遥統番外編13

その名を継ぎし者







「よいか、お前はフーラー家の者として、与えられた命を遂行するのだ。兄たちと違いお前には才能がある。アリオーシュ家とネイロス家、そしてクールフォルト家の者を監視せよ。不必要な接近は無用。諜報部の者となったつもりで任に当たれ。子ども扱いせず、父はお前を一人の男として考えておる」
 その言葉が、まさか若干7歳の、これから学校に入学することを控えた子どもへの言葉だとは誰が思おうか。しかも、父から子へと向けられた言葉だとは。
 しかしながらこれが代々北の諜報部団長を務めるフーラー家のしきたりであり、例外はない。
 そんな父の言葉を胸に、シレン・フーラーは何を思い、貴族学校へと入学したのだろうか。

入学当初は、父からの言われを素直に忠実に、迷う事無く実行していた。クラスは命じられた3人とは違ったものの、それとなく上手くやった自信もあった。
第2、第3学年の頃にはすっかり定着した自分のミステリアスなキャラが周りにも好評というか気に入られて、クラスの全員と情報交換が出来る仲になった。父からの言われは、むしろ誇らしく感じていた。そして第3学年の途中で、シレンはアリオーシュ家とネイロス家の子息がいる剣術部へと入った。初めは彼の入部に周りも驚いていたが、同じく北出身のデルトマウス家の子息がフォローしてくれたおかげでことは難無く進んだ。
だが、彼の学校生活に風雲急を告げる出来事は、彼が第4学年のとき、突然訪れた。

「貴方ねん♪ ずっと私やゼロちゃんの周りをウロチョロしてたのわ♪」
 剣術部が終わり、シレンが珍しく教室に忘れ物をし、取りに行った時だった。
「ムーン・クールフォルト嬢か、何のことだ?」
 微塵もうろたえる事無く言い返す。この年にしてこの落ち着きようだ。少々末恐ろしいものがある。
「嘘をつくのがお上手なのね♪ でも、私の前での嘘は無意味よん?」
 十歳にして、思わず息を飲んでしまうような美貌を兼ね備えた眼前の少女がシレンにプレッシャーをかけてくる。自然と冷や汗が流れ、感覚が麻痺していくように感じられた。
「単刀直入に聞くわん♪ 貴方の目的は何なの?」
「……」
 口達者なシレンが黙り込む。剣術部のメンバーがいたらそれに驚いただろう。いや、それ以上に今彼とムーンの間に生じている空気に何より驚くだろうか。
「北と東の同盟を信じてよいものか?」
 少し迷ったあげく、シレンが逆に尋ねた。ムーンが小首を傾げた。まるで天使のような可憐さだ。
「同盟? もしかして現状のことを言ってるのかしらん?」
「無論だ」
「これはお笑い種ねん♪ でも、今だけは信じてもいいわよん♪」
―――ち、この女、隙がなさすぎる……。
 本気を出せさえすれば、彼らの代最強と噂されているゼロ・アリオーシュに肉薄する実力を持つ彼が、隙だらけのように見えるムーンに一片の隙も見つけられなかった。
「要領のいい言葉だな……。まぁいい、北の諜報部は知っているな? 俺はそこの団長を務めるフーラー家の者だ。……これだけ言えば十分だろう?」
「なぁるほど♪ ええ、十分よん♪」
 ぱっと彼女から発せられていたプレッシャーが消えうせる。だが、まだ安心はしない。それが諜報部という存在に誇りを持つフーラー家の一員としてのシレンの強さであった。
「そうやってシレンちゃんは、友達を騙しながら生きていくのねん♪」
「騙す、だと?」
 シレンの声が僅かに震える。考えたことも無かったことだ。
「だってそうでしょう? 貴方を友達と信じている人たちに対して、貴方は傍に立っているように見せながら、一歩引いた場所で皆を見ているんだもの♪ 裏切り、とも言えるんじゃないかしらん?」
 シレンに、返す言葉がなかった。二人とも大人びすぎている十歳の子どもだが、やはり十歳という事実は変わらない。知識があるとしても、情緒は不安定だ。
 何より、剣術部に入ってさらに距離が縮まった友情が、壊れてしまうのが怖かった。物心つかない頃から隠密行動の基礎を、情報収集の技を教え込まれてきたシレンにとって、深入りせずに情報を集めるのが癖になっているのだ。そう簡単には直せない。
「だが、これが後々の平和に繋がるのだと、父上が仰っていた……」
 うわ言のように、自分に言い聞かせるようにシレンが呟く。すでに、ムーンの話術により彼の精神はボロボロだった。
「その平和へ繋がるために、その情報をどう使うのか、考えたことがあって?」
 ムーンが口元に手を当てて微笑んだ。まるで、悪魔の笑みのようにシレンには思えた。
「情報戦を制する者が戦いを制するのよん♪ つまり、貴方の入手した情報がいずれゼロちゃんたちを滅ぼす可能性があるのよん♪」
 シレンの表情が蒼白になる。もはや、彼の目には暗い光しかなかった。
「それをよく考えてみてねん♪」
 そしてすっとムーンが姿を消す。シレンは、そのまましばらく薄暗い教室の中で一人ただじっと立っていた。


 フーラー家の屋敷へと向かう馬車に乗るのは彼だけではない。今年第7学年の兄がいるが、彼は別の馬車だ。何故彼だけではないかというと。
「シレン様?」
 まだ幼い声がシレンの耳に入ってきた。小さいくせに透き通る、聞き流せない声だ。好きな声と言っても過言ではないのだが、今は何も聞きたくなかった。
「気分がすぐれないのですか?」
 そっとシレンの肩に手を載せ彼を揺さぶる。黙り込んだシレンから何かを感じているのだろう。そういう感覚は小さい子どものほうが多感だ。他の同い年の子どもと比べれば少女は圧倒的に高い知能を見せるはずだが、それも到底シレンには及ばない。それを分かっているから、少女もシレンの前では幼くなってしまう。
 整った容姿で素直に格好いいと称せる黒髪のシレンに対し、少女は第2学年、8歳という年齢に相応した可愛らしさを備えていた。二重まぶたで大きな瞳に、つついてみたくなるような柔らかなピンク色の頬、そして薄暗い馬車の中でもはっきりと分かる金色に揺れ輝くポニーテール。おそらく、ムーンにあのように言われていなければ、素直にこの少女を可愛がることができただろう。だが、どうしてもできない。一人になりたい、そんなときなのだ。
「少し黙れ……」
 初めて二人が出会ったのは、シレンが6歳、少女が4歳の頃。いわゆる許婚、という立場での初対面だったのだが、二人はすんなりと仲良くなることが出来た。単純にシレンが格好良く、少女が可愛かった、というのもあったのだろうが。幾度かシレンの態度に少女が拗ねることもあったが、その度にまだ子どもの少女が両親に叱られ、今では従順すぎるようになってしまった。
 フーラー家の妻は夫に尽くすために存在するのだ、そう教えられ育ったのだ。
「ご、ごめんなさい」
 その声がまたシレンの心を痛める。悪いのは自分だ。それが分かっているのに、どうすることもできない。
「でも、シレン様がつらそうだと、キュアも悲しいで――」
 キュアリス・マテルヴィクタス、フーラー家の分家にあたる北の下流貴族の娘で、フーラー家が諜報部へ優秀な人員を輩出するために、良質の血を継がせるためにシレンの許婚として言い渡された少女だ。
「キュアリスが気にすることはなにもない」
 彼女が言い終わる前にシレンは彼女の小さな身体を抱き寄せた。突然の抱擁に、キュアリスは頬を赤く染め、黙り込んだ。どこか扱いなれている、そんな感じのするシレンの行動であった。


 フーラー家に着いた後も、シレンはほとんど口を開かなかった。父親に自分のしていることを質問しようかとも考えたが、父が3兄弟の中で最も信頼してくれているであろう自分に対し失望するかもしれないと考えると、どうしてもできなかった。
夕飯も半分食べるか食べないかで自室へ向かったシレンは、そのままベッドの上に寝転がった。
―――俺がやってることはいったいなんなんだろうな……。
 確かに諜報部団長を務める父を見ては、自分もいずれはああなりたいとは思う。だが、そのために友達を裏切り、失うものの大きさを考えると正直に足が竦んでしまう。
 父親に命じられて監視しているが、そんなことを抜きにしてゼロは気になる存在だ。ベイトも友達として大事だし、シューマも、ライダー、クローなど剣術部の皆も大事だ。クラスの皆が、大切な友人だ。その彼らを裏切って、彼らを売るような行為はどうしてもできる気がしなかった。今まで何も考えずにそんなことをしてきた自分が恥ずかしい。
「……くそっ!」
 クラスでは滅多なことでもない限り感情を荒らぶらせることのないシレンが、その感情を露わにして枕を殴りつける。冷静沈着を地でいくような彼をここまで混乱させたムーンこそ、さすがというべきか。
「シレン様……」
 気付くと、既に湯殿を終えたキュアリスがパジャマ姿で入り口のところに立っていた。一応彼女も隠密行動の基礎を心得ているとはいえ、シレンが扉の開くのに気付かないほどとは。どうやら相当気が荒れていたらしい。
「なんだ?」
「やっぱり今日のシレン様おかしいです」
 なんだか無性に腹立たしかった。何も知らない子どもに、自分の葛藤が分かるものか。自分でも自分が子どもらしくないことは自覚しているから、そんなことを思ってしまうのだろう。
「黙れ」
「キュアはシレン様と結婚するんですよね? だったら、少しでも隠し事はいやです」
 オドオドしているのは顔を見なくても分かる。だが、声だけは凛としているのだ。
「黙れ!」
 シレンが起き上がり扉の前に立つキュアリスを威圧する。だが、彼女は視線を逸らさずにシレンの目を見返してきた。逆にシレンがたじろぐ。
「シレン様。キュア、嘘はきらいです」
 ぐっとシレンと顔を近づける。キュアの純粋な瞳が、シレンには辛かった。ぐっと拳を握り締める。
「ホントは、話して楽になりたいのじゃないですか?」
 パンッ、と乾いた音が響いた。キュアが頬を赤くしながらも、それでも、まっすぐシレンを見ていた。彼の瞳を覗き込んでいた。汚れの無い、純粋無垢な瞳で。
 その瞳に耐え切れなくなり、シレンがキュアを抱きしめた。
「……んで、なんでお前はそんな目をしてるんだよ」
「キュアは、シレン様を支えたいんです」
 シレンはキュアリスを抱きかかえ、自分のベッドに座らせた。そして自分も彼女の隣へ腰を下ろす。
「俺は何故フーラー家のしきたりに則り友達を観察し、それを報告なんかしているんだろうか?」
 口調が、普段の彼に戻っていた。それに気付いて、少しだけキュアリスの表情が明るくなる。叩かれた頬は、まだ少し赤い。
「これは、友達に対する裏切りじゃないのだろうか?」
「……秘密のお話しですよ?」
 突然キュアリスがシレンの話を切る。だが、自然と彼女へと視線を移せた。
「キュアも、お義父様にシレン様を監視するように申し付けられているんですよ?」
 衝撃の告白だった。だが、シレンは持ち前の冷静さで平静を保つ。
「でも、本当のことはほとんど言っていません。だって、シレン様のためにならなさそうなんですもん」
 クスクス笑いながらキュアリスがそう言う。まるで悪戯を隠していることを打ち明けた子どもだ。
「おい、父上に打ち明けるぞ?」
「秘密って言ったじゃないですか~」
 普段のキャラに戻ったシレンの腕にキュアリスが絡む。シレンも不敵に微笑むだけで、振り払ったりはしない。
―――嘘を言う、か。
 嘘を言うのなら大得意だ。大見得切って言えることでもないのだが。
 しかし、この考えに至ったのも小さな許婚がいたからこそだ。今はキュアリスに感謝せねばなるまい。
「キュアリス」
「なんでしょう?」
「恩に着るぞ」
「許婚、ですから」
 最後までにこにこ微笑み続けながら、キュアリスは答えた。


 翌日から、シレンの態度が急変する、ようなことはなかった。
 普段通りに生活し、普段通りに友達の監視した結果とは“違うこと”を真実っぽく報告し、夜にはキュアリスとその事実を話し合う。そんな日々を過ごしていった。



 月日は流れた。
「シレン様」
 完全能力主義のフーラー家の家督を継いだシレンは、北の諜報部団長として東西南北の平和をかけた統一戦争で縁の下の力持ち的な存在として活躍した。その傍らには常にキュアリスがいたという。
「西王の居場所は中央に間違いありませんね」
「そうか」
「そうか、って……。ゼロ様は、シレン様のご親友ではないのですか?」
 素っ気無い態度のシレンを見て、キュアリスが質問する。彼は思わず苦笑いを浮かべた。
「親友、あれが親友か。そうだな、親友か」
 そんな彼を見てキュアリスが小さく微笑む。きっとシレンの気持ちを悟ることが出来たのは、世界広しと言えども、彼女をおいて他にはいないだろう。


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