PREPARATION♪

PREPARATION♪

母の雑記



 今回の運転免許証の更新には、齢七十であるがために「高齢者講習終了証明書」なるものが必要となった。これを手に入れるには、六千五百五十円也を支払って、三時間の講習を受けなければならない。何のためか。身体機能が齢相応に低下していることを、自覚させるためのものだったらしい。

 そんなときに、○○社からの原稿依頼である。
 複雑な気持ちでペンを取ったものの、身辺の事を綴るしか私にはこれといった材料はない。俳誌では、よく看取りの句に出合う、その対象は、親であったり、配偶者であったりといろいろだが、明るく詠んであっても、その裏が見て取れて大変さが伝わってくることが多かった。しかし、自分のこととして考えたことは一度もなく、私たち夫婦は何度となく”今のうちに旅行しておこう”と言っては、健康に過ごしてきた。言ってみれば口癖のようなもので、深くは考えていなかった。

 ところが、ついに来た。昨年十一月のこと、主人の肺癌が現実のものとして私たちを直撃したのだ。幸い、早期発見のお陰で、入院、手術、退院と医師の見立てどおり順調に進み、新年は自宅で迎えることができた。全く予想外の嬉しい展開となった。

    看病のほかは省きて年の暮れ

 入院中は完全看護だが、他に家族も居ないので、夜も看取るつもりで泊り込んだ。日に一度自宅に帰ってみる他は、暖房のきいた病室で、主人の世話の合間には、本を読んだり、編み物をしたりと、ホテル気分で過ごさせてもらった。

    病床の夫の寝がへり毛糸編む

 覚悟はしていたことだったが、退院してから本当の看護が始まった。患者初心者と看護初心者の呼吸が、なかなか噛み合わない。

 眠れない、食欲がない、通じがない、体重がまた減った。お風呂に入るのもこわごわの主人の様子を、神経質すぎるんじゃないの?と見ているだけの私を主人は信頼しきれない様子。

    手術痕にこだはる夫の初湯かな

 血液型で言えば、私は大雑把なO型で、主人は慎重なA型だ。こちらまで不安そうな顔をしてはいけないと思う気持ちも裏目に出ていたようだ。

 娘が心配してたびたび帰省してくれるのを主人は喜んで、娘相手にいろいろ話し合っていた。私もホッとする思いだった。ちなみに彼女はA型。サプリメントやマイナスイオン水など、気休めとしか考えない昔人間の父親に、十分説明して服用させる手際の良さは私にはない。

 平素から娘には心配をかけまいと心掛けてきたのだが、こういうときは何とも心強い。その上、娘の家族が心よく協力してくれたことも、ありがたい事だった。

    冬ぬくし娘の果たす役どころ

 一人娘が嫁いで二十年余り、長い時間を二人で問題なく過ごし、生活の殆どは、夫婦単位で考えてきた。これから先は”なるようになる”と言うこれまでの私の姿勢では、まわりが迷惑するだろうと思いあたった。

 結婚以来、初めてお節も作らず、初詣もしない新年だったが、神頼みの前に家族の絆、暖かさを知った事は何にも替えがたい大きなお年玉だった。


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: