「楽観的」
「短絡的」
=モノゴトの本質や筋道を深く考えず、原因と結果を性急に結びつけてしまうさま。
「直感的」
=思考をはたらかせなくても、感覚だけでそれと判断できるさま。
なんかねえ、僕ねえ、
妻から、どうやらすんげー楽観的で短絡的で直感的な野郎だと思われてるみたいなんすよねえ。
それは、誤解だ!
と、ここはひとつ、声を大にして言いたいっす。
では、何故僕が妻にそんな誤解を招くのかというと、
それは恐らく、これまでの夫婦生活における僕の立ち振る舞いが、
往々にして楽観的で短絡的で直感的であったから、
まあ、この一点に尽き、それ以上でも以下でもないのであるが、
でも、だからといって、僕が本当に楽観的で短絡的で直感的な人間かというと、
まあ、たしかにその通りなんだけれども。
でも、ちょっぴり誤解もある。
それは、誤解だ!
と、ここはひとつ、声を限りなく中に近い小のボリュームで言いたいっす。
そもそも僕は、モノゴトを深く考えがちな方なのです。いや、ほんと、まじまじ。
特に若い時は、とことん悩んだ自信がある。
僕は学生時代、勉強する間を惜しんで、たわいもないことで悩んでばかりいたが、
今思えば、あれは知識の穴を深く広く掘削する作業をしていたのではなかったかと思う。
あの頃、おのれの浅く狭い穴に、無理やり知識を詰め込み、「悩み無き秀才」にならなくてよかった。
若い時は悩んだ方がいい。知識の穴を掘ることに専念したほうがいい。
若い時、悩まないヤツは、愚かだ。
勉強なんてなあ、大人になってからするものだ。
掘った穴に知識を詰め込むというつまらぬ作業は、大人になってから嫌というほどすればよい。
と、
とてもじゃないけど我が子には言い出しにくい本音を、僕は密かに抱えて生きている。ははは。
でさ。
日々、考えて、考えて、考え抜いていると、
マジ、頭痛くなるじゃん。
マジ、死にたくなるじゃん。
まあ、性分だから、それでも考え続けるんだけれども。
んで、そんなこんなで、いつの頃だろう、けっこー大人になってからだと思うけど、
あ、これ以上は考えない方がいーな。
あ、これ以上考えても、いーことはひとつも無いな。
という、絶妙なボーダーラインを、おのずと判断出来るようになった。
これ以上考えることが良い結果に結びつかないと判断される状況においては、
いつしか、機械的に
一旦 「思考を止める」
ことを覚えた。
いつの頃からか、思考の選択肢のひとつに 「これ以上考えない」
という選択肢が増えた。
「考えない」は「考える」の対局ではなく、思考の選択肢のひとつであるということに気が付いた。
考えないも思考のうち。
という、シンプルな答えに辿り着いた。
んが。
ここまでのサクセスを省いて、この「思考を止めている」状態だけを妻にピックアップされるとね、
一見して短絡的で、いわば 「てか、おま、なんも考えてねーな」
と誤解されちゃうのではないかと。
いや、ほんと、まじまじ。
とは言うものの、年がら年中思考を止めている訳ではなくてね、
モノゴトを徹底して考え抜いて、答えに辿り着ついた経験も多くあって、
でも、そういった答えって、さっきの 「 考えないも思考のうち」
じゃないけど、何故かいつも、
身も蓋も無く、元も子もなく、小馬鹿にされてんじゃないかってぐらい 「シンプル」
なのよね。
真理は、いつもシンプル。
ちゅ~こった。
んが。
そこまでのサクセスを省いて、この「シンプルな答え」だけを妻にピックアップされるとね、
一聴して直感的で、いわば 「てか、おま、世の中ナメてんな」
って誤解されちゃうのではないかと。
いや、ほんとだってば、まじまじ。
すべてのモノゴトは、本来「複雑」にたたずんでいるものだと、僕は思います。
そもそもモノゴトとは、ありのままの状態が「複雑」なのです。
人は、楽をしたい時、モノゴトを複雑に考えます。
人は、ズルをしたい時、モノゴトを複雑に考えます。
人は、疲れている時、モノゴトを複雑に考えます。
ついついモノゴトを複雑に考えてしまう人の正体とは、
そもそも複雑なモノゴトを、ありのまま複雑に捉えている、ただそれだけの人です。
モノゴトをシンプルに考えるとは、複雑にからみあった糸をほどいていくようなものです。
決して、楽観的で、短絡的で、直感的な作業ではない。
「シンプル思考」の同義語は、
「とことん考え抜く」
です。
以上、自分への戒めとして、アンド妻への言い訳として、
ここはひとつ、声を限りなく中に近い小のボリュームで。
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