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麦畑とサツマイモの畑に囲まれた、
僕の通う分校に、
あなたがやってきたときのことは忘れない、
1学年1クラス4学年までの分校だった、
僕はその日、
全学年で一番早く登校した、
その日までに返すという約束で、
近所の中学生からマンガを借りた、
それを読むためだった、
読み終えてもまだ誰もこなかった、
ふと校庭を見ると、
古ぼけた鞄を下げた眼鏡の男の人が、
校庭へ入ってきたところだった、
眼鏡の人は足を止めて、
鞄から水筒を取り出した、
そして、ラッパ飲みをした、
2口ぐらいだった、
ゴクゴクと飲み干したその音が、
はっきり聞こえたような気がするほど、
差し迫った行為に映った、
眼鏡の人は、
水筒の栓を閉めたときに、
教室の僕に気づいて、
慌てて鞄に水筒をしまった、
まだ低い朝日を受けたその顔は、
団子っ鼻がテラテラと赤く輝いていた、
その眼鏡の人が、
その日から僕ら4年の担任になった、
それまでの担任が結核で長期入院することになり、
本校からきた応援の先生がしばらく受け持ってくれたが、
ようやく別の学校からの転任で、
その先生がやってきた、
ということだ、
ところが、
この先生は数日を経ずして、
PTAに悪評の渦を起こした、
分校にはPTAのお母さんたちが何人か交代できて、
給食に出す味噌汁を作っていた、
その味噌汁と、
ユニセフ支給の大変まずい粉ミルクが、
僕らのうちから持ってきた弁当のお伴だった、
僕はどちらも苦手で、
1口2口すすっては、
窓際の机だったことを幸いに、
外へこぼし捨てていた、
それはともかく、
当番のお母さんたちから、
今度の新しい先生は、
朝っぱらから酒の匂いを放っている、
という噂が立った、
その話はほんとうで、
僕ら子どもはとっくに気づいていた、
先生がそばにくると、
口臭と混じりあって、
不快としか言いようのない匂いを嗅ぐはめになったからだ、
「あの赤鼻はアル中の証拠だ、って母ちゃんが話してた」
クラスの誰かが言って、
赤鼻が担任の渾名になった、
赤鼻先生はさらにPTAの評判を落とした、
生徒が授業中にトイレに行くのを、
咎めなかったのだ、
でも、それは授業中に自由に抜け出せることを意味して、
僕らには好評だった、
僕ら抜け出し派は、
数百メートル離れた神社にまで遠征し、
銀杏の実を拾って遊んだ、
こんな状態では授業が成立しないのではないか、
と今から考えると自分でも首をひねる、
でも、よくしたもので、
抜け出し自由でもクラスの3分の2は、
抜け出さずにちゃんと授業を受けた、
PTAには評判悪くても、
赤鼻先生は僕ら児童には、
抜け出し派以外にも人気が高かった、
数人いた分校の先生は、
僕らが抜けだしても、
見て見ぬふりだった、
秋の運動会は、
本校で合同でやるのが決まりだった、
1回限りの騎馬戦は3つの分校が1つになり、
騎数を本校と同じにして、
分校出身の5,6年生を加わり、
本校と対戦したが、
それでも太刀打ちできなかった、
運動会の呼び物は全学年参加の綱引きだった、
分校の3チームは、
男女全員が参加する、
騎馬戦のときと同じで、
本校の5,6年生のうち、
分校出身の者がそれぞれの分校に加わる、
対戦するときは男女の比率も、
人数も合わせる。
僕らは分校同士の対戦に勝ち、
本校対分校の対戦で勝った本校と、
決勝戦をすることになった、
僕らは分校の総力をあげて、
になるが、
本校は選抜で作られたチームだ、
勝てるわけがない、
と誰もが見ている、
始まってズルズル僕らは引かれた、
このとき、
「負けるな、K分校!」
と叫びざま赤鼻先生が駆けてきた、
赤鼻先生は僕らの脇に立ち、
手製の日の丸の軍扇を振って応援を始めた、
「鬼畜本校をやっけろ、フレーフレーK分校!」
「意地だ、特攻だ、ピカドンで行け!」
今だったら問題ある言葉遣いだ、
赤鼻先生の人となりを知らない本校の連中は、
虚を突かれた心地になったのだろう、
一瞬、力が抜けた、
「頑張ろうぜ、意地を見せようぜ!」
授業中に抜け出す回数ナンバーワンのTが、
喚いた、
僕らは掛け声にあわせて懸命に引いた、
ズルズルと本校チームを引き寄せた、
綱を引きあっている両チーム以外の児童も、
教職員も父兄も、
校庭にいる全員が声を挙げた、
赤鼻先生は何か叫んでいたが、
それは大歓声にかき消された、
軍扇を本校チームに向かって、
引き寄せるように振っていた、
赤鼻先生は泣いていた、
勝敗は再び分校チームが引かれて、
本校チームが勝った、
その夜、
赤鼻先生は泥酔して、
道端の草むらで寝ているところを、
通りかかりの消防団の人に助け起こされた、
と母から聞いた、
年が明けての3学期、
僕らはおちつかない日々を送っていた、
5年になれば本校へ通う、
分校から上がってきた者は、
いじめられると聞いていたからだ、
給食に出された味噌汁に、
大嫌いなニンジンが入っていた、
僕は1口も飲まずに捨てた、
教壇の机で弁当を広げた赤鼻先生の目と、
合ってしまった、
いつもは見て見ぬふりの赤鼻先生は、
つかつかと僕のところへきて、
「お前は体が弱いだろ。偏食するからだ」
と言うが早く、拳骨をくれてきた、
目から火花が散った、
でも、泣かなかった、
その拳骨には愛があったからだ、
僕らは本校に進んだ、
それからまもなく、
赤鼻先生がよその学校へ転じたことを聞いた、
PTAの排斥運動の結果だったという、
浪人生のとき、
電車で一緒になった小学生時代のTから、
赤鼻先生の訃報を知らされた、
まだ40代だったと思う、
「赤鼻には子どもがいなかったみたいだけど、
奥さんはいて空襲でなくしたんだってな」
ふうん、と僕は他人事のように聞いた、
でも、
あの綱引きのときに赤鼻先生が、
涙を流して応援する光景を、
しっかり脳裏に思い浮かべていた、
拳骨の痛みも蘇った、
その頃はもうニンジンは、
好物の1つになっていた、
今でも読み聞かせ会のクリスマスバージョンで、
赤鼻のトナカイをみんなで歌うときは涙ぐむ、
去年のイブもそうだった。
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