おにぎり雑想



おにぎりには硬めに握ったもの、軟らかめに握ったものと色々あるが、僕は硬めに握ったものが好きである。口に入れる前にご飯が崩れるようなものは好きではない。一口噛んだときにふわっと口の中に塩味が広がる、この時にはこの上なく幸せを感じる。

今、コンビニやお握り屋でいろいろな種類の具が入ったおにぎりを売っていて、それはそれなりに美味しい。だけど、僕には家で握った硬めのおにぎりが一番すきである。

1.僕のおにぎりについての最も古い記憶は4,5歳の頃のものである。
僕の家は共稼ぎ家庭であった。父は小さな印刷会社に勤務し、母は髪結いをしていた。だから僕は一人遊びの子供だった。母は客商売で手が放せなかったのか、戸棚におにぎりを用意していたようだ。塩をまぶした小さなおにぎりだった。そのおにぎりが美味しかったかどうかは憶えていない。一緒に戸棚に入っていたつまみ食いの筋子が美味しかったことを憶えている。

2.今までで一番不味い思いをしたおにぎりは、昭和18年だったか、19年のだったか12月の東京からの疎開列車のなかで食べたものである。
朝、上野を経った時は晴れであった。上越線が越後に近づくにつれてどんより曇った空になった。どの辺を通過している時か不明だが昼頃おにぎりを食べることになった。列車の中は暖房があったかどうか記憶にないが、小さなおにぎりが冷たくて、パサパサ気味で不味くて喉を通るものではなかった。先方へ着いたら温かいご飯にありつけると自分で自分に言い聞かせながら我慢して飲み込んだ。

3.疎開をしてきて、母と妹達と伯父の家に間がりをしていた小学校入学前の頃である。父は家を守ると言うことで単身上京していた。
当時は食糧事情が逼迫しており、三食がおじやであった。それも勤めに行く伯父の弁当を作った余分のご飯を大根菜の味噌汁に入れた文字どうり箸の立たないものであった。
そんな折、斜向かいの家へ遊びに行った。後々考えると田圃持ちだったらしい。そこのお婆さんがおやつにおにぎりをご馳走してくれた。
真っ白いご飯を握って薄く味噌を塗し囲炉裏でこんがりやいたものだった。それは良い香りがした。焼きたては手に熱かった。夢中で食べた。味噌味には記憶にあるが、おにぎりが美味しかったどうかは憶えていない。

4.戦争が終って数年経って我が家にも少量の米がきた。髪結いだった母は腕を買われて結婚式用の鬘を結うアルバイトを始めた。美容院で新婦を作る時に頼まれて鬘と着付けをやっていた。鬘を作る時にはかもじを固めるためもっとい油を使う。その油は手に付くと石鹸で洗ってもなかなか取れないらしい。それでおにぎりを握ったものだからたまらない。油の匂いが僅かだがおにぎりに移ってしまった。このおにぎりも食べると匂いが鼻について不味かった。おにぎりを捨てられないほど米は貴重品だった。

5.高校時代の遠足の弁当は当然おにぎりであった。握り飯と呼んでいた。相変わらず我が家は貧乏であった。自分の握り飯は梅干が具の麦飯に緑色の青海苔を巻いたものであった。食べるときぼそぼそ崩れた。農家の子の握り飯は真っ白なご飯に真っ黒な海苔が巻いてあった。黒い海苔に比べて青い海苔は格安であった。農家はすごいなと思った。

6.学校を卒業して就職をした。2年目にI市にある事務所に単身赴任になった。
秋の職場旅行で,職場のおばちゃんが一人下宿の僕を心配してくれておにぎりを握ってくれることになった。
当日お昼に、真っ黒な海苔の立派なおにぎりを貰った。うれしかった。がぶりと一口噛みついた。あ! 塩が塗してないではないか。口の中に塩味がふわっと広がるのを期待していたので、良いお米のご飯だったが,お礼を言ったもののがっかりした。
それ以前は、おにぎりといえば塩をつけてから海苔を巻くものとばかり思っていたのだ。
嬉しさが半減した。土地によっていろいろ違うんだなぁと経験になった。

(再編集 あり)



© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: