全22件 (22件中 1-22件目)
1
■お笑い芸人ぺこぱ■(♪音が出ます!)のネタで「時を戻そう」というのが大好きだ。昨年の暮れのMグランプリを見て以来、ずーっと好きだ。ああ、去年の12月は、コロナのコの字も知らなかった。あの頃に、「時を戻そう」・・・。( ;∀;)てゆうか、コロナっていつから流行り出したのだろうと調べてみた。■2020年6月現在、最新の「デジタル伝染病学」に基づいた■ボストン大学のイレーン・ゾイジーらの研究チームの研究によると、2018年1月から2020年4月に撮影された武漢市の衛星写真111枚の分析結果やインターネット検索エンジン百度での特定の症状が検索された頻度などから、COVID-19に特有の症状とされる「下痢」の検索数が8月に急増しており、8月には新型コロナウイルスの流行が始まっていた可能性があるとともに、下痢が「市中感染において重要な役割を果たした可能性がある」と示唆した。 なんと、なんと、昨年、2019年8月には、もうコロナが存在したかもしれない!!ということは、「2年前まで『時を戻そう』」といわなければならないのか・・・。2年前まで時を戻すことが出来たならば、マスクの生活をしないでもいい。旅行にだって行ける。夫の友人は、今年3月に交通事故で亡くなったが、これも防げたかも・・・。コロナがなかったら今年も「Mグランプリ」が普通に行われるし、子どもは学校へ行き、夏休みには、プールに行ったり、お盆にはおじちゃん、おばあちゃんに会いに行ける・・・。そんなあたりまえだった日常がなくなった今、世界はなんと多くのものを失ったのだろう・・・。 ■2020年8月■花火*命日に線香代わりの花火かな*夏の日の記憶の言葉「避病院」*続く夏残して三浦春馬逝く*蝉の声三浦春馬の嘆きあり*はかなきは三浦春馬と花火かな十八という日は嫌い春馬逝く■2020.8月見た映画■*風の谷のナウシカ*ファヒム パリが見た奇跡*剣の舞 我が心の旋律■書き残したネタ■*伊豆大島の「ハマンカー」*橋2*林檎ネタ*大阪弁*丁寧すぎる言葉*プラスティックごみ。 *白樺のかご*会話力*妄想古民家カフェ「くるり」*漆の木・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.31
コメント(0)
■ユニコーン■2016年、ドイツのミュンヘン。ファルカはエドガーがやってくるのを待っていた。実に40年ぶりの再会となるのだ。ファルカはずっとエドガーを探していたが見つけられなかった。それが突然アーサーから連絡が入ったのだ。久しぶりに会ったエドガーは痩せ、触れることもできない。陽にあたるのもよくないようだ。そこへダイモンと呼ばれる男と今はポーの村の管理をしているシルバーが現れ…。 1976年、ロンドンで火災にあい、体にダメージを受けた、エドガーとアラン。エドガーの指はまだ回復していないため黒い手袋をはめていた。アランにいたっては、まだ小さな塊で旅行鞄に入っている。本作品は、1958年、1975年、1963年と物語は続く。1975年の章では、1976年のロンドンでも火事の真相が!!■萩尾望都氏の漫画『ポーの一族』の最新作『ポーの一族 秘密の楽園』が、■27日発売の『月刊flowers』(小学館)8月号で、約1年ぶりに連載が再開された。1972年~1976年にかけて連載された『ポーの一族』は、2016年に連載終了から40年ぶりに同誌に新作『ポーの一族 春の夢』を発表し、反響の大きさにより掲載誌が売り切れる書店が続出し、重版された話題作。少年の姿のまま永遠を生きる吸血鬼・エドガーが主人公で、西洋に伝わる吸血鬼伝説を題材としたストーリーとなっている。 作者の萩尾望都は、1949年生まれの現在71歳。2011年、引退を考え短編数編でフェイドアウトする予定だったが、東日本大震災で終末を表すものは止められ描けなくなった。何十年もの時代を超えての物語の展開は、さすが、モー様!! ■ポーの一族年表■■原案「ポーの一族」のドラマを見た。■■萩尾望都 少女漫画界の偉大なる母■■「ポーの一族」の誌的な言葉■■ポーの一族:春の夢■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.29
コメント(0)
■ファジーな大阪弁一覧表:「ふ」■■ぶさいく(不細工)不出来、不手際、ぶざま、体裁の悪いことをいう。■ぶたばこ(豚箱)警察署の留置場の俗称。■ぶつぶつ①不平をもらしたりするさま②多く粒だっているさま(倒語)■ファジーな大阪弁「あ」~「お」■■ファジーな大阪弁:「か」~「こ」■■ファジーな大阪弁:「さ」~「そ」■■ファジーな大阪弁:「た」~「と」■■ファジーな大阪弁:「な」~「の」■■ファジーな大阪弁:「は」■■ファジーな大阪弁:「ひ」■「なにわことばのつどい」(平成13年(2001)6月21日)より・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.28
コメント(0)
(■2019年に行ったギリシア・アテネ。■映画のロケ地みたい。)今年3月末でおしまいという知らせにガッカリしていた「午前十時の映画祭」が再び開催を決定!!■2020年3月26日をもって一旦は■10年の歴史に幕を閉じることになりましたがこの度、ファンの皆様からの閉幕を惜しむ声や熱い思いに後押しされ、2021年4月2日(金)~「午前十時の映画祭11」として再開することが決定いたしました。上映劇場や作品などの詳細は、今後、映画祭公式サイトで随時発表させていただきます。どうぞお楽しみにお待ちください。(*^▽^*)見たい映画をリクエストしようかな・・・。■午前10時の映画祭11リクエスト ■★見たい映画★★田舎の日曜日*1912年パリ郊外の田舎を舞台に、一人の老画家をめぐる日曜日の出来事を描いた作品。★海辺のポリーヌ★インドへの道★小間使いの日記★カラー・パープル★家族の肖像★細雪★シザーハンズ★シベールの日曜日★さよなら夏のリセ ★小さな中国のお針子★トリュフォーの思春期★テス ★ブロークバック・マウンテン *壮大で美しいブロークバック・マウンテンの農牧場で出会った二人の青年。山でのキャンプ生活の中で、次第に彼らは友情を超えた深い感情が芽生えはじめるのだったが…。20年にもわたる男同士の愛の物語を綴ったアン・リー監督の傑作ドラマ。★ピクニック・アット・ハンギング・ロック★プリティ・ベイビー★ハンナとその姉妹*都会に暮らす女性たちの愛を揺らめき、ニューヨークの人間模様が描かれるウディ・アレン監督作品。★モンパルナスの灯★ミツバチのささやき ★ライアンの娘★リトル・プリンセス・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.27
コメント(0)
今から60年以上前、岡山の田舎で子供時代を過ごした私。当時は、8月15日と16日に盆踊りがあった。15日の夜は、学校の校庭で、16日の夜は、山の中腹にあるお寺の盆踊りがあった。村の中心部に学校があり、お寺は、学校から川沿いに歩いて10分ほどのところから山に登った。 ある年の8月16日の夕方、私は、近所の年上の女の子に連れられてお寺に向かった。小学校を過ぎ、橋を渡ると道が二手に分かれ、左に行くとお寺に続く道があった。左に曲がって少しすると、一緒に行っていた女の子が、川の向こうを指さしながら、「あそこに、A子ちゃんがおるんやで」と言った。 当時、村には、病院はなかったが、「避病院」とよばれる伝染病の「病院」だった。A子ちゃんは、赤痢でその避病院にいるのだった。私より2つ年下の子がたったひとりで、そこにいるのかと思うと可哀そうでたまらなかった。年上の女の子が私に、「A子ちゃん、ゆうてみようか」と言い二人で「A子ちゃーーん」と叫んだ。避病院と道の間には、川が流れているし、聞こえるはずはなかった。避病院は、いつの間にか無くなって、診療所が出き、診療所の医者がスクーターで往診に来ているのを見ることが、たまにあった。避病院は、私の記憶の中に夏の思い出として残っている。 *夏の日の記憶の言葉「避病院」 はるな・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.26
コメント(0)
●持参金●あらすじ心斎橋筋にある洋装雑貨店の四男坊の民四郎に縁談が持ち込まれた。持参金、一千万円、別に、敷地三百坪に六十坪の新築の家と家具一切という。但し、養子ではない。相手は、船場の三姉妹の中嬢(いと)はん、千賀子。船場の旧い家では二十三歳までが娘の婚期と考えられていたから、二十七歳の千賀子は、少し遅れている。千賀子になにか、欠点でもあるのだろうか・・・?山崎豊子の短編小説、殺人のないミステリー。 ●遺留品●あらすじ阪和紡績の社長、横山正資(ただすけ)(56歳)は、東京に出張した。そして、帰りの飛行機で遭難してしまった。遭難現場には、彼の鞄が落ちており、中には会社の書類と共にドライ・ミルクが落ちていた。横山社長には、乳児どころか子どももいないのに、なぜドライ・ミルクがあったのか・・・。重役たちは、横山社長には、隠し子がいたという噂を立て始めた。新卒からずっと秘書として仕えてきた瑛子は、尊敬していた社長の疑いをはらすべく密かに調べていたが、最後に子猫のためのドライミルクだったことがわかる。 時代だなと思った。今なら新幹線で日帰りが出来る東京、大阪間だが、昭和30年代(例えば昭和30年代後半=1958年)には、特急つばめが6時間をかけて走っていた。その後、新幹線が4時間で走るようになるが、1964年まで待たなければならない。だから日帰りしようと思うと飛行機。●しぶちん●あらすじ“しぶちん”とは大阪弁でケチン坊のことだが、ケチが陰にこもらない開放的な言い方である。19歳で伊勢の沢庵売りから大阪の材木問屋に奉公して財をなした山田万治郎は、“しぶまん”と呼ばれながらも、昭和初年に、商工会議所の議員に推薦される。大阪商人の金銭への執念を捉えた作品。●読書メモ● ◎は私のメモ。●結婚式は、ごく、ひっそ(質素)に行われた。◎「しっそ」を「ひっそ」というが、同じように 「しちや(質屋)」は、「ひちや」「しつこい」は、「ひつこい」となる。『し』が『ひ』と変わるのは西日本が中心の地域による方言で、『七(シチ)』を『ヒチ』と読んだりするように、『ひちや』もじつは立派な方 言なのです。『し』が『ひ』と変わるのは西日本が中心の地域による方言で、『七(シチ)』を『ヒチ』と読んだりするように、『ひちや』もじつは立派な方 言なのです。◎14~15歳が丁稚の平均年齢。■江戸時代の船場の食生活■■暖簾■■花のれん■■船場狂い■■持参金■遺留品■しぶちん■エッセイ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.24
コメント(0)
■剣の舞 我が心の旋律■わずか8時間で生まれた伝説の名曲1942年11月29日。戦火から逃れ、モロトフ(現在のペルミ)に疎開していたキーロフ記念レニングラード国立オペラ・バレエ劇場は、寒さと食糧不足に悩まされながら、12月9日に初演を迎えるバレエ『ガイーヌ』のプレミアに向けて練習を続けていた。しかし、振付家のニーナ・アニシモワ(インナ・ステパーノヴァ)から連日のように変更が伝えられ、作曲家のアラム・ハチャトゥリアン(アンバルツム・カバニアン)は修正に追われ苛立っていた。ソリストのサーシャ(ヴェロニカ・クズネツォーヴァ)は匿名でアラムの好物を差し入れ、密かに応援していた。上演前の検閲にやって来た文化省のプシュコフ(アレクサンドル・クズネツォフ)は、サーシャに色目を送り、失業寸前のサックス奏者アルカジーにアラムの動向を密告するよう命じる。 ソビエトの作曲家ハチャトゥリアンの名曲『剣の舞』誕生にまつわる実話を映画化。1942年12月、アルメニアを舞台にしたバレエ『ガイーヌ』は初日を目前に控え、勇壮な踊りの追加を命じられる。作曲家アラムは作曲家人生を懸けて、その挑発に立ち向かう。ハチャトゥリアンの自伝や記録、遺族の証言を基に、「剣の舞」完成前後の2週間に焦点を当てて描いた。■♪剣の舞■という曲は知っていたし、ハチャトウリアンが作曲したということも知っていたが、知らないことが多すぎた。まず、作られた時代が、1942年、第二次世界大戦の時代。ソ連が戦意高揚のために作ったということもビックリ!バレエのための曲だということも知らなかった。 1940年代といえば、つい最近という感じがする。だから主人公たちの着ている服は、今とほとんど変わらない。靴だけが、白い長靴に、普通の靴の部分が黒になっていたが・・・。しかし、ハチャトゥリアンの部屋は、今と大違い。もちろん電化製品はなくストーブで暖を取る。その上に乗っているやかんが素敵だった!!!部屋のピアノは、ろうそく立てがあるクラシックなものだ。やっぱり1940年代は、昔なんだな・・・。 バレエ「ガイーヌ」、見てみたいものだ。■アルメニア国立バレエ『ガイーヌ』より「剣の舞」■■♪仮面舞踏会■♪音が出ます!!・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.22
コメント(0)
■ファヒム パリが見た奇跡■♪音が出ます!!その一手に希望を乗せて天才チェス少年として有名な8歳のファヒム(アサド・アーメッド)と父親は、母国バングラデシュを追われ、家族を残してフランス・パリへとやって来る。だが到着してすぐ、強制送還の可能性に怯えながら、亡命者として政治的保護を求める戦いが始まった。そんななか、ファヒムはチェスのトップコーチであるシルヴァン(ジェラール・ドパルデュー)と出会う。独特な指導をするかつての天才チェスプレーヤーでもあるシルヴァンと、明晰な頭脳を持ち口達者なファヒムはぶつかり合いながらも、次第に信頼関係を築いていき、チェスのトーナメントを目指すのだった。だが、移民局から政治難民としての申請を拒否されたファヒムの父親は、身の置き所が無くなり姿を消してしまう。チェスチャンピオンを目指す政治難民の少年をめぐる実話を映画化。ファヒムを演じるのは、本作が演技初挑戦で、自身も撮影3か月前にバングラデシュから政治亡命者の息子として逃れてきたというアサド・アーメッド。 パリのチェス教室は、小学生ばかり。思わず、■「ふみもと子供将棋教室か!」■と心の中で突っ込んだ! この映画は、本当にあったことをもとにして作られているが、主人公・ファヒムのなんと魅力的なこと。子どもらしく、離れたお母さんを恋しがることやお父さん思いなこと。物事の考え方がユニークで柔らか頭なので学校でも褒められる。フランス語がまったくわからないままパリに来たのに数か月で話せるようになった。通訳がわざと間違えて訳していると、怒ってくってかかる。間違っていることは、大人でも、強い人にもちゃんとものが言える。もちろん、チェスは、強い!生まれて初めて見る海や雪に感動するシーンも微笑ましい。 そんなファヒムをチェス教室の関係者やチェス友もみんなが、順番に家に泊めたりして応援している。祖国にいたら命が狙われたり戦争で危険。海外に逃げたら、強制的に母国に送還される。仕事がなく、なにより言葉も不自由だ。それが難民。この映画を見て、難民の事が分かったなんて言わない。この映画の主人公は、ラッキーな人たちなのだから。■難民とは■1951年の「難民の地位に関する条約」では、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた」人々と定義されている。今日、難民とは、政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために国境を越えて他国に庇護を求めた人々を指すようになっている。 また、紛争などによって住み慣れた家を追われたが、国内にとどまっているかあるいは国境を越えずに避難生活を送っている「国内避難民」も近年増加している。このような人々も、難民と同様に外部からの援助なしには生活できない。適切な援助が実施できなかった場合、これらの人々は国境を越えて難民となり、結局、受け入れ国の政府や国際社会は、より重い負担を強いられることになってしまう。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.21
コメント(0)
●船場狂い●伝統と格式の商家がひしめく大阪・船場。久女(くめ)は幼い頃から船場の富商にあこがれ、その一員になるため異常な執念を燃やして生きてきた。娘の結婚を契機にようやく船場商人へとのし上がるが、時はすでに戦後。時代は船場の町を大きく変容させていた。船場を舞台にした山崎豊子の名短編。 船場は、東西を東横堀川、西横堀川、南北を土佐堀川、長堀川に囲まれた島のような街。川一つ越せば、まったく違う世界になる。 船場には多くの仕来りがある。●船場では、気温の寒暖に関わらす、四月一日から男女ともに袷(あわせ)になり、外出には必ず袷長襦袢と袷羽織を着用する。六月一日から単衣(ひとえ)になり、菖蒲節句から帷子(かたびら)、麻長襦袢、ろ羽織、 浴衣は六月15日から、七月一日から薄物、しゃの羽織、九月から単衣、十月から袷という更衣のしきたりがある。●・・・土佐堀川の向こうの子供だけ変わった名称で呼ばれることであった。男の子は、ぼんぼん。兄弟が沢山ある場合は、兄ぼん、中ぼん、小ぼんなどと云われていた。女の子は、嬢(いと)さん。これも姉妹の多い時は、嬢(とう)はん、中嬢(いと)はん、妹嬢(こい)さんという風に呼ばれた。夏祭になると、このぼんぼんや嬢(とう)はんの中からだけ、難波神社のお稚児さんが選ばれた。主人は、旦那(だん)さん、奥さんは、御寮人(ごりょうん)さん、女隠居は、御家(おえ)はんと呼ばれる。 江戸時代の船場の北に位置する天満の呉服屋の物語■あきない世伝金と銀■では、以下のように書かれている。●眼下を流れる大川は、天満組と*(船場)北組*とを明確に分かつ。同じ大坂でありながら何かと爪弾きにされる天満組にとって、大川に架かる橋には、強い思い入れがあった。 久女(くめ)は、船場に憧れて、船場の外にいながら船場のように暮らした。●船場に住んでいないのに、船場の子女が行く女学校に行く。●更衣も船場のとおりにした。●結婚して子どもが生まれたら、「ぼんぼん」、「嬢(いと)はん」、「妹嬢(こい)さん」と呼ばせた。手代にも、番頭は助、手代は七、丁稚は吉と付けて呼び、女中もお梅どん、お竹どん、とどん付けにした。●食事も箱膳を使った。●娘を船場に嫁にやった。船場というブランドに憧れた女商人を描いた短編ながら、面白い作品だった。■暖簾■■花のれん■■船場狂い■持参金■遺留品■しぶちん■エッセイ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.19
コメント(0)
■ファジーな大阪弁一覧表:「ひ」■■ひげのはえた(髭の生えた)ほんの少しばかり超過したことのたとえにいう、■ひっつきむし(引付き虫)①衣類に付くヤブジラミ(セリ科の越年草)の果実の別称。②母親に甘えてそばを離れぬ子を指していう。■ひょうたんなまず(瓢箪鯰)「瓢箪で鯰を押さえる」を名詞化した語。ぬらりくらりと要領を得ぬたとえ。■びんぼぼんぼん(貧乏坊坊)えぇし(良家)でもないのにえぇしのぼんぼん(息子)のような気性の人。苦労知らずの貧乏人とでもいえようか。◎「貧乏人のお嬢さん」とうのを聞いたことがある。◎ひっそ(質素)◎「しっそ」を「ひっそ」というが、同じように 「しちや(質屋)」は、「ひちや」「しつこい」は、「ひつこい」となる。『し』が『ひ』と変わるのは西日本が中心の地域による方言で、『七(シチ)』を『ヒチ』と読んだりするように、『ひちや』もじつは立派な方 言なのです。『し』が『ひ』と変わるのは西日本が中心の地域による方言で、『七(シチ)』を『ヒチ』と読んだりするように、『ひちや』もじつは立派な方 言なのです。数を数える時、「・・・七(ひち)八・・・」と普通に言う。●単一の文字を大阪弁で読む場合、「ひ」(HI)の発音で読む言語40字の内、特徴のある対象は6文字。左に母音を強く発声する特徴・長音化を列記してみる。ひぃ 一 一ぃ二ぅ三ぃ四ぉひぃ 日 日ぃが長いひぃ 火 火ぃいこすひぃ 樋ぃ(を)架けかえる。ひぃ 非 非ぃの打ちどころも無いひぃ 碑 碑ぃ建てる●同様の参考として、「け」(KE)をみると、20字のうち対象が4字ある。(「ひ」「け」以外は省略する)けぇ 毛 毛ぇ染めたけぇ 気 舞の気ぇ(が)おます。けぇ 卦 卦ぇで吉凶みたろけぇ 罫 罫ぇ(を)引く■ファジーな大阪弁「あ」~「お」■■ファジーな大阪弁:「か」~「こ」■■ファジーな大阪弁:「さ」~「そ」■■ファジーな大阪弁:「た」~「と」■■ファジーな大阪弁:「な」~「の」■■ファジーな大阪弁:「は」■「なにわことばのつどい」(平成13年(2001)6月21日)より・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.18
コメント(0)
残暑お見舞い申し上げます!40度近い気温にクラクラするような毎日。毎年、気温が上がっているようだという声があちこちから聞こえてくるけど、プラスティックと気温が繋がっているという話題を!■1)プラスチックは石油でできている■サーキュラーエコノミーを推進するエレンマッカーサー財団の報告書によると、2014年には、石油生産の6%がプラスチックに使われました。このまま行けば、2050年までには、20%にもなります。もしそうなれば、2014年には1%だったプラスチックが原因の温室効果ガス排出は、2050年には最大15%にまで増えることになります。石油産業の利益は、プラスチックの継続的使用にも依存しています。気候変動対策が世界中で叫ばれ石油の需要が減るなか、石油業界は石油性プラスチックの生産規模の拡大を狙っています。石油会社が意図するまま、私たちが使い捨てプラスチックを使い続ければ、それだけ気候変動を推し進めることにつながってしまいます。■2) プラスチックは燃やされているプラスチックが燃やされると、温室効果ガスが発生します(そして有害物質も)。少々古いデータですが(現在最新のデータの算出方法を問い合わせ中…)、2007年には廃プラスチックの燃焼で2,000万トンのCO2が排出されています。これは、1年間のCO2排出の1.5%に当たります。■3) 植物性プラスチックでもCO2排出 トウモロコシやサツマイモなどを原料とした植物性のプラスチックが増えています。日本政府も、2030年までに使い捨てプラスチックを25%削減するという(低くて遅い)目標を立てようとしていますが、その代わり植物性のプラスチックの開発に投資して普及させようとしています。 しかし、こうした代替プラスチックにも、気候変動を推し進める危険があります。植物性プラスチックの需要が増えたら、原生林を破壊してそこにプラスチックのための畑を作るかもしれません。そうすると、森や土が蓄えていたCO2が空気中に放出されることになります。■切っても切り離せない使い捨てと気候変動 使い捨て文化と気候変動は、切っても切り離せません。ごみを出さないサステナブルな暮らしと、私たちが安全に暮らせる未来はつながっているのです。環境NGO:グリーン・ピースリサイクルしても問題あり■のペットボトル。■「プラスチック・フリー生活」■以外、解決策は、なさそうだ。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.17
コメント(0)
盆踊りは、盆に招いた祖霊を迎え、送るための念仏踊りであるといわれている。盆踊りは道内の最大に楽しみとして、8月14日から16日の間、地域によっては二十日盆の頃まで賑やかに催されていた。踊りの広場には小学校のグランドや寺、神社の境内などが利用され、青年たちの手で櫓が組まれ、太鼓の代わりに樽が持ち出され、歌の上手な歌い手の調子に合わせて子どもから大人まで幾重もの踊りの輪が出来た。真狩村には、明治20年代から高知、徳島、神戸、富山、岐阜団体などが入地しているが盆踊りはどの集落でも盛んであった。特に大正期のでんぷん景気の時期は最大の盛り上がりを見せたと記録されている。 遊郭街の芸妓も繰り出し賑わった根室の盆踊りでは、明治15年頃、越後移住者が母村からもたらしたベッチョ節を踊り、一週間で六丁の樽を叩き破るまで踊り続けるのが普通であったと言う。 こうしてみると、北海道に移住した人々は、それぞれの地域で母村の盆踊りを披露していたことが分かる。戦後は、「ハァー、北海名物 アードーシタドシター 数々 コリャ アーレドヨ」と歌う北海盆歌が盆踊りの主流となった。 踊りの好きな人は一晩で下駄がすり減るほどに熱狂したと言う。北の生活文庫第6巻・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.15
コメント(0)
スイカを蠅よけに使う。スイカを切って皿に置くと、蠅は、そのスイカにたかり、客の料理には寄ってこない。■みをつくし料理帖 想い雲■より へぇ~~!!「みをつくし料理帖」シリーズは、江戸時代の暮らしが、こんな所に垣間見えて楽しい。調べてみたら、■ウリミバエ■という名の蠅がいた。その名のとおりスイカやキュウリなどのウリ類を食べ・・・。他の蠅もスイカが好物だったのかも知れない。江戸時代の人は、よく観察していたのだなと感心する。■天(そら)の梯(かけはし):みをつくし料理帖10(完)■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.13
コメント(0)
■ポーの一族 春の夢■【内容情報】(出版社より)名作「ポーの一族」40年ぶりの新作続編! 不朽の名作「ポーの一族」から40年。ついに新作の続編がコミックスに!!永遠の時を生きるバンパネラ(吸血鬼)であるエドガーとアランは、1940年代戦火のヨーロッパ、イギリス郊外でナチスドイツから逃れてきたドイツ人姉弟と出逢う・・・そしてその出逢いが新たな運命の歯車をまわすーーー■これまでのあらすじ■1744年、森の奥に捨てられた幼いエドガーとメリーベルは、老ハンナ・ポーに拾われて育てられるが、老ハンナとポー家の一族の人々は吸血鬼「バンパネラ」であった。11歳のときに一族の秘密を知ったエドガーは、成人後に一族に加わることを約束させられ、その代わりにメリーベルを巻き添えにしないよう彼女を遠くの町に養女に出させる。 1754年、エドガーが14歳のとき、成人までに一族の手から逃れようと画策した結果、正体を村人に見破られた老ハンナは胸に杭を打たれて消滅する。しかし彼女の連れ合いで一族の最も濃い血をもつ大老(キング)ポーは、いやがるエドガーを無理やり一族に加え、エドガーは永遠に少年のままとなってしまう。 3年後、13歳になったメリーベルはバンパネラのエドガーと再会し、自ら一族に加わることを望む。それから2人は一族のポーツネル男爵とその妻シーラを養父母として100年以上の時を過ごすが、1879年、4人の正体を知った医師によりメリーベルとシーラが消滅させられ、ポーツネル男爵もその後を追って消滅してしまう。 最愛の妹を失ったエドガーは絶望と悲しみに沈む中、新たにアラン・トワイライトを一族に加え、以後2人で100年近くの時を過ごすことになる。しかし1976年、2人にも永遠の別れの時が訪れる。 「ポーの一族」再び現る。 出版不況が吹き飛んだかのような話を聞いた。小学館の少女漫画誌「フラワーズ」7月号が各地の書店で売り切れた。通常部数より多い5万部を用意したが足りず、増刷分もすぐ完売したという。▼萩尾望都(もと)さんの漫画「ポーの一族」の40年ぶりの続編が載ったからである。思春期に愛読したファンが書展へ走ったらしい。(2016.7.1日朝日新聞「天声人語」)このように、40年ぶりの続編は話題になり、本屋で売り切りが続いた。1972年に発表され、1976年まで続いた「ポーの一族」。当時、大人気だったが私が読んだのは、1990年代のはじめ頃。1976年にエドガーもアランも死んだと思っていたが2016年に復活。40年前の作品が余りにも好きだったので、今まで読むことができなかった。今回、やっと手に入れ読んだ。1976年までのストーリーの中で、謎だったところが沢山分かった。 1940年代のイギリスの島に現れたエドガーとアラン。ちょっと、絵が違う。特に、アランの顔が違う。「春の夢」の中には、いろんな新しいバンパネラが登場する。★ファルカ1925年パリ万博で出会った。レオパード柄のスカーフをまいた「女装」のバンパネラ。ファルカは、空間を移動できる。(どらえもんの「どこでもドア」的な)★クロエ9世紀頃!(平安時代だ!!!)、村が疫病に襲われて生き残ったクロエは、老(ろう)ハンナによって一族に加えられた。(老ハンナは8世紀頃、大老(キング)ポーによって、一族に加えられた。)★オットマー家オットマーの男子は45~46歳頃に、眠れない病になる。死ぬとき、本当に死ぬか、バンパイアになって生きるかと決めることが出来る。ポーの一族とは別の一族。★ブランカ大けがをファルカによって一命を取り止め、ファルカの手で一族に加わる。「ポーの一族」は、とても有名なので、パロディがある。そのひとつが、「ペーの一族」。■『ペーの一族』の■主人公・林家ペーがエドガーの姿で描かれている。 著者は、「ストーリーは基本『ポーの一族』と一緒」で、「林家ペーが落語家だっていうことを最近の人は知らないじゃないですか。それというのは彼が、自分は林家一門っていうことを隠して生きているからだ...みたいなことだと思うんですよね。」ということから巻き起こるドラマだと、萩尾との対談で説明している。 作品中、林家三平に「ペー、テレビに映ってない!!」と怒鳴られ「テレビに映りたかったら、つねにこん平の後ろに回りこめ!」と言われたペーが、エドガーの姿で「笑っているふり...面白がっているふり...それくらいできるよ」とつぶやいたり、グレンスミスに模された人物が「...林家一門...」と愕然とするバックに「林家 林家 林家の一門」と記されている場面などが描かれている。 読みたい!!!((´∀`))ケラケラ■ポーの一族年表■■原案「ポーの一族」のドラマを見た。■■萩尾望都 少女漫画界の偉大なる母■■「ポーの一族」の誌的な言葉■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.12
コメント(0)
●「暖簾」●たった35銭を握りしめ、15歳の八田吾平が、淡路島から大阪に出てきたのは、明治29年の三月。一介の丁稚から叩きあげ、苦労の末築いた店も長子も戦争で奪われ、ふりだしに戻った吾平の跡を継いだのは次男孝平であった。孝平は、大学出のインテリ商人と笑われながら、徹底して商業モラルを守り、戦後の動乱期から高度成長期まで、独自の才覚で乗り越え、遂には本店の再興を成し遂げる。親子二代“のれん”に全力を傾ける不屈の気骨と大阪商人の姿を描く作者の処女作。 江戸時代、北前船が北海道から、昆布を積み大坂に持ってきた。だから昆布は大阪=上方でよく食べられたという。そんな昆布を商う船場商人の物語だ。 作者の山崎豊子は、船場の出身。実家は老舗昆布屋の小倉屋山本。「暖簾」は、生家の昆布屋をモデルに書いたもので山崎のデビュー作。以来、「花のれん」、「女系家族」、「ぼんち」など船場ものを書いた。初期の作品は船場など大阪の風俗に密着した小説が多い。その頂点が足袋問屋の息子の放蕩・成長を通して商魂たくましく生き抜く大阪商人の典型を描いた『ぼんち』であり、市川雷蔵主演により映画化された。「花のれん」は、NHKの朝ドラになになった。「女系家族」も何回も映画化ドラマ化された。●読書メモ●●船場の商家の習いで、給金はなく、小遣いとして月々貰う五銭はもちろん、二、三十銭の盆、正月の祝儀(ぽち)、祭りのひねり紙・・・。●酢は『三勘』の酢で漬け・・・。*「ミツカン」って「三勘」と書くのか・・・。●火元の丸喜の主人は、紋付羽織に袴をつけ、足元は裸足のままで「火出しておわびの申しようもござりまへん、どうぞこの通りで・・・」類焼した隣の近所へ土下座に廻った。これが火出しの作法であった・●「昔から大阪の昆布、江戸の海苔いうやないか、東京人は、ああ昆布か、あれは安いもので江戸っ子の食うもんではない思てる。・・・」「そら確かに前はそうやった、そやけど、戦争を境にして変わってきてる・・・・配給された昆布食べてみたら割にうまい、おかげで戦後は江戸っ子にもなかなか昆布好きがいはるというあんばいや」●「お母はん、酢昆布買うて欲しいわ」嬢はんいこう注文されると、幸平は流行の服着てハイヒールをはいてても、大阪の生粋の娘はチュウインガムの代わりに酢昆布をしがんでくれはると、手放しで喜んだ。*■みをつくし料理帖■で、「なにか大坂らしい食べ物を・・・」と言われて澪は、とろろ昆布を作った。同じく■みをつくし料理帖■で出汁出汁をとるのは、江戸はカツオ、上方は、昆布とあり、澪は、両方のいい所を生かそうと、いろいろ工夫する。■暖簾■花のれん■■船場狂い■持参金■遺留品■しぶちん■エッセイ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.11
コメント(0)
■7月8日、ツイッターでポテトサラダを巡り、論争がぼっ発したことをご存知だろうか。■きっかけとなったツイートは、以下のようなものだった。 ***《「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら》(註:改行を省略した。以下同) 反響は大きかったようだ。ツイッターの表示によると、7月11日現在、リツイートや引用ツイートが13万1000件を超え、「いいね」の数は38万3000件に達した。更にツイッターのホットワードとして「ポテサラ X ポテトサラダくらい」が選ばれたほか、アプリの「YAHOO! リアルタイム検索」でも「ポテサラ」が長時間、上位にランクインしていた。 この《高齢の男性》が失礼なのは言うまでもない。ツイッターでも《久しぶりに腸煮え繰り返るtweet見たわ》など、怒りの声が多数、投稿された。だが、タイムラインを見てみると、ツイートの内容は男性に対する非難の声だけではない。「果たしてポテトサラダは簡単な料理なのか、難しい料理なのか」という議論も起きたようなのだ。「果たしてポテトサラダは簡単な料理なのか、難しい料理なのか」これが、ポテサラ論争だとマスコミが取り上げたそうだ。 私は、まったくその論争に気が付かず、先日、YouTube「ロザンの楽屋」で見て初めて知った。■ポテサラ論争に対するロザンの見解■お笑い芸人・ロザンの二人は、この論争に対して、論争すべきは、「母親なら」という言葉だろうという。まったく異議なし!!テレビに出る多くの人も気がつきながら、知らないふりをしていたのかもしれない。コメンテーターとして番組に出ているロザンの菅ちゃんは、番組の中で、「ポテサラ云々より、論争すべきは『母親なら』ではないか」と言った。番組の空気が悪くなったそうだ。(宇治原)この、しらーっという空気が怖いから、言わないでいることも多いんだろうな、他のコメンテーターは・・・。そんなことを感じる、動画だった。■うがい薬に対する意見もよかった。■■ロザンの楽屋が面白い!■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.10
コメント(2)
■ファジーな大阪弁一覧表:「は」■■はいから素うどんに天かす(揚げ玉)を入れたもの■はしり(走り)①走り元、台所のながし②走り物の下略、初物■はちょみところ(八町三所)走ることの極めて早いこと、八町を三度に飛ぶ意。■ばってら(ポルトガル語より)BATEIRA(ボート)から出た語で、鮗(このしろ)、鯵(あじ)、鯖(さば)などの酢漬けと鮓飯を竹の皮堤にした食べ物。■はばかりさん(憚り様)ご苦労さん、ありがとう、恐縮の至りの意で人の世話になる時の挨拶用語。■ばばかける(糞掛ける)品物を引き取っておいて代金を支払わぬ場合などに言う。猶(なお)、成立した商談を一方的に解約するのを、「しょんべんする」と言う。■はらきりもん(腹切り物)武士ならば切腹してお詫びせねばならぬほどの重大な失策をいう。■ばんく(番狂わせの下略)女性、金銭問題など不義理を重ねて行方をくらます事に使う語。■はんすけ(半助)鰻の蒲焼の頭のこと。命名に諸説多く未決、なお頭部や頭脳をさして「はんこう」と称す業界もある。■はんなり落ち着いた華やかさを持つさま。上品に明るいさま、視覚、聴覚、味覚にも使う。語の出処は不明。■ファジーな大阪弁「あ」~「お」■■ファジーな大阪弁:「か」~「こ」■■ファジーな大阪弁:「さ」~「そ」■■ファジーな大阪弁:「た」~「と」■■ファジーな大阪弁:「な」~「の」■「なにわことばのつどい」(平成13年(2001)6月21日)より・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.08
コメント(0)
秋来(き)ぬと目にさや豆のふとりかな 大伴大江丸 江戸時代後期の俳人。本名安井正胤(まさたね)。大坂で飛脚問屋を業とした。職業柄旅をよくし交友も広かった。古典詩歌のパロディに長じ、この句もそれである。「古今集」秋の歌、「秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行」を踏む。「さやか」にかけて「さや豆」とよび出し、「ふとりかな」で、「風だけではないよ。畑を見ればさや豆が、ほら、ふっくらとふくらんで、ここにも秋が・・・」と俳諧に一転した。「折々のうた」より。●月見の枝豆大坂では、枝から外して鞘だけにして売るので「鞘豆」と言うが、江戸では枝ごと売るので「枝豆」と呼ぶ。■あきない世伝金と銀■ 8月7日は、立秋。「秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬるは、立秋の歌。 模倣から滑稽を産む文化は、江戸期に花開いた。■狂歌百人一首■◎は元歌。●いかほどの洗濯なればかぐ山で衣ほすてふ持統天皇◎春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香久山●山里は冬ぞさびしさまさりける矢張(やはり)市中がにぎやかでよい◎山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば●春のよの夢ばかりなるうたた寝にねちがひしたるくびぞいたけれ◎春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなくたたむ名こそ惜しけれ■続パロディ「おんな城主直虎」■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.07
コメント(2)
■風の谷のナウシカ■木々を愛(め)で虫と語り風をまねく鳥の人かつて人類は自然を征服し繁栄をきわめたが、「火の7日間」と呼ばれる大戦争で産業文明は壊滅した。それからおよそ千年、わずかに生き残った人類は巨大な蟲類が棲み、有毒な瘴気を発する菌類の広大な森・腐海に征服されようとしていた。腐海のほとりに、海からの風によって瘴気から守られている小国・風の谷があった。 その族長ジルの娘ナウシカはメーヴェにのって鳥のように飛び、 人々の嫌う巨大な蟲・王蟲と心をかよわせる自然との不思議な親和力を持っていた。ある夜、風の谷に巨大な輸送機が墜落し、翌日巨大な血管のかたまりのようなものが発見された。それは、「火の7日間」で世界を焼き尽くしたという兵器・巨神兵だった。自然を愛し、虫と語る風の谷の少女が、たったひとりで未来の地球を酷い争いから救う姿を描く。 アニメ雑誌「アニメージュ」に連載された宮崎駿原作の同名漫画のアニメ化で、脚本、監督も宮崎駿が担当。 テレビでは、数回見ていたから、映画はもったいないかなと思っていたが、見てよかった。文明が崩壊して、大気中に有毒なものが漂っている。マスクがないと外に出られないって、今でしょ!!「その者青き衣をまといて金色(こんじき)の野に降り立つべし。失われし大地との絆を結び、遂に人々を青き清浄の地に導かん」という昔からの言い伝えを聞くと涙が出てくるが、真似をして、ババ様の声色を使ってしまう。 製作年:1984年。この頃、私は、まだ、環境問題という言葉も知らなかったけれど、なんとなく、世の中、おかしいと思っていた。あちこちの勉強会などに行きはじめ、環境問題の市民グループの発起人の一人になったのが、1989年3月。地球サミットが開催されたのが1992年。製作年の1984年がいかに、環境問題に対して、早かったかということが分かる。90年代に巻き起こった地球環境に対するムーブメントは、今は、残念ながら下火。7月からレジ袋が有料になったのは、プラスティックを減らそうということからだが、キリンレモンは、瓶入りをやめ、ペットボトルのみに・・・。温暖化が進み、プラスティックで海が汚れても気が付かないのか・・・。一生に一度は、映画館でジブリを!!★■風の谷のナウシカ■1984年★■もののけ姫■1997年★■千と千尋の神隠し■2001年・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.06
コメント(0)
☝橋の番付■「橋の日」あれこれ■ むかし、道路は「公共の生活広場」として、子どもの遊び場であり、地域の人々の出会いや立ち話など、交流の場でもありました。そうした地域において「橋」は、その地区の「目印(ランドマーク)」として楽しまれ、普段多くの人で、賑わっていました。橋の両端の両側の親柱には橋銘板があり、橋の名前と河川名が明記されています。むかし、高欄(てすり)の笠木をなでて、辺りの風景や川の流れを楽しみながら、多くの人が歩いて渡っていた時分には、生活の中で「橋の存在感は身近なもの」でした。普段、現在の自動車社会で橋は、完全に「道路の一部に過ぎない」存在になり、橋と人間との触れ合いが難しくなりました。8月4日は「橋の日」です。宮崎が発祥の地で全国、各県に広まっています。☝■伊良部島の伊良部大橋■☟☝■池間島・池間大橋■☟☝■タワーブリッジ■☟■堂島川と土佐堀川の橋■■道頓堀川の橋■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.04
コメント(0)
北海道には竹細工に適した「真竹」が群生しないため、本州のように気軽に竹製品の遊具(竹とんぼなど)を作ることができなかった。 しかし、漁業、農業が盛んであったため、特に「ザル」や「カゴ」の需要が大きく、函館、江差、岩内、小樽などでは竹細工を生業する職人が数多くいた。 また1919(大正8)年から北海道の副業奨励政策に基づいて実施した「竹細工講習会」では、手カゴ、 背負いカゴ、うにカゴなど幅広い用途に使用する竹細工を教授し、竹細工職人の育成に努めた。 北海道の場合、材料には主に「ネマガリダケ」を使用するが、本州から取り寄せた真竹も使用する。「北海道開拓村解説シート」より。 北海道に竹がなかったというのは、■北海道・松前に行ったときにはじめて知った。■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.03
コメント(0)
ねずみ年ですからネズミのことを書こうと思う。今回は、「白鼠、黒鼠」。■白鼠《福の神の使いで、それがいる家は栄えるからとも、鳴き声が「ちゅう(忠)」であるからともという》主家に忠実に勤める使用人。特に、番頭のこと。⇔黒鼠。 「泣いて意見をした白鼠の番頭にしろ」〈荷風・すみだ川〉■黒鼠主家の金品をごまかしたり、主家に害を与えたりする雇い人。どちらも、江戸時代の商店の雇人を指していた言葉らしい。「頭の黒い鼠」と言う言い方は、今もあるが・・・。■猪のバトン受け取る鼠かな■■昭和のこども茶碗(ねずみ)■■必殺、ねずみ返し!■■小林一茶の鼠の俳句■■四十八茶百鼠■■ねずみに関する諺、慣用句、格言■ ☚ ネズミの形のボタン。(⌒∇⌒) ☝■「100日後に死ぬワニ」■より☝・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.08.01
コメント(0)
全22件 (22件中 1-22件目)
1