「生きることの基本的なことについて、それが自然の原理によって行われたとき、神はそのことに特有の快感(気持ちよさ)を感ずる能力を与えている」(野口三千三)
今日はこの快感(気持ちよさ)について、わたしなりに感じたことを書きたいと思います。
先日、わたしは取引先と仕事上のトラブルを抱えていました。
職業上詳しい内容については差し控えますが、本来信頼関係に基づく顧問先との関係が結べないと感じたのです。
わたしは、顧問先に「どうかご協力をお願いします」という内容のメールを送りました。
体力的な疲れを感じるようになっていたわたしは、もうこれ以上、この仕事を続けていくのは難しいのではないかとさえ思い込むようになりました。
そんな気分のあるとき、野口体操をやりました。
ぶら下げ、にょろ転……すると、少しずつ体が楽になり、気持ちも解放されていく気がしました。
野口体操は毎日少しずつやっているのですが、その日の感覚はいつもと違いました。
まるで、特別の快感(気持ちのよさ)が自分に舞い降りてきたのではないかと錯覚するほどでした。
体が少しずつ元気になるにつれ、わたしは自分の心が弱かったのを強く自覚したのです。
弱い自分と対峙することで、逆にわたしは気力を取り戻していきました。
絶対的な強さもない、絶対的な弱さもない、その思いがわたしを一杯にしています。
「心が折れなければ、まだまだできる」
わたしは自分に言い聞かせました。
自分のからだと心の健やかさは自分が護らなければならない。
では、そのためには何が必要なのでしょうか?
「無理をしなければ出来ないことは、出来なくともよい。急がなければ出来ないことは、しない方がいい。無理は無理だ。無理をしている中は、自然の神の声(理)を貞くことはできない」
野口先生の言葉で、わたしが大好きなものの一つです。
向笠卓爾
PR
Keyword Search
Comments
Freepage List