序章

英雄凱歌









 その噂は瞬く間に広がった。
 英雄ゼロ・アリオーシュの、2年越しの凱旋。
 誰もが彼は大戦の元凶たるムーン・クールフォルトとの戦いで相打ちとなり、戦死したと思っていた。彼を心から信頼する者以外、ほぼ全ての国民が。
 しかし彼の姿は幽霊などの類ではなく、れっきとした本人そのものなのだった。
 すぐさま公務に付くつもりであった彼を無視するかのように、東西南北全領土をあげて、森が祝福の色に染まっていく。来る冬風などなんのそのとでも言わんばかりだ。
 この凱旋のもたらす意味は大きい。
大戦後やっと、森の四王が一同に会するのだ。
 なんとも気恥ずかしい心情で、ゼロ・アリオーシュは自身の凱旋記念パーティー開場である北へと何名かの重鎮とともに馬車に揺られ向かっていた。



 大戦後、街道を整備したのだろう、馬車の揺れは少なかった。今日は風も穏やかで、少しだけ肌寒く感じる程度だ。
「虎狼騎士団の解体とは、恐れ入るよ」
 気だるげな声が馬車の中で生まれた。声の主は豪華な礼装に身を包んでいるが、その衣装も彼の美貌の前には絢爛さを失っている。形容しがたいほどに整った容姿をした黒髪の青年こそが2年前東西南北全てを巻き込んだ戦争を終わらせた英雄だと、彼の名しか知らない者が果たして信じるだろうか。美しすぎるその顔が今は苦笑いを浮かべている。
「戦争は終わったんだもん。戦うための騎士団より、守るための騎士団の方が今にふさわしいじゃない?」
 英雄、ゼロの言葉に答えた女性もまた美しすぎた。繊細で可憐な容姿は見る者を魅了するだろう。ふんわりした桃色の髪が馬車の振動でやわらかく揺れていた。今しがた質問に答えた口元は軽い微小を浮かべている。楽しそう、だ。2年間最愛の者と会えなかったのだから、その彼と一緒にいられるだけで幸せというのも分からない話ではないだろう。まだ20歳と19歳の二人とはいえ、二人が夫婦、国王と王妃という事実は変わらない。
「それで親衛隊、ね」
 悪いとは思わない。ただ自分が虎狼騎士団という長い歴史を終わらせて良かったのか、そう疑問が浮かぶ。虎狼騎士団を知らぬエルフはいない。それに終わりを告げることがいまいち飲み込めなかった。時がたてば、ほとんどの人々の記憶から消え去ってしまうと思うと、何だか切なかった。
「改革も、時がたてば常識になるよ」
 そのゼロの表情を汲み取ったのか、宰相であるベイト・ネイロスが声を発した。ゼロ不在の2年間、王妃として西の政治を行ってきたユフィを支えた二人の重鎮のうちの一人が彼なのだ。この改革に対する思い入れは強いだろう。優しそうな顔立ちはまだ幼く見え、少年と称されても不思議ではないかもしれない。
「何だかんだで名前が変わっただけのようなものですからね。内部のメンバーも変わったわけではないですし」
 この場においてひと際雰囲気が大人の男性が発言した。親衛隊隊長、テッセン・イノーモルだ。2年前の大戦では最前線で戦い、生き延びた西でも指折りの戦士だ。伝統的な虎狼剣術をマスターしている数少ない存在でもある。
「本来なら兵への給与を減らして、軍事費に割く予算を削減したいのですがね」
「そしたら兵たちの不満が募ること請け合いだな」
 予算についてボソボソと呟くのはベイトと同じく、ゼロ不在の2年間経済的な面で西を支えたミシェリラーナン・ニークター、容姿はまだまだ子供にしか見えないような小ささなのだが、頭脳は西でも指折りだ。ベイトとは同い年の従兄妹の関係にあり、彼の紹介で西の治世に関わっている。
「金のために働く騎士じゃなく、名誉・国のために戦う騎士が欲しいですわね」
 そしてその呟きを聞き洩らさなかったのが近衛騎士団長エキュア・コールグレイ、28歳だ。コールグレイ家の次女で、近衛騎士団長に就任して今年で3年目になる。男勝りな性格だが、容姿は鋭い雰囲気でかなり整っており、近衛騎士団の中では憧れの存在として名高い。大戦にて活躍した、ゼロの貴族学校時代の級友であるライダー・コールグレイの実姉でもある。
「もしカットすんならまず親衛隊からにしてくださいな。王立騎士団は貧乏人が多いっすからね」
 その会話に割って入ったのが王立騎士団長のアドルフ・ライツェインだ。ライツェイン家の長兄で、1年半ほど前の騎士団改革から王立騎士団長に就任したばかりの男だ。親衛隊よりも3倍ほど人数の多い王立騎士団をまとめるほどの人物であり、剣術も親衛隊内にいても五指に入るほどの器だ。
「下げるんなら一律の割合で下げるべきだろ」
 騎士団長たちの会話に国王であるゼロが割って入った。
 そうなると騎士団長たちは何も言えない。
「給与減らしたって予算はツライと思うけどね」
 ユフィの呟きはこの2年間の経験からだろう。そんな談議をしながらも、馬車は北へとたどり着いたようだった。





 大戦で落城したアイアンウルフ城に代わり、北に建てられた新たな王城セイントノース城は、最強の要塞を誇った故城の面影はなく、エルフの森の首都を象徴するような豪華絢爛な城となっていた。
 落城の日、一度北は死んだ。そこから不死鳥のように蘇り、北王ローファサニの手腕によって見事なまでに回復を遂げた。華やかな面はなくとも、政治の中心は確実に北なのだ。森の中で、一番閑静な地区となっている。
――よくここまで回復したもんだな。
 改めて自分のいなかった2年を思い知らされる。どこもかしこも新しくなっている気がしないでもない。
――シューマ、ルー、お前らも今を見てるのか?
 ふと浮かぶ寂寥の念。大戦で亡くした二人の親友がいればと思うのは、当然の心理か。
「そういえば、ローファサニ様もご結婚なされたんだよ」
「ほぉ、そいつは初耳だな」
 彼のイメージは真面目というのがゼロの本音で、それ以外のイメージがあまりのないのも事実だ。その彼が結婚したとなれば、相手も相当真面目な人物なのだろうか。
「エリア様っていうんだけど……ゼロなら知ってるんじゃないかな?」
 エリア、という名前には聞き覚えがあった。奇しくもたった今縁の者のことを思い出していたばかりなのだ。
「シューマの、姉さんか?」
「正解ですわ」
 ゼロとベイトの親友だった故シューマ・デルトマウスの実姉、エリア・デルトマウスは年子の姉弟だ。弟とは対照的に穏やかで優しい人柄の綺麗な人だった。確かに王妃というポストは似合っている。
「あいつも生きてりゃ王族の一員になれたのに、もったいないねぇ」
 その呟きを残して、ゼロたちの馬車はセイントノース城内へと入って行った。




 馬車から降りた彼らを歓迎したのは見知った顔だった。
「セティさん!」
 あの大戦で共にクールフォルト家内に侵入した戦友だった。今は北の宰相という役職だったか。
「お久しぶりですね、西王殿。お元気そうでなによりです」
 怒らせると本当に怖いが、基本的に穏やかな優男、それがセティ・ユールという人物だ。
「積もる話は城内にて。東王、南王も既に到着なさっております。出来る限りのおもてなしを用意しておりますので、どうぞお楽しみください」
 少しずつワクワクしてくる。まるで子供のようだと自分ながらに思いながらも、ゼロは自分の感情を抑えられなかった。
 会う人会う人が懐かしいのだ。
 足取り軽く、ゼロたちは会場へと向かった。

 豪華な扉を開ける前から、その部屋では人の気配がした。そこまで多くはないのだろうが、少し緊張する。今日の主役は自分と分かっているものの、気恥しさは否めない。
 意を決し、扉を押す。彼の後ろでは西の重鎮たちが見守ってくれている。
 扉が、開いた。呼応するように内側から北の者が引っ張ってくれたらしい。
 ゼロたちの姿が見えるとなると同時に、楽団の演奏が響いた。歓迎を意味する、誰しもが聞いたことがあるであろう音楽だった。
 ここまでされるともう歯止めは効かないだろう。今日という日に、自分という立場を精一杯利用してやるだけだ。
「よぉ! 久しぶりだな!」
 軽い口調で切り出したゼロに対し、場内から笑いが起きる。だが、逆に彼らしいか。ベイトの苦笑とミシィの不満そうな顔を気にせず、ゼロは中へと進んだ。知らない顔もいるが、見知った顔も多かった。
 彼の前に一人の男が近づいてくる。すぐ後ろには優しい微笑みを浮かべた美しい女性がいた。いつの間にか、顎には髭などを蓄えている。それで威厳が増したように思えるのだから、得な外見だ。
「君の凱旋を、ずっと待っていたよ。おめでとう」
 そう言って握手を求めてくる北王。何も言わず、ゼロはその手を取った。文人の手だとは思いながらも、ペンだこの固さから彼の苦労が計り知れた。
 北の侍女たちが西の面々にグラスを運んでくる。乾杯の音頭は言わずもがなだろう。
「恥ずかしいが、言いきってやる! 俺はちゃんと帰って来た。俺が帰って来たこの日からが、森の新時代の幕開けだ!」
 感謝を述べるでもなく、グラスを掲げる。会場がドッと沸く。あまり彼らしいとは思えなかったが、逆にそれがこの2年間を意味したのかもしれない。フォレストセントラルでの2年に渡る戦いの日々が、彼にどう影響しているのだろうか。
 会場を見渡せば笑顔が溢れている。これだけの人が、自分の帰還を待っていてくれていたと思うと普通に嬉しかった。
 そんな彼に近づいてくる男性が二人。
「おかえり、ゼロ」
「元気そうでなによりだね、ゼロくん」
 南王シスカ・コライテッドに、東王ライト・クールフォルトだ。四王の中で最も若いシスカは、黙っていれば女性に見えなくもない中性的な美少年だ。もう17になると言うのに、まだまだ子供らしさが抜けていない。もう一方のライトは大戦の元凶とも言われるムーン・クールフォルトの実兄で、大戦中もゼロたちに対し剣を向けた元敵だ。だが元凶はムーン、彼に罪はないとのローファサニの言葉を受け、敵国の国王であったが、今でも東の王の座についたままでいるのだ。大戦後しばらくムーンを失った痛みから何をしても手につかなかった状況から抜け出し、今では東を立派な経済大国へと成長させている。
「これでやっと四王が一同に会したな」
 何でもない集まりのようで、とてつもなく意味のある四人の集合。ローファサニは感慨深げに頷いた。
「ローファサニさんまだ22でしょ? そんな髭なんか生やしちゃって、かなり上に見えますよ」
「言ってくれるな、ゼロ。これでも種族の王として色々意識してるんだよ」
「まずは見た目からってね」
 口調軽く話せる、王という位などまるで関係ないようだ。
「君もなんだか随分丸くなったね」
 優しい口調のライトに対しゼロはまだどう接すればいいか分からなかった。大戦で彼と戦ったし、彼の妹のムーンを殺したのは自分だ。この事実を、どう扱えばいいのか。
「2年も前のことは気にしなくていい。こうして今平和に手を取り合っている。確かに最初は僕も君が憎かったけど、憎しみじゃ国を動かせない、人々の笑顔を見てそう思ってね。だから、今のために過去のしがらみは忘れよう」
――強い人だな、ホントに。
 人づてに聞いた彼の話によれば、優しさしかない無能者だということだったが、とてもそうは見えなかった。最も辛い立場にいたからこそ、最も王らしく行動しているのが彼かもしれない、そう思う。
「大人だな、ライト様は」
「お前はいつまでも子ども過ぎるだろ」
 ローファサニとシスカに実年齢以上の年齢差を感じるのはゼロだけではあるまい。
「む、なんだよー」
 その言葉に突っかかるようにシスカは頬を膨らませる。元々西と南の仲は良好だった。そしてゼロとユフィの結婚によりその仲は盤石なものとなった。四王の中でゼロが一番相手にしやすいのがシスカなのだ。残る二人が年上なのもあるのだろうが。
「しかしこの2年どこにいたんだ? うちの諜報部でも掴めなかったというし」
 ローファサニの質問の意味をゼロは一瞬理解出来なかった。北の諜報部の者とフォレストセントラルで接触したのは事実だが、場所が場所だっただけに報告しなかったのだろうか。確かに中央と東西南北は往来を禁止されてはいるが。
「フォレストセントラルの方に、ちょっとね」
 肩を竦めながら答えたゼロだが、他の3人は想像以上に驚いていなかった。
「ま、そこくらいしかないだろうとは思ってたけどね」
「こちら側が統一されたことだし、向こうとも国交を回復する頃合いとも考えていいかもだね」
 シスカとライトは中央との国交回復によりどんな利益が上げられるかすぐに計算したようにも見えた。ローファサニだけは苦笑していたが。
「近いうちに国交回復の条約を結びたいとは思ってる。あっちも平和になったから帰って来れたんでね」
「向こうでも戦ってたの?」
「まぁ、一応な」
 この答えには流石の3人も呆気に取られたようだった。彼の強さは重々承知している。とは言え彼の強さは単純に武術だけではない。揺らがない信念こそが彼の強さであることも分かっている。
――神を倒した、っても信じちゃくれないだろうなぁ。
 彼が中央で戦った相手には様々な最強がいたが、やはり種族の神、エルフの化身を超える相手はいなかっただろう。自分の中に眠るアリオーシュの力を解放して、イシュタルの直系であるシーナ・イシュタルという男と協力してやっと倒したほどだ。もうあんな戦いはしたくない。
「こっちはどうなんだ?」
「平和そのもの! って言いたいとこなんだけどね」
「“FT”って呼ばれる麻薬を知ってるかい?」
 ゼロの質問に対し、3人は一様に顔をしかめさせたり苦笑を浮かべたりした。
 ライトの言う“FT”という単語は聞き慣れないものだったが、麻薬という言葉にゼロも少し怪訝な表情へと変わる。
「いや、知らないですね」
「最近うちを中心に流行ってるやつなんだけど、水に溶かして飲むと強烈な幻覚作用に陥るみたいでね、使用者には快感みたいなんだけど、その使用者の犯罪件数が急増してるんだよ。中毒性も高いみたいなんだけど、厄介なことに製造元の組織の尻尾がつかめないんだ」
「使用者が禁断症状に陥ると『天使が泣いている』って口を揃えて言うことから“FT”、fairy tailって呼ばれてるのさ」
 ライトの説明は初耳の内容ばかりだった。ゼロの知識上の麻薬とは医者の管理の下、厳格に取り扱われるべき代物だ。一般に横行しているというイメージがなかなか浮かばない。
「その使用者、うちにも出てね。捕まえて吐かせたら『麒麟』って単語が出てきたんだけど、これが組織名っぽいかも」
「麒麟ねぇ」
 この話題中のシスカの表情は暗い。何かもう少し情報を持っているのかもしれないな、とゼロは一人考えた。
「原料はうちの多年花のマルレポールって言うんだが、麻薬にも薬って名前が入るように、一部の医薬品にも使われるから栽培禁止には出来ないんだよ。それで栽培域を騎士団直轄地に限定したんだが、全く効果はない。独自の畑で栽培してる可能性が極めて高いな」
「そうなると貴族と癒着してる可能性が高まるよね……」
 原産地である北と、麻薬被害が著しい東、両王とも頭を抱えているようだ。
 周囲の和やかな雰囲気の中、ここだけ空気が重いような気がした。気づけばちらほらと聞き耳を立てている者もいるようだが。やはり四王会談ともなれば注目の的には違いない。
「南にザッカート孤児院っていう、まぁよく“南のブラックボックス”って言われてる孤児院、孤児強制育成所があるのは知ってるよね?」
 グラスを一気に飲み干し、シスカが突然の話題を切り出した。いつも自信に溢れた彼の表情も、今ばかりは陰が落ちている。
「悪い噂ばっか聞くとこだな」
 ゼロの言葉に他の二人もおおよそ同意のようだ。
「まぁそれも仕方ないよ。あそこは昔から過激派っていうか、危険思想なんだけど……おじーちゃんが戦いの危機をあそこに助けてもらった恩があって、国が一孤児院に助けてもらうって構図がそもそも変なんだけど、向こう100年の不可侵の約束をしちゃったんだよね。有事の協力って約束もあるし、一応大戦では戦ってもらったんだけど、今回の件に絡んでるとしたら手が出せないんだよねぇ……」
 先ほどからの暗い表情はどうもそのザッカート孤児院が原因だったようだ。中身までは知らないが、人間兵器を作っているようなもの、とゼロは聞いたことがあった。
「どこの国も大変だな」
「そういう君のとこは、軍の改編とかしたみたいだけど問題はないのかな?」
 ライトの質問に対しゼロは一瞬言葉に迷った。
「さぁ」
 そして結局絞り出した言葉がこれだった。3人とも苦笑する。帰ってきて間もないのだ。それも仕方ないか。聞いた話だけには問題はない。おそらく自分よりも、自分が不在の2年間を任されてきたユフィ、ベイト、ミシィの方が政治に関しては才能があるはずだ。だから彼女らを信頼するゼロからすれば、問題はないはずなのだ。
「それはそうとセシリアのことなんだけど……」
「ではそろそろ他の者も君と話したいだろうし、四王会談はまた次の機会にするか。正式な通達は近々送るよ」
 一気に話題を変え、明るい空気にしようとするシスカに気づき、ライトとローファサニがゼロとシスカの所から離れていく。会釈で2人を見送った後ゼロはシスカに向きなおった。
「もう子どもじゃないんだ。あいつの意思を尊重するよ。ただし、泣かせたら戦争だ」
 二人の気持ちについては知っている。ゼロの実妹のセシリアとシスカが結婚すればシスカが義弟になると思うと変な感じだが、両親を失った彼女の親代わりとしても、ゼロは彼女の意思を元々尊重するつもりだったのには変わらない。
 泣かせたら戦争、などと冗談を言える位ことは現実味を帯びていた。
「大丈夫だって。心配ご無用。じゃ、その件についてはまた連絡するね」
 そう言い残しシスカもゼロの所から離れていく。
 空いたグラスを埋めるべく、メイドたちの方に向かおうとしたのだが。
「お久しぶりですね、西王様」
 意志の強そうな、だが決して強すぎない、良い声が耳に届いた。一度だけ聞いた声だが、ゼロはその声を忘れてはいなかった。フォレストセントラルにいた時、森の禁忌を犯して彼に会いに来た者の一人、北の諜報部のキュアリス・フーラーと言ったか。
「こうやって話すのも卒業以来だな」
 対してもう一人別な声は、意識しなければ聞き取れないような、淡々とした声だった。
 完全に足止めを食らったゼロだが、懐かしの顔ぶれにゼロも表情を綻ばせた。
「俺が北にいた時期もあるってのに、全く会いに来ないんだもんな、シレン」
「どうせお前は西に戻ると思っていた。そんな輩と話す口は持っていなかっただけだ」
 シレン・フーラー、北の諜報部団長でゼロの貴族学校時代の級友だ。再会を祝して乾杯しようとしたところ、自分の杯が空なのを思い出す。
「持ってきますね」
 そんなゼロを見て、キュアリスがグラスを預かり給仕の方へ向かって行く。
「気が利くねぇ」
 さすがシレンの許嫁と言われている少女だ、と思う。
「フーラー家の一員だからな」
「お前に言わせると全部それで済んじまいそうだな……」
 東西南北どの国も諜報部は抱えているが、北の諜報部団は格が違う。団員数は他国よりもひと桁近く多く、歴史も長い。その歴史を全て抱えているのが、代々その団長の座を担っているフーラー家なのだ。
「お待たせいたしました」
 キュアリスの持ってきたグラスで改めて乾杯する。
「この葡萄酒だが、どこのものか分かるか?」
 唐突な質問にゼロは一瞬意味を理解しかねた。
「農業が盛んなのは東だし、あのローファサニさんのことだ、東から高いの取り寄せたんじゃないのか?」
 美味い、と率直に思ったのだが、どうやら彼の表情を見る限り何か言いたいことは別なような気がした。
「東から取り寄せた、というのは正解だが。お前の考えはきっと外れだ」
 まだシレンの言葉の意味する所がいまいち分からない。キュアリスもゼロと似た表情をしていた。
「この葡萄酒はこの大陸とは別な大陸のヒュームの国で作られ、この大陸に運ばれてきた物をヒュームの国から取り寄せた物らしい」
「おいおい、ライトさんはもうヒュームとの貿易を始めたってのかよ」
「東は確かに商業大国ですけど、私も知りませんでした……」
 ヒュームとエルフ、種族間の対立があるわけではないが、今まで国交がもたれたという歴史は聞いたことがなかった。森の外へ出ることが禁止されているわけではないが、エルフは生涯森の中で生きるものだというイメージが一様にあるのだ。だからこそ、ヒュームとの混血児であるハーフエルフやヒューマノイドエルフが迫害の対象になるのだが。
 だがこの情報はゼロにとっては嬉しかった。いつかは森の外へ出て、世界を見てみたい、そんな夢が彼にはあったのだ。シレンの言葉には夢が持てた。この大陸とは別な大陸、つまり海という巨大過ぎる湖を越えた先の土地まで世界には存在するというのだ。
「俺はお前に期待しているぞ」
 含みを持たせた言い方でシレンが離れていく。正直もう少し話すこともあったが、無理に引き止めるほどのことではないと自分に言い聞かせた。会おうと思えばシレンにはいつでも会える、そんな気がしたからだ。
「少したくましくなったみたいね」
 今度ゼロに話しかけてきたのはまたもや貴族学校時代の同窓生だった。
「そうか?」
「雰囲気の話よ」
「あぁ」
 なるほど、と自分でも思う。この2年間が彼に与えた経験は今までにはなかったものばかりだった。その経験が彼を成長させた可能性は十二分になるだろう。
「マリアは変わらなさそうだな」
 ゼロの言葉に少しだけ苦笑いを浮かべる。マリア・フィーラウネはその歌声を評価され、大戦においてはムーン・クールフォルトに戦略的プロパガンダとして利用された過去を持つ憂いを帯びた美女だ。彼女の歌声は戦士たちを鼓舞し、ムーンの洗脳魔法をより強固なものとした。その責務を感じてか、今は東西南北の平和推進派機関“ピースメーカー”の代表を務めているという。
 そんな彼女の後ろから、ひょこっと新しい顔が2つ現れた。片方は黒髪の、まだ幼さの残る容姿だが整っており、守ってあげたくなるような可愛らしさと意志の強そうな瞳が印象的だ。もう片方の金髪碧眼の子もまだ幼さがあるが先の黒髪の子よりは大人びていて、どことなく見たことがあるような雰囲気を持っていた。二人ともから将来性を期待出来る雰囲気を感じた。
「お初目にかかります、ゼロ様にお会いできて本当に光栄です! 私はミラルカ・ベルクキクス、ピースメーカーに所属しております東の者です」
「同じく、セホ・リッテンブルグです」
 ベルクキクス家というのは聞いたことがなかったが、リッテンブルグ家は知っていた。忘れられない名前の一つに違いない。
「アスターの妹か?」
「……はい。兄は騎士の誇りを貫き通した、私の最も敬愛するお方です」
 アスター・リッテンブルグはゼロと貴族学校時代に同級生だった男で、大戦でゼロと戦い敗れ、命を散らした男だ。誰よりも正義感に熱かったからこそ、戦うのが辛かった一人でもある。
「じゃあ俺を恨んでるかい?」
 その発言にミラルカが少し動揺し、セホが黙り込む。
「恨んでくれてもかまわないぞ。仕方なかったんじゃ済まされない、俺がアスターを殺したのは事実だからな」
「恨んでなんかいません」
 顔を上げてゼロを見つめる眼差しの力強さは、今は亡きアスターを彷彿とさせるものだった。悲しみを乗り越えた強さがそこにはあった。
「兄は平和を誰よりも愛し、望んでいました。西王が今の平和をもたらしてくれた事実は疑いようがありません。一つ言えるとしたら、貴方が言い訳などする人じゃなくて良かった、それだけです」
 彼女の言葉にマリアもうっすらと微笑んでいた。若い世代の成長を感じ、ゼロ自身も安心感を覚えた。
 二人の少女を連れてマリアもまた違うテーブルへと向かう。自分がいなかった二年間でどれだけ新しい人材が出てきたかと思うと、少し楽しく感じられた。
「みんな心から君の帰還を望んでたんだよね」
 聞きなれた優しい声がやって来た。振り向かなくても分かる、自分が最も信頼する男の声だ。
「お前にも迷惑かけたな」
「困った時はお互い様でしょ?」
 微笑むその顔はもう19だというのにどこか少女のような儚さを備えたものだ。西の宰相ベイト・ネイロスと言えば、政治家として森の中でも指折りの有能な男として知られている。ゼロ不在の2年間を支えた自信と経験が彼を大きくしたのは言うまでもない。剣術では彼を守れないが、自分の得意分野でならなんとかなるのだ。
「助けられてばっかりな気がすんだけどな」
 改めてベイトと乾杯する。二人で面と向かって話すのも久しぶりだった。どことなく気恥しい。出会ってからもう12年も経つ、そう考えると本当にずっと一緒にいてくれたんだと実感する。
「そんなことない、そんなことないよ」
 感慨深げに否定する彼を見ると、やはり意地悪したくなった。
「確かに俺がいなきゃ、今こんなとこにいないしな」
 軽く額を小突いてやると、ベイトは少しむっとした表情をした後、諦めたように苦笑した。
「ったく……でも本当のことだもんね。改めてゼロが友達で良かった、ゼロが王様で良かった、ゼロと出会えて良かったよ」
 そして照れくさそうにこんなことを言ってくる。2年間会えなかったからといって、少し恥ずかしすぎじゃないだろうかとゼロ自身思ったが、言われる立場からすればまんざらでもなかった。
「これからも頼むぜ? 相棒」
「任しといて」
 結局は顔を合わせて笑い合う。礼装に身を包んだ美男の二人のその様子は非常に絵になっていた。
「私は仲間外れー?」
 いつの間にやらパーティードレスに着替えた王妃がわざとらしくむくれながらゼロの腕を取った。もう見慣れた光景なのか、宰相は苦笑するばかりだ。どうやら少々酔っているのかもしれない。
「王妃の努力こそ最も称えられるべきだと思いますよ」
「いいよ、敬語使わなくて」
 ベイトの発言にゼロが指摘を入れる。「流石に公の場なんだから」と返されてしまったが。
「そうだよ! 寂しくても我慢して、私頑張ってたんだよ!」
「はいはい……」
 呆れながらも彼女を離さないのは彼自身彼女を求めていたからか。普段はしっかりしているユフィも、今ばかりはゼロに甘え切っていた。悪い気はしないのだが、少々恥ずかしい。
「そろそろ休ませたほうがいいかもな」
 頬を赤くしているユフィを見て、ゼロはそんな風に呟いた。





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