遥統番外編20

パニック・パニック











「ちょっと、あんたヒマそうね、ちょっと付き合ってよ!」
 憮然とした声が背後から届く。聞き覚えがあるわけでは、ない。だが確かにその声は自分へ向けられていた。
「……誰?」
 自分は城の書庫で書物に目を通していただけだ。城の書庫にやってこれるということは、騎士団の関係者なのだろうか。
「あたしはギリエルネッセ、ギリエルネッセ・ティリシャルファミュート!」
 ギリエルネッセ・ティリシャルファミュート、噛みそうな名前を捲くし立てるように名乗って来た彼女、ギリエルネッセは睨むかのようにこちらを見ている。身長的には勝っているのだが、見下されているような雰囲気を感じる。
「ギリエルネッセ? てぃりしゃるふぁみゅーと……え、だ、だれ?」
「そんなのどーでもいいの! あんたヒマそうだからあたしに付き合いなさい!」
 強引に腕を引っ張られていく。一体全体どうすれば書庫で本を読んでいる者をヒマと判断出来るのだろうか。なすがままに連れて行かれている少年、ゼロ・アリオーシュは理解出来ない現状にどうしようもなかった。
 ゼロを引っ張っていく少女、ギリエルネッセはよく見ればかなり整った顔立ちをしていた。好奇心の塊で出来ているような猫目に、緑色の髪を活動的なショートッカットにしていて、嫌いにはなれないタイプだ。
「ど、どこに行くんだ?」
 なんとか引っ張られる状況から脱し、少女の横に並び立つ。
「地下牢獄よ」
 なんでまたそんなところに、と思わないでもなかったが、ただただ引っ張られるようにゼロはついて行くのだった。



 地下牢獄の広さはかなりのものがある。かつては戦火から逃れるための避難場所であったとともに、重鎮を安全な場所へ逃がすために森の外まで続く長大な通路があるという。地図なしで迷えば、下手すれば遭難する危険性も否めない。現在では入口から一定の距離の場所に看板が立てられ、それ以降侵入禁止とされているはずだが。
「ホント、いったいどれくらいの人員と資金を導入してこんだけのもん作ったんだが……」
 あきれ顔でゼロがそう呟く。ここに来たのは初めてではないが、毎回毎回その大きさに驚かされる。かかった費用は、想像したくない。
 迷うことなく、ズカズカと歩を進めていくギリエルネッセに遅れないように、ゼロは足を動かし続けた。
 入口にあったカンテラを持ってはいるものの、薄暗く、気味が悪い場所には変わりない。女の子が行きたがる場所ではないはずだが。
「この牢獄に投獄されてる囚人の数、知ってる?」
 ピタッと足を止め、ギリエルネッセが問いかけた。
 ジッとゼロの瞳を覗き込んでくる。その力強さ、意志の強さに気押されそうになる。カンテラの明かりでぼぉっと輝く彼女の肌の白さは、神秘的なほどだった。
「たしか、15人くらいじゃなかったか?」
「ふむ、腐っても国の関係者ね」
 どうやら正解だったらしい。
「でも本当にそうだと思う?」
「へ?」
 我ながら、まぬけな声が出てしまったと思う。こんな自分より若干幼さそうな子に、何が分かるのだろうか。
「だって考えてみなさいよ、この牢獄がどんだけ広いと思ってんの? 軽く千人は収容出来る数の牢屋があるのよ? それなのに、たった16人なんてウソっぽいじゃない!」
 どうやら、何かを知っているのではなく、気にしているだけのようだった。何か壮絶な事実を知らされるのかと思ったゼロは内心ほっとした気がした。
「だから!」
 ビシッと特定の方角を指差す。明かりの範囲内に入ったその方角には、看板が。
『ここより先の侵入を禁ず』
 それにはこうシンプルに書いてある。
「行ってみたいと思わない?! 国が禁じてる先に、何があるのか、知りたいじゃない!」
 国が禁じていることを犯す、それはつまり、国への造反行為だ。発覚した場合、相応の処罰は覚悟せねばなるまい。
「正直、興味がないわけでもないが、国法を犯す気にはなれんな」
「国法?」
 ギリエルネッセが、ひどくつまらなさそうな表情でじとーっとゼロを見つめる。
「そういえば、国法を犯そうとする者を止めなかったら、止めなかった者も同罪だったわね」
「ん? ああ」
「じゃあ」
 何か、とてつもなく嫌な予感がした。
「これでどう?!」
 彼女はパッと看板の方に振り返り、今の言葉を元に魔法を発動させた。彼女の指先から雷が迸り、看板が一瞬にして消滅する。
「な?!」
「詠唱の間合いがあれば、普通魔法なんか止められるわよねー。でもあんたは止めなかった、よってあんたも同罪よ!」
 無茶苦茶だ、無茶苦茶過ぎる。あまり同様することのないゼロも、今回ばかりは絶句する以外なかった。そして、自然とため息が出る。
「それにほら、看板が“元々なかった”ってことにすれば法も何もあったもんじゃないわ!」
 確かに、現に今看板は存在していない。無理も通せば道理が引っ込む、ということか。
「さ、いくわよ♪」
 そして、満面の笑みで手を差し伸べてくる。この確信犯の考えを曲げるのは、一筋縄ではいかないようだった。諦めたゼロは再びの深いため息とともに彼女について行った。
―――どーせ何もねぇだろ……。



 少し進むと、まさかの十字路だった。この状況に流石の彼女も。
「右ね!」
 迷うことはないようだ。
「根拠は?」
「ないわよ」
「おい……」
「何よ、正解の方向なんて分かんないんだから、どっち行ったって同じじゃない!」
 彼女の言うことは最もとだが、そもそもこの探検が前提として最もとではない。ゼロはもう何も言うまいと思い、とりあえず来た道だけでも覚えることにした。

 その後、何度か同じような十字路に遭遇したり、行き止まりに遭遇したりしながら軽く2時間ほど歩きまわった。この間、未知との遭遇は、皆無。
 この牢獄に入った時刻が15時ほどだったから、きっとそろそろ日が傾く頃だろう。
 流石にそろそろ戻らなくては問題があるだろう。
 虎狼十騎将の一人として、午後19時から定例の会議ある。
「見て!」
 ふと、さっきから全くの空振り続きにむっとし続けていたギリエルネッセの声が明るくなった。
 カンテラが照らす先には、通路ではなく、牢屋でもなく開けた空間があった。
 彼女が駈け出してそちらへ向かうものだから、ゼロも慌てて走らざるを得なかった。この発見に満足し、帰る口実へと繋げられればいいが。
「これ何かしら?」
 広場の周りにロウソク立てが多数あったおかげで広場を大分明るくすることが出来た。それでもぼんやりと薄暗いことには変わりないが。
「ねぇ、あんたも来なさいよ!」
 会った頃から変わらない上から目線に、最早慣れてしまった自分が情けない。そう言えば自分は彼女に名乗っていない。名乗らずとも、自分のことを知っているだろうと考えてしまっていたのは、奢りだったということか。
「これ、読める?」
 何かが書いてある小さな石碑を指差される。どうやら、いわゆる古代エルフ語のようだ。貴族学校時代ゼロが唯一興味を持って学んだ科目だ。多少の文なら、読めるはずだ。
「えっと……獣神、ネイクターに……封印されし……なんとかここに封ぜらる、か? なんとかが固有名詞っぽいな、知らん」
 ゼロの説明を聞いたギリエルネッセは意外そうな表情を浮かべていた。
「あんた、見た目より頭いいのね」
「おい」
 無礼などと思ったりはしないのだろうか。
「まぁいいわ、ここに眠ってるのなら、起こしてみたいわね!」
「は?」
 脈絡もない言葉に、ゼロは理解を示せなかった。
「はぁ……いいか、獣神ネイクターっていえば、神々の大戦で魔獣を従えて戦った神だぞ? そのネイクターが封印する対象といえば魔獣だろ? 魔獣、分かるか? 俺達の手じゃ扱い切れない存在だ。そんなの目覚めさせちまえば、どうなる? 分からなくないだろ?」
 ゼロの説明を理解しているのか、まぁしていないのだろうが、彼女の視線は変わらず強い意志を含んでいた。
「あんた、騎士なのに臆病者? 未知との遭遇を目の前にして回避するなんてもったいないじゃない!」
―――あぁそうか。
「未知の相手よ、会いたいじゃない! 少なくともあたしは怖くなんかない!」
―――なんつー瞳の輝きだよ。
「ホントは、あんたも会いたいでしょ?!」
―――これは逃げられないな。
 どうしても彼女の言葉に引っ張られてしまう理由、きっとそれは彼女がとてつもなく純粋だからだ。子供の心を失っていない、自分の興味のためならばガンガン進んで行ける性格。自分が、社会適応能力と常識を得るために、失ってしまった感覚。その純粋さが、14歳から騎士として騎士団の一員、国の駒の一つとなった自分からすれば、どこか羨ましかったのかもしれない。
「……そうだな」
 再び先ほどの短文が書かれていた石碑に目を移す。
「ぐり……ぐれん……? りん?」
「グレムリン?」
 何とか発音だけを拾おうとしていると、ギリエルネッセがゼロの言葉を拾ってそう呟いた。
「グレムリン、あぁ、グレムリンか。『獣神ネイクターに封印されしグレムリンここに封ぜらる』か」
 一応、解読は成功した。だが、封印を解くのと解読するのは別問題だ。
「グレムリン、ね。狡賢い小悪魔じゃない、恐れるまでもないわよ」
「ま、ニーズヘッグとかケルベロスとかと比べたら可愛いもんだろうな」
 しばし沈黙が流れた。どうやら彼女は封印を解く方法を考えているようだった。そんな簡単に分かれば苦労しないのだろうが。
「どいて」
「へ?」
 言われるがまま少し彼女から離れると、すぐさま彼女の手に光が集まった。
「はっ!!」
 声を媒体とせず、気合いだけを発動要因として魔法が発動、無声詠唱――サイレントキャスト――と呼ばれる高等技術だった。
 彼女のてのひらから発せられた光の奔流が石碑に直撃、粉々に石碑が砕ける。
「あれが封印の拠り代なら、これでいいんじゃないかしら?」
 確信は無いままやったらしい。ここまでやってしまった以上、出来れば現われて欲しいと思うのだが、こんな簡単な方法で封印が解けていいのだろうかという疑問も浮かぶ。
 一応身構えながら、有事への対応を考える。
『おぉ! 久々の自由! 誰だい?! ボクを起こしてくれたのは?!』
 ぱっと石碑のあった場所から何かが現われた。全くの無より生れし存在。
 そいつは、小さかった。エルフの手のひらサイズの少年に、黒い翼が生えている。皮膚の部分が異様に白く、瞳が紅い、アルビノなのだろうか。
「あんたがグレムリン?!」
『うん! ボクがグレムリンだよ!』
 臆することなくギリエルネッセがそいつ、グレムリンに話しかける。
「なんだか、弱そうね」
 少しがっかりしているように見えなくもない。だが、彼女の興味が今全てグレムリンに向けられているのは否めないだろう。
『そりゃボクは戦闘仕様じゃなく、偵察仕様だもん。でもね、人語を操れる魔獣はボクを含めて5体しかいないんだよ? それってすごくない?』
「ふーん……まぁいいわ、あんた、あたしと契約しなさい!」
 脈絡もなく、彼女はそう言い切った。ゼロは呆然とそのやり取りを見ているしか出来ていない。
『えー、せっかく自由になれたのに……いくら封印解いてもらったとは言え、あんま気乗りしないなぁ』
「言っておくけどね、ここは牢獄よ。そしてあたしはティリエルの直系だと言えば、あとはもう分かるわよね?」
『ティ、ティリエル?!』
 グレムリンの小さな顔の表情がひきつる。恐怖に対し、のものだろう。
『わ、分かったよぉ……』
 しょんぼりした様子でグレムリンが承諾した。そして一度大きくため息をつく。
「あたしはギリエルネッセ! よろしくね!」
『はーい』
 パッとグレムリンの姿が消える。
『新契約者、ギリエルネッセ、契約完了』
 その言葉はゼロには届かず、彼女だけに届いていた。頭の中に直に響くような感じだ。
「そろそろ帰らないか?」
 彼女の満足げな表情を見て、ゼロが切り出す。
「帰る……? あぁ、そうね、あんたは上の人だもんね」
「上の人……?」
 ゼロの言葉に答えず、ギリエルネッセは再び歩き出した。彼女の満足いく結果は得られたであろうに、どこかまた不機嫌に見えなくもない。



 無言のまま、しばらく歩いた。
「ここを真っ直ぐ行けば入口に着くわよ」
 突然彼女が足を止めた。
「お前は行かないのか?」
「別に、どうでもいいじゃない」
 だだをこねる子供のような彼女の様子は、今までの強印さを含んでいなかった。
「あんた、名前は?」
「あぁそうか、こんだけいてまだ名乗ってなかったな。俺はゼロ、ゼロ・アリオーシュだ」
「アリオーシュ?! あぁ、なるほどね」
 勝手に納得したのか、彼女の表情が再び浮かび上がった。
「別に誰とでも良かったんだけど、とりあえず今日は楽しかったわ! また何かあればグレムリンを使うから、必ず来なさいよ!」
 そう言い、彼女は再び牢獄を進んでいった。ゼロとギリエルネッセが歩いた道とは違う方向だ。しかし彼女は最後まで上から目線だった。
「機会があれば、また会おう」
 ゼロもとりあえず、定例会議のために歩を進めた。





 後日、気になっていた言葉を調べるためにゼロは再び書庫へとやってきていた。
 あの日彼女がグレムリンに対し言っていた言葉“ティリエル”という言葉を調べにだ。
「……なるほどな」
 ひとしきりの文献に目を通し、ゼロは全てに合点がいった。
 大戦において中立神として存在した、牢獄の番神ティリエル。あらゆる罪人はティリエルの前では稚児に等しく、牢獄内ではティリエルが律法となる。
 現在は西の中流貴族ティリシャルファミュート家としてその血筋が保たれているおり、ティリシャルファミュート家は代々牢獄の番人として存在し、日の光を浴びることはまずないという。
「日の光を浴びず、闇の世界で生きる、か……」
 目を閉じ、思いを巡らす。
「そんな運命、悲しすぎるだろ」
 あれだけの我侭を言う彼女と言えど、血族が抱えた運命に縛られていると考えると、理不尽な思いに駆られる。
―――いつか彼女を“上の”世界へ導きたいものだ。





 ギリエルネッセ・ティリシャルファミュート。彼女の人生が闇の世界だけで終わるかどうか、その答えは未来の世界が持っている。


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