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季節外れの桜が咲いたという話をよく耳にするが10月22日、旅行先の博多の郊外で見た。写真がどれもボケてる。(ノД‘)■「2018年は台風が多く、■強風や塩害の影響で葉っぱが落ちてしまったことで、芽を眠らせる物質が供給されなくなって、その後も、気温の高い日が続いたため、季節外れの開花につながったとみられている。」台風が多いことや、大きな台風が多いということは、地球温暖化が進んだということ。■地球温暖化は、■気温や水温を変化させ、海面上昇、降水量(あるいは降雪量)の変化やそのパターン変化を引き起こすと考えられている。洪水や旱魃、酷暑やハリケーンなどの激しい異常気象を増加・増強させる可能性や、生物種の大規模な絶滅を引き起こす可能性も指摘されている。桜が咲いていた近くには、コスモスが・・・。これは、秋桜と書いて「コスモス」。コスモスに 雨ありけらし 朝日影【作者】水原秋桜子(みずはら しゅうおうし)(名前に「秋桜」が!!)【意味】コスモスに雨があった(=降った)らしい。朝の太陽の光(が当たっている)…■デイ・アフター・トゥモロー■■飛行機の離陸が困難になる暑さ■●めまいなし。■10月に見た映画■*マイライフ・アズ・ア・ドッグ*プーと大人になった僕*赤毛のアン 初恋*プロヴァンス物語 マルセルのお城*ライ麦畑で出会ったら*日日是好日(にちにちこれこうじつ)■書き残したネタ■*プラスティックごみ。*白樺のかご*九州ネタ*天蓋ベッド*葛井寺と藤井聡太*会話力*妄想古民家カフェ「くるり」*大阪市営地下鉄の民営化*森友学園問題*漆の木・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.31
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■日日是好日(にちにちこれこうじつ)■♪音が出ます!!季節のように生きる。真面目で理屈っぽい20歳の大学生・典子(黒木華)。おっちょこちょいな自分に嫌気がさす典子は、ある日、母親(郡山冬果)から「お茶、習ったら」と突然勧められる。意味がわからず困惑する典子だったが、同い年の従姉妹・美智子(多部未華子)からも誘われ、二人は自宅近くにある茶道教室の先生を訪ねる。その先生は大きな家にひとりで暮らし、巷で“タダモノじゃない”とうわさの武田のおばさん(樹木希林)だった。 お茶の魅力に気付き、茶道を習うことで日々成長していくヒロインの姿を描く人間ドラマ。黒木華が20歳でお茶と出会い、さまざまな体験をするヒロインの10年を演じる。また、2018年9月に亡くなった樹木希林がヒロインの師匠となるお茶の先生を演じ、味わい深いドラマにエッセンスを加える。監督は『さよなら渓谷』の大森立嗣。 お茶といえば、私も今から15年ほど前に友人と一緒に習っていて初釜のことをブログに書いている。■初釜って、初めて。■日本人に生まれて、本当に、よかったと、単純な私は大感激。だって、そこには、日本のめでたいものが、凝縮されてるんですもの。掛け軸は、宝船。花は柳と紅白の椿と蝋梅。松の模様の蓋置き。鶴の模様のなつめ。注連縄。 鶴の形の香炉・・・。ここにも、あそこにも、めでたい物が、いっぱい・・・・。 私は、あちらを向いたり、こちらを見たり。ここにも、あそこにも・・・とめでたい物を発見して喜んでました。(略)松竹梅、宝船、紅白、のし、鶴亀、金銀、日本のめでたい物って、いっぱいあるな・・・。お茶って、ただ、お茶を点てることだけでは、ありません。部屋に活ける花、床の間の軸、会話、茶碗や、茶杓のネーミング、・・・。どの道具を使うか・・・。お茶って、総合芸術ですことよ。オーホッホホホー・・・。(白鳥麗子笑い)。 先日、九州を旅行した時“筑前の小京都”といわれる「秋月」の町に行った。ガイドさん(男性)と一緒に町歩きをしたとき、「うちで、お茶を飲んでいって」とガイドさんに誘われ、お宅にお邪魔した。普通のお茶かと思いきや、そのうちの奥さんが、慣れた手つきで、抹茶をたててくれた。お茶では、「一期一会」ということがよく言われるが、これぞ「一期一会」。もう、お会いすることもない、そのご夫婦のことを、映画を見ていて思い出した。 今年の9月に亡くなった樹木希林の作品というわけか、満席で立ち見も出ていた。亡くなったと知っているからか、声がしんどそう・・・。(-人-)合掌・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.30
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■ライ麦畑で出会ったら■♪音が出ます!!明日はきっと、今日よりマシさ。たぶんね。1969年のアメリカ・ペンシルベニア州。学校一さえない高校生のジェイミー(アレックス・ウルフ)は周囲ともなじめず、孤独な学生生活を送っていた。ある日、若者のバイブルだった小説『ライ麦畑でつかまえて』に感銘を受けたジェイミーは、演劇として脚色することを思いつく。舞台化には作者であるJ.D.サリンジャーの許可が必要だと知るが、隠遁生活をするサリンジャーの居所はつかめず、連絡が取れない。そんな中、学校で起こったある事件により寮を飛び出したジェイミーは、演劇サークルで出会った少女ディーディー(ステファニア・オーウェン)とともにサリンジャーを探す旅に出る。 「ライ麦畑でつかまえて」は有名な本ということは知っているがまだ読んだことがなかった。映画に行く前の夜、あわててネットで調べたら作者、サリンジャーは隠遁生活していたのだそうだ。住民の間では彼の私生活を口外しないことが暗黙の了解だったというが、映画の中でもみんな知らないと言っていた。 この映画はジェームズ・サドウィズ監督が実際に体験した出来事をベースにした作品である。サドウィズ監督は「サリンジャーに会いに行くまでの描写のうち85%が実際通りの描写です。それ以降は99%実際通りの描写になっています。」と語っている。「ライ麦畑をつかまえて」を読んでからみると、もっと面白いのだろうと思う。映画が面白かったので今度、原作を読んでみようと思う。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.29
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■2018.10.11(木)■八女市は■福岡県の南部、福岡市から南へ約50kmに位置し、北は久留米市、広川町、西は筑後市、南は熊本県、東は大分県に接しています。八女に行ったら、■ふるカフェ系 はるさんの休日■に出ていたカフェに行こうと思っていた。■ふるカフェ系 はるさんの休日福岡八女 茶どころ芸どころの記憶を今に 「AOアオ」渡部豪太さん演じる古民家好きのカフェブロガー・ハルさんと地元の人たちで作るドラマ。今回は福岡県八女市の“ふるカフェ”。八女は日本有数の茶どころで、豪華なつくりの古民家が並ぶ。「芸があるカフェ」と聞いて訪ねたところ、そこはこの町にあった芸者さんの事務所だった建物。ここで、一度途絶えてしまった紅茶栽培を復活させた人や、古民家を再生させて若者を呼び込んでいる人たちに出会う。極上の抹茶パフェにメロメロ!■AOアオカフェblog」■■ふるカフェ系 はるさんの休日のカフェ■室内の写真は撮ることが出来なかったので外からのみ。カフェでお茶の後、八女の町を散策。この日はガイドさんなしで歩いたけどいい町だった。▲市内の豪商「堺屋」▼句碑は、この家の敷地にある。同じ石を分け合った夫婦句碑。碑文はともに二人の絶句で代表作。秀野の句は直筆、健吉の句も原稿等から一字づつ選び出されました。夫婦句碑ということで桜御影石を同じ大きさで真っ二つに割り、その二つの石を噛み合わせた珍しい形。■こぶし咲く昨日の今日となりしかな■山本健吉 かつて健吉がいみじくも思索した中世の茶人の心の根底にあった「一期一会」の心構えに立脚した辞世の句であった。■蝉時雨 子は担送車に 追ひつけず 石橋秀野■ 担送車とは救急車のこと。 病がいよいよ悪化したのであろう。 救急車で搬送されてゆく秀野、そして子供がその救急車を必死で追いかけてゆく。しかし、救急車に追いつけるわけもなく、子供の姿はみるみる遠ざかってゆく。 「おかあさ~ん」と泣き叫びながら、必死で追いかけてゆくわが子の姿を救急車の中から見守っている作者。あるいは救急車の中で横たわり、遠ざかってゆくわが子の泣き声だけが聞こえているのかもしれない。 子の声が小さくなればなるほど、その隙間を覆うように蝉時雨が大きくなり、蝉時雨の大きな音だけに包まれてゆく。観光案内所の向かいの八女伝統工芸館は、かつて駅だった所。廃線になった矢部線の跡が屋内に残っている。▲八女茶の町らしくお菓子の名前が「茶の実」。茶飲みのシャレ?▲ガラス戸がレトロな家。当時はとてもハイカラだっただろうな・・・。▲十字路の特等席の老舗の八百屋さん。▲道に古瓦を模様のように敷いている!!▲レトロなガラス障子。■九州旅行2015.10.1~10.11■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.29
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■2018.10.10(水)■関門トンネルを歩いて、門司から下関へ。■そして、門司に帰った。かつて九州の玄関として栄えた門司には数多くの歴史的な建物が残っている。JR門司港駅周辺地域に残る外国貿易で栄えた時代の建造物を中心に、ホテル・商業施設などを大正レトロ調に整備した観光スポットで、国土交通省の都市景観100選を受賞している。対岸の下関市唐戸や巌流島等との周遊ルートとして多くの観光客で賑わう。 2017年、山口県下関市と福岡県北九州市にまたがる42件が「『関門“ノスタルジック”海峡』〜時の停車場、近代化の記憶〜」として日本遺産に認定されたが多くが「門司港レトロ」のスポットにある。 門司のまちをガイドさんの案内で歩く。今回の九州旅行は、ほとんど毎日、ガイドさんに案内をしてもらって歩いたが、門司はその最初。観光案内所にもなっている◆北九州市旧門司三井倶楽部◆でガイドさん(女性)と待ち合わせ。「海峡トンネルを歩いてきました」と言うと「小学校の時、遠足で行きました」とガイドさん。流石!!地元あるある?!ガイドさんもblog持ちだったので、お互いに名刺交換代わりにブログの交換をした。ヽ(゜∀゜)メ(゜∀゜)ノ◆北九州市旧門司三井倶楽部は、◆福岡県北九州市門司区港町にある歴史的建造物。国の重要文化財に指定されている。 山あいの門司区谷町より門司港レトロ地区に移築された。 1921年(大正10年)に三井物産門司支店の社交クラブとして建築。接客用の洋風の本館と、それと接続する和風の付属屋・倉庫からなる。 本館は木造2階建で、アインシュタインが1922年(大正11年)に宿泊した2階の部屋が当時の状態で「アインシュタインメモリアルルーム」として展示されている。 また、門司区小森江が出生地とされる林芙美子にちなみ、林芙美子資料室(2階)がある。■秋の陽に芙美子は今日もペンを執る■☝こんな句を見つけた!!◆北九州市旧門司税関は◆福岡県北九州市門司区の門司港地区にある歴史的建造物を復元した建築物。 1912年(明治45年)3月、前々年に焼失した門司税関の2代目の庁舎として建設、1927年(昭和2年)西海岸に3代目の庁舎となる旧合同庁舎が完成するまで使用された。 歴史的意義を踏まえ、門司港レトロ事業の一環として修復されることとなったが、傷みがひどく、過去の写真などを元に1991年(平成3年)から4年の歳月をかけて外観が復元された。◆門司港駅は、◆福岡県北九州市門司区西海岸一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅である。同線の起点駅。 関門トンネルが開通するまで九州の鉄道の玄関口であり、対岸の下関駅との間に就航した関門連絡船との連絡中継駅として賑わった。駅舎は重要文化財に指定されている。 ▲現役で活躍している門司港駅のレトロさよ♪▼(▲かつては駅から海峡連絡船へと続く通路があったとガイドさんから聞いた。)◆バナナの叩き売りは、◆かつて露天商、的屋が行う、独特の口上を述べながら客を引き寄せてバナナを露天で売る手法。いわゆる啖呵売のひとつとして有名である。大正時代初期に福岡県北九州市門司区の門司港周辺で行われたのが元祖。 門司港がバナナの叩き売りが有名なのは、バナナを神戸に運ぶ過程で悪くなったバナナをいち早く捌くため。また、当時、鉄道の九州の玄関口が門司港だった事。バナナだけでなくて物資を運ぶためには、当時鉄道が主で、九州の玄関口が門司港だったため。■バナナの叩き売り■「窓を開ければ港が見える。遥か彼方を眺むれば、武蔵小次郎の決闘で、今も伝わる巌流島。つくよつくよと何がつく。門司の港に船がつく。お寺の坊さん鐘を突く、私は貴方にしがみつく、はなれられないこのおいしいバナナ1000円で、どうだ~~」「買う!!!」(*^▽^*)門司の後、小倉にある■松本清張記念館■に行った。 1951年に書いた処女作『西郷札』が『週刊朝日』の「百万人の小説」の三等に入選。この作品は第25回直木賞候補となった。この年初めて上京。 40歳過ぎてからの作家生活となった。それまでは、働きながら小倉の小さな家の一室で本を読んでいた。沢山の本が入った押し入れの前で本を読む本格的な作家になる前の松本清張の写真があった。■松本清張作品■読みたい。 自叙伝的小説『半生の記』 小説『時間の習俗』 戦い続けた男の素顔 宮部みゆきオリジナルセレクション (新潮文庫)読み直したい「点と線」■九州旅行2015.10.1~10.11■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.28
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10月9日(火)から10月23日(火)の15日間、九州に行ってきた。前回九州に行ったのは■九州旅行2015.10.1~10.11■の11日間。その時に行かなかった所を中心に車で廻った。■2018.10.9(火)大阪南港発新門司港行きの船が港を離れたのは夕方の5時。ほどなく夕焼けを見た。ベッドにテレビ、水道のある個室で簡単な夕食を済ませ、四国と本州を結ぶ橋を見て、風呂に入ってテレビを見て・・・。ウトウトしたら夜明けの5時前にもうすぐ、新門司港に着くという船内放送。■2018.10.10(水)門司といえば、下関、下関といえば門司。このふたつの町は、関門海峡で隔てられている。そして、その関門海峡を繋ぐ橋と海底トンネルで繋がっている。関門海峡(かんもんかいきょう)は本州の山口県下関市と九州の福岡県北九州市を隔てる海峡。名称は両岸の地名である、馬関(現在の下関市)の「関」と、門司(現在の北九州市門司区)の「門」を取ったものである。穴戸海峡(あなとかいきょう)、馬関海峡(ばかんかいきょう)、下関海峡とも称された。本州と九州を隔てる水路を大瀬戸といい、彦島と本州を隔てる水路を小瀬戸または小門海峡(おどかいきょう)という。大瀬戸の幅が約600mまで狭まる壇ノ浦と和布刈の間は早鞆の瀬戸という。 一般には大瀬戸の下関と北九州市門司区の間を関門海峡と呼ぶ。歩行者・自転車・50cc以下の原動機付自転車が利用できる幅4メートル・長さ約780メートルのトンネルで、徒歩で約15分ほどで関門海峡の海底を通り抜けることができる。両端とも国道2号に接続していないが、車道の直下に位置している関係上、人道も国道2号に指定されている(国道2号車道に対する自転車歩行者道の扱い)。後に下関側・門司側とも抗口の右側の部分に国道標識が取り付けられた。 地上と地下の人道トンネルの間は、下関側・門司側とも専用エレベーターを利用する。なお、エレベーターとは別に保守・非常避難用の階段が設けられており、間寛平がアースマラソンで通行した際にはこの階段を使用した。 通行料金は徒歩は無料で、自転車と原動機付自転車は下関側の人道出入口に設置されたポスト状の料金箱に現金又は回数券を投入する。監視カメラが設置されており、乗車して通行すると、トンネル内の拡声器で注意される。人道トンネルの内面は、壁に海藻や魚、天井に朝・昼・夕・夜の空が描かれている。日常の移動手段としてだけではなく、雨・日焼け対策が不要なジョギング・ウォーキングコースとして利用されているほか、下関と門司港を結ぶ観光周遊ルートとしての広報もなされている。両側の入り口には、関門の観光マップや通行記念スタンプも設置されていて、旅行の記念に押す人も多い。門司側から歩いて海底トンネルを渡り、下関に着いた。みもすそ川公園は、関門トンネルを上がってすぐにある。■みもすそ川公園■みもすそ川公園(みもすそがわこうえん)は、山口県下関市にある都市公園(街区公園)。源平合戦の最後の舞台となった壇ノ浦に面し、国道9号と関門海峡に挟まれて立地する。 ●御裳川(みもすそがわ)碑●御裳川はこの場所で関門海峡に注ぐ小河川だったが、現在の河口は公園と国道の下に隠れている。●源義経と平知盛像義経●義経は八艘跳び、知盛は錨を担いだ姿で、両雄が対峙する位置関係に設置。碇知盛平知盛は、自害にあたり、知盛は碇を担いだとも、鎧を二枚着てそれを錘にし、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して入水したとも言われている。共に入水後遺体となるか、あるいは生きたまま浮かび上がって晒し物になるなどの辱めを受けるのを避ける心得である。 ●松本清張文学碑●作家・松本清張が、幼少時の一時期に下関市に住んでいたことを記念したもの。自叙伝的小説『半生の記』の一節が刻まれている。 中央に開いた穴からは、関門海峡を挟んだ対岸にある和布刈神社(小説『時間の習俗』の舞台)が望める趣向となっている。見ていない・・・。残念。。・゚(´□`)゚・。■九州旅行2015.10.1~10.11■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.27
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私の小学生だった昭和30年代は、学芸会というのがあった。学芸会は、子どもたちが劇をしたり歌を歌ったり・・・。当時は、テレビもない時代。学芸会は、運動会と並んで大人も子どもも楽しみにしていた大イベントだった。ある時、私たちは、劇をした。劇の前後は覚えていないのだが、たった一つ覚えているセリフがある。 それは、「サッチョウは手を結んだのだ!」話の前後は全く覚えていないのに、私のセリフではないのに、なぜか覚えている。その後、私たちは、皆で歌を歌いながら、舞台で歌った。♪菊の香りに葵が枯れる、枯れて散る散る風の中 変る時勢に背中を向けて侍たちよどこへゆく(先生が変えたのか「侍たちよ」と覚えている部分が「新選組は」だった。)その後、「宮さん宮さん」を舞台をぐるぐる回りながら歌った。 ♪.宮さん宮さんお馬の前にヒラヒラするのは何じやいなトコトンヤレ、トンヤレナあれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じや知らないかトコトンヤレ、トンヤレナ 「サッチョウは手を結んだのだ!」の「サッチョウ」は、薩摩、長州の事だと知ったのは、後のこと。 大河ドラマは、江戸時代の終わりから明治維新のものが多く、今年は、「西郷隆盛」。平凡な子どもだった私も父や母にとっては、特別に見えたのか、熱心に学芸会を見に来てくれた。「薩長」という言葉を聞くたびに、学芸会が地域の大イベントだった、昭和30年代の初め頃の暮らしを思い出す。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.26
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■2018.7.17(火) ロンドンからヒースローへ7:30~8:00、朝食。11日から今日まで、一週間、同じものを食べたけど、今日で終わり。10時前チェックアウト。(チェックアウトが10時だから、ぎりぎりまでホテルにいた。)前日頼んでいた、タクシーの手配、ホテルのスタッフが、タクシー会社に電話して呼ぶのでなく、ホテル前を通るタクシーに手を挙げて停める・・・。ヴィクトリア・コーチステーションまでという距離が超短いこともあってとまってくれない。やっと停めたタクシーも近いから嫌がっていたが、タクシーよりも高く出せば乗せるという。「行先は歩けるのに・・・」と言われた。「荷物が多いから・・・」というと「知ったことじゃない!!」という。あまり、英語は得意ではないけれど、幸か不幸か、嫌みくらいわかる。歩いても10分はかからないところを渋滞だから運転手は機嫌が悪い。20分ほどでやっと着いた。チップを渡すと、途端に、荷物を下ろすのを手伝ってくれたりと手のひらを返したように愛想もよくなった。10:20には、コーチステーションで「お茶」しながら、コーチの発射時間待ち。11:00すぎ、コーチが出発。11:55ごろ、ヒースロー空港に着いた。ここで、(ターミナル4)まで、移動するのに、ガイドブックにあった「無料のシャトルバス」を探すが、誰に聞いても知らない・・・という。結局、コーチステーションから乗ってきた「ナショナルエクスプレス」バスで、無料で、(ターミナル4)まで、行けることがわかり、それに乗る。13:00「プレミア・イン・ヒースローエアポートターミナル4」に着き、チェックインタイム(14:00)前だったが、13:20、部屋に入れた。しばらく休憩。そのあと、16:00~、食事に行く。軽食で済ませ、空港内をぶらぶら。夕食の食材を買う。◎プレミアインヒースローT47月18日の朝食は久しぶりのフルブレック・ファースト。■2018.7.18(水)~■2018.7.19(木)ヒースローからオランダ経由で関空へ。▲飛行場でランチ。▼今回は、機内食が美味しかった。いつもほとんど食べられないが今回は食べることが出来た。余ったコインは、飛行場で寄付。日本で暑いので疲れた。荷物のうちスーツケース2つは、空港から自宅まで配送してもらった。その日のうちに届いた。6月11日(月)から7月19日(木)の39日間の英国旅行は、無事に終わった。◎自宅*書き残したネタ。*天蓋ベッド。*古い建物はイギリスに残っているが日本にはない。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.25
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■2018.7.16(月)■コヴェント・ガーデン■、■ハロッズ、リバティ■といった後、地下鉄でチャリングクロスに出て、遅めのランチのためレストランへ。「残ったら持って帰れますか?」と聞くと「箱をあげます。」と言ってくれたので、ピザを注文。夫は、野菜とチキンサラダ。食べた後、外に黒い電話ボックスを発見!!隣には赤もあった。ナショナル・ギャラリー(英: National Gallery)は、イギリスのロンドン、トラファルガー広場に位置する美術館。日本語では国立美術館とも訳される。1824年に設立され、13世紀半ばから1900年までの作品2,300点以上を所蔵している。『ひまわり』 (1888年 フィンセント・ファン・ゴッホ)『女性大水浴図』 (1894年 - 1905年 ポール・セザンヌ)『アニエールの水浴』 (1884年 ジョルジュ・スーラ)■馬車で歩いて渡れるフォード■の絵があった。■フォード■に激しく反応するようになった。床もモザイクで美しく飾られていた。帰りにヴィクトリア駅でオイスターカードに残った残高を現金に換えてもらった。7月10日に30£と5£の保証金を入金。その後、20£追加したが10£以上残った。明日は、ロンドンからヒースローまでの移動。◎エンリコホテル◎・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.24
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(▲リバティ百貨店)■2018.7.16(月)ハロッズ (Harrods) は、ロンドン中心部のナイツブリッジ地区ブロンプトン・ロードに面するイギリス最大の老舗高級百貨店。 ハロッズの創業者チャールズ・ヘンリー・ハロッドは1824年、25歳の時に起業した。順調に成長してきた店の運命は1883年12月初めの火事によって苦難の時を迎える。この苦難に際して、チャールズ・ハロッドは顧客にクリスマスの配達を実施して、同年は記録的な利益を上げた。即座に同じ場所に新しい店舗が建てられ、オスカー・ワイルド、リリー・ラントリー、エレン・テリー、チャールズ・チャップリン、ノエル・カワード、ガートルード・ローレンス、ローレンス・オリヴィエ、ヴィヴィアン・リー、ジークムント・フロイト、A・A・ミルン等の著名人、さらには英国王室の人々を得意客とするまでに発展し、より名声を高めた。 2010年8月、デイリー・テレグラフ紙に寄せられた書簡の中で、アルファイドは一度は受けていたハロッズの王室御用達の指定を2000年に破棄していたことを明らかにした。ハロッズは1910年以来、王室御用達の指定を受けている。アルファイドはこの御用達について"curse"(呪い)と記述しており、破棄後は業績が3倍に伸びたと主張した。エディンバラ公とは1956年から取引関係が続いていたが、2000年1月をもって破棄され、同年12月には他の王室メンバーからの御用達もアルファイドによりハロッズ側から全て破棄された。これにはアルファイドの息子ドディとダイアナ妃の事故が関係していると指摘された。■プーと大人になった僕■クマのプーさん - プーさんはハロッズで買われ、クリストファー・ロビンの1歳の誕生日にプレゼントされたという設定。阪急百貨店 - HankyuのロゴはHarrodsを模したもの。▲ハロッズの前にあるザラのビルも素敵♪◆リバティ百貨店◆現在のはリバティ百貨店は、グレート・マルボロ・ストリートに面しており、テューダー・リバイバル様式のアーツ・アンド・クラフツの建築物としては、ロンドンで最も代表的なものの一つである。イギリスの第2種指定建造物 (Grade II listed building) に指定されている。エドウィン・T・ホールとその息子エドウィン・S・ホールの設計で1924年に建てられたもので、その材木はイギリス海軍の2隻の軍艦「インプレグナブル」「ヒンダスタン」に使われていたものを流用している。有名なリバティプリントのパッチワークがずらりと飾られている。▲店内。▼リバティ百貨店は、吊り天井や会社名が記された調度品といった、当時の大型百貨店での流行を取り入れなかったことで、外装だけでなく店内も本来のテューダー・リバイバル風の装飾を固持した(ただし一部に1930年代の典型的な手法も)。内部は、窓のないアトリウム(中央大広間)を囲むように比較的小さな部屋が配置されており、それらはガラスの天井と木製のバルコニーから光を取り入れている。エスカレーターはなく、代わりに階段と装飾が施されたリフトが設置されている。リバティでお茶を。この後、地下鉄で、ナショナル・ギャラリーへ。◎エンリコホテル◎・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.23
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■2018.7.16(月)9時ごろホテルを出て、コヴェント・ガーデンへ。中世にはこの地区はウェストミンスター大修道院 (アベイAbbeyまたはコンヴェントConvent) の食料を賄う野菜畑 (Garden)として利用されていた。(▲駅前のディスプレイ)それから数世紀は修道院のみならずロンドンの住人が食べる野菜類はこのコンヴェント・ガーデンで作られていた。 (▲コヴェント・ガーデンの敷地内のディスプレイ)1960年代になると周辺の道路における交通渋滞が堪え難いほどになり、市場へ商品を運び込むことが難しくなってきた。1973年に内務大臣のロバート・カーは市場周辺の建物を指定建造物 (listed building) に指定し、過度の開発を食い止めようとした。しかし翌年市場は3マイルほど南、テムズの南岸に位置するナイン・エルムズへと移転することを決定し、ニュー・コヴェント・ガーデンをそこに建設すると発表した。1980年にコヴェント・ガーデンは大改装を受け観光客を対象としたショッピングセンターへと生まれ変わった。マーケット・ビルディング内のマーケットとして有名なのがアップル・マーケット。*月曜日はアンティークの日なので、この日に来た。*「老前整理」でモノは買わない、♪見てるだけ・・・。 ミュージカル『マイ・フェア・レディ』ではオードリー・ヘプバーン演じる主人公はコヴェント・ガーデンで野菜を手に取り歌っている。 16世紀から1974年に至までは野菜や果物の卸売市場が置かれていた。私が初めてコヴェント・ガーデンに行ったのが1972年だったので、ここは、市場だった。映画『マイ・フェア・レディ』を見ていたので、ここがその舞台かと見に行った。「ローアー グランド フロア―(吹き抜け地下)」では、クラシックやオペラなどの質の高い音楽を楽しむことができます。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.21
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■2018.7.15(日)「リージェント運河クルーズ(カナル・ボート)の後どこに行く?」夫の質問に「セント・ジョーンズウッドに行く」と私。■ドライブ旅行■は夫が、ロンドンでの行先は私が担当していたのだ。セント・ジョーンズウッドは、今から45年ほど前に私が数か月暮らしていたところ。そこを見に行きたいと思った。「セント・ジョーンズウッドって自分(私のこと)が、住んでたというだけのとこやろ?」と夫。「そうや。」と私。「どこでも、誰かが住んでいた所や。」というわけでセント・ジョーンズウッド駅に着いた。地下鉄の階段は、深いので降りる時は足が震える。昔は、この足元の階段部分が木でできていたが、金属に変わっていた。私には「???」なことがあった。それは、セント・ジョーンズウッドがジュビリー線にあること。おかしい。セント・ジョーンズウッドは、ベーカルー線のはずだ。何回も乗ったから忘れたことはないのに、ジュビリー線って・・・。私の頭がおかしくなったのかな・・・。帰ってから調べた。ベーカールー線スタンモア支線が1979年にジュビリー線の一部となったため、当駅もジュビリー線の駅となった。もう40年ほど前から変わっていたのだ! またはビートルズゆかりのアビー・ロード・スタジオの最寄り駅であり、 当駅でビートルズの土産物が売られているということも後でわかった。 結局、私が住んでいた家は、分からなかった。地下鉄ベーカー・ストリートで降りてリージェントパークへ。付録のようにリージェントパークに来ているけど暑くなかったら半日くらいゆっくりと公園都市、ロンドンを楽しみたい。▲ヴィクトリア・コーチ・ステーション。ビクトリアコーチステーションから、ヒースロー空港へのチケットを買う。そこで、軽食を摂る。 スーパーに寄ってから、歩いて5時半ごろ、エンリコホテルに戻る。◎エンリコホテル◎・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.19
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■2018.7.15(日)朝9時、暑くなりそうな日射しの中、リージェント運河クルーズ(カナル・ボート)に乗るためリトルベニスを目指す。暑いので、なるべく歩き回るのを避けたいという思いだ。ビクトリア駅から地下鉄を乗り継いで、パディントン駅へ。パディントン駅は鉄道と地下鉄の両方があり、ヒースロー空港へとつながっている。■映画:パディントン2■マイケル・ボンドの児童文学作品のキャラクター「くまのパディントン」の名は、彼がパディントン駅で見つけられたことに由来する。現在、駅構内には「くまのパディントン」の銅像がある。駅にあった建物に獅子とユニコーン。■ライオンとユニコーン■の紋所である。■産業革命の申し子ともいうべきイギリスの運河は、■18世紀後半から各地にどしどし造られていったそうです。しかし産業革命が進むにつれ、鉄道の敷設が促進され、運河は時代遅れな存在となり、いつしか忘れられてしまったといいます。リトル・ベニスに流れるグランド・ユニオン・カナルは19世紀の初頭に開かれたそうですので、運河としては新しい部類に入るのでしょうか。「リトル・ベニス」という名は、第二次対戦後につけられたとのことです。かつては石炭を運んだ(今も運んでいるかもしれませんが)働き者の運河を、今は遊覧船や船旅をするナロウ・ボートがゆったりと航行しています。思い思いにペインティングされ、花をいっぱい飾ったボートは、見ているだけで気分を浮き立たせてくれます。リトル・ベニスは遊覧船の発着所の名前でもあり、ここからロンドン動物園やカムデン・ロックまで、ささやかな船旅が楽しめます。運河に沿って■馬が牽引したトウ・パスという牽引路があり、■今は散歩するのにちょうどいい具合になっているのです。ロンドンにある運河、1820年に完成したRegent's Canal(リージェンツ運河)は、その運河沿いを歩く散歩にピッタリ。運河で遊ぶ子どもたち。大人も遊ぶ。白鳥も泳ぐ。こんな風に日本の川も使えたらいいのにと思う。ホテルの近くの風景。◎エンリコホテル◎・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.17
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■2018.7.14(土)ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館は、現代美術・各国の古美術・工芸・デザインなど多岐にわたる400万点の膨大なコレクションを中心にした国立博物館でロンドンのケンジントンにある。ヴィクトリア女王(1819年 - 1901年)と夫アルバート公(1819年 - 1861年)が基礎を築いた。略称「V&A」。 最寄り駅はサウス・ケンジントン駅。この日は暑かったので、中庭の池では子どもが水遊びしていた。館内にはホールをそのまま流用したカフェテリアがあり、ケーキと紅茶やコーヒーが楽しむことができる。 「ヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)」(以下V&Aと表記)は、ファッションや装飾品など世界中から収集されたものが集まる玉手箱のような博物館。そのコレクション数は500万点で、展示品の数は常時4万点もあり世界でも貴重な博物館です。▲イギリスコレクション:1500~1700年代の王室コレクション。ウエアの大ベッドは横幅が3mもある巨大ベッド。■V&A■▲鉄細工装飾品のギャラリー。植物や動物のモチーフが多い。▼ウィリアム・モリスが手掛けた部屋で食事をしたかったけど、ホテルに帰って洗濯に行かないといけないので残念・・・。2階建ての赤いバスでホテルに帰ってから歩いて、何度も聞きながら30分以上かかってコインランドリーに。WiFiがないのでこんな時不便。今回の旅行で5度目の洗濯、これが最後になる。近くになかったり、あっても時間がなかったり、お祭りで通れなかったり、日曜日でしまっていたり・・・。仕方がないので手洗いしたり・・・。今回の旅行は、洗濯で困った。1週間以上の旅行の時は、ホテルの近くにコインランドリーがあるところを考えた方がいい。7時洗濯完了。帰りは迷わないから20分、7時20分にホテル着。コインランドリーの近くにあったフィッシュ&チップスの店でテイクアウト。◎エンリコホテル◎・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.15
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■2018.7.14(土)ロンドン中心部から地下鉄で北東に約20分、落ち着いた雰囲気の街、ウォルサムストウ(Walthamstow)にウィリアム・モリス・ギャラリー(William Morris Gallery)はあります。(地下鉄ヴィクトリアラインの終点・ウォルサムストウからバス)近くの建物には、モリスの顔の絵と有名な柳の葉っぱのデザインが。モリスが住んでいたという印のブルー・プラークが!階段は2つあって、▲この家の主人家族や客が使うのと▼使用人が使うのに分かれていた。「モダンデザインの父」と称されるモリスが、1848年から1856年までの多感な青年時代を過ごした家で、1950年に美術館としてオープン。2013年にはイギリスの「ミュージアム・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたこのギャラリーは、なんと入場無料!モリスをよく知らない人にも分かりやすいディスプレイや、息抜きできるカフェも併設された、とても充実した美術館です。館内には、モリスの人物紹介コーナーの他、自身がデザインした壁紙、生地、タペストリー、家具の実物が200点以上もディスプレイされており、超間近で素晴らしい作品を見ることが出来ます。▲トイレはウィリアム・モリス、デザイン!▲トイレの内側。▼▼床も!ウィリアム・モリスのデザインはどれも職人の技術と情熱が感じられる、味わい深いものばかり。どことなく、わびさびも感じられ、日本人にはとても馴染み易いのです。そして、普通の美術館と違う点は、写真のような分かり易い展示。左側は、モリスが生きたヴィクトリア朝時代の典型的な大量生産型のインテリアで、一見高価に見えますが、よく見ると質が粗悪。一方、右はモリスが提案したデザイン。一見素朴ですが、実はとても手が込んでいるのです。隣り合わせて比較すると、モリスのデザインの特徴が一目瞭然。今から150年も前に、大量生産・大量消費社会に警鐘を鳴らし、モノづくりの原点を教えてくれたウィリアム・モリス。その思想やデザインは、現代のモダン・デザインや、20世紀日本の「民芸運動」の重要なルーツとも言われています。近年、日本の全国各地でもウィリアム・モリス展が開催され、モリスのタイムレスな魅力を物語っています。ロンドンに来られた際は、是非、ウィリアム・モリス・ギャラリーで、モリスの世界に浸ってみて下さい。(▲お土産に買ったギフトに付けるタグ。6枚あったので、娘たちと2枚づつ分け、しおりにする。)美術館のギフトショップには、そんな素敵なデザインのグッズがたくさん。大人テイストのお土産としても素敵ですし、自分用にも色々買いたくなると思います。どれも、きっと使えば使う程、愛着が湧いてくることでしょう。10時から開館だと思って早く出てきたのに、12時まで待たされた。(この日は、特別なおまつりが近くの公園であって、通り道になっているので、12時までまった。ゆっくりお茶でもしたかったけど、2時間のロスだったので慌ててバスで地下鉄の駅へ。そこからヴィクトリア&アルバート館へ・・・。◎エンリコホテル◎・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.13
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■2018.7.13(金)ウィリアム・モリスのの新婚時代の家、レッドハウスからチャーリングクロスに着いたときにオイスターカードのチャージをしたのが3時前。それから■「ウォレスコレクション」■へ。ロンドン市内にある美術館「ウォーレス コレション(The Wallace Collection)」は、ロンドンでは珍しい昔の貴族の館がそのまま利用されている、ゴージャスで優雅な美術館。15世紀から19世紀にかけての世界的に有名な美術作品、装飾美術作品の数々、および、18世紀フランスの広範囲にわたる絵画作品、家具、武具、甲冑、磁器、そしてオールド・マスターの絵画作品を25室のギャラリーに展示している。 設立は1897年。1900年、美術館はマンチェスター・スクウェアのハーフォートハウスにて一般公開され、現在もそのままの状態にある。コレクションを持ちだすことは許されておらず、外部の展示会に貸し出されることもない。入場は無料。非省公共団体である。「豪華な屋敷」で思い浮かべる光景がそのまま現実になったようなこの建物は、もともと貴族の一家が住んでいたもの。中庭のカフェがいい雰囲気だったけど寄れなかったのが残念。タイトル「恋に落ちたライオン」。羊飼いの美しさにメロメロになってしまったライオン。フランスの詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの「寓話(イソップ物語を基にした詩集)」からとられた題材だ。このライオン、羊飼いにメロメロになり、羊飼いの父親の「娘を傷つけないように爪と牙を切らせてくれ」という要望を吞んでしまう。この作品は娘がライオンの爪を切っている場面だ。そしていざ丸腰になった途端、猟犬たちに襲われてしまったのだ。後ろに見える、武器を持った農民たちが、ライオンの行く末を示唆している。帰りにカフェに寄って一休み。ホテルに帰って一息つくと雨が勢いよく降り、雷もなった。イギリスに来て30日以上たってやっと降った雨。1時間ほど降ってやんだが、一晩中降ればいいのにと思った。◎エンリコホテル◎・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.11
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■プロヴァンス物語 マルセルのお城■あのプロヴァンスを忘れない永遠の愛を教えてくれた母僕はときめいて 少し泣いた。20世紀が始まったばかりの南フランス、プロヴァンス。少年マルセル(ジュリアン・シアマーカ)は、小学校教師の父ジョゼフ(フィリップ・コーベール)、病弱だが優しい母オーギュスティーヌ(ナタリー・ルーセル)に囲まれ、弟ポールと共にすくすくと育つ。妹も生まれ、一家は叔父夫婦と共に丘陵地に別荘を借り、9歳のマルセルはそこで生涯で最も美しい日々となる素晴らしい夏休みを過ごした。やがて夏は終わり、一家は再び都会に戻る。しかしマルセルの頭の中は、丘の生活や親友になったリリ(ジュリ・モリナス)のことで一杯。ようやくクリスマスが来て一家は再び別荘へ。また、翌年の春、復活祭の休日にも訪れた。そこでマルセルは美少女イザベル(ジュリー・ティメールマン)に会いすっかり夢中になるが、下痢気味のイザベルを見て興ざめしてしまい、彼女も村を去り、マルセルの初恋はあっけなく終わった。都会へと再び戻った一家は、毎週丘へ通うことを決心する。しかし大荷物で、歩いて片道4時間。途中に3つの城があり、遠回りをするためだ。あるとき一家は、父のかつての教え子ブジーグに会い、内緒で鍵を渡される。これを使えば城の中を通り2時間も近道できるのだ。 マルセル・パニョルの回想録「少年時代の思い出」を見事に映画化。郷愁あふれる珠玉のヒューマン・ドラマ!フランスの国民的作家マルセル・パニョルの回想録「少年時代の思い出」を、フランス喜劇の名匠イヴ・ロベールが詩情豊かに描いた珠玉作。「プロヴァンス物語/マルセルの夏」の続編。美しいプロヴァンスの景色を背景に、マルセルの初恋、友人との別れ、そして優しい母への思いを綴った感動のヒューマン・ストーリー。■プロヴァンス物語 マルセルの夏■の続編。別荘へは、列車を降りてから片道4時間かかる。運河に沿って歩けば、たった2時間で行ける。運河の管理人が見張っているので、恐る恐る歩くマルセル一家。運河の岸辺は、馬が牽引した小道になっている。 あいかわらず、お母さんは綺麗で優しく、別荘の生活は楽しかった。でも、マルセルの廻りは、少しずつ変わった。成績優秀なマルセルは、学校を代表して、試験を受けるために、毎日勉強しなけれればならなくなった。また、別荘で知り合った少女に夢中になったため、いっとき友人のリリとは疎遠になる。試験に合格して、どんどん大きくなり、いつかは自分の手の届かない所に行く息子を誇らしげに、そして寂し気なまなざしで見る父親。別荘で知り合った少女は、去っていった。それから時は流れ、5年後、母は病気でこの世を去った。弟ポールも親友リリも若くして死んだ。時は巡り、出会いと別れをくりかえす・・・。いつも思い出すのは、幸せだったあの頃。父がいた、母がいた、家族と友がいた。忘れ得ぬ、人生で最も美しい日々・・・。ここでは幸せが泉のようにあふれていた。 ウィリアム・モリスの壁紙の部屋があった。■ウィリアム・モリスの新婚の家:レッドハウス■今回も弟がいい感じだ。◎製作年:1990年・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.09
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■赤毛のアン 初恋■無視したいのに気になる・・・。もうすぐ13歳になるアン・シャーリーは、クスバート家でのマシュウとマリラとの生活にすっかり慣れ、腹心の友ダイアナ・バーリーとの友情も深まるばかりだった。一緒にタフィーを作りながら、おしゃべりに夢中になり、焦がしてしまって笑うふたり。ダイアナの母、バーリー夫人から泊まりに来るよう招待されたアンは大喜びするが、子供扱いし「外泊は許さない」と厳しいマリラ。でもマシュウは常にアンの味方だ。 第2部『赤毛のアン 初恋』は、もう子供ではないけれど大人でもない13歳という複雑な年ごろを瑞々しく描いている。楽しいお菓子作りから、アドベンチャー映画さながらのスリル満点の水上シーンまで起伏に富んだストーリー展開。アンと腹心の友ダイアナら少女たちの溌溂とした笑い声と眩しい笑顔が弾ける一方で、互いに好意を抱きながら一筋縄ではいかない男子生徒ギルバートとの関係は緊張感をはらみ、目が離せない! 「赤毛のアン」が好きで何回も読んでいる。だから、この次はこうで、この次はこうと筋書きが分かっている。映画の中で原作と同じようなシーンが沢山出てきた。 ◆ダイアナの家で、滞在中の老婦人、ジョセフィン伯母さんを死ぬほど驚かせてしまうこと。そのせいでダイアナが苦境に陥ったと知り、アンが謝りに行くと、ジョセフィン伯母さんはアンの話を面白がり、たちまち機嫌を直す。◆学校では、アンは幾何学が苦手、しだいに成績を上げ、人気者のギルバートと熾烈なトップ争いを繰り広げるまでになった。◆2年前に赤毛をからかわれて以来、ギルバートを無視していたアン。◆牧師夫妻をお茶に招いての「事件」◆川面にたゆとう乙女の芝居ごっこ。 よく描かれているけれど、私は思い入れが強い分、「そこは違う!」と思いながら見た。 例えば、◆アンは、ダイアナより背が高い。すらりとしたアンに比べて、ダイアナは美人だが、ふっくらしている。映画では、アンの方が小柄。◆ダイアナの家で、滞在中の老婦人、ジョセフィン伯母さんを死ぬほど驚かせてしまう所では叔母さんがあっさりと許してしまいすぎ。もっと、もっと烈火のごとく怒るはず。そしてアンは、もっと、もっとオーバーな言葉としぐさで謝罪する。アンは、謝ることも楽しんでいるのだから・・・。◆マシューはもっと内気なはず。◆それより、アンの袖は、なんであんなに膨らんでいるの?質素が一番というマリラによって、他の女の子より見劣りのするアンだけど袖が膨らんだ服も着ていたし、頭にはリボンも・・・。 これはない!というのも何カ所かあった。◆原作はアンが屋根の上を歩き、屋根の上から落ちて怪我をする。映画では、ダイアナの親戚の叔母さんに止められる。◆屋根から落ちそうなマシューを助ける。原作には、ないない!!とまあ、ツッコミ満載。これもアンが好き故だから仕方がない。続編は来月にある。 キッチン用品がかわいい♪台所の片隅に、バターを作る道具があった!! ベッドの上にはパッチワークキルトが・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.08
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■2018.7.13(金)この日は、ウィリアム・モリス(1834 - 1896年)の新婚時代の家、レッドハウスに行く。ウィリアム・モリスはイギリスのヴィクトリア朝末期に生まれ、インテリア、特に壁紙やインテリアファブリックスの内装デザインで活躍した人物。アーツ&クラフツ運動の提唱者として有名。「役に立たないものや、美しいとは思わないものを家に置いてはならない」という有名な言葉を残したウィリアム・モリスの家は、本などで何度も見ていたが実際に行くのは初めて。ホテルを9時頃出て、ヴィクトリア駅→チャリングクロス駅。そこから鉄道で約30分のところにあるBexleyheathが最寄り駅。ロンドンのプリペイドのオイスターカードでも行ける。住宅街にあり、標識は2度程見たが、ナビを持たないので何度も聞いてやっと着いた。カンタベリーでもだったが、ここでもみんな親切に教えてくれる。その名のとおり赤レンガの建物は、装飾が少ない素っ気ない外観。(ブルー・プラークと呼ばれる青いプレートが壁に埋め込まれていて、ウェッブがモリスのために建てたと書いてある。)モリス自身が住まいのラフプランを起こし(実際の設計は友人の建築家ウェッブが担当)、建物に合わせて家具や内装をデザインした。サセックス・チェアーは、サセックス地方の伝統的な椅子をもとにデザインが採られているモリス商会の代表的な商品。ガイド氏の案内でツアーという形で邸内を廻る。「この棚には、扉がついていました」とガイド氏。「扉は、とってしまい、今は美術館にあります」とガイド氏がすまして言ったのでみんな笑った。後でネットで調べたら■ロセティが書いた■とあってびっくりした。ガイド氏「これはクジャクからヒントを得たデザインです。」なるほど・・・。▲モリスの妻、ジェーンの手になる刺繍。美しいものばかりなのに、このレッドハウスで暮らしたのは、たった5年。「モリスはどうして、この家から引っ越したのですか?」と邸内のツアーの客がガイド氏に聞いた。「ロンドンまで遠かったので・・・。それに、友人のロセッティと妻のジェーンの不倫がありましたから。」と言ったので皆笑った。井戸も庭のアクセントになっている。レッドハウスは、ナショナルトラストが管理している。モリスがレッドハウスを手放してから、人手に渡り、変わった部分は、ナショナルトラストが復元している。カフェやモリスの物品、花の苗なども売っている。帰りは、日本人と結婚しているという人イギリス人女性が途中まで送ってくれた。■ウィリアム・モリスの家・ケルムスコットマナー■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.07
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■2018.7.12(木)ロンドンの二階建ての観光バスに乗って市内の案内を聞いていた。「このあたりは、ナイツブリッジという所です。このあたりには、昔、川が流れていて、橋がかかっていました。騎士が通りかかって、『自分の方が強い。』とお互いに言い合い、決闘したのです。それが【ナイツブリッジ】の地名になりました。」と案内があった。ナイツ(騎士)の橋(ブリッジ)。ナイツブリッジ。へえ~、へえ~!!そういえば、先日、観光バスに乗った時、「このあたりは、浅い川がありました。」と言っていたのはこのことだったのだ。(▲オイスターカード。ロンドン市内の地下鉄やバスに乗れる、プリペイド・カード。)その日、ホテルでロンドンの地下鉄の地図を広げた。ピカデリー線のナイツブリッジから探してみるとあった、それも沢山!!●Woodford(ウッドフォード)●SouthWoodford(サウスウッドフォード)●Redbridge(レッドブリッジ)●Liverpool Street(リバプール・ストリート)●Stratford(スタートフォード)●Oxford Circus(オックスフォード サーカス)太字が川に関係のある言葉で■フォードは、(歩いて渡れる)浅瀬。■この名前は全て川に関係する名前ばかりで偶然なのかセントラルライン上にあった。■ロンドン地下鉄■もっと調べると、ナイツブリッジのあたりにあった川の名前は、■ウェストボーン川(River Westbourne)■今は、地上には出ていないウェストボーン川は、スローン・スクエア駅の構内を鋳鉄製の導管を通って流れていてホームの端、出口の近くの天井に配管があるそうだ。■大阪の川の痕跡■を調べている私は、スローン・スクエア駅の天井の配管を確認しにロンドンに行きたい。( ̄m ̄*)ウェストボーン川とセントラルラインの川の名前との関係を知りたいと思いネットで探したが見つからない。(ノД‘)◎エンリコホテル◎・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.06
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■プーと大人になった僕■親友のプーがロンドンにやってきた。僕が忘れた「大切なモノ」を届けるために・・・。100エーカーの森で豊かな少年時代を過ごしたクリストファー・ロビンは、大人になり、ロンドンで多忙な日々を送っていた。妻子と過ごす時間もとれぬほど仕事に追われ、ゆとりを失っていたクリストファーだったが、ある日彼の前に、かつての親友、くまのプーさんが現れ…。 「クマのプーさん」は有名な童話ということは知っているが、「桃太郎」で育った私は読んだことがない。 同じ童話でも「ピーター・ラビット」はよく知っているし■作者の住んだところ、湖水地方まで行った■のだが・・・。■原作者のA・A・ミルンは1913年に結婚しました。■結婚から約7年後の1920年に第一子をもうけます。その子の名前はクリストファー・ロビン・ミルン。「くまのプーさん」に登場したクリストファー・ロビンはまさにA・A・ミルンの一人息子がモデルとなっているのです。イギリスの作家により、イギリスを舞台に描かれたくまのプーさんの世界観。一人息子のために書いた「クマのプーさん」がまさか今や世界中の子ども達に知られる作品になるとは、A・A・ミルンは夢にも思わなかったかもしれませんね。■100エーカーの森■はロンドンから車で1時間ほどのハートフィールドという村に、実在します。村や森全体が「プー・カントリー」と呼ばれ、くまのプーさんグッズの専門店があります。クリストファー・ロビンの子ども時代の服がかわいかった。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.05
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■マイライフ・アズ・ア・ドッグ■パパは家にいないし、ママは病気。お兄ちゃんは意地悪するけど、僕は運がいい。何も知らずに宇宙船に乗せられた宇宙犬ライカよりも運がいい。1950年代のスウェーデン。12才のイングマル(アントン・グランセリウス)は、いじめっ子の兄、病気がちなママ、愛犬シッカンと暮らしていた。パパは南洋の海に行ったきり。夏になりママの病状が悪化し、兄は祖母の、イングマルは叔父の家に預けられることに。大きなガラス工場のある小さなオーフェルシュ村にやって来たイングマルは、都会ではお目にかかれないような人々に出会うが、特に村のガキ大将だと思っていたサガが女の子だったことに仰天する―。 『ギルバート・グレイプ』のL・ハルストレム監督の出世作であり、日本でも翻訳されたレイダル・イェンソンが著した同名小説の映画化。1950年代末のスウェーデン。海辺の町と山間のガラス工場の村を舞台に、思春期の少年が、さまざまな人々との出会いと別れを通して人生に目覚めていく一年間をユーモラスに描く。 本作は1987年度アカデミー賞において、L・ハルストレムの監督賞と脚色賞にノミネートされていたが惜敗。監督賞の受賞者は、作品賞も受賞した『ラストエンペラー』のベルナルド・ベルトルッチ、脚色賞も同じく『~エンペラー』のベルトルッチとマーク・ぺプローだった。一方、ゴールデングローブ賞では外国語映画賞を受賞。ルイ・マル監督『さよなら子供たち』やニキータ・ミハルコフ監督『黒い瞳』などを押さえての受賞だった。 父親が家にいないし、母親は体が弱い。兄は意地悪するし・・・。でも、12歳のイングマルは、自分は運がいいという。何も知らずに宇宙船に乗せられた■宇宙犬ライカ■よりも運がいいと思っている。 父親の不在は、バナナを扱う仕事をしているからだそうで、彼は、そういう仕事も必要だから・・・(父が家にいなくても仕方がない)と健気に思っている。母親の病気は悪くなるが、「クリスマスに何が欲しい?」と母親に聞き、「イングマルが決めて」と母に言われ、トースターを買う少年のいじらしさ。 母親は病死してしまう。父親も家に戻って来そうにない。そのうえ、愛犬もどうやら処分されたようだ。家族には恵まれなかった少年イングマルだが、彼はきっと幸せになれると思う。預けられた叔父の家で友達が出来るし、女の子にもモテている。年上の女性にもモテている。おじさん夫婦、その家のおばあさんにも大事にされている。小さい頃に母親と死別することは、どれほどの悲しみかは、想像するしかないが、彼はその素直さでみんなに愛されている。その愛によって彼の心の傷は癒えると思いたい。1985年 のスウェーデン の映画。出てくる家がかわいかった。■午前十時の映画祭9■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.04
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■2018.7.12(木)■テート・ブリテン■に行った後、歩いて、地下鉄でピムリコ→チャリングクロス駅へ。駅の近くのトラファルガー広場へ。■トラファルガー広場には■いくつかの銅像が立っていますが、その中でも最も高い銅像がネルソン提督の記念柱です。この広場は1805年イギリス軍がフランス・スペイン連合艦隊との戦いに勝利したことを記念して作られた広場であり、その戦いで殉職したホレイショ・ネルソン海軍提督の功績を称えるためにこの像が立てられました。何と高さは約46メートル!ネルソン記念柱は高すぎるがゆえになかなか記念写真を撮るのが難しく、その代わりに記念写真を撮る銅像として人気なのが、記念柱を四方に囲いたたずむライオン像。これは1782年に沈没したイギリス軍の船ロイヤル・ジョージ号に取り付けられていた大砲から作られているそうです!日本の百貨店でおなじみの『三越』の前に必ずあるライオンの像はこのライオンたちをモデルに作られたという逸話も。広場の近くにあった、アールヌーボーの建築。▲こんな形はパリでは何回か見たがロンドンでははじめて。▼歩いてピカデリーサーカスに行きエロスの像のある広場に。台湾の人が経営する店でランチ。餃子の王将の餃子が食べたいと思いながら食す。二人ともお昼はこれだけ。 ☚夫はこれ。乗り降り自由なロンドンパスを使ってバスに乗る。■前日に続き2回目。■美しい門があった。バスの説明では、ライオンは、イングランドをユニコーンは、スコットランドを表すという。イギリスの童謡「マザーグース」に「ライオンとユニコーン」というのがあるという。■「ライオンとユニコーン」■ライオンとユニコーン王冠かけて戦った ライオンがユニコーンをやっつけて街のあちこち追いかけ回す白パンあげて黒パンあげて プラムケーキもあげてから どちらも街から追い出した ▲ハイドパーク▼公園内には、パトロールカーや警官がいっぱい。トランプ大統領が来るので厳重な警戒がひかれている。■ヨーロッパの公園は、■支配階級の庭園や狩場の開放に始まるが、それが急速に進展するのは産業革命と結びついた都市化の時代、19世紀に入ってからである。日本の公園も、ヨーロッパに余り遅れることなく、明治6年(1873)からであるが、その後の彼我の格差は著しく拡大してしまった。水と緑の公園の外には、馬に乗った人が・・・。(*´▽`*)これって絶対に馬でなくても、車でもいいのに、観光への配慮?オリジナルツアーのバスでヴィクトリア駅まで帰って、駅の中にあるスーパーで夕食用の食べ物を買って帰った。◎エンリコホテル◎・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.03
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(▲イギリスの国旗の色)■2018.7.12(木)朝食後9時、ビクトリア駅へ。地下鉄、ビクトリア線で次の駅ピムリコ駅へ。■テート・ブリテン(Tate Britain)は■イギリス・ロンドンのテムズ川畔、ミルバンク地区にある国立美術館。建物は1897年にミルバンク刑務所の跡地に建設された。大改修の上2001年に「テート・ブリテン」と名称を変え再開館した。 テート・ブリテンは、1500年代のテューダー朝美術以降、現代に至るまでの、絵画を中心としたイギリス美術を時代順に展示している。日本人らしき人も数人いた。この美術館は、ラファエル前派の作品が揃っている。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティが、ウィリアム・モリスの妻、ジェインをモデルにした絵があった。特に有名な作品は、ジョン・エヴァレット・ミレーによる『オフィーリア』。オフェーリアとは、ハムレットを慕って我が身を水に投げた女性。シェークスピアの名作に出てくる場面。川の流れに仰向けに浮かぶ少女のモデルは、後にロセッティの妻となるエリザベス・シダルである。 また、ターナーの寄贈した初期から晩年までの充実した作品群は、専用のウイングであるクロア・ギャラリーに常設展示されている。ターナーの部屋を探していたら、「Ask me」(私に聞いて)と書かれたカバンをかけた人が案内してくれた。幅広い年代のイギリス人美術家の作品もが常設展示されている。 ■ミレーのオフィーリア■オフィーリアとは、シェイクスピアの4大悲劇のひとつ「ハムレット」のヒロイン。縦76.2㎝横111.8㎝の油彩画に描かれた、むせ返るような緑の中で川に浮かぶ彼女は、夫ハムレットに欺かれ正気を失い、誤って川に落ち、死を迎えようとしています。そのまなざしは恍惚なのか絶望なのか…。圧倒的な自然描写にも驚かされます。 作者は19世紀、イギリス画壇に革命をもたらした男、ジョン・エヴァレット・ミレイ。その非凡な才能から幼少の頃より「神童」と称えられ、わずか11歳でロイヤル・アカデミーの学生に。ミレイは、仲間たちと「ラファエル前派兄弟団」を結成し画壇に反旗を翻しますが、その作品は轟轟たる非難を浴びることに。その屈辱をバネに発表されたのが今回の作品でした。 ■ミレーのオフィーリアは、「美の巨人」を見てから絶対に見たいと思っていた作品。■(▲これも芸術??) カフェで、お茶休憩後、 歩いて、地下鉄でピムリコ→チャリングクロス駅へ。この後、バスで観光する。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.02
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■2018.7.11(水)■タワーブリッジ(Tower Bridge)は、■イギリスのロンドン市内を流れるテムズ川に架かる跳開橋。1886年に着工、1894年に完成した。第二次世界大戦中はドイツ空軍の爆撃目標、あるいはV2ロケットなどの目標となり、1944年8月2日にはV-1ロケット1発が車道部分に命中して被災した。 この橋はロンドンの観光定番スポットとなっているが、同じテムズ川のすぐ上流にある、民謡「ロンドン橋落ちた」で有名なロンドン橋であると、世界中の人から度々間違われている。 19世紀後半、イーストエンド・オブ・ロンドンの商業発展のためロンドン橋の下流に新たな橋が求められた。しかし、ロンドン橋とロンドン塔の間にプール・オブ・ロンドンが存在し、入港の障害となることを避けるため固定された橋の建設はできなかった。この問題を解決するため1876年に設立された委員会は、デザインの公募を行い、テムズ川を横断する方法を模索した。50以上集まった提案に対する評価の議論は長引き、1884年に都市建築家であるホーレス・ジョーンズの設計が承諾された。 (▲この模様、兜姿の騎士に見える。)橋の長さは244m、左右にあるゴシック様式の主塔の高さは65mあり、内部は展望通路・歴史博物館がある。主塔間の橋桁の長さは61m、上部橋の高さは44mである。塔のデザインは鉄塔を腐食から守る目的と、名前の由来ともなっている付近のロンドン塔の景観への配慮から、コーンウォール産花崗岩とポートランド石(英語版)で覆われている。★■塗り替えられたタワーブリッジ■1977年、タワーブリッジはエリザベス女王のSilver Jubilee(即位25年祝典)の時にイギリス国旗の色である赤、青、白色に塗り替えられました。それまではチョコレートブラウン色でした。世界でもっとも美しい橋といわれる「タワーブリッジ」を船から見たり、バスから見たり、歩いてみたり・・・。中に入らなかったのは残念。◎エンリコホテル◎・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2018.10.01
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