映像四郎の百人斬り

映像四郎の百人斬り

「泪」





 地下鉄A子ちゃんの影響力は、

 私にとって、甚大なものがあるらしい。

 精神的免疫機構を、すりぬけて、

 私の、コアが、犯される。

 「生への衝動=エロス」と、

 「死への衝動=タナトス」を、

 縦軸、横糸よろしく、

 または、マリオネットの

 可動式な十字の「操り棒」よろしく、

 私の前で、自由自在な、精神のダンスを、

 踊って見せているのだ。

 いわば、「エロス」と「タナトス」に、

 踊らされる操り人形が、A子ちゃんで、

 それは、世界の片隅で行われる、

 「祭り」のひとつなのかもしれない。

 いわば、A子ちゃんの「祭り」における

 「位置づけ」は、「巫女」なのだ。

 「彼岸と此岸」または「無意識と意識」の縁で戯れる、

 一種の「儀式」なのだ。

 A子ちゃんの「タナトス=死への衝動」は、

 おそらく、「死」を飼いならすために、行われている。

 A子ちゃん、いわく、本当に、自分から、死ぬ人は、

 「死にたい」などと、自分から、いわないそうだ。

 A子ちゃんが、大学生のころ、自殺した友人に、最後に会ったとき、

 その友人は、とても明るく、爽やかだったそうだ。

 つまり、「祭り=儀式」は、精神の新陳代謝のために、

 行われている。

 ココロの新しい皮膚を生やすために、

 古い皮膚を、洗い流しているのだ。

 いわば、「感情のダンス」で、

 定期点検のようなものかもしれない。

 前回のA子ちゃんから、もらったお土産は、

 「金縛り」と、「泪」だった。

 「金縛り」は、かかる前に、取り除いたが、

 「泪」は、行きつけの飲み屋で、

 ワインを1本あけた時点で、

 唐突に、堰が切れ、意味も根拠もわからず、

 花粉症の鼻水のように、

 たらたらつるつる、流れ続けるのだった。

 おかげで、泣き上戸と、勘違いされてしまった。

 どうしてくれんだよ、A子!

 ただ、「地下鉄A子ちゃん」が、

 泣きたがった意味が、よくわかった。

 すげー、すっきりした。

 「泪」は、けっこういい「娯楽」なのだ。

 なんといっても、人類始まって以来のロングセラーな、

 「カタルシス=浄化=娯楽」だし。

 (娯楽と呼べない、そのシリアスさが、素敵なところなのかも)

 「エロス」は、精子を射精し、「タナトス」は、泪を射精する。

 「生の連鎖」と「生の循環」という、生き物の基本テーゼだ。

 あいかわらず、下衆な例えだが、「生死」をひっくるめて、

 それでも、あほっぽく、よちよち、

 あるいてくのが、生き物なのだろう。


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