新聞棋戦の地区予選に参加。場所はいつも行く碁会所。今回は10代の子がたくさん来ていた。活発な活動をしているM子供教室出身の子が多い。普段高齢の人が多い碁会所に少年がたくさんいると雰囲気も華やいで嬉しい。
試合が終わってから、その誰かと打つのを楽しみにしていた。自分の少年時代の経験からして絶対打ちたい子がいるはずなのだ。
碁会所に珍しく高段者がいると、その近くを離れなかった。一手一手を見逃すまいと観察し、検討に聞き入り、そしてあわよくば「打たないか」と言ってくれるのを期待した。近くに張り付いてもなかなか打ってくれなかったので、そう言ってくれた時は天にも昇るほど嬉しかった。その一局は宝物のように感じて、一生懸命に打った。
ところが3時頃試合が終わり、あたりを見回して愕然。もう少年達はみんな帰ってしまった。彼らを引き止めて打とうとする人が少ないのかも知れないが、何とも彼らもあっさりしている。昔の高段者と違って私のそばにいたら、確実に声をかけるのに。結局いつもお世話になっている年配の方と一局打って帰宅。
私の少年時代と比べて有段者はたくさんいるのだが、強烈な向上心を感じる子はほとんどいない。逆に考えると、昔は子供教室なんて都会にしかなかったので、強烈な向上心を持つ子でないと有段者になれかなかったのだが、今はそうでなくても引き上げられてしまうのかも知れない。
若い子との指導碁の機会がある時、私は真剣に打つ。この一局は自分にはただの一局でもこの子にとっては一生の宝かも知れないと思うからである。でもそんな思いに反してあまりにもあっさりと打つので、「この子にとってこの一局は、時間つぶしなのか?」と感じてしまうこともある。囲碁が習い事化して、碁を打つ子供達が増えたのは良いことなのかも知れないけれど・・・
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