越中島駅前から東京海洋大学の越中島のキャンパスを越えて,清澄通りを辿りつつ,相生橋を渡ると,そこは佃,さらに進むと月島です。ひとりがあまり時間がないので取り急ぎ手近にあった居酒屋に飛び込みました。 こじんまりしたありふれた居酒屋風情の「江戸家」に入ります。開店前だけど尋ねたら入れてもらえるとのこと。夜はもつ焼屋になるの畳屋さん(「尾崎畳店」)のそばです。若いお兄さん2名でやっています。造りは今時よく見かけるような普通のきれいなお店でさほど興味はなかったのですが,時間がなくそうも言ってられません。瓶ビールをもらって,お勧めのホワイトボードを見ると魚介系を得意とした店のようです。刺身数品となめろうなどをもらいました。店内をよくよく見回すと太田和彦氏執筆の紹介記事の切抜きが貼られていました。確かに魚介は新鮮でまずまずおいしかったのですが(はまぐりはしっかりおいしい),特別すごい店ではないだろうというのが正直な感想です。 実は知人Sからもお誘いが入っていました。お二人と別れて知人Sと落ち合います。お目当ての店は勝どき方面なので,しばしぶらぶらと歩きます。「魚仁」に着くとすでにびっしりの客が入っています。こりゃだめだと諦めてさらに勝どき方面に向かうことにします。 目に飛び込んできたのが「かねます」。高級立飲み屋として誉れ高いお店です。立派なテナントビルの1階に入っていて,店の造作そのものにはまったく期待せずに思い切って入店。どうしても一度は来ておきたかった店なのです。細長くて15名がやっとといった店内は,すでに5名ほどの入り。焼酎がないということなので,ハイボールと肴を2品。価格のランクでは下のほうにあったハモのキュウリ和(?)とあわびのソーメン風(?)というのをもらいます。う~ん,いろいろ面倒な仕事をしているらしいことは分かるんだけどはたして本当にそんなにうまいかなあ。そんなことを小声で感想を述べあいつつ結局これだけで店を後にしたのでした。 次に向かうは「のむら食堂」。勝どきにはここと「大衆食堂 月よし」の2軒の有名大衆食堂があり,「月よし」はご飯を食べない客はダメということらしいので,「のむら食堂」を目指したのでした。ところが探せども店は見つからず恐らく閉店したのではなかろうか。ストリートビューを見てもこの場所は何度か通過しているのでやってたら気付かないはずはないんだけどなあ。残念。 やむを得ず「ひろ藤」に入店することにしました。この辺りではまずまず情緒のある店だし,くたびれたので入ったのでした。テーブル席メインの店でけっこうな客が入っています。値段も味も相場並みといったところですが,普通の居酒屋としてありですね。いつも通り傘を忘れて取りに戻ったら明るく応対してくれたことが記憶に残っています。 物足りないので,一挙に佃の方まで引き返すことにしました。向かうは「亀印食堂(亀印うどん食堂)」。食堂に未練があったので,「江戸家」のそばにあるこの食堂に行ってみることにしたのでした。以前から気になっている店ではあったのですが,ようやく入る機会ができたのはうれしいことです。実はここ以上に気になる店をはす向かいに見つけてしまったので軽く覗いてみる程度にしておきます。外観も渋いけど店内もやはり味わいがあるなあ。大き目のテーブル席が8卓ほどあったでしょうか,案外広かいですね。ビール大瓶:600円と餃子:350円だけ。うどんがメインの店のはずだけど,いろいろな料理が揃っていますね。うまいとか安くないとかはどうでもよくなるようなほっとできる,時々立ち寄りたいようなお店でした。 最後に入ったのがお向かいの「酒処 いっき」。カウンター5席ほどの通路を隔てると2人用テーブルが2卓あったでしょうか。しかもその奥がまったくお茶の間の情景そのものなのです。そんなお茶の間で数名の客たちが自分の家で飲むように酒を楽しんでいます。いいなあ。もはや何を食べたかとかはまるで覚えていません。店のおねえさんも物静かで料理上手。こんなにくつろげる店は都内でもそうそうないと思えました。
2012/06/02
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東京23区の中央に位置する中央区には、銀座・日本橋・八重洲・築地などがあり高級感漂う商業地域が中心です。月島や佃には大型の集合住宅ではない長屋や一軒家がわずかに残されているものの、勝どきには巨大マンションが立ち並び往時の面影を残すものは少なくなりつつあります。 古い繁華街が多くあるため、酒場も数多く残されていますが、場所が場所だけにお値段もそれなりのようで、行きたいとは思いつつ未だ叶わぬ店も多くあります。特に築地界隈はほとんど手を着けていません。まだまだ課題の多い区です。東京 ふくべ 通人の酒席 昭和14年創業の老舗居酒屋。昭和21年に移転されて、昭和39年には改築しているそうですが、古き良き居酒屋の趣を今なお感じさせていただけます。燗付けの道具やその作業に伴う所作を眺めるにもカウンター席に着くことが望ましいでしょう。奥の卓席はやや窮屈な造りでくつろげないかもしれません。人形町 おでん 幸路 昭和13年創業の老舗おでん店。創業当時には花街であったという一角に恐らく戦禍をも免れた古くてこじんまりとした一軒屋。後述する「栄作」の女将さんも「幸路」のボロさには呆れながらも感心されておりました。カウンター6席にテーブル1卓のみ、そのテーブルは雑然と物が置かれ当分使われた形跡がない。空調もなく照明の光量が極端に抑えられていて、薄暗いレベルを越えている。耳の遠いばあちゃんは二代目に当たるそうです。さらに細い路地を進むと「一新」というホルモン料理の看板を掲げた酒場もあります。こちらもなかなか。月島 岸田屋 言わずと知れた昭和18年創業の老舗居酒屋。もんじゃばかりが取りざたされる月島にあって、真にすばらしいのはこの「岸田屋」です。人形町 赤垣 見た目はごくごく普通の居酒屋。思いがけず広い店内は大盛況です。酎ハイ:320円もでっかいジョッキで満足感高し。お通しに大きなツブ貝なんかを出していただきました。海鮮系の肴がメインですが牛すじ煮:480円やデミポテ:450円なんかもボリューム・味どちらも満足。普段あまり酒や肴には頓着しませんが、たまには飲食で満足を感じることもあるのでした。近場では「焼き鳥 十五」も焼鳥は評判ほどではありませんが、カウンター10席程1階の雰囲気は楽しめました。東日本橋 栄作 「酒喰洲」に張られていた「東京人」の記事で見掛けてお邪魔しました。L字のカウンター8席とこじんまりして実にいい雰囲気。ひとりで切り盛りするおばあちゃん(上品!)によると昭和26年に創業したということです。もともとは東京駅八重洲口の屋台で商売していた人たちがこの長屋に一斉に移転させられたのが起源。それらの店々もすでに店を畳み、残るはこの店のみ。昭和31年に改築して以来、手を入れていないそうです。
2011/12/13
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