追悼永井先生
浜北囲碁クラブの永井正義先生が亡くなられた。何年も前から重い病気を抱えつつかなり最近まで元気な様子だったので、豪腕で病気もねじ伏せるのか?とも期待していたが、こればかりは叶わなかった。
先生とのお付き合いは、この地に私が転居した10年前から。すでに先生は個人の大会に参加することはなく、その後ももっぱら普及活動に力を注いでおられた。本拠は田舎の碁会所なのだが、初めて行った時にそのお客の多さに驚いた。数十人が畳の大部屋一杯になって打っている。おおらかで気さくな人柄で、たくさんの人が先生を慕ってやってきた。
地域の囲碁界を発展させるとともに、高梨聖健プロを始めとして多くの弟子を育てた功績は計り知れない。今も山下棋聖の子息が遠方からわざわざ教室に通って来るなど、特に子供の指導に関しては日本でも指折りの名人だったと思う。
病気になってからも、少年や若手の研鑽の場として「遠星会」を立ち上げるなど意欲旺盛で、この夏まで対局指導を続けていた。羅針盤であり、エンジンであり、それでいて自然体で皆を包む空気のようでもある、そんな大きな存在だった。弟子の高梨聖子さんに頼まれてペア碁だけは数年前まで参加していたが、世界2位になるなど活躍できたのは弟子の打つ手を完全に予測できたからだった。
棋風は一言で言えば豪腕であるが、常に手厚く、筋が良く大局観にも優れていた。堂々とじっくり構えて、機会をとらえて一気に力を爆発する。薄い戦い方はしないので、一旦力を出されると相手は後退するばかりでどうしようもないという流れになった。私など、余計なところで地に目が行ったり欲張りすぎたりでバランスを崩すことが多いので、常にリズムが崩れず王道を進むような先生の碁にはあこがれていた。
先生にとって円熟期と言えるこの10年、公式戦で力を試そうとは思わなかったのだろうか?聞く機会を逸してしまった。碁会所でもこの10年互先の碁はあまり打っていないと思うが、おそらくその大半は私との碁である。
振り返ると、先生の力を吸収したいと思いつつ、まともに相手をすると木端微塵にやられるので、身をかわして逃げるような碁が多かったのは心残りだ。もうその豪腕を受ける機会がないと思うと悲しい。
記譜は私との練習碁と先生自慢の全国支部対抗戦での碁
記譜再現 2007年私との練習碁(先生白番4.5目勝ち)
記譜再現 1993年支部対抗戦対鳴海直戦(先生黒番中押し勝ち)
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