発達障がいな息子たちとの日常

発達障がいな息子たちとの日常

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2008.08.22
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カテゴリ: カテゴリ未分類
22日付 朝日新聞夕刊の記事です。
読んでとても心に残って
書き留めたくなったので。


  *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


冬は2メートルを超す雪に包まれる
岩手県の旧沢内村(現西和賀町)は
「生命尊重」の理念が息づく土地だ。
太田宣承(せんしょう)さん(34)は、

383年の歴史を持つ真宗大谷派の碧祥(へきしょう)寺を守り、
亡き父がとなり町で始めた特別養護老人ホームを切り盛りしている。
父は、
お年寄りのいのちの傍らで「生きる意味」を見つけた。



5軒の旅館が並ぶ湯本温泉街にある
特別養護老人ホーム「光寿苑」はこの春、
30周年を迎えた。
職員が描いた約50人のお年寄りの似顔絵が廊下に並ぶ。
寝たきりの人も少なくないが、
「『生きる意味』に何の遜色もないということを

 職員が老人に学ぶという関係でありたい」
というのが、父・受宣(じゅせん)さんの残した基本理念だ。
現在、副苑長を務める宣承さんは
「自分たちを育て、支えてくれた人たちが
 最期まで尊敬される場所を地域につくりたかったようです」と言う。


父の受宣さんは、
11年前の5月の夜、48歳で逝った。
湖を望む道路のガードレールに突っ込ん乗用車の中で、
運転中に心筋梗塞を起こして亡くなっていた。
宣承さんは当時、京都の大学院に進んだばかり。
仏教学の勉強を続け、2年後に僧侶として沢内に戻った。
初めて1人で営んだ葬儀で、
自死した人の遺族に泣きながら法話をした記憶が残る。

いろんな人が寄り合う寺の雰囲気が
子供の頃から好きだった。
しかし、
父が没頭した光寿苑の仕事は
「自分には重すぎる」と思っていた。
光寿苑を継いだものの、
最初の3年はつらかったという。
祖電さんも
「息子を亡くした悲しみは、
 乗り越えられるようなものではなく、
 そっくり受け入れるしかなかった」
と振り返る。
受宣さんは次男で、
長男も小4の時にスキー事故で亡くした。

2年ほど前まで、
毎晩、本堂の周りを20周した。
歩きながら受宣さんに語りかけると、
いつのまにか、逆に話しかけられている気になった。
今も悩み事があると、
夢の中で親鸞の教えを引いて励ましてくれる。
人を救おうとして救えるものではない、
救われなければならないのは自分自身だ、と。
「亡き息子に生かされている自分に気付かされました」


光寿苑で、
宣承さんが始めた死生観の研修会がある。
入居者とその家族と、職員も一緒に
「どこで、誰のそばで、どのような感じで」最期を迎えたいかを語るのだ。
初めはムッとするお年寄りもいる。
だが、死の話は、自然と今を生きる話になっていく。
泣いたり笑ったり、本音で語り合ううち、
「ありがとう」という言葉に変わる。

かつて父が「車いすパワー」と呼んだ逸話がある。
車いすで買い物や散歩に出かけるお年寄りに、
ある時、匿名の礼状が届いた。

 【会社が倒産、自殺しようと湯本温泉に来て、
  ぼうぜんと歩いていると、
  車いすのおばあさんがニコニコしながら、
  声をかけてくれました。
  『やあ、こんにちは。天気が良いなあ。さようなら』と。
  私はまさかりで頭を割られたような衝撃を受けました。
  もう一度頑張ってみます。
  老人ホームのみなさん、ありがとうございました】

「福祉とは弱い人を強い人が救うことではなく、
 弱い立場だからこそ芽生えたすてきな心を
 殺伐とした世の中の人たちに戻していくこと。
 年老いても心の自由を失わないでいると、
 その人を見て救われていく人も多くなる。
 そういう悠久無限の回転がある」。
父は、そう語っていた。

看取りを重ねるうちに、父の思いがわかり、
「人は亡くなる時にメッセージがある」
と思うようになった。
碧祥寺で若者が語り合う会やコンサートを開く。
「僕もいつ終わるかわからない命を生きている。
 生きるためのメッセージを送るのが僧侶。
 老人ホームの仕事もお年寄り、家族、職員が今を生きること。
 一つにつながりました」

そんな宣承さんを、祖父は
「受宣の死で人間が変わった」と言う。

「父は命をかけて『自分自身になれ』と教えてくれた。
 亡くなった時は遠い存在だったけれど、
 自分なりの道を進んでいったら、同じことをしていた。
 今は一緒に歩く同志のようです」



【沢内村の「生命尊重」】

1960~61年に全国に先駆け
老人と乳児の医療費を無料化。
100人中7人が死に
全国平均の倍近かった乳児死亡率を、62年にゼロにした。
当時の深沢晟雄(まさお)村長は
「生命尊重こそが政治の基本。
 住民の命を守るため自分の命をかける」と宣言し、
豪雪と貧困の村で多病多死との闘いの先頭に立った。
深沢村政で教育長を務めた祖電さんも、
遺志を継ぎ、73~93年、村長をした。
沢内村は湯田町と合併し西和賀町に。
今年、
「いのちの作法―沢内『生命行政』を継ぐ者たち」
という記録映画になった。





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Last updated  2008.08.24 22:12:30
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まりこ@ ブログを読ませていただいて お母さま・お義母さまが相次いで旅立たれ …
どんどこ母さん @ kazuyorちゃん >認めたくなくて子供に向き合わない親御…
どんどこ母さん @ haruharu318さん >おつかれさまでした。ついこの間、前の…
どんどこ母さん @ Re[1]:学童最後の日(09/29) 温かいメッセージありがとうございます。 …
kazuyo@ よいことだネ すごくいいことだよ。私達家族の救いの神…

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