夕方、両親揃って明日の手術の説明を受けた。 この時初めて小児外科の先生に会いました。 小児外科の先生は内科の先生と違って、 たんたんとして義務的な感じだった。。。 難しい手術だけど、私がやれば大丈夫!ってかなりの自信。 確かに腕はいい先生らしい。。。 この日の説明では、うまくいけばこの手術1回で済む ような事を言われた。 あるとすれば、心房中核欠損が自然に閉じない 場合、または 隙間ができて閉じてしまった場合。 でも1歳過ぎるまで様子みましょう!といった感じで たいした様子はなかった。。。 実際、産まれてくる赤ちゃんの心臓疾患の患者は 『100人に一人!』 心雑音は『100人に5,6人』 心臓疾患の患者の8割は『心室中核欠損』という 病気で、『心房中核欠損』と似たような疾患だ。 『心室中核欠損』の場合でも様子みて、 手術だど先にしているみたで、 『心房中核欠損』の場合もそうらしいです。 だから今日の説明では、上手く弁が開く事が出来れば 問題ないでしょう!って事だった。 先生は『この子はラッキ~♪』な事に・・・て どの先生も言っていた。 その時は心臓疾患でも軽い方なのかな?って 思ってた。 そうではなかったのだけど・・・ 何がラッキ~かというと、勇樹の場合弁が ほとんど閉じている状態だって、 実際血液が流れなければ右室も成長せず、 ほとんど無いらしいのです。 勇樹がラッキーなのは、妊娠後期に何らかの原因で 閉じたか・・・らしく、後期に起こったので 心臓の形はまずます正常範囲の大きさがあった事でした。 そんな説明をうけ、どういった手術になるのか お話してくれました。 それまでは、手術して治るなら良かった、良かった! と、楽天的な考えだったけど、 その時はさすがに、『どうしてなんだろ~』 て悲しくなってしまった。。。。![]()
旦那さまは優しく 肩に手をかけてくれたの今でも覚えています。 だって私も産後12日目。。。産後3日で退院し 毎日NICU勇樹に会いにきていた。 母乳も冷凍して持ってきていた! 結構、辛かったものある。。。
人口心肺機能は使わずに、動いている心臓の表面から クギのようなもので、肺動脈弁を通過させる方法です。 赤ちゃんの心臓自体3~5cmぐらいなもの。。。 本当に先生・・てすごいです♪
体調もいいみたいで、機嫌も良かったです。
でも、ほとんど寝ていました。
午後1時45分、手術室にはいる。 ==手術の予定時間は2時間== 最初の1時間は麻酔などの点滴確保で、 手術自体は1時間の予定でした。 予定通り2時間で終わり、午後3時45分ころ ICUから呼ばれました。 新生児でも大人と同じICUにいるのは驚きました。 手術は大成功!数値もだいぶ正常に近づきました。 術後しばらくは人口呼吸器つけているので、 それが取れれば、無事峠は越した感じになります。 先生には『何もないと思うけど、今日1日は 緊急に備えて連絡取れるようにしておいて下さい。』 といわれました! 人口呼吸器に関しては、勇樹自身の事なので 先生にもいつ外れるのかは、全く分からないそうでした。
術後2日 まだ呼吸も安定しておらず、呼吸器は付けたままです。 痰がとっても溜まるため、肺近くまで管を通して 吸引したりしていました。 痰が溜まると、苦しそうで『おえっ!』てなり 見てるの辛かったです。 サチ(酸素飽和)も術後85%ぐらいまでいったのだけど 心臓の動きも安定してないので、泣くと70台になったり したので、しばらく動脈管を広げる薬するそうです。 術後5日目 動脈管の薬をやめる 点滴していれば、サチは90% 点滴やめた事で、今日も1つの山だといわれた。 術後6日目 人工呼吸器を外し、酸素マスクになる ミルクものめないので、ぶよぶよになるぐらい 痩せ細っていた・・・ 術後8日目 5月3日(金) やっと外科病棟に移れた。 術後20日目 5月15日(水) 無事退院! こんな早くていいのだろうか・・・て感じだった。 生後32日目 体重2870G 生まれた時ぐらいだ。今日が新たな出発になりました。