第16章

希望








 アノンを連れてレイの待つ家へと帰ったゼロは、彼女を連れ立って歩いている間ずっと何と説明しようかを考えていた。
―――下手ないいわけは通用しないだろうし。正直に言った方がいいか。
玄関の前でゼロが立ち止まる。はたから見れば奇妙な光景だ。この寒いなか立ちすくんでいるのだから。
「どうした、ゼロ」
当然不思議に思ったアノンが質問するが、思考中のゼロの耳には届かなかった。
―――問題は、どこまで言うか、だな。
正直に言わなければきっとぼろがでるだろう。それは自分のことだからよく分かる。だが一般人がどこまで信じるかが問題だ。独創者という時点で一般の基準に入れてもらっていいのかは定かではないが。
「ゼロ?」
アノンに服の裾を引っ張られてやっと気付く。ゼロは視線をアノンへと移した。
「寒いか?」
何を考えたわけではないが、なんだか当たり前のことを聞いてしまった。どこかセシリアと一緒にいるような感じだ。
「ああ。どうも常時実体化状態のようでな、肌の感覚が敏感になっているようだ」
自分の手のひらを眺めながらそう言う少女を見て少し罪悪感が芽生える。
「そういうのは早く言えよ」
彼女の髪をくしゃくしゃしながらそう言う彼はまさに兄そのものだった。今の彼女なら風邪を引いたりする可能性も消せないので、ゼロは急いで家の中へ入った。


「あ、おかえり~……って……ゼロ。誘拐は立派すぎる犯罪やで。その覚悟はあるんやろな?」
きょとんとしたアノンをちらちら見ながらレイは汗を拭うマネをする。
「ツッコむとこが多すぎてツッコめん……」
呆れたように嘆きながらゼロがそう言う。アノンはゼロとレイの間で視線をいったりきたりさせている。
「初めまして。私、アノンといいます。兄さまの義理の妹です」
「へ?」
レイの力のない声が届く。ゼロだって意外な事態に目を白黒させている。
「と、というわけでよろしく」
自分の考えていた台詞が全部無駄になってしまったがそれも仕方ないと諦めゼロがそう続けた。
「……あぁ。運命の楔っていう女の子かいな。話は聞いとるで」
アノンがゼロの方へ視線を送る。そう言えば、という表情だ。
「……ならば話は早い。少々ややこしいことになっているのだ。しばし間借りさせてもらう」
先程までの猫をかぶった性格が急変し普段どおりの口調に戻る。これのほうが自然なのだが、彼女を初めて見た者にとっては理解しにくいだろう。
「安心しろ。きちんとした食事と眠る場所さえあれば十分だ」
「あ~じゃあアノンちゃんの生活必需品は明日ゼロと買うてきてや」
予想以上にレイはアノンに対応した。アノンも頷いている。
「それだけで会話が済むおまえらがすごいと思うよ……」

 とりあえず食器などの足りない分はゼロと共有ということでなんとかやりくりし、寝る場所も今日だけはとりあえずゼロとアノンが一緒に眠る、ということで話がついた。
「ほら、ゼロそんな身体大きないし。大丈夫やろ」
 レイのこの言葉が決定打だった。たしかに少し大きめのベッドな分、アノン一人くらいなら余裕で入ることが出来る。それはレイも似たような条件なのだが、彼女を彼と寝させるわけにもいかず、ゼロもそれには流石に納得いかないので妥協したのだ。

「なんていうか……俺はもう疲れたよ……」
「なんやゼロ、死ぬ間際みたいなこと言いよって」
 アノンはゼロの左隣で縮こまっている。どうやら寒がりだったようで、ピタッとゼロにくっついたまま動かない。
「アノンちゃん、寝たか?」
「……さぁな。寝たふりの上手そうな性格だからな」
 ゼロの無愛想な疲れた声にレイが苦笑した。まだ午後10時ほどだが、すっかり就寝モードだ。夜空には雲ひとつなく、星が輝いていた。
「なんだかんだ言うても、ゼロとアノンちゃんけっこう似とるで。ほんまの兄妹みたいやなぁ……」
 独り言のようにレイが呟く。ゼロは何も言い返さなかった。そう言われて悪い気はしないのだ。
 偶然か、アノンがゼロの寝間着を掴んだ。
「妹ってそないに兄さんに懐くもんなん? 俺兄貴と弟の3人兄弟で、ケンカばっかりやったからよお分からへんわ」
 そう言われても他の家庭の兄妹関係などよく知らないのだが。
「うちは親父が軍事でほとんど家庭を相手にしなかったし、母さんが病弱だったからな。俺が甘やかした所為もあるが、セシリアはアノン以上にべったりだぞ?」
 言って少し恥ずかしくなった。
「でもかわいいんやろ?」
 レイの顔を見なくても彼がにやついているであろうことは見なくても分かった。
「当然だ」
 速攻で何の臆面のなくそう答える。
「馬鹿かお前は……」
 そこで3人目の声が割って入る。やはりアノンは起きていたのだ。
「拗ねたのか?」
「どうしてそうなる……」
 ゼロの冗談だとしても、むっとしたアノンが彼の頬を力いっぱいつねる。その光景を見てレイが大声を出して笑った。
「アノンちゃんもかわいいやんか、なぁゼロ?」
「見た目は、な」
「おい」
 そしてまたレイが高らかに笑う。ゼロも苦笑してみせた。ずっと2人だった家の中に、3人目のアノンは何事も無かったかのように溶け込んだのだ。
「ゼロの周りはほんと美人さんが多いやなあ」
「そうだな、ユフィ王妃など、おそらくナターシャ様よりお美しいぞ」
 流石生きた歴史書だ。神々の戦争時代、魔法の祖と呼ばれた最強の魔術師だ。だがそんな人と掛け合いに出されても正直見当もつかない。
「わかんねえよ」
 即座にゼロのツッコミが入る。
「ははは、ゼロとユフィさんの子どももめっちゃかわいいやろなぁ」
「子どもねぇ……」
 ゼロが突然思わせぶりな声を出す。アノンもレイも、彼の言葉の続きを待った。
「早いとこここを平和にして、東西南北との交流を再開させて、ヒュームと国交を開いて、武器を持たなくて済むような世界で育てたいもんだ……」
 おそらくそれが、西王として、将来生まれて来るであろう子どもの一親として、そして最強の名を冠する戦士としてのゼロ・アリオーシュの願いなのだろう。
「俺も、協力するで」
「無論私もだ」
 レイとアノンの真面目な声でその考えを後ろから押してくれる。
「ありがとな」
 そうして夜は更けていった。

 1月15日、朝。この年の初雪が舞い降りた。
「ゼロ、誕生日おめでとさん♪」
「ああ……。ありがとう」
 目覚めたゼロの目の前に、いきなりのレイの笑顔どアップがある。お礼を言うのとゼロの拳が彼の頬に直撃するのは同時だった。ゼロの隣ではまだアノンが安らかな寝息をたてている。結局子ども用のベッド買おうとしても置くスペースがないことに気付いたため、アノンはゼロと同じベッドということにしたのだ。アノンは少し嬉しそうだったが。
「痛いやんけ」
「アノンの視界に入ったら毒だと思ったのでつい」
「……さらっとひどいなぁ……」
 目を開け切っていないゼロはやはりまだ寝ぼけているようで、言葉の棘が普段以上だ。
 まぁ、やった自分にも非はあると思っているのだが。
「とりあえず、今日はいつミュアンちゃんが来るか分からへんから、家でじっとしてよや」
「あ~……そうか。そうだな、分かった」

 朝の日課をこなし、朝食を3人分作ってゼロはアノンを起こしに行った。機能不全のない状態のときは睡眠も食事も必要なかったのだが、どうも故障してしまったような状態の今は、生体時の状態に近いらしくやたらと眠る。気がつけばソファで眠っていたりするのだからなかなか侮れないのだ。
 彼女の年齢を考えると昼寝のようなものなのだろうが。
「アノン、起きろ」
 しっかり目を覚ましたゼロの声に反応し、アノンがまぶたをこする。かなり眠そうだ。無理してゼロとレイが寝るまで起きているからなのだろうが。
「……ああ、ゼロおはよぉ」
 声がまさに子どもだ。先日買ってきた子ども用のパジャマと相まって微笑ましい限りだった。起き上がったはいいのだが、足取りがまだおぼつかないように見える。
「なんかお前、今の状態を満喫してるように見えるな」
 思わずそう言ってしまったのだが、アノンも否定はしなかった。まだ頭がちゃんと働いていないのかもしれないが。
「……新鮮だからかもしれないな」
「ほお」
 頭が働いていない、というわけではなさそうだ。
「私が生まれたての頃、といっても赤ん坊などではないが、とりあえず“生まれ変わった”頃からずっと戦い詰めで、眠らされたと思って次に目覚めた後はお前の知っての通りだ。こんな生活が出来るなど、夢にも思わなかった」
 その表情に浮かんだ憂いを見て、どうしようもなく彼女が愛おしく思えてくる。気がついたら彼女をそっと抱きしめていた。彼女も抵抗せず、ゼロに身体を預けた。
「お前もエルフになれないのかな?」
 彼女の境遇を思うと、自然と優しい言葉が浮かんでくる。彼女の人生を考えてみれば、今だけでなく、これからも彼女の望むように生きさせてやりたいと思うのは、決して欲張りではないだろう。
「……ばか者。そんな贅沢は言えないのだ……」
 私の主がゼロだというだけで、十分なのだ。その言葉を言うのは、恥ずかしすぎる。彼女はゼロの身体を離し、朝食へ向かった。

「アノンちゃんは知っとるん?」
「いや、言ってない」
 朝食の席でレイがゼロに向かって何気なくそう尋ねる。アノンの視線がレイへと動いた。尋ねる内容を言われなくても何の話題かが分かるらしい。少しレイが驚いたようだ。
「何のことだ?」
「今日は俺の生まれた日だ」
「誕生日って言えや……」
 正直あまり彼女に伝えたくなかったのだ。彼女には誕生日がいつかなど到底分からない。大戦時、まだ細かい暦は存在しなかったというのだから。
「ほお、それはめでたいな」
「アノンちゃんの誕生日はいつなん?」
 ゼロが一瞬厳しい視線を彼に向ける。レイはそんな視線などには気付いていないようだ。
「8月の27日だ」
「……?」
 ゼロがどうして、というような表情をしたのを、二人は見逃さなかった。
「昨日決めたんだがな」
「へへ、びっくりしたやろ?」
 どうやら二人が前もって話した内容のようだった。いくらアノンについてよく知らないと言っても“運命の楔”ということを知っているのだから、彼女に生年月日があるのか分からないことは知っているのだろう。
 アノン自身もにやにやしている。どうやら最初のレイの質問からして予め決めていた内容らしい。
―――さっきまで真面目な話をしていたと思えば……。
 先刻のしおらしい少女の面影なく、すっかりいたずらっ子だ。少々こどもらしくないのだが。
 ゼロのむっとした表情を楽しそうに眺める二人だが、それに対して怒りなどは毛頭ない。言ってしまえば、家族だ。怒っていてもしょうがない、それは分かっているのだ。
 むっとした表情を押さえて、ゼロは冷めた紅茶をのどに通した。

 正午を回ったころだろうか。
 家の呼び鈴がなった。
「アノン、今から来る奴はお前のことを見たことはないが、存在は知っている奴だから、無理してキャラ作りしなくていいぞ」
「別に、無理してるわけではないのだが……」
 あの猫を被った性格のことを言われたのだろう。アノンのぼやきを聞く前にゼロは玄関のドアを開けに行く。待たせたら怖い相手だ。
 ゆっくり扉を開ける。今中ではレイが紅茶を淹れているところだ。
「あ、こ、こんにちは」
 彼女の頭がうっすら白くなっている。朝からずっと、雪が降り続いているらしい。耳と頬を赤くした彼女の頭の雪を払ってやると、ミュアンが俯いてさらに耳を赤くした。
「相当寒そうだな」
「う、うん……」
 ミュアンがコートを脱ぎ玄関のコートかけにかけ、白い箱と袋を持ってゼロの後ろについていった。室内の暖かさに、ミュアンが少し嬉しそうにする。
 だが、何かを視界にいれた瞬間、彼女の表情が怪訝なものになった。
「あれ? この子は……」
「アノンだよ」
「はじめまして」
 ゼロの非常に簡単な紹介のあと、アノンが一礼する。動きが様になっているので、ついついミュアンも一礼してしまった。
「あ、こちらこそ……。んと、運命の楔、って子だったよね?」
「ああ、色々訳ありでな。詳しく知ろうと思わないでくれ」
「あ、うん」
「ほんまかいな」
 ゼロの言葉に素直に頷いたミュアンを見てレイが思わずツッコミをいれる。彼自身もまだ詳しい話を聞いていなかったので、今聞けると思っていたようだ。
「今日の本題はそれじゃない」
 ゼロの視線がレイを一蹴する。それだけで彼は黙り込んでしまった。アノンも何も口を挟まないようにしている。
「あ、うん。でもそのまえに、はいこれ」
 ミュアンがゼロに箱と袋を差し出す。よく分からないまま、ゼロは受け取った。
「開けていいのか?」
 恥ずかしそうにミュアンが頷いた。遠慮なく、袋を開けると、青い毛糸のマフラーが入っていた。かなりきめ細かく作ってある。どうやら手作りのようだった。
「誕生日なんでしょ? だから、プレゼント」
「ありがとな」
 照れっぱなしのミュアンにゼロが礼を言う。だが、あまり顔が笑いように見えた。
―――思ってたよりも、上手いな……。
 どうやら、驚いているようだ。普段の彼女を見る限り、あまり裁縫が得意なようには思っていなかったらしい。ミュアンに教えたら怒られそうだ。
「で、こっちは、自信ないけどケーキ焼いてみました」
 恐る恐る箱を開けると、そこに少しいびつな円形の物体がでてきた。
「頑張ったんだけどね……」
 表情が引きつっていた。だか、今度はゼロの方が微笑んで「ありがとう」と言ったので、またミュアンが照れてしまう。彼からすれば普段のミュアンは少し不器用なイメージのようだった。正確に言えば、ゼロの女性へのイメージ、のようだ。
 確かに西で彼を待つユフィも、家事は得意ではない、というより不得意だ。
ゼロがそれを切り分け終わり、口に運んだ。
「ん……うまいよ」
 その言葉でミュアンの表情が輝いた。どうやら世辞ではないらしい。味と見た目は必ずしも反映しない。料理に大事なのは気持ちなのだということだろう。

しばしの談笑のあと、話が本題に移る。ミュアンはまず自分がレリムと交わした話の内容を伝えた。アノンはよく理解していないようだったが、ゼロとレイは真剣に頷きながら話を聞いていた。
「――というわけで、“平和の後継者”と貴方たちの仲立ちも兼ねてですが、これからお世話になります」
 ひとしきりの話を終え、最後に軽く一礼する。彼女の表情はどこか満足げで、迷いのない目をしていた。きっと彼女が考えに考え抜いたことだからなのだろう。そう感じたからこそ、ゼロとレイも頷くしかしなかったのだ。
「ミュアン・リリルナ、といったか」
 平和に話がまとまった辺りで、アノンが口を挟んだ。3人の視線が彼女へ集まる。
「出来れば中央の仕組みについて説明して頂きたい」
「分かりました」
 今日はよく喋る日だ。そんなことを思いながら、ミュアンは一般的に中央について言われている、自分の知識を彼女に伝えた。

 日が傾きかけた頃。
「じゃあ私、そろそろ帰るね」
「送るか?」
 雑談を終え、ミュアンが腰を上げる。合わせてゼロも立ち上がった。
「あ、じゃあ……お願い、しよう、かな?」
 照れながらも、恥ずかしがりながらもちゃっかりとお願いするところが彼女らしいといえば彼女らしいが。
 ゼロが苦笑しながら、ミュアンが編んでくれたマフラーを巻き、コートを羽織った。その行動にミュアンが少し嬉しそうにした。
「おじゃましました」
「じゃあ、帰ってくるまでに夕飯の用意だけはしとけよ。帰ってきてすぐ作れる程度にな」


「なんか、あんまり誕生日祝ってあげられなくて、ごめんね」
並んで歩きながら、ミュアンが会話の糸口を開いた。雪は依然としてしんしん降り続いている。吐く息も白く、辺りはまさに白一色に染まりつつあった。
「いや、お前は物までくれたし、十分過ぎるよ」
マフラーを示しながらそう返事が返ってきた。素直な感想なのだろう。ミュアンにもそれが伝わり、彼女はふっと微笑んだ。
まるで彼が子供みたいに見えた。
「レイもアノンも、気持ちだけさ」
「アハハ、やっぱゼロ貴族なんだね」
「そうか?」
ミュアン自身平民出身だから、それなりに貴族というものには偏見があるのかもしれない。
「アリオーシュ家は特異な方だから、俺なんか全然貴族じゃないぞ?」
「今は王族じゃん」
「そういう意味じゃなくて――」
ミュアンのからかいに対し律儀に答えるゼロはどことなく可愛かった。
「――分かってるよ。でも、必ず盛大に祝ってもらってたんじゃない?」
ゼロが黙り込んだ。たしかに言われてみればそうだ。貴族学校の休日ならば必ずパーティが執り行われ、登校日だったとしても近しい間柄の者たちを招いて祝してくれていた。
「やっぱちょっと憧れるなぁ」
 ミュアンがクスクス笑いながら言うその様は、さながらゼロの幼馴染のようにも見えた。ゼロはよく分からない、という風な顔をしていたが。
「乙女はお姫様に憧れるものなの!」
「お姫様、ねぇ」
 一応アリオーシュ家が西の王家になったからには、妹のセシリアもお姫様なのか、などとつい考えてしまった。だがきっと彼女の考えているお姫様と現実は違う。なんというか、重荷を背負うものなのだ、実際は。
「そうだな、お姫様にしてやることはできないけど、西に帰ったら招待くらいしてやろうか」
 唐突なゼロの提案に、ミュアンはきょとんとした表情を見せた。何を言っているのか、そんな感じだろうか。
「確かに中央と東西南北の行き来は長い歴史の中でずっと禁忌とされる掟になってるが、俺はそろそろそんな掟は撤廃してもいいと思うんだ。向こうは平和になった。こっちももうすぐ平和にしてみせる。そしたらほら、みんな平和だろ?」
 それを語るゼロの表情は、おとぎ話に想像を膨らませている子どものように輝いていた。別段自分がそんな気持ちを忘れてしまったとは思わないが、そんなゼロが不思議と羨ましかった。
「みんな平和は、難しいんじゃないの?」
 中央と東西南北の交流については、素晴らしい考えだと思うし、見てみたい気もする。だが、みんなが平和、というのは安易なものに感じられた。
「俺がそう望むんだ。確かにみんな平和でみんな幸せってのは都合のいい夢想かもしれないけど、それが西王としての俺に課せられた償いなんだと思う。ほら、俺の手は綺麗じゃないしさ。だからなのかな、余計に平和を願うんだよ」
 その言葉には、表も裏も無いように思えた。いや、裏も表もないからこそ、こんなにも彼女の心を痛めるのだ。英雄の手は、表舞台に立ったとき、一見汚れを知らない真っ白な手であるように見えるが、実際そんなことはない。幾多の屍の上に積み上げられた栄光の外観しか人民には見えないだけだ。戦いに身を投じた者だけが知る、栄光の裏の闇とでも言うのだろうか。
 東西南北の戦いを見ずとも、ミュアンにはなんとなく分かる部分があった。おそらく彼が統一の夢のために殺したエルフの数は、想像を絶する数に違いないのだ。今となって思い出す、ゼロが戦わないと言ったことを。今となっては、守るために再び武器を取ったのだが。
「言っとくが、これはまだ誰にも言ってない俺の夢なんだぞ?」
 何を言わないミュアンに何を思ったのか、ゼロが覗き込むようにして彼女の顔色を窺った。
「誰にも言ってない?」
「当たり前だ。そう易々とこんな常識外れなこと言えるかよ」
 さっきまでの夢を語る格好良さがぱっと姿を消した。
「あはは、ゼロらしいや」
 そのあとは和やかに会話が出来、あっという間にミュアンの家へ辿り着いた。
「送ってくれて、ありがとね」
「どーいたしまして」
 一瞬間沈黙が訪れる。
 ミュアンは突然に微笑んだ。
「お誕生日、おめでと」
「いまさらか」
「ちゃんと言ってなかった気がするから」
「そうか? ……まぁ、ありがとな」
「うん、じゃあ、またね」
「ああ……おやすみ」
「うん、おやすみ」
 ミュアンは胸の内に温かいものを抱いたまま、白の中へ去るゼロをずっと見つめていた。




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