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070207
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年越しサンタカタリーナ後編
今朝は使えたトイレ、でも何人か使用すると また詰まった・・・。
こうして、トイレ争奪戦とトイレ大捜索な日々はスタートした。
掃除をすると言うADとMをおいて、朝食の後、私たちはFarolの海岸へ。
今日はとても晴れていて、風も強くなく 今までで一番良い感じの天気だった。
子供たちや男性陣は海へ。Kohは相変わらず海には入りたがらず、泣いて拒否。砂で遊んでいたが、近くにいた地元の男の子と仲良くなり、楽しそうに遊んでいた。
私もたまには、海に入ろうと頑張ったが、水が氷のように冷たく、痛くなってくるので 太股までが限度だった。でも、海で遊んでいる人もたくさんいて、驚いた。
お腹も減ったので3時近くに別荘に戻ると、ハンモックでADとMがくつろいでいた。
もちろん、昼食は準備してあるだろうと思っていた私たちは、ご機嫌で「気持ち良かったよ~。」などと 海の感想をMたちに話した。
デモ・・・。昼食は用意されていなかった・・・。
結局大急ぎで準備。昨日買ったナマズのようなお魚をトマト煮すると、Fが準備しはじめたので、私も手伝った。Mは今日も手伝わなかった。
お魚の下処理を夫がしている横で「そうじゃないよ。ココをこうだよ。」とアレコレ指示するAD。しかし、口は出しても手は出さない。結局手伝わなかった。
MとADは、昨日の天ぷらなどの残りを暖めて食べたから。と言っていた。
なんじゃね?それは?
ここらで、私たちもぷちっときたね。
食事は5時近くになった。こりゃ、夕飯だね。
子供たちがシャワーに入ったりしていると、水が止まった・・・。
まだ、シャワーを浴びてないのに・・・。このまま年越しかい?
MとADとANは、年越しをMの実家で過ごすと言って(MAは既に水曜日からいっていた)夕方出ていった。
水もトイレもない、私たちを置いて・・・。
招いた人がこんな無責任なことでいいのかい?
Mたちが出ていったあとは、皆のこの数日間の愚痴を吐き出す時間となった。
さて、シャワーも浴びれないまま 年を越すのかと、皆が不安に思っていた頃、ADの弟一家がやってきた。ADたちが不在の間、その部屋を使うと。
弟の奥さんのお母さんの別荘が近くにあるというので、ほとんどそっちにいきっぱなしで、ただ、寝るためだけにここに来ると。
そして、水が出なくて困っている私たちに、助けの手も貸さず、奥さんのお母さんの家へ行ってしまった・・・。なんてこったい。
でも、「捨てる神あれば、拾う神アリ。」だね!外のホースで石鹸使って洗っている私たちをみて、隣の住民が「水が無くなったの?家でシャワー浴びていいよ。」と誘ってくれた。その他にも お向かいの若者も同じように誘ってくれた。
本来、気を使うべきの人が心配しないで、他の人が助けてくれた。
ありがたくそのお誘いをうけ、恥ずかしながらもシャワーを借りた。
そして夜は、
電気も止まった・・・。
電気なんかなくたって、ロウソクで過ごせるさ。水やトイレがないほうがよっぽど辛いぜ。ガスはもってくれるかな?
なんて心配しながら、大晦日の夜を過ごした。
年越しを海で過ごすために、大量の人たちがこの小さな町にやってきて、水や電気を使ったので、それだけの容量がない小さな町では、こうやって水や電気が止まる事がよくあるとか・・・。
ただ、水に関しては今回は止まったわけでなく、水力が弱まっただけなようで、上の貯水タンクに引っ張りあげる力がないということらしい。隣はそれように対応しているので、水がなくなることがないとか。
そして、トイレのつまりに関しても、大人数が使用するにはタンクが小さいようだ。庭のマンホールから汚水があふれている・・・。あきらかにどちらも 建てる時の選択ミスだ。
体もきれいになったし、年越しように白い服に着替えて Farolの海岸へ。
ブラジルでは、白い服を着て年越しする風習だ。幸運のしるし?平和の象徴?とにかく 縁起をかついでいる。
そして海では、7回波を飛ぶといいとも言う。
Farolの海辺は結構な人だった。運良く駐車スペースもみつけ、時間がまだ少しあるのでバーで時間を潰す事に。
食欲旺盛なkohは、こんな時間(午後11時過ぎ)にベーコンバーガーを食べていた。
Aは、なんだか夕方からお腹の具合が悪いらしく、その上トイレも思うときに行けない苦しさで、随分ブルーになっていた。
そろそろ時間になったので、海岸まで行った。だんだん人は多くなっていった。
沢山の花火がなり、年越しの瞬間を迎えた。
あちこちで、シャンパンの抜かれるポン!という音がなり。人々は HUGの嵐。
私もkohを抱く夫にHUGしようとしていたら、すぐ隣にいたCに飛びつかれ、初HUGは奪われた。
-恐怖の帰り道・・・。 - 2005.1.1(滞在6日目:まだまだ続く痛む腹)
そんなこんなで、シャンパンも飲み、全員と初HUGをして新年の挨拶も済ませ、具合の悪いAのために、早々に帰り支度。
車に乗り込み帰り道へいくと、すごい人!
狭い帰り道を塞ぐように、歩く人でごった返している。そして、私たちと同じように帰る人の車も並んでいる。
止まっている私たちの車の屋根やボンネットをたたきながら「今日は歩く日だよ!」と言う女性や、目の前でケンカを始める酔っ払い。中には開いていたJ側の窓から空のビールビンを投げ入れる人もいて、かなり身の危険を感じた。一体何人に車をたたかれただろう・・・。
早くこの場から逃げ出したいと思っても、狭い道には人があふれ、対向車とすれ違う事もできず、結局警察が来て、私たちと同じ方向に向かう車を全てUターンさせて、反対方向から戻るように指示してきた。
結局1時間その酔っ払いの渦の中で恐怖の時間を過ごした私たちは、帰り道があるのなら!と大人しくUターンした。
あっけないほど短時間で帰宅する事ができ、「こんな道があったんだなぁ。あの1時間はなんだったんだ?」と唖然とした。
ゆっくり起床。
すでにADの弟一家は起きていて、シャワーも浴びていた。
おいおい!シャワーなんかそっちの実家で浴びろよ!こっちの水は少ないんだ!と文句も言いたかったけど、言えるはずもなく、朝の挨拶。
彼らは朝食もとらずに奥さんのお母さんの別荘へ行った。
私たちは、シャワーを浴びたいのを我慢して、トイレもやっぱりすぐに詰まってしまったので、我慢して、我慢我慢の正月の朝を迎えた。
特にアイスクリームが食べたいわけでもなく、トイレのためにアイスクリーム屋さんに行ったり、必要もなくバーでジュースを買ってトイレに行ったりと、トイレのために結構ムダ使いをした。
歩いていると、バーにいた若者が「あ!
サブリナ佐藤
だ!」と私に言った。
・・・そんなわけない・・・。彼女と私の共通点は、日本人の血が流れていること、女性であることぐらいだ・・・。
ここでは、日系人をみることが珍しいようで、海岸でもどこでも私たち一家は注目を浴びた。サンパウロあたりなら、ウジャウジャいるのにね。日系の子どもは人気で、kohはよく指をさされ カワイイね。と頭をなでられたりした。
今日のCamachoの海岸はなかなかの賑わいで、最後のサンドボードを楽しんだ。
しかし、やっぱり水は凍るように冷たい!
大人だけになったとき、この禁欲生活について話をした。
まず、大人数なのでHはできない。トイレも我慢しないといけない。水も十分使えない。そして、電気も消える・・・。
正月早々 こんなに苦しんでいいものか?特にトイレは厳しいなぁ。と。
シタイトキニデキル
って、有難い事だなぁ。とシミジミしちゃったり・・・。
お昼、別荘に戻り 食事の後片付けをしていた。上のタンクの水を使わないでもいいように、外のホースをひっぱって洗っていた。朝もシャワーを我慢し、こんなにも節約したというのに、すぐタンクの水はなくなった。今夜はどこでシャワーを浴びれるだろうか・・・。
あまりに苦しいので、もう明日の早朝帰ろうかという話になった。でも、隣のおじさんが「水の事で帰るなんて、考え直せ。水は俺の家からポンプでそっちの貯水タンクに送ってやるから。それにあしたは日曜日でみんな帰るから大渋滞するぞ。」と言った。
この禁欲生活に嫌気がさしたのと、それ以上にMたちのあまりの配慮のなさに翌日Mたちがやってくる前に帰りたかったけど、おじさんの提案を有り難く受け、おじさんの忠告も素直に聞き、もう一日滞在することにした。
早速、隣のおじさんやそのほか近所のおじさんがやってきて、上のタンクへ水を流す作業がはじまった。好きなときにまた入れれるようにスイッチも渡してくれた。まったくありがたや~。
Aに関しては、お腹の具合が悪いけど トイレもろくろく行けないので、じゃあ出ないようにしてしまおう!と、今では販売中止になっているIMOZEC という薬を飲みはじめた。コレでう●ちをしたくなくなると言う。
私も欲しいくらいだった。
夜は、昨日 ADの弟が持ってきてくれた生牡蠣を食べた。
ほとんどの人が初挑戦だったのだけど、子ども以外は喜んで食べていた。
夫は牡蠣が大好き。久しぶりの生牡蠣に 大満足なようだった。
今夜のシャワーは、隣のおじさんのお陰で 好きなように水を浴びれる嬉しいシャワーとなった。ありがとうおじさん!
苦しい思いもしてるけど、こうやって差し伸べてもらえる手の有難さに、「人に優しい人にならなきゃ。」と改めて思った良い元旦だった。
- A、衝撃の告白 - 1.2(最終日:アンタだったのか?!)
今朝、目覚めると AD一家がもう来ていた。Mのお母さんとお父さんも一緒に。
寝坊助な私たちに見切りをつけて、Mのお父さんとお母さんは 先に湖へ行った。
AD一家に対して、不満を持っている私たちは、顔を見ると とにかく愚痴った。
ただ、彼らは私たちの不満は「水が出ないこと。トイレが使えない事」だけだと思ったらしいけど、本当のところはそれだけではない。ヤツらの態度に腹をたてているのが一番なのだ。ソレはちゃんと伝わってなかったようだけど・・・。
近くの湖で魚を捕りながら水浴びをしようという事になったのだけど、行った所は なにやら 変な匂いがする湖だった・・・。
しかも、水は浅すぎて 水遊びどころではない。
結局Farolの手前の海岸へ行くことになった。
車の中でkohが、足の裏をしきりに見ている。のぞいてみると、10cmくらいたてに切れていた。どうもさっきの湖で切ったらしい。
出血はなかったので、肉までは切れてないようだったけど、痛むようで 海岸についても砂で遊ぶ事もなく、私にしがみついていた。
トイレにも行きたいと言うので、先に帰ろうと思っていたのだけど、Farolまでトイレに行った夫たちがなかなか帰ってこなかったので、Mに頼んで送ってもらうことにした。
Mは「じゃあ、ADに伝えてくるわ。」と言うと 海の方へ。
話してすぐ戻ってくると思っていたのだが、どんどん沖の方へ進んでいき、水遊びをはじめた・・・。
もう、こうなると呆れるしかない。子どもがトイレに行きたいと言っているのに・・・。
怒りが諦めにかわるころ、夫たちが戻ってきたので送ってもらった。
最後の日だというのに、海を楽しむどころではなかった。
別荘で先にシャワーを浴びた。残った人たちは、1時間くらいで戻ってきたので、一緒に昼食の準備を始めた。
いつもなら、率先してBBQ台の番をする夫も、今回ばかりはやらずADにやらせた。いつもなら手伝わないMも空気を感じてか、サラダ作りに参加した。
ADの弟一家も参加して、BBQがはじまった。
ガレージにテーブルを置いて、キモチのいい風の拭く中 IMOZECでお腹がポンポンのAが過去の年末年始の話を始めた。
「今だから話すけど・・・。」とポソポソ話しはじめたそれは、衝撃的な告白だった・・・。
過去何年か、ずっとAの年末年始の休暇には 災いがつきまとっていた・・・。
ある年には、旅行にでかける車で事故をおこした。またある年には、お腹の具合が悪くなり、大型スーパーでう●ち をもらしてしまった。
また別の年には、肩の骨を折って、長いこと不自由したとか・・・。
そして去年は 旅行の後、帰宅すると家中の大型家具以外のもの全て(使用済みの下着なども含め)盗まれていた。愛犬までもが・・・。
今年のクリスマスは、病院で点滴をして日付をまたいだ。
まさか!この休暇の不運は、A!君が持ち込んだものだったのか?!
もう二度と、君と年越しすることはないだろう・・・。
最後にAが言った。
「運が悪いのは俺のせいか、Fのせいか、わかんないよ。いつも一緒にいるから。」
私は、A,君のせいだと思うよ。そして、その場にいた誰もがそう思っただろう。
夜、おしっこがしたくてトイレに行くと、おおきなう●ちが!
毎回トイレの蓋を恐る恐る開け、詰まったトイレに「使えないか・・・。」とガッカリする日々・・・。トイレからでてきた私が
「もう、他人のう●ちを見るのは我慢できない・・・。」と言ったのがAのツボにはまったらしく、かれは寝る間際まで笑っていた。彼の笑いかたは独特で、こっちまで笑えてしまう。
彼の笑いを 複雑な表情で見ていたMがいた。
それぞれシャワーを浴び、寝室へ入ると まだ眠っていないJがボソボソ話しはじめた。
「さっき、Aと話していたんだけど、今日はIMOZACを飲んでないから、明日の朝、2日分のう●ちをして、詰まらせてから帰る。っていってたよ。」
それは良い提案だと、夫も私も大笑い。
「Aに新しい名前が付いたよ。IMOZAC を飲んだから 芋関さん。」
ココでまたまた笑った。隣の部屋で笑っている「芋関さん」の声を聞きながら・・・。
-遠いぜ、サンパウロ。 - 2005.1.3(帰路:自由の幸せ)
昨夜「日本人時間で午前6:30出発ね。」
と、A改め芋関さんが言った。「日本人時間」とは、正確な時間。「ブラジル人時間」なら、予定より1時間後になる。
珍しくMが早起きをして朝食の準備をしてくれて、見送ってくれた。
本当はあまり感謝の言葉を言いたくなかった(大人気ない?)けど、実際宿を提供してくれたのはADだし、ここの土地のことをしらない私たちが色んな所を楽しめたのは彼らのお陰だったので、そのことに対しての感謝のHUGをして別れた。
私たちがちょっと怒っていたことで、やっとなんだか彼らも悪いと思ったようで「ごめんね。」と何度も言っていた。
でも、きっと本当のところはわかってないんだろうけどね。
予告どおり、芋関さんは、トイレを詰まらせてから「日本人時間」を15分ほどオーバーした6:45に出発した(爆)!
Floriano Polisまで あと30kmという地点から、渋滞がはじまった。
結局Floriano Polis を通過したのは 午前11時をまわっていた。順調ならその時間にはサンタカタリーナ州を超え、パラナ州に入っている予定だったのに・・。
何度かの自然渋滞や事故渋滞にみまわれながらも、何とか2時過ぎ、パラナ州に到達。ちょっと前から雨も降り始めた。
その雨はどんどんひどくなり、走行時速もゆっくりになり 事故も頻繁に起こっていたので、サンパウロ市に到着したのは夜10時近かった。
無性にラーメンが食べたくなった私たちは、少し寄り道をして 東洋人街のラーメン屋さんへ行き、遅い夕食をとった。
メニューは日本語。TVもNHKがかかっていて、なんだか日本にいるような安心感のあるお店。接客してくれた人も日本語上手だし、料理も日本人が作っているので、日本の味とかわらない。嬉しいお店だ。
Kohは、2階にあるカラオケに行きたがったけど、そんな元気があるはずもなく、食事の後ゆっくりすることもなく、Jの家まで急いだ。
大雨のときは、サンパウロ市内の道が水没して通れないことが多くあるのだけど、今回は幸いそれがなく、Jの家にその日のうちに到着する事ができた。
約18時間の長旅だった。
その間、話題の中心はもっぱら芋関さんについてと、詰まったトイレについてだった。「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」とでも言うのか、その頃は既に、あの辛かった日々も笑い話として 良いネタになっていた。
ただ、この「ネタ」は、ADファミリーにはキツすぎて 使えないけどね。
Jの家に到着した私たち、すっかりグッタリだったので、今夜もお泊まりさせてもらった。
この長い旅の間、同じ部屋で寝泊りし、「苦楽をともにした」Jとは、今まで以上に仲良くなった気がして、とても嬉しかった。
さて、ここまで長々と書いてきた初めてのサンタカタリーナ旅行記ですが、なんだか「AD夫婦に対する愚痴」と「トイレ我慢の苦しさ」ばかりが強調され、肝心のサンタカタリーナの素晴らしさをお伝えできてないと思います。
サンタカタリーナの名誉のため、ここから 追記したいと思います。
サンタカタリーナは、きれいな海と、広大な自然に囲まれた美しい所だと思いました。(内陸部については見てないのでわかりませんが)
海岸線には白い砂浜。海はエメラルドグリーン。豊富な魚介類が安く手に入り、そして美味しい。
田舎道を走っていると、サンパウロ州では見る事のない 水田が広がっていて、その奥には小高い山が連なり、日本の田舎の盆地を彷彿とさせるのどかな風景が広がっていました。
家の造りも、私たちが普段見慣れている煉瓦造りのとは違って、少し高床にした木造の可愛らしい家が多く、異国にいる感じがしました。
海の水は冷たすぎてあまり入れませんでしたが、2月3月辺りには暖かくなってキモチが良いそうです。
トイレが自由に使えるなら、またいつか行ってみたい所です。
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