昨日ブログに子どもの頃の事を書いたからだろうか。
昨夜中々眠りにつくことができずベッドの中で過ごしていた。正確には、半分眠って半分起きているような、不思議な感覚だった。
自分で何か思いだそうとしていたつもりはないのだけれど、小さい頃の映像が次々と感じられた。意外な映像だった。
私は今、ヒーリングセンターで働いている。ヒーリングカレッジの講師として、そしてアニマルコミュニケーションの講師として学生の皆さんと一緒に学んでもいる。
「ヒーラー」に関しては、もともと氣光からこういう世界に入ったので、自分でも違和感はないのだけれど、アニマルコミュニケーションに関しては正直、時々、???となる。勿論、学生としてアニマルコミュニケーションを学び、本当に良かったと断言できる。難しかったけれど、素晴らしい学びの場であったし、自分自身を大きく成長させていただいたという思いが強い。アニマルコミュニケーションを学んだ事で、我が家には氣氣(きき)という黒ウサギが家族として仲間入りしてくれたし、学んだコミュニケーションを生活の中でも少しずつ生かしていると(まだ「生かした」という完了形ではなく、現在進化形であるのが正直なキモチ)自負はある。
だが、なぜ私がアニマルコミュニケーターなのか。日々自問自答。
アルケミストのスタッフの中には、本当に本当に動物さんが大好きで、動物さんのためにとアニマルコミュニケーションを学び、スタッフとして働いている方がたくさんいる。私は、さほど動物と接点の無い人間と思っていた。が、昨夜「あ!そうだった」とたくさんの事が思い出された。
子どもの頃、祖父母宅で同居していた。三年強だったと思う。
祖父は生き物が好きな人だった。鳥かごが家の玄関から居間まで、たぶん鳥かごは十数個あっただろう。セキセイインコや文鳥、カナリアや十姉妹。鳥かごの掃除のときは賑やかだった。部屋の中を飛び回る鳥たち、そして頭や肩にとまり鳥たちにつつかれて大騒ぎする子どもたち。
熱帯魚もたくさんいた。エンゼルフィッシュやグッピー。名前は忘れたけれど、たくさんの種類が水槽の中で泳いでいた。グッピーに赤ちゃんが生まれた時は、食べられちゃう!と大泣きしたな。
植物も好きな人だった。サボテンの鉢が窓辺にずらーっと並んでいた。冬は寒いので、窓をビニールで覆い、そう言えば、簡易ビニールハウスみたいに部屋の日当たりのよい場所に作っていたな、おじいちゃん。器用な人だった。
お祭りのカラーヒヨコが一羽だけおおきくなって、ニワトリになって一緒に暮らしていたっけ、朝元気に鳴くので、近所から苦情が来ないかななんて心配もしてたね。
次々と身の周りにいてくれた生き物たちの映像が見えた。懐かしい祖父母と若かった母の姿とともに。なにかインナーチャイルドからのメッセージだったのだろうか。
私は「動物に縁がない関係が薄い」のではなく、成長するにつれ、生き物を遠ざけていたのだろう。
自分の掌で冷たく横たわる鳥たち、水槽に浮かび動かない魚たち。
生き物の素晴らしさとともに、失った時の悲しみ、辛さ。遠ざけて行くには十分な理由だった。
子どもたちが金魚すくいの金魚を持ち帰ったり、カブトムシを飼いたいと懇願してきても、世話が大変と反対し続けた。世話が大変というのはタテマエで、悲しい思いを子どもたちにさせたくなかっただけかもしれない。
そんな私がアニマルコミュニケーションを学び、氣氣に癒され、ヤドカリも飼った。信じられない大きな変化だった。
今度の日曜日、アニマルコミュニケーションカレッジで我が家の氣氣(黒ウサギ)がオーラそしてコミュニケーションのモデルとして登場する。氣氣はカレッジの学生さんたちにどんな話をしてくれるのだろうか。
Calendar
New!
さそい水さんComments