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ご覧くださいましてありがとうございます。このたび「管理栄養士事務所 D&Nサポートシステムズ」のwebページを移行しました。「食事と栄養のブログページ」ですURLはhttp://rd-dnss.com/coolabovita/です。どうぞこちらもご愛顧くださいますようお願い申し上げます。
2012年12月05日
日付を見たら1年あまりもこちらのブログを放りっぱなしでいたことになるのですね。なんというとこ。ブログのアカウントが削除されてなくてよかったです。さて、先日NHKのためしてガッテンという番組で糖尿病の夢のような新薬が紹介されていました。1日に1回飲めばよく、もしかすると糖尿病が完治できるかもしれない、というほんとに夢のような話でした。糖尿病ネットによるとすでにこの薬の一部は使用ができるようになっているらしい。http://www.dm-net.co.jp/calendar/2009/12/009548.phpでも、開業のDrでこれを使っている先生はどのくらいいるのだろうか。まだあまり効かない気がする。どういう方に効果があり、食事や他剤との関連などはどうなのか、情報がまだ少ない中であのような取り上げ方で「食事療法も、運動療法もいらない。飲めば効く」みたいな言い方にとても疑問を持ってしまった。食事をすると分泌される「GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)」というインクレチンを分解してしまう酵素の活性を阻害する薬だそうで、副作用もないという。承認されて間もない薬なので今後の行方が注目される。それにしても、なぜ10月に承認されたばかりの新薬をあのように大きく取り上げるのか、不思議に感じた。評価がまだ定まっていないように思うのだが、大丈夫なんだろうか。生活習慣が原因の疾病は生活習慣の是正がまず必要なのに、それは置いといて、みたいなことはいかがなものか。NHKの姿勢に大きな疑問を感じたのでした。
2010年12月10日
政権が変わった。これはこれでよい。民主党は「食育基本法」に反対の立場をとっていた。これもいい。わたしも食育基本法にはいささかの疑問を持っていた。実効性があるのか。食育推進計画というのを食育基本法に則って各県、市町村単位に策定しなければならない。県の食育推進会議の委員をさせてもらった経験からいえば、県の段階では独自性のあるものは皆無。県下の市町村の計画は実行部隊だけれど県はそれに乗っかっている。どうも新規の実行部隊を結成するわけでも、制度を創設するわけでもなく、ましてや新規の予算をつけるわけでもなく。ほんとに実効があるのだろうか。食に関することを法律で縛るほどのことはないのでは??とは思っていたのだけれど・・・。しかし、「食育」と言う言葉は古くからあったらしいし、そのめざす理念はよいのではないかと思っていた。だから、「食育」と言う言葉は政権、法律とは関係なく存在するべきと思うのだが・・・日栄はどうも「自己規制」を始めるらしい。食育ではなく食教育とか。すでに一部の業界紙でも食育という文言の言い換えを始めたとの事である。この変わり身の早さ。自民党一辺倒だったのに、政権が変わったらそんなすぐに変えるの?「食育」って日本語の一般名詞にすでになっていると思うんだけど。差別語といって日本で長く使われてきた言葉を変な漢字熟語に言い換えるような心地悪さを感じます。食育と言う文言を使用したからといって、民主党政権が栄養士会を目の敵にするとは到底思えないのだけど。理念をもって行動したいものだと思うのですが、いかがなものでしょうか。
2009年11月06日
近年、日本栄養士会雑誌や栄養士大会などでの執行部の発言を見ていると気になることがあります。管理栄養士の仕事の分野を「血液」の中に閉じ込めようとしているようにしか見えないのです。私はその傾向に大変違和感を感じています。私たちの仕事は血液の中でしか評価できないのでしょうか。血液の成分を端的に変えようとするなら経腸ではなく、ましてや経口ではなく静脈に直接栄養成分を流し込んでやればいいと言うことになってしまうでしょう。それでいいのでしょうか。それって薬屋の仕事なんじゃないですか。私たちの仕事の場は「食事というコミュニティ」であり、仕事の道具は「おいしい食事、食物」なのではないかと思うのです。管理栄養士の仕事のレベルアップが「食」から遊離して成分ばかり見ているようになってしまったら、栄養士・管理栄養士は要らないじゃないですか。きょうもある大学の方から入学説明会?にきた高校生から志望動機が「給食を作る仕事をしたいから」と言われてがっかりした、というようなことを聞かされました。給食を作る、でよくないのかなあ。それって管理栄養士の志望動機としてレベルが低すぎますかねえ。わたしはともかくそれでもいいと思うんだけど。その子がどういう意味で給食といったかは知れないけれど、食という基本的なことを抑えているだけいいと思うんだけど。栄養士ならともかく管理コース受験の動機としては困る、と言うんだけど一般的には栄養士=給食という図式ができているのだから仕方ないのでは?そういう子をどう訓練してひとかどの職業人として通用する管理栄養士に育てていけるか、が教育養成の現場の課題なのではないかしら。ともかく、「食う」と言う作業を通じて私たちは生命を維持しているのだし、人生を楽しくしているのだから食は大切な要素なのです。食についての知識や食文化にたいする理解や食うことへの好奇心を持たない栄養士、特に管理栄養士はいらない存在だといっても言いと思っています。日栄のおえらい方たちはどうも他職の人と対等に議論ができることのみが大切と思っているのではないかと感じてしまいます。もちろんエビデンスに基づいた議論は大切だし必要です。それは食うという行為によって体内に吸収された食物がどう代謝されるかと言うことで、根本はどう食べさせるかにかかっている。食べるということには調理と言う作業が欠かせず、おいしくなければ食べてもらえない、という事実をお忘れになっているのではないかしら。栄養士は食事を作っていればいい、管理栄養士は血液の中だけ見てればいい、なんてことが栄養士・管理栄養士の職務の区分けではないはず。じゃないかしら。食事を作る栄養士は管理栄養士よりも下?食事を作り、てべていただくということにおいては栄養士も管理栄養士も調理師も同じ土俵の上にいる仲間だと思うのだけど。
2009年10月17日
やっぱり、という気分です。花王のエコナです。エコナに限らず素直でない食品は食べるのに躊躇します。まして自分が食べたくないものを他の方や患者さんにお奨めすることはできないと感じていました。油は種子をすりつぶして絞って採ります。その限りにおいてはとても素直な食品です。たとえばゴマをすり鉢ですりつぶし、すりにすってゴマ油を分離する。家庭でもやってできないことはありません。とても手がかかります。それだけ手のかかるものはそう度々食べられるものではないはず。誰かが産業として大々的に作り始めると、そこにはいろいろな制約や良くも悪くも「工夫」が凝らされて工業製品となります。素直から少し隔たりが生まれます。でもこれは致し方ないとみんなわかって適度に利用していたのだと思います。ところが近頃の食品は必要以上に「工夫」を凝らすことが多くなりってしまいましたね。体に脂肪がつきにくいコレステロールを排除するなどなど要は食べ過ぎなければいいだけ、なのにどうして「好きなだけ食べてから、食べなかったことにしてくれる」物を望むのでしょうね。需要と供給との兼ね合いで、需要があるから作るのかはたまた、供給したいがために「ない需要を無理やり作るのか」。金儲けの種にしたいだけなのか。不思議です。よく「カロリーが半分やゼロのマヨネーズならいくら食べてもいいんですよね?」と聞かれます。いえいえ、「普通のまともなマヨネーズを半分だけ食べたらどうでしょうか、と答えていました。だって食べてみても普通のマヨネーズのほうが絶対においしいのだもの。おいしいものはありがたく感謝してちまちまといただくほうがいいと思っています。今回のエコナ騒動。他の特保食品にも波及するのでしょうか。食品は薬ではないのだから、なかでも一次産品でない加工した食品は特に注意してコマーシャルに惑わされないように厳選して食べたいものです。栄養士としてはエコナの仕事をしていなくてよかった、とほんとに感じています。仕事の口があるからと、報酬がよいからと、よく見極めずに引き受けることはしないようにしようと改めて思ったしだいです。そんな自由が許されるのが自営業・フリー開業の栄養士の働き方の一番のメリットなのだから。ま、そんなことばかり言っていると仕事の口がかからなくなりそうな、不況の世の中ではありますが説明のできる仕事をしていきたいと心から思ったこのごろでした。
2009年10月14日
とうとう、やっちゃいましたね。 「日替わりマスターと宮城をまるごと飲んで食べて語らナイト」の第2夜。マスターを勤めました。 たのしかった。 来てくださった方々に感謝です。 サポートしてくださったスタッフに感謝です。 この試みは「市民みんなで創る、いつでも誰かとつながれるコミュニティーレストラン創設準備企画」の第2弾として企画されたもので仙台の街中なのとある喫茶店を1週間借りきっちゃいました。何をするかというと日替わりで1夜のレストランを開店するというもの。マスター役を買って出たそれぞれのメンバーが自分の主張に沿ったプログラムを立てて、お客様を集め、食事をだしておもてなしをするというもの。ただ食べるだけ、飲むだけ、というものではなく地域のコミュニティをどうしたら広げられるか、宮城の、仙台の食に関するネットワークを構築できるか、を探るためのアンテナショップ的な発想からスタートしました。なので、私は宮城の美味しい食にこだわって、特に豚肉にこだわってプログラムをしました。宮城は元来豚肉文化圏。肉じゃがも芋煮も豚肉が正統。牛肉なんて大人になってから食べ始めたようなもので、子供のころ両親だけが県庁前にあったステーキ店で美味しいビフテキ(なんとレトロチックな言葉でしょう。いまあんまり使わなくなりましたね。ステーキといえば牛、と決まってしまったもの。昔はステーキとは豚のロースを焼いたものだと、思い込まされてました)を食べてくるのをうらやましく思ってた物でした。で、ひょんなことから白石の養豚家で「ありが豚」を生産している高橋さんをしりその美味しい豚肉「ありが豚」を使ったメニューをメインにしました。会場は普通の喫茶店で夕方まで通常の営業をしています。私たちは8時から10時30分までおかりしました。第一夜は若林区の産物大集合、のおようなメニューで大いに盛り上がりました。私の担当は第2夜。献立&プログラムは 開会挨拶 一応マスターとしてkuishibo大河内が開会宣言。乾杯 前菜 じゃがチーズのせんべい ゆでアスパラガス プリモ ピアット ありが豚とお野菜のブレゼ よっちゃん南蛮 玉松ゆずポン酢 ありが豚のの生い立ちの説明 のんちゃん、ありがとうございました。プリントしてお渡しで きました。 セコンド ピアット ありが豚でウィンナーを作って食べよう。 付け合せに「吉岡の今取れたてのほうれん草のおひたし」とカリフラワーや「日辺の長~いきゅうりなどのピックルスをおだししました。 ちょこっとお勉強タイム ドキュメンタリー映画「いのちの食べ方」の予告編を鑑賞 食物に感謝、自然に感謝 みんなで「ありが豚」でした 〆はピラフ 閉会の挨拶 伊達の三本締めでお開き ウィンナーをその場で作って(いっても羊腸につめるだけですが)もらって、それをボイルしてマスタードをつけて食べていただきました。ウィンナーつくりが大盛り上がり。皆さんすごく楽しげにムニュ、ムニュと搾り出していました。 加工食品も意外と簡単に家で作れることをお伝えできて、良かった。 羊腸なんてものを見るのも初めての方も多くまして搾り出し袋から押し出してつめる、なんてことはほんとに初体験だったそうです。お客さんの声 野菜が美味しいのにびっくり。味付けしなくても美味しいなんて。 ありが豚が美味しい ウィンナー、おもしろい。子どもと一緒に作りたい などなど、 皆様にお楽しみいただけたようで、ほんとに良かったです。 定時 10;30分には終了できました。 ご参加くださったお客様、本当ありがとうございました。いろいろ不行き届きな点があったかと存じますが、初めての試みということでどうぞお許しくださいませ。またこのような試みをするときにはどうぞご参加いただければ、とても嬉しいです。と気づいてみれば、写真を撮ってない。カメラもムービーも持っていったのに。 どなたか写真、ください~~い。 さて、昨日のレシピですウィンナーソーセージ羊腸 (塩漬けのもの)は10mくらいが1袋に入って700円で売られています。私は明治屋さんで求めていますが通販でも買えます。肉はモモ肉とバラ肉を2対3くらいの割で使うとちょうど良いと思います。昨日はバラ肉が多かったので少し柔らかめでした。モモ肉が多いと粘りが出てしっかりとした歯ざわりのものができます。肉屋さんで挽いてもらうと便利ですができれば自分でミンチにしたほうがより安全です。ミンチにするにはフードプロセッサーが便利ですが、でも肉挽き器で挽いたほうが挽き加減が自由になるのと熱をあまりださないので美味しいような気がします。モモ肉 600gバラ肉 200g たまねぎの摩り下ろし 250g塩 13gくらい(材料の1.2~1.5%くらい)あら引き黒胡椒セージナツメグオレガノ 各少量適宜ワイン 大3片栗粉 大2~3好みで 卵・牛乳・パセリ・チリペッパーなどを入れてもいいです上の材料を良く混ぜ、手で練り上げます。混ぜている途中肉が温かくなって脂が出てくるようなときは氷を入れながら良く練ります。粘りがでてきたら少量をフライパンなどで焼いてみて味を確かめます。ソーセージ用の搾り出し袋にウィンナー用の口金を入れておきます羊腸の端を開き口金にかぶせてたくし込んでいきます。搾り出し袋にミンチを入れて押し出しながら羊腸に搾り出していきます。このとき羊腸の先は結んでおきます。6~8cmくらい詰めたら一ひねりし、続けて搾り出してミンチを詰めます。全部の羊腸にミンチが詰め終わったら、ひねった所同士を絡ませてひねりが戻らないようにします。生ウィンナーにするならこの状態のものを75度のお湯に7~9分つけてボイルして食べます。もし燻製をかけるなら生ウィンナーの状態のものをざるに並べて冷蔵庫で3~4時間乾かしてから燻製炉で温燻(30度cで1時間くらい)熱燻製(70度位で20分)で燻煙します。簡単に燻煙するなら中華なべに網をしいてウィンナーを並べ端に火をつけたスモークウッドを入れてアルミホイルで蓋をして30分程度いぶすと美味しくできます。燻煙をした後はやはり殺菌の意味で75度で20分くらいボイルします。燻煙についてはhttp://blog.kahoku.co.jp/shokuweb/kuishinbo/archives/2007/05/post_84.htmlにも書いています。ごらんください。ジャガイモとチーズのせんべいはジャガイモを大根突きで千切りにしますチーズも摩り下ろしジャガイモに混ぜますフライパンで焼くだけです。両面こんがりと焼きます
2008年05月28日
とうとうカフェ・レストランのママをすることになっちゃいました。市民みんなで創る、いつでも誰かとつながれる コミュニティーレストラン創設準備企画第2弾 『日替わりマスターと宮城をまるごと飲んで食べて語らナイト』 が開店します。☆噂の日替わりマスターによるコミュニティーレストランが1週間限定でオープン(5月26日~31日)☆です。私も27日を担当して「ありが豚」さんのおいしいぶた肉の超簡単な食べ方を伝授しつつ美味しいお肉を食べていただくことになりました。ありが豚さんの豚を使ってウィンナーソーセージを手作り「してもらいます。美味しく食べてもらいます」というセミナー込みでレストランを開店します。みなさん、たくさんきてくださいな。これは宮城の食をテーマに様々な人々との交流と数多くのプロジェクトが生まれていくことを期待して食について発信した人がそれぞれ1日を担当して料理を提供し、語り合う場を提供しようという取り組みです。 食にかんして関心を持つ方なら大歓迎です。ぜひご来店ください。主催 Five Bridge(ファイブブリッジ) http://www.five-bridge.jp/ Sendai BizCafe(仙台ビズカフェ) http://c.mixi.jp/bizcafe 三陸おさかな倶楽部 http://osakana-club.jp/ 協力 after studio(アフター・スタジオ) 森民酒造本家(森乃菊川)参加費 2000円(日替わりマスター特製料理とお料理の秘伝の伝授料込みです) ☆ドリンクとオプション料理は全品500円 予約制になっていますのでご参加希望の方は下記までご連絡ください。【お申込み・お問合せ】 平成20年5月25日(日)までに三陸おさかな倶楽部店頭か下記連絡先までメール・FAXにて必要事項を記載の上お申し込み下さい。 ○お名前: ○電話番号: ○参加人数: ○参加希望日:26日(月)/27日(火)/28日(水)/29日(木)/30日(金)/ 31日(土)ランチ/31日(土)スイーツ/31日(土)大交流ナイト 「三陸おさかな倶楽部」 〒980-0022 仙台市青葉区五橋1-5-20 TEL:022-393-5402 FAX:022-393-5403 メール:info@osakana-club.jp URL:http://osakana-club.jp 今回のお店は、仙台市青葉区一番町のビルの谷間にたたずむとても居心地の良い喫茶店です。夜のバータイムを1週間お借りしてのイベント開催となります。日替わりマスター一同、皆様のご来店を心よりお持ち申し上げます。 【開催期間】 平成20年5月26日(月)~31日(土) 月~金=20:00~22:30(予約制)「宮城の食材まるごと大集合ウイーク」 土=12:00~14:30(入退場自由)「ランチタイム・セミナー」 15:00~17:30(入退場自由)「スイーツタイム・セミナー」 18:00~22:30(入退場自由)「宮城の生産者とまるごと大交流ナイト」 【会 場】 after studio(アフター・スタジオ) 住所/仙台市青葉区一番町1-8-34 電話/022-227-8098 東二番町とおりを南町から旧東北学院方面に南下して2本目のとおりの角(マツダレンタカー角)を一番町方面(西に)に入って3,4件目の佐松電話店の1階。「アフター・スタジオ」です。詳しくは「わかばやしくさんのブログ」をご覧ください。
2008年05月21日
緊急のお願いです。「計算しましょ保育所用」をお使いの保育所へお願いです。パソコンの更新やバージョンアップなどでExcelを更新されるご予定がる場合は2007への乗り換えはちょっと待っていただきたいのです。Excel2007は画面の構成(インターフェイス)が大きく変化したこともさることながら、動作が異様に遅くなることが多々あります。2003までのExcelは互換モードで今までどうり使えなくないのですが、変更を保存終了するとファイルサイズがが莫大に大きくなるようです。2003と併用しないなら2007のマクロ有効モードのファイル形式の「xlsm」で保存しておけば使えますがファイルサイズはさほど大きくならないものの動作が異常に重くなります。どちらにしろ旧バージョンからの乗り換えでは動作が遅くて使い物にならないようです。現在解決法を探していますがどうもあまり良い解決法はなさそうです。2007形式で新たにシステムを構築しなおすしかないのかもしれません。これにはいささか時間が要りそうです。パソコンを更新するときは2003までの旧バージョンのExcelかOfficeを残しておかれた方がよさそうです。もしExcelとWordとがプリインストールされているPCをお求めになる場合は選べるなら2003までのバージョンのものをお求めになった方が今のところはよさそうです。IME2007についても変換が遅いとかいろいろな問題がでているようですがこちらはIMEを乗り換えることで解消できるようです。この切り替えについては「コントロールパネル」→「時計、言語および地域」を選び「地域と言語のオプション」→ 「キーボードまたは入力方法の変更」→ 「キーボードの変更」をクリック「テキストサービスと入力言語」→「追加」→「既定の言語」の▼をクリックしてmicrosoft ime を選んで「OK」をクリックすべての窓をOKで閉じるでIME2007の悪夢から元の環境に戻れます。VISTAも困ったもんだけど、2007はもっと困ったもんで、ほんとに困っています。
2008年04月16日
お正月中eclipseさんの書き込みを眺めていました。ロッキーさんの掲示板の記事も読んで考えました。ロッキーさんの掲示板のほうがツリー表示になっていて見やすく、そちらをよく読んでみておっしゃることがなんとなく理解できました。栄養士が栄養価の計算をするのは何のためか。1・献立の栄養価の評価をするため。基準に合致しているかどうかを判断するため。2・上記につに基づいて献立を修正するため3・後日の記録として(監査なんかがあるから、帳簿がそろっていないと)4・単なる惰性!として。調理の際に目安として必要だから、というだけだったりして。なんだか第4の項目がいちばん多い気がする。なぜなら・・・計算の結果の評価をしていないことが多すぎるから。食べた後の人体の変化を評価していないようにしか思われないから。現場の栄養士からは「そんなことない!」と怒られそうだけど、実際はどうなんだろう。これは私の場合。給食の現場を持っているわけじゃないから献立を書くのは調理実習のレジュメをつくる時だけ。だから給食の現場とは違うけれど書いた献立と実際の料理の分量と合致するなんてことは、ほぼない。肉や魚は大きすぎ、野菜は時として量が不足したり、多かったり。卵一個の重量は?50gで計算しても実際は60gを超えていることなんかしょっちゅう。レシピとおりに正確に切り分けてなんてことはほとんどしない。(厳密な治療食の実習は別ですが)煮物の調味料は?「砂糖大匙2」なんて書いても、山盛りいっぱいにして計る人が後を絶たず。のどを通過しなかった煮汁の塩分や砂糖、しょうゆなどの塩分はどう差っぴくの?衣の片栗粉の量は? 揚げ油の給油量は?調理に伴う「分からないこと」はいっぱいあるわけで、それをまた食べたらどのくらい吸収されてどのくらい食事に伴うエネルギー消費が起こって、結果どのくらい人体に残ったのか、なんて調べていない。だから、理科系ではない、物語だ、って言われても仕方ない部分が多すぎる。料理ではないけれどお菓子つくりに関しては弓田亨さんのレシピ本には材料や手順が正確に詳しく述べられていて「この本のとおりに従えば店にあるケーキと同じに作れます」と書いてある。同じことがなぜ料理に関してなされてこなかったのか、確かに不思議。eclipseさんが言われるように栄養指導が食べると言うことを仲立ちにして行われるならばその材料となるべき料理が標準化されていなければ意味をなさないわけで、個別管理とは別の意味で広く一般化されるべきなのかなあ、って思います。DMの食事にしても同じですでに成分表の値そのものが面前の食品の栄養価と誤差を生じているのだから、なお誤差を広げないようにきちんとした重量を示してかからなければ意味を成さない。でもこれって現実味があるのだろうか。低蛋白食を実行している方はこの辺をクリアしているようだから栄養士が逃げていてはいけないよね。っとおもっています。そう、逃げちゃいけないんですよね。支援する側が逃げちゃ。いままで逃げまくっていたと思う。この作業を何とか楽しく?分かりやすく実現するための手段としてPCが活用できたらいいな。献立を立てる手順や食品の選択、分量の確定にpcが使えたらいい。と言うことで、皆さん献立を立てるときの手順(頭の中で行う手順)を書き出してみませんか。ひとそれぞれに癖があり、考え方の順番に違いがあるはず。DMの交換表や食品群別の目安量にのっとって考える人、出来上がりのイメージから考える人、値段から、などいろいろだと思うのですがそれぞれのやり方をぜひこのコメント欄に書き込んでくださいませんでしょうか。ちなみに私は第一義的には 栄養価の目標値を決めます多くは一般人対象の調理実習なので1食当たり 600kcal 位を目安にしますそこから炭水化物、たんぱく質、脂質の値を出します。と言っても多くは同じ数字で間に合います。そんなに年齢や身体活動に差のあることは少ないし大体がメタボ予防が目的なので数値を変えなくてもよいことが多いです。主菜の種類と料理法を決めます。主菜の種類によって脂質の量が変化するのでそれにしたがって使用する油脂の種類と量を決めます。主食の種類と量を決めます。副菜の料理を考えます。とここまで書いてきて、なんとなくいつもやっていることを分解して分析して書き出すのってとても大変なことだと気づきました。実際はいろんなことを平行して勘案してやっていることで、直線てきな書き方ではあらわせないような気がする。書き方も工夫しないと。今日はもう遅いので続きはまた今度。
2008年01月06日
昨日からの続きです。今回のロールプレーはモデルの人物象を6例作りました。それぞれのモデルを役員が手分けして2例ずつ受け持ち都合4回のセッションをしました。セッションをおわると演者が控室に戻ってきてそれぞれの受けた指導の内容をはなし会うのですがみんな一様に「なんだかすっきりしないねえ~」「聞いてもらいたいところにふれてくれないね」と言い合っていました。同じモデルにあたった人同士でも指導の内容がこんなにも違うものか、とびっくりしました。指導にあたった各グループの締めくくりの発表ではそれぞれ達成度を70%とか90%とか自己判定していましたが、指導された側では・・・50%もいってないのでは?という声も。今回は指導される側も仲間の栄養士、ということもあり演じている間にもそれとなく助け舟を出してしまったりということが多々あったようで、それでもなお演者側と指導者側には達成度に大きな開きが生じていたようです。指導者になった栄養士が慣れない人だとなんだか気の毒になってしまってヒントを出してしまったり、良く知った仲間だとかえってやりにくかったりとかの事情もありますけどね。今回の実践研修を受けてみて指導のポイントは★保健指導であって栄養指導ではない。(食の指導ではなく生活習慣の指導だから運動も視野に入れなければならない)栄養士はどうしても「動くこと」に目が向かない。でも受ける側の意識では食べるものより「運動(水泳とか散歩とか縄跳びとか・・・イベント的なもの)」に向きがちなことに留意する必要がある★生活のなかでの問題点を的確に瞬時につかむ 検診データと質問票からその方の生活の背景の問題点を瞬時につかむ技術が要求されるようです。もたもた考えている時間はない。相手方はそのセッションでなにか具体的な行動のプランの提示を求めているので実行可能なアイデアを提示することができるか。これは瑣末的なことではなく、生活全体での改善点を見つけて理解してもらい、「ここんとこからやってみませんか」という手の届く範囲の行動目標を提示することがたいせつなんですね。きっと。最小でも「次回のセッションの予約を取る、半年にわたるプログラムをやってみたいと思わせることができるか」がポイントなのかな。ゆるゆるとやってみましょうね。という威圧感のない語りかけで。難しいね。
2007年11月28日
昨日の書き込みが少しわかりにくかなと思うので補足します。昨日と今日の2日にわたって特定健診・保健指導実践研修 第3ステップ を受けてきました。研修は1日だけ受ければいいのだけれど役割をいただいたので2日間出てきました。その役割とは「保健指導をされる人の役」→演者つまりロールプレー法による演習での対象者の役を演じてきたというわけです。学芸会でも芝居なんてしたことないのに、2人分の役を演じてきたのです。芝居って大変。でもなんだか面白かった。演じる対象者がタイトルのとおり。水道設備業者のおかみさん、と 農家のお母さんで地方の物産市にあん餅をだしている餅屋のお母さん。ロールプレーでは8人ほどのグループになって管理栄養士役と演者の役、観察者、その他司会役などの役割を決めて午前、午後それぞれ2回の演習をするというもうでした。演者の役には栄養士会の役員が総出であたり(何しろ26グループもの大研修会でしたから)ました。日ごろ栄養士に指導されることってあまり経験がないので貴重な経験をさせてもらいました。いかにお芝居でも栄養士から「指導」されるってこういうことなんだ、こんな気持にさせられるのか、ここ聞いてほしいのにさっぱり聞いてくれない、など色々なことを感じましたね。まずは研修の参加者が「特定検診・保健指導」ってどういうことか、をまだよくわかっていない。従来の栄養指導そのままの感覚で取り組んでしまう。でも「特定検診・保健指導」の対象者は病気じゃない。予防のための「支援」なのだから自分で自分の生活をどう変えなければならないかを理解して生活の仕方を自分で変えることのお手伝いだということを理解しないといけないのです。これがなかなかできないようでした。とくに栄養士とお客さんの意識のずれを感じたのは「餅屋おかあさん」とのセッションでした。この方は農業のかたわら、もともと商っていた(現在は店を閉めている)モチを作って道の駅に出して売っている方。店におろしているので本人は店番はしていない。日中は農作業や家の中のことをしている。夫は心の病を持っていて目がなせない。舅、姑もおり息子夫婦と孫が3人同居。健診データは血圧高値 138/85HDL 36中性脂肪が高い 190前後 腹囲は90 BMI 27問診表では20歳時より10kg以上太ったが昨年度より3kg増えた運動習慣はないが1時間に相当する歩行などの活動はあり歩くのはおそい早食い間食 あり喫煙なしアルコールなし夜安眠できずという人。当日栄養士役に渡されたのは上記のようなデータ。セッションの様子は 栄は管理栄養士役の会員の発言。赤字は私の返答栄 「会場に来てくれたことへのねぎらい、自己紹介。」でもこのとき栄養士さんは座ったまま。あれっ?栄 特定検診・保健指導についての説明。栄 指導を受け入れるかどうかの確認と了解の取り付け。ここはかなりソフトokする健診結果についての解説栄「健診のデータに心配な点があり、今日おいでいただいたのです。お腹周りの値が90cm で内蔵脂肪がたまって心配な数値になっています。など。ちょっと言葉がわかりにくいかなあ。突然、生活のリズムの聞き取りと家族関係(人数、構成)栄 「朝ごはんは何時頃食べますか? 寝るのは何時頃ですか?など}朝餅を作ってお店に出して、あとは田圃や畑の仕事してるの~栄 「じゃ、昨日は朝何を食べましたか?」ご飯とみそ汁と漬物、お浸しかな 栄 「昼ごはんは?」ご飯と昨日の残りの煮ものと漬物栄 「夕ご飯は?」ご飯と煮ものと買ってきた魚のあんかけ栄 「ごはんはどのくらい食べますか?」茶碗に1膳、軽くね実は餅の売れ行きもあんまり芳しくないことがままあり売れ残りの餅をご飯代りに食べざるを得ない。夕食の後でも食べる。でも、ご飯は何膳食べるか?と聞かれたから、1膳と答えた。餅のことは聞かれなかった。この人、餅をご飯とは思っていない、また間食とも思っていない。人柄がはきはきした人ではない、自分からいろいろしゃべる人ではない。まして依存とうつを持っている夫がいればなおのこと。この人の食行動の問題点はこの餅にあるようだ。また設問表では出てこないがもしかするとお酒の依存もあるかも。これらの点には一切触れられず。栄 「間食について、何を食べてますか?」せんべいを食べるくらい栄 「なにかもっと食べていませんか?お菓子は?少し減らしませんか?」って食べてないってい言ってるのに。餅は間食とは思っていない。商売物だもの。餅はあんこもち、づんだ餅、胡桃もちなどの甘い餅が多い。残ると家族で食べなければならない。もったいないから。栄 「運動も大切だからもっと何か運動しませんか?」田んぼで働いて、4時起きして餅作って、1日中働いてるからこれ以上は無理です栄 「でももう少し体重落としたほうがいいですよ。体重を記録してみませんか。」体重計ないの。栄 「スーパーで安く売って売るから買ってきて・・・」やっとやっとの生活だからそんなこと・・・(私も芝居がうまくなったもんだ、すらすらこんな言葉が出てきちゃうなんて)栄 「じゃ、腹周りだけでも計ってみましょうか。」(この方腹囲が90ジャストで腹囲での効果は?)栄 「ひもでよいので90cmに目盛りをつけて毎日記録しましょう。」ハイ、わかりました少し面倒になってハイと言ってしまった。役を演じて感想この人ってきっと家業のこと、夫のこと、舅姑のこと、長男の嫁のこと、いろいろな家族のことを全部しょわされているような気がする。「大変ですね、旦那さんはいかがですか?お商売は順調ですか?」などの言葉がけをまっているのかもしれない。全体会の場で各グループの発表があった。「生活時間の調査したものがあったらもっとよかった」とか「質問表の中身が不満。もっと詳しい項目があればよい」などの意見が出された。が。しかし。実際の保健指導がアウトソーシングで出された時には現場にいってその場でデータを読み込み即座に判断しなければならない。健診の受託業者のシステムの中で仕事をしなければならないのであって自分の望むようなデータや情報がもらえるわけではない。今迄のように役場や保健センターなどでの人間的なつながりのなかでの人物理解や人物像についての情報がないので大変だなあ、というのが実感でした。上記の例だって根本と思われる問題に肉薄していなかった。また質問票にはないが隠れた問題点があるかもしれないとの忖度がなかった。これを30分でやらなければならない。ポイントはどこだ!! とつかむ技術がいるようだ。多少の修正を加えました。
2007年11月26日
昨日と今日の2日にわたって特定健診・保健指導実践研修 第3ステップ を受けてきました。研修は1日だけ受ければいいのだけれど役割をいただいたので2日間出てきました。その役割とは「保健指導をされる人の役」→演者つまりロールプレー法による演習での対象者の役を演じてきたというわけです。学芸会でも芝居なんてしたことないのに、2人分の役を演じてきたのです。芝居って大変。でもなんだか面白かった。演じる対象者がタイトルのとおり水道設備業者のおかみさん、と 農家のお母さんで地方の物産市にあん餅をだしている餅屋のお母さん。ロールプレーでは8人ほどのグループになって管理栄養士役と演者の役、観察者、その他司会役などの役割を決めて午前、午後それぞれ2回の演習をするというもうでした。演者の役には栄養士会の役員が総出であたり(何しろ26グループもの大研修会でしたから)ました。日ごろ栄養士に指導されることってあまり経験がないので貴重な経験をさせてもらいました。いかにお芝居でも栄養士から「指導」されるってこういうことなんだ、こんな気持にさせられるのか、ここ聞いてほしいのにさっぱり聞いてくれない、など色々なことを感じましたね。まずは研修の参加者が「特定検診・保健指導」ってどういうことか、をまだよくわかっていない。従来の栄養指導そのままの感覚で取り組んでしまう。でも「特定検診・保健指導」の対象者は病気じゃない。予防のための「支援」なのだから自分で自分の生活をどう変えなければならないかを理解して生活の仕方を自分で変えることのお手伝いだということを理解しないといけないのです。これがなかなかできないようでした。とくに栄養士とお客さんの意識のずれを感じたのは「餅屋おかあさん」とのセッションでした。この方は農業のかたわら、もともと商っていた(現在は店を閉めている)モチを作って道の駅に出して売っている方。店におろしているので本人は店番はしていない。日中は農作業や家の中のことをしている。夫は心の病を持っていて目がなせない。舅、姑もおり息子夫婦と孫が3人同居。健診データは血圧高値 138/85HDL 36中性脂肪が高い 190前後 腹囲は90 BMI 27問診表では20歳時より10kg以上太ったが昨年度より3kg増えた運動習慣はないが1時間に相当する歩行などの活動はあり歩くのはおそい早食い間食 あり喫煙なしアルコールなし夜安眠できずなんて人。当日栄養士役に渡されたのは以上のようなでデータ。セッションの様子は会場に来てくれたことへのねぎらい、自己紹介。でもこのとき栄養士さんは座ったまま。あれっ?保健指導についての説明指導を受け入れるかどうかの確認と了解の取り付け。ここはかなりソフトokする健診結果についての解説突然、生活のリズムの聞き取りと家族関係(人数、構成)朝餅を作ってお店に出して、あとは田圃や畑の仕事してるの~じゃ、昨日は朝何を食べましたか?ご飯とみそ汁と漬物、お浸しかな 昼ごはんは?ご飯と昨日の残りの煮ものと漬物夕ご飯は?ご飯と煮ものと買ってきた魚のあんかけごはんはどのくらい食べますか?茶碗に1膳、軽くね実は餅の売れ行きもあんまり芳しくないことがままあり売れ残りの餅をご飯代りに食べざるを得ない。夕食の後でも食べる。でも、ご飯は何膳食べるか?と聞かれたから、1膳と答えた。餅のことは聞かれなかった。この人、餅をご飯とは思っていない、人柄がはきはきした人ではない、自分からいろいろしゃべる人ではない。まして依存とうつを持っている夫がいればなおのこと。この人の食行動の問題点はこの餅にあるようだ。また設問表では出てこないがもしかするとお酒の依存もあるかも。これらの点には一切触れられず。間食についてせんべいを食べるくらいなにかもっと食べていませんか?お菓子は?少し減らしませんか?って食べてないってい言ってるのに。餅は間食とは思っていない。商売物だもの。餅はあんこもち、づんだ餅、胡桃もちなどの甘い餅が多い。残ると家族で食べなければならない。もったいないから。運動も大切だからもっと何か運動しませんか?田んぼで働いて、4時起きして餅作って、1日中働いてるからこれ以上は無理ですでももう少し体重落としたほうがいいですよ。体重を記録してみませんか。体重計ないの。スーパーで安く売って売るから買ってきて・・・やっとやっとの生活だからそんなこと・・・(私も芝居がうまくなったもんだ、すらすらこんな言葉が出てきちゃうなんて)じゃ、腹周りだけでも計ってみましょうか。(この方腹囲が90ジャストで腹囲での効果は?)ひもでよいので90cmに目盛りをつけて毎日記録しましょう。ハイ、わかりました少し面倒になってハイと言ってしまった。この人ってきっと家業のこと、夫のこと、舅姑のこと、長男の嫁のこと、いろいろな家族のことを全部しょわされているようなきがする。大変ですね、旦那さんはいかがですか?などの言葉がけをまっているのかもしれない。実際の保健指導がアウトソーシングで出された時には現場にいってその場でデータを読み込み即座に判断しなければならない。今迄のように役場や保健センターなどでの人間的なつながりのなかでの人物理解や人物像についての情報がないので大変だなあ、というのが実感でした。上記の例だって根本と思われる問題に肉薄していけなかった。また質問票にはないが隠れた問題点があるかもしれないとの忖度がなかった。これを30分でやらなければならない。ポイントはどこだ!! とつかむ技術がいるようだ。
2007年11月26日
以前に「そんなにご飯が悪いのか」と書きました。あの頃にさる医院で糖尿病の方に「ご飯をしっかり食べると血糖のコントロールが良くなるよ」と話しました。糖尿病と診断されてインスリンも自己注射している方でした。よく食生活をお聞きしたらどうも主食が足りない。インスリンをしているので活動が低下してる。家族の方が「溜息ばかりついていて、痩せてきたし、見ていられない」とおっしゃる。そこでご飯を指示エネルギーから計算して200gを毎食食べることにしてもらいました。ご本人は「え!そんなに食べていいんですか?」不安に思って様子でした。エネルギーから必要な量を説明し、たんぱく質の食品の量を一皿にすること。野菜はもともときちんと食べていた方なのでそのまま。それで間食は一切食べない。これをひと月実行してもらいました。どう見てもエネルギー不足と間食(果物も含めて)が多すぎる。ご飯をしっかり食べないから途中でお腹がすく。だからお菓子を食べる→糖質過剰→血糖値が上がるこのリングを断ち切ることが必要と見たからです。結果、今月まで自己血糖測定で120台をキープ。医院での測定も120台でした。元気も出て活動性も以前のようになったと奥さんが喜んでいました。やっぱりね。ご飯は大事なんですよ。ところで先日医師会主催の糖尿病教室で調理実習をしたのですが(今年最終の教室でした)スタッフ同士で「なんかこの教室の後ってお腹がすくのよね~。参加者方もきっとそうよね。ということはきっと帰りに何か食べてるんじゃないかしらね。」という話になりました。これって絶対良くないよね。献立に欠陥がある。私のレシピじゃないけど、やっぱりまずい。レシピの全面見直しが必要なようです。お腹がすかなくて、血糖値が上がりにくくて、おいしくて。こんなレシピが絶対必要。そういえばジョスリンDMセンターのレシピってお腹がすかにのね。GI値の低いものだけでもないのだけれど。研究の余地ありです。数値だけの問題じゃない。たべての満足感と腹もちの問題も大きいはず。交換表の数合わせで事足れりと言うことはできないです。
2007年11月18日
今日は朝から日本栄養士会の事務局で会議。今日の運動量は神田の駅から神保町までのやく15分のみ。ずーーーーーーーと座りっぱなしでカイギ。最後は頭が動かない。足を動かさないと頭に血が巡らないのねえと実感。さて帰り、今日の運動不足を解消しようと、という訳ではないけど東京駅をうろうろ。八重洲側にサウスタワーとノースタワーができてなんだかわくわくするような新しい街ができていました。どこかでご飯食べようかなあと物色してもお腹がすいていなくて小一時間歩き回ってやっとお腹がすいたかな状態に。この時間になるとどこの店も行列してるんですね。行列嫌いのわたしは「やっぱり駅弁にしょう」と決めました。そしたらあったんですね。「食事バランス幕の内」。あなた想いのというキャッチまでついてました。もちろん大きくコマの絵も。食事バランスガイドに基づいてバランスのよい駅弁をつくりました、とのことです。栄養士だからちょっと興味をひかれて買いましたが、一般の人が「コマ」の絵につられてかうかなあ?中身はこんな感じ御飯が白飯とマイタケの味付けの2種類 で 「2 つ」副菜は きんぴら・かぼちゃの含め煮・梅花ニンジン・ししとう・シイタケの含ませ・ひじきの煮つけ・こんにゃく・ポテトコロッケ・里芋の肉田楽などで「2 つ」主菜はとり照り・鮭のやきもの・卵焼き・(里芋の)肉みその肉・巾着煮の油揚げ で「2 つ」 当然一つ一つの食材は4×3位の大きさ。乳製品としてスモークチーズ で「0.5 つ」くだものとして 杏の缶詰半個・グレープフルーツ 3cm四方くらい で 「0.5 つ」だそうです。これに詳しい説明書がついていて、旅のつれづれに読みながら食べるのも悪くないかも。味は、まあおいしかった。そんなにしょっぱくないし種類も多くてたのしめました。これで 669kcal たんぱく質 23.5g 揚げ物が小さいコロッケだけなのがよいですね。東京駅ではこのほかに秋の野菜弁当などの「体にやさしい」駅弁をいろいろ売っていますね。駅弁食べてメタボ解消できるかな?詳しくはhttp://eki-ben.jpで
2007年11月17日
このごろ外でご飯を食べるのがちょっと嫌になってきています。たまに外でご飯を食べなければならなくなった時も、やっぱり「家に帰って自分でつくろう」となってしまいます。何がそんなにいやかって?だっておいしいものに出会うことが少ないんだもの。ほんとに体が喜んでいるな、って感じる料理にお目にかかれないんだもの。まあね、大枚をはたいているわけじゃないから仕方ないけどね。というより家で作ったものの方が一番おいしい。自分でいうのもなんだけど。自己満足か?って思ってたんだけど、嫁いだ娘が帰ってきて「おいしい!」と叫んでたから、やっぱりおいしいんでしょう。なにがそんなにおいしいかっていうとこれがすごく単純。ルクルーゼでゆっくり火を通した玉ねぎとかキャベツとか。獲れたての魚の刺身とか。冷凍さぬきうどんの釜揚げとか。なんということない料理がめちゃくちゃおいしい。この2年位我が家には化学調味料がない。クックドゥーもない。ドミグラスも缶もない。あるのはトマト缶とか香辛料の類。昆布、煮干し。そういえばこの頃削り節もない。ほとんど食品の素材の味で勝負。食品と言ったって野菜は近くの生協のもの。有機だの無農薬だのとこっているわけじゃない。たぶん舌が「無化調」になれて素材の味に敏感になっているせい?でも娘たちは「だしのもと」をたっぷり使っているらしいけど、おいしいらしい。孫は家に泊まっていた3日ほどでほっぺがぷっくりして帰って行った。今までとどこが違うのか考えてみたら「時間」と「火加減」に秘密があるように思う。ポイントは食品を怒らせないこと。手早く、とか、さっと とかはダメ。特に野菜はゆっくり静かに穏やかに火を通してやると、すごくおいしくなる。がぁああ、と火を入れたら野菜が怒っておいしさを仕舞ってしまうみたい。急いで作っても30分。ゆっくり作っても結局は30分。30分もあればおいしく火を通すことができることにこの頃気がついた。作業にむだを省いてゆっくり調理。これがおいしい料理のコツのようだ。これに気付かせてくれたのが「ル・ポタジェ」の料理。栗生の住宅街の中にあるフレンチレストラン。ポタジェとは野菜という意味らしい。ほんとに野菜のおいしいお店です。もちろんお魚も肉も美味しいけれどね。でもこの頃肉よりも魚よりもおいしい野菜料理が食べたいのです。シェフのブログもなかなか味があります。ほんとうの意味でおいしい料理って野菜なんじゃないかしら。手もかかるし食材の相場も安定しない。だから多くのレストランでは肉中心の料理しか出さないのでは?アメリカでだって欧州でだって腕のよい料理人は野菜料理が上手なはず。みやぎのおいしい地場の野菜を上手に使ったおいしい料理をもっと頑張って出してほしいです。デステネーション キャンペーンがプレイベントとして始まっているけどみやぎの料理は野菜がうまい!と言えるようなレシピがどの店でも食べられるといいな。ひいてはそれがメタボ予防にもなるのだから。
2007年11月05日
今日から母校の120周年の記念展が開催されます。仙台にある宮城学院。中学から短大の8年間をすごした学校です。そのご3年間副手として働きました。精神基盤の根本を培ってくれた学校でした。小学校の時代はあんまり楽しい思い出はなかったような・・・。登校拒否児でした。朝になるとほんとにお腹が痛くなったり、頭が痛くなったりしてました。8時半を過ぎると、あら不思議。どこも何ともなくなるんですよね。それが中学校にはいったらなんと皆勤賞。MG(宮城学院の略称)の水が合ったみたい。だって楽しい学校だったんですよ。春のイチゴパーティ、花の日、修養会、クリスマス礼拝。楽しい行事がたくさんありました。今にして思えばゆとり教育の最先端だったのかも知れません。なによりも重んじられたのがキリスト教に則った人としての教育だったでしょうか。いまでも母校に帰るとほっとした思いに包まれます。常に「他の人を思う」ことを教え込まれました。つねに「集いたいと願いながらも集い得なかった姉妹たちのことを思います」という言葉が語られます。そして人にも自分にももちろん神にも恥じない行いをすることを教えられました。「神の恩寵のもとにある現在」を意識して生きること。洗礼を受けたわけでもなく教会からも離れた生活ですが時にふれその教えは心のどこかに生きているのを感じます。さてその120年の記念展にあたって卒業生から「個性的に活躍しているOG120名を紹介する」企画があり「Woman120」としてパネル展示がされています。その一人として私も紹介されました。卒業生5万人の中からということで光栄の至りです。今日さっそく行ってみましたところ、なんと私の学年から6人もの方が選ばれていました。すごい確率。見たところ他の学年にはない現象。偶然同級生にばったり出会って、それも彼女もリストアップされていて「私たちの学年ってねえ~、やっぱり個性的といったらいいか、変わり者といったらよいか普通じゃない学年だったのね。」と盛り上がってしまいました。確かに私たちの友人はみんな人には左右されない人々が多い。みんなそれぞれの与えられた場ですべきことをきちんと果たしている人が多い。みんな素晴らしい仕事を積み重ねている。そのように育ててくれた学校に感謝を感じたことでした。「宮城学院の120年展」は11月2日~7日まで仙台メディアテーク5階の全フロアで開催されています。懐かしい東三番町校舎の写真などもありました。公式webページはhttp://www.mgu.ac.jp/120th/index.htmをご覧ください。
2007年11月02日
eclipseさんがコメントで書いてくださったことをしばらく考えていました。*********************************以下はeclipseさんの書き込み>ふと思ったのですが、蛋白質やアミノ酸が最終的に窒素を抜かれてTCA回路でエネルギーになるってことを一般に知らないのでは?>あまりに蛋白質やアミノ酸が体を構成することや情報伝達のためのホルモンなどとして使われることばかりが強調されてるので、エネルギーと結びついてないから、炭水化物ばかりに目がいくのでは? 脂質は、少ししかとってないと思いがちですからね。>>だからメタボだとエネルギーの取りすぎで、炭水化物つまりご飯を減らすになっちゃうのでは?。よく代謝で、燃やすと言う表現あるけどあれも燃料のたとえで、蛋白質と結びきにくくしてる表現だと思いますし。*********************************このごろいろんなところで栄養話をしていて栄養士の考えている「栄養と食品」の概念と一般的に思われている概念とのギャップが予想以上に大きいことにちょっとショックを受けています。特に20代の学生。いままで常識として知られてきたことを知らない人が結構いることに気付きました。「主食・主菜・副菜」というごく当たり前の膳組がイメージできない子がいる。小学校の家庭科で必ず習うだろうと思っていた3つの食品群もイメージにない。これってゆとり教育のおかげ?家庭科なんて総合学習のとてもよい教材になると思うんだけど。もうひとつ大きなびっくりは生物の基本的な知識がないのではないかと思われることです。生命の誕生から現代にいたる壮大なドラマを教わっていないんじゃないかとおもうんですね。そして細胞のなかで起こる化学反応の一つ一つが有機的に連鎖して「生きる」ということを形づくっていることを教わっていないようなんです。化学にしろ生物にしろ物理にしろ単元ごとにばらばらに習っていたら、全体の連携が見えないまま、なんだか面白くなくて、つまらないままに終わってしまうんじゃないかしら。TCAサイクルなんて生物の授業の一番クライマックス面白いところですよね。あれを習っていなかったら、栄養士の学科になんて入ってなかったと思う。生きるって、生命ってどういうことなんだろうって、知りたいと思いましたもの。だから食べたものがどのように体内で変化してどう利用され、排泄されるのか不思議でしかたなかったですね。そういう意味で栄養士の勉強はすごく面白かった。医学や生命科学などの微細な分野ではなく食事という普通の作業を通じて生きるってことどんなふうに遂行されるのか、知ることはスリリングでした。タンパク質に関して言えば、食物はアミノ酸レベルに分解されて血液にのり肝臓に運ばれるけど体タンパクに合成されるには分子レベルまで分解?(でいいのかな?)されて細胞内に取り込まれるらしいですね。そしてたんぱく質に再合成される。なんかスタートレックの「ワープ」みたいですよね。タンパク質に使われなければ、糖や脂肪に結局はなってしまう。「燃やす」という言い方がネックですか。う~ん。たんぱくは燃えるのよね。ヒトでも肉でも魚でも燃えるもの。外気で炎を出す燃え方と体内の代謝での燃え方はもちろんまるで違いますけどね。燃えないのはミネラルの多い骨とかね。まあリンとかマグネシウムとかナトリウムとかも燃えないわけではないけれどね。燃えない窒素が体内にはのこってしまい、これを処理するのに腎臓が苦労するわけで・・・。主菜が多いと困るのは肉魚が多いとどうしても油脂が多くなるから総エネルギーがオーバーしてしまうということもあるのです。肉魚を食べると筋肉ムキムキになると信じている人も多いし。適度に糖質を取らないと筋肉はつきませんよね。こんな面白い現象をどうしたら学生に伝えられるのか、悩みです。難しい。
2007年10月31日
12日、「幸せ料理研究家こうちゃん」のブログセミナーが開催されました。。yahooブログでアクセスNo1の「こうちゃんの簡単料理レシピ」で大ブレークの相原幸二さんが仙台インターネット推進研究会のセミナーで講師として来てくれました。なんと1日に2~3万アクセスがあるのだそうです。コメント数100以上。全部ご自分でコメントを返してるそうです。聞いただけでチョー大変。マメでなきゃできないですねえ~。だからこそたくさんのファンがつき、人気があるのでしょう。ご本人もとても気さくないい感じの青年でした。ブログもPCについてもそんなに詳しくはない、とおっしゃっていましたが使いこなし術はたいしたものです。技術じゃない、知識じゃないっておことですね。とはいいつつ写真の撮り方やレシピの書き方についてはかなり研究をされているとお見受けしました。セミナー終了後懇親会、そしてカラオケでの3次会までご一緒させてもらって、楽しい時間でした。もともと板前さんの修業をしたかたでそのご営業の仕事をされていたのだそうで、とてもみんなを楽しませる、もてなしの心の備わったかたです。一躍有名になっても高ぶったところがなくて、本当に「よい青年」。メディアの仕事や本の仕事、企業の企画の仕事などがたくさんはいてっても「ブログで育ててもらった」というルーツを守ってブログでの発信にこだわっていくとのことです。仙台発の若手料理家として、幸せ料理研究家としてもっともっと活躍してほしいですね。
2007年10月14日
先日、栄養士が3人ほどあつまった席で誰言うともなく、「みんなご飯はそんなに食べてない、ご飯は減らしてる、って言うんだけど、なんで?」という話になった。確かに中高年(というより高齢者??)にメタボや糖尿病の食事について聞いたりすると、まずほとんどの人が「ご飯は減らしてる」という。いったい誰がご飯を減らせって言ったの?と30台の栄養士は不思議がっている。それは、私たちにちょっと上の世代の栄養士が言ったこと、って言っていいのかなあ?学生時代、糖尿病食はご飯を減らしてご飯の代わりに「おから」を出すように習った。信じられないよね。約40年前。糖質は極力減らす、というのが基本だったのかもしれない。白状するとあまり栄養士になりたいと思っていなかった不真面目学生だった私は、あんまりよく覚えていない。でも、どういうわけか病院実習のときの指導栄養士が母の長年の友人だったもので正月料理の献立を立てるようにと「特別に」指令が出て・・・冬休みがなかった記憶がある。そのときもおからが活躍していたと思う。たぶんそのころの知識が長く医師や看護婦に浸透して、血糖値の高い方には「ご飯と甘いものを食べないように」というのが習慣になったでしょう。糖尿病の食品交換表について批判があるのは理解できるし私も「単位」と「栄養価」のダブル基準の交換表はとても使いにくいと思っているのだけれど、でも「栄養バランス」の簡単な理解という点ではとても役にたったと思う。いまや「サトイモ」はだめ、とか「ご飯はなるべく少なく」なんて事をいう人はいなくなったと思うのだけれど、嘗てはね、そんなことを指導した事もあったらしい。糖尿病はいまや「おいしいものをきちんと3食しっかり食べなくてはだめ」という指導をしなければ。糖尿病は本当の意味で贅沢な食事をおなかがすかないようにしっかり食べなくてはならない、食べる事が一番大切な病気とも言える。健康なら少々不完全な食事でも生きていけるけれど、病気になったら「常に完全な食事を食べること」が仕事。これって、結構大変。食べたくなくても、ちゃんと食べる、ってほんとに大変。そういう意味で「王様の病気・本当の贅沢病」といえるかも知れない。ちなみに、余談ですが、前出の病院実習の最中「三億円事件」がおきて大騒ぎになり、それも忘れられない記憶です。
2007年10月03日
街中でこのごろすごく不思議だなあと思うもののひとつがこれ!なんかお店をリニューアルしているな、と思ったらお店の前にでんとすえられたのがこのおじさん人形。これって立派な「メタボ」おじさんですよね。某ファミレスの新しいマスコットキャラクターのようだけど。なんでこの節こんなキャラクターを前面に押し出してきたのか、まったく理解不能です。国中挙げてメタボ退治にかかろうという矢先なのにね。なんか保健医療行政にケンカを売ってるのかしら、などと思ってしまいます。そしてその店にはためいているのぼりがこれ。大俵のハンバーグ。食事バランスガイドではハンバーグ一皿は「3っつ」と数えることになってます。これって決して大きくない普通サイズのハンバーグ。だから「大俵」ともなると「いくつ」に相当するやら、想像もつきません。やっぱりこれ食べてたら「メタボ」になりそう。やっぱり、不思議だ。時代に逆行している?あえて?付け合せ野菜の料理を吟味しました、なんてお店なら喜んで入るけどね、大きいが売りのお店には、入りずらいもの。食べた後が怖くて。若い人がターゲットの某「○○○ド○キー」ならまだ分かるけど、ファミレスだもの。結構中高年の男性も入っていたようですしね。こういう業界にも管理栄養士の視点って必要なんじゃないかと、つくづく感じるこのごろ。さて、どうアタックしたものか。
2007年09月12日
8日に神戸に行き、その後岡山での会議に行ってきました。年度末と申告が重なってちょっと無理をしました。そのせいか前日からなんとなく風邪っぽかったのですが、思いのほかに寒い神戸ですっかりこじらせたようです。それから風邪が抜けません。ますますひどくなり20日にはドクターストップがかかってしまいました。昨日あたりちょっと調子がよかったのですこし仕事をしたら、今日はダメでした。発熱。明日、あさっては休業させていただきます。寝てます。おとなしく。気はあせるのですが、息子に言わせると「若くないんだからね!」ということで、お休みさせてください。
2007年03月23日
先月末から約1月にわたって体調不良でダウンしていました。お約束のあった仕事には何とか行きましたがその他の日はほとんど寝たりおきたり。事のおこりは「孫」かららしい。子ども経由のウィルスや細菌はパワーアップするのだろうか。やられました。風邪・肺炎・嘔吐下痢症(ノロ??)。子どもはすぐに元気になるのだけれど周りのおとなは軒並みダウン。まだ本調子では無いけれどなんとか普通の生活ができるようになりました。と言うわけで更新もすっかりご無沙汰になってしまいました。私の健康にはなんの関係も無く、当たり前だけど月日は経って、もはや歳も押し詰まってしまいました。ことし最後の記事は「食事バランスガイド」についてです。2005年6月に「食事バランスガイド」は、望ましい食生活についてのメッセージを示した「食生活指針」を具体的な行動に結びつけるものとして、1日に「何を」「どれだけ」食べたらよいかの目安を分かりやすくイラストで示したものです。厚生労働省と農林水産省により決定されました」という物です。コマのイメージを使ってよりわかりやすく食べる量を自己管理できるようにとの目的で作られたと言うことです。12月4日、みやぎ生協において「食事バランスガイド」についてのセミナーを依頼されてにわか勉強ですが、しかし真剣にマニュアル本を読み返し厚生労働省、農林水産省のweb資料を読みあさりあらためて理解しようと務めました。しかし、よくわかりません。と言うのが私の感想です。ましてこれを栄養に関するポピュレーションアプローチにどのように活用していったらよいか、難しい!ということがよ~く分かりました。ところで、このポピュレーションアプローチと言う言葉。造語なのでしょうか。よく分からない言葉です。何となくイメージ的には分かるけれど言葉として分解すると理解できないね。どうも特定の意味にしか持たない言葉らしい。ポピュレーションアプローチとは、メタボリックシンドロームの概念や生活習慣病予防の基本的考え方を国民に広く普及することだそうでハイリスクアプローチにと対になっているらしい。どうして一般的な言葉を使用しないのかしら。ハイリスクの対する言葉としたらローリスクだろうにね。なぜ「ポピュレーション(住民・特定の人々・種族)」が出てくるんだろう。まあ字義のの解釈はさておいて。食事バランスガイド。マニュアルによると、これは「食べるだけ~~」の人たちが自らの食べる量や食べた量を自覚でき、摂取する食事の量を管理することが出来るようにするめのツールであるとしている。たしかに、ちょっと見にはわかりやすい。でも、栄養士にとっては手強い。今までの観念をすべて捨て去っててかからないと、袋小路にはまってしまう。いままでの食品群別とも基礎食品とも糖尿病交換表とも成分表による栄養価の計算ともまるで概念が違う。概念の違うことを同じ土俵で論じても仕方ないのだけれど、今までの常識(栄養士としての)がかなりじゃまして新しい概念に投入できない。だって、まるで数字的に整合性のないものを理解しろと言われているわけで、これは難し。できない。たぶん日本中の栄養士が「困った」と思っているんじゃないかしら。確かに困るんです。だって、主食のご飯「1つ」が70g~140g、ゆで麺「1つ」が100~230g肉「1つ」が20g~50g事ほど左様にすべてあまりに幅がありすぎる。1g、あるいは0.1gの世界で生きてきた栄養士にとってこれは「埒外」のこと。でも、マニュアルには明記してあるんですね。完全を望むのではなく「30点、40点の人」を「50点、60点」に引き上げるための方策だと。「いままでの栄養士の仕事の仕方があまりに姑息で重箱の隅をほじくるような指導をしてきたのに全然結果が出せていないのだから、ここで一番ゆるゆるの方法を試してみませんか・・・どうせ今までのやり方じゃ良い結果にはなっていないのだから・・・」と言われたのとおなじことですよね。悔しいけど、ある意味真実かも。100%を求めても「ポピュレーション」と言われる人たちには通じなかったのだから。やり方を変えてみたらいいんじゃないの?って言われたのと同じ。優しいんだか、後ろからエイヤッと袈裟懸けにされたんだか。あんたがたなんにも仕事ができてないじゃないって見くびられたんじゃないかと悲しくなってしまう。内容を子細に見れば見るほど、これをどう使いこなしていけばいいのか、途方にくれてしまうんですよね。つくづくこの食事バランスガイドって外食産業のための物じゃないかって思う。と考えていたらありました。ヤマザキデイリーストアで販売している「あなたの健康応援します。バランス弁当・小箱弁当」398円。食事バランスガイドのコマの画が付いていて「主食1.5つ、主菜1つ、副菜1つ」の表示がありました。この数字の意味を分かる人がどのくらいいるんだろう。自分の食べるべき「*つ」を知っている人がどのくらいいるんだろう。
2006年12月24日
ほんとに月日のたつのが早すぎて追いつけません。めまぐるしく日にちがたってしまいます。これじゃいけない!と思ってもなかなか仕事を追いかける事ができません。追いかけられっぱなしです。さて、かなり旧聞になってしまいましたが9月8日・9日に岐阜で全国地栄協組織強化懇談会とブロック別研修会が開かれました。ことしの全国地栄協組織強化懇談会のテーマは「新規事業企画マニュアルの活用について」。昨年の政策事業の「新規事業企画マニュアル」をどう活用して行くかが話し合われました。北海道・東北ブロックの話し合いでは新規事業を展開する上での方法論ももっと支援して欲しいという意見が大勢をを占めました。事業そのもののプログラムや指導の方法はそれなりに確立している(と思っているんだけど)がそれを展開するためのビジネスモデルの立て方が分からない。ビジネスプランそのものをキチンと立てないことには事業展開はできない。はず。が、そのための勉強をどのようにしたらよいかのアドバイスがなかなか得られない。私も経営コンサルタントの方に相談したり起業セミナーなどに参加したのだが、事業として収支が成り立つようなプランを立てる事の難しさ痛感している。一般的に形のある商品を伴わないサービスに支払いをするという習慣が希薄なのだ。とくに栄養指導とかコンサルタントとかアドバイスなどが栄養士の独自の物とは言い難いのでなおのこと難しい。栄養士だから、というだけではなく、なにかもっと独自のプラスアルファーを加味しなければ生き残れない。開業、自営というのはたやすいけれど内実は厳しい。今年度全国の各都道府県栄養士会がすべて「栄養ケア・ステーション」を立ち上げることになっている。宮城県でも今立ち上げに向けて準備をしている。人材登録のための調査票も今日郵送されてきた。しかし、この事業に携わる人員にどのようにして報酬を支払うのか、目途がなかなか立てられない。収益を得る方法を考え出さなければ永続性は保てない。公益法人の栄養士会が収益事業に参入することに抵抗を感じる会員もあるようだ。常勤の会員が多い中では当然の事かもしれない。やはりコペルニクス的転回が必要なのかも。栄養士会の事業に専門的に従事する会員を地栄協のメンバーからたくさん投入しなければ栄養士ケア・ステーションの事業は完遂できない。フリーの栄養士がもっとたくさん働かなければならない。地栄協のメンバーが今のように常勤で働けないから地栄協に、という人材構成では無理だ。学卒直後の人材をリクルートするしかないのではないだろうか。フリーでも生活できるだけの仕事と報酬が保証できるかどうか、プランニングの腕が問われている。むずかしいね。でも、やらなくては。
2006年10月10日
昨日書いたテレビの番組、仙台のテレビ局でもやってた。知らなかった。時間が土曜日の午後5時からと言う中途半端な時間。タイミング悪くて、見たこと無かった。こんど見てみよう。
2006年07月26日
3月11日(土)、横浜において公衆栄養活動研究会が開催されました。講演1「今後の地域活動栄養士への期待と役割」 (社)日本栄養士会会長 中村丁次氏講演2「人間力を磨く、食コーチング」パルマローザ主宰・管理栄養士 影山 なお子氏の2題の講演がありました。とても中身の濃い講演だったのと、講演の記録係になっていたのでなかなかこちらのブログに気軽に書き込めなくていました。もうちょっとお時間をくださいね。こちらにもまとめを書きたいと思います。思いがあふれると、言葉がまとまらないってあるんんですね。
2006年03月18日
先日県の栄養改善学会がありました。発表のうちおもしろいと思ったのは米飯と米の栄養価の違いについてのものでした。発表したのは仙台大学のかた。当県では管理栄養士養成大学が一挙に2校増えて今までとはまた違った角度からの発表がありました。さてその内容は。「給食における米飯の栄養管理と作業管理の標準化について」給食において栄養管理上「米」で栄養管理をするのか「米飯」で栄養管理をするのかというものでした。どこがどう違うの?といわれそうだけれどこれが結構気になるところではあるんです。たとえば「米」100gのエネルギーやその他の栄養価で献立をたてます。でも実際に炊飯するには米を「研ぐ」ときに米粒を流してしまう分、水溶性のビタミンが水に溶け出してしまう分、さらに釜やへらにくっついて残る分などなど喫食者のくちには入らない分量が出てくるはず。また、水加減によっては炊き増えしたり、硬くて減ったりする。誤差が出るじゃないの。ということなんです。なら米飯で計算したらいいじゃない、というとこれがまたどういうわけか米飯100gに相当する米の量とエネルギーが一致しない。米飯のほうがエネルギーが多い。(多分近年こしひかり系の米が増えているせいかな?ささ系のこめより水分をすわないから)そこでこの発表者は「水稲穀粒と水稲めしのどちらかを使用して栄養管理をした場合、計算上において各栄養量にどのくらいの誤差が生じるか」検討したとのことでした。計算上では米飯がエネルギーは微量増えるもののカルシウム・鉄・マンガン・ビタミンB1が大きく減ることが分かったとうことです。まあね、これは成分表で計算したらすぐにでることですけれど。結論をきいてちょっとがっくり。実際の地域で良く食べられている米(なにせ米どころですから)を炊いて分析してほしかった。地域活動の栄養士のわたしには分析装置も実験場もないから。近場の大学で分析値をだしてくれるとありがたいのに。今後は実際に炊いた米を資料にして研究するということなので期待しています。それにしても、保育園などで米飯を提供する園がとても増えています。市では3歳以上児の給食には主食を家庭から持参させています。そのときの主食の栄養価は「米飯110g」を持ってきているとして計算するのです。実際にどのくらい持ってきているかは??わからないようです。完全給食として主食を出している園では主食は「米」で計算します。米飯110gに相当する米の量は52gです。実際そんなに食べないらしい。45g~50gにしている園が多いです。これからの栄養管理は個別にきめ細やかにするようにと食事摂取基準が改訂になりました。給食での栄養管理も一律ではなくなります。こんな誤差にかかずらわって要ることは意味のないことなのかもしれないと思いつつ、数字に縛られてしまうのも栄養士の性さのでしょうか。「仕事の質」、「内容の見直し」、「意識の変革」が求められていますね。
2006年02月14日
アメリカでの牛肉処理の際の検査監視の不備がまた新たになった。へたり牛(立てなくなった牛のことで多くは狂牛病とは無関係。だが狂牛病の主な症状がこの起立不能という症状なので食用にすることは禁じられている)を見逃し、あるいは検査をせずに食用にまわしていたと言う。日本人はあくまで全頭検査を要求していた。科学的な根拠は乏しいと言われても心情的には検査でOKのでたものだけを食べたいと思う人が多い。仙台はもともと豚肉文化圏なのでもし牛肉がなくても、なんとか生きていけるけれど(牛タン文化圏ではあるが家庭で普段に牛タンばかりを食べているわけじゃないし)日米の間には食にたいする根本的な捉え方の違いがあるのだろう。ジョスリン糖尿病センターの料理本を翻訳しながらレシピを研究する会を仲間としている。アメリカの糖尿病食のレシピで驚くのは既成の食品が多用されていることだ。タコスの皮・ケーキミックス・出来上がったケーキ野菜はすでに刻んで冷凍になっているもの、肉類の缶詰等など。素材から手を掛けて調理すると言うことが少ないようなのです。何かの映画でちょっと精神が不安定になっているヒロインが夫の誕生日にケーキを作るのですが、これがすばらしい色のケーキ。たしか真っ青。ロイヤルブルーのような真っ青。きっと心が不安定だから、それを表現するためにこんな色にしたんだろうと解釈したのですが、そうではないみたい。(心の病気について詳しくないのでもしかしたらとても見当はずれなことを書いているかもしれないです。そうだったらお許しください)ニュースなどでみたら普通に子どものために作るケーキもすごい色をしていた。私たちの周りには絶対ありえないような色のケーキ。あれだけ食品着色料の問題が提起され日本では冷麦の2,3本の色つき麺もなくなったというのに、毒々しいまでの色のついたタブレット状のチョコが出回っているしね。国民性というかアメリカ人の見ているところを日本人の見ているところが違うのだと思う。さて、前書きが長くなったが本題。BSEの牛を検査できちんとチェックし食用にまわさないのは当然のこと。なら、BSEの本体は?異常プリオンによるもの、というのが現在の定説だ。この説をとなえたプルシナーと言う人はノーベル賞も授与されている。私たちがBSEに底知れない恐怖を抱くのは治療法もない不治の病であること。悲惨なその病状。なによりも恐怖に感じるのはなぜ異常プリオンが発現するのかが分かっていないこと。いまのところBSEに汚染された牛をあろうことか飼料に再生して(肉骨粉)牛の赤ちゃんに与えていたためだろうと言われている。この異常プリオン。通常の熱処理では感染力がなくならない。放射線処理でも感染力を保持している。そして遺伝子を持たない。これは未知の異生物か、と思ってしまう。いままで見たこともないような異常な生命体か。これが発生数は少ないのに底知れない恐怖感をわれわれに与えている。肉骨粉の使用を禁じ、異常プリオンの蓄積しやすい部位を取り除き、へたり牛をきちんと取り除け、ていれば心配ないのか。どこかに今でも潜伏しているBSEの病原体は封じ込めることができるのか。みんなどこかに不安をかかえているのではないか。講談社BULUE BACKS「プリオン説はほんとうか?」 福岡伸一著を読みました。プリオン病原説の矛盾点、疑問点を詳しく解説してあります。BSEはもともとイギリスなどにあった羊の風土病が食産業の構造変化によって食肉産業の中に紛れ込んだことから蔓延したもの。煎じ詰めればきちんと熱処理を十分になされていればここまで世界中には広がらなかった。オイルショックによる燃料代の高騰により熱処理を十分にしない原料が飼料として出荷されたこと、病牛・疲弊牛までをリサイクル?して飼料にしたことのツケが噴出したものだろうと書かれていました。そしてBSEの病原体は未知の不可思議な生命体ではなく未知のウィルスなのではないか。異常プリオンはウィルス感染によって引き起こされたたんぱく質の変性ではないか。ウィルスであれば根本の病原体は熱処理で退治できるはず。ただ、異常プリオンと変性したたんぱく質はスポンジ脳症を引き起こす力を持っている。異常プリオンの多い部位を除去しただけで本当に他の牛肉部位を食べても安全かといえば、安全とはいいきれない。ウィルスが付着していることがあるかも知れない。変性を起こしやすい部位だっただけかもしれない。感想未知の正体の分からない生命体か、という恐怖からはとりあえず逃れることができました。でも眼前の問題は解決しません。何を食べたら安全なのか。非常に長い経過をたどる人のBSE感染。いつ感染したのかも分からない。今食べた肉が明日なにかの症状を表すならとても分かりやすいのに。今わたしたちにできることは、必要以上のたんぱく質の摂取を控えること。素性のはっきりした食べものを摂る事。とりあえず熱処理をきちんとすること。これって食べものを扱う基本ですよね。
2006年02月09日
「おもやい」って言葉、普通に使ってた。でも、ふと思いついてググって見たら、あら、九州の方言だって。2,3日まえ他のブログに食ダネを書いていて何気なしに「おもやいで食べる」ことを書いたのだけれど、さてそのホントの意味は・・・と気になり調べたのです。子どもの頃から家では普通に使ってた。どこから仕入れてきたのだろうか。九州とは接点はないはず。在るとすれば遥か昔、曽祖父が西南戦争に従軍したことがあり熊本に滞在していたくらいかな。「おもやい」とは「共にする」とか「分け合う」とか、「あなたのものも私のものも隔てなく」といった意味。おかずを「おもやい」にするといえば一緒のどんぶりをつつき合う。服を「おもやい」にするといえばさしたる断りなしに貸し借りしあいってもよいということ。お手塩皿をおもやいにすることもあれば、弁当のおかずを、レストランで1皿のご馳走をおもやいにすることもある。当然、あいてに対する適度の距離感と思いやりを保っていないと成り立たない世界。自分だけガツガツたべたのでは次の「おもやい」は成り立たない。今の言葉で言えば「シェア」。そんな横文字並べなくても、日本人も昔から程よい距離感を持った人間関係を普通に築いてきたはず。現在あまりに「個」の権利ばかり言われて「もやい」の心がなさ過ぎるのでは?「同じ釜の飯」を今の人は食たがらないらしい。「同じ釜の飯」を食うのも「もやい」と同じ心意気がないと成り立たない。鍋を囲むのも同じ。「鍋パーティ」がとんでもない意味に使われるなんて、悲しすぎる。「もやい」のもともとの意味は舟同士をつなぎ合わせること、同じものを共有すること。私たちも自然や人間関係を「おもやい」して生きているのにね。
2006年01月30日
保育園の園長先生との会話。園長先生、「お昼に汁物を付けたいのだけど・・・」私、「朝におみそ汁飲んでくるから、毎日じゃなくてもいいんじゃないでしょうか? その分の食塩を他の料理にまわせるし」園長先生、「それがね、あんまりみそ汁なんて飲んでないみたい。だからせめて保育園で食べさせたいの」わたし、絶句。「それって本末転倒じゃないですか?朝食にみそ汁食べなくなったから、離乳食が作れない親が増えてるようですしね。朝食の基本形をしらせるのも食育の一つと思うんだけど」園長先生、「そうなんだけど、現実はねえ~、ろくに食べてこない子が増えてるの」今、35歳を境に親の姿がはっきり違ってきているそうなんです。U35の親は「子どもが子どもを生んだ」感じなのだそう。「家じゃできないから、保育園でしっかり○○○○をしてやってくださいな」なんだそうです。○○○にはいる言葉は、ご飯だったり、しつけだったり。ある親は「お掃除ができないから、一時保育お願いします」っていったそうです。けっして特別の掃除ではなく普通のお掃除。なぜなら、子どもを寝かせて掃除をすると泣くので、できない。???背中にくくってすれば?って思うけど、泣かせることは罪悪だと感じているようなんですって。こどもなんか泣かせてりゃいいの!って室井滋風にいいたくなるよね。でも、こんな親たちに育ててきたのは、私等世代だ、どうしたらいいんでしょう。
2005年08月27日
そういえば、オッジドマーニにはグラッパがなかったような。グラッパ、結構癖があって飲みやすいものではないけれど、脂っこい料理の後はさっぱりしてよいですね。ぶどうの精 グラッパ種類はイタリア産グラッパをごらんください"
2005年07月25日
先日ルーターを新品にして快適快適と書いたばかりなのに、昨日朝からネットにつながらない。何をやってもだめ。電源をおとして、モデムも引っこ抜いて、ケーブルも点検し、最後にはルーターの設定もリトライしてもだめ。友達とあそびにでかけた息子に「SOS」を打電して急遽帰宅させ、やはりだめ。そんなこんなしているうちに夜もふけて11時。突然つながった。なんなの?きょうはご機嫌よくさくさくをつなげています。器械は分からない。
2005年06月06日
きのう恒例の仙台市インターネット推進研究会(slabo)のセミナーに参加しました。今月は「ITで育て!みやぎの子ども ~宮城県のIT教育はいま~」と題して宮城県教育研修センター情報教育班の成瀬啓氏のお話をお聞きしました。大変に内容の濃い講演でした。参加者がいつもより少なかったのが残念でした。「宮城県のIT教育はいま」ということに研究員(といってもslaboのメーリングリストに登録している人はすべて研究員となります)の興味がわかなかったのか、あるいは研究員の年齢構成がちょこっと子育て世代より上だったのかは分かりません。ともかく面白かったです。なにがって、宮城県のIT事情よりもなによりも講師が魅力的。講師は小学校の教師を長年されてきた方で世の中がITに浮かれ出すだいぶ以前からITを道具として使いこなしてこられたかたらしい。でもITを使いこなすことが大事なのではなくてITを道具として何を子どもに発信するか、という中身がきっちり詰まっていることがすばらしい。「ITベンチャー女性経営者」さんがかいてらっしゃるようにすべての教師がPCの操作に熟練することが必ずしも必要だとは思いません。道具が仮にローテクだとしても、教育は達成できるはず。要は何を教えたいか、こどもにどう育って欲しいかのイメージが、自分のものとしてのイメージがしっかり自分の中にあるかどうかが問題なだと思うのです。いままでだってきっちり教えることができている教師はいたし、でもそれができない教師もいる。教師用のあんちょこ通りの授業しかしてこなかった教師は、あんちょこがわりに便利なソフトを多用してあたかもITを使いこなしているよと見せかけることが簡単にできてしまうだけなんじゃないかしら。ITは諸刃の剣になりかねないような気がする。と以上は教師の頭の中、志の問題。ハードの面では宮城県はかなり立ち遅れているらしい。特に県下の市町村レベルでは格差が大きいという。これもある意味首長や議会の頭の中身と志の問題。自分の町や市をどのような町にしていくかというイメージが確率しているかどうかのソフトウェア(頭の中身です、PCソフトではありません)が古いか新しいかの問題なんだろうな。今まで通りでいいじゃん、では完全に世の中から疎外されてしまうのに気づかない。ここは教育の現場よりも10歩も20歩も先を行かなくてはならないのに、現実はね。教育現場がやりたいことを見つけたら「すぐできる」環境をととのえてあげてほしい。そうじゃなかったら、先生達はなんにも変わらないよきっと。だってきのうと同じことをしていれば、いいんだもの。子どもはどんどんおおきくなるのに。情報はどんどん進化するのに。教師・学校は完全に離れコジマになっちゃいそうなきがする。私がPCを始めて買ったとき3年生だった末の息子が中学にあがって、学校のPCを見て仰天したんだって。そのとき家のPCはwin95にグレードアップ済み。学校のPCはdosの黒い画面。まあ、あるだけいいか。IT講習が花盛りだった森喜郎首相の時代、この中学校にもPCが40台くらい配置されて私も講師いきました。40台のPCがいっせいにwebにアクセスすると2/3は固まってしまった。今でもそうなのかしら。ストレス無しに動く環境を整えてあげたいね。
2005年05月14日
この頃仕事で保育園にお伺いする機会が多いのです。栄養士の先生がお宅でお使いのパソコンのOSをお聞きするとwin meをお使いの方が時々いらっしゃいます。このブログにリンクしてくださっている「水玉あいちゃん」さんがパソコンを新調(なんと古臭い言い方)なさったそうで、「新しいくて良いのは畳と女房」よりもパソコンかも知れないですね。私も5、6年前にパソコンを買い換えたときに新しけりゃいいか!と思ってmeマシンを買ってしまいました。98seとどちらにしますかって聞かれたので、新しいOSのほうがいいに決まってると信じてましたから。これが大間違い。98のほうがよっぽど安定してましたね。meはホントに不安定。リソースは食うし、フリーズするし、挙句の果てには再起動を繰り返してたらHDDが壊れてしまいました。ちょっと大きなサイズのファイルを動かしただけでフリーズするOSなんて困ったもので、XPに変えてからはホントに天国。でもMEの失敗に懲りて98の古いマシンをずーっと使い続けてxpにしたのは世の中に評判で「大丈夫そう」と確信できてからでした。というわけでXPのSP2もまだ入れてません。パソコン起動するたびにうるさく「更新の準備ができました」などと催促されるけど、「分かってるから!」と器械に返事して×マークをクリック。ホントにしつこいんだから。meをがんばって使っている方には早めにxpに乗り換えをおすすめします。でもxpも結構サイズがでかくてパソコンの力をたくさん要求するみたいなのでアップグレードが難しい場合もあり(5年前のパソコンでは力不足?)悩みますよね。ともかくmeでさえなければ98でもまだまだ使えるのに、サポート終了とは・・・マイクロソフトもなんと薄情なと思ってしまいますね。win3.1からパソコンを使いはじめて10年、結構お金をつぎ込みましたね。8台目ですもの。さすがに初代のwin3.1の国民機は無くなりましたが2代目のwin95は現役で働いています。excelくらいはなんなくこなしますね。ただしUSBは付けられないし、何かと時代遅れではあります。3代目のmeがクラッシュ。ノート類は今も現役。パソコンで事業を立ち上げることができたけど、元が取れたのかどうか、疑問。あまりに器械の変化が早すぎて、ついていけません。
2005年05月10日
今日はミスアメリカの糖尿病料理の教室。実は夕べ家の母がタンがのどに詰まって危なく窒息するところでした。かかりつけのDrにきていただいて、事なきを得たのですが、何が起こるかひやひや物なので私は教室は欠席。料理の出来上がりの写真を送ってもらいましたのでごらんください。フルーツ一杯のチキンサラダべーキングポテトジェノバ風味とトマト風味低カロリーのチーズケーキどれも手早くできておいしかったそうです。
2005年03月30日
保育園の栄養士さんでブログ仲間(って勝手に決めちゃっていいかしら)水玉あいちゃんさんが私の食育についての考えに賛同してくださいました。現役の保育園の栄養士さんが賛成してくれたのがとてもうれしいです。その中に紹介されていた中学校で「鶏を育ててひねって食べる」という一連の作業を授業の中で実行したんだそうです。保護者から非難の声があったそうです。残酷だって。でも生きるってことはそういうことなんだと身をもって実感させる。すばらしいことだと思います。どこでもできることでは無いとは思いますが。子どもを育てる人がみんなそういう意識を持つことが今求められてると思う。何かで読んでびっくりしたんだけど、小学生の3割くらいが人は死んでも生き返ると信じているんだって。この頃「ヨミガエリ」などという映画が話題になったりしたのとゲームでリセットすれば生き返るなどが背景になっているらしい。死が身近でなくなって、生きることが見えなくなってしまったらしい。私の母が94歳で、食事が取れなくなって、息も絶え絶えになっています。いつ何が起こってもおかしくない状態。だから食べることが生きることだって、身に沁みて思うのです。
2005年03月29日
きのうの続きではないのですが、やはり続きです。いつも行く厨房器具のお店がセールをしていて、思い切って寸胴鍋を買いました。直径27cmのだからたいして大きくは無いのだけれど家庭用のコンロには極限に近い大きさ。20リットル入りです。早速夫が鳥専門店にいって岩手地鶏を1羽買ってきました。たっぷりの熱湯でお腹の中や周りをきれいにしてことこと煮ること3時間。おいしいスープが取れました。学校でたてで料理をあまり知らない頃、中華の清湯を取りなさいといわれて(60リットルくらいある巨大な寸胴で)うっかり濁らせてえらくしかられたことを懐かしく思い出しながら、ぷく~ぷく~とあがってくるあぶくを見てました。丸鳥ってそれはそれで、生き物の形をしているわけで、生きてた鳥を殺して食べるんだ!という決心のようなものが要ります。大切に食べなくちゃ、とこの5日間くらいスープにシチューにリゾットに、湯葉との炊き合わせに、もちろん肉はサラダに、煮物に、とすべて食べ、今日は骨をしゃぶって、せせって軟骨もすべて食べてしまいました。さすがに骨はごみになりましたが、おいしかった。2000円で楽しめました。これくらい徹底的に食べると、気持ちいい。ところで、小さいとき家には犬がいたのだけどよく鶏の骨を食べさせた。犬に鶏の骨を与えると、胃に穴が開くというはなしを聞いたけど、可愛そうなことをしたのかな。喜んでたべてたけど。
2005年03月22日
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