銀線名人の言いたい放題

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家にやって来た謎車たち



が待ちどうしくって仕方なかった。父親が土建会社に勤め、砕石工場に住ん
でいたので、ブルドーザーも有ったし、タイヤショベルも有った。ソコへの

引越しは10トンダンプを使ったように覚えている。最初の車は、(実は会社の物だが)ダットサンだった。円タクと呼ばれたアレで有る。この頃、名古屋へ父の出張に付いて行ったら、ルノーのタクシーに乗れた。日野がノックダウンしていたアレで有る。ツードアで小さい変な車だった。2番目は初代ブルーバードピックアップ。アイボリーで当時たいへんオシャレな車。3番目は初代ファミリア、ガソリンは食わないのだが走りも悪い。800と1000と2台ファミリアが続いた。この頃車の耐久性はあまり無かったと思う。次はコルト1500。k
この車は当時大変豪華で足回りの柔らかい、ハッキリ言うとフワフワの乗り心地。四角い車。三菱自動車は不思議な会社で社内で競合していた。文字ドウリ四角いコルト1100と1100fファーストバックのコルト1100Fがあった。余裕が有ったのか、何か変だ丁度この頃私は18歳免許を取った。勿論、自動車学校へは行ってないよ。3万円、この頃の自動車学校の費用だ。5万円で、いすずベレット1500を買った。わたしの初めての車です。b(その前に観音開きのクラウンに一か月程乗った。)これはスタイル抜群気に要っていた。冬雪の中東京へスキーを買いに行った。今と成ってはバカやろうだが、雪が降らないから安いと言う事で神田で買った。つぎは初代スカイライン2000GTだ。たしか13万円だったと思う.3回ばらいのいわゆる月賦.GTAこれはあまり皆知らない。ケンメリとかジャパンとかと良く間違えられるが、違いますよ。第2回日本グランプリで純然たるレーシングカーのポルシェカレラ904とバトルを繰り広げたあれである。本物のプリンスのスカイライン2000GTだ。くれぐれも日産ではない。これこそ男の車。数は非常に少なく、6気筒をスカイライン1500のフロントピラーから前の部分を切断し、ホイールベースを200mm延長して作り上げた。ハンドルは重たく、勿論パワーステアリングでは無い。ブレーキはロッキード社製の前輪ディスクではあるが、これも勿論パワーアシストは付いてない。おまけに、そんなに大きい車ではないのだが、200mmもホイールベースを延ばした為小回りも効かない。

女の子はドライブ不可能。2代目の愛のスカイラインには猫も杓子も女の子も乗っていた。がしかしオイルショックが私を襲った。これでは日本のために成らんと、本田Z-360に変えた。z(ライフツーリングを探したのだが、見つからなかった。)ガンメタブラックで本物の5速。(オーバートップではなく、クロースタイプの5速。)リッター当り100馬力である。スカイラインも凄いのだが、あのウェバー3連でさえリッター当たり62馬力で有る。全然勝負に成らない。次は、代車で乗っていた昴FF-1が、余りにも調子が良いので買いました。これは大変良く出来た車で、なんとあのアルファーが真似をしたらしい。日本車が真似したのは有るが、真似されたのはこれだけだろう。フロントブレーキは、ホイールの裏に無い、F1とおなじインボードであった。メカニックが、整備がしにくいよく言っていた。エンジンの音が非常に静かで有った。それは、ラジエーターが二つ有って、最初は一つのラジエーターが動作する。温度がもっと上がると二つ目のラジエーターにも、液が流れます。それ以上、上がるとやっとファンが動作します。その、上ヒーターのファンも兼ねています。ですから、一個のファンでラジエーターとヒーターを動作させるのです。その位凝った作りで有りました。次は、もう一台本田Z360GTL5速、オレンジ。これは又調子が良く高速道路でサ二ー等を追い回していました。その次は本田アクティー4シーターのミドシップ10インチタイヤa.つぎはいすゞユニキャブ.ユニ毎日少しずつ書き足してます。



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