お義父さまのこと、残念でしたね。
だけど、皆さんが書かれているように、お義父さまはくみこさんのことがとても大好きで大切だったんだと思います。
私もくみこさんの文章を読んでて涙がこみ上げてきちゃいました。くみこさんのお義父さまへの思いやお義父さまがくみこさんに抱いていた感情がとても大きなものだったんだなって・・・。
これからもご家族のことを天国で見守ってくださってますよ。

心からご冥福をお祈りいたします。 (2008.01.30 16:45:46)

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2008.01.24
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テーマ: 海外生活(7808)
カテゴリ: こころもよう
バッボ(ダンナの父)は、“イタリア人”らしくない人。
陽気で人懐っこくておしゃべりな、いかにもイタリアのマンマ!
という姑と対照的だから余計そう思うのかもしれない。
2001年に留学してすぐダンナと知り合ってダンナ家族に初めて会った時から
正直な話、妊娠する時くらいまで、バッボと2人っきりになると
何を話していいか分からない時もあった。
いつも何か距離を置かれているような。何事にもきっちりしていて自尊心も高いように思う。
それは、“フィオレンティーノ(フィレンツェ人)” の代表的形容詞で、
まさにバッボは生粋のフィオレンティーノだった。

強く主張したのももちろんバッボ(結局一番近い隣町の病院で出産したけど)。
クロスワードパズルと車が趣味で、バッボが初めて買った車・チンクエチェントで
フランスなどあちこちを旅した事、小さい頃にはアルノ川で泳いでいた事、
1966年のアルノ川氾濫の時は夜中にヴェッキオ橋まで見に行った事
などの話を聞いていると、イタリアの、フィレンツェの古き良き時代の
ドキュメンタリーでも見ているようだった。
定年してからも、近所に新聞を買いに行くだけでもネクタイを締めていたり、
赤のズボンをさらっと履いたり、素足に上質の皮のスリッポンを合わせたりと
常に粋でおしゃれだった。
毎週水曜日の午後は、元同僚たちとレプッブリカ広場で待ち合わせしてチェントロを闊歩した。
数字に強くて、ダンナの確定申告もいつもバッボに見てもらっていた。

マンマ・義妹と一緒に着物体験するはずだったのに
土壇場になってキャンセルしたいと恥ずかしがった可愛い一面もあった。
甘いものには目がなくて、ほっぺに生クリームをつけて子供のようにほうばる時もあった。

そんな意外な一面も見ながらも、まだまだ私とバッボの距離はまだま縮まってなかったと思う。
しかし、私の妊娠が発覚してから何かが変わった気がする。

私の仕事の話を興味持っていろいろ聞いてくれたのもバッボだった。
私の作る料理を美味しい美味しいと言ってたくさん食べてくれた。
出産後、分娩室から私とマニーノが出てきた時も、マニーノをちらっと見ただけで
私の所へやってきて “よくやった、よくやった!” と手を握ってくれたのもバッボだった。
マニーノにとってもとても良いノンノで、小さい頃からノンノに抱かれるところっと寝たり、
物心がつけばノンノをいつも指差して笑い、
ノンノには一目を置いていて彼の前ではゴンタは一切しなかった。



昨年3月の胆石手術前の検査で“昔患った気管支炎か何かの名残でしょう”
と言われていた肺の“影”。別の箇所に胆石が見つかった時の検査でも見つかった肺の影、
今度の先生はこれが何かはっきり分かるまで胆石の手術はできないと、
いくつもの検査を繰り返してやっと癌だと分かったのは7月。
しかし、両肺にまたがり箇所的に手術は不可能・完治も不可能とすぐに診断され、
進行を止める為の薬物治療が始まったのが8月。
副作用で髪が抜けた以外はいたって元気で、今までと変わらない生活をしていたのに、
治療の1ターム終了後の検査では進行は進んでおり、治療内容を変えたのが10月。
そして11月末突然の吐血、精神的にパニック状態になる夜もあり、
12月頭にあったローマでのダンナの日本語能力テストは今回見送る事に。
その翌週、高熱が下がらず10日間の入院。
クリスマス前に退院したものの、体の衰弱も激しく、
自宅で酸素ボンベを伴いながら抗癌剤治療を続ける。
“こんな姿は見られたくない”と、私達家族:マンマ、ダンナ、義妹、私、
マニーノ以外の訪問は一切拒否。
年末にはトイレ以外はベッドから降りなくなり、1月のフェスタが終わる頃には寝たきりに。
昼間は覚醒作用のある痛み止めで落ち着いていたものの、
夜は激しい痛みでパニックになる事もあった。

12日、私達が実家へ行く朝にマンマから早朝電話があった。
私とマニーノは連れてこないで欲しいと。
ダンナは見られるのが恥ずかしいだけだから気にするなと言ったけれど、
私は“家族”から除外された疎外感に襲われ涙がこみあげてきた。
“今見られたくないと言われたら、もう一生会えないかもしれない” と
ダンナにはその涙の訳を説明した。それももちろん嘘ではなかったけれど、
“除外された” というショックのほうが何倍も強かった。
ダンナが出発して5分もたたないうちに、
“今から迎えに行くから、理由は後で説明する” と電話があった。
急いで支度をして車に乗り込んだが、バッボがやっぱり来て欲しいと言った訳でなく
買い物を頼む為にダンナの携帯に電話してきたマンマが
“戻って2人とも連れて来なさい” と言っただけだった。
だから、実家についても私は寝ている時にドアの隙間から様子を見ただけで、
バッボが少しでも目が覚めている時は私は姿を見せず、
マニーノはダンナに連れて行ってもらった。
ダンナからは気にするな、何も問題ないからと何回も言われたけれど、絶対に行かなかった。
夜9時すぎに家に帰る時はマンマからも “キスしてあげて” と言われたけれど、
涙を隠しながら首を横に振った。表向きはバッボの意向を尊重した事になるのだけど、
実際はただこの疎外感をぬぐえなかったから、
私の姿を見てバッボがどう思うかが怖くて行けなかったのだ。

翌朝、5時半頃電話がなった。
マンマから死の知らせだった。
ほんの8時間前、どうして私はキスをしてあげられなかったのか・・・
強い後悔の念に襲われた。本当に、本当に最後のお別れだったのに。

実家に着いて一通りの事が終わった後、バッボの遺書を皆で読んだ。
バッボらしく、最後の最後まできっちりと、これからの事や自分の最期はこうして欲しい
という希望がこと細かく書かれていた。自分の遺体を見られるのは、マンマ、ダンナ、義妹、
そして最後に “se se la sente (もし彼女の気が向くなら)” と私の名前が書かれてあった。
その時になってやっと、バッボは私を除外した訳でなく、私を気遣ってくれていた事に気がついた。
その時の、申し訳なくて恥ずかしい気持ち、後悔の気持ち、感謝の気持ち・・・
一言では決して表せないその気持ちは、2週間近く経つ今でも私の中によみがえってくる。
時折、涙も出てしまう。それもこの日記で最後にしたいと思う。バッボはそれを望まないだろうから。

バッボ最後の衣装は、私達の結婚式用にフィレンツェいち老舗の洋品店で仕立てた服。
敬虔なカトリックだったバッボの手にはミサで使っていた十字架と、
家族で撮った2006年クリスマスの写真。
教会に入りきれないほどのたくさんのたくさんの人に見送られて、
今はバッボが生まれ生涯を過ごしたフィレンツェを見下ろす丘の上に眠っている。





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Last updated  2008.01.26 06:47:00
コメント(21) | コメントを書く


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ご冥福をお祈りします。  
tosca さん
お義父さまご逝去お悔やみ申し上げます。
くみこさんの事、きっと遅くできた娘のように感じていたんじゃないかな。だからお洒落な生粋のフィオレンティーナのバッボとしては、自分の苦しい姿見せて心配させたりしたくなかったんじゃないかと思います。きっと空からくみこさんとマニーノ君のこと、優しく見守ってくれているのではないでしょうか。
旦那様にも私からお悔やみお伝えください。
ご冥福をお祈りしております。
(2008.01.26 15:28:36)

ご冥福をお祈りします  
comesta さん
お洒落で強くて優しくて、とても素敵なバンボさんだったのですね。
くみこさんが、バンボさんの気持ちに気付かれた事が、何よりの供養になるのではないかと思いました。
ご冥福をお祈りします。 (2008.01.26 22:18:20)

ごめんなさい  
ペッショ さん
何もコメント書けないです。私も2年前に実父と義父を立て続けに亡くしたので、重なってしまって。
でも、いっぱいくみこさんの中に思い出として残っているものね。ご家族の皆さん、お気落とさないで。 (2008.01.27 01:19:46)

始めまして  
Nono さん
時々、おじゃましてました。
お義父さま、残念でしたね。ご冥福をお祈りします。
くみこさんの気持ちのこもった文章を読んで、涙しました。一度もお会いした事のないお義父さまですが、なんだか私の目の前に浮かんでくるようです。
フィレンツェの丘から、ご家族を笑顔で見守ってくださってる事と思います。もちろん元気なくみこさんの事も! (2008.01.27 11:19:46)

ご冥福をお祈りいたします。  
がっちゃん さん
何も言葉が浮かびませんが、このお便り、(ブログと言うより、心からのお便りと言う気がしたので)を拝読し、家族の愛を感じました。
くみこさんが、疎外されたと思ったのは、愛していたから。
そして、バッボさんが見られたくない。と思ったのも愛していたら。
2人の気遣う方向がほんの少しずれていたかもしれないけれど、それはお互いに深い愛情があったからだと思います。
くみこさんは、それをバッボさんが生きている間に気がつかなかったと、悔やんでおられるようですが、決してそんなことはないと思います。
今こそ本当に心が通じ合った瞬間かもしれません。
きっといつまでも天国で見守って下さっていることでしょう。
どうぞくみこさんも気疲れなどが出ませんように、元気でお過ごしになることが一番の供養になると存じます。
(2008.01.27 11:40:25)

ご冥福をお祈りします  
Aya さん
くみこさん、改めてお義父様の冥福をお祈りします。最後かなり苦しまれたようで、壮絶なものがあったことだとお察しします。

>私とマニーノは連れてこないで欲しいと。
ショックだったのはよく分かります。
でも、家族と見られなかったのではなく、ひょっとしたら孫に自分が衰弱しきって、死を迎えるところに経ち合わせたくなかったのが強い気がします。孫一人置いてくみこさんだけが向うわけにもいかなかったでしょうし・・・

でも、私も父を自宅で看取りましたが、3ヶ月以上も一切食事も出来ず、点滴だけで延命し、体中に転移した癌のせいで痛みに転げまわるように苦しみ、下の世話も自分では出来ず最期は垂れ流し状態で、ペインコントロールも出来ず、元々プライドの高かった父が日に日に目に見れるほど衰弱し、苦しむ姿を家族(つまり、母と私と兄だけ)以外にはもう見て欲しくないって私も思いました。
ちょうど亡くなる直前には叔父たちが揃って会いに来ていたのですが、呼吸が途切れ途切れになり、もう時間の問題だと思った時、本能的に母と私と2人きりにして欲しいと思いました。でもそれくらい死の瞬間を受け入れるのは大変なことだと思うし、血の繋がった親戚ですらすぐに帰って欲しいと思ったから、私もなんとも言えません。

私が義父が亡くなった時も、最期には間に合いませんでした。最期に会えなかったことは勿論残念でしたが、その分親子がしっかりと看取ってくれたと思うので、それでよかったんだと思います。

だからくみこさんもあまり気を落とさないでくださいね。うまく説明できないけど、家族と認めてないのとはまた違うんだと思うの。離れていても心は通じるものがあるはずだから。
(2008.01.27 18:20:27)

お義父さん  
ひまわり さん
は、きっとくみこさんのことが大好きだったと思うよ。自分の娘じゃないから、ちょっとした遠慮はあったかもしれないけど、文章を読ませてもらうと、裏に隠れているくみこさんへの愛情があふれてきたもん。くみこさん、最後の日の後悔の気持ち、わかります。なんか、もやもやすると思うけど、きっとお義父さんは、わかってくれているはず。
これからは、みんなのことをずっと見守ってくれると思います。それから、マニーノ君というかわいい孫を見せることができてよかったね。
ご冥福をお祈りいたします。 (2008.01.27 18:30:25)

ご冥福をお祈りします  
satomina さん
くみこさんも、ご家族の皆さんも、ほんと、大変な時期を過ごされていたんですね。

くみこさんが感じた<疎外感>は理解できるよ。
でもさ、もしかしたらマニーノくんを近づけたくなかっただけかも・・・なんて思っちゃったの。
だって、まだ小さいしさ・・・
だから、そのママであるくみこさんがマニーノくんと家で待っていて~なんていう意味でね。

あの元気なお姑さんの笑顔、早く戻るといいね。

心から、ご冥福お祈りしています。


(2008.01.27 19:38:36)

ご冥福をお祈りします。  
ユキエ さん
お義父様の内に秘めた優しさや気遣いが、結果としてくみこさんに誤解を与えてしまい、最後のお別れのキスが出来なかったことが残念でなりません。お互いが想い合う分だけ、行き違いが生じちゃったんですよね。でも、その行き違いが生じた根底にあるのは、深い太い愛情の絆からだと今回の内容を読んで感じました。だから、今は色々な感情があってお辛いとは思いますが、生粋のフィオレンティーノなバッボだから、大好きなフィレンツェと愛する家族を天国からいついつまでも見守っていると思いますので、バッボとの思い出を胸に、笑顔をバッボに見せてあげて下さい。
改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。
(2008.01.28 14:21:42)

ご冥福をお祈りいたします  
orsetto さん
 くみこさんの文章を読んで、その時の様子が思い浮かび、涙が出そうになりました。なんと申し上げたらよいかわかりませんが、お義父様はくみこさんのことを本当に大切に思っていらっしゃったんですね。それだけは間違いないと思います。そしてくみこさんのお義父様を思う気持ちはきっと天国にも伝わっているのでは…。
 心よりご冥福をお祈り致します。 (2008.01.28 23:13:09)

皆さんへお返事  
たくさんのコメント、また私書箱にメッセージを頂いてありがとうございました。
私もダンナもお葬式をはじめとする諸事情で1週間実家にいしたが、先週からは皆日常に戻っています。
その他ごたごたといろいろありますが・・・
私のこの気持ちは、直後に少しダンナにもらしただけで自分の中に閉まっていました。
聞いてくれる友達がいないわけではないのですが、
話すと泣いてしまいそうだし、私の性格上そういう面を見せたくないというのもあって。
先週からマニーノと2人の平日はいろんな別のことをして
考えないようにしていましたが10日ほど経って
仲の良いブログ友にメールをしてから少し気が楽になり、
ここでも気持ちを整理をするつもりで書いてみました。
がっちゃんさんのおっしゃるように、日記のブログでなく、
そのまま自分にあふれてきたものを一気に書いただけですが
こうして皆さんからコメントやメッセージを頂いて
どこかで共感してもらったり励ましてもらったりするのを期待してたのかもしれませんね。
皆さんがおっしゃるとおり、バッボもマンマも私をダンナと義妹の間にできた
もう1人の娘だと思ってくれているようです。
それでも海外移住して自分の家族と離れていると、普段はそれほどでなくても
いろんな部分で敏感になっているのかもしれません。
私も今は、バッボは私の気持ちを分かってくれていた、分からないようなそんな気の小さい人間やない!
・・・と都合が良いかもしれませんが、そう思っています。
これからはバッボが望むであろうように、ダンナと共に家族皆で元気に暮らしたいと思います。
ペッショさん、Ayaさん、辛い過去のことを思い出させてしまってすいません! (2008.01.29 06:10:29)

ご冥福をお祈りします  
きっこ さん
今更のコメントになっちゃってごめんなさい。
が、一言でも書かせてくださいね。

お義父さまのこと、残念でしたね。
くみこさんの気持ち、私もよくわかります。
やっぱり当事者にしてみたら「何故私だけ?」とその時点ではショックがあったと思う。でもネ・・お義父さんはくみこさんのことを娘のように愛し、またくみこさんの知らない時代のイタリアを話し、くみこさんが「へぇ~!」と喜んで聞いてくれるひとときが宝物だったんだと思うよ。
自分が頼りにされていると、それを誇りに思っていた分、弱りきった自分を見せたくなかったのかなって思う。きっと頼りになる舅、遊んであげる優しいおじいちゃんのままでずっと居たかったのじゃないかな。
くみこさんの気持ちはちゃぁ~んと通じているよ。大丈夫!お空から皆のことを見守っていてくれると思う。心からご冥福をお祈りいたします

(2008.01.29 06:41:25)

ご冥福をお祈りします。   
eriko さん
くみこさん、一昨日日本から戻ってきました。こちらにはしばらくご無沙汰してしまって、お義父様のご不幸も今知りました。遅くなりましたが、お悔やみ申し上げます。
お義父様の事、少し想像できます。私の義理父アンジェロも似た所があるからです。この年代のイタリア男独特のダンディズムなのでしょう。陽気でお調子者のイタリア人もいいですが、お義父様の様なタイプの方、私は好きです。くみこさんが疎外感を感じてショックを受けた気持ちも痛いほど分かります。そして最後のお別れができなかった心残りも。でも、最後の手紙にくみこさんへの気遣いを残してくれたお義父様、くみこさんの気持ちはちゃんと分かっていて下さったのだなと思いました。これからもくみこさん達ご家族の事を見守っていてくれますね。 (2008.01.29 16:55:12)

Re:バッボ・フィオレンティーノ(01/24)  
*sole*  さん


なんだか私も家族からの疎外感を感じるときがあるけれど、それでも、私を気遣ってくれることはたくさんあるなぁと改めて感じたよ。

粋なバッボ(お義父さん)だったんだね。
こうしてくみこさんがいろんなこと想ってること・・きっとお義父さんも見守ってくれてることでしょう。
なんと言ってよいかちょっと言葉が見つからないけど・・・
ほんとにご冥福を心からお祈りします。 (2008.01.29 17:32:39)

きっこさん  
遅かろうが何だろうが、コメントを頂くのはいつも大変うれしいものですよ、ありがとうね、きっこさん。
フィレンツェのことを語るバッボはいつもうれしそうだったり、近年のフィレンツェに怒る姿もあったけど、本当にフィレンツェを愛してるんだなぁ~と納得したもんだったよ。フィレンツェが好きでやってきた私に語るのはうれしかったと思うし、私も聞いてて楽しかったなぁ・・・と今は良い思い出が思い出せるようになりました。
空から見守ってくれるバッボに恥じないように、日々明るく楽しく暮らしたいものです!
(2008.01.30 04:09:43)

erikoさん  
>この年代のイタリア男独特のダンディズムなのでしょう。
ほんと、そう思います。ステレオタイプのイタリア人とはちょっと違いますよね。だから最初は少しやりにくかったけど、次第に謙虚さや秘めた優しさが分るようになりました。舅って一種変わった存在ですよね。実の父ではないし、友達のおっちゃんでもないし、外国人だから余計に。短い間だったけど、バッボに知り合えて、家族になれて幸運だったと思います。疎外感・・・やっぱりerikoさんも感じることありますか?本能的なものとはいえ、手紙を読んだ後は卑屈になってた自分が恥ずかしかったです。バッボ、分ってくれていたかなぁ~・・・分ってくれたやんなぁ?←とまぁ半ば強制的ですが、そう思うようにしています。 (2008.01.30 04:29:34)

*sole*さん  
泣かせちゃってごめん!(笑)
soleさんとこは同居だから、疎外感も家族の絆も両方いっぺんに日々感じることが多いと思う・・・でもやっぱりいろいろ気遣ってくれてたりするんよね、一見そう見えなくても。
バッボは、まさに粋という言葉がぴったり。おっさん臭いとこ異常に細かい事以外はなかったかも。
ともあれ、かなり元気になってきました。心配かけてごめんね~ (2008.01.30 04:32:10)

ご冥福をお祈りします。  
sanae さん

sanaeさん  
正直ずっと距離のあったバッボとの関係がなんだか自然になってきて
おしゃべりなんかも楽しくなってきたのに本当に残念です。
それでもたった6年の付き合いでも、義娘として知り合えたことを幸運に思います。
なかせちゃって、ごめんね!
(2008.01.31 22:32:42)

お疲れ様でした・・・・・・・・・  
KITAKUNI さん
 お久しぶりです。お義父様のご冥福心からお悔やみ申し上げます。実は自分もくみこさんとほぼ同じ立場にいました。11月に帰省した際、父親の咳込むのが、気になり、戻ってくる際、病院を変えさせ、
一週間後がんと知り、帰省し、今月帰ってきました
同じ肺がんで、化学治療をし、1クールも打てなく、入院先で余病を起こし、転院。計三箇所転院し
亡くなりました。遺書も書けなく、痛みを耐え、言葉を失い。自分達は、手を握って、話掛ける事しか出来ませんでした。大学病院に転院させれば、良かった。とか。治療法は他にあるはず、後悔は、色々あります。辛いけど、思い出も残り。で、泣く事が出来ませんでした。でも、前向きに考え明るく笑うことにしました。たまーに、心の中で話しかけてます。思い出してあげるのが、供養となるから。
くみこさんが気づいたのは、義父の最後の感謝の言葉だと、思っていいと思います。
辛いかも知れないけど、日本でゆっくりして下い。
そして、時には、マンマに連絡してあげて下さいね。気の利いたこと書けなくてごめんなさい。

久々にブログ一気読みしてます。
(2008.04.03 00:36:37)

KITAKUNIさん  
KITAKUNIさんお辛い思いをされたんですね。
11月に発覚して今・・・となるとうちの舅よりも早かったんですね。ダンナとも話していたのですが、手術ができない場合は正直本当に難しいし、恐ろしい病気です。お父様の症状や周りの方の辛さ、痛いほど分ります。
私たちも3月に影?とか言われた時点でなぜもっと調べなかったのかとか一時期思いました。でも7月に解明しよう!とした時も、本当にすごい数の検査をしたんですよ。だから、本当に分らなかったんだ、と思うようにしました。
あんな姿を目の当りに(でも私がずっと側にいたわけではないですが)してたのに、今出てくる舅の姿は、元気な頃の良い思い出ばかりです。でも、その方がきっと舅も喜ぶでしょうね。マンマも大分復活してきました。お気遣いありがとうございます。
KITAKUNIさんのところは日が浅いのでまだまだ辛い思い出ばかり蘇ってくるかもしれません。その後、もう大事な人がいない実感がどっと沸いてきたりいろいろな感情の起伏があると思いますが、家族皆さんで乗り越えてくださいね。 (2008.04.03 05:58:02)

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