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○銀行や他の企業に勤務していた時は、さて置いて、見境も無く句会に出ていた頃は、大山崎の句会、本部での例会、長岡京市での句会、向日市の句会、まほら句会、四温句会、鱗華句会、本部吟行句会これで8句会、投句欄の校正、編集者(のちに編集責任者)として期日内に毎号の発刊、加えて大山崎ボランティアガイドの会の1班のメンバーとして、班会議の他、資料館の当番、班担当のガイドや全体の行事など多々あって、それはそれは多忙でした。一時は双滴集の選者、募集大作のお膳立て(選者10名ほど、作品数170篇)も担当していましたし、楽天サイトの「しぐれ茶屋おりくの日記」の毎日の更新(のちに同内容のフェイスブックも)今から思えば、よくもあの多忙なルーチンワークを維持して居たなと、我ながら驚いています。80の誕生日以降は、目標を鮮明に打ち出して、しかしゆとりを持ちながら暮らして参ります。
2024.01.19
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○今朝4時すぎからのラジオの番組は私たち老いてゆく者にとって非常に参考になりました。 お客さんは掲題の女優・川上麻衣子さんの実家の整理・処分のお話。本題に入る前に彼女はスエーデン生まれ。瑞典では日本人の赤ちゃんの出産は初めての事でした。だから彼女のお尻の蒙古斑を見るため、実に多くの医師たちが入れ替わり立ち代わり訪れた由。彼女の尊父は93歳、母は84歳。それぞれ木材アート、インテリアデザイナーの両親のⅮNAを持つ麻衣子さんは9歳の時、再度スエーデンの学校に1年学び、何事も自由闊達に自身の意見を主張できる瑞典国の気風そのままに帰国子女となり、日本の学校との軋轢に耐え抜いたようです。個性を伸ばす校風の玉川学園で親しい友もできました。彼女を語る上で欠かせない事は、ガラス技術の最高峰・スエーデンで見た芸術品にいたく感銘。東北の著名なガラス細工匠の工房を訪れ、吹きガラスを体験、虜になり、古典を開くレベルに。もう1つは愛猫との出会いで、社団法人「ねこと今日」を興し、代表になる傍ら、愛猫を看取った体験を綴った『彼の彼女と私の538日 猫からはじまる幸せのカタチ』は好評を得ています。実質10日で実家を断捨離された模様を自身の公式サイトで発表、同年配層からの人気があります。猫は自己の最期を本能で知り、少しずつ食べる量を減らし、穏やかに死ぬ道を知っていて、いろいろ学んだから、ご自身もそういう生き方をするだろうと。ひとことで言えば、シンフォニーエンディングと語られました。
2024.01.18
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○年があらたまり、受験シーズンになって参りました。久しぶりに清水範義さんの『日本語がもっと面白くなるパズルの本』からお借りしました。1)「ゴルゴ13」の性格が最も表れている台詞を1つ挙げ、その性格について15字以上20字以内で答えよ。2)「巨人の星」の星一徹は、なぜ中日の監督になったのか、15字以上20字以内で答えよ。3)「サザエさん」と「ちびまる子ちゃん」の家庭の会話の様子からわかる人間関係の共通点を15字以上20字以内で答えよ。 奇妙な問題ですが、実はこの3つの中で、実際に某私立高校の入試問題として出題されたものが1つあります。それは1~3のどれで、答えも考えて下さい。こういう問題では、正しい解答というものを予め決めておくことには問題がありそうですね。子供たちは必死に悩んだことでしょう。おそらく出題者は、模範解答のように感じられる能力、それを整理して説明できる能力を問うておられたのでしょう。<解答 3 「両方の家庭とも、親子関係が健全である」>
2024.01.17
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○大阪は東淀川区瑞光町の一角にある瑞光寺には弘済池があって、そこに架けた橋は雪鯨橋と言い、鯨の骨でできていて、浪速の名橋50選にも、日本百名橋の番外にも挙げられています。鯨の捕獲で生計をたてていた太地では不漁続きで困っていました。瑞光寺の四代目住職の漂住知忍が偶々その村へ入ると漁民から豊漁祈願を頼まれ、殺生だからと一旦断りましたが、漁民たちの難儀を知り祈願したところ、豊漁になり、後日大阪の瑞光寺を来訪した村民から三十両と鯨の骨18本の喜捨を受けました。橋板から欄干まで鯨の骨を使用したので雪鯨橋と名付けられました。江戸後期に架けられたこの橋は、数回にわたって崩壊しましたが、現代の橋は六代目の石造りです。
2024.01.16
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○全国のトンチ好きの人から集めた『大語海』の教育編から拾ってみました。 〇あしたの滋養。(明日のジョー)〇あたし 伝記になあれ!(明日天気)〇足の向くまま、昨日むくんだまま〇あ痛っ、口がふさがらない。〇(歌)愛、あなたでふたり♪〇愛とは公開しにくいもの。〇悪銭でもいいから身につけたい。〇愛って絶えるものなのね。 〇浅き夢見し飽きもせず---宝くじ〇穴があったら歯 痛い。〇足に向って撃て!---威嚇射撃。〇(歌)明かりをつけましょ ボンヤリと♪ ーーー省エネ時代。〇あかぬける娘 毛抜ける親父。〇あがきのヤマも今宵限りーーー試験前夜。〇あっしには何の×÷(カケワリ)もござんせんぜ ーーー+-(タシヒキ算)〇あいつ同化してるぜーーーカメレオン。本日はこの辺で~~~♪
2024.01.15
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○今朝のラジオ放送では1月14日の花はツバキで、万葉以前から愛されて来た日本原産の花。『古事記』には都婆岐、『日本書紀』には海石榴と表記されています。『万葉集』に初めて椿と書かれています。椿の実には油が多く含まれ、しかも零下10数度を下っても凍らないので、機械類の潤滑油のほか、芸舞妓さんの髪・鬘の油、オレイン酸を含むので悪玉コレストロール値を下げる食材、その他利用頻度も多々あるようです。この長岡京市に越して来て、小倉神社の鳥居前を散歩した折、4メートル以上の立派な藪椿が素朴で可憐な紅い花を沢山付けていた光景が印象的でした。父すばる(雅号)は薔薇の飼育から椿に切り替え百を越える種類を集め、垣根としても植え、接写レンズで撮影、カラーのスライド写真として保存しています。花言葉は控え目な優しさ、そういう風情なら家内もそうなのかも知れません。
2024.01.14
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○テレビ番組で一番好きなのは皇后杯全国女子駅伝。昨秋からこの日を楽しみに待っていました。男性の力強いマラソンもスポーツとして観る所があるのですが、私は女子派です。付録版の記事は一日かけて味わいながら読む積りです。京都新聞本紙スポーツ蘭には「東京軸に宮城・京都追う」とあり、「兵庫・大阪・千葉 上位目指す」という副見出しが付されています。新谷仁美・木村友香の社会人がけん引する東京、小海遥や名城大の占める宮城にスポット。京都には実業団で実績を挙げた川村楓に加え、立命大や立命館宇治高生の揃う等、隙がありません。田中希実の兵庫、前回優勝の大阪、バランスのとれた福岡や天満屋の岡山、広中璃梨佳の長崎、鈴木優花の秋田や隣県の滋賀の健闘を報じています。
2024.01.13
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○桂在住時代に父が児童劇団「こまどり」を興していて、父の転勤に伴い佐賀市に移った時、小学6年生の長姉は「湖上の美人」という劇で狂女を演じ、私は級友からお前の姉さんは狂ってるのかと問われる程の名演技でした。その姉がラジオ番組「宝塚ファン・コンテスト」に出演、親友あだ名ネコが断りもなく応募したようでした。運悪く風邪気味で鼻が詰まっていたものの、姉は見事に金賞、続く演技では、当番組初の狂言で、太郎冠者の相手役を見事に演じ、当日参加者全員のトップ賞「黄金賞」を頂戴しました。そんな姉ですが宝塚歌劇への挑戦は夢だけにとどめ、普通の高校生、OLとして勤務、見合いの後、阪神電鉄勤務の義兄と結婚し今日に至っています。
2024.01.12
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○ノロウイルスや流行性感冒などウイルスの悪い部分だけ、私達は植え付けられてきました。一方こんなウイルスの功罪があったらしいなんてエ~。 ダーウインの進化論によって、例えばキリンの首が次第に伸びて来たと思い込んでいますが、それなら、何故、首が中ぐらいの長さのキリンの化石が発見されないのか説明がつかない面もあります。猿から進化した人間だって、その過程のものの発見が少なく、急に人類になっているような気がしますね。中原英臣・佐川俊共著『進化論が変わる』(講談社)によれば、「キリンの首は、ある時期にいっせいに長くなり、その後変化していないのです。そう考えれば、(キリンの首の)短いのと長いのと2種類しか化石が出てこない理由に説明がつきます」「原因はウイルスです。キリン集団は突然、首が長くなる病気にかかったのです」 これらと同じ理屈で、ネアンデールタール人が、集団でウイルスに感染した結果、体毛も骨格も異なる現代人が誕生したという学説ですが、これを耳にすると私たちは、果たして進化論かウイルス論か悩んじゃいますね。
2024.01.11
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〇山岡進著『和の仕掛け絵手紙「起こし文」』は言わば子供の飛び出す絵本の大人版、絵手紙版で楽しく綺麗なもの。<電話やメールでは伝えられない心を手紙は伝えてくれます。送られてきた封筒を開けるときのあのわくわくした感じは格別のものです。 その手紙をもっと風流なものにしてみてはと思い、作りはじめたのが、「起こし文」です。>ーーーーー もらった人が広げると、四季に沿って紙の持つ素朴な味わいを活かした和の世界が出現します。ーーーーー(春の文)には、梅、竹、3段飾りのお雛さま、出産祝いに桃太郎・かぐや姫、つくしとねじり花等。 *(夏の文)では、睡蓮、下駄、暑中見舞いの朝顔、あじさい、扇、かたつむり、縁側等。 *(秋の文)お月見、秋虫、秋の七草、うさぎ、下地窓、行灯等。 *(冬の文)では、書院、茶室、床の間、鐘、暖簾はがき、鏡餅、のし袋等。ーーーー街並みはがきでは、まるで芝居の舞台のような黒塀に柳や打ち水の桶等、風呂屋、おもちゃ屋、せんべい屋等も愛らしい作品です。
2024.01.10
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○新年2度目の燃えるゴミ回収日でしたが、今朝は既に満タンに近い量が烏除け網に包まれていました。ゴミ出しの折は、人間と烏との知恵比べになります。烏は賢いし、執念深い生き物です。こちらが嫌がらせすると、その人物を覚え、家まで突き止めていて、愛車に脱糞などの仕返しを敢行します。網を保管して下さっているお家の人は、ゴミ出しよりも犬の散歩を重視されますので、殆ど私が烏除け網をその家の門前から出してゴミに被せます。何故なら父母の代から親しくしているご近所の独り暮らしのSさんが90歳を超えておられので、その方を煩わせる訳にはいきませぬ故。或る日、私よりも先に出されたお宅のゴミが網から引っ張り出され、2羽の烏がゴミを漁り、網の外に散らかせていました。恐らく2羽の協同作業によるものに違いありません。 爾来、最初にゴミ出しする折には、私は細長く延ばせた網を折り返し、2重に掛けるようにしています。今朝それほど遅くも無いのに、既に多くのゴミが沢山、長々と網に包まれていました。
2024.01.09
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○昭和14年4月発刊の月刊誌「民藝」創刊号がわが家にあります。父すばるが26才頃だから、有っても不思議ではありません。表紙には彫って作られた木製の垢取の写真、口絵には日本民芸館内部の写真2枚。目次の主なものは民芸同人が琉球を訪問した理由の一文、壽岳文章の「これからの仕事」、バーナード・リーチ「英國より」、河井寛治次郎の「支那の寢椅子」、柳宗悦による挿絵の解説がなされていて、同人には川上澄生を含めた人たちが名を連ねています。棟方志功の作版畵数冊の広告、湯島天神鳥居前「羽黒洞」の奥州げてもの浮世絵・版画・泥絵ガラス絵・郷土人形等の広告。鳩居堂(東京)、伽藍堂、式場隆三郎著壽岳文章英文解説による「ニ笑亭綺譚」等々。
2024.01.08
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○正月廿三日の子の日に、左大将の北の方から若菜をお贈りになります。(源氏物語:若菜上) 玉かづら 若菜さす野べの小松を引きつれて もとの岩根を祈るけふかな 源氏 小松原すゑの歳(ヨハヒ)に引かれてや のべの若菜も年を摘むべき *万葉集巻頭を飾る雄略天皇の求婚の御歌から若菜を摘む慣習が始まったとさますが、宮中でも内膳司がその年の七種の新菜を羹(アツモノ)として献上しました。 この行事は中国から伝えられ、万病を除くといわれ、不老長寿を祈念するものでした。七草粥の源となる慣いで、芹、なづな、すずな、すずしろ、仏の座、御行、はこべら。 我が家ではワン・セット二百五十円もするものは買わないで、専ら庭に生えているハコベや元日の雑煮に使った小さい大根、人参やセリ、白菜など七種類の菜の粥で済ませました。
2024.01.07
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〇先月22日の法事兼故人を偲ぶ句会の日に立ち眩みして、思わず手すりを持ち、座りこみました。以来、身体のふらつきが消えず、メヌエル氏症候群とは違った感覚が消えず、今月、風邪ひきの受診時に相談したところ、主治医から血圧の急上昇、急下降でしょうとの診察。血圧測定記録手帳を頂戴して、ここんところ、真面目に朝夕計っています。ようやく昨日辺りから、以前の水準に戻る傾向にあり、安堵しています。塩分摂取量や脂っこいものに注意しながら過ごしています。せめて2才半と生後9か月の孫が入学・進学する頃までは元気にお守りしなくては・・・。
2024.01.06
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○某年某日、注文していたベッドが京都生協から届きました。新居の増築部分は夫婦の寝室ですから、早速組み立て、ベッドが二つ並び、寝室らしくなりました。材質は檜、頭の部分には奥行8cm程の棚が付いています。歳時記や句帳、電池式のカセットなどを置きました。ベッドの下は40数cmありますので、余分なパソコン類や夏もの、冬もの衣類のケースを置くなど、有効利用を図っています。
2024.01.05
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○10数年前の某句会の兼題は白鳥と雑炊、席第は北風(キタカゼ・キタ)でした。 白鳥の翳の白さや北の湖 mi女 水脈揃へ白鳥伊吹山曳くか yu女水脈はミオと読み、舟や水鳥の通った跡の線を言います。みしま池に伊吹山が映って居て、あたかも白鳥が引っ張っているようだとの意味です。 白鳥浮く湖にくけ縫ひ糸目かな m男お裁縫で粗く縫った糸の目のように飛び飛びに白鳥が浮かんでいる様子です。 白鳥の声静まりて湖畔暮る ka女 白鳥や女人見る目でみて仕舞ふ 星子 白鳥来湖一変の華やぎに yo女 妻不在残り雑炊舌焦がす ka男 雑炊や禅智内供の鼻ぶらり 星子芥川龍之介は今昔物語から幾つかの題材を用いて彼なりの短編を書いています。禅智内供と言えば池の尾で知らぬものはない・・・という文章で始まる「鼻」という作品は漱石が絶賛した佳作です。本来は”粥”なんですが・・・。 強北風や七人の味方探しをり yo”女男外に出れば七人の敵を逆に考えられた作品。 荒北風や寺は普請のテント被(キ)る m男 北風や一村しづむダムを吹く yu女このほかの作品として くらがりの羊歯のそよぎや神還る m男 晩年のまんざらでもなし銀杏黄葉 f女特選に選ばれた五人の方は年末ご褒美として現代俳句協会のカレンダーを貰われました。 なお、後年の拙句 プリマの座狙ふ白鳥群れの中
2024.01.04
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○電車・地下鉄、百貨店の中でも髷を結った人も無く、着物姿も少ないこんにち、正月らしい風物は、神社の初詣の幟ぐらいなものなのでしょうか。掲題の「むすめふさほせ」は小倉百人一首における1枚札の上の部分の一番目の音です。「むらさめの・・・霧立のぼる・・・」「住之江の・・・夢の・・・」「めぐりあふて・・・雲かくれ・・(紫式部)」「吹くからに・・・むべ山風・・・」「淋しさに・・・いずこも同じ・・・」「ほととぎす・・・ただ有明の・・・」「瀬をはやみ・・・われても」これら7つの歌だけが、同じ出だしでない音で始まる和歌なのです。カルタ取りに慣れた人は、この歌の札を自分の手元におきます。 最近、百人一首のところどころを忘れるようになってきました。出だしの上5句から下の句をマスターし、その逆の下7句から上の句を言えるように暗記練習。毎日繰り返し復習しないと脳内の記録細胞から剥がれて行くのでしょうか?それとも、新しいことを覚えるために、古い知識を捨ててしまうのでしょうか?そういう理由でなく、脳細胞の訓練を怠ってきた罰のような気がしています。今年は心身ともに鍛え直さなきゃ~なりません。
2024.01.03
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○予期せぬ大変な元日になりましたが、一日も早く被災地の皆様に安堵の日が訪れますよう祈念申し上げます。 さて忘れもしません。2006年の2日の夜中から朝方にかけて見た初夢は龍でした。何でも、私は真っ新な家に移り住んで居て、2階の窓から三角形の大きな池を見下ろしていました。池の水はやや褐色を呈していましたが、前方に大きな黒い蛇が泳いでいるのが見え、やがて水没して行きました。すると手前に見えていた、もう一匹の更に大きな蛇がうねりながらこちらに近づいて来ます。な、な、何と蛇と思ったのは仮想の動物・龍でした。ちょうど相国寺の天井に這いつくばって居る顔つきの龍でした。私の傍を横切って龍は夢の画面から消えて行きました。
2024.01.02
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○明けましておめでとうございます。本年も宜しお願い致します。元旦のあらたまった気品ある景色を「淑気」という言葉で表現しますが、大きなファイルに挟まれた何枚もの浮世絵の鮮やかな色合いこそ、淑気そのもの、一挙に正月気分、雅、和風の世界に浸ることができます。ぶの厚いファイル1には、こけし模様、紙人形模様、子供玩具柄などの千代紙が100枚ほど、大正時代の作品らしき明治期婦人生活図の錦絵が20枚ほど。紅色が際立っています。もう一つのファイル2には、千代紙のほか、値打ちものの浮世絵国貞、国輝等の美人画、役者絵の本刷りが保存してあります。小遣いは無駄遣いするのではなく、このような芸術品に投資しておくことも、心を豊かにするのでしょうね。
2024.01.01
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○京都の桂から佐賀市へ引っ越し、その佐賀市から2年ぶりに都会の大阪、住吉区帝塚山の社宅に移って来た頃は、戦後の日本が緩やかな曲線で豊かな暮らしに移行してゆく時代でもありました。南海電車「姫松」駅前の電気屋さんの店先には大相撲のテレビ中継に子供や帰宅途中の勤め人が群れだって観戦していました。母の実家には大きなテレビが据えてありましたが、まだまだ高級品で普通のサラリーマンには手が出せない時代でもありました。 私が中学に入った頃、父の計らいで我が家にもビクターテレビが置かれました。あの頃の大相撲は平幕力士が東西、20枚目ほど居て、”あんこ型”の力士や鳴門海といったひょろ長い力士も居て多彩でした。小学館の月刊誌の付録によろず辞典があって、その中の相撲48手の決まり手を丸覚えたりしていました。コマーシャルは静止画面のものがほとんどで、ミツワ石鹸やカネボウ、ヤンマーディーゼルのCMは動きと歌がありました。8チャンネルだったか、一週間ずっと同じ映画を流す番組があって、そのセリフまで覚えるくらい毎日楽しんでいました。この時代は抱っこちゃん人形、フラフープ、ホッピングなど大流行するものもありました。
2023.12.31
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〇時計の進む速さは同じでも、日照時間が短い所為で、ほんの瞬く間に一日が暮れて行きます。季節感をキャッチする能力は子供が勝るのだろうけれど、時を失う速さに機敏なのは老の字の付く大人。 わが家の庭には、父が生保に勤務していた頃の同僚で俳句仲間のお嬢さん方から頂いた、七人の乙女に因んで父がつけた七小町の山茶花が咲いては切ないほど散り零れています。父が丹精こめて育てた初冬咲きの椿もひっそりと咲いています。買い物のついでに天満宮の境内を眺めたら、数日来続く暖かな太陽を受けて真っ赤に彩る紅葉が池面に写っていました。そうだねえ~、初冬の時間は、抜き足差し足忍び足で往き過ぎて行くのだねぇ。尽き果ててしまうまで落ちることを止めない桜紅葉や柿の葉。それらが地面に夥しく這いつくばっています。それら冬紅葉のの朱色は、さながら失った恋や愛に未練を残すかのように・・・。この焼けつくような色合いは、女の情念の化身なのでしょうか。焦がれつつ現世との別れを告げようと喚いているのでしょうか?
2023.12.30
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○気象長期予報では本年は暖冬との見通しながらやっぱり暖房や湯たんぽ無しでは過ごせません。毎朝ベッドから起きる前に、寝室の暖房スイッチオン、トイレや洗面所、キッチンや洋間の暖房もオンにしてから、歯磨き洗顔など。仏壇の水、仏花を供えてから体重測定、血圧測定そして朝食の準備をします。大薬缶ふたつを沸かせ、コーヒーも淹れ、トースターのパンにとろけるチーズをセット。生野菜やキウイ、ミニトマト、豚ハムなど段取りよく進めます。そんなこんなで夕刻になると、じわじわと寒冷化が進み、湯たんぽをセットすることになります。愛らしいこの湯たんぽは桜便りを聞き始める頃までお世話になるのです。
2023.12.29
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○某年の歳晩句会の一部を紹介します。 何となく銭ふところに年の市 三○○ 賀状書く母の住所は消さで置く か○○ 生粋の湖賊とみたり鴨の陣 真 ○ 仲人へお礼歳暮や四十年 千○○ 坂ひとつ越えて比叡の裾時雨 克 ○ そのうちと言ひて沙汰なく年来る あさ○ 高速路まで抜きんでる銀杏黄葉 星 子 笑ひもて死ぬはなしなど小六月 政 ○ 失せ物の不意に顔出す年用意 ま ○ 猛犬の張り紙寡婦の年の暮 健 ○ 蔵出しの江戸千代紙や事始 星 子 東尋坊石蕗一面陽の匂ひ 幸 ○ 飴売の平らな顔や年の市 真 ○みなさんそれぞれの観点から詠んでおられますね。
2023.12.28
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○NHKラジオ25日の話題は掲題の天空の城が実際に見られるという女性からの報告でした。白山連邦を背景にして、雲海に包まれた大野城が見え、幻想的な気分になるとか。報告して下さった方はまだ暗闇の午前5時頃から辛抱強く待機すること200回。一年間で数回しか見ることができないほどの難事ですが、それなりにコツが解ったとか。1)前日が雨か雪の天候で翌朝晴れるという予報。2)零下マイナス5度では見られず、やや低めの 気温程度に可能性があるとか。3)濃霧がかかる情報が大切ですが、車の運転に 十分警戒が必要なこと。もう1つ条件を言われていましたが、忘れてしまいました。福井県は母の父方の故郷。我ら結婚して数年後に三方五胡や仏閣巡りの旅に行きましたが、由緒ある寺院や秀でた彫り師の手になる見事な仏など、魅力に富んだ小浜市でした。
2023.12.27
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○最近のニュースで再々採り上げられるゴミ屋敷は見るにだに身の毛がよだつ思いが致しますが、これは行き過ぎの世界。反面、わたし達は石油製品の容器や包装類に頼り過ぎていることを重々承知しています。このまま地球の資源を湯水のように使ってしまって良いのでしょうか?エジプトやシルクロードに見られる砂漠地帯。昔は緑に包まれた素敵な環境だったろうに・・・。子供の頃の包装資材は先ず一番に新聞紙。次にどんなものでも包める風呂敷の至便性。そして笛を鳴らして練り歩く豆腐屋さんには鍋や丼を予め用意していました。今は剥き出しの商品は少なく、菓子類に至ってはプラスチック製品などの過剰包装。風呂敷は幾通りもの包み方があって日本人の智恵に感服します。便利至上主義へ警鐘を鳴らし、メーカー側、そして商品を販売するスーパーや百貨店などは一致協力して昔のパターンに戻すべきでしょうね。何はともあれ、資源を大切にしないと、無味乾燥な砂漠を子孫に残す愚を犯すかも知れませんね。 昨日、俳句誌新年号の初稿(凡そ85%)を持参しました。通常月よりも50数頁は多い、大盤振る舞いになりそうです。本日は今から「大山崎ふるさとガイドの会」年1度の日帰り研修旅行。バスで安土城址に向かいます。全員の無事を仏前に祈りました。
2023.12.26
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○昨日のMー1、令和ロマンがくじ運悪く一番手のハンディを負いながらも1回戦を3位通過。松本氏の残して置きたい願いが叶い、中川家以来の逆転優勝に輝きました。 ところで今どきのお笑い芸人さんは芋の子を洗うほどに増え続けているため競争が激しく、氷山の一角たるスターダムにのし上がるには、他を追い落とし、自分(たち)をアピールしなければ、一生貧乏なまま埋もれてしまいます。だからと言って、ちょっと目に派手な一発ギャグで受けを狙うそんなことばかりに専念して居るとすれば、それは本末転倒と言わざるを得ません。 もしも私が売れっ子の漫才師になるとすれば、ギャグは二の次にして、先ずは”いとしこいし”、”カフス・ボタン””やすし・きよし””オール巨人・阪神””大助・花子”といった名コンビの語りを真似て、真似て、真似明かす日々を暮らすことでしょう。間の取り方、イントネーション、声の勢い・殺し方、表情や仕草の研究などに最低1年は費やすことでしょう。真似ている内に、話術のコツが得られるのではないでしょうか?落語家は師匠から口移しで学ぶのだそうです。漫才師を志す人たちも是非、基本からマスターして欲しいと真摯に願っています。
2023.12.25
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○最近、カセットテープを鳴らす機器が壊れたので、そのラジオ機能を使ってNHKの放送を聞きながら起床のタイミングを図って、エイヤーと布団から抜け出します。 今朝、対馬にお住いの女性から、二つの話題を頂戴しました。一つは対馬には 二ホンミツバチが居て、養蜂を 行っていますが、最後に残った巣から余分な蜜蠟を使って、ハンドクリームを作り、愛用されている由。もう一つは2年前に植え付けた養殖の真珠貝から出た貝柱を食材としておられる由。爪楊枝に幾つか刺して天ぷらにしたものや、ぐつぐつ煮込んだ貝柱も酒の肴になるようです。
2023.12.24
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○一時ほどで無いにしても、歳末ともなれば暖房に頼りがちですね。寒々しい光景を歌った曲と言えば石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」を連想します。斉藤茂著『この人この歌』には昭和の流行歌100選・おもしろ秘話が網羅されていて、「かくれんぼ」でデビューした石川さゆりさんは当時15歳でした。それから3年、ポップス、演歌、叙情歌とチャレンジしたもののさゆりさんには低迷の日が続きました。高校を卒業した時、三木たかし氏と阿久悠氏とのコンビで彼女に365日花模様という12曲のLPを編み出したのだそうです。「花供養」を4月に、そして最終の12月は、詩の最終行に「津軽海峡冬景色」を必ず入れて下さいと三木氏から作詞家の阿久氏に依頼された由。<この主人公は、上野発の夜行列車に乗るまでにどんなに苦しみ、どんなに迷ったか知れない。連絡船への桟橋に一足かけた瞬間から今日までの過去を全部捨てる、そうしたぎりぎりの女の情念や覚悟というものを彼女(さゆり)に理解して貰うのに、かなり時間をかけました。>(三木氏談)<・・・それから竜飛岬へ行きました。風というのは横から吹いてくるものじゃなくて、下から吹き上げてくるもの、そして冷たいというよりは痛いものだということを知りました。その風の痛さが、歌の中の「風の音が胸をゆする 泣けとばかりに」このフレーズに至って本当の意味を教えてくれたような気がしました>(さゆり談) 私は「津軽海峡冬景色」というこの曲が好きでカラオケでは時々歌います。最初の3連音符の繰り返しを巧くリズムに乗せ、<降りた時から>まで盛り上げて行きます。<青森駅は雪の中>は、少しトーンを下げて歌います。<北へ帰る人の群れ・・・>は同じように繰り返します。<わたしも一人連絡船に乗り>は、極力丁寧に歌い、<風の音が 胸をゆする 泣けとばかりに>は、”風”・”胸”・”泣け”にアクセントをつけ、フォルテシモで最高潮に持って行き、<嗚呼 津軽海峡冬景色>は切なく、冬の手前の休符を活かして歌い収めます。
2023.12.23
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○父の日記第一号が始まったのは、昭和10年の12月中旬でした。この時父はまだ京都帝大生でしたが、昭和初期の世相を知る上で価値があります。例えば当時、京都大丸デパートでは夜間営業をしていたようで、この日記帳や百人一首かるたセット、レコードキャビネット等を購入しています。また菊五郎の羽子板に目をつけ、それを祖母にねだる算段をしていたようで、翌日早速手に入れていました。毎年羽子板を買って貰う事になり、それが祖母の長寿に繋がったようです。15日には余瓶、素径、大夢、竹翠の各氏からの来信。17日は五条大橋「弁慶楼」にて、京鹿子15周年記念として野風呂翁を囲んで、「京鹿子を語る会」が催された由。20日の日記には、ホトトギスに2句入選、野風呂翁3句、素径・大夢各1句、それに龍也氏の初入選を心から祝福し手紙を送っています。四條柳馬場姉小路の河道屋の「晦庵」での句会に出句10句中、4句が野風呂翁特選、4句普通選に入った事を嬉しく綴っています。25日神麓居を訪れ、京鹿子新年号の校正の手伝いをした事や、十七星さんが鯉を提げて膳所から来られた事、牡蠣と鯉の寄せ鍋をご馳走になった旨も綴っています。高浜虚子との書簡往復や水野白川男爵との交友、青年男女数名でのかるた取りの練習、音楽会、観劇会の模様、また年末にはホトトギス雑詠に 日記買ふと旧き日記に誌しけり すばるが入選した旨、椎花翁からの端書にて知った事も書いてあります。
2023.12.22
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○永六輔さん選『一言絶句』2幕”愛”より あなたは接続詞みたいにキスをする (盛 万里子) シクラメン彼のみの知る隠し鍵 (黒田さなえ) まちくたびれたくすりゆび (佐倉花子) お化粧して、恥の上ぬり (荒井由利子) 口先だけの女、指先だけの男 (飯島直樹) 君は僕の夏だったのかもしれない (佐条富久子) 怖いのは、振られた直後の一目惚れ (福島可奈) 子の父を奪う女の細い首 (黒子聖介)どれもこれも味わいがありますね。
2023.12.21
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○20年もの昔、某テレビ番組では、8時間の制限時間内で、荒れ放題のまま現実に生活している独身者の三つの部屋の片づけの競争が報道されていました。。三人とも、自分が担当する部屋人の部屋のドアを開けて、びっくり!!今まで自分が平然と暮らしてきた状態そっくりの、足の踏み場も無い部屋、食べ残しのまま積み上げられた食器など、三つとも痒みすら感じてしまう程に散らかせた部屋でした。スタートの合図と同時に部屋主に要るものと要らないものとに分類させます。部屋の整頓の苦手な人は、モノを捨てられない性格ですから、やや厳しい態度で分類を促します。Aさんは半透明の収納ボックスや棚、段ボール箱の改良でどんどん収納して行かれました。Bさんは電動式ネジ廻しの使の使い方も上達されていて、部屋にぴったりの大型の棚を据えたりテレビ台などを拵えたりなさいました。Cさんはつっぱり棒と横向きの棚を拵えたり、網目のワイヤーネットを壁に掛けサングラスを意匠的に飾るなど、指導者の期待を遥かに超える働きをなさいました。今回の実験台となった部屋は独身者ばかりでしたので、つっぱり棒を主力としたCさんが優勝、転居先でも自由に応用できる点が評価されたのでしょうね。三人の主婦は、一旦、整理・整頓・片付けの喜びを知ってしまうと二度と過去に戻ろうとせず、自分で工夫する力を短期間に身につけられたのでした。
2023.12.20
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○某日、O氏から電話。コロナ禍も見通しがついたことだし、久しぶりにカラオケ会を復活したいのですが、参加メンバーに入れて良いかの打診でした。12月のみ第3水曜、それ以外は第2水曜の昼から、丸太町堀川西入の「ふるさと」にて5時まで。12月は四温句会がありますので、少し遅れますが、顔を出してみます。懐かしいメンバーとの歌う会はお互いの寿命を延ばす良薬に違いありません。 話は変わりますが、昨日大丸へ出かける折、焦る必要もないのに、間もなくホームに滑り込む特急を意識して駆け出しましたが、足が縺れて転倒!しばらく意識が朦朧としていましたが、二人の女性から声をかけていただき、マスク越しに顎を強打、所謂アッパーカットを食らった状態でした。暫くは15歳老いたような、よぼよぼの足取りでしたが、帰りは大股で足早に歩けました。年寄りの冷や水、気をつけんといかんとです。
2023.12.19
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○最近は時代物中国ドラマを見ていますが、以前韓国の王朝物をよく見ていました。緒方挙その他の名優を除外すれば、中国や韓国の俳優・女優さんはそれ以上に素晴らしい。それは日本人の俳優さんは或る程度役柄のイメージが固まっているのに引き換え、中国・韓国の女優さん等は役柄によって全く別人の個性をきちんと演じる分ける技能を持って居られる方が多いように感じるからです。これこそ中国・韓国王朝ドラマの魅力の一つなのでしょうね。毎日のように新聞紙上に載せられる殺人ニュースや公的な人々の汚職事件等に接する現況下、純粋な愛、優しさ、勧善懲悪を謳う中国・韓国王朝ドラマに魅せられる日本人同輩の多いことは、まだまだ救われる余地があるようで、嬉しい限りです。
2023.12.18
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○2002年12月2日 朝の通勤電車の中で 作った詩です。 1)しあわせという 言の葉を 千も弐千も なぞっていたら 貴方の顔に 行き着いた コバルトブルーの 果てなく高い 秋の空 両手を広げて 差し招いてる その大きな胸に 飛び込んでみたい コバルトブルーの その胸に・・・・・ 2)信頼という 言の葉を 百も弐百も なぞっていたら 貴方の眸 そこにある サファイア色に 輝くような 情熱の 光を宿し 差し招いてる めくるめくよな 渦に 飛び込んでみたい サファイア色の 眸の渦・・・・・
2023.12.17
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○銀行に勤めていた頃、浜坂の太田荘という民宿に泊まり、松葉ガニをたらふく食べた記憶があります。 二度目は銀行の元野球部OBが二人いましたので大漁のカニは全部メンバーの胃袋に収まりました。三度目は家族四人で泊まり、生の造り、塩焼き、カニ鍋とお粥、食べきれませんでした。翌朝、漁業組合の競り風景を見学後、カニの他に太刀魚も見ました。釣り上げた時の青い姿から時間の経過による劣化の為、灰色そして刃にも傷があって、安売りされていました。 ところで太刀魚には鱗がが無く、表面が薄い銀色の膜に覆われています。グアニン質とよばれる、すぐ剥げ落ちる膜ですが、次々再生されるので、太刀魚は生存できるのです。このグアニン質は人造真珠やネイルカラーの材料になっています。
2023.12.16
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○上前淳一郎著『読むクスリ 10巻』から、また素敵な話題を見つけましたので、纏めて転載します。 日本の外郭団体が毎年無償で、米国・カナダの中高等学校の社会科の教員を招聘していて、凡そ20日間、東北の漁村、九州の農村、そして東京のデパートなどを見学して貰っているようです。これは日本の良さを知って貰いPRして貰う為なのですが、アメリカのとある女子教師の土産は、扇子・箸・電卓・日本の硬貨そして青風呂敷に包まれた「幕の内弁当」の空箱。彼女ら教師の殆どが日本の料理などを写真に収めます。幕の内弁当も然りで、塩ザケ、蒲鉾、蕗の色合い、白飯の上の梅干の赤、隅っこの栗の黄色・・・カラフルな彩りに栄養のバランスを加味した日本人の美意識と優しさの凝集された「幕の内弁当」を帰国後、アメリカの生徒に教えたいという美談。
2023.12.15
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○いつか歌う機会もあろうと物置小屋の書棚にはベートーベン「第九」の楽譜を置いています。師走風景の一つとしてテレビ画面にプロ楽団と大合唱団の演奏風景が映し出されますね。青春出版社の『天下無双の大人の雑学』を参照すると、終戦後の世情はクラシック音楽に耳を傾ける余裕もなく、日本交響楽団(現NHK交響楽団)は資金繰りに難儀していました。ドイツで年末に「第九」が演奏されているという情報を得たので、大人数の合唱者を必要とする「第九」を曲目に入れ出演者の家族・親戚・知人にチケットを捌くよう工夫した結果、資金繰りが豊かになり、以降、年末に流行ることになった由。
2023.12.14
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○学生時代、わたし達グリークラブは「寿限無」という曲を演奏したことがありました。このフェイスブックでも友人の三村君が、舞台で堂々と「どうしたんだい八っぁん」とご隠居さんのセリフを語り出すとホールには笑い声が。 要は生まれた子供の名前をできるだけめでたいものしようと和尚さん相談した結果、とんでもない長いフレーズの名前になったという噺で、「延陽伯」も同じ趣旨で、風呂屋へ行くにも長い名前の為、風呂屋が閉店したとか、火事がいって知らせるにも長い名前で辟易するなど。長い名前の天才画家のピカソは、自分のフルネームを覚えきれなかったとか?
2023.12.13
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○十数年前の記事を見ますと、編集責任者という分を超えた大役を仰せつかり、名門結社というブランドから押し寄せる重みに、本来楽天家である私も、ややもすれば心の余裕を失いがち。で、ここンところ、佳句らしきものが生まれませぬ。(例会 返り花、文化の日) 鉄砲櫓その影にある返り花 カーテンをオレンジに変え冬仕度 寺町は古書店多し文化の日 古時計まだ捨てもせで文化の日 (たかんな句会 マスク、十一月、時雨) 開けゴマ十一月の自動ドア 訳ありの夜行車窓の白マスク 顔半分マスクなりせば皆美(ハ)しき 植物園森の途切れを時雨の来(ク) (四温句会) 銀杏散る七度狐がコンと啼く 俳聖の生家に一つ破れ芭蕉 一山の処々に墓碑あり冬紅葉(鱗華句会 佳き人の葬の戻りを柳散る 大銀杏黄葉は暮色に抗ひつ 佐賀城下水路囲ひに柳散る>などなど。
2023.12.12
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○銀行を辞めて久しいので、現在の事情には精通していませんが、通常の企業よりも身だしなみには厳しい金融機関ですから、Yシャツにネクタイは必須アイテム。うだるような真夏日にあってもネクタイをつけていましたが、省エネ化が身だしなみにも浸透、開襟シャツにノーネクタイという時代も訪れました。さりながら、中途半端な涼しい恰好よりも、きちんとネクタイを締めた昔の方が好きでした。 ネクタイの起源は古代ローマの兵士のスカーフにあって、時代と共に一旦廃れました。時代は下って17世紀、クロアチア兵士のハンカチを対角線に畳んだクラバットを知ったフランスのルイ14世が上等のリネン(亜麻布)のスカーフを首に垂らすファッションを考案、イギリスにも上陸、1860年代に結び目を作って垂らす、現在のネクタイの前身がうまれたのでした。
2023.12.11
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○毎年、晩秋から始まる悩みの一つにアルミサッシ窓辺りの結露の問題。わが家では暖房マットの下に敷くアルミ製の断熱マットのお古や浴槽の蓋の間に敷くアルミ箔入りのマットの古くなったものを再利用しています。これだけでは未だ充分だとは言えないので、発泡スチロール製の板(箱の蓋)などを組み合わせることにしています。玄関の金属製ドアを筆頭に、息子の部屋の窓、我ら夫婦の寝室の出窓、台所の出窓などが剥き出し状態なので結露被害が酷いのですが、毎年、何らかの工夫をしています。
2023.12.10
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○根がそそっかしい性格なので失敗談は枚挙に遑(いとま)がないのですが、その原因の一つに事前準備を疎かにする一種の油断が結構シェアを占めているように思います。 興津要著『おもしろ雑学日本語』には、「涅槃教」の一節があって、<王、一臣に勅して、一油鉢を持ちて・・(略)若し一滴にても棄てなば、まさに汝が命を断つべし」とあります。王様が家来に向かって言うには、油の入った鉢を持って・・(略)もし、一滴でも零したら、お前の命を断つぞ」と言ったことから、油鉢”の油と命を断つの断から「油断」という語が派生した説があります。面白い小咄をおまけに添えましょう。 <身投げ> 両国の橋の番人が上司に呼びつけられ「毎晩この橋の上から身投げがあるようだが、なぜ、気をつけておかぬ?今夜から厳重に注視せよ」と叱られ、その夜から必死に用心していたところ、曲者が来て、橋の欄干をくぐろうとする瞬間に、番人が羽交い絞めにして「毎晩の身投げは、お前だろう」毎晩の身投げでは、命が幾つあっても足らないじゃないか。(出典、明和9年9月序「楽牽頭」)
2023.12.09
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○受験時代、試験場には夏目漱石の『我輩は猫である』を必ず持参していました。苦沙弥先生と迷亭氏の壇林派ふうの会話や鼻持ちならぬ鼻子夫人の登場、寒月氏、東風氏それぞれが個性的に描かれていて、受験へのストレス解消に役立っていました。 不幸にして1年浪人しましたが、その間、先ずは漱石の文章を真似、谷崎潤一郎や横光利一、志賀直哉らの文章を真似るうちに自分本来の文章が身につきました。 ところが、漱石が生後間もなく里子に出され古道具屋の里親と一緒に縁日に居た事や再び養子に出され養親の離婚を機に実家に戻ったという事実など知らずにいました。 漱石が正岡子規と親友であった事、そして俳句を吟じるようになったことは周知の通りですが、玄人はだしの南画を幾つも描いていたことや、彼が松山の学校に赴任したニュースが新聞紙上で記事になったことや、その学校長の3割増しの給料80円を貰っていたことなどは余り知られていないようです。「アサヒビール大山崎山荘美術館」のガイドの折、バルコニーを崩して1部屋とバス付きトイレを客の為に用意した加賀正太郎ですが、この風呂場の浴槽や水道栓(温水・冷水2個)が古風で、私は独断で、漱石が英国に留学していたアパートの風呂もこんな風であったろうと説明するのですが・・・・。
2023.12.08
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○昨年の11月上旬、医者に相談、おそらく大丈夫、様子見している内、息子が高熱を出しコロナと判明、息子は家を出ず、終日パソコンの前に座っているので、結果論として我ら夫婦も罹っていたことになりました。遡って考えますと、私の場合、味覚はありましたが、嗅覚が遣られていました。正月中旬、今度は帯状疱疹に罹り、この時期は同病者が多くあったようです。しかし最近は木犀の香には気がつかなかったものの、嗅覚がある程度戻ってきました。朝食時の紅茶に入れるレモンの香に幸せを感じています。
2023.12.07
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○剣士の佐々木小次郎なら舞い落ちるイチョウの葉を長太刀のつばめ返しで四枚の切片に切ることなど何ら造作も無いことだろうと思い乍ら、今年のフィナーレを楽しんでいます。 話を000年に巻き戻しますと、仕事に追われる身にはイチョウなど眼中に無かったのですが、父の死を境にして、イチョウの葉とは二人三脚に近い間柄になりました。存在感のあった父の呼吸が停止した瞬間から、いろんな歯車が狂い始めました。趣味の多かった亡父の「夢の跡」のあと片付、相続財産のことなど、当時は、それまでの雰囲気とは少しずつ変って行ったのでした。その距離感から生じる辛さを慰めてくれたのは、実にイチョウの木でした。会社の隣りのドトールコーヒー店の決まった席から斜交いに見えるイチョウの新芽の鮮やかさに、鬱積した心が癒されました。 目に浸みる銀杏若葉にありがとう 御堂筋銀杏今しの芽吹きかな5月になるとリズムが加わって来ます。 小揺らぎの銀杏若葉は歌が好き 若葉映ゆ八分音符を撒きながら 若葉映ゆそんなポストを選びけりやがて真夏を過ぎると大人色に濃ゆくなって来たイチョウの葉 逆光の銀杏に翳あり今朝の秋暫く私との間に距離を隔てていたイチョウの樹は 神の留守銀杏は何を語らむや 黄八丈に公孫樹の染まる御堂筋 大銀杏黄葉積み重ね狐来よ 銀杏黄葉路の窪みに渦高く 銀杏黄葉足よりライト浴びるごとそしていよいよ終焉に至って 銀杏散る漆剥がるるやうに亦 枯れ銀杏一葉の揺らぐ蝶のごと一年の歳月を銀杏を通して詠んで来ましたが、これ正に人生の縮図のように思われるのです。
2023.12.06
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○長岡京市の居宅近辺にはいくばくかの田畑が残っていましたが、亀岡方面へ抜ける外環状道路が敷設された為、大切な散歩道が減ったり不便になったり。西方の攝津ポンポン山へと連なる天王山は北へとなだらかな尾根を広げ、斑な紅葉の彩りは小倉神社、光明寺、柳谷観音等の名刹を懐に抱きながら西山連峰へと続きます。その里村の田畑は年々造成され、曇り空にブルドーザーの音が終日こだましています。また、この地域は長岡京の南端地でもある為、造成工事の前には発掘調査が行われ、青いシートの一部から深い溝などが見え隠れしています。 竹藪と農地ばかりの景色は時の流れとともに新興住宅街へと変遷し、それらの住宅地に若い年代層が住み着くことは後世への一縷の望みでもあり、これも一つの歴史を刻んでいるのでしょう。
2023.12.05
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○この歌詞は20年前に作っていました。 ①トランプのハートの キングが化けたのは 愛を届ける サンタです なみだ目をした あの女(ひと)に クラブのジャックを 遣わした ②トランプのクラブの キングが化けたのは 呪いをかける サタンです 女騙した あの男(ひと)に スペードクイーンを遣わした ③トランプのダイアの キングが化けたのは 幸を届ける サンタです 親を亡くした みなし児に ハートの女神を 遣わした
2023.12.04
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○もう今は無い京都の家(高辻通烏丸西入)から持ち帰った書物の中に、棟方志功著の『板勁』という題の作品集があります。河出書房より昭和19年12月25日初版発行、部数2500部限り。定価13円80銭、物品税4円12銭計18円22銭とあります。わが誕生の年、終戦間近の一番物資の乏しい時に発行されたこと。『板散華』の版元:山口繁太郎の友情による続編であったことにも意義があるように思います。10~15センチ四方の小さな和紙に力強く摺り込まれたいかにも棟方志功らしい息吹の伝わる作品が9編、B5版の頁に20編ほどの作品が組まれていて、目次の後には彼の随筆が10編ほど添えてあります。こういう作品集は作者の「生きる雄叫び」のような生命力が直に伝わって来ますので、折々に眺めてみたいものです。
2023.12.03
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○先日、本年春まで同人会長の要職におられた和田照海さまの第二句集『海神のこゑ』への感想文を昨日一気に書き終えましたので、翌朝、投函兼散歩。歩数も知りたいのでスマホを携行、すぐさま撮りたい被写体に次々遭遇します。先ずは橘もどき(ピラカンサス)。1953年の夏休みに当地の新居に越して来た当初には隣家との境に竹を井桁に組んだ垣根に、少し棘のあるこのピラカンサスがあって、秋には黄色から朱色へと見事な実を沢山つけていたことを思い出しました。ブロック塀を這う蔦、まだ元気なススキ、淡い桃色の薔薇、この住宅街入口の公園の紅葉・銀杏。詩吟指南者宅の白山茶花、名も知らない大粒の赤い実、花屋さんのパンジー等々。
2023.12.02
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○十数年も前の或る日、イタリアで行われたアイス・スケートに因む番組では井上真央さんの驚異的なフリーでの挽回、ライバルとの戦略の比較などの他に、エキジビション・コーナーでは、あの懐かしい長野オリンピックで印象に残ったフィリップ・キャンデローロのフェンシング・スタイルの見事な足裁きの演技映像を流してくれました。 彼は94年、98年五輪2大会連続銅メダルを獲得したフランス人の個性派の名スケーター。もう2度とあの華麗な演技は観られないと諦めていましたので、本当に嬉しく思いました。他にも宙返りを披露する演技など、年々進歩を辿るアイス・スケート界にあって、昔にも驚異的な演技者が多々居られたことを再認識しました。切磋琢磨した演技をテレビを通じて見せて貰える幸運にも感謝しています。
2023.12.01
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