2026年09月20日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類


 明治節に相当した1945年11月3日。釧路港の防波堤外で、弾薬処理作業に従事した隣組の組長を含む4人が犠牲となった。
 「お父さんはその麻、作業に行くべきか、ゆくまいか、相当にためらっていました」。
 そんな連れ合いの下に夕方、届けられたのは「お宅のご主人ほかが、作業中に海に投げ出されてしましました」。

 北海道東部の港マチ。旧名を「トンケシ」と呼ばれた釧路市浪花&寿界わいの住民、4命が事故にあった。
 GHQの命令で港頭に集めれてあった日本軍の弾薬を、海上投棄する作業が道庁―市役所を通じ、隣組に割り当てっれていた。
 「勤労奉仕」「勤労動員」で痛い目にあっていた市民には、実に、酷な話であった。

 事故の発生後、北海道も釧路市も幾分の見舞いを施した。しかし、ポツダム宣言受託後のことであり、GHQの命令で結果として犠牲になるも、軍人恩給支給の対象にはならず、
 自治体史のこの記載部分に瑕疵があると、記述追加の議が市議会で起きた。


 時移り2025年3月10日。そして26年8月14日。
 BSTBSが「受忍の國」として、広島・長崎の被爆者、東京・名古屋等の大都市空襲犠牲者、もちろん沖縄戦闘や中小都市空襲犠牲者をふくめ、民間人の戦後補償のないこと。
 そこを問う番組が、放送された。指摘は「軍人恩給として支払われた恩給の総額がこれまでに60兆円」。対して民間人のそれは「ぜろ円」。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2026年09月27日 14時37分59秒コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: