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2024年09月06日
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テーマ: 世界平和(283)
カテゴリ: 政について
 軍需産業は戦争、紛争で繁盛する。常任理事国である米国もロシアも軍需産業は輸出の大きな柱となっている。
 世界が不安定化するとき、金取引が活発になることも知られている。金価格は上昇を続けている。
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田中貴金属工業
金価格
年次価格推移
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 エネルギー革命により、石油需要は減少するとされており、原油価格は低下していた。
 OPECプラスが減産する中、ロシアーウクライナ戦争、イスラエルのガザ地区侵攻で石油価格は上昇。戦乱を追い風に上昇した石油価格を利してエネルギー産業であるサウジアラムコは2023年通期決算で同社史上2番目の高水準の純利益を公表した。
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サウジアラムコ
2024年3月10日 ARAB NEWS
 リヤド: サウジアラビア石油公社(Saudi Arabian Oil Co.)は2023年通年決算で1213億ドルの純利益を発表、同社史上2番目の高水準をマークした。
 この決算は、アラムコ独自の操業の柔軟性、信頼性、コスト効率の高い生産基盤を強調するものであり、株主に価値を提供するという同社の継続的なコミットメントを示すものである、と同社はプレスリリースで述べた。
  ―  引用終わり  ―
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 多くの人々、多くの宗教・哲学が人殺しは悪いこと、よくないことと教えているはずだが、「利」を求める手段が多様化していることも影響し、戦争、紛争の種は増えている。
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 少子高齢化し人口減少している日本では、傾向的に増加する福祉予算を極力抑制し、軍事費を増やしている。
 改めて「平和」「正義」について考える時が来ている。
 温故知新。中国の春秋戦国時代、戦略・軍略を説く者も多い中、諸子百家の墨子は平和志向を唱えたという。
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…節を求めてぜいたくを戒めることで、
「反戦とエコロジー」を結び付けていたのか?
集英社オンライン  2024年6月15日
  …  (略)  …
平和志向の源流には墨子の「兼愛」
 春秋・戦国時代には多種多様な思想家、言論人が活躍し、大物はそれぞれに一派をなした。諸子百家と呼ばれるその中で、もっとも名高いのは儒家の始祖、孔子だろう。彼の教えを弟子がまとめた『論語』はいまだに概説書や啓蒙書の出版が後を絶たないロングセラーだ。
 次いでファンが多いのが老子や荘子(老荘思想)。不世出の武道家にして俳優だったブルース・リーは老子を愛読していた。
 けれども平和志向の源流をめぐる旅においては、紀元前5世紀に活躍した墨子と、彼がおこした墨家が必修科目になる。
 戦国時代の魯の国に生まれた墨子こと墨翟(紀元前470頃~390頃)は、はじめ儒学を学んだがしっくりこなかったらしく、長じて自身の主張を展開するようになった。後に弟子たちがその教えを(自分たちの解釈や主張もこみで)まとめたのが『墨子』だ。欠落や、章題しか残されていない部分も多いが、思想の骨子は幸いしっかり把握できる。
 墨子の平和志向は、「兼愛」と「非攻」の2語に集約される。
 兼愛(『墨子』巻4)とは分け隔てのない愛を指す。孔子がおこした儒学にあっては、愛に優先順位のようなものが決められてしまっていた。たとえば自分の親より他人の親に愛を注いだら不孝とされるし、自国より他国を想ったら不忠とされるだろう。
 それはまあ、忠だの孝だのといった大層な言葉を使わなくとも、直感的、本能的に「おかしい、悪い」と思われるかもしれない。その上、当時は身分差の意識が強かった。
 だが、片方を愛したらもう片方を愛せなくなる、という窮屈な考えこそがいけないのだ。どちらも愛せばよいではないか。いや、愛すべきなのだ。
  …  (略)  …
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戦国の世に「非戦」を提唱
 続く巻5では「非攻」が説かれる。これはそのまんま、他国を攻めるな、という主張だ。反戦論としていまでも通用する。兼愛の説もここに合流してこそ意義が深まるのだ。
 さてそれでは墨子はなにゆえ非攻を提唱するのか。よりによって戦国の世にあって。
 まず道徳的な理由が記されている。戦争は義に反するのだと。鶏泥棒、牛馬泥棒、強盗殺人、と「不義」の例を段階的に重くしていった挙句に、墨子は問う。
 戦争を起こせば1件の殺人ではすまされない。ところがその大量殺人は非難の対象とはならない。おかしくないだろうか。墨子はこれを不義とし、だからこそ非攻を説く。
 同時に彼は、実用的な理由もあげる。
 彼は兼愛を説く際にも非攻を説く際にも、一貫して「利」を重視するのである。超要約すれば、戦争なんかまったくもって利にならない、と言うのだ。農業をはじめ様々な仕事ができるはずの人材を戦場に駆り出し、殺し、殺させ、国庫を疲弊させるのだから、と。
  …  (略)  …
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反戦とエコロジーを結びつけた墨子の思想
 そう。論理的で実利を重視する墨子にはもう一つ別の顔がある。天や鬼神といった、人以外のものも視野に入れようとするのである。
 この点では「怪力乱神を語らず」と不思議・オカルト系に傾倒するのを固く戒めた孔子の儒学と対立する。先に墨子が利を重んじて非攻を説いたと書いたが、これだって、天の利、鬼神(死者の霊)の利、人の利、とお三方におうかがいを立てているのだから、筋金入りなのだ。
 また、墨子は冠婚葬祭を簡略化するなど「節」を求めてぜいたくを戒めた。反戦とエコロジーを結びつけたきわめて初期の例と見なしうる。
 ついでにもう一つ、墨子には科学者の、と言って大げさなら技術屋の顔をもあった。彼とその弟子たちは高い築城技術を持っており、攻める戦は否定するものの、攻められた時の防戦は必要だと考えていた。
 のみならず、大国に攻められた小国の城郭が脆弱と見れば、出かけていって防御に力を貸すべきと考えていた。墨守という言葉はここに由来する。
 墨子の死後も、その思想と実践は弟子たち、つまり墨家の面々に継承されていった。代々、鉅子と呼ばれる指導者を立て、思想的技術屋集団として活動を続けたらしい。彼らが小国の防衛を請け負っていた確実な記述が『呂氏春秋』に見える。もっともその記述は、楚の攻勢に対しもちこたえられず敗戦、鉅子の孟勝以下、180名が自決した、という悲惨な内容だが(紀元前381年)。
 以降、墨家は急速に衰え、戦国時代が終わり秦が天下をとる頃には、言論の表舞台から姿を消す。本格的な再評価が始まるのは清代も末期になってからである。
  ―  引用終わり  ―
     ​
 「兼愛」は、博愛であり、ダイバーシティであり、ソーシャル・インクルージョンであろう。
 キリスト教もイスラム教も仏教も、博愛、利他を教えている。自爆攻撃が神仏の道に通じているとは説いていない。
 これらがいかに困難な道であるかは、戦乱に満ちた人類史が示している。





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最終更新日  2024年09月06日 06時00分20秒
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