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2019.02.27
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カテゴリ: ブログ村
​​​​H4の「精子神学論」と聞けば、おおよそ無原罪の血統が文鮮明・韓鶴子総裁夫妻の子女様方の遺伝子、特には男子血統を中心とした「原罪清算『論』」であることが連想される。

一つには、H4が文総裁夫妻から「相続者」と一時は担がれた経緯もあり、自らをその位置に留め置こうとする意図から出てきた神学「論」を構築してきたものと思われる。
ハッキリいって文総裁が語られたものではなく、H4やその取り巻きが編み出したものであった。

ここで「精子神学論」が正論であるためには、まずは、文総裁が「無原罪で誕生」されたこと、そして、「六マリヤ」(正妻と妾)の存在は欠かすことができない。
ところが、お母様が語られた(?)というメモ書きやヒソヒソ動画からは「お父様有原罪」は、H4にとっては脅威となったことは言うまでもなく、お母様否定をしてでも(銃を構えながら)自己防衛を図ろうとしているのが文総裁と姜先生の結婚式ではなかったか。また、離再婚を正当化するうえで一役買っているのが「六マリヤ」ということになる。

さて、お母様が当時は実際にどのような話をされたかまでは分からないが、 自称ルポライターtomy4509からは、私たち食口がこれまで聞いていた「主の路程」からはお父様「無原罪で聖誕」などとはひと言もないことを挙げていた。
もしも「再臨主も無原罪で」と思われている方々があるとすれば、2000年前のイエス様がそうであったというような因習的な観念や信仰観によるものであり、原理講論では幾度となくそのような信仰観に対しての警告が成されていた。

原理講論P.174~
​​​ ​​堕落した人間は神霊に対する感性が非常に鈍いために、大抵は真理面に重きをおいて復帰摂理路程を歩んでいくようになる。したがって、このような人間たちは、古い時代の真理観に執着しているがゆえに、復帰摂理が新しい摂理の時代へと転換していても、彼らはこの新しい時代の摂理にたやすく感応してついてくることが難しいのである。……祈りを多くささげる人、あるいは良心的な人たちが、終末において甚だしい精神的な焦燥感を免れることができない理由は、彼らが、漠然たるものであるにせよ、神霊を感得して、心では新しい時代の摂理に従おうとしているにもかかわらず、体をこの方面に導いてくれる新しい真理に接することができないからである。それゆえに、神霊的にこのような状態に処している信徒たちが、彼らを新しい時代の摂理へと導くことができる新しい真理を聞くようになれば、神霊と真理が、同時に彼らの心霊と知能を開発させて、新しい時代に対する神の摂理的な要求を完全に認識することができるので、……終末に処している現代人は、何よりもまず、謙遜な心をもって行う祈りを通じて、神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならないのである。つぎには、 因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。そして探しだしたその真理が、果たして自分の体の内で神霊と一つになり、真の天的な喜びを、心霊の深いところから感ずるようにしてくれるかどうかを確認しなければならないのである。このようにすることによってのみ、終末の信徒たちは、真の救いの道をたどっていくことができるのである。
原理講論P.205~
​(五) 聖書に対する我々の態度

 我々は、既に、聖書のみ言によって、イエスに対する洗礼ヨハネの無知と不信は、ユダヤ人たちの不信を招来し、ユダヤ人たちの不信は、ついにイエスを十字架につけるようになってしまったという事実を知った。
 しかし、イエス以後今日に至るまで、このような天的な秘密を明らかにした人は一人もいなかった。これは、洗礼ヨハネを無条件に偉大な預言者であると断定した立場からのみ聖書を見てきたからである。 ​我々は、因習的な信仰観念と旧態を脱けでられないかたくなな信仰態度を、断固として捨てなければならないことを、この洗礼ヨハネの問題を通じて教えられる。使命を果たして行った洗礼ヨハネを、使命を果たさなかったと信じることも不当であるが、事実上、使命を果たさなかった洗礼ヨハネを、よくも知らずに、全部果たしたと信じることも正しい信仰ではない。我々は神霊面においても、真理面においても、常に正しい信仰をもつために努力しなければならない。​ 我々は、今まで、聖書のみ言により、洗礼ヨハネの真相を明らかにしたが、だれでも霊通して、霊界にいる洗礼ヨハネの姿を直接見ることができる信徒たちには、ここに記録されたみ言がみな真実であるということを、もっとよくのみこむことができるであろう。​


​これは、私自身を滅ぼそうとする摂理でしょうか。いいえ。これは完全な勝利の基点を願う、神様の愛であることを私は知りました 。堕落した血統を受けて生まれた、歴史的な摂理をおいて見る時にも、これは不可避な事実でないはずがないというのです。 いついかなる時、サタンがその先祖を通して、家庭を通して、兄弟を通して、自分を通して入るか分からないのです。それゆえ、それを清算できる内容をもって、天の側を代表して出ていくことのできる背後をもつことなしには、蕩減の場に出ることができません。その当事者が知っていようがいまいが、蕩減の因縁は来るのです。​

(真の御父母様の生涯路程① P.113)
の記述も私からは紹介していた。
敬虔なクリスチャンの家門ではなかったが儒教から家族が改宗してのちに、 お父様は16歳でイエス様と出会われてみ旨を出発されたということを見ても、「無原罪から」とは言い難い。

自称ルポライターの私から上記の論証を「精子神学論」は間違いではないか?! と問いかけているが、サンクの方々はどうなのか。

もちろん、お父様は「六マリヤ」を否定しておられた。それをH4が主張してみたところで、果たして、誰を信じるかだ。「二代王」がお父様と違ったことを語っているともなれば問題が大きい。お父様と違う教義を語るところには、果たして、お父様? サタン?
イエス様と洗礼ヨハネがそうであったように……

ここでもう一つ大きな疑問がわいてくる。
「精子神学論」、特には男系血統ということであればH4だけでなくKやH3ほか男性すべてに当てはまることであるが、どうしてH4が「二代王」だというのかだ。順番からはまずは長男、長子からが順当であるはずだがが、何故に末っ子?
H4は仲良しクラブののアベルカインを勝利したところで、H3からの承認を受けなければならい。さらには、H1、H2の承認も受けてはいないではないか。さらにその上の真の父母様の承認は必須である。

「独生子」×「独生女」=「真の父母様」

この「独生女」否定によって「精子神学論」は、もはや、破綻寸前といってよい。
なぜなら、サンクは黙示録の預言「小羊の婚宴」までも否定、「再臨主・お父様」まで否定しての「精子神学論」はガタガタだ。


【関連記事】

公文の表・裏(?)


文面の占める面積、文字の大きさからみてもその趣旨は明らかです。『その代身者・相続者は文亨進である。』は付け足しに過ぎません。

それを実証するかのように、映像の17:20ごろからを注意深く見れば(以下字幕引用)、


これとこれ二つ、表裏で一つだ。中と外。事実だ。わかった?
特報事項(はい)
さあ、一つ、これは裏表だ。
受け取って(受け取って)
(引用終わり)​

映像からは、お父様 → お母様 → 亨進様の順番で手渡されました。亨進様はお母様を無視して、これを主張することはできません。





一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
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Last updated  2019.02.28 00:21:41
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