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1-1ヨーロッパ充実の旅
日程 1990年9月4日~9月16日(13日間)
< スケジュール >
1日目
福岡発~羽田着(NH246)9:30~11:05 着後リムジンバスで成田空港へ
成田発~ロンドン着(NH201)16:55~21:25 着後ホテルへ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーラマダインウェストロンドンホテル泊
2日目
夕刻までロンドン市内観光
ロンドン発~アテネ着(OA270)16:40~22:05 着後ホテルへ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアテネアクロポールホテル泊
3日目
終日エーゲ海クルーズ(船)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー連泊
4日目
午前中、アテネ市内観光
アテネ発~ローマ着(オリンピア航空)13:05~14:00 着後ホテルへ その後自由行動
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーホテルウニベルソ泊
5日目
夕刻までローマ市内観光
ローマ発~ウィーン着(EX234)19:05~9:05(列車)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー車中泊
6日目
終日、ウィーン市内観光
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーープルマンホテルベルベデーレ泊
7日目
ウィーン発~ザルツブルグ着(EC62)9:00~12:19(列車)着後市内観光 その後ケンプテンへ(バス)着後ホテルへ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーフルステンホフホテル泊
8日目
ケンプテン~ノイシュヴァンシュタイン城(バス)着後城観光~ローテンブルグ(バス)着後市内観光~マンハイム(バス)着後ホテルへ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーノボテルマンハイムホテル泊
9日目
マンハイム~ハイデルベルグ(バス)着後市内観光~リューデスハイム(バス)着後市内散策~ザンクトゴアまでライン川下り(船)~フランクフルト(バス)
フランクフルト発~ジュネーブ着(SR545)17:20~18:30着後ホテルへ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーホテルサボイジュネーブ泊
10日目
ジュネーブ~モンブラン(バス)着後モンブラン登山観光~ジュネーブ(バス)着後市内観光
ジュネーブ発~パリ着(TGV926)16:50~20:31(列車)着後ホテルへ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーホテルベルジェール泊
11日目
午前中、ベルサイユ宮殿観光
午後、パリ市内観光(バス)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー連泊
12日目
午前中、自由行動
パリ発~ロンドン着(DA986)12:55~12:55
ロンドン発~成田着(NH202)17:50~13:40
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー機中泊
13日目
着後、リムジンバスで羽田空港へ
羽田発~福岡着(NH257)15:30~17:10
1日目 1990年9月4日(火曜日)快晴
待ちに待った、人生初めての海外旅行!
昨日から遠足に行く子供のように、ドキドキしてあまりよく眠れなかったが、体調はすこぶる元気で調子は上々。
朝の目覚め?もすっきりです。
地下鉄で福岡空港に向かいました。キョロキョロ・・・集合場所を探して歩きました。
「あ~あった!あのカウンターじゃない?」
今回一緒に旅をする事になった、A君と2人して受付のお姉さんに名前を告げた。すでにその周りには、一緒に旅する仲間が何人かいました。
搭乗券を渡され、「時間になったら搭乗ゲートに来てください」と言われ、一時解散しました。
初めての2人に空港を堪能する余裕は無く、すぐ搭乗口に行き、セキュリティチェックを受けて、搭乗ゲートに向けてひたすら歩きました。本当は、25分前で良かったのだが、倍の50分もありました。
余裕が無いのは怖いのだが、この日の2人には関係ない。次に待ち受けてる状況でワクワク、本を読んだり音楽を聴いたりして、あっという間に早くきた感じです。
時間がきて、機内に入る。慣れた感じで座席に座りました。
が、座るなり、機内誌を見る。(そこが慣れてないよね)
飛行機が離陸した。(あ~、いよいよ海外へ行くんだよねぇ。心の中でつぶやく、まだ東京なのに・・・)
飛行機は、無事時刻通りに羽田空港に到着。
少し出た所で待ってるように言われた?気もするのか、しないのか?(たぶん言われたんでしょう)
2人して機内を出て、流れに従い、すたすたと進む。
「あれ?皆は?添乗員さんは?」私が言う。
「なんか誰も来ないよ」A君が言う。
やばい気がして、そこで立ち止まって待つ事にしました。すると添乗員さん達ががやって来て、事なきを得ました。
(なんだか私達を待ってたみたいです)後で、同じツアーの人に言われました。
旅先早々、やってしまいました。(皆さん、どうも・・・心の中で謝る)
荷物をピックアップして、リムジンバスで成田空港へ向かいました。
心の中で「中央フリーウェイ」を歌う。
まるで歌の歌詞のような状況で、バスは一路、成田空港に向かった。
で・でかい!
福岡空港・羽田空港では、そう思わなかったけど、成田空港はでかい!
それに洗練されてるぅ。
待合ロビーに観葉植物があって、なんかいい雰囲気。
今度は、金魚の糞のように、添乗員さんから付かず離れず距離をとり、注意深く言葉を聴く2人。
初めての事で、A君はメモをとっていた。(さっきの汚名挽回か?)
出入国カードに記入する。(慎重に)
空港使用料の券を購入する。(人が多く待たされる)
お金を現地通貨のお金に換える(とりあえずポンド・マルク・フランでいいか)
それから、時間があったけど、パスポートコントロールに向かいました。
緊張!
顔と写真を見比べられ、出入国カードを見て、パスポートにスタンプを押されて終わりなんですが、初めての体験で、ど・緊張でした。
中に入ると免税店があって、華やかなムード。私はおのぼりさん状態。
あれもこれも欲しいものばかりで・・・。
何も買わずに、例のごとく(笑)早めに搭乗ゲートを確認して、歩きました。
歩きながら、ゲートに行ったら何も無いかも・・・頭によぎる。
「お腹が減った」と私が言う。
「俺も」
なんか軽いものでも買おうか?
おにぎり・水・スナック菓子・ビール・つまみを買い(軽いのか?)ゲート近くの椅子に腰掛けて食べました。
搭乗時間になると、人がドンドン集まってきました。
見知ったツアー客の顔もチラホラ・・・。
時間が来て、いよいよ機内の人となりました。
今までの飛行機と違って、大きい。
自分の座席を探しながら、奥へ奥へ歩く。ん?んんん、何処まで行くん。
A君の後ろを歩きながら、まだなのと心の中でつぶやく。
「あった」とA君
なんだよ~~~一番最後じゃん。でも良かったかも。
トイレに近い。トレーにも近い。食事も早い。しかも2席で誰も来ない。やりたい放題(最後のは、冗談です)
機内では、おしぼりが出てきて、ウェルカムドリンク。
私は、アイスコーヒーを頼みました。
その注文が、いきなりフライトアテンダントを困らせてしまいました。(ホットはあるけど、アイスは無いのね。後で知りました。)
「少々お待ち下さい」と言われ、約10分後に持って来てくれました。
嫌な顔もしないで、作ってきてくれたアテンダントさん、有難うございました。外人さんならどうだったのだろう?って思いました。
CMみたいに・・・オンリーって言われたりして。
隣のA君はと見やったら、すでにコーラーにおつまみを食べ終わっていて、文庫本を読んでいました。
暫くして、又飲み物の注文に来ました。
今度は2人してビールを頼みました。
すぐさま食事の時間になって、肉か魚かを聞かれて、私は肉で、A君は魚を注文しました。その時に、また飲み物を聞かれて、なんか機内食楽しいな~って思いました。その時は、気取って赤と白のワインをそれぞれ頼みました。
でも赤が美味しくなかったので、どちらかと言えばA君が白だったんですが、替えてもらいました。
ワインを飲んだら、2人とも酔っぱらってしまい・・・また、慣れないことで疲れてたのか・・・その後は爆睡でした。
(上空は気圧の関係で酔いが早い)
到着前のリフレッシュメントの時は、2人とも可愛くオレンジジュースにしました。
飛行機は、ロンドン上空を旋回して、ガトウイック空港に着きました。(今ならヒースローなんだよね)
いよいよ緊張の入国審査です。
自分の順番が来るたびに、緊張です。頭の中で、目的は観光、宿泊先は○○ホテル、いつまでいるのか?何日間滞在という英単語が、グルグル渦巻きます。いよいよ私の順番。指示された場所に行き、パスポートを出しました。
日本語で聞かれて、拍子抜け。。。
あっと言う間に、スタンプを押され、終わりました。へんなウィンクのオマケまでもらい・・・。
A君は、まだのよう。私の前だったのに・・・。
(やっぱ日本人で、中近東っぽい顔がネック?だったんだろうか?深くは聞きませんでした)
荷物をピックアップして、ゲルマン民族のごとく、一本道になってバスまで移動しました。みんな少しお疲れムードです。
空港から出て、初めての海外の空気を思いっきり吸い込みました。外気温が少し肌寒くて、ロンドンに来た~って当たり前の事を思いました。
現地添乗員さんは、トレンチコートを着て、迎えに来ていました。(ロンドンっぽいね~)
バスに乗り込み、やっと自己紹介が始まりました。
私は、ぼんやりと聞きながら、初めての異国の地を車窓から眺めました。オレンジ色の独特の優しい灯りが、日本じゃないなって思いました。この灯りが好きになりました。
ホテルに着いて、明日の注意事項を聞いて、部屋に入ったら荷物が届いていました。2人とも疲れていましたが、バスタブにお湯を張って、お風呂に入りました。ベッドに入る頃には、日付も変わっていました。
長い、長~い、1日がようやく終わりました。(若いのに、マジ疲れたな~)
2日目 1990年9月5日(水曜日)曇り
今日は、7時に起床しました。昨日夜が遅くて、多少寝不足気味。
9月なのに朝起きたら、部屋に暖房が入っていました。ロンドンの朝は寒いな~って思いました。このホテルは、部屋でモーニングサービスが出来たので、朝食を部屋で食べました。ロンドンには多いのだろうか?
(ラマダインウェストロンドンホテルの部屋から見えた景色)
いよいよ初の海外旅行、(幕開け、う~ワクワク)観光へ出発です。
昨日は夜遅く着いたので、よく解らなかったが、街を走るバスの中から見える、建物の凄さに圧倒されました。
最初に見えたのは、ロンドンブリッジだった。その後、テムズ川沿いに建つ、ビッグベンを下車して観光する。写真で見た景色が、確かに目の前に建っていました。(本当に来たんだ~変な納得)
(ロンドンブリッジ)
(ビッグベン)
その後、ウェストミンスター寺院に入り、初めての祭壇に目を奪われ、冷やりとする寺院内部で、厳かな気分になりました。
(ウェストミンスター近くの風景)
いよいよ本日のメイ・イヴェントである、バッキンガム宮殿観光へ向かいました。
宮殿庭園を歩き、「この場所がいいですよ」と言われた場所で、待つこと30分ぐらいだっただろうか?音楽と共に衛兵交代の儀式が始まりました。
まるで”おもちゃの兵隊”のようだと思いました。(キットカットのCMみたいな感じ)初めてみた交代式に、それはそれで良かったのですが、これも大英帝国の威厳を現す、パフォーマンスなのだろうと思いました。
それにしても、交代式を見学する、観光客の多さにも驚きました。
(宮殿庭園)
(衛兵交代式)
その後、イギリスで有名な?昼食を食べました。
フィシュ&チップスです。私個人は、好きなんで満足でした。
(イギリスの食事はまずいと言いますが、このメニューは当たり外れはないと思います)
あわただしくロンドンを後にし、夕刻にアテネを目指して、オリンピア航空で行きました。私は、寝不足気味だったので機内では、ほとんど寝ていました。可笑しな事に、飛行機が無事にアテネ空港に着陸した途端、機内からは拍手の嵐でした。
誰彼と無く拍手をしだしたので、私もつられて拍手しました。よっぽど有名なのだろうか?(悪い意味で・・・)
この日もアテネに到着したのは、夜遅くでした。空港から一歩でたら、暑いの一言です。随分、南に来たんだな~。汗がにじんできました。
欧州独特の灯りに迎えられ、バスは市内を目指しました。市内に入ると、昨日とは打って変わって、夜遅くでもタベルナ(レストラン)が開いていました。そこかしこの店が、オープンカフェになっていて、人で賑わっていました。開放的な雰囲気だな~。
ホテルの部屋は、二部屋になっていて、さすがギリシャ?床がすべて大理石で、バスタブも大理石でした。ここに2泊するんだ~嬉しいな。
機内で寝たおかげか?夜も遅いのに、ハイテンションでした。
今日も就寝する頃には、日付が変わっていました。
3日目 1990年9月6日(木曜日)快晴
モーニングコール6時半で目が覚めました。
それにしても団体行動は、朝が早いね~~~。(個人旅行なら寝てる時間だよ、私は)
でも今日は大丈夫だよ。この旅の中で一番期待していた、終日エーゲ海クルーズです。日本にいる時に、夢にまで見ていた、エーゲ海です。
7時に朝食を食べて、7時半にホテルを出発しました。
バスで約30分ぐらいで、パレオ・ファリロ港に到着しました。
港にはたくさんの船が停泊していて、青い空に蒼い海、そこに眩いばかりの白い船が優雅にたたずんでいました。
船に乗り込むと、まだ出航してもいないのに、クルーが飲み物を持って回って来ました。(なんかリッチ気分)
赤いゆったりとしたソファに座り、待つこと20分ぐらいか?船は8時半に、時刻通りにゆっくりと出航しました。
船が動き出すと、クルー達の紹介があって、その後ツアーの説明がありました。この船には有名?な、洋子さんという人が乗っていました。勿論、クルー関係者です。福岡出身って言っておられました。その洋子さんは、派手なクレオパトラのようなメークをしていました。(笑)今頃は何をしているんだろう???
最初の寄港地は、エギナ島(約1時間の航海)でした。
この島では、約2時間滞在です。
私達は、ツアーに組み込まれていたアフェア神殿に、小さいバスで向かいました。椰子の木が茂る大通りを抜け、オリ-ブの木が生い茂る山を横目に、バスは狭い道を登りました。
高台に建つ、紀元前490年ごろに建てられた、アフェア神殿を前にすると、遠い異国に来たな~と共に、この風景だったんだ~って思いました。
それは、小さい頃から夢に度々出てきた景色(写真で見たこともない景色なのに・・・)なんです。その夢の風景は、神殿越しに見るエーゲ海なんです。私は、体中から鳥肌が立ち、感動に打ち震えていました。
でも本当は、A君と一緒にエーゲ海で泳ぎたかったのです。
水着まで持ってきていたのに、チャンスは訪れませんでした。(TT)
アフェア神殿に行って、デジャヤヴゥ現象を体験出来たのは収穫なんで、次回には泳ぎたいと固く誓いました。
エギナ島では、2時間の自由時間の使い方に、神殿に行く人・ブラブラと町を散策する人・そして泳ぐ人に分かれます。
エギナ島はピスタチオの名産なので、ピスタチオチョコを買いました。
(アフェア神殿)
ギリシャ語でアフェアとは、「見えないこと」を意味するそうです。女神アフェアは、知恵の女神、アテナの地方的な呼び名です。
繊細な建築で、ドーリア様式独特の簡素美をいかして建てられました。
(アフエア神殿から見えるエーゲ海)
不思議ですが、この場所に来てから、エーゲ海の夢は見なくなりました。
次の寄港地は、ポロス島(約1時間の航海)です。
その間、昼食のバイキングがありました。自分で好きなものを食べられるので、バイキングは大好きです。
ポロス島はエギナ島と違って、のんびりしています。
島で唯一の観光名所である時計台が、高台に建っています。海の色も、エメラルドグリーンに近い色をしていました。ここでは、約1時間の自由時間がありました。
私達は、町の店に入って、ショッピングを楽しみました。
ここでは、銀の縁取り(いかにもギリシャ風の凝った模様です)の花瓶を買いました。
(時計塔)
最後の寄港地は、イドラ島(約1時間の航海)です。14時半頃に到着しました。
この間に、船内ではグリークダンスのショーが開かれていました。
見るものも初めてですが、ダンスも変わっていて、面白かったです。
この島での自由時間は、2時間ほどありました。
泳いでも良かったのだろうが、着替えは船内でするしか無い為、時間も心配(初めての海外旅行だし・・・)だし、相談して止めました。
最初から洋服の下に、水着を着ていけば良かったかも。。。着替える場所があると思ったのが、間違いでした。(泳ぐ人は着ていった方がいいと思います)
という事で、イドラの商人達の豪邸の建つ町並みや、島で作られるオリジナルアクセサリーやレース製品・革製品を見て回りました。
ここでは、金が安かったので、イルカのネックレス(24金)とTシャツと練り香水(容器がギリシャっぽい)を買いました。
この時の通貨は、1ドラクマ=0.4円でした。
夕方16時半頃に、船はイドラ島を出航し、パレオ・ファリロ港に19時頃到着しました。約2時間半の航海時間の間、船内では再びグリークダンスショーが始まりました。今度はお客さんも加わって、輪になって踊ったり、舞台に上がってダンスの手ほどきがあったりして、船内は盛り上がりました。
(グリークダンスショーの様子)
それぞれの島を、忙しく回りましたが、一長一短という感じです。
3つも回れるメリットもあれば、島の滞在時間が短いというデメリット。
気に入った島があれば、いつかまたゆっくりと訪れればいいだろうと思いました。ギリシャは、大小合わせて約200もあるそうです。海運国ギリシャの魅力は島にあるような気がしました。
1日クルーズは、エーゲ海のイントロダクションとしては、最高だと思います。
その後一旦ホテルへ戻り、ショーのあるタベルナに行きました。
前菜から最後のデザートまで食べて、(その間ショーを見ています)約2時間ぐらいかかりました。スブラキ(串に肉や野菜を刺してグリルしたもの)という食べ物が美味しかったです。ウゾ(水で割ると白く濁る)という蒸留酒もなかなかでした。(日本でいうと焼酎みたいなもの)安くてお土産に便利かな・・・珍しいし。(重いけど)
すっかり食べ終わった時間には、ショーも本格的になり、昼間見たショーを夜も見ました。一つ違うのは、ベリーダンスでした。(腰をくねらせながら踊る悩ましげなダンスです。お腹の辺りの肌が露出しています。)
時間の流れが、日本と違うなと強く思いました。
部屋に戻ったのは、11時近くになっていました。毎回遅いです。
お風呂に入り寝たのは、今日も又、日付が変わっていました。ちなみにA君は、「疲れた~パスする」と言って、早く寝ました。
4日目 1990年9月7日(金曜日)晴れ
モーニングコール7時半で目が覚める。(モーニングコールがないと起きれないようになりつつあります)
今日はゆっくりめで、ホテルを9時に出発です。
バスの座席争いを、自分の中で勝手に勝負して、1番前の席を確保できた。(満足)
さあ、今からアテネ市内へ観光に行きます。
まず最初にフィロパポスの丘を目指して、バスが走り出しました。渋滞した市内(ごちゃごちゃしてて車が多い)を走り、テセイオン神殿やアグリッパの音楽堂がある古代アゴラを左手に眺めながら、バスはフィロパポスの丘に到着しました。ここではパルテノン神殿を眺める為に立ち寄りました。
丘の上に建つパルテノン神殿は、流石だと思うほど、神々しい感じでオーラを放っていました。(本当に来たんだな~)
(丘より望むパルテノン神殿)
バスは次に、いよいよパルテノン神殿に向けて、走りだしました。
バスは大型駐車場に止まり、そこからは少し歩きました。
アクロポリスへの入り口は、丘の西側にあり、ブレー門をくぐって、参道を登りました。
(急な階段もあり、大理石なので滑りそうで怖かったです)
最初に見えてくるのは、小さな美しいアテナ・ニケの神殿です。別名、”翼なき勝利の女神と呼ばれています。
イオニア式の柱のこの神殿は、紀元前424年に完成しました。
戦いで常に勝利を願うアテネ市民は、勝利の女神が何処にもいかないようにと、翼を切り落とし神殿に祀ったそうです。
そこから、プロピレアの門を通ると、目前に聳え立つパルテノンが見えます。古代アテネの栄光を象徴するパルテノン神殿は、見事な建築で、約2500年も前の建造物だとは信じがたい感じでした。
すべて大理石で作られたもので、柱一つを取ってみても彫刻が施されていて、46本の柱があり、柱の高さは10m・直径は約2mもあります。一大芸術作品という感じです。見る価値はありでしょう。
(世界遺産にも登録されているし)
(パルテノン神殿)
その後バスは市内に戻り、国会議事堂へ行きました。
国会議事堂の前には、衛兵が身じろぎもせずに立っていました。暫くすると、衛兵さんはコミカルな動きで、ある一定の距離を歩き出しました。そこでまた動きを止めて立っています。また、コミカルな動きで元の位置に戻りました。これの繰り返し。
プラハの衛兵はその場にずう~っと立ってます。それに比べたら、動く方がいいのかも・・・。
(国会議事堂の衛兵さん)
その後、ツアーの定番?の店につれて行かれました。
見てると買うような雰囲気になってくるから不思議です。なにせ初めての海外旅行だし・・・。(旅行会社の思うつぼ)
ここでは多少高かったけど、金で描かれたギリシャ模様の、大皿を買いました。部屋に飾ってます。
ちなみにロンドンでは、ロンドン三越でした。(今頃書いてます)そこでもかなり買いました(^^;)免税だし。
買い物タイムが終わり、昼食タイムになりました。
ムサカという食べ物(なすとひき肉を交互に重ね合わせたもの)を食べました。かなり美味しくてお気に入りになりました。
バスはその後、アテネ空港に向けて走り出しました。
アテネ空港から飛行機が離陸した途端、あ~私の旅の目的が終わったな~という寂しい感覚が包みました。
飛行機の中から見下ろすと、私のアテネ市街が、どんどん遠ざかって行きました。上から見たギリシャの海は、目の覚めるような紺碧の青でした。忘れられない色となりました。
着いた時は夜だったから、見えなかったし、寝てましたが・・・。
例のごとく?ローマに到着した時も拍手が沸き起こりました。
この現象は、オリンピア航空にはつきものなんだと、妙に納得した私です。
ローマ空港の名前、レオナルド・ダビンチ空港に着きました。(まんまやねん、何故か関西弁)着後バスでホテルへ行きました。
ローマ市内に入ると、驚きの連続でした。そこかしこにある歴史的建造物が、車窓に飛び込んで来ました。つい先ほど、私の旅が終わったと思ったのは、何だったんだろう?嬉しい誤算でした。
ホテルウニベルソに着くなり、私は我慢していたトイレに行きました。
(明日の事を添乗員さんから聞いていてねとA君に頼んで)
するとトイレは、中国人の団体さんで一杯でした。私を同じ国の人と間違えたのか?中国語で話してきます。私は、解らないので、黙っていました。
順番も何もないので、どうしようかと思っていたら、どうやら中国語でお先にどうぞというニュアンスでした。「謝謝」と言って、入りました。
初めて中国人に間違えられました。(初めての海外旅行なんだから、初めてなんだけどね)
夕食の時間まで、約2時間半の自由時間が出来ました。
添乗員さんの個人的な提案で、スペイン広場に行きたい人は連れて行きますよという事で、私達は地下鉄でスペイン広場に行きました。
午前中はパルテノン神殿にいたのに、今はローマ、しかもスペイン広場なんだよな~って、ローマの休日で有名な階段に座りながら、感慨に耽っていました。
その後は、買い物に行きたい人が出てきたので、添乗員さんはそちらに付き添いました。ご年配だし、そちらの方が心配だよね。
で、私達は本当に、自由時間となりました。
今では禁止されているアイスクリーム(ジェラート)を買って食べました。
アイスクリーム秘話があります。
この日は暑かったので、長蛇の列でした。自分の順番になり、バニラアイスクリーム二つ下さいと言いましたが、通じません。
発音の問題なの?(ちょっと違うイントネーションで)バニラアイスクリームを二つと同じ事を繰り返しましたが、駄目でした。
仕方ないから、指をさして、手でVサインを作り頼んだら通じました。後日この話を添乗員さんにしたら、アイスクリームはジェラートとの事。今は、ジェラートってよく耳にしますが、15年前は???
(知ってる人は知っていたと思いますが、私は知らなかったです)
その後、タクシーでトレヴィの泉に行きました。
(スペイン広場の階段から望む風景1)
(スペイン広場の階段から望む風景2)
それから地図を片手に、ホテルへ戻りましたが、建物が高くて目印にしてた物が見えなくなり・・・どうやら迷った模様。
ホテルまでは近い距離のはずなんですが、初めての土地でお互いどうしようもありません。タクシーで戻ろうと思うけど、日本のように流しのタクシーなんて見かけません。(TT)
ようやく見つけたと思って手を挙げても、止まってくれない。仕方なく、道行く人に、片言の英語で聞いて、少し歩き(イタリア人はいい加減なので、あてには出来ません)又聞いての繰り返しです。
どうにか見慣れた景色になってきて、安堵しました。
今考えれば地下鉄の駅を見つけて、地下鉄で帰れば迷うことなく、あんなに歩く事もなかったんですよね。
初めての海外旅行には、余裕が無いのですね。(私達だけか・・・)
夕食はホテルで時間通りに始まりました。
2人は10分前に辿り着いたので、誰もこの迷い子事件を知りません。
今日は歩き疲れたので、早めに寝ました。
関係ないけど、ローマは坂が多いです。マジ焦った、疲れた、内容の濃い1日でした。
5日目 1990年9月8日(土曜日)快晴
モーニングコール7時半で目が覚めました。
ホテルを9時に出発、今日は夕刻まで丸1日、ローマ市内観光です。
最初に行った場所は、ローマでも目立つ建物、コロッセオでした。
昨日バスの中から、チラッと見えていましたが、近くに立つとその大きさに、圧倒されました。
バスから降りるなり、現地添乗員さんから、「スリに気をつけて下さい」と注意されました。
お~ローマは、そんな場所なんだ。
スリって言ったって、こんな広い場所で?込んでもいないのに?
するとどういった行動でスリをするのか、説明されました。
「子供たちが近づいてきて、アイスクリームをわざとくっつけて、何かついてるって言って、その隙に取り囲まれてスリを行いますから」と。
また「とにかく子供たちが来たら注意して下さい」って言われました。
おいおい、ローマの子供たちは、何をするのよって思ってたら、ジプシーが多いとか・・・。
そんな小さな子供に、スリを教えて、親は何も思わないのだろうか?
生きるためにどうしようもないのか?
そう思っていた矢先に、アメリカの団体ツアーのおばちゃんが、目の前でジプシー風の子供達ともめていました。
どうやらやられたみたいでした。(現地添乗員さんによると)
お~~お、いきなり遭遇です。注意しなければ・・・。
(自然と身構えて、コロッセオを観光をしました)
(コロッセオとコンスタンティヌス帝凱旋門)
(コロッセオの内部)
コロッセオとは、巨大という意味で、歴史上最大の円形劇場・闘技場です。長径188m、短径156m、四層からなっています。収容人員は、約5万人。古代ローマ時代に建造され、6世紀まで使われていたそうです。中央のアレーナでは、古代ローマ時代に剣闘士や奴隷、罪人などが猛獣と格闘していたそうです。貴族たちの優雅な遊びだったんだろうな~~~。
今では、考えられませんね。
(ローマ帝国時代の植民地の様子)
歩いてバスに行く途中に、壁にはローマ時代の植民地の様子が4パターンありました。(添乗員さんより教えてもらいました)
観光でもなんでもありませんが、こんな感じでローマを歩けば、遺跡や歴史がゴロゴロです。
その後、一応、真実の口(ローマの休日で有名になった場所)に行き、順番待ちで写真を撮りました。(それだけです)
それから、ナボーナ広場に行きました。
私的には、ローマの下町という雰囲気の場所でした。ここには、三つの噴水があります。すべてが見事で、自然に存在する美術館のようでした。
中央には、四大河の噴水(ベルニーニ作)があり、北にネプチューンの噴水(アントニオとグレゴリオの共作)、南にムーア人の噴水(ベルニーニ作)です。もともとは、競技場を広場としたもので、広場の周りには建物が取り囲んでいます。
ナボーナ広場には、似顔絵書きや、大道芸人や土産物屋などがいて、楽しい広場でした。
こここそ人が多いので、スリには気をつけましょう。
(ナボーナ広場)
次に訪れたのは、トレヴィの泉でした。
ここも人が多く、写真を撮るのも一苦労でした。
一言、意外と小さいな~って思いました。
肩越しにコインを入れると、再びローマに来ることが出来るという伝説があるそうです。
(勿論、願いを込めて投げてきました)
その後市内のレストランで昼食を食べました。
午後からは、本日のメイン、バチカン市国に行きました。
ローマ法王で有名な広場が目前にあります。ものすごい大きい広場です。
サンピエトロ広場は、長径240mあり、30万人を収容出来るそうです。
中央には、エジプトから持ち帰った、オベリスクが聳え立っています。
その広場を歩き、サンピエトロ寺院を観光しました。
内部には有名な、ミケランジェロ作の「ピエタ像」が、入ってすぐの右側にありました。キリストの亡骸を抱く、聖母マリアの表情が美しく、とてもリアルでした。
規模の大きさ、内部装飾の豪華さ、見事な主祭壇、どこもかしこも見所だらけで、初めて見る感動に圧倒されぱなしでした。
(サンピエトロ寺院)
カトリックの華麗なる総本山で、コンスタンティヌス帝が、324年に着工しました。完成は349年。
その後、1506年に法王ユリウス2世が建築家ブラマンテに再建を命じ、1546年に、ミケランジェロが跡を継いで設計しました。だが、ミケランジェロは完成を見ずに他界、マルデノらの手により完成しました。
ミケランジェロがデザインしたクーポラは、ヴァチカンのシンボルです。
(サンピエトロ広場)
その後、バスは市外へ走り、カラカラ浴場を通り過ぎ、郊外にあるサン・カッリストのカタコンベに行きました。
ローマ最大規模の地下墓地です。
見学は、ガイドさんの案内で回りましたが、ヒヤリ(薄気味悪い)とした体感は今だに忘れられません。
暗い湿った階段を下りてゆくと、地下内部には、歴代教皇の墓がありました。又、3世紀のフレスコ画が残る、”秘蹟の埋葬室”がありました。
私個人は、なんで海外まで来て墓をみるのか?と思いましたが、今となっては、個人的には観光しないから良かったのかも・・・。
(カタコンベにあった木の中のマリア)
その後、バスはテルミニ駅に行きました。
ローマテルミニ駅発~ウイーン南駅着の寝台車(EX234 19:05~9:05翌日)に乗りました。
初めての海外での寝台車にウキウキです。(列車は、2等寝台車でした)
汽車の中で夕食(幕の内弁当)を食べました。日本茶も付いていて、いつもなら量が多くて残していたご年配の方々も、この日ばかりは満足げに完食です。
さあ、これから長い長い汽車の旅の始まりです。本を読んだり、音楽を聴いたり、A君と話したりして、時間が流れていきました。私が寝付いたのは、11時頃でした。喉渇いたな~・・・。ビールでも買えば良かったな~。(ブツブツ・・・)
6日目 1990年9月9日(日曜日)曇り時々晴れ
列車の寝心地はあんまり良くなかったです。
ガタガタ揺れるし(当たり前ですね)、国境越えの時に、パスポートコントロールがありました。両方の国の検査官がやって来て、税務審査官もやってきました。日本人で団体だし、形式的な形ですぐ終わりましたが、寝入った時だったから、また寝付くのに時間がかかりました。
今もそうですが、私は寝つきが悪く、寝起きも悪い・・・最悪なパターンです。そんなこんなで、少々寝不足気味で、起きました。
今日は、ちょっと肌寒い感じ。朝の空気がひんやりしています。
頭もちょっと痛い。(完全なる寝不足ですね)
バスはウィーン南駅に迎えに来ていました。
私達は、宿泊するホテルに行き、朝食を食べました。
昨日の夜は、お弁当を食べたきり、何も食べていなかったので、かなりお腹が空いていました。特に喉が渇きました。
(列車は思いのほか乾燥しています)
お腹も満たされ、さあ、ウィーン市内観光に出発です。
最初は、南駅近くに位置する、ホーフブルクベルベデーレ宮殿観光です。
ベルベデーレとは、”美しい眺め”という意味を持ち、その名の通り、小高い丘の上に建ち、ウィーン市街が見渡せました。
上宮(1723年)と下宮(1714年)が建っていて、上宮と下宮の間に広がる庭園は、フランス様式で美しく整備されていました。
(ベルベデーレ宮殿)
緩やかな丘の上に建つ、オイゲン公の夏の離宮。
ヨーロッパの建築史上に残る、美しいバロック様式の建物です。
上宮のファサードは、1683年にトルコ軍を破って、ウィーンを危機から救った、オイゲン公の栄誉を讃えているそうです。
次に訪れたのは、シェーンブルン宮殿です。
ここは先ほどの宮殿とうって変わって、メジャー・ビッグって感じでした。
あの有名な、ハプスブルク家(女帝マリア・テレジア)の家です。
1441もの豪華な部屋を持つ、夏の宮殿です。(夏ですよ・・・)
宮殿内は、王妃マリーアントワネット縁のものがありました。
中庭の庭園の美しさは、宮殿と同じで見事でした。
(シェーンブルン宮殿)
1683年、皇帝レオポルト一世が、ヴェルサイユ宮殿を凌ぐ宮殿を建てるようにと、バロック建築の巨匠エアラッハに命じました。だが財政難や度重なる戦闘などの為、1713年に縮小して完成しました。
その後、18世紀のマリア・テレジアの時代に、現在のような豪華絢爛たる、ロココ調の室内装飾に改装されました。
(グロリエッテ)
シェーンブルン宮殿の中庭に続く、丘の上に建つギリシャ神殿風パヴィリオンです。1757年のプロシア戦での勝利を祝い、戦没者の霊を慰める意味を込めて、マリア・テレジアが1775年に建てました。
宮殿内部は、専属ガイドツアーによって、順番通りに見学しました。
一つの部屋に対して、5分前後の説明でした。(多少退屈気味になりました)
見学から開放され、「暫く自由時間です」の声の時には、ホッとしました。
それから、昼食になりました。
昼食後は、シュテファン寺院を観光しました。
街の真ん中に位置している寺院は、大勢の人がいました。
天空高く聳え立つ塔の高さに、圧倒されました。高さ137mもあり、ウィーンのシンボル的存在のような気がしました。
寺院内部は、見所がたくさんありますが、聖母マリアとキリストの生涯が描かれた祭壇が良かったです。
(聖シュテファン寺院)
12世紀にロマネスク様式で建築が開始され、14世紀・15世紀にかけて改築された、ゴシック様式です。
(途中、火災に遭いました)
大聖堂の下には、カタコンベがあります。(ハプスブルク家の臓器を入れた壷が安置されています)
その後、王宮・英雄広場・ブルク門を観光(下車・写真撮影)して、ホテルへ行きました。
ホテルに着いたのは、午後3時頃でした。夕食まで時間があったので、私達はホテル近くの市立公園を散歩しました。公園のベンチに座り、将来のことを話したりしましたが、あの時間はもう戻ってこないのですね。
あの時に、写真をお願いした、”セントジョセフ”さんは、元気なのだろうか?(「フォト?」って聞いて、撮ってくれました)
市立公園は、のんびりとするには、もってこいの場所です。
(森林浴マイナスイオン全開です)
(ベンチから望む市立公園)
いつの間にか?頭痛薬が効いたのか?午後からは、眠さにもうち勝っていました。(笑)
まだ旅の後半が残ってるから、今日は早めの10時半に就寝しました。
おやすみなさい!
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