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2012年01月11日
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カテゴリ: 読書


 コンコルド・プロジェクト―栄光と悲劇の怪鳥を支えた男たち
 原書名:Concorde The Inside Story(Trubshaw,Brian)
 ブライアン・トラブショー(著)、小路浩史(訳)
 原書房 (2001/07/09 出版)


 イギリスとフランスが共同開発した超音速旅客機(SST: supersonic transport)コンコルド(Concorde)。
 1969年3月初飛行、1976年1月運用開始。
20機(原型機4機、ブリティッシュエアウェイズ7機、エールフランス9機)の製造に止まった。




 1962年、英仏両国はそれまで独自に行っていた超音速旅客機開発を共同で行う方針に転換。

 英仏の国家の威信と不退転の決意(「破棄不能条項」)をかけた、大規模なプロジェクトだった。

 技術面、政治的、経済的な困難を克服して開発、実用化された、栄えあるコンコルド・プロジェクトの悲嘆、苦悩、挫折、困難の物語。






 コンコルドの開発は、対立の歴史を繰り返した2つの国から、2つのエンジンメーカー、2つの機体メーカーが参加しての開発となった。

 この本に記されたことは、大規模プロジェクトの困難の教訓とすべき一例とし参考にできる。

 多用される専門用語は航空マニア以外の読者に敬遠されるかもしれない。

 機体開発、エンジン開発のまとめ役を演じるテストパイロットの役回りも参考になる。


 著者はチーフ・テストパイロットでプロジェクトに深く関わり、コンコルド002号機初飛行の機長を務めた。

 フランスに譲ったことを以って双方の調和が保たれたと感じられる文章が時々見受けられるのは、著者が英国人だからだろう。


   コンコルド炎上事故 (その1)


 原著は2000年に出版。

 出版後に起きたさらなる悲劇のはじまりを、青木謙知氏が「日本語版への序文」で補足。



 激しい炎と黒煙を引きながら、コンコルド(エールフランス、チャーター便)が墜落。

 運用25年目にして初めて起きた墜落事故がコンコルドの命運を定めた。





 【目 次】
 コンコルドに何が起きたのか
 航空評論家 青木謙知 日本語版への序文
 出版に寄せて

 謝辞
 プロローグ
 はじめに
 超音速飛行の夜明け
 コンコルドのコンセプト
 組織と責任の所在
 特別な配慮
 シミュレータ TSS基準
 初飛行に向けての準備
 飛行試験と証明の取得
 航路設定準備飛行
 ついに、やった
 飛行試験の終わり
 販売見込みとコスト
 英国航空とコンコルド
 超音速飛行の未来




   コンコルド 1976~2003─超音速飛行の27年



【コンコルドの技術】
 ・フライ・バイ・ワイヤ(アナログ)を初めて実用化
 ・ドループ・ノーズの採用
 ・アフターバーナー付きターボジェットエンジン導入
  (ロールス・ロイス オリンパス593 Mk610)
 ・可変空気取り入れ口制御システム採用
 など




【事故とその後】
 2000年7月25日
 エールフランス機(Model No.101、登録番号F-BTSC)がパリのシャルル・ド・ゴール空港を離陸時に滑走路上に落ちていた金属片により主脚のタイヤが破裂。
 重量4.5kgのタイヤ片が主翼下面に当たり5番燃料タンク外壁に衝突
 衝突の衝撃に燃料タンクの前部が破裂。
 漏れ出た燃料に引火、そのまま炎上・墜落。

 2001年9月11日
 米国で同時多発テロ発生。
 世界的に航空需要が低迷。

 2001年11月7日
 運航再開。
 燃料タンクをケブラー繊維で補強、耐パンク性を強化したミシュラン製のタイヤ採用、燃焼装置の隔離処理等の改修を実施後。
 事故機のタイヤはグッドイヤー製。

 2003年5月31日
 エールフランスがコンコルドの商業運航を停止。

 2003年10月24日
 ブリティッシュエアウェイズがコンコルドの商業運航停止。

 2003年11月26日
 全機退役。




【コンコルドの商業的失敗の理由】
・ソニックブーム(sonic boom:超音速飛行により発生する衝撃波)の規制により、実質的に海上でしか超音速飛行できなかった。
・超音速飛行のメリットを活かせる太平洋を無給油で渡ることができなかった。
・燃費が悪いこと、航空機関士が必要なことから運航コストが高い。
・乗客の定員が100人と少なく、運賃はファーストクラスの約20%増し(スーパーソニッククラス)で、顧客が限られていた。
・航空業界がジャンボジェットのような低コスト、大量輸送可能な機体をの導入を優先した。
  (客席数は747の1/4、燃料は747の2倍)


 1971年、米国は自国、ボーイングの超音速機の開発支援を止めた。
 停止理由は、高層圏を高速で飛ぶ超音速機はオゾン層を破壊し、空港周辺の騒音被害もひどいなど、環境への悪影響が大きいこと。
 SSTはダーティー・ヒーローに貶められた。
 コンコルドは米国上空で超音速飛行できなくなった。


   AFL Tu-144 ZBAA~RJAA
   フライトシミュレータ 動画




アカデミー AM16991/360 Tu-144超音速旅客機






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最終更新日  2012年01月11日 07時24分01秒
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