NOUNOURS NOYEの日常

ラパンの愛情、そして忍耐



日本のフランス語学校で知り合った友人Kとアパートをシェアし、一応パリにも慣れ、詰まらない語学学校にも慣れ、なんかしたいなぁなどと呑気に生きていた頃であった。
違う友人Aが免税店で働いていた。明るい性格で騒ぐのが好きな彼女Aと友人Kでよく遊びにも行った。しかし、”フランスには学業をしにきた”という強い目的意志がある友人Kは、黙々と学校→宿題→家事をこなす日々だったので、友人Aはフラフラしている私をよく誘ってきた。

ある日、QUEEN(シャンゼリゼにあるゲイのディスコ)にNYから有名なDJが来るから行こうと誘われた。忘れもしない5月17日水曜日である。木曜日は朝早くから授業があるんだけどなぁと思いつつ、毎日ロボットのように暮らすKを見るのも詰まらないので、出かけた。
はじける前に一杯と、バスティーユにある行きつけのバーへ。水曜日というのに相変わらず凄い人で、ワイングラスを持って移動するのも大変で、周りの人など目に入ってこなかった。やっと、友人Aが、“席を見つけたよ”と言ってきたので、はぁと腰を下ろした。が、いなや、新しいワインを取りにいったAが戻ってきて、”なんか一緒に飲みたがっている人達がいるけど、来る?”ときいてきた。おー、フランス人か!ようし、待ちに待っていたフランス人との生会話ができる!

そう、語学学校に通っていると、フランス人と実際会話をする機会などないのだ。友達はヨーロッパ各地から来た人達で、会話は英語が中心である。実際、フランス語を話すのは、買い物くらいか、怪しく日本人目当てにナンパしてくる奴を追い払う時くらいだ。折角手に入れた席だけど、仕方ない、お話しようでないか!そういって、人をかき分けかき分けたどり着いた先にいたのが、ラパンだった。

あー、あの頃は二人とも若かった。今見ると、別人のようなラパン。スポーツマンですっ!と言わんばかりのスラーッとした体格していたなぁ。いまじゃ、パパですっ!と言わんばかりのマルッとした体。
何を話したかはもう覚えていない。だって、全然喋れなかったもんなー、あの頃は。
Je suis japonaise. J'habite a Toko. Je vais a l'ecole de la langue francaise.
(私は日本人です。東京に住んでいます。〔←でも、今はぱりだろーが。〕フランス語の学校に通っています。)
なんつーくらいか。それでも、熱心に聞いてくれたっけ。

ラパンはあせくせと人をかき分けて通っていった私を見ていたそうだ。そして、ラパンは自分の電話番号を教えてくれた。大抵、教えろタイプが多かったので、ちょっと点を稼いだラパン。
そうそう、ラパンはその頃、service militaire(兵役)で、一緒のクラスの田舎からきた友人をパリのバーに連れてきてあげていたのだが、その彼とは一言も喋らなかった。それに、私がラパンとジェスチャー会話をしている間、友人Aはバーの何処かで一人勝手に踊っていたので、友人君は暇だったろうに。

その後、我々はお決まりのディスコへ。フル*ンのゲイさんと楽しく騒いで、帰ったのは朝6時だった。その日も朝から晩まで勉強に忙しいKの静かな睡眠を邪魔をしないようにそーっと部屋に戻って、爆睡した。昼に友人Aの電話で起き、昼飯にピザを食べにいった。当然、昨日の彼氏はどうするのぉ?がご飯の会話である。その後、岸恵子のお気に入りと噂されるサン・ルイ島のカフェで、友人Aは私に電話しろと言った。おいおい、こんなままならないフランス語で電話なんかできないよぉ。嫌がる私を彼女は巧みな言葉で惑わし、アホで単純な私はピッポパッポと電話番号を押していた。

”Allo?”(もしもし?)
電話にでた声には驚いて飛び上がった。若いスポーツマンの声ではなく、おばちゃんの声だった。
その時の私の反射神経は卓越したものだっただろう。凄いスピードで受話器を置いた。
おいおい、誰だよぉ~。
引っ込む私をまたもや電話機に近づける友人Aの術には今でも驚くが、私は再度電話をかけた。
"Est-ce que Lapin est la?"(ラパンはいますか?)
なんというアホなフレーズ…。フランス語学校を4年間通いつめた結果がこれか?と飽きれてしまうが、きっと緊張して喉が締まり、言える事はこのくらいだったのだろう。だが、せめて、
"Bonjour, Madame. Excusez-moi de vous deranger. Puis-je parler a Lapin, s'il vous plait?"
とでも言えんのか。(って、電話恐怖症の私は今でもいえない)まぁ、意味は通じたらしく、目的は果たしてるので、よしとしよう。

その”おばちゃん”とは勿論、ラパンのママンであった。ラパンは今いないけど、あとで帰ってくると言ってくれた。友人Aとまったりお茶をし、再度電話をしたらラパンが出て、また会う約束をした。この日からラパンの愛情と忍耐の日々が始まったのである。

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