遥統番外編16~前編

護りたいもの~前編~










 アスター・リッテンブルグ。東の中流貴族リッテンブルグ家の三男で、貴族学校卒業後は本人の意思により東の王国騎士団へと入団。北の属国化となりつつあった東を象徴するかのような腐敗しきった東の騎士たちの中において、メキメキと頭角を現し、ムーン台頭革命においても旧体制の保守的な貴族を打倒し、その功績から東の聖騎士とまで呼ばれるほどになった。統一戦争自体に関してはあまり積極的ではなく、連合軍との最終決戦ではムーンに頼まれクールフォルト家内にて連合軍の精鋭部隊と衝突、連合軍の総大将であり、貴族学校時代の学友でもあった“死神”ゼロ・アリオーシュを相手に戦った。



「あ~すたぁ?」
「ん~?」
 その日、リッテンブルグ家には西から可愛らしいお客さんがやってきていた。フェミル・フォーハーブ。西の中流貴族で、2年前の、13歳の頃から付き合っている大事な女性だ。
 貴族学校時代から彼女は変わらない、いつでも優しく、無邪気な微笑みを見せてくれる。それが何よりアスターにとって嬉しかった。
 緩やかなウェーブのかかった金髪に、長いまつ毛とくりっとした大きな瞳。青がかかったような真っ直ぐな瞳は彼女の純粋さを如実に表していた。全体的に華奢な感じだが、守ってあげたくなるような彼女のことが、アスターは本当に好きだった。
 整った顔立ちが見せる優しげな微笑で見つめられ、フェミルは思わず顔を赤くした。貴族学校時代にカッコイイ男子はいっぱいいた。だが、その中でもアスターは彼女の中で一番のヒーローだったのだ。
 隣の席になったとき、アスターはいつでも優しかった。会えば必ず挨拶してくれたし、彼女が何か忘れたときには必ず貸してくれた。第5学年の時に剣術部に入ったのも、彼に憧れたから、というのが本当の理由だ。
 そんな彼女の気持ちを察してくれたのか、第6学年に進級する直前の春休み、剣術部の練習が終わったあとにアスターが彼女に好きだと言ってくれた。
 嬉しすぎて倒れてしまうかと思ったのを、フェミルはいまだに鮮明に覚えている。
「軍、楽しい?」
 それでもやはり貴族学校を卒業してしまえば、学生時代の何倍も、貴族身分が鎖となり、会う機会は格段に減ってしまった。だから、今日彼女がリッテンブルグ家にやってきたのも、だいたい2ヶ月ぶりの再会だ。彼が軍に入った、というのが最も大きな会えない弊害だろう。東は西と位置的に遠いとはいえ、友好関係が良いとは言えない。むしろ東が西の敵対している北のほぼ属国扱いのため、間接的に敵対していると言っても過言ではないだろう。まだ年若いのアスターといえど、機密を洩らせば、殺される。
 正直なところ、今回のフェミルの訪問はかなりお忍びだ。
「俺がやってることが平和への礎になるなら、これ以上のことはないよ」
「……アスター、そういうこと言うのって小説とかだと死んじゃう人だよ?」
 カッコイイことを言ったつもりだったアスターは、フェミルが頬を膨らませてしまったのを見てがくっと肩を落とした。軍というものをきっと彼女は漠然としか知らないのだろう。たしかに、貴族学校を卒業して軍に入る女子は少ない。
「はは、大丈夫さ。情けない話、北がやられちゃえば東も必然的に降伏せざるを得ない。俺たち、あんま強くないからね」
「そうなの?」
 首をかしげて反問してくる彼女をみて、アスターは心温まる感じがした。この先何があっても、彼女を守りたい。純粋にそう思う。
「そうだよ。武術じゃ西の虎狼騎士には及ばない。魔法は到底南の四大貴族には敵わない。総合的な力じゃ、北のアイアンナイツには届かないのさ」
 肩をすくめる彼を見て、フェミルが面白そうに笑った。
「じゃあわたしも虎狼騎士になれば、アスターより強くなれるかなぁ?」
「お前……虎狼騎士になるってのがどんなことか分かってるのか?」
「あ、それどういうこと~? たしかにゼロくんとかミリエラには到底及ばないけどさ! わたしだって、剣術部だよ?」
「分かってるよ……。でも、フェミルが騎士にならなくても、そのうち平和は訪れるさ! だから、お前はそのときまで無事でいてくれよ?」
「へ? それ、どういう……?」
「平和になったら、必ずお前を迎えにいくさ」
 照れながら、アスターが隠さずに真っ直ぐな気持ちでそう言ったのを聞いて、フェミルは何も言えなくなった。
 と、そこに。
「アスター様!」
 ノックも無いまま、突然二人のいる部屋の扉が開けられた。
「まずいことになりました。北王オーゲルドより、南へ攻め入れとの命令です」
「なんだと?」
 無遠慮にもアスターの私室へと入り込んできた若い付き人の青年の発した言葉に、アスターは彼を叱責することも忘れた。
「南は西との同盟国。フェミル様も、陛下に気付かれる前にお帰りになられたほうがよろしいかと……」
 悲しそうな目でフェミルを見てきたこの青年の言葉に、フェミルの表情に不安の色が浮かんだ。
「フェミル、大丈夫。またすぐ会えるさ」
「でも……」
 もう少しここに居たい気持ちは嘘じゃない。ずっとここにいてもいいと思えるほどだ。だが、アスターに迷惑をかけたくない。その気持ちがあるのもまた事実。
「戦いが終わったら、今度は俺がフェミルに会いにいくよ。だから」
「……うん」
「西との国境までは、責任もってこちらでお送り致します」
 入ってきたと同様、急いで青年が馬車の手配へ向かう。二人残されたアスターの私室に、どんよりとした空気が漂っていた。
「アスター」
 フェミルが今にも泣き出しそうな表情で彼を見つめる。
「偉くなんてならなくていい。絶対、無事でいてね……」
「分かってるよ」
 アスターはフェミルを抱きしめ、彼女を送り出したあと、黙々と戦いの準備を始めた。まだ15歳とはいえ、彼が東の騎士団内で占めるウェイトは大きい。その信頼に応えるためにも、彼女のためにも、死ぬわけにはいかない。





貴族学校第2学年が始まったある日、私は些細なことで友達と喧嘩しちゃったの。どんなことで喧嘩してたのかは忘れちゃったけど、喧嘩相手の女の子が他の男の子に言ったら、一方的に私が悪者扱いされちゃって、私はどうしようもなくて泣いちゃったんだ。そうしたらね。
「おい! よってたかって一人をいじめるなんて、貴族らしくないぞ!」
 最初、助けてもらってるなんて思わなかった。私もだけど、他の4人もきょとんとした目で彼を見つめていたし。
 だってさ、普通助けてくれるんだとしても、貴族らしくないぞ! なんて言わないでしょ? でも、私はそれがすっごく嬉しかった。それ以降アスター=正義の塊、なんてイメージが出来ちゃったけど、私は全然気にならなかった。むしろ、そんなアスターに憧れた。アスターは、私のヒーローだったんだから。
 アスターが好きって自覚したのは、たぶん第3学年になってからかな。





 だが、運命とは皮肉なもので、二人を引き裂いた戦いを皮切りに、南西と北東の戦いは激化。約2年間、二人が再びまみえることはなかった。

 そしてついに、エルフの森全土に電撃を走らせる事件が起きる。東の王女、ムーン・クールフォルトによる北王オーゲルド・ラックライ暗殺。そして、東の国王であった父親をも暗殺。兄であるライト・クールフォルトを国王へ推し、東は、西南はおろか、北へも宣戦布告をしたのだ。



「……やってくれたもんだ」
 王国騎士のトップクラスの実力者が、その日ムーンにクールフォルト家へ召集されていた。それも、全て19歳未満の、若い実力者だけ。
「でも、あの腐敗仕切っていた現状を打破できた。それはもしかしたら東の光明となるのかもしれないわ」
 そう、今回の件は全てが彼女の独断による者で、未だに東の者たちも動揺を隠せなかった。
「アスターは、どう思う?」
 すぐ側で、貴族学校時代の同窓生たちがムーンのやってしまったことについて話しているのは気付いていたが、自分に話がふられたことに、アスターは全く気付いていなかった。
「え?」
「おいおいしっかりしてくれよ。こんなかじゃ一番お前が実績あるんだぜ?」
「ムーンについて、どう思う? ってことだよ」
「そ、そうだな……。勝つにせよ負けるにせよ、統一戦争の終わりが見えてきた気がするよ」
 話を聞いていなかったはずだったのだが、皆一様にアスターを見つめていた。仮にも東の騎士であるというのに今の発言。下手すれば、殺されてもおかしくない。
「いい視点で物事を対極的に見れる奴、いるじゃねえか」
 と、そこで突如聞き覚えのない声が割って入ってきた。
「ルー?!」
「久しぶりだな、アル。親父の都合で、こっち来ることになっちまったよ」
「これからは仲間だから、よろしくね」
―――ルー・レドウィンと、ジェシカ・レドウィンか……。確かに戦力として、噂どおりならありがたいな……。
 アスターは、突如室内へ入ってきたルーとジェシカを取り巻く輪の中に入らず、少し離れて輪を見つめていた。
―――アル・オーレイ、リヴァス・ベルテンダル、ゼリオ・ヴォック、ランフェル・カータード、セリラ・ヒューレン、ヴァド・コーセルバイト、ヒューネ・フェラッセ……それにルティーナ・フォードか……。
 アスターの考えでは、何かもう一つ、大きな力が必要だった。今ここに集まっているメンバーも確かにかなりの実力者だ。だが、ムーンを除くと、西のゼロ・アリオーシュや南のフィールディア・フィートフォトやユフィ・ナターシャなど、実力とカリスマを兼ね揃えた人材に欠けるように思えた。
―――聖女マリア、か……。
東の聖女と謳われる清楚可憐な歌姫、マリア・フィーラウネが戦場で兵士を鼓舞してくれたらと思うが、それは酷なことだろう。仮にも魔術専攻クラスで戦闘術を学んだとはいえ、彼女のそれは明らかに実戦レベルではなく、たしなみ、護身術程度なのだから。だからこそ、護ってあげたくなるような彼女を思慕する者は多い。ムーン同様かなりの美しさを持つが、ムーンとは違い、接しやすい、話しやすい優しさが彼女にはあるのだ。
アスターとフェミルの事情を知らない東の多くの民が、彼とマリアとが一緒になることを望んでいるとは、もっぱらの噂だ。
―――西に行けたら、どれほど楽なことか…・・・。
 ふと心の中に、2年前に会ったが最後、ずっと会っていない彼女の顔が浮かんだ。
―――何を考えているんだ俺は……。騎士たる者、主君に背くなど、あってはいけない……。
 そんな彼の悩みなど、誰も知ることなく、再び室内に気配が侵入してきた。
 全員の視線がそちらへ集まり、室内に緊張が走った。一人はこの場にいる誰もが知っている、いや、東の者ならば誰しもが知っている、今最も注目されている人物だ。美しい、あまりに美しすぎる容貌に、自然と目が奪われる。そしてその隣に二人の見知らぬエルフが立っていた。
「集まってるわねん♪」
 いつも思うのだが、アスターは彼女の話し方があまり好きではなかった。なんだか人を小ばかにしたような軽口は、貴族学校時代から聞いているのだが、どうしても好きになれない。武術専攻クラス随一の堅物と言われていた彼だからなのかもしれないが。
「まずは、ルーちゃん、ジェシカちゃん、よく東へ来てくれたわん♪ 正直なところ、私たちだけじゃ西南北を相手にするには分が悪いと思っていたところ、嬉しいわあ♪」
 歓迎の意を表す彼女に対し、ルーはそっぽを向いていたが、ジェシカはムーンと軽い抱擁を交わした。同級生だった彼女らだ。仲は悪くないのだろう。
 だが、彼女の話しぶりでは、あまり危機感が伝わってこない。
「それで、そちらの二人は?」
 その場にいるメンバーを代表して、アルがムーンに尋ねる。確かに、彼女の隣に立つ男女は、全く見知らぬ存在だ。
「あ、紹介するわん♪ ヴァルクちゃんとコトブキちゃん。ジェネラル孤児院の有望な戦士よん♪ これからは部隊の体長として活躍してもらうわん♪」
 瞬間、全員の表情にざわめきが起こった。基本的に、エルフの森の戦争は、貴族が平民たちを代表して先頭に立ち、彼らを先導して戦いを進めるのだ。貴族と平民との身分差は自然と従順意識を促し、その貴族自体に人望さえあれば、取り立てて問題が起こることもない。平民身分で軍部の上位階級に抜擢されるケースも、大抵の場合軍部内で獅子奮迅の活躍を見せた人気の高い者しか上位階級にはいけないため、納得されるのが常だ。
それが、いきなり幹部クラスに、しかも孤児院という身分的にも最下層に近い彼らをその身分に持っていくなど、下流貴族を中心にした一種の反乱が起きても不思議ではない。
「ヴァルク・ジェネラル。こっちは妹のコトブキ・ジェネラル。ハーフエルフだが、お前らより実力はあるつもりだ。いっとくが、馴れ合うつもりは一切ない。足だけは引っ張らないでくれ」
 最初は貴族の余裕を見せるような視線で彼らを見ていた一同の顔色があからさまに変化する。なんだこいつらは、というのではない。ハーフエルフ、その事実に驚いたのだ。エルフの森において、東西ではハーフエルフ、エルフとヒュームの混血児をエルフとして明確に人権を与えているが、それでもやはり差別的な扱いを受けるのは避け得ない。エルフの血が濃いハーフエルフはそれでもまだマシだが、ヒュームの血が濃いヒューマノイドエルフなどは完璧に迫害され、エルフの森内からは追放されてしまう例も少なくない。追放されるのはまだいいほうだ。一方的なリンチで殺される者もいるのだから。
 だが、誰も何も言えない。騎士として、かなりの実力があるから嫌でも分かってしまうのだ、実力の優劣が。この男は、やばい。全員の本能にその情報がインプットされる。
「これからはみんな仲間よん♪ “平和”のため、頑張りましょう♪」
 その後つらつらとムーンが今後の方針を話し、ルーとゼリオと先ほどのヴァルクという男がムーンに呼ばれていたが、自分には関係のないことと思い、アスターは自分に与えられた僭主的地方貴族、オーチャード家討伐準備のため、心の中に苦いものを感じながらリッテンブルグ家と帰っていった。




 あれは第6学年の宿泊学習の時だったか。お楽しみの一環で、肝試しをやったとき。フェミルが俺に、卒業後戦争してなかったら、東に来てもいいかと言ってくれた。正直、あの時は嬉しすぎてろくな返事もできなかったのを、今でも克明に覚えている。
 あの時からか。
 フェミルを護りたい、何に代えても、フェミルを護りたいと思い始めたのは。




 ひどく懐かしい夢を見た。貴族学校時代の、まだ敵味方など考えなくてもよかった、生きてきた17年間の中で、最も楽しかったときのことを。
「……オーチャード家か……。くそ……!」
 出陣の準備を終え、アスター率いる17人の兵士とともにムーン台頭革命以前の東の上流貴族、オーチャード家へ馬を進める。抜群の天運を以て、経済の面で上流貴族へ登り詰めたオーチャード家だが、ついにその天運も尽きたのだろう。ムーンに反する時点で、彼らの命運は決まったのだ。
 ただ、アスターの心のしこりとなるのは、オーチャード家の次女イクスティが、アスターにとって、同窓生だということであった。



 出陣から、3時間ほどが過ぎたか。既にオーチャード家には火が放たれ、その資財はアスターの率いた兵たちが回収を終え、当主のオーチャード郷も既に粛清が下されていた。しかし、未だにオーチャード郷の3人の子どもの粛清報告は届いていなかった。
「俺が中を見てくる。30分経っても俺が戻ってこなかったら、兵を引き上げ、粛清の完了をムーンに伝えてくれ」
「アスター様?!」
「これは命令だ」
 そういい残し、アスターは兵たちに見守られながら、単身焼け崩れていくオーチャード家へと入っていった。


「思ったより、まだ火は回ってないのか……」
 普通に呼吸が出来るのが、救いだったのは違いない。だが、それは彼にとって何の気休めにもならなかった。
「ここで死ねたら、楽かもしれないが……。意外と約束とは心に影響するもんだな……」
 先ほどから視界に入ってくるオーチャード家に仕えていたであろう従者たちの死骸をわき目に、独り言を呟きながらアスターは奥へと進んでいった。

彼は目的の3階フロアへ辿り着いた。長兄の部屋を見つけ、無造作に扉を開ける。
瞬間、アスターは顔をしかめた。嫌な臭いが充満している。鉄臭い、血臭だ。
「自決する覚悟があるなら、投降する勇気も持てただろうに……」
 哀れみを含んだ目で亡骸に冥福を祈る印を切り、アスターは長女の部屋へ向かった。
 少しでもまだ生きていてくれれば、と望んだが。扉の前で、既に先ほど嗅いだ嫌な臭いがした。確認することも避け、先ほど同様に印を切り、重い足取りで次女、イクスティの部屋を探した。

「ここか……」
 長兄、長女とは少し離れた場所に、彼女の部屋はあった。明らかに、中から人の気配がする。彼女についての知識はあまりなかったが、一応魔術専攻クラス出身ということで、慎重に扉を開けた。
「こないで!」
 開けた瞬間に響いた声に反応し、アスターは咄嗟に通路へ身体を投げ出した。開けたはずの扉があるべき場所では扉が跡形もなく消し飛び、部屋の反対側の部屋の扉も激しく損壊していた。
 予感的中、イクスティが魔法を用意していたのだ。次の詠唱を完成させる前に、アスターは彼女を押さえ込んだ。
「きゃ!」
 馬乗りになり、剣先を喉へ突きつける。イクスティが涙を蓄えた怯えた瞳でアスターを見つめていた。
 緑色の真っ直ぐに伸びた美しい髪の毛に、整った輪郭と意志の強い瞳が、彼女の特徴だった。その瞳も、今は恐怖に染まっているが。
「覚悟は、出来ているか?」
 出来る限り感情を押し殺した声で、アスターはそう告げた。
「イヤ……イヤ……死にたくないよ……アスターくん、助けてよ……」
 震えた声音で、必死に彼女が嘆願してくる。その瞳を、アスターは直視できなかった。
―――彼女一人生き残り、牢獄に繋がせるくらいなら……。
「オーチャード家は……選択肢を間違えた。一度主人に噛み付いた犬を、ムーンは決して許さない。……すまない」
 これ以上彼女の声を聞いていたくなかった。一刻も早くこの場から逃げ出したかった。だからなのだろうか。彼女へ終焉を知らせる右手は、思いの外簡単に動いてくれた。
 悲鳴も、なかった。
 ただ、彼女の生気なき瞳が、アスターを凝視したままで。
「お前の死が、いずれ平和の礎になるんだ……」
 その言葉は、イクスティへ向けたというよりも、アスター自身へ告げているような。
 彼女の最期を振り払うように瞼を閉じさせ、自分が手を下した亡骸に冥福を祈り、アスターは火の勢いが増したオーチャード家から脱出した。
こうして、ムーンへの反抗貴族への粛清が、また一つ完成された。




 騎士になって以来、俺は俺の正義を貫いてきた。明らかに戦う意志を失ってる者は見逃し、瀕死の仲間を必死に助け、甘ちゃんだと罵る年配の騎士たちも気にせず、俺の正義を貫いてきた。
 それも全て、フェミルが俺の心の中で笑い続けてくれていたから。フェミルの笑顔を護るための平和が、何よりも欲しかったんだ。




 オーチャード家事件からしばしの時を経て、東はルティーナ・フォードを総大将として南へ出兵した。その軍団の先発隊としてルーが任命され、アスターはヴァドとセレラと共に、本体へと配属されていた。
「南相手っていうと、あのじゃじゃ馬が相手なのかねぇ」
「フィールディアは、素直で可愛らしい子だと思うけど。ねぇ、アスター?」
「……ノーコメントだな」
 彼女の性格に振り回されたことがないのは、武術クラスではゼロ・アリオーシュとシレン・フーラーくらいなものだろう。特に演劇発表後の打ち上げの際、アルコールでスイッチが入った彼女の暴れっぷりは、未だに忘れられない。
「西の援軍が来る前に片をつけたいところだ」
 遠くを見るような目でそう呟いたアスターの心境を知る者は、いない。



 しばらくの間、数で押す東が優勢な状況が続いた。最前列から何やら慌てふためいた悲鳴が聞こえてくる。
「ち、ゼロがきたのか……」
 それは東にとって悲報に近かった。西の死神ゼロ・アリオーシュと言えばエルフの森で知らぬ者のいない有名人だ。男性の中でその美貌は森の中で随一と言われ、戦闘力に関しても東西南北の五指には入るだろう。さらに、貴族代表政を敷いていた西を王制に変え、西王と名乗ったことでも脚光を浴びた男だ。
 一目自分も彼の戦いぶりを見ておこうと思い、軍団から一騎離れ、前線へと馬を進める。
「む?! おい、どうした?!」
 だが、突如彼の愛馬が嘶き、彼の行こうと思っていた進行方向とはかけ離れた方向へ馬が走り始めた。手綱でいくら操ろうとも操れず、アスターは止まらない愛馬に連れられるまま、戦場から離れていった。



―――落ち着いて、フェミル。大丈夫、大丈夫よ。私の役目は魔法による支援と負傷兵の治癒……。普段通りやれば、何の問題もないわ……。
 まだ幼さの残る美少女が、あまり似合わっていない、西の兵たちから羨望の対象となる虎狼騎士の制服に身を包み、歩を進めていた。周囲の男性騎士がちらちらと先ほどから彼女へ視線を向けている。守ってあげたくなるような、そういうオーラを感じるのだろうか。
「フェミル、そんなに緊張しなくても、大丈夫よ?」
 そっと隣を歩く女性が声をかけてくれた。美しい、というよりも、どこか小動物のような愛嬌を覚える笑顔が魅力の女性だった。フェミルとは対照的に、戦場でも余裕を漂わせる彼女、エレミア・ヴェルフォラジャは、貴族学校卒業後即王国騎士となった、西の下流貴族ヴェルフォラジャ家の六女だ。
 今回の出陣が、フェミルにとっては3度目の、虎狼騎士としては初の出陣なのだ。緊張するなと言っても、無理なことなのかもしれない。
「エレミア……」
 やはり自分に騎士は向いていなかったのかもしれない、幾度となくそう思ったが、今はこれまで以上にそう感じた。
 だが、彼女の胸の奥底にある信念を揺るがすほどには至らない。
 大好きなアスターが命を賭けて平和を求めているのだ。自分も何もしないではいられなかった。だから、彼と敵対することとなろうとも、騎士となり平和のために働こうと思ったのだ。
「うくっ?!」
 突如、フェミルの頭に激しい頭痛が起こった。あまりに唐突なのに、信じられないほど激しい痛みにフェミルはその場にうずくまった。だが、すぐさま痛みが治まる。
「行かなきゃ……」
 彼女の頭に残ったのは、根拠のない衝動だった。誰かは分からない、誰かが自分を呼んでいるような。
「フェミル?!」
 軍の隊列から離れ、全力疾走でフェミルが遠ざかって行く。追いかけることも出来ず、エレミアは呆然とフェミルの走っていった方向を見つめていた。



 少し開けた空間へ出たところで、やっと愛馬が止まる。5分ほど全力で走ってくれたおかげで、すっかり部隊と離れてしまった。
「いったいどうしたってんだ?」
 愛馬から下り、近くの木に留める。
 困り果てたアスターが、ふと視線を向けた先に、見覚えのある女性が同じようにこちらを見つめていた。
 時間が止まったような錯覚を覚える。
「フェミ……ル?」
 アスターは無意識の内に彼女の方へ足を運んでいた。彼女は、驚きと感動で声も出ないのか、涙目になりながら立ち尽くしていた。
 彼女の目の前まで近付き、アスターはそっと彼女の涙をぬぐった。
「フェミル、だよな?」
 小さく彼女が頷いたのを確認して、アスターは力いっぱい彼女を抱きしめた。ずっと、ずっとこうしたかった。抱きとめて、もう二度と放したくなかった。彼女も、精一杯の力で抱き返してくれている。それだけで、胸がいっぱいだった。
 言いたいことはいっぱいある。今までどうしていたか。何故彼女がここにいるのか。どうして騎士になったのか……。だが、彼女に再び会えた。それだけで、アスターのそんなちんけな疑問は吹き飛んでしまっていた。
「会えるなんて、夢にも思わなかったよ……」
 懐かしの、彼女の声。ずっと望んでいた人と、出会えた奇跡。
「俺も……。嘘みたいだ……」
 涙を溜めながらも、目いっぱい微笑んだ彼女がアスターの頬をつねる。
「夢じゃ、ないよね?」
「……ああ、そうだな」

 それからしばらく、会えなかった2年間について話をした。どちらもずっと会いたがっていたというのが分かり、照れくさくなりながらも、そこで二人は初めてのキスを交わした。今が戦いの真っ最中でなければ、もっと、ずっと話していただろう。
 だが、幸せから現実を呼び覚ますように、遠くで歓声が聞こえた。戦局が大きく傾いたのか、決着が着いたのか。
「最終決戦は近い。それが終わったら、また会おう」
「……うん!」
 最後に再び抱擁を交わし、二人は名残惜しみながらも、それぞれの部隊へ戻っていった。

 アスターが部隊へ戻ると、東の軍勢は撤退間際の状況だった。数で圧倒していたというのに、アルとルティーナが撤退し、ルーが討たれたとなり、撤退を余儀なくされたらしい。
 自分が残っていれば、指揮官交代でまだ戦えたかもしれないと思うと、歯がゆい思いだったが、フェミルと会えたことを思えば、納得するしかなかった。



 戦いから帰還したアスターのもとへ、予想外の女性が現れた。
 自宅の自室にいたというのに、全く彼女の侵入は予想できなかった。これが、空間転移魔法というものなのだろう。
「アスターちゃん♪ ご苦労様だったわねん♪」
「ムーン……様」
 驚きを隠せずに、アスターは彼女の前に跪いた。
「そんなに怖がらないでいいわよん♪ ちょっとお願いがあるだけだから」
―――お願い?
 怪訝そうな目で彼女の顔を窺うと、いつも以上に微笑を浮かべているような気がした。まるで、自分とフェミルが会っていたのを知っているような。
「次の戦いが、おそらく最終決戦になるわん♪ 東と、西南北の連合軍の全面衝突。それで、きっとゼロちゃんたちは少数精鋭でクールフォルト家内に進入してくると思うのん♪ そのときに、どちらかが死ぬまで戦いを続けるデスゲームに、アスターちゃんも参加してほしいのよん♪」
 明らかに、簡単に承諾できる話ではなかった。それはつまり、死ぬ可能性を大きく含んだ戦いに参加せよとのことだろう。
「……断る、と言ったら?」
「貴方ほどの男なら、答えはわかってるはずよん♪」
 瞬間、ムーンの瞳が妖しく輝いた、ような気がした。同時に、アスターの脳内を覗かれているような錯覚も覚える。答えは、一つしかないようだ。
「……分かった。ゼロだろうが誰だろうが、俺が倒してみせる」
「あは♪ 良かったわん♪ それじゃあ次に召集をかけたとき、それが合図よん♪ よろしくねん♪」
 彼女の姿が再び消えたのを確認してから、アスターはベッドに腰を下ろし、頭を抱えた。
 最悪だった。確かに、昔よりは強くなった。貴族学校時代のゼロにならば、勝てるかもしれない。だが、それはあくまで過去の彼だ。彼も幾多の戦場で技を磨き、強くなっていないはずがない。
 ゼロと対峙することになれば、勝算は無いに等しかった。
 だが、東を見限って逃げることは、彼の信念が許さない。
 アスターは覚悟を決め、剣の修練を始めた。



 アスターがムーンに宣告された、それよりも少し後のこと。クロー・ユヴェルデーテスを初めとする数人の虎狼騎士が、ゼロ・アリオーシュのもとを訪れた。それにひょっこりとくっ付いて行ったフェミルだったのだが、ゼロの発するオーラの前に、彼女は完全に萎縮してしまい、言いたいことが言えなかった。
 だから、その翌日。彼女は改めて、彼の所へ足を運んだ。

 昨日のように、西の王城、ホールヴァインズ城へ足を運び、手近なメイドに用件を伝えると、応接間で待機するように言われた。ここまでは、全く昨日と同じだ。違うのは、今日は自分だけということか。
「悪い、待たせたな」
 すっと耳に入ってくる美声がフェミルの耳に届いた。昨日も聞いたのだが、やはり素敵な声だと思う。
「それで、今日はどういった用件なんだ?」
向かい合って見つめられると、思わず視線を逸らしてしまいたくなる。アスターが好きなのは変わらないが、それとは別な意味で、ゼロは見とれてしまう存在だった。
「あ、あのね……」
おずおずと話し出す。話すことは昨日決めたから、大丈夫なはずだ。
「今度の戦いが、きっと最終決戦なんだよね……。ってことは、ゼロくんは、敵を殺すんだよね?」
 話の意図が見えず、ゼロが不思議そうな顔をしていた。確かに、何を今さら、というような内容なのは自分でも分かっている。
「ああ、おそらくな……」
 語尾が濁るのは、殺すと簡単に言いたくないからだろう。そんな些細なことから、彼の性格を知ることが出来、フェミルは改めて自分たちの王が彼で良かったと思った。
「それは、やっぱそうだよね。で、でさ、覚えてないかもしれないけど、私、アスターと、付き合ってる、じゃん?」
 ゼロが頷いた。
「剣術部内であれだけいちゃいちゃされたら、そりゃ覚えてるさ」
「ちょ! ゼロくんだって人のこと言えないでしょ!」
 ゼロのからかうような発言にフェミルは顔を赤くさせ、言い返した。確かにいちゃいちゃしていたかもしれないが、同じ部に所属しているという面では、ゼロと彼の付き合っていた女性、現ユフィ・アリオーシュ王妃よりはマシだと思う。何度か彼女を練習に連れてきて、練習そっちのけでゼロが彼女を構っていたのは、忘れもしない。
「まぁまぁ。それで、お前はアスターを殺さないで、とでも言いに来たのか?」
 軽くたしなめられ、そしてさらっとゼロが言った言葉に、今度はフェミルは心を読まれたようで、顔が青ざめるのを感じた。
「図星か……。分かった、と言いたいところなんだが、俺にもあいつにも、立場ってものがある」
「立場……」
「俺は西王、そして連合軍の総大将として戦わなきゃならない。知人だからって理由で情けをかけて、足元をすくわれるわけにはいかない。それに、アスター・リッテンブルグは、東の聖騎士と呼ばれる男だ。ムーンが、重用しないわけがない。きっと、大事な局面で当ててくるだろうさ」
 彼の憂いを帯びた表情に、フェミルは反論も相槌も出来なかった。彼の言っていることは正しい。そして、自分の言っていることは、都合が良すぎる、甘すぎる話だ。
「お前は、何のために虎狼騎士になったんだ?」
「私が、騎士になった理由……?」
「もう一度考え直してみれば、俺の言いたいことが見えてくるかもな」
 そういい残し、ゼロは応接間から出て行った。一人残されたフェミルは、しばらくの間黙って考え込んでいた。




「なんで、フェミルは騎士になったの?」
 私の初陣前、既に虎狼騎士として活躍しているミリエラが、私に声をかけてくれた。
 ミリエラといえば、女性虎狼騎士の中では群を抜いた実力者で、しかも魔法剣士で、綺麗で……女の私でも憧れてしまうかっこいい女性なのだ。
 そんなミリエラの問いかけに、私はすぐには答えられず、ちょっと間をおいてから、こっそりとこう言った。
「アスターが、平和のために頑張ってるから、私も、何かしたくて……」
 そう言ったら、ミリエラは信じられないって顔をしたの、今でも覚えてるや。
「アスターって、東の? フェミルが騎士になったって、アスターとは敵同士じゃない。なんだか、矛盾してない?」
 確かに、ミリエラの言うことは最もだと思う。戦場で会ったら、嫌だとは思ってた。だけど。
「でも、アスターが命懸けてるんだから、じっとしてなんかいられないよ。私の頑張りも、アスターの頑張りも、両方ともが平和に近づけてくれると信じてるから。私は、騎士になったの」
 そのあと、ミリエラが私をぎゅっと抱きしめてくれた。そういう子だと思ってなかったから、ちょっとびっくりしちゃった。……でも、温かかった。
 あの時の戦いで、友達だったシェリルが死んじゃって、正直戦いが怖くなった。だけど、逃げちゃいけないとも思った。アスターは、ずっとここで戦ってるんだと思ったら、俯いては、いられなかった。




 剣の修練している最中、従者である青年に来客が来たと告げられた。
全く見当もつかず、剣を預け、正装に着替えてその来客とやらに会いに行く。
「こんにちは、アスター」
 綺麗な声だった。容貌も非常に繊細で美しいが、それ以上に声が綺麗だった。
「マリア、か」
 予想出来るはずもない女性だった。何度か話したことはあるが、根本的に親しい仲ではないはずだ。
「貴方が迷っているかもしれないと、セレラが言っていたから。迷惑だったかしら?」
 彼女が小首をかしげるのと一緒に、彼女の緩やかなウェーブのかかった金髪が動く。まるで、おとぎ話に出てくる妖精を見ているようだった。
「い、いや。そんなことはないが」
 全く話が見えてこない。セレラは確かに東の中で最も気が置ける戦友だが、別にこういうのを期待して相談していたわけではない。
「“死”が、怖い?」
 突然だった。突拍子もなく、マリアが話し始める。
「怖くない、と言えば嘘になる。だが、心配されるほどじゃないさ」
「嘘」
―――嘘って……。
 しっかり答えたはずなのに、それをすぐに否定されたアスターは、呆然と彼女を見やった。目が合うと、すっとマリアが顔を近づけてくる。だが、どうしても顔を背けられないようなプレッシャーを感じた。
「貴方の瞳、怯えてる」
 目の前でそんなことを言われては、流石のアスターも少しカッとなった。
「何が言いたい」
 彼女を両手で押しのけて、表情に出さないように聞き返す。
「フェミルは、いえ、誰も彼も皆、貴方の死を望んでいる人はいないわ。例え貴方がどうやって生き延びようとも、貴方を責める人はいない」
「俺に、ムーンの命令に背けとでも言うのか?」
「解釈は貴方次第」
 アスターはそこで頭を抱えた。この女の言っていることは、余計に自分を迷わせるだけだった。
「冗談もほどほどにしてくれ……! 俺は東の騎士であることを誇りに思っている。例え次の戦いで死んだとしても、後悔はない」
 アスターの勢いを正面から受けても、マリアはたじろがなかった。
「フェミルにも、同じことが言えるの?」
「……!」
 すぐに答えられない。これが自分の弱さ、甘さなのだとアスターは思い知らされた。正義を貫いてきた意志と、フェミル・フォーハーブとの誓いが、アスターを迷わせる。
「悪い、もう帰ってくれ……」
 床に視線を向けたまま、アスターがそう告げると、マリアは簡単に立ち上がって扉の方へ歩んでいった。そして、扉の前で一度立ち止まる。
「私も」
 アスターはふと彼女の方へ顔を向けた。
「私も、歌いたくないときだってある。だけど、歌わなきゃいけないから……。ごめんなさい、貴方の気持ち、分からないでもないのに……」
 最後に見せてくれた悲しそうな微笑が、アスターの脳裏に焼きついた。
 そして彼女がリッテンブルグ家から出て行く。
―――聖女マリア……、その歌による政略的プロパガンダか……。
 今は、戦争中なのだ。苦しいのは、迷いの中にいるのは自分だけではない。
 アスターは、顔を上げた。








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