入院編



ジェリーが風邪をひいて高熱を出し、倒れこむようにしながら帰ってきた。

確か前日に大喧嘩をして「アンタの世話にはならへんわ!」と彼女がタンカを切ったばかりだったと記憶している。

でも私達にはよくそんな事があった。私が「おかーさんに何のご迷惑もかけません!」と言うなり包丁で指を切ってしまい、早速その日の

後方付けをジェリーにやって貰うといった事もあった。

そんな時はまるで「サタデー・ナイト・フィーバー」のトラボルタのように(古い?) 切った指だけ一本高く上げながら 

洗い物をするジェリーの横で けったくそ悪い(通訳;なんとなく不愉快で悔しい感じ)思いをしながら立っていた。

一度、私が高熱を出して部屋に引きこもっていたらドアの外で「はいるで!!」と言う声が聞こえて、とても思い切ったような感じで

ジェリーが入ってきた。「もう!お願いやからなんか食べて!」とお粥を持って。

しかしお粥があるのに お箸がなかった。 「あ!お箸、お箸・・」と降りていき

今度はお漬物があるのにお皿がない事に気付き 「あ!お皿、お皿・・」と・・

次は「あ!醤油、醤油・・」とひとつひとつ取りに降りて行き、息を切らせていた。 本当に・・・とても不器用な人だった。

でもあの時のお粥は、本当に美味しかった♪ 塩加減も丁度良かった★

中鍋にほぼ満タン入っていたのに 私は全部平らげた。ジェリーの見ている前で・・。

私が食べる様子を ジェリーは嬉しそうに 頬杖をついて見ていた。

私達の部屋に入ってきて あんなに彼女がゆっくりしたのは多分 あれが最初で最後だったと思う。

同居の良い所はこんなとこやな と当時の私もそう思っていた。

別居ならたまに会った時にイヤなことがあると、次に会うまで軽く引きずったりする。 私の性格では特にそうだった。

前回あれで揉めたから今回は気をつけないと と少し構えたりしていた。 今でも 結構こだわり屋だ。

でも同居はそんな余韻も、次への心の準備も出来ぬまま、次々と出来事が起こる。 シミュレーションも無しに 起こる。

そのせいで イヤな所を見る!!  でもそのお蔭で 良い所も・・・・・・・・・見えてしまう。 

くっそ~!! ってな感じでも(笑)

強気の時は憎たらしく思えても 弱っているとつい うっかり心配もする。 お互いがそうだった。

そんなジェリーが高熱を出し 弱々しくなって帰宅した。 

兄弟はまだ帰ってなかったので お茶の間兼ジェリーの寝室 にとりあえず布団を敷いて寝かせた。

熱は39度もあった! 小さな体がはぁはぁと苦しげに上下していた。

当時の私はまだ免許を持っていなかったので「おかーさん 救急車呼ぼか?」と訊いた。

すると全身を揺すりながら「いやや!いやや!お医者さんはいややねん!」と叫んだ。 よくこんな子供のような仕草をした。

仕方がないのでまずタオルで額を冷やし(ほんまに風邪やんなぁ?)と不安ではあったが風邪薬を飲ませた。

二日ほどで熱は下がった。 でも咳だけはとうとう止まらなかった。 とても奇妙な咳だった。

それでも「医者はいやや」と言ってきかなかった。 市販の咳き止めの薬ばかり飲んでいた。

そして「背中が痛いねん、湿布貼って」と言ったり「胸も痛いねん」「頭も痛いねん」「足も痛いねん」・・・・

と痛みばかりを「トムちゃん、なぁ、トムちゃん・・」と私だけに訴えた。 側に息子達がいても何故か いつも私だった。

私は様々な思いを抱きながら いつも湿布を貼った。

時に人としていたわるように・・・ 時に機械的にこなすロボットのように・・・ 時に恐ろしく冷めた鬼のように・・・

そんな事が数ヶ月 続いた。

「もういい加減に連れていかなあかんな、絶対おかしいであの咳は・・」 口火を切ったのはやはり夫だった。

「うん、無理やりでも連れて行った方がええよな?」 次男も同意して

「それがいいと思うわ。いつになるのん?」と 結論を急いだのは私だった。

結局 次男はどうしても休みを取る事が出来ず 夫と私が 騙すような事を言って連れていった。

検査の結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・癌だった。 

以前ジェリーは乳癌の手術をやっていて乳房を片方無くしていた。 それの肺転移だった。

「もう手術は無理ですが、入院して頂きます。告知は・・・患者さんのタイプからして されない方が宜しいでしょう」

担当医はそう言った。

「肺になんかの菌が入ったらしいわ。入院せなあかんねんて。でも手術はせえへんでもええねんて。せやから頑張ろな おかーさん」

確か私はそんなことを言ったと思う。 無口な兄弟に見兼ねて 思いっきりオブラートに包んだ つもりだった。

ジェリーは とてもとても嫌がったが最終的には 長男に怒鳴られて泣いて無理やり 納得した。

こうして 結果二年三ヶ月に及ぶ事になる入院生活が始まった。同居して丸一年目の春だった。

それでも最初の三週間ほどは元気でいた。そして私達家族や病院の人々を振り回してくれた。

しょっぱなの土曜日の午前十時頃 そろそろ行こうかと準備していた私のもとへ電話が鳴った。

ナースからで「おかーさんがどこにもいらっしゃいません!!!」と言われた。

慌てて「今から行きます!」と言って電話を切るなり また電話が鳴った。

「あぁ、トムちゃ~~ん?いまT駅やね~ん。パーマ屋さんに行ってから帰るわ~♪今日は泊まるから~★」

「おかーーーーさん!!病院に何にも言わんと出てきたらあかんがな~!皆心配してはるがな~!」

とまぁ、こんな事が二、三回はあった。 私達の週末の計画もよく狂った。

どうも生い立ちのせいか、自分が心配されているから連絡をしようとか 事を起こす前に相談をしようとかいう事が 無い人だった。

家でさえも ほとんど勝手に買った訳だし。

けれでもそんなジェリーでさえ もう勝手に動けなくなる事態となった。

失明したのだ。

頭が痛かったのは 癌の視神経転移のせいだった。



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