仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2025.11.12
XML
カテゴリ: 国政・経済・法律

先日(11月9日)投開票の茨城県神栖市長選挙は、公職選挙法の規定により、くじで決定した。

3選をめざす現職と元市議会議長の新人による一騎打ちで、結果は16,724票の同数。同日の夜10時30分頃、開票所で厳かな雰囲気の中、選挙長がこわばった表情でプラスチック製の棒を引き抜くと、その先には新人の当選を意味する「1」が記されていた(読売新聞記事から)。翌日の10日に、敗れた現職は票の再点検を市選管に申し立てた。

報道でも、青森県大鰐町長選挙の事例が紹介されていたが、当ブログでも記事にした。
■関連する過去の記事
僅差の西目屋村長選挙 (2025年02月12日)
下呂市長選挙ふたたび (2016年4月12日)
大鰐町長選挙は得票同数で抽選 (10年6月30日)(くじによる決定の制度)

いま読み返すと、当時の筆者は、同数ならくじではなく再選挙すべきでないかと書いたが、今だと考え方がちょっと違う。

そもそも選挙の結果誰を当選人とするかは、票数の多寡が唯一の基準だ。有権者一人一人の価値はまったく同格と考えるからだ(自明の理ともいえるが、歴史的経緯を見れば擬制ともいえよう)。もっとも、有権者を一定の合理性をもって制限し(未成年や公民権停止)、さらに、再選挙制度(一定の得票がないと当選人としない)などの仕組みはあるし、どんなに低投票率でも多寡で決めて良いのかの議論もあろうが、とにかく一人一票で、平等な一票という思想は貫かれており、それ以外の基準はない。

数だけで決めるというのだから、同数の場合に問題になってしまう。多寡の論理を貫くのなら、再選挙だ。

同数の場合にだけ、別の基準を持ち出す方法も理論的にはあるが、まさか掲げた政策の中身で判断するわけには行かないので、外形的な基準、例えば年長者で決めるとか、現職を優先する、逆に現職は排除する、なども一応考えられるが、あまり理解得られないだろう。結局、偶然に任せると言われようが、くじしかないのだ。

このように、別の基準を持ち出すかどうかは、再選挙を行う場合のコスト(財政的、時間的)を重視するかどうかとの衡量による立法論だろう。また、現実問題として、同じ候補者が同様の政策で戦い合う場面を再設定しても、結局は、投票率がどう変わるかに期待して選挙イベントをやり直すというだけになる。逆に再選挙では別の政策を出して争え、とするのもおかしい。

同数の場合は、どちらの候補も他より多くの票を得ていないのは事実だが、見方を変えれば、「他の候補を下回っている」わけではない。有権者の信任を得ていない、ということではないのだ。不完全かもしれないが信任を得た候補が2人いるということ。そうであれば、多寡だけにこだわらず(一応こだわった上で、と言えるかも)、別の基準で決める、それはくじしかない、と言えるのではないだろうか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2025.11.12 08:42:55 コメントを書く
[国政・経済・法律] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

コメント新着

ななし@ Re:北のキリシタン聖地-旧大津保村を中心に(その3 大籠地域)(09/10) 『1917年(元和3)年頃の統計では、佐竹藩…
おだずまジャーナル @ Re[3]:水の森公園の叢塚と供養塔(08/03) 風小僧さんへ 規模の大きい囲いがあった…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: