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2024年05月21日
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カテゴリ: 仏教、神話、哲学




突然で申し訳ないが、「スコトーマの方が本来の世界だとしたら?」というテーマ。
このスコトーマとは生の世界に於ける盲点のこととしてです。

盲点というと、客観的世界に於ける一部欠けたものという印象だろう。しかし真実の世界は(観測がともなう)客観的なものではない。それらは五蘊が作り出した幻想なのだ。
むしろスコトーマにこそ真がある。

一切は一方通行とでも謂うのだろうか。(それとも無観測の一如か。)自己は認識するものであり認識される対象ではない。諸行は無常であり、同じ川に入ることはできないようにすべては流れゆく。そしてその川は見ることもできない。

(観測されたもの「顕」は)全て識(心)が作り出したもの。心は真に客観的として見ることはできない。観測するもの、「自己」はそもそも迷いのもとなのだ。

自性とは胎蔵生曼荼羅に於ける慈悲の広がりの如く、中央の大日如来から一方的に発せられる。この場合の大日如来は自性法身だ。

 自性法身は一如であり川の流れの如き存在だ。留まることはない。時の流れの如く、流れる時の内に世界を構築する。二度入ることのできぬ川だと人は悟らず常なる川だと誤解して世間が生じ有が生じ苦が生じる。



顕に於ける客観世界は「縁起によって」成立したものに過ぎず、常なるものではない。「仮」の存在であり「無常」なのである。

お釈迦様の身体も変化身ではなく、無常の流れに晒されて「自性身」の如くなのである。
密教者から見れば、どんな仏身も自性法身であるはずだ。
同じ釈迦に会うことは絶対にないのだから。
尊ぶべきは(色身・釈迦)の内にある法身(仏法の身体)自性身である。

「見ることのできない法身(一如)」は秘密と共にある。顕もまた秘密の内にある。
スコトーマが光で、顕が影の如く。

そして顕の内に秘密をも観る。
真実の領域に足を踏み入れるのなら、一切が秘密の領域であると悟るだろう。


根源に於いて「阿」の仏身は「阿」を説き「阿」の悟りを聞く。
これが身口意平等の三密。一如である。


他力を受ける者でもあるが、他力そのものでもある。
加持を受ける者であるが、加持そのものでもある。
衆生も法身であるが故に。
三密は平等であるが故に。

そして構造(関係性)とその循環と加持によって法身と一体になるのである。





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最終更新日  2024年05月21日 01時01分23秒
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