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遥統番外編3
黄金の碧眼児
黄金の碧眼児
あの大戦で命を賭けた戦士たちの中に、数奇な生涯を過ごした美しい少年がいた。
ゼロ・アリオーシュは、赤く染まった空を、お気に入りの場所、静かな湖畔で見上げていた。
初陣を終えてから、彼はこうして一人でいることが多かった。初陣で彼は多くの仲間を失った。まだ15歳の彼には、その事実を消化することは容易ではなく、ただ途方に暮れるばかりだった。
ポチャン
手近にあった小石を、目の前の小規模な池に投げ入れる。何ら意味もなく、今は頭も上手く働かない。
だが、そんな頭でも背後の方に人の気配を感じれば否応なしに反応してくれるようだ。
その気配はじっとこちらを窺がっているように動かない。
ゼロも気付いていない風に装った。
その気配が動いた。
―――おいおい! いきなり?!
流石にもう気付いていないという理由にもいかなかった。ゼロは一気にその場を離れて、その気配の正体と向き合った。
銀色に輝く剣を右手に持ったその正体は、一言で言うと美しかった。美しい金色の髪をショートカットにして、生意気そうなそのつり気味の碧眼には、意志の強さとやんちゃそうな若さがあった。性別はどちらとも言い難い中世的な美しさで、華奢な四肢と合わせてその容姿はまるで天使のようだった。改めて見つめると、不釣合いなはずのその剣も姿と相まって鋭い美しさを引き立てていた。
「お前、強い奴か?」
声変わりはまだのような、美しい、少し高めの声だった。
「さぁな。いまいち分かんないさ」
今自信喪失しているゼロにとって、その質問には答えにくかった。
「まぁいい。僕がお前の実力を量ってやるよ」
“僕”と一人称したことから、男と判断していいのだろうか。生意気な口ぶりは、天使の顔を持つ小悪魔だ。
少年は走り出して構えた剣を振り下ろした。
接近する速さも相当なものがあり、ゼロは刀を抜く暇もなく反射神経だけで避けた。
―――ちぃ! やるじゃん!
さっきまで悩み、途方に暮れていた時とは打って変わって、ゼロは戦いに集中していた。身体を動かすことが悩みを解消したり、ストレスを発散したりするというのは事実のようだ。
生粋の戦士であるゼロにとって、まさに戦いこそが生き甲斐、という様子である。この言い方では少し語弊がありそうだが。
少年の猪突の突きに対し、剣を当て反らす。相手が何者か分かっていないため、まだ攻撃に踏み込めてはいないが、それでもゼロは楽しそうだった。
果敢に踏み込んでくる少年の動きを見切り、ギリギリで避ける。その剣筋に迷いはなく、的確に人体の急所を狙っていた。
―――暗殺者……? にしては“騎士”よりも騎士らしい戦い方だよな……。
騎士らしい、とは主にアリオーシュ家で用いられる、堂々とした戦い方、真っ直ぐな戦い方のことを示す。
「お前、名前は?」
間合いを取り、ゼロは尋ねた。
「ファル」
臆することも、隠すこともなく答えた少年、ファルに対しゼロは好感を持った。
「そうか、俺はゼロ。ゼロ・アリオーシュだ」
この問答で、先に名を聞いた時、聞く前に自分の名を名乗ってから、というのが通例である貴族においてそれを言わなかったファルは貴族の出ではないことが判断できた。
それだけ分かれば十分だ。貴族間、しかも西同士の殺し合いはあってはならない。だが、庶民の出ならば大した問題にはならない。そういう問題ではないとは思うのだが。
ゼロはやっと攻撃に転じることが出来た。勿論彼を殺す気など毛頭ないのだが。
剣を交えて分かったのは、自分のほうが、幾分だが実力が上だということ。だが虎狼九騎将に匹敵する実力であるということ。そして、彼の剣術が恐らく“我流”だということ。
―――独学でここまで登り詰めたのか……。野放しにしておくには惜しい人材だな。
独断でファルを値踏みしたゼロは、一気に勝負に出た。
ほぼ全力に近い速さで接近し、一気に追い詰める。ゼロの繰り出す刀の前に、反撃には転じられないもののしっかりとした防御を行っているのは立派であった。
下段から斬り上げようとするゼロの刀に対し、ファルは力いっぱい振り下ろした剣でそれを止めた。だがゼロは力の衝突に手を痺れさせることもなく、流れを切らさずに次の攻撃を繰り出した。喉元を狙った、鋭い突き。その攻撃に対しファルはバックステップで後退し、間合いを置いて呼吸を整えようとしたがゼロはそれを許さなかった。
空気を吸っている時というのは、力が入らない時である。そしてその絶妙なタイミングでファルを襲った攻撃は、ファルの剣を吹き飛ばした。尻を地面につけ、両手も後ろ側で地面につけたポーズのファルを見て、ゼロは不敵に笑った。
「俺の勝ちだな」
その言葉を聞き、ファルは悔しそうに頬を赤くして怒鳴り散らした。
「こ、殺すなら殺せ! どうせ僕に生きてる価値なんかない!」
天使の口から漏れたにしては、物騒極まりない言葉だ。
「いいや、お前には価値が十分ある。どうだ? 虎狼九騎将になってみないか? 一緒に、統一の夢を掲げて英雄目指そうぜ?」
ゼロの言葉を、少年は全く予想していなかったようだ。呆気に取られた表情を見せた後、すぐさま怒ったような表情に戻った。
「お、お前! 僕を馬鹿にしてるのか?! いくら僕が捨て子で、まともな教育を受けてないからといっておいそれと虎狼騎士になれないことくらい知ってるぞ!」
彼の素性がさらに詳しく分かってきた。
「名乗ったじゃないか、ゼロ・アリオーシュって。知らないのか? 現虎狼騎士団長の名を。ウォービル・アリオーシュ、俺の親父のことだよ。俺が言って、お前が親父に実力を示せば特殊入団も可能だよ」
諭すような、そんな口ぶりのゼロを見て、ファルにはそれが嘘ではないことが分かった。
「ほ、本当か? 本気で言っているのか?」
呆気に取られた表情のまま、ファルは聞き返した。
「あぁ、嘘じゃない。本気も本気、大本気だよ」
ファルは少し黙考した後、再び怒ったような表情でゼロを睨みつけた。
「考えといてやる!」
そういい残し、ファルは立ち上がり、飛ばされた剣を拾いに向かった。
「俺と手合わせしたかったら、アリオーシュ家に来い。いつでも相手になってやるよ」
ゼロのその言葉には目だけで答え、ファルは去っていった。
「……なかなか面白い、可愛い奴だったな……」
ゼロは、新しい遊びを見つけたような思いだった。
翌日の昼過ぎ。
休日ということで惰眠を貪り、ゼロはようやく目を覚ました。
一通り身支度を済ませ、パンをかじりながらゼロは部屋の窓から外を眺めていた。
いい天気だった。青い空に、所々にうっすらと浮かぶ白い雲。陽光穏やかな、優しい午後の日差し。
最近何かと心身ともに疲労してきた分、今日はゆっくり家に居よう。外に出るのも庭先での軽い訓練だけにしよう。そう決めてゼロは剣を持ち庭へと向かった。
比較的軽めの刀を右手に持ち、左手は相手を牽制するために、自由に使うゼロ独特の構え。一般的な剣術は利き腕に剣を、逆の腕に盾を構えるのが主流なのだが、何故か虎狼騎士には独自の構えをするものが多い。
もくもくと存在しないターゲットを想定しその刀を振るう。鋭く、速く、常人の目にはまず止まらないほどの剣速で、それでも満足しないかのようにゼロは訓練を繰り返す。これが彼の強さ、実力の所以。決して現状に満足せず、さらなる高みを目指し続ける志。
汗がその頬を伝い、地に一滴落ちるかという時だった。
「約束どおり、来てやったぞ!」
アリオーシュ家を囲う塀を飛び越え現れたのは、昨日剣を交えた天使の如き少年、ファルだった。
半分驚き、キョトンとした表情でゼロは彼を見た。まさか今日来るとは思わなかった。それが実際のところの心境だった。
「時と場合を少しはわきまえたらどうだ?」
軽い笑みを浮かべ、ゼロは肩をすくめた。
「何を言ってるんだ! 僕は朝からずっとお前を待ってたんだぞ?! やっと出てきたから出て行こうと思えば、素振りに熱中して顔を出すタイミングを失ってしまった! だから、お前にそんなことを言われる筋合いはない!」
―――……マジかよ……。
もう呆れるしかなかった。他にやる事はないのだろうか、正直にそう思えてくると同時に、彼への同情の念が沸き上がる。
「大分待たせちまったみたいだしな、ちょっと待ってろ、親父を呼んできてやるから」
そう言い、ゼロが背後を向けた時だった。
「待て!」
とくにどうというわけでもなく、ゼロは振り返った。
「何故そう易々と背後を向けられる?! 背後を見せたところで、僕如きにはやられないとでも言いたいのか?!」
傍から見れば言いがかりだったかもしれない。だがゼロは、再度この激情的な少年に笑みを浮かべた。
「分かるんだよ」
「え?」
「分かるんだ。お前は、そんな卑怯なことをする奴じゃない、って」
ゼロの言葉に、ファルは驚きを隠せなかった。
「どういうことだ?!」
ゼロは真っ直ぐにファルを見つめ、その瞳を覗き込んだ。深い青色の瞳の奥は、純粋さを表すかのように一滴の曇りもない。
「剣を交えれば分かる。お前の心は純粋で純真だ。卑怯な手を嫌う、“騎士の心”だ。もしお前の心が汚れていれば、俺は昨日、お前を殺していたよ」
「………………」
ゼロの言葉に、ファルは言葉を無くした。
こいつは、何を考えているんだろう?
こいつは、何を知っているんだろう?
こいつは、何を言っているんだろう?
こいつは、何を目指すんだろう?
見てみたい。こいつと共に歩んだ先にあるものを。
知りたい。こいつの築き上げる“未来”を。
僕は、こいつと歩みを共にしたい。
ファルにとって、こんな感情は初めてだった。
誰かに対し心から慕うことはなかった。
それなのに、今ゼロ・アリオーシュという男の言葉に衝撃を受け、心が大きく揺らいでいる。
「……北のとある子供に恵まれなかった家で、孤児が拾われた」
ファルは俯きながら、ゆっくりと何かを語り始めた。陽光が輝き、彼を照らした。その声に、ゼロはゆっくり聞き入った。
「その孤児は誰が親かも分からない、正真正銘の孤児だった。手がかりとなるのは、孤児の着ていた服のポケットに入っていた名前だけが書かれた手紙と、一振りの剣だけだった。孤児の、“血のつながりのない両親”はその孤児を大事にするわけでもなく、黙って育て上げた。だから、その孤児は両親に対し好き嫌いの感情を持っていなかった――」
ファルは言葉を続ける。
「――だが、孤児は失って初めて分かるものがあることを、両親の死を以って初めて知った。事故死だった。少年は10歳にして一人きりになり、途方に暮れた。少年が一人で生きていくには、強く、ただただ強くなきゃいけなかった。……生きるためには、何だってやった。盗みもした。騙しもした。殺しだって……やった。孤児の世界では、孤児が最強だった。自分より強い奴がいるということが信じられなかった」
ファルは、そこで言葉を切った。
「でも、自分より強い奴に出会った今、僕はもう一度そいつと戦いたい! また負けるようなことがあれば、もう抵抗はしない。お前の手となり足となり、忠誠を誓おう」
ファルは剣を抜いた。太陽は、さんさんと日光を供給している。
「今一度、手合わせ願う……!」
一途な思いを抱いている少年に向かって、ゼロは刀の鞘を放り投げた。
「虎狼九騎将が一人、ゼロ・アリオーシュ。その勝負、受けて立とう」
先手必勝。どことなく似た雰囲気の両者は同時にスタートを切り、激突した。
二人とも小柄で、スピードで相手を翻弄するタイプ。だが僅かながら、ゼロがスピードもパワーも上のようだ。それはつまり、ゼロの方が格上、ということを表している。
だが、ファルの姿勢にはそれを補って余りあるような“勢い”があった。心なしかゼロは押されているようだった。
身をかがめ、低い姿勢でゼロにぶつかっていく。ギリギリまで構え、接近したところで振り出される剣を避けるのは、さしものゼロにも難儀なことであった。
甲高い音を立て二人の得物が衝突した。ついに避けきれなくなり、刀で防ぐ。
ゼロは一旦間合いを取り、鋭くファルの動きを観察した。
ファルの右足が動くのをゼロはハッキリと捉えた。
―――フェイントだッ!
ゼロの読みは的中した。右足をスッと動かしてゼロの左から攻撃しようと見せかけ、実際は逆の動きで右の頚動脈を狙うというファルの速く、正確な技は奇しくも失敗した。見事読みきったゼロは一気に攻勢に転じ、ファルの剣を力いっぱいに弾き飛ばした。それに一瞬気を取られたファルは一気に押し倒され、ゼロは倒れたファルに馬乗りし、左手で彼の右手を押さえ、頬の真横に刀を突き立てた。
まさに、勝負ありの光景。
「俺の勝ちだな?」
ニッと、白い歯を見せてゼロは笑った。その表情にファルは言葉をなくした。
「約束は、守るよな?」
ファルは黙って頷いた。
そしてこれが、“虎狼騎士ファル・ヘルティム”の誕生の瞬間であった。
そして、ファルの虎狼騎士入団から1年が経った。
「ゼロ! 僕が先に敵を全滅させても文句無しだよ!」
虎狼九騎将として、騎士としての立場を確立させたファルは、すっかりゼロの右腕として、弟分として活躍していた。
その目覚ましい活躍ぶりから、戦う際に彼の美しい金髪が乱れ踊ることから、“金乱剣のファル”として敵に恐れられるまでになった。
「虎狼九騎将が一人、ファル・ヘルティムだ! 死を恐れない奴からかかってこい!」
彼の武勇伝が、ゼロの記憶から消えることは、決してない。
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