年越しサンタカタリーナ前編



旅人 ( 計13名)
aya、夫 、 koh、夫の友達J
町の友達 AD、妻M、13歳の息子AN、8歳の娘MA、
夫の同僚A、妻F、11歳の息子V、10歳の息子VT、Aの14歳の姪C、


- 遠いぜ・・・。サンタカタリーナ - 2004.12.26

クリスマスをサンパウロ市の夫の叔母の家で、ご馳走をたらふく食べ過ごした私たちは、夜10時に叔母の家を出て、(バッテリーがあがっていて、ケーブル接続してやっとエンジンかかったというハプニングがあったけど)この旅に一緒に行く 夫の友達Jのいるブラガンサ パウリスタという町まで行った。
Jの家に着いたのは 夜11時過ぎ、シャワーをあび、さっさと寝た。

Jと夫とは、日本にいたときに知り合い、もう13年くらいの付き合いだ。
Jは日本に3年くらいいただけなので、長いこと離れ離れだった。
しかも、Jは夫より9歳も年上。でも二人ともとても良い感じな仲良しさんだ。
私たちがブラジルへ来てからは、頻繁に遊びに行き、何度もお泊りをした。
今までの年越しは全てJの家族とともに過ごしている。
とても仲のいい大事な友達だ。

「早起きをしなければいけない。」
と思っていると、なかなか熟睡できないよね?今回がまさにソレ。
「寝た」という感じがないまま、ついに起きる時間になってしまい、頭痛をかかえて 寝ているkohも抱えて 朝4時にはJの家を出発した。

朝5時にサンパウロ市で 今回の滞在先の宿主の息子であるAD一家と待ち合わせをしている。
ADは、私たちと同じ町に住んでいる友達。夫の最初の仕事の時、奥さんのMと一緒に働いたことがきっかけで、それ以来 とても仲良くさせてもらっている。
ADとMの実家はサンパウロ州より2つ南下したサンタカタリーナ州にあり、毎年長期連休がある年2回、実家で過ごしているのだけど 毎回帰るたびに「一緒においでよ。サンタカタリーナは絶対いいよ!すきになるよ!」と誘ってくれていた。
今回の滞在先は、ADのお父さんが海辺に建てたばかりの別荘。
まだ塗装前だけど、生活には支障がない。
ホテル代が浮くので大助かりだ。

約束の5時を5分ほど遅れて待ち合わせ場所に到着。既に待っていたAD一家と眠い眠い、長い長い旅に出発だ。
何度も給油&休憩をし、午後1時前には、サンタカタリーナ州に入った。
昼食は Barra Velha という海沿いの町のレストランで、海を眺めてシーフード。
普段、新鮮なお魚に飢えている私たちは、やっぱりお魚料理を頼んだ。
しかし、遅い遅い。
待ちくたびれた頃、お魚がやってきた。
生憎、天気はすぐれなかったけど、kohは早速砂浜に降り、海に足をつけていた。

Barra Velhaを3時ごろ出発し、目的地へ向かう。
途中、Floriano Polis という 観光で有名な島を眺めながら エメラルドグリーンの海に心をときめかせていた。
残念ながら、とっても疲れていたため、Floriano polis へ立ち寄る元気はなかったのだけど、チャンスがあったら是非とも行ってみたい所だ。

2時間ほど先に進み、また海岸に寄った。
子どもたちは、海へ。
ADの息子のANがkohの手をとり、浅瀬に入っていった。
でもANが手を放したそのとき、波に足をすくわれたkohはすっ転がり 全身水びたし・・・。
コレがトラウマとなりすっかり「波恐怖症」になってしまったkohは、それ以来海には入りたがらず、せっかく海辺で過ごしたこの一週間、一度も海に入る事はなかった・・・。ANめ!

子供たちを着替えさせ、再び出発。
目的地は、Mの実家があるTubarãoという町。
「さめ」という名のその町は、海辺にあるわけでなく、昔先住民族が住んでいた頃、つけていた名前がポルトガル語のTubarãoと似ていたため、そういう名前になったそうだ。

TubarãoのMの実家についたのは 約1時間後の午後6時過ぎ。
ブラガンサを出たのが 午前4時だったので計14時間の長旅だった。
運転手夫くん、ご苦労様デシタ。
私はブラジルの免許がなく、Jは目がすごく悪いので運転できず、ヤクタタズな二人でした・・・。

実家ではMのお母さんが、午後のお茶の準備をして待っていてくれた。
手作りのクッキーやケーキがたくさん並んでいた。
午後9時過ぎ、もう一家族 合流することになっていた、夫の同僚A一家がやってきたので、そこから更に1時間ほど走った 今回の滞在先であるCamacho と言う町まで また出発した。
Camacho近くになると、ぐんと道が悪くなった。
アスファルト舗装してない道で、砂煙をあげながら ガリガリくんの肋骨のように凸凹になった道路をゆっくり進んでいった。
あまりの道のヒドさに 車内は大爆笑!未だかつて、こんなヒドイ道路を走ったことがない。更に 道の最高時速の標識には「60km/h」となっていたので、この道で60km/hを出す事は不可能だよぉ~!とこれまたツボにはまり大笑いで Jと夫に関しては 涙まで流して笑っていた。

やっと到着したADのお父さんのお家は、3LDKで天井が高く、とても快適な造りの家だった。バスルームも二つあり、各部屋には ダブルベッドと2段ベッドがあり、大人数で泊まる事が可能なようになっていた。
早速部屋割りをして、荷物を運びいれ、皆は食事へでかけ、道中で眠ってしまったkohと、こんな時間に食事は危険と判断した私(良い心がけ?)は 先に休む事にした。
長い長い移動の後に最高に疲れていた私は、数秒で深い深い眠りにおちた。


- 砂山だぜ!夫君よ! - 12.27 (滞在初日:天気は晴!楽園)

長距離移動で疲れきっていた私たち一同は、みんな朝寝坊。
9時過ぎにおきはじめた。
例外は唯一人! 我が夫くんだ。
この旅をとても楽しみにしていた彼の目的は、「砂山」
日本ではスノーボードバカだった夫は、サンタカタリーナの海岸の砂山でサンドボードをすることをとても楽しみにしていた。
疲れているにも関わらず、早起きしてパンを買いに行き、朝食の準備をしていてくれた。「音をたてないと、皆起きないからね。」と言って。

朝食のあと、水着に着替えたり準備をして、歩いて行ける海岸へ。
昨日は暗くてわからなかったCamachoの町は、高い建物のない、別荘が並んだ、とても小さな町だった。
海岸につくと、左手には大きな砂山、右手には砂に埋もれたBARがあった。
毎日少しずつ形がかわる砂山。1年で移動してきた砂に埋もれてしまうBARは毎年夏になると 「砂かき」をして店を開けるそうだ。(屋根近くまで埋まってる)

女性陣は 波打ち際にパラソルをたて、マットをひいて陣取り。
しかし、陣取りの必要もないほど 海岸は 人影が少なかった。こんなガラリとした海岸がブラジルに存在するのかと、サンパウロ市近郊の海岸と比較し驚いた。
サンパウロ市近郊の海岸は、たくさんのマンションが海岸線に立ち並び、屋台やBARがあり、たくさんの物売りがたくさんの滞在客目当てにやってくる。
何もない海岸はとても静かで心地よかった。
男性陣は 早速左手の大きな砂山へ ボードを片手に出陣していった。

昼過ぎ、別荘に戻り、軽く砂を流した後 BBQをし、夕方には そこから車で15分ほど行った Farol という海岸へ行った。
そこは、名前の通り高台には灯台のある海岸で、海岸をあがっていく通りにはレゲエミュージックが流れる店がたくさん並んでいて、若者が多く 煙草とは違った匂いのする煙(!)が風に吹かれて流れてくるような所だった。

海岸沿いに車を停めて、高台の灯台のふもとまで歩いて行った。
その灯台は、ブラジルで1番か2番目に古い歴史ある灯台だそうだ。もう少し時間が早ければ 灯台に登る事もできたそうだけど、残念ながらもう閉まっていた。
はるかに続く大西洋を眺めながら 大きな石のある丘を昇っていると、kohが「ママ、う●こ!」ともよおした。もちろん、こんな所にトイレはなく、まだ待つように言い聞かせたが、kohはもう我慢できないほどの便意に襲われていたようで、緊迫した表情で「う●こ~。我慢できないよぉ。」と言うので、仕方ないのでその大きな石の間に隠れて、この絶景を前にして のぐそ 決行。
ティッシュなんて気の効いたものを持っているはずもなく、はいていたパンツでお尻をふくことに・・・。こうして kohのう●ちくんと、白いパンツは広大な大西洋を眺めれる絶景の高台に置き土産とされることになった。
夫はkohが頑張っているところを激写した!

海岸に戻った私たちは、海につかりたいチームと砂山で滑りたいチームとお家に戻りたいチームに別れた。私はお家に帰りたいチームに属し、ADの運転する夫の車で一足先にもどることにした。
別荘に戻り、門の前で硬直するAD。
!! 鍵、忘れた・・・。
砂山で砂だらけになってもいいようにと、夫の車とADの車を交換したのが間違いだった。ADは車に財布は取りに行ったものの、鍵を持ってくるのを忘れたのだ。
先に戻って夕食の準備をしようと思っていた私たちは、結局皆が帰ってくるまで門の前で待ちぼうけをくうことになった・・・。


- 万歳サンタカタリーナ! - 12.28(滞在2日目:晴、まだまだ楽園)

今朝はMが朝食の準備をしてくれた。
やっぱり皆遅起きで、10時すぎに やっと出発する事ができた。
今日の目的地は隣の町Jaguarunaにある湖。
30分ほどで到着したその湖は、その先に牛がのんびり放たれている牧草地を眺めれて、左側にはまたまた夫喜ぶ砂山があり、木にロープが縛り付けてあり、そこにターザンみたいにぶらさがって、湖にジャンプできるようになっていて、子供たちも大喜び。
「 波恐怖症 」のkohも、湖に大喜び。早速ジャブジャブと一人で入っていった。
サンタカタリーナの海の水は冷たすぎて、入るのにすごく勇気がいるのだが、湖の水は快適で、とても気持ちが良かった。
左側の砂山の麓に荷物を運び込み、パラソルをセットして のんびりした。
男の子たちは、早速砂山に登り滑りはじめた。
私も、サンドボードに初挑戦。ボードが滑っていかず、イマイチ楽しめなかった。
そして、ターザンジャンプにも挑戦。登ってみると結構高い。ロープにしばられた棒をしっかりにぎり、木の上で心の準備。
私のもっぱら心配していたことは
はたして、私は湖まで自分の体重を支える事ができるのか?!

ということであった・・・。
なんとか、水上までもたせることができ、ぱっと手を放し湖にバシャンと入った途端、鼻の穴にも水が・・・。イタイ・・・。とてもイタイ・・・。
でも、結構キモチが良い。31歳女、張り切ってまたまた挑戦。今度はちゃんと入水前に鼻をつまむことができた。
小さな木のボートで来ていた若者二人組みに、少しボートを貸してくれるように頼み、子供たちをのせて 湖上の散歩にでかけた。
少しの事でグラグラ揺れるボートに、皆の顔は恐怖にひきつっていた。Kohに関しては泣きそうで、「ママ、帰りたい。」と訴えていた。

そんなこんなで 楽しく過ごし、夕方になったので 帰り支度。
途中、Chuveirao と言われる 湖の水日本で言う「打たせ湯」 みたいに上から滝のように流す場所があり、そこにでかけた。
マッサージ効果抜群の滝に、夫は御満悦だった。
アイスクリームを食べて別荘に帰り、皆に約束していた 「やきそば」を作った。
13人分の料理は、材料の野菜を切るのが大変で、結構な重労働だったけど、Fも夫も手伝ってくれたので助かった。チャーハンとから揚げも作った。


- 海の幸だよ、おっかさん。 - 12.29(滞在3日目:強風、雲行き怪しい・・・)

今朝は、珍しく私が朝食準備。
ちょっと離れた街のスパに行こうと予定していたのだけど、入場料がお高く、しかも子供たちに不評だったので、やっぱり海へ。
今回は、結構有名所のLaguna という海岸へ行った。
今日はとても風邪が強く、曇っていた。

海岸についたのは昼過ぎだったので、先に昼食をとることにした。
海岸沿いのシーフードレストランへ入った。
ボサノヴァやMPBなどが生演奏されていた。
焼き魚のセットと、エビのフライのセットを頼み、小さなカニの身をカニの甲羅に乗せて衣をつけて揚げたcasquinha de siriを頼んだ。
どれもこれも美味しかった。子供たちもバクバク食べた。

レストランでパラソルを借り、浜辺に行った。
MとADとMAの3人は、Mの実家へ行ってしまった。
男性陣は 砂浜でサッカーをしたり、ボディーボードをしたり、海に入っていったりした。女性陣は、パラソルの下でおしゃべり。Kohは砂遊び。
水はとても冷たく、入れたものじゃない。
そして、すごい強風!寝そべっていたのだけど 砂が飛んできて とても寝そべっていられない。
辛くなってきたので、あまり長居せず 戻る事にした。

海岸の先に 灯台があって、そこは川から海への入り口になっていて、たくさんの釣り人がいた。
そこに川に住むイルカが現れるということだったので、見に行った。
1匹の背ビレのみ 見る事ができた。ANは結構たくさん見れたようだった。

海辺の町は、観光地なので 何かと高いので、Tubarãoまで行って、スーパーで買い物をした。
買い物の後、Camachoの別荘に戻り、夕食を作った。
ADとMは、夕食を実家で済ませて帰ってきた。

この辺りから、なんだかMたちの様子がおかしくなった・・・。
何がきっかけかわからないけど、自分たちの部屋にこもることが多くなったし、口数もめっきり減った。
自分たちが招いた側なのに、食事の準備もしないで、後片付けもあまり積極的にはしなかった。少しずつ、皆が???と思いはじめた。


- aya、身悶える・・・。 - 12.30(滞在4日目:悪夢のはじまり・・・)

今朝は、夫・AD・M・AN・V のみ、Farolの海岸へ行き、その他は午前中は家で過ごす事にした。連日遊びまくりで、皆 少し疲れが出てきたし、まだまだ日にちはあるので、ゆっくりした。
「朝のおつとめ」をしようと トイレに行くと、Fが「今、使えないよ。」と言った。なんと、トイレが二つとも詰まっているのだ!!!
あぁ、冷や汗をかきかき お腹をさすっていると、波はやがて落ち着いた。さて、どこでいたそうか・・・。悩みどころである。

私とAとFは、今夜の魚を買いに 魚屋さんへ、子供たちを家に置いてでかけた。
ついでに魚屋さんで用を足そうとも考えていた。
魚屋さんへ行くと、今朝漁からあがったばかりの魚やエビたちがたくさん待っていた。
お刺し身ように、アジ(でっかいよ)と、天ぷらようにエビと、フライように小魚と、トマト煮するために でっかい ナマズみたいな魚を買った。
肝心のトイレはというと、波がやってこなかったので見送った。

その後、トイレのつまりをとるように、何か薬品を買うためにスーパーに寄った。ついでにジュースとかも買った。
そこで、大きな波が私に襲い掛かった。
ちょっと恥ずかしかったけど、店員さんに トイレを貸してもらうように頼んだ。

スッキリとした表情で A&Fの待つ車に乗り込み、別荘に戻り、トイレに薬品を入れて暫くおいた。
そして、昼食の準備。昼食は、昨日の残りのスパゲッティと さっき買った小魚をフライにした。

海に行っていたチームが戻ってきて、トイレが詰まったことと、私がスーパーでお腹をさすっていたことを Aが面白そうに話した。
まだ、この時は 笑い話にできる余裕が誰にでもあったのだ・・・。

昼食のあと、雲行きがあやしくなったので 皆海へ行くのはあきらめた。
サンタカタリーナは洋服やタオルなどが安いと言っていたので、女性陣はMの案内でTubarãoの工場直売の店が並ぶマーケットに買い物に3時ごろからでかけた。
Tubarãoへと続く大きな道に出ようとすると大渋滞。
仕方なく、裏道へ。裏道というと、ここではとんでもなく 田舎道になる。
凸凹 、水溜まり、今にも壊れそうな心細い橋・・・。かなり過酷な道だった。
今朝、夫が洗ったばかりの車は、まんまと泥だらけになった。

ヒヤヒヤしながらもマーケットに到着。
お正月用の 白いスカートが欲しかった私は、ソレだけ買う予定にしていたのに、皆がおだてるのと、 安さにつられて 一番買い物をしていた。
洋服のマーケットを出ようとすると、すごい雨と風。外は嵐のようだったので、しばらく店の中で待機。
今夜は和食を作る予定にしていたので、私は、帰りの時間を心配していた。その時既に5:30を周っていた。
そんな私に「夫と子ども抜きでお買い物できるチャンスなんて滅多にないんだから、気にしない!●●(←夫のなまえ)だって作り方知ってるんでしょ?もう準備してくれてるよ。」とお気楽極楽な返事をするM。ハンドルを握るのは彼女。私は、結局彼女の言いなりになっていた。

嵐も少し落ち着き、帰れるかと思っていたらMが「隣に安い 雑貨屋さんがあるのよ!見ていこうよ!」と誘う。結局付いていった。
雑貨屋を出たのが7:00過ぎ・・・。Camachoまでは1時間はかかる。既に私は夕食のことは諦めかけていた。

実家に用事があるというので、Mの実家に行き、さっさと用事をすませてくれればいいのに、お母さんとおしゃべり・・・。聞いてもいない親戚の愚痴などを聞かされ、実家をでたのは既に8:00を周っていた・・・。
携帯電話も繋がらなくて、連絡も取れない状態だったので、心配しながらも諦めていた。そんな心配顔の私を、あっけらかーんと笑ってかわしたM。

そろそろCamacho に着くというとき、Mの携帯が鳴った。Jからだ。
男性陣は、夕方から散歩にでかけ、ビリヤードなどをして 今帰ってきたら、まだ私たちが帰ってきていなかったので、心配してかけてきたそうだ。
私たちの「大丈夫、きっと●●(夫)が作ってる。」という希望は、木っ端微塵に吹き飛ばされた・・・。

9:00過ぎに別荘に到着。男たちの不満そうな顔と、子供たちの「お腹空いた~!」コールに げんなりしながら、天ぷら、お刺し身、お味噌汁を作った。
今回も手伝ってくれたのは夫とF。Mめ!お前もやれよ!
出来あがったのはすでに10:00をまわり、グッタリした・・・。
そして、夜もひきつづき トイレは使用不可・・・。

子供たちが寝た頃、私と夫、AとFの2カップルは風邪気味のJと疲れたと言って寝たAD&M夫婦を残して、近くで生演奏をするというレゲエバーにでかけた。
若者がたくさん集まっていた。
暫く外を散歩して、またバーに戻り、ちょっとアルコールを飲んで、帰った。


苦悩の滞在記は、後編に!写真はそのうちUPします。


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