吼えよ!家庭拳(その一)


 妻の京子、つまり良夫にとっては母親だが、が何も告げずに家を出て、もう三日になるというのだ。警察にも捜索願いを出したが、一向に行方が知れぬ。
 もうどうしていいかわからない、と幸太郎は受話器の向うで嗚咽した。
 幸太郎は市役所の産業振興課の課長で、まだ四八歳の中年盛りである。典型的な頑固オヤジだが、そのくせ仕事以外のことで自分ひとりでできるものは何一つなく、日ごろ、何もかもを妻に任せきりで、のうのうと生きてきた。が、今度の京子の失踪で、初めて妻の大切さがわかったらしい。そうなると、仕事もまったく手につかなくなり、ついに休職願いを提出したという。
 哀想だが仕方ないな、と、良夫は思った。ただ、良夫はまだ学生生活を二年も残している。仮にも一家の大黒柱がこの有様で、状況が長引くと、今後大変なことになりそうである。
 良夫も少しあせってきた。
「母さんに何か変わったことがなかった?」
 日常の中に、何か手がかりがあったかもしれない。そう思った。
「別に何もない、いつもの通りだった。ただ二週間ほど前から、ダイエットだといってジョギングを始めたりしていたよ。だが、それは母さんがいなくなったこととは関係ないと思う」
 幸太郎は鼻をすすりながら、そう答えた。が、その時、良夫の頭の中に、ふとひとつの想像が浮かんだ。それはきっと、この途方にくれた情けない父親には、まったく思いもつかないことに違いない。
 ひょっとしたら母親はもう二度と帰らないのでは……そう考えると、良夫は、急にいてもたってもいられなくなった。とにかく、僕もすぐ家に帰るから、と言い放って、彼はだらだらと続く幸太郎の電話を切った。

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