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ゴーオンジャーって、どうですか? 私自身、子どもの頃色々なテレビを観て育った世代です。と言っても、43歳。特に小さい頃見た番組、思い出す順に適当に書くと、(正式名称じゃないかも……(^^;) )ひみつのアッコちゃん、魔法使いサリーちゃん、アタックナンバーワン、妖怪人間ベムげげげの鬼太郎タイガーマスク仮面ライダーウルトラマンゲバゲバ90分八時だよ全員集合ミツバチハッチ一休さん、ムーミン、コナン、ルパン三世、サザエさん、天才バカボン、巨人の星、中学生の時は、ガンダム……などなど。 いやはや、すぐには思い出せないけれど、もっともっと、いっぱい見て、楽しかった記憶がある。 で、その当時から、「テレビを観てると馬鹿になる」って大人達がいうけれど、例えばドリフターズとか、PTAなんかが眉をひそめるようなものほど、「結構良いんだよ、分かって無いなぁ。」って、思ってた。 なので、ウルトラマンとか、仮面ライダーとか、その手のものも、どちらかと言えば、積極的にOKじゃん~♪、と思っていたんだけど……。 もう、何年も前、現在中学2年生になる甥っ子がまだ小学生低学年くらいの時、夏休み映画として、仮面ライダーのシリーズを観に連れて行って、正直びっくりした。 もう、混沌として、ライダー同士が殺し合い、誰を信じて良いのか分からないような、世紀末、荒廃思想みたいな感じで、何を子どもに伝えたいのか、さっぱり分からないまま、ものすごく、後味悪い気分で映画館を後にして、時代が変わったのか、コレなら、子どもに見せたくないし、何よりも、自分が気分悪いから見たくない……と思ってしまった。 さてさて、時は流れて、我が子がそう言うのに目覚める時期。今、保育所では、ゴーオンジャーがすごく流行っているらしい。 自分ではテレビなどでは一度も観たこともないゴーオンジャー。でも、お友達が好きで、次々とそれに感化されて、仲のいい子たちが、ゴーオンジャーのキャラクターが付いたTシャツを着てくるし、それを見て、他の子たちがうらやましがるので、うちの息子も憧れるらしい。 いつのまにか、お友達が歌うゴーオンジャーの曲などを聞き覚えて、ワクワクして歌っている。そして、ゴーオンジャーの銃のようなおもちゃが欲しくなって来たらしい。 私は、元々容認派だったけれど、先の仮面ライダー映画のあたりから、本当に、子どもにも、大人にも、有害なんじゃないかとマジに思い始めた。と同時に、確か、子どもの頃、ドリフターズなどを見て、眉をひそめるオバチャンを、あざ笑っていた感覚も覚えているのので、完全に禁止っぽくするのも、憚られ、息子に見せるかどうか、迷うところ。 それで、とうとう、親の好みとしては、かなり気が進まないけれど、まぁ、解禁しようか、と、毎週日曜日の朝の、ゴーオンジャー放映を録画セットしたのだけど、子どもが、寝ているときに、試しに再生してひとりで見てみたら、 もう、見るに耐えなくて、不快で、途中で、こんなもの見ていたくないと、ゲンナリして再生中止。そして、録画も消去して、毎週録画予約のセットも解除してしまった。 そのときの放送回は、妹を痛めつけられた兄が、新しい力を手に入れるために、特訓するのだけど、そのときも、ナイーブな若者という設定なんだろうけれど、とんがっているとか、突っ張っているっていう表現のつもりだろうけれど、心配する仲間をうっとうしがって、蔑んだような言葉遣いだったり、殴ったりする。なんと短絡的な暴力。ナイーブな人間なら乱暴で暴力ふるっていいのかい?それがデリケートな人間だなんて勘違いして欲しくないよ。 悪役は、とにかく破壊したくて、ハンマーで「破壊・破壊」といいながら、無差別大量殺人や破壊をしたがる。やむにやまれぬ悲しみとかではなく、ただ、理不尽に。 最終的には、その悪役が倒されて、正義が勝つってストーリーなんだろうけれど、そこまで待てない。その最終へ行くまでの過程で、もう既に、私は観るに耐えないし、子どもに見させたくない。こんなものに、慣れてもらいたくないし、不感症になってもらいたくないし、………、私、神経質過ぎるのかも知れないけれど。クレヨンしんちゃんは、まだOK。やんちゃで下品な、でも口唇期からの子どもらしさ全開で、しんちゃんにそれほどの嫌悪は無いし、家族の姿として、そこそこ微笑ましい。でも、ゴーオンジャーや以前見た仮面ライダーなどの、この、登場人物のすさみ方、荒廃ぶりなどは、生理的にイヤだ。 私は、ひとつひとつが記憶に残らないような日々の耳に入った言葉や見たもの情景や映像などは、結構すごく大切だと思っている。ひとつひとつは記憶に残らなくても、それらが無意識に降り積もった層が、その人の土台となるものだと。 だから、例えば、保育士とか幼稚園教諭って、大人になったら、その先生が教えてくれたひとつひとつのことや場面は思い出せなくて、先生の名前や顔も忘れてしまっても、でも、そこで接して貰って受け取ったものの蓄積が、塊となって、その子どもの底流を埋め尽くすほどすごく影響するという、大変なで重要な仕事だと思っている。 それと同様に、テレビや本、親の日常会話など、さまざまな小さい物の積み重ねは、その子の生き方(ものの感じ方・受け取り方)を左右する、とても重要なことに繋がると感じている。すっきりとシンプルに、気持ちよく、水が流れるような素直さで、生きている姿を、毎日少しずつでも子どもの中に蓄積してやりたいと思っている。子ども向けでなく話題からずれちゃうけれど、「のだめ」がウケるのは、音楽的なこともあるけれど、それ以上に、基本的に、人間らしく、素直な人柄が気持ちいいんじゃないかな。あのなかでも、玉木君の暴力があるけど、それって、漫才のツッコミのようなもので、オチというか芸というかんじで、ゴーオンジャーなんかの、すさんだ暴力という感じはしないもの。そして、歓びだったり、感動だったり、「さぁ、楽しい音楽の時間です」とかいう、生きる上でも仕事をする上でも、琴線に触れるような本質を、さらっと提示してくれたりするよね。生きることに素直だもの。そこが、私を含めて、あんなにファンを掴んでいる一因じゃないかと思うんだ。話を戻すと、逆に、人間がすさむような欠片たちを、息子の中に、このくらいで目くじら立てなくても……なんて、OKにしたくない。9.11のグランドゼロや、広島の原爆ドームや、そういう物から、感じたり考えたりすることとは、訳が違う。悲しみの本質が違うもの。 べつに、ゴーオンジャーの銃のおもちゃとか、曲とかを与えて、友達のブームについていけるようにするのは、それほどイヤじゃないから、キャラクターのついたソーセージ買っても、歌のCD買ってもいいし、イベントの着ぐるみが頑張って勧善懲悪を演じるゴーオンジャーショーとかを見せるのだって、それほどすさまないならいいけれど、でも、あの番組は見てもらいたくない。テレビやDVD、映画って、細かく作り込めてしまうから、その分、情報量が多くて、有害なものは、かなりの量で、子どもの心に汚泥化する汚染度が高い気がする。 コレって、きっと、将来、ゲーム機を買うか、戦うシーンのあるゲームソフトを、他の子が持っていて欲しいというけど、買い与えるかどうか、って、そんなときにも、考えることなんだろうな。 きっと、正解は無い。親の好みとエゴで、良いんだと思う。 キャラクタ-Tシャツを買う羽目になったとしても、ゴーオンジャーのテレビは見せたくないって、多分、若いお母さんたちのお友達の中だと、うちの子、浮いちゃうんだろうなぁ。ま、仕方がない。あんたの母は、若くない。頑固で難儀な母を持って、大変だろうけれど、そういう環境に生まれてきたんだから、それはそれで、どーんと受け入れて、生きていってくれたまえ、宝良くん。せいぜい、お気張りやぁ~。 m(_ _)m
2008.09.17
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☆ 今日は、ちょっと嬉しいことがあったよ。 先日、何か話していた折りに、息子が、「はー君、宝良のこと嫌いなん」と言って、しょぼんとしていたことがある。そのときは、「どうして、はー君は宝良ちゃんのこと嫌いなの?」と訊いても、「分かんない」との返事で、それで会話は終わりだった。 で、昨日、耳鼻科へ行く車の中で、また今日の出来事など、とりとめもなく話していると、宝良)「はー君は、宝良のこと嫌いって」と言う。私) 「どうして、はー君は宝良ちゃんのこと嫌いなの?」宝良)「分からない」私) 「宝良ちゃん、何か、はー君がイヤがることをしたの?」宝良)「○君と、×君と、△君と、宝良と、悪いことする子だから」……………、 うーん、よくおしゃべりをするとは言え、まだ3歳になったばかり。どうも、保育所で時と場合をわきまえずに、先生に注意されたことと、はー君が「宝良、嫌い」と言うこととが混ざり合っての説明で、私には状況が分からない。でも、友達関係で嬉しかったり悲しかったり、色々な体験をするというのは、とても大事なことで、何よりの学びだなぁと思っているので、ありがたい環境にあるなと思いながら、私) 「はー君に嫌いって言われて、宝良ちゃん、寂しかったね」というと、宝良)「寂しくないもん。宝良、もう大きくなってお兄ちゃんだから、寂しくない」と。私) 「えーーー、そうなの?」私) 「ママは、宝良ちゃんが大好きだから、もし宝良ちゃんから嫌いって言われたら、とっても寂しいし、悲しいなぁ。 宝良ちゃんは、はー君のことが大好きでしょ。そしたら、嫌いって言われたら、寂しかったり悲しかったりするんじゃないかと、ママは思うよ」私がそう言うと、それにはすぐには返事しなかった宝良くん。 宝良くんは、0歳の4月から保育所へ通っていて、はー君は、1歳の4月から保育所へやってきた。お誕生日が10日しか違わなくて、1歳児クラスでは、言葉は上手くしゃべれなくても、本当にお互いのことが大好きで、顔を見合わせて笑い合い、はしゃぎ合い、特別に好きな存在になった初めてのお友達が、はー君。 それから、段々1歳児クラスにも新しいお友達も増え、2歳児クラスの今は、更に新しいお友達が増え、今では、多分20数名のクラスの中で、特別大好きなお友達が6.7人くらいは居るけれど、やっぱり、はー君はその筆頭にいて、宝良くんにとっては大事なお友達なんだ。 今では、クラスの仲のいい子たちにも、多くは弟や妹が出来ていて、ただでさえ、働く親の子どもたち。朝早くから、遅いお迎えの時間まで、我慢をいっぱいして日々を過ごしているけれど、更に、兄や姉の立場になって、親を独占できなかったり我慢したりすることが多くなっていて、たった、2歳や3歳でも、たくさんの葛藤や我慢や自律を受け入れて、子どもはどの子も、みんな精一杯生きて居るんだよなって、思わされる逞しさがある。 はー君にも妹が居て、1歳の頃は、いつもべったりだった宝良も、他のお友達と走り回って遊ぶことも多いし、色々な気持ちがその時々であると思う。宝良が、身勝手で、意地悪なことを言ったりしたりしてしまうことだってあるだろうし。 だから、「宝良、嫌い」という言葉だって、出ることもあるだろうと思う。もっと小さい頃から、仲がいいので、すぐくっつく分、何度もケンカする二人だし。 先日も、ぽつんと、私に「はー君、宝良のこと嫌いなんだって」と寂しそうに言った息子。私に言うってことは、きっと、いつものケンカとは違って、堪えていたんだと思う。そして、また、日を置いて、「はー君、宝良のこと嫌いなんだって」と少しショボーンと言うのと、「寂しくないもん、もう(3歳)大きくなって、(0歳児・1歳児と下に2クラスある立場の保育所では)お兄ちゃんだから、宝良寂しくないもん」と、自分の感情と裏腹の言葉を口にすることが、ちょっと気になった私。「ねぇ、宝良くん。明日保育所へ行ったら、はー君に、『はー君は、宝良のこと嫌いかもしれないけれど、宝良は、はー君のことが、大好きだから、はー君に嫌いって言われたら、寂しくて辛いんだ。だから、はー君に仲良くして欲しいよ』って言ってみたらどうかなぁ」と提案してみた。そしたら、少し考えて、「宝良、大きくなったけど、でも、まだ、それは、よう言わん(頑張っても言えない)」と。「そうか。そうなんだ。 怖いし、勇気が要るよね。言えないか。でも、宝良ちゃん、ママ応援してるから、頑張れって、ママの元気を宝良ちゃんにあげるから、頑張って、はー君に、『宝良ちゃんははー君大好きだから、仲良くしたい』って言えるといいね」なんて、車の中で話しながら、耳鼻科へ向かったのでした。 昨日は、その後も、ときどき会話の中で、はー君に気持ちを言葉で伝えられたらいいねってことを話題にしてたら、「ママ、宝良が頑張って言えたら、拍手してくれる?」とか言うの。多分、保育所でも、何か頑張ったりできたりしたお友達に、みんなで拍手をしようねなんてことを体験してきているのだと思う。「もちろんだよ。いっぱい拍手して、いっぱい喜んで、抱っこしてハグハグして、いっぱいいっしょに よく頑張ったねって万歳しちゃうよ」なんて私も返事して。 そしたらね、今日夕飯の時に、その話題になって、宝良)「『嫌いでも好き』って言った。」私) 「おおおーーーーー、偉いね! 凄いよ。頑張ったね。」私) 「『はー君が宝良を嫌いでも、宝良ははー君が好きだよ』って言えたの?」宝良)「うん。」私) 「はー君、何て言ってた?」宝良)「『いいよ』って。」私) 「わーーーー、よかったね! すごいよ。すごいよ。頑張って言えて偉かったね」いやぁ、本当に嬉しかったです。 (T_T)&(*^_^*) 私。人を責めるのでもなく、傷つくのが怖くて黙り込むのでもなく、私を主語とした「Iメッセージ」の手法で話ができるコミュニケーション力がある人に育って貰いたいって、それは、かなり大きく願っているのです。人の中で素直に気持ちよく生きていける力だと。だから、本当に「凄く頑張ったし、偉かったなぁ」と、親バカながら、嬉しくて、いっぱい拍手して、ハグして、万歳して、何度も何度も、「ママは宝良くんの勇気が嬉しいよぉ~」と言葉にして伝えて、誉めて喜ぶ姿を見せまくりました。きっと、英語圏でだったら、「I'm proud of you!!!!!」(英語苦手なので、間違ってるかも。でも、日本語でいっぱい言葉並べるより、こんな嬉しい感じかなって思って…(*^_^*))まぁ、つまり、「ママは、めっちゃ嬉しい」ってことです。 保育所、ありがとう。はー君の存在も、とってもありがとう。そして、宝良くん、ありがとう~。
2008.09.11
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あーあ、疲れたよ。今日は、2回目の第九練習日でした。 今日は、何だか疲れました。 子どもをお迎えに行って、咳と洟垂れのため、耳鼻科へ。帰宅してすぐに、公文の宿題をいっしょにして、夕飯を食べさせているところへ、夫帰宅。 私が、第九の練習へ行く日なので、頑張って(かなり無理をして)18時目標に帰ってきてくれたけれど、やっぱり、そうきっちりの時間には帰れない。 宝良くんをバトンタッチして、急いで練習へ(18:45~20:45)。遅刻してしまいました。 第九の練習参加、2回目。前回の指導が、嬉しいことにファンの先生が代役だったので、今回初めて、本来の指導担当の先生だった。 まず、声を出す前に40分以上の、体ほぐしと、息の練習。 この時点で、私はもうへたばりました。当然のことです。これまで何年もまともな練習してこなかったんですから。本来、歌うたいは、アスリートですから、練習しなくなって、体が鈍りきっていると、しんどくて当たり前。 そうだねぇ、学生のころは、毎日、練習の始まりに、発声練習の前、ジャージで腹筋とか30分くらいしてたことも、あったなぁ。と、遠い目。懐かしいやら、ヘトヘトやら……。 発声練習で声を出し始める時点で、正直、「もう、今日の練習終わり、帰宅です」って気分でした。 ふぅ~。 で、初めてお世話になる指導担当の先生。 いいです。とっても。 すんごーーーーーーーーく、「熱い」です!熱くて、面白くて、情熱がどんどん伝播してきます。 ホールのリハーサル室が練習会場で、エアコンも適切に効いていて、練習会場としては、かなり条件のいいところなのに、肩からかけたタオルで、肩から頭から、汗をぬぐうほどの、指導でした。 楽しかったです。私が、若くてアスリートな歌うたいであれたら、つまり、楽しむ余裕がある状態なら、先生、だいすき~って、ファンになって、その先生が指導をもっている合唱団とかに参加したくなっちゃうだろうなぁ………と思いました。(でも現実は、疲れて遠い目) ひとつひとつの歌詞と音程の意味、思いの乗せ方、第九の真骨頂とも言える、本当の意味で全ての人に平等に、共に喜ぼうとする、フーガへの思い、美しさへの感動、そんなことを、熱く熱く語りながらの指導でした。 しかし、私は、練習が終わったときには疲れ果て、チケットのノルマ分を受け取ることとか、トイレに寄ってから帰ろうとか、……、すべてのことに、無気力になって、もういい、取り敢えず、今日は帰ろう………、とヘロヘロ。駐車場から車を出すためのチケットさえ、ぼーーーーっと精算しいていて、受け取り忘れる始末。 で、帰宅してみると、夫は、テレビで野球中継を見ていて、子どもは、おもちゃをすごーーーく散らかして、なによりも、21:30なのに、パジャマを着ていない。(お風呂に入れていない!) 先週も、おもちゃは散らばっていたけれど、お風呂は済ませてくれていたので、安心してたのに。夫ーーーーーー、何してるの (-_-)。 と、本心では思いつつも、でも、私の個人的な楽しみのために協力して貰っているのが大前提にあるので、怒るのはお門違いだろうと、自分をたしなめ、すごく不機嫌な顔で(表情で)、「ありがとう。すみません。おせわかけまして。どうも。」とか、立て続けに、感じ悪い感謝の言葉を羅列。 むっちゃ、不機嫌な音をバンバン立てながら、おもちゃを片付けて、布団を敷いて、パジャマを着せた。 うちでは、イヤイヤ期を完全には脱していない宝良くんの操縦方法として、逆のことを言うことで、親の意向に添って貰うという手を結構使う。そのひとつに、「早寝・早起き・朝ご飯」が上手く進むよう、まだトミカとかで遊びたい宝良くんに対して、それを中断してお風呂に早く入って欲しいときに、「いっぱい好きなだけトミカで遊んでいて良いからね。でも、どんなに遅くても、絶対に10時(22時)には寝なくちゃいけないから、20:30までにお風呂にはいらないときは、今日はお風呂はナシだよ。寝るの遅くなっちゃうからね。お風呂、入りたくても、ダメだからね。明日、朝、起きてから入るようにしようね。だから、もしお風呂に入りたかったら、20:30までには、お風呂に入りたいって教えてね。それまで、ずっといっぱい、好きなだけ、遊んでいて良いよぉ~。」と言っておいて、お風呂の準備ができたときに、「あっ、もう20:30が来ちゃう。急がなきゃ。宝良くん、遊んでていいからね~。今日は、宝良くんお風呂ナシでいいんでしょ。じゃ、パパとママだけ、お風呂で遊んでこよう~。じゃあね」というと、「いや! 宝良も入るっ(怒) 」って、さっさと自分でお風呂へ突進していく訳です。 なのに、夫ったら、自分が野球中継見たいものだから、そのままにしておいて、「宝良、お風呂、明日起きてから、朝、入るねっ」て、子どもに本気でそんなふうに言わせてどうするよ(怒)。 ばかじゃねーーーーの!本気で、朝でいいわけ、ないじゃん。今日だって、日中30度越えて、汗だくで保育所で遊んできてるんだよ。そう言っておいて、お風呂で自分だけ楽しいことしようかなぁ~っとかいって、子どもを誘って、その気にさせるための方便でしょうが!夫、何考えてんだよ。 と、思ったけれど、言わなかった。好きなことさせて貰って、ありがたいって思えよ。という前提があったので。 でもでもでもでも、それも、むかつくんだよね。 以前から、「夫の育児への協力」という言葉が、私は大嫌い。「協力してくれる」って、いうと、そもそも、妻に主で育児をする責任と義務があって、なのに、夫が優しさから、余分にちょっとは手伝ってくれて、ありがとうございます、って、スタンスが、ものすごくイヤ。 ふざけるなって、思うの。 企業の体質とか、ジェンダーの問題で、「能力の差以上に、男の方がやってる仕事の割りに、女性よりしんどさの比較から考えて、楽に稼げる金額が多い」その社会のひずみのせいで、「労働力(能力) 対 稼ぎ」の比率が効率的だから、便宜上、夫が育児義務を免除されて、方便で銭稼ぎの仕事にかまけているって現実あるよ、それは分かってる。でも、基本的に、夫婦の子どもなんだよ、君にも、同じだけの、育児の義務とその歓びを享受する権利があるんだよ、男どもよ! と、常々、実は、思っている私。まぁ、面倒なので、普段は、いちいち大声は張り上げないし、旗を振って歩くこともしないけど。でも、黙ってはいるけれど、私の育児に対する夫婦の立ち位置は、常に(無言で)このスタンスなのです。それが受け入れられない頭の悪い男性は、私の夫としては、不合格。逆に、男らしさの病についてなど、ちゃんと本を読んでみたりして、理解できる人だから、うちの旦那様は、本当のところ、私なんかより、ずっと頭がいい。柔軟だし、賢い人だと思う。ま、いいけど。 なので、「第九の練習に行かせていただいたわたくしめが、そもそも身分を逸脱しておりますのに、それを寛大にお許し下さっている夫に、これ以上を求めることなぞ、申し訳ないのでございます。」なんて、思えない。 ただ、それ以前に、基本は、やはり、感謝しあって暮らしたい。誰だって、常に完璧な訳じゃないのだから、責めあって暮らすのはイヤだな、と思う。だから、今日の夫に不満な点があっても、夫に文句を言う気にはならない。 そこで、宝良くんに不利益を被ってもらったわけです。宝良くんには今後も、お風呂へ誘うときのストーリーを信じていて貰いたいので、ここで無理矢理お風呂へ入れて、22時すぎてもいいのだという例外を作りたくなく、はぁーーー、と思いつつも、本日入浴させずに、パジャマを着せて、無理矢理寝かしつけ。気持ち悪いだろうな。汗疹になるかも………。ごめんよ、宝良くん。 やっぱり、寝息を立て始めたのは、22時を過ぎてしまった。 添い寝から、寝息を確認して、おもむろに立ち上がり、保育所から持ち帰った荷物の整理。お漏らしズボンやパンツを含め、洗濯。翌日の保育所持ち物準備。洗濯物干して、保育所のノートを書いて、明日の朝食の準備をして、 そして、今。 あーーーーあ、今日は、何だか、疲れた練習日でした。 ま、こんな日もあるさ。 明日はまた、楽しく過ごそう。 (^_-)
2008.09.10
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☆ 9月5日。宝良くん、3歳のお誕生日でした。 この日、たまたま公文の「音読発表会」というイベントに重なりました。いつもは、保育所から帰っての時間に通っているのだけど、今回は、年齢別に3回に時間が区切られていて、一番小さい子~小学校3年生までの子のグループ(16:00~17:00)だったので、保育所へ15:30くらいには迎えに行かなければなりません。 更に、夫が通常の勤務ではなく、仕事が絡んだゴルフの日で、私が通院の予約日でした。 そして、実家の両親は沖縄旅行最終日で、夕方の飛行機でやっと戻ってくるとのこと。 仕方ない、自分たちで何とかしなくっちゃ。 というわけで、夫が半日のラウンドで早引けして帰ってくれることに。帰宅後、予約して置いたケーキ(トーマスのチョコレートプレートにメッセージが書いてあるもの)を受け取りにいって、冷蔵庫に入れてから、宝良くんを保育所へお迎え。 今日はせっかくの誕生日。うちの保育所は、朝、出席のシールを貼る場所に、当日お誕生日を迎えた子どもの紹介が、顔写真入りでされていて、みんな、今日は誰の誕生日か、分かるようになっています。なので、写真を見て分かってくれる人なら、お友達や、色々な先生方や、他のご父兄方から、いっぱい、「おめでとう~」って声をかけて貰えるのです。 自分の存在をみんなが祝ってくれる体験。それは、やっぱり人格形成に大きな意味を持つと思うのですよ。ありがたいことなので、今日は、スケジュール的にちょっと無理をしても、そのためだけに、どうしても、保育所には行かせてやりたかったの。 というわけで、無理矢理、保育所へ出席して、「おたんじょうびおめでとう」という「ぐりとぐら」のお祝い絵本をもらって帰りました。3歳。ああ、育ってくれて、ありがとう~だね。 夫が保育所へ迎えに行ってくれている頃に、私が病院から戻り、荷物を玄関に置いて、すぐに、宝良くんの三輪車で公文の教室へ。(宝良くんは、他のお兄ちゃんたちが自転車でやってくるように、自分の三輪車で教室へ通うことに、こだわっているんです。) うちの子は、ゆるゆると継続体験第一主義~なので、文字を読めるわけではありません。なので、公文の音読会では、大きな声が出せればOKと、乗り物カードの絵を見て、乗り物名を言うというのを披露しました。ええ、ええ。 もちろん、練習なんて要りません。乗り物オタクですから。わはは。 音読会では、小学生のお姉さんが、「あっ、宝良くんだ。」と声をかけてくれました。0歳で保育所に入ったときに年長さんで、居残りのときなど、よく相手をしてくれたそうです。近所の公文なので、これまでにも、何度か、「保育所で遊んであげていたんだよぉ~」と、嬉しそうに声をかけてくれる子たちがいて、当然、0歳のときのことなど宝良くんは覚えていないのだけど、私はとてもそれが嬉しくてありがたいなぁと思うのです。この、保育所で培った、宝良くんをかわいいと思ってくれるお兄ちゃんお姉ちゃんお友達と、宝良くんが年長などになったとき、かわいいと思ってお世話して上げるであろう小さい子たちと、そのご父兄たちが、その何割か多数がずっと持ち上がっていく地域の小学校というのが、一人っ子の宝良くんには、本当に財産だなぁと思う。 話が逸れたけど、公文の音読会は、無事終了。最後にクイズをして、文房具やお菓子などの景品をもらって帰りました。 さて、公文から戻り、三輪車を片付けて、ケーキとベネッセから届いたお祝い絵本を持って、私の実家へGO! 我が家から車で15分程度です。ちょうど、途中で電話がかかって、無事沖縄から帰宅しましたから~って。 祖父(私の父)75歳、 祖母(私の母)73歳。沖縄旅行から帰ったその日の夜に、お誕生日お祝いで出かけるのは、疲れているだろうけれど、シャワーを浴びて、ヨイショっと一緒にお出かけしました。大年寄り86歳は、脚が痛いのでお留守番で待っていてくれました。 私の希望で、ショッピングセンター内のレストラン街に。 お食事の値段は安めだけど、その分、食後にそのショッピングセンター内のおもちゃ屋さんで、自分で欲しいものを選ばせて、その場で、プレゼントを買ってやってほしいというリクエストなのです。 私たちのお誕生日プレゼントは、事前にナイショで購入して用意して置いた、トミカの「やまみちドライブ」と「高速道路にぎやかドライブ」。 日々の子どもの様子を見て、何に一番食いつくか(喜ぶか)想像が付くので、これは家でずっと遊ぶおもちゃとしては、正解。 なんだけど、それ以外に、おもちゃ屋さんにある、目移りするほど、目がクラクラしそうなほどの、たくさんのおもちゃ達から、自分なりに迷って考えて、「よし、これだ、コレが欲しい」って思ったものを、その場で、「おー、ヨシヨシ。これが欲しいの? うん、じゃぁ買って上げるね」という、甘えが、ばーーーーんと満たされる、「自己存在の圧倒的な受け入れられ体験」って、一年に1回くらい、派手にあってもいいんじゃないかなぁって。その役柄を、祖父母にやってもらいたくて、こういうお願いになりました。 自然食レストランに入って、3歳まで無料とのことで、祝ってもらう本人は、周囲が心配するほどすごくいっぱい食べたのに無料。 その後、おもちゃ屋さんへ。 案の定、トミカの並んでいるコーナーで、選びきれない様子。が、食いついている、食いついている。 そのうち、棚を両手で ぐわしっと掴んで、体がブルブルっとふるえたらしい。 数回。 じいちゃんが心配になって、「おい、体が震えたぞ。てんかんとか大丈夫か?」 と。 それでも、棚から離れません。私は、ジジババに宝良くんをお任せして、他のおもちゃを物色して回っていました。 しばらくして、じいちゃん、顔をしかめて、宝良くん、ウンチの匂いがすると報告に。 ええ、先ほどのレストランで、すーーんごく食べたので、腸が活発になったのでしょう。しかし、好きなトミカの大物を1点何でも買って貰えるという、あまりの興奮に、ウンチしても申告もなく、棚にしがみついていたというわけです。 オムツ替えコーナーへGO。ブログで、母子手帳のチェック欄に、おしっこがトイレで出来るかどうかのチェックが4歳で、ウンチがトイレで出来るかどうかのチェックが5歳のページにあると読み、母子手帳を見てみたら、何だか、トイレトレーニングに対して、すごく気が楽になった母(私)。何の焦りもなく、おむつ交換。 で仕切り直し、またおもちゃ屋さんへ。結局、30%OFF!トミカハイパーレスキュー「ビッグキャリアカー」【08/02hK】に決めた模様。 私たちからのプレゼントに、「やまみちドライブ」と「高速道路にぎやかドライブ」が貰えるってことは、本人事前に知っていたので、重複せず、自分のミニカーを載せたいと以前から欲しがっていた「ビッグキャリアカー」にしたみたい。これがハイパーレスキューシリーズだってことには、触れないでおこう。(^^;) そして、帰宅後、大年寄りも交えて、トーマスのバースデーケーキを前に、みんなで、ベネッセから来た絵本(録音機能付き)に録音すべく、ハピーバースデートゥーユー♪を歌う。 写真を撮って、ロウソク3本吹き消して、ケーキを食べて歌って、……、宝良くん、いきなり「もう帰るー」と言い出した。 よくよく聞いてみると、今買ってもらったプレゼント「ビッグキャリアカー」を開けて早く遊びたいらしい。 でも、もう21時だよ。実家の老人3人に、ガガガーーーーッとハグして回って、機嫌良く帰り支度をする宝良くん。 バイバイって最後の挨拶をしていたら、おばあちゃん(私の母)が、「もう遅いから、帰ってもおもちゃは開けずに、今日はもう寝るんだよ。おもちゃを開けて遊ぶのは、明日起きてからね」と何気なく言った。途端に、えっ!? って、 目がまん丸になって、言葉を失って、固まった宝良くん。 あんなに、衝撃を受けた顔をするとは………、と、逆に、祖母の方が、びっくりしてた。 帰りの車中でも、「どうしておばあちゃまはあんなこと言うの?」「どうして?」と、すごく辛そうな顔をして、何度も私に訊くので、「帰ってから遊び始めると、寝るのが22時過ぎちゃうでしょ。宝良くんが疲れてかわいそうだろうから、今日はやめておいて、寝ようねって、言ってくれたんだよ。」と説明はしたものの、それですんなり納得するはずもなく……。 まぁ、結局、「やまみちドライブ」と「高速道路にぎやかドライブ」はまだ見せずに、先ほど買ってもらって、今目の前に現物がある「ビッグキャリアカー」だけ開けて、所有するミニカーを載せて遊んで、24時前に寝ました。 翌日の土曜日に、「やまみちドライブ」を私がおめでとうと渡して組み立て、ひとしきり遊んでから、次に、土曜出勤から帰宅した夫が、「高速道路にぎやかドライブ」をおめでとうと渡して組み立てて、「やまみちドライブ」にジョイント。 この2日間、本当に楽しそうで、ウキウキしている宝良くん。 お誕生日って、楽しいね、幸せだね。家族中が嬉しいね。って話しながら、添い寝で就寝しました。 明日は、家族写真を撮りに行きます。(*^_^*) ちなみに、今日の、プレゼントの「やまみちドライブと高速道路」をもらって、繋げて遊んでいるときの宝良くん。BGMは、自分で歌ってました。 トミカのCMソング。「やまみちドライブで ゴーゴーゴー。にぎやかドライブで びゅんびゅんびゅん。ふたぁーつ繋げて遊ぼうよ。ヘイッ。トミカ ドライブシリーズ♪」(歌詞間違ってたら、母の記憶力のせいです。ごめんなさい。今日も何度も、宝良くんに、歌詞が間違っているとダメだしされました。) どれだけ、トミカにヤラレテイルんだか。トミカ製品を買ったら無料で配られる宣伝DVDを見まくっていましたから、宝良くん、バッチリ歌えます。そうだ、この歌、今度また、ひとり世界に入り込んで歌って遊んでいるとき、動画撮っておこう。ふっふっふ♪ それにしても、トミカ、恐るべし。無料配布DVDの効果、絶大ですな (^_^;) 。
2008.09.05
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☆ 昨日、初めての第九練習に参加してきました。 この合唱団は、初めは「3000人の第九」とか言って、行政のイベントで、大々的に地域を巻き込んでというものだったようで、20年余り続いて今年を迎えています。 実は、私の短大の先生が1回目のときのソリストのひとりだったため、教養のひとつとして1度くらい聴いておいてもいいだろうと、短大の音楽通論の授業で、そのときのビデオを視聴覚室で(強制的に)見せてくれるのです。ははは。でも、私、何度も休学したせいで、その授業は3回履修したので、結局3回も見ちゃったのよ。 20余り前のビデオだから、先生も若い。 それにしても、丁度、私が第九の合唱団にはもう実力不足で上れないなぁと、不参加と思いこみ始めた頃にスタートした企画なので、私が、吹っ切れて、「もう、他人様のために生きるのはやめよう、人には充分尽くした。これからは自分の人生を楽しんで生きればいいんだよね」と思えるようになった今年まで、ご縁がありませんでした。 やっと、ご縁が出来た今年。この第九だけの合唱団も、20数年の変遷を経て、マンネリ(目新しさがない)だからか、参加者も減り、300人目標で、現在120名しか居ない模様。行政の文化祭などに加えられることもなく、どこからも、資金の援助もない状態で、大変苦労しての、実行委員の方たちの悲壮な思いで、今年の実現を迎えているようでした。 しかし、その分、本当に第九に、涙するほど感じ入っていて、参加している人たちなのかなと感じ、私を含め、素人集団なので、本当にこれで本番を迎えられるのか? と思わせる力量でしたが、それでも、私は、とてもこの人たちを好きだ と思いました。 私の母校の高校は、吹奏楽部とオーケストラ部と合唱部もあって、創立110年イベントの時をきっかけに、近年、大々的に卒業生などを含めて、第九の演奏をするようになっています。 私は当時、合唱部と文芸部と手芸部の掛け持ちでした。が、先生とケンカして、合唱部を途中退部してしまった生徒でした。 今回の第九の練習に参加してみたら、母校の合唱部からも一般の活動に参加している子たちがけっこういて、ちょっとだけ合唱部OBとして、何だか嬉しかった。 高校生という若い時代に、第九の「苦悩を見つめ続けた末に、喜ぶことへ辿り着いたベートーベンが、シラーの詩に曲を付け、すべての音に意味を感じて、人生を歌う」ことを、感じて受け止めて、味わっているんだなぁと思うと、ね。 前回の、ことぶっきぃさんが下さったコメントのお返事にも書いたけれど、(ちょっと、コピーしますね (^^;) ) 若かった頃、苦悩から歓びへと感じながら歌うことを、当時の団の合唱指導の先生から教わって、練習中に感じ入って泣きそうになったことがあるんです。シラーの詩に、曲の全ての音ひとつひとつが呼応して、すべてに意味があるのですよと。(例えば、Kusse gab sie ~ Cherub sueht vor Gott.のところ、苦しみ続けて、そしてその苦しみの中から、喜ぶことへ答えを見つけて、この曲を作ったベートーヴェンが、辿り着いたところに、vor Gottで転調があって、ほら、ついに、天使が神の御前に立った。天使が降りてきてくれたようなのが転調で感じられるでしょっ て。) それでも、「それを出来なかった人は、この集いから泣きながら立ち去れ!」という、自分に突きつけた厳しさもね。 それから、331小節からの男声合唱のところも、大好きです。 オケの、ファゴット(バスーン)やコントラファゴット、大太鼓なんかが、ボーンボーンと入って………、私の中では、勝手に、その音たちを、胎児の初めての鼓動が鳴りだしたときのように感じるんですよ。命の始まり、奇跡の始まりの音に。で、段々幼児や子どものいきいきとした足取りになって、それが、たくましい青年の意気揚々とした歩みになって、そして、人生に嵐の時期が訪れて、苦しい時期をも必死に生き抜いて、そしたら、543小節~の、人生を喜ぶ心境に辿り着いて、Freude~に繋がっていく。ああ、人生をありがとう、命をありがとう、生きていること生かされていることに、ありがとう、と。 ここを聴く度に、人生賛歌だぁ~と、染み入ってくる。 あとね、ソリストがソプラノから順にかぶさっていくところ。だーーーい好き。もう、ソリストの声にうっとりです。 生で演奏会を聴きに行ったり、自分が後ろで合唱団の一人として歌っているときに、ソリストのあまりの美しい声に、本当にうわぁっと鳥肌が立ったことが、何度もあります。だーーーーーい好きっ、ですぅ。 第九、オタッキー話で、スミマセン。 おまけの話。この合唱団は、県下4カ所で練習が行われていて、最後の方に合同練習が何回かあって、応援の合唱団の方たちと合流しての本番当日となるようなのです。 で、地域で音楽のプロとして活動されている方々が、各会場の指導を担当されているのですが、私が初めて参加させていただいた会場の本来の指導者が今回はお休みだったのか、代理で他の会場で主に指導されている先生が昨日は来られていました。 ラッキーーーー。その先生、テノールの方で、地元の二期会のオペラなど演奏会でよく拝見している方でした。実は実は、十数年前に、多分何かの連絡事項があったのでしょうか(忘れたけれど)、そのついでに、ファンレター部分を書き加えてお手紙を送ったことがあるくらい、ファンなんです、私。(*^_^*)その人が、代理で指導に来てました。 キャー。 ステージの上で役を演じて歌っている、歌い手としての声が好きで、ファンだったんですけど。(それはそれは、柔らかいテノールなんですよぉ) 当然、ステージの上の人ですから、素のお人柄などは存じ上げなかったんですが、今回、指導者として目の前にいらして、素のお人柄も、とても気さくで、シャイで、面白くて、……。きゃー、更にファンになってしまいました。わーい。 多分、代理でこの会場の練習に来てくださっているだけなので、今後の練習でお見かけすることは、無いんだろうけど。1回目に、予想外のおまけな喜びでした。 (*^_^*)(*^_^*)合同練習や本番でまたお見かけしたら嬉しいなぁ。ワクワク。 今回本番のソリストも、私の大好きな方が来られます。オケも、プロオケを招いてなんです。なので、今年行政の支援や助成金が無くなっているなんて、思いませんでした。オケもソリストも、私が参加させてもらうには、豪華です。 その分、チケット販売や広告、チラシ配りやポスター貼りについて、実行委員の方々の話は、悲壮感がいっぱいで、ちょっと、びっくりでしたが。 でも、今年、そんな中でご縁をいただいたこと。感謝して、楽しんで頑張ってきたいと思います。 基本練習が平日の夜なので、昨日は、夫に無理を言って、早めに仕事を切り上げて帰ってきてもらいました。息子は、私が何をしに出かけるのか、分かってはいないと思うのですが、「ママ、行ってらっしゃい」といって送り出してくれました。 別に何も約束などしていなかったけれど、帰りにクッキーを買って帰りました。21:30過ぎに帰宅したらすぐに、パジャマの宝良くんが玄関へ来て、「ママ、おかえり~。」「ママ、だーーーい好き。」って。 ひゃー、ありがとう。ママも大好きだよって気持ちになりました。 (^o^) パパはもう疲れたって感じで、トミカのミニカーが散乱した部屋の横に布団を敷いて寝ていましたが、「ママ、何か買ってきた?」と宝良くんが言うので、「お菓子買ってきたよ」と答えると、向こうから寝転がったまま、夫が、「もういいよ。いっぱい食べたよ。ご飯の後に、お菓子もいっぱい、アンパンマンのチョコレートもいっぱい食べたでしょ。もういいよ。もう、早く寝なさい!」と。 でも、お迎えに出てきてくれた宝良くんがあまりにかわいくて、そして、ありがとうねって気持ちが涌いてきて、口元に人差し指を立てて、シィーッてポーズをして、クッキーの袋を開けて、ひとつ宝良くんの口にポイっていれてあげました。私も、わざとらしく大げさに、同じクッキーをひとつ、大きな口をあけて、パクッて食べて、宝良くんとふたりで、目を合わせてにっこーーーって笑いました。 それから、急いで散らばっているトミカを片付けて、寝られるようにあれこれ準備して、電気を消して、ギリギリ22時前に、添い寝でお休みモードに入りました。宝良くんと、虫の音(CD)を聴きながら、就寝です。 仕事から急いで保育所へお迎えに行って、バタバタして夫に宝良くんをバトンタッチして、初練習に参加したので、やっぱりとても疲れました。 添い寝のまま、いつものように夜中に起き出しての保育所荷物準備が出来なくて、朝まで寝てしまって、朝慌ててゴソゴソと保育所の荷物準備をしました。 その物音で、宝良くんも目が覚めて、そのまま、楽しい朝の時間をちょっとだけ過ごしました。ああ、幸せだなぁ。 今日は、宝良くん2歳最後の日です。明日は3歳のお誕生日。お誕生日プレゼントも、無事用意できました。【タカラトミー】トミカ峠やまみちドライブと、それにくっつけることが出来る、【タカラトミー★トミカ】高速道路にぎやかドライブ こういうのを、「平凡でささやかな幸せ」と一般には表現するのでしょうけれど、私には、ちっとも「ささやかな」幸せとは思えず、もう、絶大な最高の幸せな日々ですね。 子ども置いて自分の趣味に出かけて、3歳前の子と22時に寝るなんて、全くもって、立派な母親じゃないけれど、幸せな母親です。えっへっへ。 (^_^)v
2008.09.04
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☆ 9月になりましたね。色々なところに書く日付、8月と書き込んでいたところに9と書くと、何だか、おおおーーーと思ってしまうね。 先日、急に思い立って、そうだ、第九の為だけに結成される、素人歓迎の俄作り合唱団を探そうとネットで検索してみた。そしたら、まだ今年の募集がかかっていて、8月31日まで応募できることが分かった。で、ギリギリで申し込んじゃったよ。ああ、20数年ぶりの第九。今となっては、あのソプラノの高さを歌えるとは思っていなかったのだけど、声楽の先生に相談してみたら、「そりゃ、本当に歌えるというレベルで言うなら、第九のソプラノはかなり難しいけれど、素人歓迎のイベントとしての第九だから、このステージで楽しむ分には、十分に参加OKだと思うよ」と言って下さったの。で、申し込んだのよぉ。駆け込みで。そして、日付は9月になった! 既に、7月から合唱団の練習は始まっているので、私は途中からの参加になるけれど、まぁ、8月31日まで受付するってことは、そこからの素人参加でも許される設定なんだって。 いきなり、歌って? 声楽の先生って? って思ったでしょ。 実は、仕事縮小の整理や入院などの見通しが分からなかった年度末だったので、この4月からの短大は、半年ではなく、1年間の休学願いを出して受理してもらっている。 また、来年の4月からは、学校と家庭とボチボチ仕事と…という生活になるので、何かやっておかなければならないことをするなら、又は、やれるなら、今年だなぁと思ってた。家の片付けとか…ね。 そしたら、35年来の親友、私のハンドルネーム「とねり」の本来の持ち主、「リアルとねり」のりかちゃんが、電話で話してるときに、「『苦手なこと・やるべきこと』をやろうとするんじゃなくて、『やりたいこと・うれしいこと』を楽しめば良いんだよ。(*^_^*)いつも、自分に苦しいノルマばかり課して、そんなにストイックに生きなくてもいいんだよ」と、すごく鋭いことをいうので、目から鱗が落ちたよ。 さすが、私の思考のパターンをよくご存じで。(^^;) そうだよね、せっかくの人生、せっかくの時間。 そう思ったら、子どもの頃からの趣味だった、歌をまたやりたくなって、 来年4月以降もずっと続けられるかどうかは、不明なので、個人の先生に師事するのは失礼だと憚られるから、3ヶ月ごとに1クールが終わって、再募集・更新する「カルチャー教室」という形が気楽でいいなと探して、十数年ぶりに、歌うことになった。 「発声練習中心で、基礎を作り直したい」と希望を言ったら、「『発声練習で良い声が出せても、歌になったら使えない』という人も多いけれど、それじゃいけないので、発声練習に力をいれながら、少し歌もやりましょう」と体験レッスンのときに先生がアドバイスを下さって、で、20年~10数年前に使っていた、コールユーブンゲン・コンコーネ・イタリア歌曲・アリア集などを持参して、先生に見ていただいた結果、「コールユーブンゲン・コンコーネ・イタリア歌曲は基本的にもういいです。発声練習して、慣らし歌に一曲イタリア歌曲から歌って、で、後はやりたい曲をやりましょう。」と先生が仰るので、びっくりした。だって、発声練習を基礎からやり直したいって入ってきた生徒(私)で、イタリア歌曲だって、全然まともなレベルでなんか、歌えない。まともなレベルって、プロと比べてるんじゃないよ、かつて毎週ずっとレッスンを続けていた頃の自分のレベルと比べても、とんでもなく、歌えてないレベル。それでも、先生にそう言われてみて、はっと、思った。 自分にノルマを課すよりも、楽しむって話。 そうだよ、今から基礎を一から積み重ねるレッスンって、あんた、何を目指しているの? ってことだよね。私、ただの趣味の素人さんで、別にこれからコンクール出ましょうとか、将来どこかのオーディション受けましょうとか、音楽の学校へ入り直しましょうとか、思っている訳じゃないので、なら、児童合唱団で楽しんでいた小学生の頃の私でもなく、コンクール目指した中学生の頃の私でもなく、プロオケの後ろで歌う合唱団のレベルについていけなくて情けなくて個人レッスンを頑張っていた大学時代の私でもなくて、「今の私」にとって、幸せな歌い方。それを考えようって、先生に言っていただいたような気がして、 「私なんてとてもとても、そんな曲、ちゃんと歌えませんから、まだまだ無理です」などという言葉、引っ込めた。 先生だって、当然、音高生や音大生やプロが歌うレベルで私が歌えると思って、アリアの曲やりましょうなんて言ってないってこと、だよね。 と言うわけで、取り敢えず、発声練習の次に持ち歌でやっておきましょうという曲に、イタリア歌曲から、「Lascia ch'io pianga(私を泣かせてください)」。ああ、20数年前の先生に付いたときも、10数年前の先生に付いたときも、この本で練習してきた曲。懐かしいなぁ。 その次に歌う曲として、十数年前、自分の結婚式の披露宴で、友人がサプライズで司会者と計画していて、いきなり、「はい、新婦に歌ってもらいましょう」と振られた、ジャンニスキッキの「O mio babbino caro(私のお父さん)」。(それは、友人が、私が大好きな曲だって知ってたから、なんだけど。でも、びっくりした。 心づもりがなかったところで、いきなりみんなの前で歌う羽目になったので、ぎゃぼーーーーんだった。) で、好きな曲って何がある? と訊かれて、気軽に答えたら、「じゃ、それやろうよ」って、先生本気ですかぃ? って、で、レッスンし始めた曲、トゥーランドットからリューのアリア「Tu che di gel sei cinta(氷のような姫君の心も)」。むきゃぁーーーー。 そして、次に先生が、じゃ、この曲もやりましょうかね、今度見てきてねと、次からの宿題になった曲が、アドリアーナ・ルクヴルールから「Io sono i'umile ancella(私は卑しいしもべ)」。 うぉーーーー。正直、嬉しい。楽しい。自分の実力に釣り合わないことは、棚上げして、美しくて、大好きで、これぞ歌ですねって感じの曲ばかり。 そんなことがあって、それで、とてもとても、今の私には第九のソプラノなんて歌えないわって思い込んでいたけど、もしかして、今年ならチャレンジてもいいかなぁと、恐る恐る、先生に相談してみたら、「いいんじゃない。このイベントで第九の合唱団に参加する分には、全然問題ないと思うよ。そりゃ、ちゃんと歌い込むっていうレベルを求める合唱団なら、大変だけど、これはそういうイベントじゃないもの」って。わっはっはっはっは。はい、本来ベートーヴェンさんが求めたレベルでは歌えませんが、年末の恒例イベントを楽しんじゃおうレベルだから、許可ってことです。 というわけで、8月から9月へカレンダーが変わると共に、20数年ぶりの第九参加が始まりました。 9月3日に初練習へ行ってきます。楽しみだなぁ。 そしてドキドキ。 本番は11月初め。2ヶ月楽しんでみようと思います。 合唱用の黒のロングスカート、このままどこかの合唱団にしっかり所属するってつもりもないので、いまさらこの年齢であつらえるのももったいないから、全くウエストの入らない20数年前のものを、パンツのゴム紐を輪っかに結んで、ウエストを開けたまま、そのゴム紐を巻き込んで何回か折って、上からブラウス出してごまかして使えないかなぁ。パンプスが見えない超ロングだったものが、黒ストッキングの足首が出る程度だったら、許されると思うんだけど。だって、暗譜で無くても本番楽譜持ち込み可!って、(びっくりしたよ~) そういう「いいじゃん、楽しく行こうよ」なイベントなんだって。 などと、つらつら考えるのも、楽しいです。(*^_^*) 今日は、完全に私の趣味の日記でした。 (^^)/
2008.09.01
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