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氷の上では 冬に何回も転んでいますが、今回手首部の骨折にいたりました。幸い左手なので、キーボードもさほど支障なく打てるし 車の運転も右片手だけで出来ます。一日右手だけの 生活をしたけど とにかく 不便ですね。まあ 一か月ギプス取れないそうなので 不便さの途方にくれています。みなさん、凍った道を歩くとき、ほんと気を付けてください。
2013.01.31
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スキー人口が減っていますよね。ここ数年、全国のスキー場 閉鎖されたところ、結構ありますよね。これは 少子化の問題もありですが、スキー場に行きたくなる、スキーをしたくなる旋風が巻き起これば、スキー場もホクホクになると思うのですけれどね。 日本が第一次スキーブーム(1960~1968)の頃、まだ車社会ではなかったので都会の若者たちは、スキーの臨時列車や夜行列車でゲレンデを目指しました。そして 重いスキーセットは担いで、スキーシューズはすでに履いて 電車に乗ったのです。スキーというスポーツをすることが まるで義務感のように、若者に存在したのでした。 そして ゲレンデは 人、人、人、海水浴も 芋を洗うようでしたが、スキー場は 芋を転がしたようだったのです。
2013.01.25
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今の時代、携帯で直接、いきなり、目的本人と話せますが、昭和の頃、まだ黒電話だった頃、もう 忘れ去られてしまいそうなことなのですが、電話を受けた相手を通して、目的本人を電話口まで誘導してもらっていましたね。その間が、大いに想像力を発揮できたものでしたよね。黒電話には 機能が皆無でしたので、発信元の通知として、ベルの回数などを調節したりしてましたよね。
2013.01.19
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観光バスが、連なって走る光景、見られなくなりましたね。昭和の頃、一種団体旅行ブームというのがありました。バスのガイドさんは女の子の憧れの職業でした。カラオケはまだなかったので、アカペラでバス内で唄を披露するわけです。そして、それが いつの間にか、乗客との合唱へと変わるのです。 観光名所では ガイドさんの旗をたよりに、ゾロゾロゾロ、その頃 人々は、皆 同じ方向を向いて歩んでいましたので団体旅行が肌に合っていたのでした。あまり ゾロゾロ行くので、昭和のヒーロー怪傑ゾロが最後尾に番人として付いていきました。 旅行に出ると 人々は、お土産をたくさん買って帰るのが、ステータスだったので、日本の観光地のお土産屋さんは、とても利益を上げていました。
2013.01.11
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日活の青春映画 全盛の頃、日本の映画館は、連日 それはそれは超満員!まだテレビが、白黒だったので、大きいスクーリーンの白い布に、繊細に映し出される映像には、魅了されたのでした。青春映画の観客は主に なんと小学生が大半を占めていたのです。立ち観の人がほとんどで、映画館の観客定員3倍は超えていたので人息で 気分が悪くなる 人続出でした。
2013.01.03
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