たからくんが大人になるまで生きていたい日記

たからくんが大人になるまで生きていたい日記

タイトル「川柳私感」




 最近周囲で、「俳句と川柳について」が話題になることが多い。そこで、実作者としての私は自分の作っているもの「川柳」について、どう考えているかを書いてみたい。


1)温故知新

 何かを表現しようとする者、創作をする者にとって、その基礎や歴史、発展の経緯を学ぶことはとても有意義だと思う。だが、俳句や川柳について語られる本には、「原点へ帰れ」と言う趣旨のものが殊更に多い、多すぎると感じている。
 最近流行した映画やトレンディードラマにはリメイクと思われるものが多い。まあ、それらを学んで自分の血肉にしてしまえば、それはそれで価値があると思える。でも、川柳を実作しない人が川柳について書くと、「過去の名作のようなものをリメイクせよ、なぜならば、川柳の発祥は、そういう経緯だったからだ。」という論調になりやすい。
 文芸のみならず、芸は俗から始まると思う。俗とは、すなわち私たちそのものだからだ。だが、何事も成熟するとそこには様々なニーズが要求される。本能的な笑いや、愚痴から始まって、自己主張や美しさの追求などへと展開していく。雅語しか用いない「和歌の連歌」の余興として、日常語も使用してよい滑稽のものの「俳諧の連歌」が始まった。それ故、俳句は滑稽に立ち返るべきで、今の多くの作家たちが滑稽を忘れているのはいかがなものかという意見を耳にする。川柳もしかり。では、今の歌舞伎に、「秩序にかぶく者として河原乞食の俗を取り戻せ」と言うならば、それはそれで面白いが、「そうでない歌舞伎は偽物で、下らない」と排除を唱えても、表現する者、鑑賞する者ともに、頷き難いのではないか。川柳の実作者として、江戸古川柳や昭和初期の川柳以外を「詩の端切れ」「散文の端切れ」と呼び排斥する人には、いつの世にもある言葉、「今の若い者は・・」という変化についていけない柔軟性の欠如を感じざるを得ない。
 成熟した芸術は必ず裾野が広い。絵画には様々な表現があり、今、「原始時代に文字を持たなかったため、壁に絵を描いたのが発祥だから、それ故、そこへ戻るべきであって、その他の何かを表現する手段に用いようとの野心を持ってはならない。」と唱える人はよもや居なかろうと思う。いつの時代にも底辺には春画があり、似顔絵があり、様々な主張を具現化した絵画がある。小説には、人生観を楽しむものから、冒険、推理、ポルノ、耽美な表現、ほとんど台詞しかないようなものまで、「こんなもの、小説ではない」とは言わず、すべて小説の範疇の出来事と捉え、懐が深い。
 温故知新。発祥から現在までの変遷の歴史を学ぶことは、いいことだと思う。それ以上に過去の名作に触れて、時空を越えてその表現者と共鳴しあえる贅沢が自分に何かを与えてくれることによる、古き作品を訪ねる価値は計り知れない。だが、そこへ帰ろうとするのはその人の好みであって、今あるものを「あってはならないもの」とする気配を感じさせる指導者は危険だ。かつてのコオロギはもはや今のコオロギではなく、かつてのキリギリスはいまのキリギリスではない。


2)今を生きる

 高校時代から小説という形を好んで創作表現活動をしてきたが、その後サラリーマン川柳の石に混ざる玉に触れ、川柳の教室に通った。初めて作った句は
「胸襟を開く加減も思いやり」
だった。教室では、一読で意味が分からない、イメージが掴めない句が多くあった。だが、先輩たちの批評を聞くうちに、その良さが分かってきた。
 教室を主宰されていた故安藤昌代さんの「花の雲ときに異端ともなりて」という句が私に川柳というスタイルが表現できるものの可能性を認識させた。
 一読ではさっぱり分からなかった。だが、何度か繰り返して読むうちに、緑の山をイメージしその中で薄い桃色というよりは白っぽい小さな固まり、白っぽい小さな部分を思い描いた。それは、男性社会で踏ん張っている女性の美しい悲しさを思わせた。男からも女からも異端とされながら静かに咲き、立っている。「それが、わたしです。」そんな声を聞いたように思えた。
 数年川柳の実作を続けた。と同時に、勉強会で「今現在生きて、川柳という手段を用いて創作表現しよう」とする先輩仲間たちと、どの句の何に感動し、何を良しとし何を愚とするかを語り合い、質問し納得していった。そのうち新たな問題に出くわした。「現代俳句」との違いが分からなくて、悩み始めたのだ。川柳と俳句の違いを説明してある本は辞書から始まってほとんどのものに違和感を感じ、なんだか解せない。そこに書かれた「川柳」も「俳句」も、今現在を生きて作品を書かずにいられない人たちが生み出している作品とかけ離れた定義がなされていて、その発祥時点を根拠とする川柳と俳句の差異説明を聞いても、納得がいかなかった。
 小学生の頃から宗教に興味のあった私は、一つの宗教を知ろうとすると、「他の宗教は誤っている、劣っている」との見解を耳にする体験をしてきた。他の宗教を勉強している人はたくさん居たが、その人たちに共通する姿勢は、「他の宗教の欠点を証明するために学ぶ」というもので、理解し受け入れるための質問ではなく、否定のための質問を繰り返すことだった。そんな勉強に時間と労力を費やすことに、私は寂しさを感じた。中学時代はキリスト教、高校時代は仏教、そして新興宗教と、大学生まで3つの宗教に興味を持った。できることなら信じたいと思いながら、その人たちの集うところに足を運んでみて私が得たものは、何かを学ぶなら、それを愛し目を輝かせて語る人たちに接し、その話に聞き入り、その生き様を見るという方法が、私の性に合っているということだった。川柳のおもしろさを実感したように、自分が飛び込んでみることにした。現代俳句についても、今ここに生き、その表現をこよなく愛す必要を感じている人たちから、その良さをたっぷりのろけてもらう、それが、一番だと現代俳句の実作教室へ通い始めたわけだ。
 その当時、私が川柳ではなく現代俳句であると意識して作った句は
「紫雲英田の犬のおりたる窪みかな」
「天高し断食まっとうしたりけり」
「小春日や出迎えの猫破顔なり」
「秋の雲大きな魚のあばらなり」
今、思い出すのはこのくらいしかない。
 私の句はさておき、先輩の句や、特に先生の評や添削とその根拠を聞いているうちに、私の中に俳句と川柳の違いを感じ分けられるようになった。俳句は川柳より作品の成立工程が一つ多いのだ。俳句は静止画(絵画、写真)の成立工程、川柳は動画(映画、ビデオ、演劇)の成立工程と似ていると。

〈俳句は絵画と同様、言葉(ロゴス)を手放す。〉
たとえば、
1.作者は「寂しい」と感じたとする。
2.作者の「寂しい」は、一度言葉(ロゴス)を放棄し視覚イメージ(カオス)への変換が図られる。
3.それの寂しい「感覚」をより表現するためにデフォルメや省略追加比喩などの虚構を駆使して、形を整えた上で、自分だけのその場面を描き出す。
4.鑑賞者はその描き出された視覚イメージ(場面)のみを頼りに何かを感じ、
5.感じた何かをその感覚のまま(カオスのまま)置いてもいいし、「ああ、切ない」などの言葉(ロゴス)へと再変換しても構わない。

〈川柳は動画と同様、言葉(ロゴス)を手段とする。〉
たとえば
1.作者が「寂しい」と感じたとして、
2.作者はその「寂しい」をより効果的に表現するために、言葉(ロゴス=秩序)を駆使してシナリオを組み立て、デフォルメや省略追加比喩などの虚構を駆使し、形を整えた上でドラマを描き出す。それ故に、生の台詞が入ることもある。
3.鑑賞者はその描き出されたドラマ(組み立てられたロゴス)によって、胸を打たれ、
4.「ああ、切ない」など、感じ受け止める。

 「俳句は花鳥諷詠で、川柳は人間を詠む」とよく教えられてきた。しかし、山水画であっても、静物画であっても、他でもない「それ」を選択して描こうと思ったとき、そこには、作者が何かを感じてそれを表現しようとした、その人物の想いが必ずや底辺に流れている。音楽家が演奏するとき、その曲を選んだのはその演奏家の何らかの想いが必ずや底辺にあり、役者であっても、ペンを持つものであっても、絵筆を持つものも、カメラを持つものも、舞踏家も、その表現手段の底に、必ずやその表現者が持つ一部分の核となる真実がある。人間が表現をする限り、すべての主題はその作者の持つ一部分を核とした真実、つまりは人間を詠んでいるに他ならない。
 ただ、大きく二つに大別できるのではないか。作者から鑑賞者へその表現したい主題を「カオスからカオス」で受け渡すのか、「ロゴス=秩序=組立」で受け渡すのか。そして、5.7.5という同じリズムをもって作られたものが、俳句と川柳という二つの名前で区分されるとき、その見分けは、この「ロゴスを手放す工程を踏むか踏まないか」によって判断されるのではないか。私はそう理解した。
 この実に乱暴な意見は、多くの研究者の嘲笑を買うだろうと。「芭蕉の句の構成の見事さを知らないのか。」「いえ、それらは含めてはいないのです。」確かに、私は不勉強だ。自慢できることではない。だが、不勉強な時点では意見を持ってはいけないのか。そうではあるまい。
 「現代俳句と古川柳」「現代川柳と伝統俳句」などの見分け方は、もちろん今私が持っている物差しでは測れない。なぜなら、私たちは生きていて、変化し続けていて、言葉は生き物であり、その当時キリギリスと呼ばれたものは、実は今はコオロギだったりするし、また、かぶくことの心意気を歌舞伎に求めた時代から歌舞伎に伝統美を求める今のように、人々がその表現手段に求めるものも変わっていくからだ。
 研究者としての顔を持ち、歴史的にその価値を研究し評価する作業も大変大切だが、実作者は、今現在の自分の拠って立つところを見定めることが必要だ。そして、上記の「現代俳句と現代川柳の違い観」は、「今ここに生きて表現をしたい私」の物差しなのだ。少なくとも、私は「現代俳句教室」「現代川柳教室」で、いきいきと目を輝かせ、夢中になって惚れ込んで実作する先輩たちから、それぞれの良しとするところ愚とするところを見聞きしてきて、今の現場ではこういう価値観が判断基準なのだと得心がいった。
 ちなみに、現代川柳、現代短歌はロゴス派で、現代俳句と現代詩がカオス派だと大きく捉えている。もちろん例外はあるけれど。


3)虚構とは

 現代川柳の実作(現代俳句も同様)を始めたとき、まず先生から教わったことは、「事実の報告ではいけない」ということだった。「事実を見たまま5.7.5のリズムに乗せただけと、そうでないものの違いが分からない」と、そこで躓いてしまう人がいる。
 多分、現実にはあり得ないことを書いていれば、それは虚構だと分かるだろう。
季節柄思い出した句を例にしよう。どなただったか、現代俳句の教室の先輩が作られた
「薄紙をはずせば雛目覚めたり」という句があった。実際には雛人形は人形であって、物理的に眠ることもなければ目を覚ますようなこともあり得ない。しかし、作者は、薄紙で顔を覆われ箱に静かにしまわれていた雛人形が、薄紙をはずしてあげたときにあたかも目を覚ましたかのような感覚になって、その雛人形との不思議な感覚に感動し、そのことを詠んだわけだ。それは、事実の報告ではなく、作者の感性。つまり作者が詠まれている。 さて、一方、現実にあり得そうなことを書いてある場合、それが作品として成立しているのか、「事実の報告であって作品(句)ではない」ものなのか、どうやって判別したらよいのだろう。そこで思い出してもらいたい。自分史を書いた人の原稿と、作家が歴史上の人物を取り上げて書いた小説の違いを。たとえば、どの作家が家康を書いても、起こった出来事をねじ曲げることはない。結局は豊臣家が勝って江戸時代を三百年続けましたと書くことが虚構なのではないからだ。逆に、史実に忠実だから虚構ではなく故に作品とも認めがたい「事実の報告」なのか、というとそうではなく、書く作家によって家康の人物像は変わり、その作品から読者が受け取るものも違う。そして、その作家は実は「家康」を書いているのではなくて、その作家の持つ価値観の一部、その作家の真実の想いの一部が「家康」をモチーフに使うことで書かれているのだ。しかし、自分史の場合はそうではなく、自分がどう生きたかの年譜を言葉に落として残すだけである。それが「事実の報告」といわれるものと、作品として成立しているものの違いだと私は理解している。
 私は、どのような作品にも三層構造があると考えている。
一番中心の核に、自分が何を表現したいのかという、自分の中からわき上がる「真実」
それを包む層に、それを最も的確に表現するための人物像、場面設定などの「虚構」
末端細部の層に、鑑賞者が抵抗無くその虚構に入り込んでいけるための「リアリティー」 家康の例で説明しよう。家康を描くことで、作者は自分の中にあるどの思いを表現したいのか、が「真実」であり、どこに光を当てどこを省略し、どういう人物像を浮かび上がらせるか、その組立、その中の登場人物にしゃべらせる台詞が作者の「虚構」であって、その食料調達にマクドナルドでバーガーを注文するような末端描写によって、鑑賞者が作り話だと醒めてしまわない、その逆の末端細部描写が「リアリティー」。
 この構造は、使用される文字数の多寡にかかわらず、また、韻文散文に関わらず、つまり、俳句、川柳、短歌、詩、小説、漫画、映画、アニメ、演劇、写真、絵画、・・・。様々な創作活動の原型だと私は思っている。もちろん、常に例外はあるけれど。
 今、手近にある川柳の本を開いてみる。ぱっと目についた句を例にとってみよう。
「地球流転春を豪奢に捨てながら」という葦妙子さんの句が目についた。
 末端細部描写を見る。確かに、地球は春のままでいることはなく動いている。そこに違和感を感じて「うっそー」とこの句から離れることはない。そこが「リアリティー」の層。だが、地球はただ公転しているだけで、流転しているわけではなく、また、ただ日照時間や太陽との距離によって温度が変化するだけで、それに植物や動物が適応して変化しているのは、別に地球が主体的に春を捨てたわけではない。ここが真ん中の「虚構」の層。そしてその虚構によって、中心にある「春に代表される、暖かな豊かさや未来が約束されているかのような時間感覚にしがみつくことなく、そういうものを豪奢に捨てながら、私も大いなる自然のことわりのように、流転して生きていきたい。」と、地球をモチーフにしながら、自分の中にある想いの一部が、核にしっかりと表現することができる。これが「真実」の層。
 さて、この原型を最低限満たしている限り、「事実の報告」ではなく、作品の域にあるといえる。その上で、様々な技法が展開されていく。たとえば、敢えて第三層の「リアリティー」を崩す方法だ。抽象画、現代アート、前衛舞踏、不条理演劇、不条理小説、現代詩現代俳句現代川柳の難解句と呼ばれるものなどである。そこには、絵画を鑑賞しなれていない鑑賞者や、演劇を見慣れていない観客、読み慣れていない読者に、「分からない。故に、面白くない。共感できない。つまらない。」と感じさせ、彼らを積み残してしまい、作者の想いが伝わらない危険性がある。しかし、その反面、慣れたものには、想像の余地をたくさん与え、表現に遊びを持たせる余裕を帯び、そして、余白を埋めきった作品よりもなお強烈に鮮明に、核心部分「作者の想いの真実」を伝えることを可能にする。
 十五年ほど前に、寺山修司の「さらば箱船」という映画を観た。高校生だった私にはよく理解できなかった。ただ、山崎努が玩具の汽車に乗っているシーンがあってその笑顔の優しさがとても印象的で、その時の私は、あの笑顔と雰囲気から寺山修司にとてつもない優しさを感じた。寺山修司とはただと優しかった人だなどとは思っていない。しかしどこかに多分、彼のある一面として、計り知れない優しさという真実があったに違いない。数年前に寺山の「毛皮のマリー」を観た。切なくてたまらず涙した。若い俳優を目当てにやってきた高校生が、「なんだか分からない芝居だったね。」と話しながら帰っていった。私は多分高校時代よりは演劇を見慣れて、また、生き慣れて、彼の言わんとしたことを高校時代よりは幾分感じられたのだと思う。
 川柳に話を戻そう。先日たまたま友人たちと徳永政二さんについて話していたので例にとって、第三層(リアリティー)が薄く作られている句と、事実の報告と混乱する人がいた句を取り上げてみたい。
「ビニールのひもで結んである真昼」
実際には「真昼」は「ひもで結」べない。そこで、彼の川柳を享受できなくなる人もいるかも知れない。でも、感じてみよう。ビニールのひもで結ばれているってどんな感じ?古新聞を束ねたような感じ?拾ってきた子犬の首に結んである感じ?どうも、政二さんが感じている「真昼」って、ちょっと拘束感があって、それも、ビニールひも程度の扱い。会社へ行っている間をそんな風に感じているのかな。四角く結ばれた感じも、ひもが伸びている感じも、ちょっと寂しく結構可笑しい。そんな作者の「想いの一部の真実」が、より、ダイレクトに伝わってくる。
「細長い鏡の中に顔がある」
これって、事実の報告とどう違うの?と疑問の声が上がる。ただ「鏡の中に顔がある」だったら、そうかもしれないが、「細長い鏡」といわれると、とたんに面白くなる。丸顔の人だろうか、正方形顔?面長?どんな顔が入ってきても、図形的に面白い。そこには読者に自由に選択を与えるゆとりさえある。たとえば、長方形の顔を思い描いたら、升の中にまた升があるような、相似形の面白さ。そして、そんなものを見入って面白がっている、ちょっと侘びしくて滑稽な、そんな自分を外から見ているゆとりのある作者が見える。その姿勢こそ作品の核になる「作者の一部の真実」の層であり、絵柄的な面白さが「虚構」の層であり、それを現実にありそうな「リアリティー」で包んでいる。
 この二例と前述の三層構造から、辻褄が合わないように書くことが「虚構」なのではなく、すんなりイメージできる状況であることがすなわち「事実の報告」ではないと考えていることが伝わっただろうか。


4)川柳の主題 社会を詠むこと時代を詠むことの捉え方

 「川柳の使命は、社会を風刺し時代の特徴を浮き彫りにすること。」と、おっしゃる方がいる。その方々に私は尋ねたい。それは、すべての表現者に求められている使命ではないかと。
 川柳だけの使命ではない。先日、原一男監督が若い映画作家に期待することとして、世代を代弁するような作品を作って欲しいとおっしゃった。「人は人」「私は私、他人は他人」という価値観が強い私にとって、それは受け入れがたい発言だった。同じ世代だからといって十把一絡げに括れるはずもなく、また、人様を背負い込んで代弁など、なんぴとたりとも出来得るはずがないと思っていたからだ。だがそれが頭の片隅に残って、折りに触れ考えてみる。そして思い出したことがあった。
 高校生のとき干刈あがたさんの「ウホッホ探検隊」という小説を読んで、小論文に「作品とは、はからずも時代を映す鏡となり、その時代の人を励まし、後の時代の人にその歴史を伝える。」と書いた。私の知っていたそれまでの作品は、女性にとっての離婚を惨めなことと捉えるものが多く、「人形の家」でさえ、さて、家を出ても、ノラは自活できないのではないかと、なれの果てを心配した。しかし、「ウホッホ探検隊」で初めて、離婚を肯定的に捉えていける女性像を見たと思ったからだ。まさに現代だと思った。
 倉富洋子さんの川柳句集「薔薇」から受けた衝撃は大きかった。その中の一句、
「わたくしがしずかに腐る冷蔵庫」
小説家の友人がこの句を読んだとき、「ああ、本当に。しずかに腐る冷蔵庫とはまさに女の腐り方だ。」と感想を漏らした。私も、この句が私たちの世代の女性を代弁している作品だと思えてならない。男女共学、男の論理である近代西洋資本主義の価値観の中でそれを信じて育ち、だが、学校という付け焼き刃の世界を過ぎると、「おんなの仕事」を要求される。乳児を抱えへとへとになりながら、小さなマンションの閉ざされた世界に一人縛り付けられている感覚。同じように育てられてきたはずの夫は社会に出ていて、その夫に妬心さえ感じる。理屈で自分を納得させ、手が放れるまでのことだからと言い聞かせる。そしてみっともなく駄々を捏ねることもしない。それでも襲ってくる、暗く狭く音もなく冷たく寂しい冷蔵庫で、ものも言わず忘れられ、「しずかに腐っていく」わたし、という感覚。あの学生時代に信じてきたものは、あの総合職で就職した頃信じていた未来は、何だったのだろう。私たちの世代の女性が多かれ少なかれ感じている想い。それを、この句は見事に代弁している。
 倉富さんは世代を代弁しようと目論んでこの句を作っただろうか。時代を切り取り社会を風刺しようと、この句を詠んだだろうか。そうではないと、私は思う。干刈あがたさんとて、同じ。自分の想うこと感じることを見つめて掴みきったとき、できあがった作品が時代や社会を映していたのである。
 時代を詠む、社会を詠むとは、政治家の揶揄や嫌みを書くこととは違う。ピカソは時代や社会を風刺し政治家を揶揄してやろうと思って「ゲルニカ」を描いたか。私は違うと思う。その時その場に生きている彼が自分の想いを表現したのではないか。彼の想いの一部の真実、それをあの虚構の絵に、リアルに表現した。それが、社会と時代を映す結果となったのだ。
 創作表現をする者は誰しも、自分の中にないものは書けないし演じられない。そして、自分の中にあるものはどうしても、その人が存在するその時とその場所の影響を受る。「今現在、ここにいる、私(私たち)の感じるものの一つ」を表現する。「今、ここ、私」その出発点を忘れてはならないと思う。それが、結果的に社会を詠み時代を詠んでいることに繋がるのだ。
 黒川利一さんの句「思い出してトイレは何処か思い出して」
親を介護する、まさに今現代の日本にあって、一人の男性が自分の中にある想いの一コマを川柳の形に仕上げて放ったとき、それは切ないさを伝えながら、今現在の日本、時代社会をも切り取っている。
 社会派の川柳作家を代表する鶴彬。彼の詠んだ句も、彼にとっての「今、ここ、私の感じているものの一部」から発していたと私は思っている。彼の作品は、怒りや悲しみという彼の内部の真実であって、うまく時代や社会を捉えてやろうという野心ではないと。
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
「ざん壕で読む妹を売る手紙」
 時事川柳も一つのジャンルであり、良いものもつまらないものもある。それは川柳ジャンルに限らず、また小説も詩も絵画も漫画も、川柳に限らず、すべては、膨大な石の上に玉が生み出され続ける。私たちはその中の玉について論じているのであって、そんな当たり前のことを言い添えた上で、誤解を恐れず言えば、時事川柳とて、他者を嘲り揶揄するものではなく「今、ここ、私の感じている想いの一部」を表現しているのだと言える。菖蒲正明さんの川柳句集「教え子」にある、
「農協に叱られそうな米のでき」は、立派な時事川柳であり、その当時の日本の社会の一端を捉えていて、なおかつ、減反政策が進むみ、今までの努力、過去の人生が報われないと感じるときのやるせなさをしっかりと感じさせる。
 恋愛も政治家の不正も、人間がある限り普遍的の出来事であり、普遍のテーマだ。何を言っても柳多留の焼き直しになるから書く必要はないかといえば、そうではない。たとえ新しくなくても、表現者にとって表現したいものであれば書けばいい。鑑賞者が「またか」と言っても、書けばいい。吉本ばななさんの初期の本で、彼女はあとがきにこのような内容のことを書いていたように思う。「私は同じことばかり書いている。それが言いたい限り、作品の形は変わろうと、私はそれを書き続ける。」もう、何年も前に読んで、その本は実家にあるため、正確な彼女の言葉で書けないことが残念だ。だが、私はこれを読んだとき、我が意を得たりと、勇気づけられた。誰の評価がどうであろうと、自分の表現したいことを書き続けるしかない。また、自分の興味考え気持ちが変わったら、昔の方が良かったと誰に言われても、その時の自分の欲求に従って書くしかない。それが普遍的で手垢にまみれたことであっても、時代の先端過ぎたとしても。


5)「今、ここ、私(私たち)」

 昭和を代表する食品とは、というアンケートの結果をテレビで報じていた。ダントツはインスタントラーメンだそうだ。でも、だからといって私たちは「インスタントラーメン」以外は題材にしてはならないということはない。二位や三位もっと下位のものであっても、いや、ランキングに出てこなくても、自分が想うものを書けばいい。「カレーライス」でも、「ハンバーガー」でも自分が書きたいものを書けばいい。たとえ、鑑賞者に与えるインパクトが薄くても、自分が書きたいもの、表現したいことを書く。
 自分を見失ってはいけない。相手が望むものを提供するのがプロで自分が書きたいことを書くのが素人だというのは、極端な意見だ。ペイする人が要求するものを満たしつつも、自分の中にある想いを表現していくのがプロだと、私は言いたい。そんなプロなら私は望むが、もし、「そうではない。自分なんてものは抹殺して、観客の奴隷となるのがプロだ」とおっしゃる方があれば、敢えて私は言う。誇り高い素人たれと。
 他者の批評に縛られてはいけない。他者の要求に踊らされてはいけない。私は、他人の評価が気になる。自分の作品を誉められれば嬉しいし、けなされれば悲しい。それは、自分の中にある或る真実の想いを、私の肉体の一部と言ってもいいものを、作品の核に埋め込んであるからだ。だからこそ嬉しいし、悲しい。しかし、それに縛られて、誉められなければ価値がない、作らない、と、誉められるものばかりを追い求めていくのは、創作表現を試みる人たちを、恐ろしい落とし穴へ誘う。いずれ自分を見失い、何のために作るのか、何のために生きているのか、それすら分からなくなるだろう。人の評価がどうであれ、今の自分はそれ以上でもなくそれ以下でもない。驕ることなく卑下することなく、他者の過大評価も過小評価も、それに一喜一憂しないよう、いつも自分を戒める。逆説めいて聞こえるだろうが、影響を受けやすく揺れやすい私であるからこそ、戒める必要があると言うところが残念であり、かつ、人間くさくて川柳を書くのに向いているなと喜ばしいところなのだ。
 この文章も、今現在、この日本で川柳を創るものとしての私に思うところがあって書いている。この川柳私感を読んで、私と意を別にする人もいらっしゃるだろうし、私の不勉強、無知をさらけ出しているであろうと思う。しかし、私は書きたかったし、これが今ここにいる私の想いの一部である真実に違いなく、太田とねりとはこの程度のものかと言われれば、驕りでもなく卑下でもなく、「はい、そうです。」と答えるつもりだ。実作者にとっての「批評」とは、そのとき、なるほどと得心がいけば取り入れられるものだけを取り入れるものだ。こつこつと自分の道を歩み続ける日々に於いて、自分の知識と技量と心の状態がタイミングよくその批評と出会えたときだけ訪れるボーナスのようなものだ。そのときは、その偶然と縁に感謝して、自然と批評から得たものが身に付いていくのである。競争社会の現代、狂ったように向上したがり勝ちたがる焦りを疑い、深呼吸して、自分が楽しめ得心がいく作品を創ることに立ち返りたい。
 私は今、自分の足下に転がっている摂食障害をモチーフとして、様々な想いを表現している。摂食障害とは、近代西洋資本主義のなかで、経済の成熟と同曲線を描いて欧米で始まり、日本や韓国に現れ、いま東南アジアに現れ始めている症状で、経済成熟と価値観の変遷、少子化社会、勝者を求め続ける資本主義、そして女性の価値意識などの産物だ。今現在日本に生きている私は、自分の足下を見続けることで、結果的に時代や社会を表現する一端を担っているのだと思っている。一端以上はあり得ず、一端に過ぎないけれど、一端で充分だと感じている。
 川柳を創る私は「今、ここ、私(私たち)」を立脚地とし、常にそこへ立ち返りながら日々を暮らし創作を続けたいと願っている。多分、画家も映像作家も陶芸家も写真家も音楽家も役者も小説家もそして、短詩文芸を含む詩人も、そう願っている人がいるだろうと思いながら、ここで筆を置く。これが、今の私の川柳観である。





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