美しき月の夜に

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2009.08.28
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「おう、涼子ちゃん、久しぶり」

「マスター、あたしもビールね」


涼子が目黒川沿いにある、お好み焼き屋「はなや」に約束より30分程早く

やって来ると、店内に客はなく、珍しく佳奈が先にカウンターに座り既に

ビールを飲んでいて、集まろうと言い出した優美はまだ来ていなかった。


「早いね佳奈、風邪はもう大丈夫なの?」

「あれから、何日経ってると思ってんのよ。

 そう、いつまでも寝込んでいられないってば。

 それより涼子こそ早いじゃん。あ、ジーンズ?!珍しいねぇ」



 パスポートの更新したくて有休取っていたんだけど、中途半端に時間が

 空いたの。一度家に帰るのも何だしね……」

「なーんだ。あたしは……優美の話聞く前に少し酔っておこうかなって。

 だって、な~んか、気が重くって……」


この店は学生時代、3人でよく通った。学校からも近く、お好み焼き以外

にもメニューが豊富で、カウンターに8席、ボックス席が6席と程よく、

生粋の江戸っ子の主人や奥さんとも、すぐ顔なじみになった。

言わば3人にとって隠れ家的存在で、卒業後も涼子と佳奈は、それぞれでも

結構利用していた。

今日は何年かぶりに優美の方から「ここに来たい」と指定して来た。

「あ、マスター、今日はあっち行くわ」



今座ったばかりだったカウンターの椅子を元に戻して、佳奈に従う。






「優美もやっぱり、参ってるんだよねぇ。

 まさか、宝田さんがあんな風に優美を殴るなんて……」

涼子は、あの時の光景が信じられないでいた。

「ほ~んと、びっくりだったよねぇ。



 涼子!貴方はあの後、啓太とは何でもなかったんでしょうね?

 朝起きたら、居ないし」

「もぉ、佳奈はあの時のこと、熱でよく覚えてないんじゃない?!

 とりあえず乾杯!」


……何でもなかった訳ないじゃない。





そこへ、扉が開き優美が入って来た。

「お、やっと3人揃ったね。優美ちゃん何年ぶり?」

「えーっと、里奈が生まれる前だから、4年ぶり位かな……。

 ほーんと久しぶりマスター。あ、ご無沙汰しています」

優美が、横でお通しの用意していた奥さんへも目配せをする。

「ま、たまには顔出してよ。美人の若奥様を拝みたいからなぁ」

「美人の若奥様じゃなくて、悪かったよ」

と、お絞りを持ってカウンターから出てきた奥さんが、主人に悪態を付く。

涼子と佳奈が噴出すと、優美も釣られて噴出した。


……そうそう、この空気、何年ぶりだろう。






注文した料理が揃い、通り一遍の社交辞令が終わると、おもむろに優美が背を

正して頭を下げた。

「この間のこと……迷惑掛けちゃって、悪かったと思ってるわ。ごめん」

「……里奈ちゃんが大事に至らなくて、本当に良かったよねぇ」

「あたし達に謝らなくてもいいわ。それより、あんた達どうなってるの?」

改めて頭を下げられると何と返していいのか、涼子にはわからなかったが、

佳奈は、さすがにレスポンスが早い……っていうか、剛速球ど真ん中。

「あたし、何だか取り乱しちゃって……」

優美は、自分自身を嘲笑した。

「笑ってる場合じゃないでしょ。宝田さんとはちゃんと話したの?」

優美は首を横に振り、小さくため息を付くとバツが悪そうに、

「……二人には、ちゃんと話さなきゃいけないと思って……。

 実は……陽平に……女がいるの」

と、言ったかと思うと後は堰を切ったように、吐き出し始めた。


里奈が生まれて1年もしない内から、夫、陽平の外泊が増え始め、今年の

ゴールデンウィーク明け位から、週に3日は当たり前になっていたこと。

優美は優美で、大学時代からの友人、賢司とたまに会って食事をする程度の

関係が続いていたが、それと比例するようにここ最近は頻繁になったいたこと。

それ故に佳奈の事務所でアルバイトをしてると、家族に嘘の説明をしたこと。

そして、以前から夫婦の会話らしい会話はされていなかったが、里奈の事故後、

1度着替えを取りに家に帰って来た陽平とは、ほとんど口も利いていないこと。


「でもね、あたし賢司とは、今も昔もまだ寝てないからっ」


涼子は返す言葉を捜してみたが、見つけられず、目を細めて身震いした。


「何言ってるの優美っ?!やっぱり、遭えて言わせてもらうけど、

 優美も宝田さんも 里奈ちゃんのこと考えてる?

 あなた達、いつまで恋人ごっこをやってるつもりなの?」


佳奈は視線を逸らすことなく、優美の話をまっすぐ聞いていたが、訪れた

静粛をグサリと切り取った。


「子供がいるんだよ。親が自分のことばっか考えて、余所見していたら、

 子供は一体どうすればいいのよ!」

「佳奈は、母親だったらあたしに我慢しろって言うの?」

「そうじゃなくて。あたしは、夫婦で、よく話し合えって言ってるのよ。

 女がどうとか賢司とどうしたなんてことは、この際、関係ないわよっ!」


優美は、涙目になりながらも強い視線を送ってくる佳奈を一時見つめると、

我に返ったように煙草を取り出して火をつけた。

心なしか、店主と奥さんの心痛な面持ちがこちらを伺っているような気がした。


「ムキにならないでよ佳奈。あたしはただ二人に謝りたかっただけなんだから。

 独身の二人に、判ってもらおうだなんて思ってないし!」


優美は煙を吐きながら、美しいが為より冷たく見える凍った微笑みを浮かべた。


「優美     っ!」

「待って、二人とも」


目を見開いて大きく息を飲み込む佳奈を、涼子は制した。

話し始める前には湯気が立って熱々だったお好み焼きや、ホタテの焼き物が

すっかり冷たくなってしまっている。







「優美、あたしの家の話、したことあるよね」

「涼子の家?確か、小学校5年生の時ご両親が離婚されて今のお義母さまは

 本当のお母様じゃないのよね」

「そうじゃなくて……、離婚のいきさつ」

「いきさつ……?!そこまでは……」

「前に話したような気がしてたけど、優美には話してなかったんだね。

 父は当時、秘書をしていた今の義母と、あたしが2才の時から不倫関係に

 あったのよ。本当の母は9年間、父に欺かれているって気づいていた……」

「……9年?!」


優美は短くなった煙草をもみ消しながら、呆れたように呟き、佳奈は温くなり

かけたビールを一気に飲み干すと、頷きながら優美にとも涼子にともなく言った。

「涼子のお母さんってホーント凄いよ。母親の鏡って感じ」

「だからって、優美にあたしの母のようになれって言ってるんじゃないからね。

 むしろ逆よ」

「……逆?」


優美は、その長い睫毛を何度も上下に動かしていた。


「そう。逆。我慢とか犠牲なんて絶対駄目。先延ばしにしないで一つ一つ結論

 を出さなきゃ。そうやって優美自身幸せになって行くことが、結果的に里奈

 ちゃんの幸せでもあるんだよ」

「あたしの幸せが、里奈の……幸せ?」

「あたしは、母があたしや兄の為に、我慢しているのなんて見たくなかったわ」


優美はすっかり考え込んでいる。


「母は自分を犠牲にしてるつもりなんか、なかったかもしれないけどね。

 少なくとも兄はそう思っていたと思うわ。今思えば、父の代わりに母の話を聞く

 役目をちゃんと果たしていたもん……あの頃。

 当時小学生だったあたしに、大人の難しい話はよくわからなかったけど……。

 母が決して幸せじゃないってことは、子供心に感じてたんだよね……確かに」


佳奈は、涼子が遠くを見つめ、ふと寂しげな微笑を浮かべたのが堪らなかった。


……優美は?優美だって涼子の寂しさがわかるでしょう?!


「里奈も……涼子みたいに思うのかしら……」


優美は少なくとも夫の陽平より、里奈が自分を求めていると肌で実感していた。


「里奈ちゃんがどう感じているかはわからないけど、少なくとも今のあたしは、

 そう思ってる」

「……あたし、最低」

「別に、涼子もあたしも優美を責めようと思って言ってる訳じゃないからっ」

「佳奈はうちの事情を知ってたから、余計に腹がたったのよね」


佳奈は、懐っこい表情で頭を掻いた。そして優美は、独り言のように呟いた。


「でも、よく話し合った方がいいっていうのは、確かに、佳奈の言う通り……」

「実際、優美にしてみれば、どこから紐解いたらいいのか、難しいわよねぇ」


優美の立場になって考えてみると、話し合うにしろ何から切り出せばいいのか、

涼子には見当もつかなかった。賢司との時間を過ごすことで、紛らわしたくなる

気持ちも分からないでもなかった。


「うん。もう少し冷静になって考えてみるわ……」


優美が声にならないような微かな声で最後に「ありがとう」と言ったのを涼子は

聞き逃さなかった。







「マスター、このお好み焼きって温っめられる?」

いきなり佳奈が大声を出した。

……気まずい空気を打ち破るのは、任せてよ。

「あたしって、どうしてこう、すぐ喧嘩越しになっちゃうのかなぁ……。

 ほらぁ。すっかり冷めてる。これぇ」

佳奈は間を持て余している二人に、箸でお好み焼きの一切れを引き上げて笑う。

「おうっ!」

威勢のいいマスターの返事と共に、奥さんがテーブルのお好み焼きの鉄板を下げ、

カウンター越しのマスターに手渡す。

「大人になると、いろんなことがあって厄介だよ。

 男ってのはホント、いくつになってもどうしようもないとこがあるからねぇ。

 ねえ、あんたっ!」

「いつまでも昔のことガタガタ言ってんじゃねぇよ!」

「ほらっ。いっつもこの調子なんだよ。この人ったら」

「大体男ってのは道草が趣味みたいなもんだい。帰り道に石ころ蹴って、夢中

 になったりしてよ。気がつきゃあ、行き止まりがでっかい森だったりして、

 そうすっとよ、今度はもっと夢中になれる昆虫追っかけたりしてなっ。

 ま、子供の頃はかわいいもんだよ」

今は忙しく店を切り盛りしている二人にも、長い間にはいろいろなことが

あったのであろう。

「何言ってんだよあんた!親が子供を思うのとおんなじ位、子供だって親のこと

 思ってるっていう話してんのにさぁ」

「あはっ!さっすが年の功!」

「佳奈ちゃんっ!」

心ならずもピタリと同じ呼吸で、夫婦二人が一緒に声を張り上げる。

「ビールお代わりっ!」

空のビールジョッキを、差し出しながら佳奈が不意に言い出す。


「で、涼子と啓太はどうなったの?」

「えっ……?」


……ああ、もうぉ、佳奈ったら、しつこい!



「そうそう!あたしもどうしてあの時、啓太がいるのか不思議だったのよねぇ」

「……」


……優美もあんな状況で、そんなこと観察してないでよぉ!





     女同士の結束って強い。だけど女同士の抜け目ない会話って怖~い。







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Last updated  2009.09.06 20:41:51
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