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Nonsense Story
10
旧校舎の幽霊 10
あの日、母娘は長い間話をしていたらしい。川野先生によって先に帰されたので、二人がどんな話をしていたのか、ぼくは知らない。
赤松は、栗田と大橋の耳の特徴が同じことに気付き、あの指輪と手紙を見て、それまでの経過と二人の関係を即座に把握した。そして、ぼくを旧校舎へ向かわせた後、泣き崩れる大橋に説明し、川野先生と一緒に屋上まで連れてきたのだった。
赤松は時々、あのぼーっとした風貌からは考えられない鋭さと行動力を見せる。本当に時々なのだが。
滅多に言葉を発しない赤松の怒鳴り声を聞いた川野先生は、まるで別人のようだったと目を丸くしていた。
栗田亜湖は、大橋が大学生の頃に産んだ子供だった。なんと鬼教師は学生結婚をしていたのだ。相手は二つ年上の先輩だったが、栗田が産まれて一年で離婚。旦那はもう社会人として働いていたが、大橋はその時まだ学生だった。
実の両親に反対されていた為、駆け落ち同然の結婚だった大橋は、親に頼ることも出来ず、泣く泣く親権を明け渡したのだそうだ。栗田の父親は、彼女が母親を恋しがらないように、母親は家族を捨てて出て行ったと嘘をついていたらしい。
奨学金でどうにか大学を卒業し、自分で生計を立てられるようになった大橋は、何度も娘を迎えに行った。しかし、元夫の両親に「子供の気持ちを乱すようなことは止めてくれ」と突っぱねられる。
そして、「子供はもう母親を必要としていない」という言葉に、娘を引き取ることを断念したのだった。
あの事件から二週間後、栗田亜湖は留学先へと旅立って行った。
あんな幼稚なことをしでかす彼女が、海外なんかで上手くやっていけるのか少々心配だが、あの英語力なら大丈夫だろう。初めて会った時訳してもらった文章は、プロの翻訳家並みだと川野先生にベタ褒めされていた。さすがエリート大橋の娘だ。
そしてさらに一ヵ月後、栗田からぼく達に手紙が届いた。
手紙を渡してくれたのは、他でもない大橋だった。母娘はあれからメールや手紙のやり取りをしているらしい。微笑ましい話だ。片方があの大橋であることを除けば。
大橋の涙を見た後も、彼女に対するぼくの見解が変わることはなかった。あの涙は鬼の撹乱だ。きっとそうに違いない。
あの後、ぼく達は大橋に涙ながらに感謝された。しかし、川野先生の授業の訳文を栗田にやってもらったのがバレてしまい、ぼくは次の大橋の授業で、三問も当てられるハメになったのだ。
川野先生は、「大橋先生は、あなた達のことを思って、心を鬼にしてるのよ」と言うが、ぼくには根っからの鬼としか思えない。
ぼくと赤松は、多目的教室で便箋を開いた。
開いた窓から初夏の風がくぐり抜けていく。幽霊の噂は、いつの間にか耳にすることもなくなっていた。
栗田は手紙に書いていた。自分は、能島愛子になりたかったのかもしれない、と。
あたしは、能島愛子になりたかったのかもしれない。彼女は友達には恵まれなかったけど、両親には愛されてた。彼女の自殺で全国の人がそれを知ってる。能島愛子の母親がテレビで涙ながらに訴えてる姿を見て、あたしが死んだ時、あたしの母親は泣いてくれるのかなって、ずっと考えてた。
自分で言うのもなんだけど、あたし、けっこう頭もいいし、人当たりもいい。ついでに顔も悪くないでしょ? 友達や恋人に不自由したことないの。でも、ずっと満たされない気がしてた。自殺するほど追い詰められてたはずの能島愛子が羨ましかったのよ。
だけど、人を羨ましがる必要なんてなかったんだわ。あたし、ちゃんとお母さんに愛されてたんだ。拒絶されたらどうしよう、なんて考える必要、どこにもなかったのにね。
「わたし、幸せなのかもしれないね」
手紙を読んで、赤松が感慨深げに呟いた。
「どうしたんだよ? 急に」
「だって、友達はいなくても、家族にはちゃんと想われてるって分かるから。お姉ちゃんより数段劣るわたしでも、みんな必要としてくれてるってはっきり分かる。時々、この人達さえいなければ、さっさと楽になれる道を選ぶのにって思うけど、これってきっと贅沢な考え方なんだよね」
「いるじゃん、友達も」
ぼくは明後日の方向を向いて言った。それでも、赤松の顔がほころぶのが見えたような気がして、ほっとした。
赤松が人前で知り合いを避けるのは、知り合いに迷惑がかかるのを恐れているだけではないだろう。きっと怖いのだ。それによって、相手が自分から離れていくのが。相手の拒絶が。
人間は、大事な人の拒絶を恐れる。栗田亜湖のような自信に満ち溢れた美人でも、生徒の評判をものともしない大橋のような鬼教師でも。そして、もちろんぼくも。
ぼく達はそれを乗り越えて、友人を、恋人を、家族を、得ていくのかもしれない。
『友達』という単語すら面と向かって言うことのできないぼく達でも、乗り越えられる日が来ると信じたい。いつかきっと。
手紙の中には、ぼくと赤松それぞれに、別のメッセージカードも添えられていた。
「あーあ。先輩、誤解しちゃってる」
先に自分のカードを手に取った赤松が、傍らにある地球儀を指で弾いた。弾いた場所は、栗田の留学先。
「誤解って?」
「ほら」
赤松が、自分へのカードをぼくの方へ向けた。ぼくはそれを見て仰天した。
二枝ちゃんはもうちょっと自信を持っていいと思うよ。
二枝ちゃんといつも一緒いる彼は、きみにラブラブだってさ。
はっとして、自分のカードを見てみる。そこには、こう書かれていた。
あのことバラしてもいいって、たしかに言ったよねぇ。
ま、ボカしといてあげたけど。
優しいお姉さんに感謝してよね(はぁと)
何が(はぁと)だ。あんのアマぁああ!
ぼくが手紙を握り締めてわなないていると、赤松がいつもののんびり口調で言った。
「大丈夫? やっぱり、本当のこと言いたかったんじゃない?」
「え?」
どきっとして、顔を上げる。赤松と視線がぶつかった。彼女は何故か気の毒そうな顔をしている。
「先輩のこと、好きだったんでしょ?」
「はぁ?」
何を言い出すんだ、こいつは。
「隠さなくてもいいよ。それくらいちゃんとお見通しだよ」
彼女は得意げに胸を張った。
「いつも遅刻ギリギリだったきみが、先輩が現れてからは、わたしより早く登校して会いに行ってたんだもん。誰だってすぐ分かるよ。でも、ごめんね。二人きりにしてあげなきゃなって思ってたんだけど、わたしも先輩と話したかったから、ついつい顔出しちゃって」
えへへ、とすまなそうに頭を掻く赤松を見て、『いつか』なんて永遠に来ないんじゃないかと思う、今日この頃である。
-終わり-
あとがき
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