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第13章
離別
それは、新年を迎えてだいたい1週間ほどが経った日のことだった。その日は決められた集合日ではなかったが、ゼロとレイは普段通りに起床し、普段通りに支度をし、普段通りに“平和の後継者”の砦へと足を運んだ。
流石にこの寒風が吹く中の午前中から砦へ向かう者もなく、二人の予想通り、砦にはレリムとウォーの二人だけが居た。
「いやぁ。しっかし寒すぎやない?」
「この季節に暖かい方がおかしいだろうが」
砦の中へ入り、冷えきった手を温めながらレイはゼロに目を細くした。
「そらお前はマフラーしてるからええやろうけど、なんで自分のだけしか買わへんねん」
彼の言葉通り、ゼロは首に藍色の毛糸のマフラーを巻き、顔の下半分をマフラーで埋めていた。それに対し、レイは防寒着といえばゼロと同じようなコートのみ。寒さの感じ方は大分違うだろう。
「もう持ってるもんだとてっきり」
恨めしそうに見つめてくるレイに対し、ゼロはちらっと一瞥してそう告げた。
レイが小さくため息を吐く。
「誰か手編みのマフラーとかくれへんかなぁ」
そのぼやきに答えることなく、二人の会話は終了した。
「どうした、お前ら?」
二人の気配に気付いてか、ウォーとレリムが部屋から姿を現した。
「ちょっと、俺ウォーさんに話があるんですよ」
「俺に?」
「そです」
ウォーとレイが会話を始めたからか、レリムはゼロの方を向いていた。
「それでは、貴方は私にお話が?」
普段通りの生真面目な顔で彼女が尋ねてくる。ゼロは首を縦に振った。
「そうですね。では私の部屋で話を聞きましょう」
彼女がまた自分の部屋へと戻っていく。その後をついて行くゼロは、一度だけレイを見た。それに、レイが頷く。
二人の計画は、これからがまさに本番なのだ。
レリムの部屋は暖炉のおかげでかなり暖かく、レイとウォーが話している広間はあまり暖かくなかったので、ゼロにはそれだけで少し悪い気がした。
コートとマフラーを脱ぎ、側にあった椅子にかける。
彼女は自分の椅子に座り、今までこの部屋で彼女と話す時と全く変わらない様子でゼロと向かい合った。
「ここを去るおつもりですか?」
話の先手を切ったレリムだが、ゼロはまさかいきなり核心をつかれるとは想像もしていなかった。
「どうしてそう思う?」
だが、ゼロは顔色一つ変えず、驚きを胸中に留めたまま聞き返した。
「女の勘、と言ったら怒りますか?」
ここでゼロは少し意外そうな表情を見せた。あの生真面目な彼女が、冗談を飛ばしてくるとは。
「怒りはしないが、“らしく”ないな」
ゼロのその答えが予想通りというように、彼女は小さく笑った。だが、すぐにまた普段の表情に戻る。
「強いて言うならば、ここ最近の戦いで私たちから死者が出ていることが原因でしょうか?」
レリムの表情に影が落ちる。
「貴方のことです。残りの敵くらい貴方とレイ・クラックスの二人で倒してこれ以上犠牲者を出さないようにお考えなのでしょう?」
まるで全て見抜かされているように話すレリムに対し、ゼロはようやく口を開いた。
「確かに、俺とレイはここから脱退しようと思っているが、理由はそんなに善人めいたものじゃない」
少し意外そうに、レリムはゼロを見た。
「今のやり方じゃ、いつ西に帰れるか分からないからな。俺にも西王としての責務がある。早いとこ帰りたいんだ」
その言葉に、レリムが苦笑する。今の言葉は真実ではない。彼女が言ったことの方が、真意に近いのだ。だが、ゼロはそれを認めなかった。おそらく、すっぱりと後腐れなくここを離れたいのだろう。
レリムにはそれが分かったからこそ、引き止める言葉を見つけられなかった。
「俺がここの戦いに巻き込まれたのは、今思えば半分以上俺の所為だからな。自分の落とし前くらい自分でつけるよ」
そんなレリムの考えなど知る由もないゼロは、脱退のための言葉を並べていく。
「ヴァリスもブラッドも、ましてやシーナ・ロードも一筋縄で倒せる相手ではありませんよ?」
彼女は出来る限り引き止めているように聞こえる言葉を選んだ。だが、彼女の言うことが真実なのは事実で、特にシーナ・ロードはゼロとレイの二人で挑んでも倒せるか分からない紛れも無く中央最強の戦士なのだ。しかも、二人は彼について何も知らない。
「まぁ、なんとかなるんじゃないのか?」
どうやらゼロは早くこの場から去りたいようだ。レリムに自分の本心がばれていることも察していた。
「……ゼロ」
重々しい声で名を呼ばれる。彼女がゼロの名を口にするのは、いつ以来であろうか。その雰囲気から何かを感じ取ったゼロは少し緊張した面持ちでレリムの表情を窺った。
窓越しにも、外で吹き荒れる冷たい冬の風が聞こえる。いや、どうやら初雪で、しかも吹雪のようだ。
「私と勝負しませんか?」
「なんだ――」
「もしここで私に敗れるようなことがあれば」
ゼロの言葉を遮るようにレリムは一気に喋った。そして、何故か微笑む。
「脱退は許しません。貴方を無駄死にさせるわけにはいきませんから」
これは脅しだ。正直レリムの実力は決して低くなどない。ゼロと本気でぶつかれば、どちらが勝ってもおかしくないだろう。
「俺が勝ったら?」
「そのときは貴方の好きにしなさい。脱退でも、西に帰るでも、リーダー交代でも、構いません」
そして何より、彼女は本気だ。真剣な言葉なのだ。
ゼロの頬に冷や汗が伝う。
「……いいだろう」
だが、元より退くという選択肢など存在しない。ゼロは彼女の提案を受け入れ、二人は砦の中にある訓練場へと足を運んだ。
「で、話とは?」
若干吐く息も白い砦の広場で、二人は立ったまま話を始めた。暖房を効かせていたレリムの部屋と違って、やはり寒さはぬぐえない。
「えっと」
僅かながら、レイが言いよどんだ。底抜けに明るい性格とはいえ、面と向かって笑顔のままさようならと言えるわけもない。
「俺らにも、俺らなりの考えがあるんですよ」
切り出された話に、ウォーは相槌を打って聞き入った。
「言い訳みたいですけど、それだけは理解してください」
レイは一呼吸置いて、真っ直ぐにウォーの瞳と向かい合った。その眼差しに、さしものウォーも何か気圧される感覚がする。
「俺とゼロは、ここから脱退するつもりです」
ふむ、と片眉を上げたもののウォーは小さく頷いた。
まさかそんな反応だけではあるまい、そう思ったレイはウォーの言葉を待ったが、音といえば外で吹いている風くらいで、沈黙が続いた。
「それだけか?」
どうやら彼もレイの言葉を待っていたようだ。拍子抜けした様子が、表情に出ないように努める。
「はい」
「脱退自体には俺が止める権利はない。だが、少々質問させてもらおうか」
ここが正念場だ、そんな思いがレイの頭の中を駆け巡る。ここで答えられない質問があるのならば、きっと脱退しても何も意味のないものになるだろう。
レイが小さく頷く。
「お前らのことだ、脱退して残りの敵を自分たちで倒そうと考えているんだろ?」
「お察しの通りです」
「勝算は?」
ストレートな質問だ。正直、一番答えにくい。
「2対1に持ち込めば、必ず勝ってみせます」
「タイマンは?」
「タイマンで勝てるなら一人で勝手に倒してきますよ」
「だったら俺たちと一緒にいてもいいじゃないか」
この問答はどうやら分が悪いようだ。
「確かに俺だけの考えなら脱退なんて考えませんでした」
仕方なく、レイは本当の理由を話し出した。ゼロにも言っていない、本当の理由だ。
「でもあいつが一緒だから。知らないでしょうけど、時々西の方を寂しそうに見つめてるんですよ。その表情を見てると、友達としてなんかしてやりたくてしょうがなくなるんです」
レイの表情は憂いを帯びていた。その表情に、ウォーもため息をつく。
「“独創者”だからじゃなく、それはまるきり18歳の少年らしい考えだな」
ゆったりとウォーが話し出した。その口調は、息子に何かを諭そうとする父親のようだ。
「元々中央に東西南北のエルフが来ること自体異例で、覇権に関わることなど前代未聞なことだ。俺はもう止めん」
「ウォーさん……!」
レイの表情が明るくなる。彼は、認められたのだ。
「ありがとうござい――」
「――悪いがこっちは認めたぞ」
レイのお礼の言葉を無視し、ウォーはレリムの部屋から出てきたレリムに対して淡々と告げた。その言葉を聞いても彼女の表情は微動だにしない。ウォーの性格を知っているからか、アビリティからか。
「そうですか」
歩みを止めずに簡単に返事をして、レリムはそのまま歩いていった。珍しく砦の中なのに短剣を持っていた。
その後ろをついて行くゼロがいったん足を止めレイを見た。
「レリムに勝たなきゃこっちは認めてもらえないそうだ」
肩をすくめて見せる。相手は中央最速を誇るというのに、なかなかの余裕だ。
ゼロは背中を向けながら手を振り、そのままレリムとの勝負に向かった。
「レリムさん、怒ってませんでした?」
「たぶん、俺に対してだな、あれは……」
そのときレイは初めてウォーが冷や汗を流しているのを見た。
それほどに、レリムの威圧感が凄まじかったのだが。
「殺す気で構いませんね?」
砦内の訓練場に辿り着くや否や、開口一番の言葉がそれだった。
先ほどまでゼロと話していたときには、ここまで殺気を発させるほどまで彼女の怒りを至らしめることは言わなかったはずなのだが、ゼロはレリムという女性に対して今までに無い恐怖を覚えた。
「……何を怒ってるんだ?」
「貴方には関係ありません」
恐る恐る尋ねてみるも、冷たい言葉で一蹴される。まさか彼女がウォーに対してあまりに簡単に脱退を認めたのが許せなかった、とは気付くわけもあるまい。
「殺す気でいきますよ」
今度は問いかけではなかった。ゼロには拒否権すらなかったわけだ。
―――女ってのは、どうしてこう“強い”んだ……。
半ば呆れるようにそんな考えが浮かぶ。それと同時に浮かんだ女性の顔はたくさんあった。
一度呼吸を整え、そっと右手を刀の柄にかける。抜刀体勢、臨戦態勢だ。
「来い」
レリムの右手に握られた短剣の刃から何かオーラのようなものが見える気がした。
向かい合っているだけで、冷や汗が出てくる。
―――怖いのか……レリム・イシュタルが?
自分に問いかける。ゼロは不意に笑いたくなった。
―――こいつに勝てなきゃ、何も始まらないだろうが!
ゼロは左足で床を力強く蹴り、一気にレリムへと接近した。距離がゼロの間合いに入ろうという刹那、彼女は予備動作無しで大きく後方へ下がった。
冷たい彼女の視線は、この程度動作もない、という感じだ。
「貴方と本気で戦うのは初めてですね」
不意に彼女の口が開く。言葉は、先ほどよりは棘がない。
彼女の言葉を聞いてゼロは少し昔を思い出した。始めてきた時は、ダイフォルガーまで倒したところで力尽き彼女との戦いは有耶無耶になった。次に来た時、彼女と戦ったがアノンの力抜きでは正直手も足も出なかった。
少しだけ気を抜いた隙を衝かれた。レリムの短剣が眼前まで迫っていた。
ギリギリのところで上体を思いっきり反らせかわしたが、全く不意を衝かれたようだ。正しく彼女は自分を殺す気だ。それがひしひしと伝わってくる。
卑怯だ、などとは言わなかった。相手に隙を作らせる為なら、勝つためなら実戦では何をやったって構わないのだ。ゼロとて、まだ騎士になりたてのころは無我夢中で、使えるものは何でも使って生き抜いてきたのだ。
上体を反った反動を利用してバック転の要領で体勢を立て直す。再び顔を上げたころには、レリムはすでに正面からいなかった。
すっと目を閉じ風の動きだけを頼りに左方向へ刀を振りぬく。硬い手ごたえを感じ、目を開くと自分の刀を短剣で止めるレリムの姿があった。
自慢できる程ではないが男性の利を生かし、刀を両手で握りそのまま押し込む。技も速さもない、力任せの攻撃だ。だが、レリムも女性であり、華奢な身体なのは間違いないだろう。ゼロの刀に対しじわじわと押されつつあった。
そのとき、ゼロが彼女の狙いに気付けただけでも立派だったろう。ひそかに押されるフリをしつつも短剣とともに刀の先端の方へ移動していた彼女は、絶妙なタイミングでゼロの刀から切り抜けゼロの左腿をざっくりと短剣で切り裂いた。気付くのがもう一瞬おそければ、骨を傷つけられるほどに深い傷を負わされるところだったろう。彼の反射神経と戦いの勘のおかげに他ならなかった。
傷へ一瞬視線を向ける。おそらくしばらく血は止まらないだろうが、動けないほどではない。それでも痛みを無視するほどゼロの心は壊れていないため、動きは若干鈍るだろう。
―――さて、どうしたものか。
極力彼女と間合いを置き戦法を巡らせる。
今も尚冷たい視線を向けている彼女を見ていてゼロはあることを今さらながら思い出した。
―――そういやあいつ、アビリティで俺の動きが見えるのか……。一対一って、相当厳しいじゃねえか……。
本当に今ここで殺されてしまうのではないか、という考えが頭を過ぎる。
―――仕方ない、“アレ”やってみるか……。
ゼロは頭の中で考えをまとめ、意識を集中させた、その無防備を見逃さず、レリムが迫ろうとするが、彼女の脳内に伝えられた次に起こることが彼女の動きを僅かに遅らせた。未知のものを見るときの反応のようなものだ。
「はっ!」
レリムの頭上から光輝く網のようなものが降り注ぐ。
「くっ!」
なんとか脱出しようと試みた彼女だったが、その光の網は彼女が逃げ出すよりも早く彼女を捕縛した。
床に伏せる形でレリムが動けなくなる。
なんとか顔だけ上げて悔しそうな表情で彼女はゼロの方を見ていた。
ゼロは疲れ切った表情でその場に座り込んだ。左腿からの出血は少なくなっていた。
「……これが、魔法ですか?」
答える代わりに疲れ切った顔でにやつくゼロを見て、レリムはため息をついた。彼がゆっくりと立ち上がって床に伏せたままの彼女に歩み寄る。
「今のあんたなら俺の好きにできるな」
ふらついている時にそう言われては何も怖さなど感じない。レリムの戦意が消えた。呆れたように倒れた姿で器用に首を振る。
「私の負けです。貴方の好きにしなさい」
その宣告とともに彼女を束縛した網が消え、また同時にゼロがその場で派手に倒れた。
「大丈夫ですか?!」
予想外の――彼女とて常に未来予知しているわけではない――出来事に慌ててゼロの元へ駆け寄る。ゼロは笑いながら肩で息をしていた。
「やっぱ、ぶっつけ本番で、魔法なんか、使うもんじゃないな」
笑ってそう言う彼はまるで少年のようだった。思わずレリムも心配して損したように笑ってしまった。
「でも、これを上手く使えば誰にだって負けないさ。あんたに通じたんだからな。それは自信にしてもいいか?」
拳を天井に突き上げ握りしめる。新しい技を発見した彼は、心底楽しそうにそう言った。たしかに、魔法が彼の剣術に加われば鬼に金棒なのは確かだろう。だが、それに頼りすぎることになるかもしれないことがレリムには不安だった。
「一度くらいなら効くでしょうが、二度目からは効きませんよ?」
好奇心を押さえつけられないような彼を諭すように言う。そっと彼の横に自分も腰を下ろし視線を近づける。無意識のうちにゼロの頭を撫でていた。
それに対して、ゼロも特に抵抗はしない。
「まぁ、色々試した結果〈網状系〉の魔法が一番得意だったみたいでな、まだこれしか使えないんだ」
手だけ動かしながら彼の話を聞く。思いの外彼の髪はサラサラだ。左手で自分の髪を撫でてみて、もう少しケアしてみようかな、という気持ちになる。
「たぶん隙をついて相手の動きを止めるくらいにしか使えないだろうし、詠唱中に隙が出来る分リスクはでかいけどさ、アビリティの分をこれで補えたらとは考えてるんだ」
レリムに話しかけている、というより自分に対して言っているような聞こえる物言いだ。おそらく人に言うのは初めてのことなのだろう。
「もう少しエイショウというのを早くしないと使えないとは思いますけど」
聞き慣れない言葉なのだろう、詠唱という言葉がなんとも曖昧な発音になっていた。優しい眼差しで見つめられると、不思議とゼロは亡き母ゼリレアを思い出していた。たった二つ年上なのに、こうまで相手に大きさを感じるとは。
「レリム」
ゼロはゆっくりと身体を起こした。左腿の傷のためか立ち上がるには少し時間がかかった。
ゼロの頭から手を離したレリムの視線はゼロの動きをゆっくり追った。
「ありがとな」
その言葉を聞きレリムが微笑む。
その心の内の寂寥感は隠すことが出来ただろうか。
足を引きずりながら歩くゼロを見送る。
これがお別れになるのだが、さした言葉もなかった。
去り行くゼロの背中を見つめたまま、レリムの頬にはつうっと涙が伝っていた。
「レイ」
ウォーと話していたレイのところまで行き、彼に呼びかける。すぐさま彼がゼロの方へ駆け寄り肩を貸してくれた。
「足、だいじょぶなん?」
引きずるように歩くゼロが、痛々しく見えた。結果は聞かない。彼が勝ったと信じているからだ。
「あぁ。たぶんな」
その無愛想な答えにレイは思わず苦笑してしまう。なんだか今のゼロは上機嫌のようだ。
ゼロに肩を貸したまま、レイは自分たちの家へと戻っていった。
「あの子たちには負けられませんね」
ウォーが気付くとレリムが隣にいた。
最近よく見る、泣き腫らした赤い目だった。
「そうだな……」
深く息づくと共に、ウォーはそう呟いた。
―――そういえば、ミュアンには何と言えばいいのでしょうかね……。
はたと思いついたことが、彼女を悩ませる新たな要因となった。
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