遥統番外編8

二人記念日











 その日はまさに快晴というに相応しい天候だった。爽やかな風が吹き、さんさんと照りつける陽光が森の木々の葉を輝かせていた。
 その光の下、森の中に人工的に作られた道を、二人の男女が並んで歩いていた。
 どうやらその二人の年のころは学生のようだ。歩き方や振る舞いからして、おそらく貴族学校の生徒だろう。
 女、少女は柔らかな桃色のショートヘアーを歩くたびに小さく揺らし、完璧と言うに相応しい造形美、名工に作られた人形のような美しい顔で笑顔を作りながら、形の良い唇を動かし隣を歩く少年に話しかけていた。
 少年のほうも少女に劣らぬ美しさを有していた。純黒の艶やかな髪をツンツンにし、絶世の美男子と称しても遜色ない顔立ちで小さく微笑み、少女の話に耳を傾けていた。
「そろそろ暑くなりますね」
 額を拭う動作をしながら、少女は少年に話しかける。まだ6月で、それほど暑いわけもないのだが。
 今日二人でピクニックに行こうと誘ったのは少女の方からで、先程から話の話題を振るのは少女ばかりだ。正直、恋人同士、交際をしている筈なのだが、少女はまだいまいち少年の本当の気持ちが分からなかった。
「もう6月だからね」
 きちんと相槌は打ってくれるし、話を聞いてくれないということはない。だが、それでも少女はまだ少し不安だった。付き合い始めて1ヶ月。少女の告白を快く――だと少女は思うことにしている――承諾した少年だったが、どこかまだ余所余所しいというか、保護者のような態度に見える。
 少女はぱっと少年の前に出て半回転し、小首を傾げて少年の顔を下から上目遣いに覗きこんだ。照れたりすることなく、少年は少女を見ていた。
「先輩は、どうして今日わたしとデートしてくれるんですか?」
 笑顔のまま、出来る限り明るい声で少女は少年に尋ねた。
 この質問に、少年は虚を衝かれたような、キョトンとした表情を見せた。少女が見た、久しぶりの微笑と真顔以外の表情だ。
「どうしてかって?」
 立ち止まって、少年は少女の瞳を見つめた。
 少女は姿勢を正してから、こくっと小さく頷く。
「俺って、そんなこと聞かれるほど信用ない?」
 少年の真剣な眼差しに、少女の動悸が高まる。少女は真顔で少年の次の言葉を待った。
「ユフィが好きだから。だから付き合ってるんだし」
 ぱぁっと少女の表情が明るくなる。
「そ、そうですよね!」
 急に元気を取り戻したように、少女はくるっと回ったあと、力強く少年に微笑んだ。
「やっぱり、ユフィは笑ってる方が可愛いよ」
 また彼女といるときに多い微笑を浮かべて、少年は頷いた。その表情に、少女の動機がまた高まったが、それを悟られないように少女は大きく手を振って歩き出した。
―――ゼロ先輩は、いっつも不意打ちなんだもん……。
 照れた頬を赤く染めたまま、若干俯いて少女は少年の前を歩いていく。少年は、少し歩を速めて少女と並んだ。
「え?」
 突然の出来事に少女はぱっと少年の方へ顔を向けた。彼の顔を見たあと、視線を下げる。やはりというか、当然のことながら彼女の予想は当たっていた。
 彼女が照れているのに対し、少年はいたって普通の表情を作っていた。内心は定かではないのだが。
 少女が驚いた理由は明白だった。少年の指が自分の指と絡まっている。手を繋いでいるのだ。
―――やっぱり不意打ち!
 ドキドキした気持ちを隠せず、少女は絡まっている指を動かし、少年の手をぎゅっと握った。すぐさま少年も握り返してくる。
 ちらっと少年の表情を窺うと、目が合った。彼は優しく微笑みかけていた。少女も満面の笑みを返す。
 先程から驚いたりドキドキしたり嬉しくて笑顔を作ったりと、少女の表情は変幻自在だ。
 二人はゆっくりと、歩き続けた。




 ピクニックデートの休日も明けた平日。ユフィは少し上機嫌で登校した。貴族学校が南にあることから、彼女はいつも朝ゆったりとしすぎ、教室に入るのは最後のほうだ。
―――やっぱり、ゼロ先輩はかっこいいよねぇ……。
 窓際の自分の席に座り、昨日のことを思い出す。一緒に手を繋いだこと。自分の作った――正直自信はなかった――お弁当を一緒に食べたこと。そして、好きと言ってもらえたこと。
「ゆっふぃ~」
 1時限目の授業が終わって20分間の休み時間に、友達の女生徒が数人ユフィのところへ寄ってきた。
「ん~?」
「なんか今日嬉しそうだぞ~」
 振り向いたところ、にやにやした友達がユフィの頬をつついてくる。
「えへへ♪」
 誰しもが羨む美しく可愛らしい顔で堪えられないといった風ににやけたユフィを見て、さらに別の生徒も彼女をいじってきた。
「あ~、さてはゼロ先輩となんかあったなぁ~?」
 ゼロ先輩、ゼロ・アリオーシュは現役貴族学校生の中で知らぬ者はいないほどの有名人で、全女生徒の憧れの的だ。際立つ美貌と最強の剣術、さらに知る人ぞ知る料理の腕とモテる男の条件を揃え、ユフィとの交際が知れ渡った今でさえ親衛隊に近い追っかけが存在している。
「昨日デートしたんだぁ」
「え~! いいなぁ~……。どうだった?」
 友達の一人が羨望の眼差しをユフィへ向ける。
「一緒にグリューリー湖に行って、わたしのお弁当を一緒に食べて……えへへ♪ 手も繋いじゃった~」
 彼女の嬉しそうなのろけに、何人かが歓声を上げる。ユフィと親しい交友のある彼女たちからすれば、これ以上ない話の種なのだ。
「あたしも彼氏欲しいな~」
 一人がそう言ったのを皮切りに、恋愛話に火がつき始めたようだった。




 同日の朝、アリオーシュ家の馬車に乗せてアリオーシュ家の3兄弟妹が登校してくる。兄に似た凛々しい容姿の次男リフェクトが兄と妹に手を振って先に教室へと向かう。政術専攻のクラスの彼は学年でも主席を取るほどの優等生なのだ。
「リフェ兄は、まじめさんだよね~」
 妹のセシリアはゼロに手をひかれながら兄にそう言った。彼女もゼロと似通った芯の通った美しさを持っているが、まだどちらかというと可愛らしいという感じだ。ゼロにとっては目に入れても痛くないほど可愛いようだ。
「そうだな~」
 左手で妹の手を握りながら、ゼロは寝ぼけた声で返す。
 毎朝妹を教室に送るのは、セシリアが入学したゼロが11歳の時からの風習だ。
「アニキ、ちゃんと起きてる~?」
「うん~」
 どちらが年上なのか分からない、ゼロがセシリアを送っているはずなのだが、何やら逆に見えなくも無い。
「あ! ゼロくんおはよ!」
 颯爽とゼロとセシリアの横をクラスメートが横切っていく。
 ゼロが答える前、それ以前に誰かを判断する前に彼女は二人から離れていた。
「アニキ! 起きろ!」
 セシリアが力いっぱいゼロの手を握る。そこでようやくゼロは我に返ったようにセシリアの方に振り向いた。
なんだかんだでゼロはセシリアを教室の前まで送り届けた。
「じゃ、また剣術部のときにな」
 頭をくしゃくしゃと撫で回し、ゼロは妹に手を振って自分の教室へと向かった。

 自分の教室に入り、窓際最後列の席に座る。授業開始前のホームルームはどうやら終わっていたようで、もうすぐ授業が始まる時間だった。
 それを知ってか知らずかは分からないが、ゼロは時間などおかまいなしに机に突っ伏して睡眠を始めるのだった。

「授業終わったよ」
 ゼロの隣にやって来て彼の肩を誰かが揺さぶる。
「ついに先生も注意しなくなったな……」
 大らかな性格のシューマでさえ、呆れているようだ。
「ベイト、シューマ……」
 ゼロがゆっくりと頭を上げ、目をこする。
「おはよ、ゼロ」
 冗談交じりの笑みを浮かべて、ベイトがそう言う。
「俺あと今日ずっと屋上行くよ」
がたっと机から腰を上げ、ゼロは屋上へと向かった。ベイトとシューマが目を合わせ、肩をすくめる。寝ぼけているゼロを追い、二人は屋上へと向かった。




 ゼロを追い屋上へと向かった二人だったが、何故かゼロに会うことはできなかった。
「あれ?」
 ベイトが間の抜けた声を出す。
「いねぇな……」
「仕方ない、もどろっか」
 なんとなくゼロの行動が読めたベイトだったが、読めた以上追求できずに二人は教室へと戻っていった。




 ゼロのことをベイトとシューマが追ったことなど露ほども知らないゼロは、1つ下の学年の、魔術専攻クラスへと足を運んだ。何の躊躇いもなくその教室に入る。
 全員で12名のクラスメートたちの視線がゼロへと集まった。
 当然のことながら、彼はユフィのところへと足を運ぶ。
「ちょっといい?」
 ユフィの手を取り、そう尋ねる。突然のゼロの訪問に、彼女は驚き上手く返事ができなかった。それをOKと取ったのか、ゼロはユフィの手を引いて歩き出した。
「あ、ごめん、ちょっとユフィ借りるね」
 一度振り返り、ゼロはユフィと話をしていた女生徒たちに一言断りを入れる。
「先生にうまく言っといてね!」
 ユフィも続けてそう告げ、二人は教室から出て行った。
 しばらく時が止まったように硬直した女生徒たちだったが、しばらくして一斉に黄色い歓声を上げてトークに花を咲かせた。




 校舎の裏庭に値する森の中には、昼休みに昼食をとることができるように多くのベンチやテーブルが置いてある。情緒豊かな教育をするという目的で設置されたものだったが、少々教室から遠いこともあって、昼休みは生徒でごった返す、ということはなかった。
「ごめんね、急に連れ出しちゃって」
 一つのベンチに座ってゼロが話を切り出す。よくよく考えれば、ゼロから何かを切り出されたのは初めてかもしれない。
「い、いえ」
 驚きと嬉しさが半々で、ユフィは少し上ずった声で答えた。
「言おうと思ってたんだけどさ」
「はい?」
「俺のこと呼び捨てにして、敬語もやめてくんない?」
「え?」
 ゼロからの要望、これも初めてだった。
「俺もなるべく家族と話すような感じにするからさ」
「せ、先輩……」
 頬を赤く染め、ユフィは上目遣いでゼロを見つけた。
「先輩じゃないだろ?」
 ゼロの方も少し照れたように、親友の3人と話すときと同じように話す。
「ゼロ……」
 ユフィの声に、ゼロは優しく微笑む。
 すっかり照れたユフィに、ゼロはそっと腕を回した。
 耳元で彼が何か囁くと、ユフィはそっと涙を流し始めた。
 彼は彼女にこう告げたのだ。
『ユフィが心配しなくても、俺の気持ちはユフィから動かないから。俺がずっと側にいてあげるから』と。
 ゼロの手がユフィの顎を軽く上げた。
 察したユフィはそっと目を閉じる。
 優しく、ゼロはユフィの唇に自分のそれを重ねた。
「ゼロ大好き!」
 今度はユフィがぎゅっとゼロに腕を回す。応えるように、ゼロも彼女を抱きしめる。

この日は、二人の記念日となった。


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