最終章

凱旋




フォレスト・セントラルから離れ、西。
西の王城ホールヴァインズ城の執務室に、一人の美しい女性の姿があった。
黙々と目の前の資料を見ながら、頭を捻らせている。
「う~ん……どうしようかな……」
計画を推進したいところだが、南からの援助を足しても、資金が明らかに不足している。この不足分をどこから捻出するか、それが問題だ。
コンコン。
頭を捻らす彼女の耳に、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
見向きもせず彼女は返事をする。相手はわかっている。
「王妃、少し働きすぎではありませんか? ここ数日ほとんど休まれておられないようですし、今日はこの辺で切り上げて、お休みになられてはいかがですか? 体調を壊されては……ゼロ様も悲しむことでしょうし」
アリオーシュ家に古くから仕えているメイド長のマリメルが、彼女を心配し、顔を出してくれたようだ。城勤めの者の中で、“ゼロ様”と呼ぶのは彼女だけだ。
他の者は必ず“ゼロ陛下”と呼ぶ。やはり、西よりもアリオーシュ家に仕えていた年月が長い所為だろうか。あの大戦から2年経つが、今戦の英雄ゼロ・アリオーシュはいまだ帰還しない。
しかしながら彼女がゼロの居場所を知っていることなど、ユフィは露も知らないのだが。
ユフィは彼女にそう言われて、疲れているような、そんな気がしてきたようだ。夜通しで書類と向き合っていた。気づけば日が昇っている。そう実感すると、瞼が突然重くなってくる。
「そうね……マリメルの言うとおり、今日はここで一段落しようかな」
彼女は立ち上がり、手早く帰宅の準備をした。
「城門前に馬車を用意しております。どうぞご利用ください」
相変わらずのクールビューティ。微笑んだりせず、物腰穏やかな口調で彼女は女性にそう言った。
「用意のいいことで」
苦笑して、彼女は城を後にした。場所越しに当たる陽の光は、冬だというのに眩しいくらいに強く感じられた。

アリオーシュ家に用意された、自分専用の部屋に入り、ベッドの上で無防備にも横になる。
ゼロと会わないでもう2年近く経つのだ。彼女の疲労は心身ともに極限まで達していた。
自分でも驚くくらい努力したと思う。きっと彼も驚くに違いない。そう考えると、彼女は自然と頬が緩んだ。
「ゼロ……貴方は今どこにいるの? 何をしているの……? もう、2年と37日も会ってないんだよ……会いたいよ……声を聞かせてよ……」
付き合い始めてから、こんなにも彼と会わなかったことはなかった。どんな時でも定期的に会っていたし、話していた。想いを確かめ合っていた。
人知れず涙が溢れる。
これまでにどれほどの涙を流し、枕を濡らしてきただろうか。
だが涙は決して枯れることなく、毎日のように流れ溢れる。
弱さを実感すればするほど悔しく、寂しくなる。
そんな彼女を慰めるように、暖かい日差しが窓から差し込み、カーテンが風に揺られた。




時刻は少し遡る。夜通し歩き続けたゼロたちはようやく西の城下町へとたどり着いた。とりあえず自分の家へと向かい、疲れ切ったアノンを休ませようとする。
忘れるはずもない自分の生まれ育った家を目にし、感慨深いものを感じた。
ここで見つかって騒がれると疲れたアノンに迷惑だと考え、あえて正面から入らず、裏口に回る。その途中だった。
少しだけ開いた窓から、女性の泣く声がした。
ずっと、ずっと聞きたかった声。それが泣いている。
「行ってやれ。私は少しここで待っているから」
 疲れが出ているものの、口調は力強い。彼女の好意にここは甘えさせてもらうとしよう。
 柄にもなく、心がドキドキしてくる。
 会いたくて、会いたくてしょうがなかった相手がそこにいるのだ。
 久々の再開が窓から登場というのはどうかとも若干思ったが、もう止められなかった。
 ゼロ・アリオーシュは、ユフィの部屋の窓枠に手をかけた。





揺れたカーテンの向こうから、人影が入り込んでくる。
「ゴメンな、今までずっと一人にして」
空耳かとも思った。
その声は、あまりに懐かしすぎる声。
思わず、耳を疑った。
慌てて彼女は窓のほうへ振り返る。
「やっと、全部清算出来たよ」
窓から入ってきたのだろうか、外の匂いと日光の匂いとともに、彼は窓際に立っていた。
どこか恥ずかしそうに、だけど、ひどく嬉しそうに。
「……バカ! 今までどこをほっつき歩いてたの?! ……すっごく、すっごく心配してたんだよ……?」
ベッドに腰を下ろしたまま、彼女は泣きながら男のほうを向いていた。涙を隠すように叫ぶが、叫べば叫ぶほどに涙も溢れる。
男が彼女に近付き、そのか弱い身体をギュッと抱きしめた。
「もう、二度とユフィを独りにはしない。神に誓うよ」
彼女は彼の優しさに包まれ、彼の温もりに溺れた。
「約束だよ?絶対絶対約束だよ?」
子供のように泣きじゃくりながら、彼女は問い返した。
「あぁ」
男は優しく答えた。彼女の頭をぽんぽんと軽く叩く。彼女の身体を離し、顔を上げさせた。
「……ただいま、ユフィ」
照れたように、だが満面の笑みを浮かべて、男は彼女にそう告げる。
「……おかえり、ゼロ」
満面の笑みで彼女は答えた。
陽射しが、彼女の涙を輝かせた。
輝く笑顔が、全ての幸せと喜びを語っている。
今、本当に全ての戦いが終わった、その瞬間であった。




「馬鹿が」
 外から声だけを聞いていたアノン自身も何故か恥ずかしく、嬉しくなってしまった。
 改めて実感する。新時代は今日からスタートするのだ。
 誰もが望んだ、英雄ゼロ・アリオーシュの帰還が、始まりの鐘だ。
終戦から2年と37日が経った今、やっとエルフの森は新時代を迎えるのだ。
幾多の人々の期待を背負い、たった一人の女性の切なる願いの末、英雄ゼロ・アリオーシュは、今ここに凱旋した。

 そうしてここに今、エルフの森の空白の2年間が埋められた。






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