お食事編・後編




ぶち切れてしまった私・・・。

私「解りました。じゃあこれからはおかあさんの食費はいりません。どうぞ、ご自由にして下さいな。毎日毎日三食、好きなもん、好きな時に

好きなだけ、お召し上がり下さいな。幸いうちには、一階の店におかあさんが使ってはった冷蔵庫があります。どうぞ、そこに好きなだけ

買い物して入れて下さい。この際きっちり分けましょや。私はもうおかあさんの食べるものは今後一切作りませんから。ほんでH君(次男)はどう

しますのん?本来独身の息子の世話は母親がするもんですわなぁ。いま食事も洗濯も私がしてますけど、いっそのことおかあさんがしはりますか?」

とまるで負け知らずの弁護士のように冷静に軽快に(?)弁がたった。とばっちりを食らって慌てた次男は、それでもやはり恐縮そうにこう言った。

「ね・・姉ちゃん、悪いけど俺は今まで通り姉ちゃんに作って欲しいねん。おかんには任せたくないねん。ほ・ほんで・せ・洗濯も悪いけど姉ちゃんに

頼みたいねんけど。着替えがないなんてもうイヤやねん・・」と、苦笑しながらペコッと頭を下げた。

なんせ元友達だし、別に義弟が憎いわけでもなかったので「ほんならH君は今まで通りという事で」と私も微笑んだ。

しかし姑と義弟の二人暮らしはよほど悲惨だったのだろうとこの時改めて思った。あながち経済だけの理由でヘルプを言ってきたのではなかったんだと。

ジェリーは何を思っていたのか俯いたまま無言だったが、こうして「おかあさんの独立」という結果で強引に会議は終了した。

この時私はなんとも言えない開放感を感じたのを今でも憶えている。

これでもう文句も言われないだろうし、若者メニューも出来る。実に爽快だった。

そして「基本的には自分の事は自分で、だが人に任せるんなら文句は言わない。自分の発言には責任をもつ。」というこの世間でも常識とされている

考え方は本当に間違っていないと思っていた。いや、今でも正しいか間違ってるかは解らない。

でも「聞き流してあげる、見ぬふりをしてあげる」というのもあったのにな、と今この年齢に(秘密のくせに)なってそう思っている。

まぁ人は後からでは何とでも言えるのだが・・・。

さて幸か不幸か「独立宣言」となってしまったジェリーさん。次の日から何やらせっせと買い込んできた。

ダブル・キッチンではなかったから、私もジェリーが帰ってくるまでに調理を済ませてガスコンロを解放していた。

しかしジェリーの食べたい物とはそんなものを必要とはしなかった。

野菜のお漬物、梅干、らっきょ、冷奴、トマト、きゅうり、佃煮海苔、ご飯。

グラタンやハンバーグを食べている私達の横でそういうものを食べていた。

始めは平日だから仕事終わってから作る気もしないのかと思っていた。でも休日でもそういうものばかり食べていた。

「ああ、美味しい、ああ、美味しい」とうるさいくらい何度も何度も言いながら・・。

戦争体験者の彼女には一種、懐かしい味だったのかもしれない。年齢もあったのだろうし。

しかしそんな「家庭内食事別居」も長くは続かなかった。ジェリーが白旗を揚げたのだ。

「もうかなんわ!しんどいわ!またトムちゃんに作ってもろてもええわ!」と・・・・。なんだかまだ癇に障る言い方だったがまぁ彼女なりに謝って

いるつもりなのだろうと私も無理やりおさめる事にした。そして食費を二ヶ月ぶりに預ったとき私は覚悟を決めた。

「もう、食べもんみたいな何でもかめへんって言いながら出てきたら文句言うのんやめて下さいや。要望があったらハッキリ言うて下さいや。

 それから気まぐれな買い物もやめてくださいや。どうせ作りもせんのやから。そないに買い物したかったらたまに私がこれこうて

 きてって言いますからな。そんで宜しいな」と言った。この家ではハッキリものを言わないと潰される。病気になる。と学習した。

姑「ああ!わかった!」  こうして同居半年目にめでたく「平和条約」が結ばれた。

「しかし」がいいか予想通りだから「そして」がいいか・・。

その条約ももすぐに破られることとなり、私は彼女が入院するまで「見切り品」に悩まされ、時に作り、時に腐らし、時に怒鳴っていたのだった。









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