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1年の大半はコロナと暮らした1年だった。最初の3月頃は、怖くてたまらなかったけれど、最近は、慣れた感がある。これは、私だけでなく、ほかの人もらしい。大つごもりの今日、そんな一年を俳句で振り返った。●1月● *初春や昭和歌謡を口ずさむのほほんと明けた年にまだコロナの暗い影はなかった。■猪のバトン受け取る鼠かな■●2月● *白梅の今さかりなり佃島■東京3泊4日 佃島■下の娘と東京に。●3月● *春風や豪華客船留め置かれマスクが売り切れ、トイレットペーパーが売り切れと日本列島がパニックに。学校が休み、公共の図書館なども休みで、句会も3月から5月の3か月間が休みとなった。●4月●*春風や地図で旅する温泉地 映画館も休み、ジムも休み、もちろん、温泉に行くことも出来ない・・・。せめて、地図で温泉地巡り。●5月●木蓮やランプのごとく咲きにけり 3月から5月の自粛期間は、花がいっぱいだった。運動のために、歩いてあちこち見て回った。●6月●*六月やマスクの内にこもる熱*世界中コロナウイルス夏きざす6月からやっと図書館、スポーツジムがあき、映画館も5月からぼつぼつと・・・。普通の生活がこんなに大事とは・・・。「六月や」の句は、句会で、「六月」と「マスク」で季重なりの指定を受けたが「コロナや花粉症で、今は、マスクは年中」と言ってくれた。■動画:マスクは季語として絶滅寸前? 夏井いつき■*六月や利休鼠の雨蕭蕭今年は梅雨が長かった。●7月●*はかなきは三浦春馬と花火かな三浦春馬さんが7月18日亡くなった。歌って踊れて、美しくてスタイルよくて、笑顔よしで・・・。すべてを持っていたような人だったのに・・・。まだたった30歳だったのに・・・。(-人-)●8月●*なすことの無き日のゴーヤの苦きかなこれは、去年作った句だが、散歩以外は、一日中、家にいた3月から5月の気持ち。●9月●*何事も無き日をよしと秋の月●10月●*晩秋や予防接種のあと痒し今年10月の終わりに、生まれて初めてインフルエンザの予防接種をした。●11月●*秋深しコロナの年の旅の宿11月17日から30日まで、山口県と津和野(島根県)に行った。●12月●*女手の喪中葉書や年暮るる3月に亡くなった夫の友人。その奥さんから喪中はがき。大阪にいたときは、私は、家にお邪魔したことがなかったが、三重県に引っ越してから何回かお邪魔したことがあった。おだやかな人だった。楽天ブログで知り合った方からも、お連れ合い様が亡くなったという知らせが・・・。コロナの第三波で12月の句会が休みに・・・。さてさて、来年は、どんな年になりますやら・・・。良いお年を・・・。■2020年12月見た映画■*シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!*ノッティングヒルの洋菓子店*エイブのキッチンストーリー*天外者(てんがらもん)*アーニャはきっと来る*魔女がいっぱい*燃ゆる女の肖像◆2020年見た映画57本とよかった映画◆■ジョジョ・ラビット■■エクストリーム・ジョブ■■ロバと王女■■大脱走■■千と千尋の神隠し■■もののけ姫■■風の谷のナウシカ■■エイブのキッチンストーリー■■アーニャはきっと来る■■魔女がいっぱい■■書き残したネタ■*朝ドラ「おちょやん」*国内旅行*菅総理の英語*知事の公用車*ドルチェ&ガッパーナの「香水」*橋2*林檎ネタ*大阪弁*丁寧すぎる言葉*プラスティック。*白樺のかご*会話力*妄想古民家カフェ「くるり」*漆の木・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.31
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■2020.11.21(土)この日は、朝早く起きて、ガイドさんと待ち合わせている松陰神社へ。9:30分からガイドスタート。松陰神社内には、有名な「松下村塾」があった。幕末の指導者を指導した吉田松陰は、30(満29)歳という若さで処刑されているが、彼の弟子たちが幕末、明治を指導した。■ロザンの部屋■で、宇治原氏は、日本で一番尊敬する歴史上の人物に吉田松陰をあげている。その理由が、深いい~~!!!ちなみに■第一位は、毛利元就。■その理由もこれまた、深いい~~!!「吉田松陰て満29歳で死去したのに、肖像画が60歳くらいに見えるのはなんでなん」という動画のコメントがあるが、当時は、少し老けて描くのがお約束だったそうだ。(ガイドさん)松陰神社を後に、ガイドさんの車に乗せてもらい、少し離れた山の中腹にある、松陰の生家跡へ。総理大臣時に小泉純一郎が ここに訪ねてきたことがある。「こんにちは、小泉純一郎です。松陰先生いらっしゃいますか。」とこの敷地の入り口にあたるところでパフォーマンスをしたそうだ。生家跡の近くには、一族のお墓が。☟松陰の墓もボランティアが守っている。この後、ガイドさんの車で萩の古い町並みに戻る。インスタ映えする、萩の町、ってインスタやってないんですけど・・・。ぴえん。夏ミカンの枝が見える塀が続いている。コスプレ、ちゃう、和装の若い人もあちこちに。古い町並みの萩には、着物姿の若者が似合う。萩で吉田松陰の次に人気があるのは、26歳で病死した高杉晋作。 西へ行く 人を慕いて東行く心の底を神ぞ知るらん 東行西行法師を尊敬していた高杉晋作は、みずからを、「東行」と名乗った。 おもしろきこともなき世を面白く 東行下の句は、功山寺挙兵の際に、高杉晋作を匿っていた福岡の勤王女流歌人・野村望東尼が付け加えた歌とされいる。コロナでなかったら、観光客がすごいんだろうな・・・。 あちこちに萩焼の店を見た。■一楽二萩三唐津■歴史の中で茶の湯と特に深い関係を築いてきた焼き物があります。茶の湯の中心で、茶人の間でも存在感を放っていた焼き物です。茶道の世界では、古くから茶人の抹茶茶碗の好みの順位、もしくは格付けとして「一楽二萩三唐津(いちらく にはぎ さんからつ)」と言われてきました。これは、1位: 楽焼 (京都)2位: 萩焼 (山口県萩市)3位: 唐津焼 (佐賀県唐津市)を意味します。 萩焼は1604年に藩主・毛利輝元の命で、慶長の役の際、朝鮮人陶工、李勺光(山村家)・李敬(坂家)の兄弟が城下で御用窯を築いたのが始まりとされ、400年以上の歴史があります。■2020年11月20日 萩の夏ミカンと浜崎(はまさき)地区の萩藩御船蔵■■山口県のおすすめスポット■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.29
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■2020.11.20(金)■青海島(おおみじま)■の後、萩に行った。萩のあちこちに見える、古い屋敷と塀越しの夏蜜柑のは、いとおかし。■萩の夏ミカン■毛利藩の政治経済の中心地として栄えた萩でしたが、1863年風雲急変を告げる幕末の政治事情から藩主は萩から山口に移り、藩経済に依存していた萩は侍の流出により大打撃を受けました。そして新政府樹立後の士族の給禄奉還が萩の経済的陥没に追い討ちをかけ、やがて明治9年の萩の乱が勃発することとなりました。萩の乱は首謀者の前原一誠の逮捕で鎮圧されましたが、萩の政治的、経済的打撃と萩士族の失意ははかり知れないものがあったようです。 このようなとき、新政府の要職を歴任した小幡高政が母親の看病の為、小倉県令の職を辞し萩に帰り、廃屋同然となった広大な萩の土地に生気を取り戻すため、夏みかんを栽植しようと発想しました。そして明治9年種子を蒔き、翌明治10年苗木10,000本を接木し、明治11年苗木を士族に頒布しました。史料によると小幡高政の言葉として「明治9年、夏橙ヲ萩ノ物産トスルコトヲ主唱シ、同志を募リテソノ栽培ヲ奨励ス。ソノ団結ヲ耐久社トイフ。」とあります。山口県のガードレールが黄色いのは、夏蜜柑色にしているからだそうだ。ガイドさんの制服が黄色なのも、このせいなのか、聞くのを忘れた。萩の古い建物が残る「浜崎地区」に向かった。(▲萩藩御船倉。)「浜崎」は、「はまさき」と濁らない。山崎など、濁るのと濁らない読み方があるが、これは、兵庫県・姫路市くらいから西が濁らないのだそうだ。(NHKの「日本人のお名前」)。そういえば、姫路の西、龍野市の少し山奥に入ったところに「山崎」という地区があるが、「やまさき」と言っていた。ガイドさんの案内でまず行ったのが、萩藩御船倉。ここは、昔、お殿様の船をしまっていた倉との事。殿さまは、ここから船に乗って行ってたそうだ。藩主の御座船を格納した場所。現在船倉は一棟しかないが、天保年間(1830~44)の「八江萩名所図画」では四棟が描かれている。明治初年と昭和25年に取り壊された。今では陸地に倉庫のように建っているが、元々倉の中まで水を引いて、大型船が自由に出入り出来た。■萩市浜崎(はまさき)■浜崎は萩城築城以前から漁村であり、海上交易の中継点であったと思われる。城下町成立後は漁港でであるとともに、商港として萩城下の海に開かれた玄関口となった。浜崎新丁は毛利氏の萩入城以後新たに開かれた地で、元禄元年(1688)から同5年の間に開かれたと云われる。1652年に浜崎の商人が商売のために大坂に向かった時のこと。その途中で難風に遭い住吉宮を勧進すると祈ったところその商人は助かった。帰国後、この話を申し出ると勧進が許可され、この地に住吉神社が建てられたとのことだ。住吉神社の鳥居の前に、井上剣花坊の川柳が!!この人は、萩の人だったのか。■道頓堀の雨に別れて以来なり■という、川柳の明治、大正、昭和史を読んだが、剣花坊の名前は何回も出てきた。また、まだ作家ではなく、川柳を愉しんでいた吉川英治とも知り合いだったそうだ。萩の市内から少し離れた所の高台にある、萩反射炉跡に行ってきた。●58Km ●10266歩■山口県のおすすめスポット■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.28
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(▲大阪天満宮のお百度石)昔、今から65年くらい前のことだったと思う。私は、お百度参りをしたことがある。大人のお百度参りの後からついていったことがあるというのが正しいのだが・・・。(▲近所の神社のお百度石)お百度参りとは、何か願いを込めて、神社などに百回参ることだ。その願いとは、近所の小さい男の子が大けがをし、それが治るとようにという願いだ。ケガをした子、Tクンは、当時、1歳か2歳で妹と同い年だった。Tクンが遊んでいるところに運悪く、鎌があって、それで大けがをしたというのだが、詳しいことは、私は分からない。(▲こんな感じの祠があった。)私たちの村にはお寺も神社もなかったが、小さな祠が何か所かあって、その1か所はうちの家の裏にあった。そこから、村の中心にある広場の祠まで、主婦たちは何度も足を運んだのだった。まだまだ小さかった私は、事の重大さも分からずに、大人が大勢集まって騒いでいるのが珍しく皆の後をついて歩いたのだった。当時は、村には電話もなかったので、医者に運ばれたTクンの様子を知ることは大人でもできないことだった。分からないから不安が募り、村の主婦はTクンのケガが取り返しのつかないようなことになりませんようにとお百度を踏んだのだろう。今、たとえコロナが流行っても、みんなは昔の人のように怖がらないのは、電話はおろか、ケイタイまである時代だからだろうか・・・。神社に行くと、ついついお百度石に目が行く。小さなTクンが怪我をしたとき、救急車も車もないのにどうやって運んだんだろうと今になって思う。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.26
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■燃ゆる女の肖像■♪音が出ます!!すべてを、この目に焼き付けて・・・。画家のマリアンヌはブルターニュの貴婦人から、結婚を拒む娘エロイーズの見合いのための肖像画を頼まれる。身分を隠して近づき、密かに肖像画を完成させたマリアンヌは、真実を知ったエロイーズから絵の出来栄えを否定されてしまう。だが、描き直すと決めたマリアンヌに、意外にもモデルになると申し出るエロイーズ。キャンバスを挟んで見つめ合い、美しい島をともに散策、音楽や文学について語り合ううちに、ふたりは恋に落ちる。 この映画は、2019年カンヌ映画祭で最高賞のパルム・ドールを受賞。女性監督がパルム・ドールを受賞したのは、1993年の「ピアノ・レッスン」以来だそうだ。画家のマリアンヌが島の浜に立つ姿に、「ピアノ・レッスン」を思い出した。 監督が女性で、主役も女性、その相手役も女性。ストーリーはほとんど、この二人の会話で出来ている。セリフがあるのは、この他に貴婦人の母親と屋敷に努める若い女中。この映画は、この4人のセリフで出来ている。 設定が18世紀だから、当時の衣装や様子が描かれて興味深かった。●生理痛は、沢山のサクランボの種を温めて、お腹を温める。●未婚の女性が妊娠した時、高い所からぶら下がったり薬草を飲んだり、倒れるほど走ったり・・・。それでもダメな時は、おろしてくれる女性に頼む。こんなエピソードも女性に関わることだ。 結婚したくないために、自殺した、この屋敷の長女。当時、貴族の結婚は、会ったこともない人とするのが当たり前。そのために、肖像画が必要で、この時代、女性の画家も結構いたそうだ。マリー・アントワネットの肖像画は、友人の女性画家が描いたものだそうだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.24
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■魔女がいっぱい■魔女は潜んでいる・・・。あなたのすぐそばに!!60年代―とある豪華ホテルに現れた、見た目は誰よりおしゃれで上品な美女。しかしその中身は、美しい外見を壮大に裏切る誰より危ない邪悪な大魔女<グランド・ウィッチ>だった!魔女は実在していて、実は世界中に潜んでいる。彼女たちはいつまでも若く、おしゃれが大好きで、いつも帽子をかぶり長い手袋をしている。そして人間のふりして普通の暮らしをしながら時々こっそり人間に邪悪な魔法をかけている。彼女たちの存在に気づいている人間はいない――気づいた人間は動物にしてしまうから。彼女たちの頂点にいる大魔女が、そんな魔女たちを集めて目論むある【計画】とは―。ある少年は偶然魔女の集会に紛れその計画を知ってしまうが・・・ アン・ハサウェイ、大好き!!今回は、彼女が魔女、それも大魔女になる話。あまり期待しないで行ったのだが、とてもよかった。 まず、この映画のストーリー・テラー、「ぼく」のお祖母ちゃんの家。1960年代のアメリカが舞台。もちろん、私は60年代は、よく知っているが、こんなに昔だった?と思った。車や冷蔵庫の丸みをおびたフォルム。白黒テレビ、レコード、お祖母ちゃんの服や帽子などなど、1950年代かと思うくらいに今となってはクラッシック感が漂う。 1968年にリリースされたオーティス・レディングの「ドッグ・オブ・ベイ ((Sittin’ On) The Dock of the Bay)」。この年のビルボード年間6位を記録したヒット曲で、その後数多くのアーティストによってカバーされている。この曲が流れた時は、涙が出そうなほど懐かしかった・・・。 しかし、腑に落ちない場面落も多い。それは、魔女から逃げるために、「僕」とお祖母ちゃんが、1960年代にも関わらず、白人専門?みたいなホテルに泊まっていたこと。当時は、黒人差別が激しかったので、泊まれないんでは?また、お祖母ちゃん、働いている気配がないけど、お金はどこから湧いてくるの? 魔女の魔法でネズミになった子どもたち。今年がネズミ年だけに・・・ってアメリカじゃ関係ないっ!!■『魔女がいっぱい』を巡っては、■魔女の指が3本で足の指が1本 (または0本) という描写が身体障がいを持つ人々から批判を受け、制作会社のワーナー・ブラザースとアン・ハサウェイが謝罪する事態に発展していた。悪役である“魔女”に身体障がいの人々を重ねる描写に問題があったことは確かだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.23
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●とし明けてからと話はぼけ初め 水府■水府:道頓堀の雨に別れて以来なり■これは昭和に入っての句だが句集に入れられている。くっきりと力強くわかりやすいユーモアだからだろう。大阪弁には、「急(せ)いて急(せ)かん話やけど、まァひとつ按配、お頼申します」という常套句がある。これは大急ぎでやらねばならぬ依頼である。急(せ)き前一丁!という感じである。他卿の人は、急(せ)いて急(せ)かぬ・・・というのだから急ぐようでいて、それほど急がぬこと、解するだろういが、大阪人なら顔色を変えるぐらい急がねばならぬ話である。 それと反対に、「ほな、年でも明けたら」というのは婉曲な否定の一つである。■道頓堀の雨に別れて以来なり■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.22
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冬至は、二十四節季の一つで、現行暦で22日か23日にあたる。一年中で太陽が最も南にあり、日中の時間が短くなる頃で、北海道では午後三時を過ぎると薄暗く、気温もぐっと低くなり、人々は本格的な冬の到来と冬の準備や冬囲いなどの冬支度に忙しい時期である。冬至からは日が、畳の目の長さだけ毎日長くなるという。 冬至には、南瓜を食べる習慣が全国的にある。 こんにゃくを食べるところもある。 南瓜は冬至を過ぎてから食べるもんではない、年を越させてはならぬなどといって、冬至まで南瓜を囲っておいて食べる。冬至の南瓜は初めからきめておく例もあり、自分の家だけで食べるものとされている。これを食べると魔除けになり、中風や風邪に罹らぬという。 冬至には柚子湯に入る風習が広くみられるが、冬至の柚子を縁の下に投げ込んでおくと火を防ぐという。また、徳利に清水を入れて大黒柱の下におくと火を防ぐともいう。この徳利を屋根の上にあげておく家もある。沖縄では冬至雑炊といって、七日正月のように七草の雑炊を食べる。 岐阜県には冬至弘法といって、村の弘法堂に冬至の日に集まり、人参飯を炊いて握り飯にし、子供らに分ける風習があった。冬至の日に弘法が、様々に姿をかえて村々を巡り歩いたという言い伝えもあった。また、冬至に木戸口や炉で火を焚く風習は、東日本のそちこちにある。開拓の村「北海道歳時記30」■北海道歳時記:秋の彼岸■◎冬至にコンニャクを食べるところがあるというが、■庚申の日のコンニャク■が12月19日にあるのは、たんなる偶然だろうか・・・?・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.21
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■2020.11.20(金)仙崎港から鯨の形の遊覧船に乗った。仙崎周辺、特に仙崎の向かいの青海島(おおみじま)は、かつては、鯨漁が盛んだった。金子みすゞにも鯨をうたったものがある。船の中でアナウンスを聞きながら、窓から奇岩を見る。1時間で港に帰り、仙崎の目と鼻の先の「青海島(おおみじま)」に橋を渡って行った。この島は、捕鯨の島だった。ガイドさんの案内で、「長門くじら資料館」を見、島を歩いた。島の「通(かよい)」地区は、その地形から、鯨を追い込むのに適していて、かつては鯨漁で大いに賑わっていたようだ。古式捕鯨では、「鯨一頭捕れば七浦うるおう」といったが、金子みすゞの時代はもう終わっていたようだ。みすゞの詩の一節に、「いまは鯨はもう寄らぬ、浦は貧乏になりました。」とある。くじら資料館のうしろ、小高い山手に 鯨墓があった。そこには、捕るつもりのなかった、鯨の胎児や子ども鯨の墓だという説明だった。 ◎鯨法会◎ 鯨法会は春のくれ、 海に飛魚採れるころ。 浜のお寺で鳴る鐘が、 ゆれて水面をわたるとき、 村の漁師が羽織着て、 浜のお寺へいそぐとき、 沖で鯨の子がひとり、 その鳴る鐘をききながら、 死んだ父さま、母さまを、 こいし、こいしと泣いてます。 海のおもてを、鐘の音は、 海のどこまで、ひびくやら。島の「通(かよい)」地区に金子みすゞの父親が生まれたというところがあった。彼は、ここで生まれ、仙崎で本屋をやっていた。■仙崎・金子みすゞのふるさと■父は、みすゞが3歳の時に亡くなったが、仙崎からこちらの親族の家に遊びに来ていたという。▲「かたばみ」と「鯨法会」いう詩は、下のお寺がモデルといわれている。■山口県のおすすめスポット■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.19
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■アーニャはきっと来る■命がけで守ろうとした先に、少年が見たものは・・・。1942年、第二次世界大戦さなかのフランス。ピレネー山脈の麓に佇む小さな村に住む、13歳の少年・ジョーは、平和な日常を送っていた。しかし、ある日、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人・ベンジャミンと知り合い、ユダヤ人の子供たちを山の向こうのスペインに逃す救出作戦に協力することになる。そんなか、ついにのどかな村にもナチスがやって来た。村人たちを巻き込んだ救出作戦のゆくえはーー。 村がナチスに占領される中、ジョーは自分の家族や友人、ユダヤ人、ドイツ兵らとのかかわりの中で、様々な気付きを得て彼らの境遇や人生を垣間見る。そして、ユダヤ人の迫害や救出劇をめぐって、人々の連帯感や思いやり、生命の尊厳など様々なこと学び、彼は大人へと一歩ずつ近づいていくのだった。 原作者のマイケル・モーパーゴは、戦争を舞台に人間本来の姿やその本質を、市井の人々を通して問い続けてきた。彼の代表作「戦火の馬」は、2011年にスティーブン・スピルバーグ監督によって映画化されている。本作も原作者の思いを受け止め、従来の迫害や差別を描いてきたナチス映画とは趣の異なる、生きることの素晴らしさと希望を描いた異色の映画となった。主役のジョー役は、Netflixテレビドラマシリーズ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」で世界的に人気急上昇中のノア・シュナップが大抜擢され熱演した。彼の脇を固めるジャン・レノ、アンジェリカ・ヒューストンのベテラン2人が、ユダヤ人の子どもたちを救わなければいけないという重責と苦悩をいぶし銀の演技で表現している。■エイブのキッチンストーリー■の主人公を演じたノア・シュナップが羊飼いの少年で主演している。しかし、もう2年、せめて1年早くとっていたらもっとよかっただろうと思うけど・・・。というのは、彼が変声期に入っていたから・・・。とはいえ、可愛いのは間違いない!!ベレー帽とマント姿が、可愛すぎる♪ こんな感じのベレー帽とマント!!この格好で羊を追って山に行っている。まるで「ハイジ」のペーターみたいに・・・。 南フランスの話で、(会話は英語)( ´艸`)食卓のシーンが何回も出てくるが、カフェオーレボールやピッチャーが可愛かった♪ 南フランスからスペインに山越えして逃げるという話は、「サウンド・オブ・ミュージック」を思い出した。 素晴らしい映画だったけど上映館が少なくて残念・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.18
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■天外者(てんがらもん)■♪音が出ます!!時代を超え、志は未来に生き続ける・・・。江戸末期、ペリーの来航に震撼する日本の片隅で、五代才助(のちの友厚)と坂本龍馬は新しい時代の到来を敏感に察知していた。“攘夷か、開国か”…日本の未来を見据える二人の人生が、この瞬間に重なり始める。そんな折、遊女のはると出会い“自由な夢を見たい”という想いに駆られた五代は、誰もが夢を見ることができる国をつくるため、坂本、岩崎弥太郎、伊藤博文らと志をともにする。 土佐の坂本龍馬、岩崎弥太郎、長州の伊藤博文ら同年代の若者たちと学び、遊び、夢を語りあい、さらには高杉晋作、勝海舟、大久保利通、西郷隆盛、大隈重信、トーマス・グラバーといった日本を語る上で欠くことが出来ない偉人・傑物たちとも交わり、友として彼らを支えた。近代日本経済の基礎を構築し稀代の≪天外者(てんがらもん)=凄まじい才能の持ち主≫と呼ばれた五代友厚。武士の身でありながらも上海に渡って蒸気船を購入し、海外貿易による商業立国を説き、イギリスへ留学生を送り出し、自らもヨーロッパを視察する。明治政府が誕生すると政府役人となるが、大阪を「東洋のマンチェスター」に発展させるため実業家に転身。貨幣造幣局の設立、電信・鉄道・紡績・鉱山など多くの事業を精力的に手がけ、現在の大阪証券取引所・大阪商工会議所・大阪市立大学など膨大な数の組織や企業の設立に尽力した。 ≪天外者(てんがらもん)=凄まじい才能の持ち主≫とよばれた、五代友厚。若い頃は、その才能故、才助と命名されたくらい頭のいい人だった。彼の交友の広さに驚く。★まず、坂本龍馬、言わずと知れた幕末の偉人。★岩崎弥太郎・・・坂本龍馬と同じ藩の出身だが、彼も身分の低い侍だった。日本の汽船総数の73%を占め、莫大な財産を築いて三菱という会社の祖となる。★伊藤博文初代内閣総理大臣になった伊藤は、百姓出身だったが、英語が堪能だったそうだ。もちろん、松下村塾の門下生だ。 坂本龍馬や岩崎弥太郎、伊藤博文らと仲がいい五代友厚だったが、決して味方が多かったわけではない。長州藩からは、薩摩藩だからと目の敵にされ、薩摩藩からも、西洋かぶれ扱いされ、命を狙われる。そんな中でやり遂げるのだから、この時代の人はみんなすごい!! 伊藤博文ら長州藩の5人は、海外に行っていて、「長州ファイブ」とよばれているが、当時留学するというのは大変なお金が必要だった。だから選ばれた人しか行けなかった。そんな時代に、イギリス、フランス、オランダ、ベルギーなど見て回ったのだからすごい!!■恵まれた環境■五代は小松清廉や西郷隆盛、大久保利通などの要人と知り合いだった。長州藩の高杉晋作や土佐藩の浪人坂本龍馬とも非常に仲が良い。このように一流の人物たちと関わり合える条件をもっていたことが五代の後の功績へと役立った。加えて、五代が役立てたものは英語力である。当時から外交に英語力は欠かせなかった。特に薩摩藩城代家老小松清廉には重用されて恩義を感じ、小松死後はその妻(側室)子の面倒を見たことでも知られる。また、当時の外交官(神戸)森山茂と交流があった友厚は、森山茂の実妹トヨ(通称 豊子)と再婚(明治3年)、活躍の場を一層広げる。親族の永見家、宮地家、森山家共に人脈、経済力のあるバックグラウンドは、五代の交友関係、経済力、亡後の借金返済においても、恵まれた環境であったといえよう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.17
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■2020.11.19午前中、■山口県の絶景・角島大橋と元乃隅神社に行き■午後から仙崎へ。仙崎は、詩人、金子みすゞの故郷で、そこここにみすゞの足跡がある。生まれは北海道だという70代の女性ガイドさんの案内でこの小さな港町を廻った。■金子みすゞ■金子 みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。本名、金子 テル(かねこ テル)。大正末期から昭和初期にかけて、26歳で死去するまでに500余編もの詩を綴り、そのうち100あまりの詩が雑誌に掲載されたとされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。仙崎は、港町で太平洋戦争が終わった後、大陸からの引揚者が多くこの港に上陸したそうだ。下関の方が交通に便利なのでは?と思うかもしれないが、関門海峡には、アメリカ軍の落とした爆弾が残っていて、安全ではないというので、ガイドさんの夫さんの家族もここに引き揚げたそうだ。仙崎の目と鼻の先に、「青海島(おおみじま)」がある。今は、橋がかかっているが、かつては、「青海島(おおみじま)」と仙崎の間に定期便の船が出ていて、通勤、通学に使われていた。「青海島(おおみじま)」の一番近くのこの場所には、渡し船があったそうだ。渡りたい時は、「おお~い!!」とたけったそうだ。「たける」とは、この地方の言葉で、大声を出すという意味だそうだ。生家跡に建てられた金子みすゞ記念館。金子みすゞの詩は長らく忘れられていたが、岩波文庫『日本童謡集』の「大漁」を読んだ詩人の矢崎節夫らの努力で遺稿集が発掘され、1984年に出版されるや、瞬く間に有名になった。翌年の東京大学の国語の入試問題(1985年国語第二問)には「積もった雪」「大漁」が採用されている。現在では代表作「わたしと小鳥とすずと」が小学校の国語教科書に採用されることも多い。また、このことをきっかけに地元長門でもみすゞの再評価が行われることとなり、みすゞの生誕100年目にあたる2003年4月11日には生家跡に金子みすゞ記念館が開館。みすゞが少女期を過ごした家を復元すると共に、直筆の詩作のメモなどが展示されている。■金子みすゞ記念館■クラッシックなたたずまいの仙崎駅である。金子みすゞも、下関に行くとき、この駅から汽車に乗ったのだろうかと思い、ガイドさんに聞いた。「みすゞさんは、船で下関へ行ったんですよ」とガイドさん。「えっ!?」と私はびっくりした。しかし、これは、海辺の町から海辺の町に行くには、当たり前のことだ。当時は、船の定期便が出ていたのかもしれない。そして何より、金子みすゞの生まれたのが、明治36年(1903)4月11日、亡くなったのが、昭和5年(1930)年3月10日。仙崎駅は、みすゞが亡くなった後の、昭和5年(1930)5月15日、貨物支線として出来たのだから。 ▲町の中のツタの絡まる建物は、カフェ。●著作権について●金子みすゞの作品そのものの著作権は作者であるみすゞの死後50年を過ぎており消滅しているが(著作権の保護期間参照)、作品集を出版しているJULA出版局を窓口とする「金子みすゞ著作保存会」は、みすゞ作品を利用する際には同会の許可を得るよう求めている。その理由としてJULA出版局は、著作の大半が生前未発表であったこと、ならびに未発表作品を一般に広めるきっかけとなった『金子みすゞ全集』(JULA出版局)による二次的著作権の存続を挙げている。このこともあり、みすゞ作品は青空文庫にも収録されていない。この点には、矢崎らの「金子みすゞ著作保存会」の姿勢に対して疑念を持つ者も存在し、福田による紹介を取り上げた長周新聞も、著作を独占しているとして矢崎を記事内で批判している。金子みすゞのお墓がある寺。山口県の墓地では、これが墓地にあった。花に水をやる時のものだろうが、初めて見た。■山口県のおすすめスポット■●走行距離:129Km ●11191歩。■山口県のおすすめスポット■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.16
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■2020.11.19(木)山口の絶景地である、エメラルドグリーンの海に真っ直ぐ延びていく橋が美しい「角島大橋(つのしまおおはし)」★映画やCMにも登場! 話題の絶景スポット「角島大橋」山口県の本州と角島(つのしま)を結ぶ全長1,780mの角島大橋は、平成12(2000)年に開通。通行無料の橋としては国内屈指の長さを誇ります。橋の通行は徒歩や自転車でも可能で、車だと3分ほどで角島まで渡ることができます。角島大橋はその景観の美しさから、様々な映画やドラマ、CMなどの撮影スポットとして使われてきました。映画『四日間の奇蹟』やTVドラマ『HERO』の最終回にも登場していますし、CMではトヨタ・三菱・マツダなど、日本の名だたる自動車会社の撮影場所にもなっています。駐車場からは歩いて約30秒でアクセスできる高台もあり、こちらはこのように角島大橋を中心にウッドデッキや角島なども一望できる撮影ポイント。角島大橋を渡る前に海士ヶ瀬公園に立ち寄って、まずはコバルトブルーの海との絶景を存分に楽しんでみて下さい。●角島大橋●●住所:山口県下関市豊北町神田〜角島●アクセス:美祢ICより車で約1時間●駐車場:あり(47台・無料)★「角島灯台」から日本海の絶景を堪能!島の最西端にあり角島灯台がシンボルの「角島灯台公園」は、角島テラスから車で約2分。遊歩道や休憩できる東屋などが整備され、ハマユウの自生地を散策することもできます。角島灯台は明治9(1876)年に完成した日本海側で初の洋式灯台で、今なお現役で活躍を続けています。灯台の横にある105段のらせん階段を最上段まで登れば、眼下には日本海の絶景が広がります。すぐ隣には灯台記念館も併設され、日本の代表的な灯台などについての展示があります。★米国テレビが日本で最も美しい場所に選んだ「元乃隅神社」長門市角島大橋から山口県にあるもう1つの絶景スポット「元乃隅神社」までは車で約40分。国道191号線と県道66号線(長門油谷線)を乗り継いで走ると、海沿いに「元乃隅神社」が現れます。1955年に白狐のお告げにより建立されたと言われるこの神社は、2019年1月にそれまでの「元乃隅稲成神社」から神社名を改め「元乃隅神社」に。アメリカのテレビ局CNNによる「日本で最も美しい場所31選」に選ばれた、世界から注目を集める絶景のパワースポットです。神社正面にある鳥居から階段を上って行くと、123基もの鳥居が連なる荘厳な景観の中を歩くことができます。鳥居の間から漏れる日の光や、チラチラ見え隠れする空と日本海の青さが鳥居の朱色とコントラストを織り成し、より美しさが際立ちます。高さ約6メートルの大鳥居の上部に設置された賽銭箱に、見事、賽銭を投げ入れることができたら願いが叶うといわれています。●「元乃隅神社」●拝観時間:日の出から日没まで ※夜間の立入禁止アクセス:【電車】JR山陰本線「長門古市」駅よりタクシーで約20分【車】中国自動車道「美祢」ICより約60分と、色鮮やかな朱色の鳥居のトンネルと青い海のコントラストが美しい「元乃隅神社(もとのすみじんじゃ)」。■山口県のおすすめスポット■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.14
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■エイブのキッチンストーリー■♪音が出ます!!僕にしか作れないたった一つの家族のレシピ・・・。ブルックリン生まれのエイブは、イスラエル系の母とパレスチナ系の父を持つ。文化や宗教の違いから対立する家族に悩まされるなか、料理を作ることが唯一の心の拠りどころだった。誰からも理解されないと感じていたある日、世界各地の味を掛け合わせて「フュージョン料理」を作るブラジル人シェフのチコと出会う。フュージョン料理を自身の複雑な背景と重ね合わせたエイブは、自分にしか作れない料理で家族を一つにしようと決意する。果たしてエイブは、家族の絆を取り戻すことができるのかー?主人公、エイブは、エブラハム、イブラヒムなど、それぞれの民族で違った呼び方をされる。誕生日のケーキもそれぞれ違う。食事の祈りも違う。 若く進歩的な父親と母親だけならなんてことはないけれど、両家の祖父母がついてくるので、集まれば喧嘩ばかりする。最後は、「結婚したのが間違っていた」とか「子どもを産んだのが間違いだった」などというから、エイブはショックだっただろう。 そんな親族を「融合」させようと作ったのが、それぞれの国や民族の料理を融合させたヒュージョン料理。フュージョン料理のフュージョンとは、「融合」という意味。■多国籍料理 (たこくせきりょうり)、フュージョン料理■とは様々な国や地域の食文化の要素を組み合わせたもの。無国籍料理と呼ばれる場合も存在する。特定の食文化に分類できず、食文化の国際化に拠るところが大きい。また、各料理の専門店ではない様々な料理を提供する大衆的な食堂に関連が見られる。■食文化は、食にまつわる文化。■ムスリム(イスラーム教徒)は、豚肉は不浄のものとして食べない。豚、血、アルコールを含むものは口にしない。鶏、羊などは食べることができるが、さばき方が決められており、神(アッラー)の名を唱えながら鋭利な刃物でさばく、と定められている。イスラム法にかなっている食べ物を「ハラール」という。中東では、ハラールに関して寛容になっているムスリムも増えたが、インドネシアのムスリムの中にはハラールに関して厳密な人も多い。 映画の中でも、父親の家系がムスリム(イスラーム教徒)で豚肉を食べないしアルコール類も飲まないと言っていた。断食もことも話にのっていた。 日本って自由でありがたい。特にこれって食べてはいけないものもないし、食材も豊富だ。こんな国は、ヨーロッパなど、ほんの少数なのだと思う。主人公・エイブを演じるノア・シュナップが魅力的だ。彼は、現在上映されている■アーニャはきっと来る■にも主演している。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.12
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■ノッティングヒルの洋菓子店■悲しみはスパイス。喜びは隠し味。あなたの想い出、お菓子にします。ロンドン、ノッティングヒル。名店で修行を積んだパティシエのサラと親友のイザベラの2人は、長年の夢だった自分たちの店をオープンすることに。ところが事故でサラが急死。夢を諦めきれないイザベラとサラの娘クラリッサは、絶縁していたサラの母ミミを巻き込んで、パティシエ不在のまま開店に向けて走り出す。そんな3人の前に現れたのは、ミシュラン二つ星のレストランで活躍するスターシェフのマシュー。20年前、ガールフレンドだったサラから逃げた過去を持つ彼は、あることを償うためにパティシエに応募してきたのだ。それぞれの想いを抱えた4人は、果たしてサラの夢を叶えることができるのか――。 ロンドンは、いろんな国の人々が暮らしている。そこで洋菓子店は、その国だけのケーキを作ることに。日本のお菓子として、抹茶ケーキが。抹茶ケーキ、作るのがなかなか難しいといった感じだった。この各国のお菓子を作るというのも、国際都市ロンドンならでは。 クラリッサのお祖母ちゃん、ミミ役の(セリア・イムリー)、皺が多かったので、私よりだいぶ上かと思っていたら、下だった!!■セリア・イムリー■1952年7月15日 サリー州ギルフォード生まれ。ギルフォード・スクール・オブ・アクティングを卒業後、映画、テレビドラマ、演劇と様々なキャリアを積み、「ここ数十年で最も成功した英国女優のひとり」と評されている。2015年には「Not Quite Nice」を上梓して小説家デビュー、ベストセラーとなるなど女優だけに収まらない活躍を見せている。 映画では、『ブリジット・ジョーンズの日記』(01)シリーズや 『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』(11)シリーズなどの代表作のほか、『カレンダー・ガール』(03)、『恋のロンドン協奏曲』(01)、『ラブ・パンチ』(13)、『輝ける人生』(17)など。映画の中には、■タワーブリッジが!■ヨーロッパ一大きい、観覧車、■ロンドン・アイも■・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.11
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■大黒様のお歳夜【12月9日】■大黒様が妻を迎える夜とされています。豆炒りや米炒り、まっか大根(二股大根)を供え、黒豆料理と大根料理を食べて、豊作と子孫繁栄を祝います。豆と大根は畑作物の代表であり、それらを供えることは大黒天を農神として信仰していることを示しています。●大黒様とまっか大根大黒様は餅が大好きだったそうです。ある時、餅をたらふくごちそうになり、家に帰る途中腹痛をおこしました。川端で大根を洗っていた嫁に「一本下さい」と頼みましたが、嫁は姑から大根の本数を数えて渡されているので、あげることができず困りましたが、大根の中にあった、まっか大根(二股大根)の一方をかき取ってあげました。 大黒様はもらった大根で腹痛を治すことができたので、たいそう喜ばれたそうです。このことから、毎年大黒様にまっか大根を供えることにしたそうです。又、まっか大根は大黒様のお嫁さんだとも言われています。♪福を守るは大国天よ甲子の日に二股大根、供え祭りてサァサござった何がござった■手打「七福神」■そして、大黒様に使えるのが今年の干支の鼠である。■猪のバトン受け取る鼠かな■■昭和のこども茶碗(ねずみ)■■必殺、ねずみ返し!■■小林一茶の鼠の俳句■■四十八茶百鼠■■ねずみに関する諺、慣用句、格言■■白鼠・黒鼠■■鼠鳴き■■ねずみ算■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.09
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■シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!■♪音が出ます!!劇場へ来たれ!奇跡の誕生だ!「とんだ駄作だな。1週間で打ち切る」と、パリの名立たる劇場の支配人から宣告されてしまった、無名の劇作家にして詩人のエドモン・ロスタン(トマ・ソリヴェレス)。時は1895年、主演の大女優サラ・ベルナール(クレマンティーヌ・セラリエ)に気に入られたことだけが、若きアーティストの唯一の収穫だった。 それから2年、エドモンはスランプ一直線。そんな時、サラが名優コンスタン・コクラン(オリヴィエ・グルメ)に口をきいてくれる。だが、それは2時間後にコクランに新しい作品を持って行けというムチャぶりだった。カフェでまっ白なノートを前に呆然としていたエドモンは、店主のオノレ(ジャン=ミシェル・マルシアル)からヒントを得て、「醜男だが行いは華麗な人物」という設定を思いつき、実在した剣術家にして作家のシラノ・ド・ベルジュラックを主人公にしようと決める。しかし、シラノは200年も前の人物、あくまでキャラクターを借りるだけで、ストーリーは自力で生み出さねばならない。思いつく限りのアイディアを並べ立てるエドモンにコクランは、「喜劇」を条件にゴーサインを出すのだった。プレッシャーに押しつぶされるエドモンの前に、友人で俳優のレオ(トム・レーブ)が現れ、衣装係のジャンヌ(リュシー・ブジュナー)へのラブレターにアドバイスを求める。最初は渋々、愛の言葉を紡ぐうちに、エドモンの脳裏に次々とアイディアが! ところが、初日1週間前、予想もしなかった危機が劇団を襲う――! 冒頭、サラ・ベルナールが出てくる。エッフェル塔が出てくる。 フレンチカンカンで有名な■ムーラン・ルージュ■が出てくる!!19世紀末から20世紀初頭のパリは、アールヌーボーという時代で世界一魅力的な街だった。私にとって、その時代と街がこの映画の見どころ。■シラノ・ド・ベルジュラック■ガスコンの青年隊シラノは詩人で軍人、豪快にして心優しい剣士だが、二枚目とは言えない大鼻の持ち主。秘かに思いを寄せる従妹ロクサーヌに恋した美男の同僚クリスチャンのために尽くすのだが……。30歳でレジオン・ドヌール勲章を叙勲し、33歳でアカデミー・フランセーズに選出された天才ロスタンの代表作。1世紀を経た今も世界的に上演される、最も人気の高いフランスの傑作戯曲をキレのいい新訳で。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.08
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▲みもすそ川公園の紙芝居「下関ふく物語」。下関市は、日本一の河豚(ふぐ)の街。街のあちらこちらに、フグがある。■下関とふぐ■下関とふく(しものせきとふく)は、フグの集積地としての山口県下関市について記述する。下関など西日本では、フグの事を濁らずに「ふく」と呼ぶ場合が多い。これは、フグが「不遇」に繋がり、フクが「福」につながるからなど、諸説がある。若年層は普通にフグと発音することも多い。▲河豚の取引。■下関がフグの集積地となった背景■まず立地面でみると、以下の点が挙げられる。トラフグの産卵地である玄界灘沖や瀬戸内海西部沿岸に近い。東シナ海、日本海と瀬戸内海を結ぶ交通の要衝の地である。東シナ海、日本海、瀬戸内海ともにフグの好漁場である。現在も、フグのなかでも高級とされる天然のトラフグなどは下関に全国の7割から8割が集荷される一大拠点である。▲宿の畳。また流通面でみると、以下の点が挙げられる。フグの加工に必須である「身かき」「皮むき」の加工場が下関付近に集積した。フグの身を引き締めるため1日程度、生きたフグを水槽内で絶食させるが、これをトラック輸送内で平行して行うことで長距離輸送が可能。特に、「身欠き」「皮むき」など、フグの持つ毒のため加工技術は他の魚と異なる技術が必要であり、一朝一夕で習得できるような単純な技能ではない。従って、フグが水揚げされる他の地域でもフグ加工技術の集積がないため、下関へと輸送する場合が多数である。 昭和天皇が1964年(昭和39年)に下関に行幸した際には、中毒の恐れがあるからとフグを食べられないことに真剣に憤慨し、自分たちだけフグを食べた侍従たちに「フグには毒があるのだぞ」と恨めしそうに言ったという逸話がある。その一方で同所ではイワシなど季節の魚に舌鼓を打ったという。■ふぐの刺身、「てっさ」の語源■てっさとはふぐの刺身を指す言葉で、ふぐの消費量が日本一と言われる大阪を中心に使われている呼び方です。この「てっさ」という呼び方、何が語源・由来なのでしょうか。▲マンホール。日本では古くは縄文時代からふぐが食されてきましたが、その長い歴史の中で禁食の時代もあったんです。▲マンホール。しかし禁止されているふぐを食べることをおおっぴらには言えませんから、みんなふぐのことを隠語で呼び密かに流通させていたのです。当時ふぐは「鉄砲(てっぽう」という隠語で呼ばれていました。「ふぐの毒に当たると死ぬことがある」=「鉄砲の弾に当たると死ぬ」という二つの意味を掛け「てっぽう」と呼んでいたのです。ふぐの刺身は「てっぽう」と「さしみ」が合わさって、それが「てっさ」になり、定着していったのです。▲河豚提灯。新世界 ふぐ提灯の消えて冬 たけし・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.07
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(▲みもすそ川公園)■2020.11.18(水)山口県下関は、武蔵小次郎の闘いがあった巌流島が有名だが、源平の最後の合戦、「壇ノ浦の戦い」もまた有名だ。みもすそ川公園の近くの赤間神宮(あかまじんぐう)は、山口県下関市にある神社である。かつて、下関を赤間関といっていたから「赤間神社」の名前がついた。壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀る。江戸時代までは安徳天皇御影堂といい、仏式により祀られていた。 イラストは、安徳天皇で、「山鳩色の御衣(ぎょい)に、びんずらをお結いになって、・・・」という「平家物語」の一文のイラストだ。平家一門を祀る塚があることでも有名。前身の阿弥陀寺は『耳なし芳一』の舞台であったが、廃仏毀釈により神社となり現在に至る。巌流島の戦いや源平の戦い、幕末の戦の他、第二次世界大戦時は、アメリカの飛行機が関門海峡に爆弾を浴びせたそうだ。それが今も残っていて、浚渫時などに現れるということだ。どこまでも、戦の多かった下関である。●松本清張文学碑●みもすそ川公園にある松本清張の文学碑。作家・松本清張が、幼少時の一時期に下関市に住んでいたことを記念したもの。 自叙伝的小説『半生の記』の一節が刻まれている。中央に開いた穴からは、関門海峡を挟んだ対岸にある和布刈神社(小説『時間の習俗』の舞台)が望める趣向となっている。「家の裏にでると、渦潮の巻く瀬戸を船が上下した。 対岸の目と鼻の先には和布刈神社があった。 山を背に鬱蒼とした森に囲まれ、中から神社の甍などが夕陽に光ったりした。 夜になると、門司の灯が小さな珠をつないだように燦く。」■松本清張 幼少期■出生は、1909年2月12日、広島市。1910年、下関市壇ノ浦に転居。家の裏は渦潮巻く海で、家の半分は石垣からはみ出し、海に打った杭の上に載っていた。両親は、ここで通行人相手の餅屋を始める。だが3年後に、線路建設のためダイナマイトで火の山麓を崩していた際に起こった地滑りのため家が押し潰され、同市田中町に移った。父はあらゆる下層の職業を転々としたが、学問については憧憬を持ち、夜手枕で清張に本を読ませて聞かせた。両親には一人っ子のため溺愛された。清張7歳の時に父は借金取りに追われて姿をくらます。残された母と清張は知人の家に世話なる生活を経験している。11歳まで下関にて育つ。1916年、下関市立菁莪尋常小学校に入学。宿は高台にあって、関門海峡が良く見えた。●走行距離:18Km(17日) 38Km(18日) ●12894歩(18日)■「Go To キャンペーン」を利用して旅行に行った■2020.11.18■巌流島・火の山など■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.05
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■2020.11.17(火)大阪南港発新門司港行きの船が港を離れたのは夕方の5時。船内では、夕食と朝食をとったが、シニア割引とフェリーのチケットを買う時にもらった「Go To キャンペーン」のクーポンを2枚を使用した。瀬戸内は波静かなり秋ゆやけ はるな■2020.11.18(水)真っ暗なうちに着いたのが新門司港。海底のトンネルを車で通って対岸の山口県下関市へ。■前回2018年は、海底トンネルを歩いて渡った。■下関は、戦いの町だ。まず、戦いその1、宮本武蔵と佐々木小次郎の「巌流島の決闘」が行われた、巌流島へ船で渡った。船に乗り込む切符は、「Go To キャンペーン」のクーポンを利用。巖流島(がんりゅうじま)は、山口県下関市にある関門海峡に浮かぶ島(無人島)。正式な島の名前は船島(ふなしま)であり、住所は「下関市大字彦島字船島」となっている。巌流島に着くと狸が迎えに来てくれた。餌をもらっているので、人を怖がらないのだそうだ。わしが心と巌流島は 外にきがないまつばかり 民謡にうたわれた巌流島の松林。きがないまつばかり「き」は、木と気の「まつ」は、松と待つをかけたもの。島を後にして■みもすそ川公園■へ。幕末には、海外の船と撃ち合いになった。みもすそ川公園の後、■火の山公園■「火の山」という名は、敵の襲来を都に知らせるために、山頂でのろしをあげたことに由来しています。毛利氏が北九州や関門海峡の覇権を争って、大友氏と戦った際の拠点を置いたのが、この火の山でした。現在も火の山公園山頂に残る、明治21年(1888)から造られた旧日本陸軍施設「下関要塞・火の山砲台跡」。響灘(ひびきなだ)及び周防灘(すおうなだ)から瀬戸内海を守る役割を持重要な位置にあり、東京湾・大阪湾に次ぐ日本3大要塞の一つとして捉えられていた。ちなみに、実践による砲撃はなかったとのこと。源平の合戦もあった。数々の戦が、下関が大切な位置にあったことを物語っている。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.03
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■Go To トラベル■「Go To トラベル」キャンペーンを利用して11月17~11月30日の2週間、旅行してきた。行先は、山口県と津和野(島根県)でフェリー代、旅館が35%引きになり、おまけに旅行代金の15%が地域共通クーポンという形で帰ってくる。半額で旅行できるというわけだ。もらった地域共通クーポンは、昼ご飯にあてたりして使った。お昼ご飯だけでは、使いきれないので、お土産も沢山買った。コロナで客足が激減していた観光地は、「お得」なこの制度を利用する客で息を吹き返している。年金生活者の私たちも有難く使った。使いながら、これって、税金から払われているんやな・・・と思う。タダでもらっていると思いがちだけど、結局自分たちの税金なのだ。旅行をしなかった人にも負担をかけている。レジ袋とちょっと似ているかもと思った。レジ袋をタダでもらったとしよう。いくらでももらえると喜んでいるけど、商品に加算されているのではないか。また、タダという思いが無駄な使い方を産み、結局、環境破壊の一役買うことになる。 そう思っていたら、■ロザンの楽屋 Go Toをむやみに使うべきではない理由。■というのがあった。行っていない人も合わせて「国民全体の割り勘」という言い方が納得。マスクは当然のこと、フェリーに乗る前に検温、手の消毒、宿に着いたら検温と手の消毒。ビュッフェスタイルでの食事は、ゴム手袋をはいて皿に盛るなど、コロナ禍の中での旅行は、ホテル側も客も大変。とはいいながら、それなりに意義のある旅行だった。あの頃は、マスクをつけて旅行したよね・・・と笑いながら言えるのは、いつのことだろう・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.02
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■歳時記:川渡りの朔日■十二月一日は一年の最後の朔日なので、乙子(おとご・末っ子の意味)の節句、乙子の朔日などと呼ばれる。この日はまた、川渡りの朔日、川浸りの朔日ともいって、餅をついて水神に献じ、それを食べる風習がある。餅を川に投げたり、食べたりすると水難を免れ、河童にとられることがないという。川に餅を投げる前に、耳をなでて、「よい耳きけ、わるい耳きくな」と唱えてからする例もある。馬を飼っている家では、川からその餅を拾ってきて食わすと、馬の水難防止になるという。またこの日には、造り酒屋をはじめ水を多く使う家々では、井戸に餅を投じて水神をまつり風習がある。 この日に必ず食べるという食物には、餅、団子、小豆飯に粥と土地ごとに種類は変わるが、共通なのは米であり、その米は新米だったろ思われる。中国地方には、この日の食物を膝に塗る風習があり、鳥取県では、この日を師走祭と呼び、萩の餅をこしらえて両肘と両膝に塗り、川に転ばぬまじないだといっている。この地方のはまた、朝、鳥の鳴かぬ間に茄子を食べると水に溺れないなどというところもある。鳥に遅れるとその節季の掛払いに遅れるともいう。川渡りの節季については、その起源を語る話が伝えられている。川に餅を供え鬼が食べているうちに逃げたとか、牡丹餅(ぼたもち)を食べていたために鬼に食われずにすんだなどの話である。 また、仙台地方では、この日に炉の四隅に焼豆腐を串に刺して立て、それに水をかけて火防のまじないをする風習が古くからあった。 ■川浸り餅■■開拓の村■北海道歳時記31・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.12.01
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